2012年5月9日水曜日

里羅琴音・Berry Star『銀のケルベロス』(2012)~猫まんましちゃだめ!~



ミドリ     「はーい 朝だよ さっさと起きる!」

沙紅耶  「うにゃ」

ミドリ     「だめだめ!とっとと… ちょっ…」

沙紅耶  「眠いよ─ あと10分…5分でいいから一緒に寝よう」

ミドリ     「あ た し も! 眠いのガマンして朝ゴハン   作ったんだけどな─」

沙紅耶  「ゴハン!」

ミドリ     「ほら 着替えた 着替えた(と身支度を手伝う)」

沙紅耶  「うーん… ぐるじい…」

ミドリ     「(傷が…)」(戦闘で負ったはずの傷が完全に癒えて見当たらない。)

ミドリ  「……ね ねえ サクヤの好きな玉子焼き お砂糖とお醤油の
              作ったから食べよ ほら これ食べてさっさと学校行くよ」

沙紅耶  「いただきます」

ミドリ     「また─ 猫まんましちゃだめ!」

沙紅耶  「だってミドリちゃんのお味噌汁 こうするともっと美味しい」(*1)

(*1): 『銀のケルベロス』CHAPTER.6 naked ape里羅琴音 作 Berry Star画 「月刊ヒーローズ5月号」 小学館クリエイティブ 所載 2012

2012年4月24日火曜日

沖浦啓之「ももへの手紙」(2012)~わざと音を立てて~


  止まった掛け時計の部屋で、ふたりは夕飯を食べ始めた。 
おみそ汁とご飯。漬物と、おひたしと煮魚。ちゃぶ台の上の 
夕飯は質素だ。お父さんがいたときは、もう一品か二品、 
手をかけた料理が並んでいた。でもふたりになってからは 
ぐっと品数が減った。お父さんが亡くなってからは、お母さんも、 
ももも、しばらく食欲がなかったこともあって、自然とそうなった。 
この島の買い物事情を考えると、この先もずっと食卓はこんな 
感じなんだろうな。(中略) 


「絶対なんかいるんだって」 
「いません」 
「いるよ!」 
「いないのっ、もう、いいかげんにしなさい」  
お母さんは食事の続きに戻った。ご飯をひと口食べ、 
もうこの話は終わり、とばかりに、わざと音を立てて 
みそ汁をすする。(*1) 



(*1):「ももへの手紙」 原案/沖浦啓之 著/百瀬しのぶ 角川文庫 2012 67-68頁

2012年4月1日日曜日

「優雅な生活が最高の復讐である」(2012)


 評論家 大宅映子

「両方でほんとに理想の住(じゅう)を演じていたのかな。

そのとき私はそうは感じなかったけれど、ただね、思ったのは──
たとえば彼女は自分の家(うち)で味噌汁なんかは絶対に
作らない、食べない。うちは味噌汁だとかお茄子の煮たのだとか、ね、
煮っころがしだとかやる家なんです。そうすると加藤さんが家に来て、
あの人京都でしょう、ハアッ、ほっとするなあ、こういう食べものって(笑)
言ったことあるんで、ああ、じゃあやっぱり苦しかったのかなあ、って
思いましたね。」(*1)

(*1):「優雅な生活が最高の復讐である 加藤和彦・安井かずみ夫妻最期の日々」 演出 大島新 脚本 横内謙介 2012年3月25日(日) BSプレミアム
番組放映は2012年であるが、安井さんと加藤さんの暮らしから味噌汁の排除された時期は1977年前後から安井さん永眠の1994年3月17日と思われるので、1970年代で一応分類。

2012年3月20日火曜日

三浦友和「相性」(2011)~そうやって徐々に~



 家事全般の比率からしたら、もちろん妻が9割以上です。

でも残りの1割で、自分ができることならするよ、というだけです。

料理を手伝うのだって、自分が好きだから。約束や決まり事もあり

ません。遊びの計画でもなんでも。だから、家族サービスじゃあり

ません。

 感想は言いますよ。例えば、妻の料理を口にして、「今日はちょっと

塩が強かったね」とか。「あら、そう?」と、妻が次からちょっと工夫を

してくれる。こういうことはお互い様で、味噌汁の好みが中間点に落ち

着いていくように、そうやって徐々に、二人の関係もいい具合になって

いくんだと思います。(*1)

(*1):「相性」 三浦友和 2011 小学館 181-182頁

2012年3月3日土曜日

芥川龍之介「葱(ねぎ)」(1919)~火取虫の火に集るごとく~



 すべてのものがお君さんの眼には、壮大な恋愛の歓喜をうたいながら、

世界のはてまでも燦(きら)びやかに続いているかと思われる。今夜に

限って天上の星の光も冷たくない。時々吹きつける埃風(ほこりかぜ)も、

コオトの裾(すそ)を巻くかと思うと、たちまち春が返ったような暖い

空気に変ってしまう。幸福、幸福、幸福……

 その内にふとお君さんが気がつくと、二人はいつか横町を曲ったと見えて、

路幅の狭い町を歩いている。(中略)

 その八百屋の前を通った時、お君さんの視線は何かの拍子に、葱(ねぎ)の

山の中に立っている、竹に燭奴(つけぎ)を挟んだ札(ふだ)の上へ落ちた。

札には墨(すみ)黒々と下手な字で、「一束(ひとたば)四銭」と書いてある。

あらゆる物価が暴騰した今日(こんにち)、一束四銭と云う葱は滅多にない。

この至廉(しれん)な札を眺めると共に、今まで恋愛と芸術とに酔っていた、

お君さんの幸福な心の中には、そこに潜んでいた実生活が、突如として

その惰眠から覚めた。間髪を入れずとは正にこの謂(いい)である。薔薇と

指環と夜鶯(ナイチンゲエル)と三越の旗とは、刹那に眼底を払って消えて

しまった。その代り間代(まだい)、米代、電燈代、炭代、肴代(さかなだい)、

醤油代、新聞代、化粧代、電車賃――そのほかありとあらゆる生活費が、

過去の苦しい経験と一しょに、恰(あたか)も火取虫の火に集るごとく、

お君さんの小さな胸の中に、四方八方から群(むらが)って来る。(*1)


 芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)さんが大正八年に書いた「葱(ねぎ)」の一部です。文中にある“至廉(しれん)”とは値段が非常に安い様子を指し、“火取虫(ひとりむし)”は夏の夜に灯火に集まる蛾(が)のことです。


 十代なかばのカフェの女給“お君さん”が色男に目をつけられ、言葉巧みに夕暮れの街に連れ出されます。サーカスを観るという誘いだったのに、いつの間にか裏通りを歩かされている。おんなはいたって無邪気です。男の頭のなかには路地の奥に建つ宿屋の、妖しげな灯りがありありと浮かんでいるというのに、樹皮を割って若芽の生え出るごとき恋情の、いよいよ我が人生に起きるきざしに恥じらい、むず痒さに身をよじらせながら手を引かれ歩くのが至福と思えてなりません。夜空に星のきらめきを追い、背中に喧騒を感じて夢見心地でいるのです。


 ところが、八百屋の店先に葱(ねぎ)の安売りなっているのを見止めた途端、おんなの心はがらりと色彩と様相を変えてしまう。男の手を振りほどくやいなや、店の奥の主人と交渉を始めます。ぷうんと臭う葱(ねぎ)の束を抱えて舞い戻ったおんなはふたたび男と裏通りを歩き始めますが、両者の気持ちはすでに失速し、特に男の方の想いは沈んだままとなって終に起き上がることはありません──


 お陰で怖い思いをせずにおんなは済んだ訳ですが、笑えるような淋しいような、どこか断裂した読後感を読み手にあたえる、そんな小編となっています。


 興味惹かれるのは野菜のプライスカードをきっかけにして突如開始されたおんなの連想のなかに、なんと“醤油”が顔を覗かせていることです。九十年ほど前の日本で電気、新聞、化粧といった花形産業と肩を並べて醤油がいた。面白いですねえ、今では誰もこんな風には思わないでしょう。


 “過去の苦しい経験”とあります。なかなか買い足しがならずに味気ない食生活を悶々と耐え忍んだ、そんな時間もあったに違いない。醤油の味と香りが往時の暮らしのその中でちゃんと座を占め、深く意識に浸透していたことを窺わせる貴重な一節になっていますね。


 それともうひとつ。物語世界への醤油の介入というものは登場人物の高揚する想いに水を挿す役割、いわば“消炎作用”を不思議と帯びるのだけれど、この芥川さんの「葱(ねぎ)」においてもそうで、恋慕の邪魔立てをして、うら寂しい路地裏に若い男女を足止めしている。偶然には違いないけれど、この連結も僕には滅法面白かった。


 さて、本の紹介はこれぐらいにして、ここからは読書中に僕自身が連想してしまったことを少し綴っておこうと思います。芥川さんの文章を今風に直せば、「家賃、お米代、電気代、ガス代、おかず代、(醤油代、)新聞代、化粧品代、交通費――そのほかありとあらゆる生活費」となるのですが、ここで現代人ならば(醤油代)とはきっと書かないと考えるなら、それに替わって選ばれるのはいったい全体何だろうと考えた訳でした。


 通信費とか医療費なんかもよぎりましたが、「油」という字面に導かれたか、寒くて暖房がまだまだ欠かせないという季節的なことも重なってか、僕の頭には“灯油代”という文字が燦然(さんぜん)と浮かんでしまい、いくつかの記憶もまざまざと蘇えって仕方なかった。


 一年前のあの混沌とした時期に、水や食料を運ぶために車を走らせ、また、その車の燃料を得るためにスタンドを取り巻く長々とした行列に幾度も加わりました。あの時、あちらこちらの吹きさらしのスタンドで、国の発表も指導もまるで無いに等しいそのなかで、赤いポリ缶を携えて灰色の寒空の下を震えながら並んでいた人の列の誰もが悄然と押し黙っていた様子が、今、厳しさをともなって鮮明に脳裏に再生されていきます。


 あんな光景は二度とごめんと思い、けれど同時に、きっと再び似た状況になるぞと警鐘をがんがん鳴らす存在が自分の中にいて、とても落ち着けるものではない。


 先日の報道のせいでもあります。当時(僕たちから遠く離れた、どこか重い扉の向う側で)囁かれ、黙殺されたという半径170kmとも250kmとも言われる避難対象区域の、その狂ったとしか言いようのない広さや距離に息を呑みました。大袈裟でも机上のものでもなく、実際そのぐらいの事故であり汚染だったのだろうし、今後も同じような被害が次々と襲い来る可能性がある。


 当然そこに含まれてくるに違いない湾岸施設や鉄路、道路交通網の麻痺や放擲(ほうてき)を想像し、その後即座に押し寄せるだろう“ありとあらゆる生活”に関わる物資の致死的な枯渇を思い、“苦しい経験”の強襲を予想して憂いは深まるばかりです。連想はあたかも火蛾のように四方八方から群(むらが)って来るようで、臆病な僕の胸の中をおびやかし続ける。


 この国土で居住可能な平野は、世界から見ればせいぜい六畳間に等しい場処でしょう。そこから転がるように飛び出し逃げ惑う住人に、天翔(あまか)けてたちまち追いつき、うれし楽しと顔や手足を舌で舐(な)めまわすならまだしも、あろうことか幼子(おさなご)にすら容赦なく牙剥き喰い散らす獰猛な獅子(それも五十頭以上も)をそんな部屋で飼い続けているようなものであって、どう見ても無鉄砲で危険なことと思えます。


 例えば涼しげな鉢に金魚を幾匹か飼うにとどめるべきではないか、それが駄目なら、あら大変、檻から出ちゃったと遠巻きにする住人を尻目にのんびりと草を食(は)み、昼寝を決め込むロバか羊をせめて飼うのが利口じゃなかろうか、いや、常識じゃなかろうか。


 獅子でなければ象だって麒麟だっていいのです。僕たちを襲うことは稀でしょうし、もちろん170kmや250kmなんて逃げる必要もない。掃除は必要でしょうけど、玄関も台所も寝室も玄関も、トイレだってそのまま使えるでしょう。お気に入りの家具も衣装棚も、丹念に育てた鉢植えの花も、棚に背表紙向けて並ぶ思い出のたくさん詰まった本たちも、幼い日に遊んで捨て切れないでいた遊具や楽器なんかも、そのまま人生の道づれとなって時を刻んでくれるに違いない。


 “正しく怖れること”の継続がとても大事な段階に入ったことを、ある識者が訴えていました。その通りだと思います。赤いポリ缶の連なる光景を見てしまった者の務めとして、ずっとこれからも考えていきたい、そう思っているところです。


(*1):「葱」 芥川龍之介 文末に“大正八年十二月十一日”の記述あり。手元にあるのは角川文庫「舞踏会・蜜柑」の26版で、「葱」も所収されています。引用はその175頁。最上段の画像は別な本で、米倉さんの絵がちょっと良かったので借りました。

2012年2月28日火曜日

“Уха(ウハー)”


 “食べもの”を口に含んだ瞬間、こころの芯を燻(いぶ)され、思いがけず汗ばみ上ずって、やがて軟化させられた挙句に深い恋に落ちる、そんな設定のお話がたまにあります。


 それ等はどれもこれもが地味な顔立ちをしており、起伏に欠けて退屈至極の内容と思われがちなのだけど、実際は隅々まで細工がほどこされていることが多い。後からじわり“押し味”の効いてくる層の厚い作りになっている。


 日常の事象、そのひとつひとつに目が行き届き、裏打ちされた幽かな想いが寄り添います。これに気付く感度の良さ、視力や嗅覚をフルに活用しようとする意志といったものがドラマの登場人物に、また僕たち観る側にも求められてしまう。


 先日観たイタリアの映画はまさにそれでした。“Уха(ウハー)”という魚のスープが登場するのだけど、これが料理の域を越えた役目を担っていて凄かったなあ。(僕の惹かれる“味噌汁”の描写に通じるものがありました。)この“Уха(ウハー)”の起用にとどまらず、色んなもの、衣裳や美術、音楽までずいぶんと手が入っていて、充足感がとてもあった。冒頭は雪の降り積もった白い街の遠景で、こんな凍てつく季節に観るのもどうかと最初は思ったのだけど、結果的にはたくさんの事を考えさせられてなかなか良い時間になりました。



 今夜から明日にかけて雪の場所もあるそうですね。どうか気を付けて、怪我のないようにお過しください。温かくして風邪をひかれませんように。

(*1): Io sono l'amore  監督/脚本 ルカ・グアダニーノ 2009