2010年2月28日日曜日

上村一夫「怨霊十三夜」(1976)~上村一夫作品における味噌汁(8)~

 劇中、上村一夫(かみむらかずお)さんが“こころ”に彫りこみを入れ、襞(ひだ)をこまかく加えていくとき、僕たちの目の前にこつぜんと“食”が佇立します。そして、奇妙な存在感を保ちながら男なり女なりに擦り寄っていく。想いがふたつ真向いせめぎ合うところ、恋慕の情のひどく迷走するところ、信念の露呈してまなじりを決するところ──。“観念”と“食”との重奏が始まり作品世界を華やかに彩っていきます。


 召呼された“食べもの”たちは日陰に置かれたかの如く目立たず、さっと読み流されるのが大概なのだけれど、上村さんが遺した頁(ページ)は膨大ですからね。まばゆい光軸となってお話を射し貫き、えも言われぬ残像を脳裏に残していく、そんな“食べること”に主体が置かれたお話も探すことが出来ちゃう。


 「怨霊十三夜(おんりょうじゅうさんや)」(*1)と冠する時代劇の連作がそれです。なかの二篇、短編「春の雪」と五回に分けて載った「津軽惨絃歌(つがるざんげんか)」で“食べること”が異彩を放っています。(*2)「月産400枚の原稿を手掛ける多忙さを極めた」(*3)のは、もしかしたらこの頃だったのでしょうか、発表された時期を年譜で俯瞰すると当時の密度の濃さに唖然とさせられます。先述した「関東平野」(*4)から一ヶ月先行しての連載開始ですね。上村さんの“決めごと”は、はたして其処でも活きていたものでしょうか。


 “食道楽”の父親に手塩に掛けられ、さらに若い“板前”と駆け落ちを果たした少女が「春の雪」(*5)の主人公です。手に職を持った者の強みです。行く先々で男は稼ぎを得て、若い夫婦は仲睦まじく暮らしていくのでした。可愛いおんなを愉しませるために、男は手を変え品を変えして美食を与え続けます。“食べること”に揺蕩(たゆた)い、半ば淫して過ごすうちにふたりは歯止めがいよいよ利かなくなっていきます。流感をこじらせ男があっけない最期を迎えてからも、ひとり残されたおんなは食べることをどうしても止められないのです。


 いよいよ彼女が口にした“もの”は、調理らしきことをほとんど施さずに包丁でとんとん、と切り分け、ぼてりと真白い碗に盛っただけの“もの”であって、それは“上村さんの食べもの”と呼ぶにふさわしい趣きです。舌根にとろり纏(まと)わり転がって、やがて咽喉をつるつる駆け下る頃にはおんなの官能をねっとりととろかしていき、深い法悦の表情が面貌(おもて)には刻まれるのだけれど、作者はそこに性技を極めた際に訪れる高い恍惚と瓜二つのものを意識的に刷り込んで僕たちに呈示してきます。いやはや、なんとも凄まじい。このときおんなの口に含んだ“もの”とは死者の脳味噌だったのです。


 上村作品の劇中人物が“食”を「愉しむ」さまは探せば見つからないことはありません。コクンと頷き目を細め、にこやかに舌鼓を打つ“遠目の姿”があちこちに挿入されてもいます。でも、そういうのは味覚と嗅覚の実直な反応で、いわば常人レベルです。「春の雪」ほどの昂ぶりを見せることは稀で、こんな極端な「美味しい!」を顕わすクローズアップは他の上村作品には見当たりません。一体全体、何なのでしょう。いくら上村さんが情念の画家とはいえ、咀嚼や嚥下の瞬間にここまで白熱した絶頂感が襲いかかって来るのはいかにも不自然で、随分とあからさまな表現に目に映ります。


 “決めごと”「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」──が起動していると仮定すれば、どんな想いがどれほどの強さで寄り添っていたのでしょう。所作や台詞を細かく見ていくなら、夫を喪ったばかりの成熟したこのおんなが仏門に入り、尼僧の姿になっていることがまずもって興味を惹かれます。そして「父と夫の供養のために」「この料理を作るのです」と呟くモノローグ中に、同じおんなである「母」が洩れ落ちているのもかなりの作為を感じさせます。


 奇天烈な食を極めた果てに禁断の“味”に溺れていくという“だけ”の話なら、かえって流れ的には分かりやすいのです。いたいけな赤子や無防備な娘をかどわかして無人の廃屋なり地下室なり、はたまた屋根裏に連れ込んでしまう。駆けつけた追っ手に見つかって振り向いた顔の、その唇には鮮血がべったり黒く付着しているといった結末は恐怖漫画や悪魔映画にありがちな荒唐無稽な展開なのですが、「春の雪」よりは余程自然に思われます。


 きっと上村さんの作品世界にあっては、味覚に耽溺する余りに自分を見失うという狂熱を選択肢に最初から持たないのでしょう。登場人物は最後までひととして全うしていき、どこまでも内観的です。“切れた精神”が世界をつんざくといった表現は成り立たない。(*9)“観念”と“食”は左右の車輪になりながら物語を確実に引っ張っていき、脱輪や暴走へはそうそう至らない。


 恋慕の最終形にして意識を隷属し尽くす「死に別れ」、“日常”から一番遠く離れた「出家」、“食事”の意義から完全にかけ離れた「人肉食」を三方に組み込んで、ようよう平衡を保った曲芸だったのだと僕は読んでいます。「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」という図式に当てはめて再度眺め直してみれば、おんなの内部に宿ったものの哀しみやゆらめきが輪郭を露わにして胸に迫ります。どれほどの思念が細い身体に燈(とも)っていたことか。上村さんにとっての極北の愛が描かれているやもしれません。




 「春の雪」の直前に描かれた「津軽惨絃歌」(*10)でも、“食べること”はひとの情念に強く通じていきます。海岸線と峰々に閉ざされ、世間から孤絶した漁村が物語の舞台です。そこに住まう彼らは魚を生きる糧とし、もたらす海原を拝むようにして暮らしています。とある冬、網元の息子である真介と瞽女(ごぜ)のお波(なみ)が相思相愛の仲となるのですが、真介は気持ちをくじいてふたりの暮らしを諦めてしまうのでした。真実に背を向け日常に埋没し、男は茫々と日々を越えればいいかもしれない。しかし、掟を破ったお波に対して旅仲間は容赦ない制裁を加え、右手と両耳を奪って雪野に放逐してしまうのです。


 真介との子どもを身ごもっていたお波は生きることを決意し、我が身から切り落とされて“もの”と転じた肉を喰らい、木の根を齧り、蛇を噛み裂きながら季節をまたいで臨月を待ちます。わが子を産むと同時にお波は息を絶えますが、赤子はやがて美しく成長して寒村に舞い戻ってくるのでした。


 もともと狭い海岸端に張り付いているようなさびれた場処です。余分な金子(きんす)など誰も持っていない、ぎりぎりの毎日なのです。そこで娘は、村の男たちに自分の身体を抱く代償として漁の獲物を要望します。色香に狂った浜の男たちは獲れたばかりの魚を抱えては列をなして群がり、貧窮に喘ぐ我が家に“食べもの”をもたらす動きを一切止めてしまう。たちまち村は炎天下にしおれる朝顔のごとくで、誰も彼もが飢餓寸前にまで追い込まれるのです。娘には母親お波のたどった“食べること”の苦難を、彼女らを放擲した漁民に強いる目的がひとつにはあったようですね。


 集めた魚はどうなったものか。娘だけがひとり艶然としてかぶり付き、滋養を大いに摂ったものでしょうか。いえいえ、籠ごと波打ち際にこっそり運ぶと、一尾ずつ海へと還しては微笑むのです。親の後を継いで村の長になった真介が娘の元を訪れて、どうして貴重な“食べもの”をみすみす逃がすのか、何故そのような理不尽を行なうかと詰問し懇願するうち、男とおんな、ふたつの魂は時空を超えてようやく再会を果たして影をひとつにしていく、そんな結末でした。身近な場処から“食を遠ざける”行為がここでも印象的です。


 母親の魂を宿した娘の真の願いは“情念の再燃”であったようです。「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」、「かぼそき“食”が情念の高潮を惹き起こし、胸の奥の洞窟に潜むものを覚醒させていく」。上村さんの“決めごと”は確かにひっそりと、けれど確実に息づき、僕たち読者を魂の荒波でざぶざぶと洗っていくのです。






(*1):「怨霊十三夜」 上村一夫 1976-1977 「週刊漫画TIMES」(芳文社)連載 現在複数の単行本に分けられ所載されている。 
(*2):留意すべき点が実は潜んでいます。「怨霊十三夜」開始の一月前には久世光彦さん原作の「螢子」(*5)が、その逆に「関東平野」から一月遅れで(後日この場で触れる予定なのですが)、「すみれ白書」(*6)という作品の連載もこれに加わっています。同時に生まれ落ちた双子ならぬ四つ子たちなのだけれども、それにしても、たったひとりの作者から並立して描かれたにしてはどれもこれもがボリュームが有り過ぎるのです。

 この驚きはなかなか口で言っても伝わらないかもしれません。四つ子たちを間髪いれずに総覧して初めて、その不思議に気付き誰もが愕然として言葉を無くすのでしょう。天才という形容がどうしても浮かんでしまいますが、上村さんとの仕事が長かった元劇画雑誌の編集長は、この「怨霊十三夜」に上村さん以外の何者かの体臭を嗅いでいるのです。(*7) 確かに筋肉の付きかたに弾力がなく、ぎこちない感じが素人目にもします。原作者がいた、その推論は間違いないものでしょう。つまり留意すべきこと、というのは、この「怨霊十三夜」にて発光する“食べる行為”を“上村一夫の世界観”であると認め、あっさり連結して構わないかものかどうか一抹の不安が残るということなのです。作者以外の人物の嗜好かもしれないのです。

 連作中には「東海道四谷怪談」を下敷きにした逸話(*8)も含んでいますから、民話や伝説が下敷きにあるかもしれない。そうなれば上村さんが構想をめぐらして“食”と“観念”を組み込む余白は最初から無かったかもしれない。何とも言えませんね。ですから、不確かなここでの言動が上村作品に誤った印象を与える、そんな懸念が大きく膨らんだ際には、この頁をそっくり直ぐに消去するつもりでおります。
(*3): 上村一夫オフィシャルサイト プロフィールhttp://www.kamimurakazuo.com/profile/index.html
(*4):「関東平野」 上村一夫 1976-1978 双葉社 初出は「ヤングコミック」
(*5):「春の雪」 上村一夫 「週刊漫画TIMES」(芳文社)1977年3月4日号 初出
(*6):「螢子(ほたるこ)」 上村一夫 1976-1977 ブッキングで入手可
(*7): 「上村さん、という人」 元「ヤングコミック」編集長 筧悟(かけひさとる)
そこで気になるのは、この作品の原作もしくはシナリオブレーンは誰なのかという疑問だ。週刊連載だからどなたかいたはずである。(中略)担当者の万袋さんなどの名前が挙がったが、現時点では不明である。真相を知りたいのだが、上村さんも万袋さんも土に還ってしまっている。」(「津軽惨弦歌~怨霊十三夜~」チクマ秀版社 巻末解説)
(*8):「子年のお岩」 上村一夫 「週刊漫画TIMES」1976年9月から10月掲載 現在愛育社より上梓されている「上村一夫珠玉作品集1 子年のお岩」で読むことが出来る。
(*9):切れるのではなく“狂う”という表現はよく使われています。そこに至れば“決めごと”も届かず、“食べもの”も明確な役割を果たしていないように見受けられますので、この場(ミソ・ミソ)では深入りしていません。昨今の娯楽媒体においては諸事情により狂気を画材に用いることが難しくなっていますが、恋慕や思念の臨界を描くにはどうしても欠かせないものですよね。
(*10):「津軽惨絃歌」 上村一夫 「週刊漫画TIMES」1976年12月から翌年1月掲載 現在チクマ秀版社より上梓された同名単行本で読むことが出来ます。


2010年2月23日火曜日

上村一夫「関東平野」(1975)その2~上村一夫作品における味噌汁(7)~


卑弥呼「いい男だねぇ……先生は……

     だんだんああいう日本人がいなくなっちまうんだろうねぇ……

     あんたもいいひとに引きとられたよ……」

金太「………」

卑弥呼「たべる?」

金太「いいえ 結構です………」

卑弥呼「先生なら黙って食べてくれるよ」

金太「………(味噌汁のかかったご飯をザッザッと掻き込む)

  (ゴクッと呑み込んで)ごちそうさま」

卑弥呼「どう?……あたしの味噌汁の味は?」

金太「はあ……まあまあだと思います」

卑弥呼「やっぱり駄目かなあ……子供を産まないと味噌汁らしい

    味噌汁はつくれないのかなァ……  あんたのお母さんに

    なれば上手につくれるかしら?」

金太「え!?」

卑弥呼「先生の奥さんになればってことよ……」

金太「…………」

卑弥呼「誘われてるのさ……いまの商売をやめて家へ来ないかって…!

    だけど だめだよ…柄にもなく照れちまって……」(*1)



 結婚式に招ばれた帰りに、式場近くにある美術館に足を向けました。この日は企画展示がなく常設だけだったのですが、それは二の次、たいした事ではありません。なんとなく独特の空気を胸に吸い込みたい、そんなときってあるものです。まだ冬から抜ききらない小さな町の、瀟洒な2階建ての白い建物には例によってお客さんはいませんでしたから、悠々と空間を独り占めして絵と対峙することが出来ました。嬉しい時間です。


 荒々しい山稜ばかりを巨大な画布に叩きつけるようなタッチで描く画家の作品が、二十点ほどいかめしく並んでいました。麓の雑木林や白い湖面を小さく底辺付近に配しています。そこから目を上方へと転じていくとやがて森林限界線を越えてしまい、黒い岩肌がごつごつと現れてきます。


 上限ぎりぎり、額縁にぶつかりそうな場処に屋根(おね)が描かれ、奥に鈍い洋赤色(カーマイン)に染まった空が垣間見えるのだけれど、視線がたどり付くまでには延々岩ばかりを這い登らなければなりません。狂ったようにうねり連なる筆の痕(あと)を追ううちに、(お酒のせいもあるでしょうけれど──)頭の奥の方からくぐもった音が響いてきました。老いた魔女の口にする呪詛のつぶやきか、それともあやかしの啼き声かは分からないけれど、ぐつぐつ、ぐわんぐわんと幻聴されるようなのでした。


 静かな誰もいないはずの空間ながら、とても騒々しい気配を受け止めました。耳を澄ませる気概があれば絵というものは大いに多弁となる時があり、沈黙を解き、何倍もお喋りを始めるものなのでしょう。


 “食”という視点から振り返れば、上村一夫(かみむらかずお)さんの「関東平野」も絵画と対峙するような案配で饒舌になります。なるほどしっとりと焦点が合わさって情念の明滅する様がうまく結像していく。今、そんな感じを独り味わっては酩酊に遊んでいるところです。


 上に引いた箇所は味噌汁にかかわる記述です。元子爵令嬢で今は二丁目に身を墜とした綾小路卑弥呼という名のおんなが、編集者の目に止まって画家柳川大雲の家に紹介されて来ます。絵のモデルとして選ばれたのです。金太は大雲から封筒に包まれたモデル代を託され、教わった住所を頼りにひとり二丁目まで足を運んだのでしたが、調度仕事の前の食事時であったのでしょう、卑弥呼は店先に七輪を出して味噌汁を作っている最中なのでした。


 ここで交わされる台詞は味噌汁を巡っての典型的な顔立ちをしています。家庭という内側へ外側から飛び込むに当たり生じる困難、違和感、妥協、そういった段差を象徴する小道具として登用されています。けれど、どうでしょう、指し示されているのはそれだけでしょうか。


 次は終幕間際に現れたものです。こちらは味噌汁ではなく生味噌の状態ながら、たいへん似た「心境の錯綜」を呼び寄せています。絶食の末に自ら命を絶った大雲が荼毘に付され、金太と銀子が故人の願いに副(そ)うべくゆかりの地、椿村に頭骨の一部を埋めようと足を運びます。田んぼの中の一本道で農家の家族に出会うのですが、それが幼少の折にあれこれあった同級生の石松だったのです。石松とその妻、そして彼らの赤ん坊は並んで道にござを敷き座ると、そこで農作業の合間の食事を始めます。



金太「石松……幸せそうだな」

銀子「憎いほど羨ましい………」

金太「やつのムスビ……見たかい?」

銀子「うん」

金太「味噌がたっぷり塗ってあって…恐ろしいほど大きかったな」

銀子「お味噌……奥さんが作ったんだって」

金太「……!」

銀子「うう……」

金太「なんだよ…ベソなんかかいて」

銀子「だって……だって あたしのような人間はああいう暮しを

   望んでも無理なんだもの」(*2)
 

 ここで再び民俗学者の神埼宣武(かんざきのりたけ)さんの本を引きます。


 テレビドラマにおける食事シーンに注目したことがおありだろうか。気をつけてご覧になれば、そのシーンの多さに気づかれることであろう。(中略) 海外では、およそこうした例はない。そこで、知人の某テレビマンにたずねたところ、視聴者が潜在的にそれを要求しているからだ、というのである。食事のシーンがないと自分たちの生活と縁遠いようで不安である、という視聴者の意見が多いらしい。(*3)

 もう一冊、今度は雑誌編集者から劇画原作者となり、上村さんと数多くの共著を送り出してきた岡崎英生(おかざきひでお)さんの本を書き写します。


 上村は、当時の劇画が決して主人公にしなかったような人物を主人公にすえる。彼ら、あるいは彼女たちは自分ではコントロールできない謎を抱えている。だから、その行動はつねに非合理的で、わかりにくいといえばわかりにくい。上村はそういう登場人物の言葉ではとてもいい表せない心情にまで深入りする。そして物語の中では、苦しませ、悶えさせ、時には(中略)破滅させる。(*4)


 最初の卑弥呼は春をひさぐ女として、また、金太の幼なじみの銀子は男の身体を持ったおんなとして造形された“決して主人公にしなかったような人物”であり、多くの読者とは“縁遠い”存在です。彼らは味噌汁、味噌を引き金とする思念の奔流に叩き落され苦しんでいるのであって、ホームドラマを見入る僕たちとは真逆に「食事のシーンがある」と大いに「不安」をもよおして動揺するのです。


 「やっぱり駄目かなあ……、だけど だめだよ…」「だって……だって あたしのような人間はああいう暮しを望んでも無理なんだもの」と煩悶する際の駄目や無理とは味噌汁の味付け、おむすびに付された味噌の自家製法である訳は当然なく、味噌(汁)をレンズとして広がる「日常、生活、家庭」という“異界”への転進が駄目であったり、無理難題となって立ち塞がろうとしている。


 上村さんの劇画においての“食”や“食べもの”とは、だから「ある家庭から別な家庭」「ある生活から別な生活」へ平行的に移動することの象徴といった生やさしいものではなく、森林限界線に似た険しい斜面に引かれたものであって、扱いを誤れば「時には破滅させられる」類いのものだと分かるのです。植生も違えば、環境も驚くほど異なっている世界の両者が“食”や“食べもの”を間に置いて睨み合っている図式なんですね。そして、中でも味噌が極めて先鋭的に境界上に置かれてある、そういうことなんですね。


(*1):「関東平野」 上村一夫 1976-1978 双葉社 初出は「ヤングコミック」
   VOL.22 赤線、青線、灯る街角
(*2):VOL.44 埋骨
(*3):「「クセ」の日本文化」 神埼宣武 日本経済新聞社 1988
(*4):「劇画狂時代「ヤングコミック」の神話」 岡崎英生 飛鳥新社 2002

上村一夫「関東平野」(1975)~上村一夫作品における味噌汁(6)~


 かれこれ二十四年も前になります。駅前の繁華街からちょっと外れたところにあった喫茶店の片隅で、薄まるアイスコーヒーを舐め舐めページをめくったのが上村一夫(かみむらかずお)さんの「関東平野」(*1)でした。


 あの頃は銭湯通いの社員寮暮らし、プライバシーはなくて当然でした。週休二日などは想像だにもせず、指名を受ければ日曜だろうと仕事に出るのは常識です。それは家庭を持たぬ独身者の義務だろうと、自然にこころは割り切れもした。つかの間の休日の午後は意味なく街をぶらつき、路地裏の映画館に飛び込みで入ってみたり、喫茶店の棚に置かれた古い漫画を掌に取って眺めるぐらいが息抜きでした。


 もちろんネットカフェも無ければ、漫画喫茶と冠する店舗もまだ見当たりません。薄暗い照明のなかに座り込み、漂
う紫煙をスパイス代わりに味の薄いピラフをスプーンで運び、さらに薄くなってしまったアイスコーヒーで舌を湿らせるのが休日の、精一杯の僕の安らぎでした。そんな具合で、上村さんの 「関東平野」に気持ちを馳せると、僕のあの頃の“関東平野”がまざまざと記憶に蘇えってくるのです……。それにしても、時代の諸相は本当に変わるものですね。


 ひたすら抒情的に色恋の煩悶を謳い上げるのを得意とした上村さんの画歴にあって、この「関東平野」は硬度のある面影を宿して異彩を放ちます。もちろん愉楽に誘い込む艶やかな筆筋は変わらない。カリカチュアされた容貌が実に巧みで、こうなるともはや名人芸の域でしょう。(*2)


 けれども、最初に読んだ折に僕はひと味足りないように思い、満腹感が得られなかったのです。若かりし日の僕は、「関東平野」をホームドラマと早とちりしたのですね。その頃の僕が求めていたのはどちらかと言えばホームのないドラマだったものですから、軽いいら立ちすら覚えたのでした。──うむむ、赤面の至りです。あまりにつたない読解力であったなと今にして深く恥じ入ります。


 約二年間に渡って「ヤングコミック」に連載されたこの物語は、架空の少年金太(きんた)の成長譚という体裁を採っているけれど、上村さん自身が“原風景のメモ帳”、すなわち“自伝的なもの”であることを公言してはばからない作品です。敗戦直後から復興期にかけてのかまびすしい世相と、明暗ばらばらに咲き乱れる心模様を少年は上目遣いで凝視しながら、ゆるやかに成長していきます。


 広大でありながらもどこか閉ざされた心象を僕たちに与える「関東平野」を舞台と為し、視座を西から東、東から西へとめまぐるしく交錯させながらお話は展開します。戦災により母を喪った幼子金太(きんた)が千葉の片田舎に住まう著述家の祖父にまず引き取られるのですが、共に暮らして数年といったところで病魔が祖父を襲います。


 ふたたび寄る辺を失くした少年に、今度は祖父と盟友であった画家がそっと手を差し伸べて東京に連れ帰り、そこで、ごくごく自然なかたちで金太は画業(上村さんの生業ですね)へ導かれていくのでした。ひとの縁(えにし)は人生のかたちを往々にして大きく変えていくものですが、この物語ではそれを微に入り細に入り描いていきます。多くの人とまなざしを交差させながら、やがて青年は絵描きとして自立するべく発奮していく、そんなおごそかな終幕になっていました。




 僕がそんな「関東平野」を当時、ホームドラマと見くびった理由は何だったのか。その背景にあるのが“食べもの”だったのは違いありません。民俗学者の神埼宣武(かんざきのりたけ)さんは“食事”とテレビ上のホームドラマとの関連を20年程前に上梓した本に書き込んでいます。参考までに書き写してみます。


  テレビドラマにおける食事シーンに注目したことがおありだろうか。気をつけてご覧になれば、そのシーンの多さに気づかれることであろう。時代劇はともかく、現代劇においては、一、二時間のドラマで平均五、六回の食事シーンが登場する。それは家庭での食事が中心であるが、レストラン、居酒屋、バーなどでの飲食までが、ストーリーの展開上さほどの意味がないのにたびたび登場してもいる。(*3)


 「関東平野」での“食べもの”の頻出はそんなホームドラマに匹敵するのです。満腹感が得られなかったと上に書きましたが、例えがあべこべかもしれません。“食べもの”が溢れていたのです。前半部分では毎回のように登場し、それにかぶり付く様子も盛んに描かれていた。チューインガム、焼芋、煮魚の缶詰、煮物、芋アメ、アメリカザリガニ、軍鶏鍋、まんじゅう、おじや、西瓜──。


 彼ら劇中の人物が年齢をぐんと経て世相が落ち着きを取り戻してからも、“食べもの”は間欠泉のように湧いて出ます。カツパン、おでん、まぐろの刺身、とうもろこし、わらびのおひたし、蕎麦、餃子、納豆、サヨリの刺身、ワカサギの天ぷら、板そば、するめ──。


 未熟な僕は“ストーリーの展開上さほどの意味がないのにたびたび登場”してくる“食べもの”に対してほどなく倦怠してしまい、自ら緊張を解いてしまった訳だったのです。


 上村さんにとって“食”と“食事”がどれほどかけ離れた存在であるか、丁寧にそれを読み解いていくに従って「関東平野」の色彩はずいぶん鮮やかさを増していきました。いちいちの描写に作者の底知れぬこだわりと執念を見つけては、なんと言うべきか恐怖すら覚えてしまうのです。「関東平野」は単純なホームドラマではないどころか、まさに上村さん入魂の“メモ”なのでした。


 上に並べられた“食べもの”がいずれも“食事”のなかに埋もれているのでなく、それ単体でふわりと出現している点に着目しなければいけません。満艦飾然に皿が並ぶ中に融け込むのでなく、実にぽつねんと“かぼそい”風体でそれらは出現して金太や劇中の人物を驚かせ、ときめかせている(時にはひどく落ち込ませてもいる)のです。“食べもの”へ向けられた心の揺れはそのまま突き進んで、人間や人生に対しての高揚(または失望)と直結していくのでした。“ストーリーの展開上にさほどの意味がない”どころか、物語の肝の部分が“食べもの”に起因して発現しているのがよく分かる。実に上村さんらしい作品だと言えるのです。


 承知の通り、物語の背景には太平洋戦争直後の食糧事情の悪さがあります。誰の身にも「“食事”は遠ざけられ、かぼそい」ものとなりました。周辺事情をいち早く知り得た者だけが単体でもたらされる“食事とは言い難いもの”に齧りつくことが出来た。そのような強迫的な時間のなかで思念がぎらぎら研ぎ澄まされていき、だから視線は早熟して大人たちの「情念の高潮や心境の錯綜する」様子を敏感に見取ったのだし、実際そのような有様に自身もまた陥っていったでしょう。上村さんの作品世界の“決めごと”、「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」はベクトルが逆向きながらもちゃんと生きている訳です。



  冒頭、金太たちの村にアメリカ軍のB29が不時着するのだけど、飛行機が黄金色に輝く収穫直前の稲田に突っ込みコクピットの風防ガラス越しに稲穂、すなわち“米”がクローズアップされるのも、また、脱出した飛行士の腰元あたりに麦穂がさわさわ揺れるのも、この作品が“食べもの”を鍵と位置づけた建築物であると暗に指し示していたのでしょう。(*4)



 また、銀子の母親が義兄との性戯の最中に勢い余って絞殺されてしまい、漬け物小屋の薄暗がりに白い裸身を横たえるのを、子供ふたりに哀れ目撃されてしまうくだりが左右見開きで描かれたとき、遺骸を優しく覆い隠すように手前に寄せ置かれたのが玄米の皮(ぬか)を取るために棒を突き立てた一升瓶であり、歪んだ取っ手の鉄鍋をぼたりと載せ置いた貧相な七輪という“食べもの”に付随した道具であるのも偶然ではなかった。


 その場に居合わせた金太と銀子、そして肉体を今しがた失ったばかりのおんなの胸中に錯綜する心を、“食事”未満のものを通じて上村さんなりに顕現して見せたのだと今は分かります。(*5)


 長じてからの金太は大人たちが性愛の焔(ほむら)に身を焼かれる様を凝視し、自身もまた恋情のぬかるみに足を捕られていきますが、その折々にまっとうな“食事”ではなくコントラスト鮮やかな“食”が登用されていることを、僕たちはよくよく受け止めなければならないのでしょう。




 自己本位な性格と若くなまめかしい姿態で金太を翻弄する今日子という娘に対し、金太のこころは違和感に苛(さいな)まれ続けます。アパートへの転居を良い機会と捉えて別離を模索するのですが、共にのれんを潜った蕎麦屋で金太は板そばを、今日子はアイスクリームを各々食べるという、実にちぐはぐな孤立した“食”を劇中組み込んでみせる作者の演出力には目を瞠(みは)らされるものがあります。(*6)




 それより何より素晴らしいのは画家柳川大雲を用い体現せしめた“食”と情念のコンビネーションでしょう。飄々とした口調で周囲を煙に巻いてばかりの大雲が、金太に対して芸術論を真顔で諭す場面があります。作者の内実に触れるような深淵で烈しい台詞であるのだけれど、その際に大雲はここぞとばかりに大きく鼻をほじり、臆することなくその指を口に含んでいきます。


 悪魔的な部分を常に胚胎する絵描きの生理と世間ではタブー視される鼻くそ喰いがここでは昏く共振していて、とんでもない迫力を産んでいるのです。“食事”ではない“食”の在るところに“情念”がある、その方程式を如実に描き切った見事な演出です。(*7)


 そしてまた、視力を突如失ってしまった画家は妻の運び置く“食事”を拒絶します。誰にも気付かれぬようにして自死の道を選択するのです。二階の仕事部屋で画紙におかずやご飯を手探りにて膳から移し、くるり包むや球と丸めて隣家の飼い犬へと放ってやるのですが、それは「“食事”を遠ざけて、かぼそくする」ことで「情念の高潮や心境の錯綜」を盛り立てる究極の幕引きを演じて見せた、ということなのです。
  
 上村さんのロマンチシズムや人生の理想が完全に重なると共に、上村劇画の“決めごと”がすっかり集約なっていることがうががえるのです。(*8)






(*1):「関東平野」 上村一夫 1976-1978 双葉社 初出は「ヤングコミック」
(*2):特に銀子の愛らしさ、可愛らしさと言ったらない。真っ直ぐな想いが目尻、口もとにぽっと灯る際の何とも言い得ぬ瞬間がたまりません。実に蠱惑的で魅了されてしまうのです。
(*3):「「クセ」の日本文化」 神埼宣武 日本経済新聞社 1988
(*4):VOL.1 チューイン・ガム
(*5):VOL.3 鬼灯(ほおずき)
(*6):VOL.45 夏の引越し
(*7):VOL.27 ゲイ志願
(*8):VOL.42 花の歌

2010年2月16日火曜日

上村一夫「サチコの幸」(1975)~上村一夫作品における味噌汁(5)~



 “食事”が日常の通過点として明滅するだけでなく、人間のこころの奥底に眠る羨望や懊悩といったものを代弁する目的から“かたちづくられる”。そんな上村一夫(かみむらかずお)さんのこだわりの技法がある訳だけれど、思いが強過ぎることからでしょう、時に物語の構造を破綻させる事すらありました。「サチコの幸」(*1)がそれです。


 舞台となっているのは太平洋戦争が終結して五年後、まだまだ食糧事情が良くない時分の新宿二丁目です。大陸より孤児となって戻って以来、サチコは“生活”のために春をひさぐ女として暮らしています。彼女のほか数人を遊妓として抱える小さな店で、見知らぬ客に素肌をさらす日々なのですが、ついぞ堕落した風情は読み取れない。持ち前の天真爛漫さで難事を切り抜けていく様子は、青春小説めいたすがすがしい息吹を僕たちに伝えます。読んでいてとても伸び伸びとする作品です。


 サチコたちの“生活”のあらましが活写されていく中で、冒頭より“食事”の光景が目白押しとなっていきます。おんなたちは互いを鼓舞し、持ちつ持たれつ支え合って生きているのです。商いの始まる前の明るい陽射しのなか、賄いの当番にあたった者は倹約のために七輪(しちりん)を店先に持ち出しては、魚を焼いたり、煮物を作ったりするのが常です。(*2) 上村さんの劇画に慣れ親しまない人はのんびりした場景と見て取るのでしょうけれど、虹のごとく層をなす光がこっそり“食事”に宿っていることは先に見てきた通りです。


 調理に励む姿、食卓に並んだ皿、盛り付けられた料理の数々によって、廓(くるわ)のおんなたちが“家庭的な”時間を繰り返す身であり、「情念の高潮」といったものを上手く受け流して暮らしていることを読者は理解する必要があるのでしょう。


 例えば、次の箇所なんかはとっても象徴的です。その日の朝食の当番はサチコです。例によって道路端で七輪の火をおこして、一人でのんびり“みそ汁”を作っています。(*3) 


サチコはみそ汁が好きである

その香を嗅いで はじめて今日一日の始まりを知る


 店から少し離れたところに婦人の立ち姿があって、サチコはそれが先ほどから気になって気になって仕方ありません。猥雑な大気を孕んだこの界隈にはすっきりと和服に身を包んだ清楚ないでたちが、どうにも不釣合いに見えるのです。うつむいて思案に耽る婦人の横顔は不穏なものをそろり引き寄せて見えます。


何の用だろう? 先刻から街の入口にたたずんでいる女は……

どこから見ても この街にはふさわしくない女だ………



 みそ汁は好い具合に仕上がり、サチコは鍋を両手に抱えると店のなかに運び込もうと立ち上がります。その背中に先の婦人が声を掛けてくるのだけれど、その用件というのは「ここで働いてみたいの……」という突飛なものでした。びっくり仰天したサチコは鍋を取り落としてしまうのです。「勿体ないことを……」と転がる鍋を地べたから拾う女は、さらに意味深な発言を重ねます。「ご自分でおみおつけを作れるなんて偉いのね……」


 ふたつの呼称、サチコの発した“みそ汁”と女の“おみおつけ”を並列して、和服姿の女の生活環境がサチコたちとの間にかなりの段差あることを示唆しているだけではない。この女がみそ汁を自ら作らない、すなわち今この瞬間、「情念の高潮や心境の錯綜」の只中にあって「“食事”を遠ざけている」ことがありありと浮かんで来るのです。



 強欲な店の主人は女の願いをあっさり聞き入れ雇ってしまいます。懐中に潜ませていた情念を解放された女は、凄まじい勢いで客に対し、狭い店に対し、爛熟した妖気を発し始めます。これにすっかり当てられたサチコたちは調子を乱して消沈し、蒲団にくるまってふて寝してしまうのでした。地面に転がった“みそ汁”のように“生活”をひっくり返されたわけなのです。


 なるほど、ここまでならいつもの通りです。みそ汁は“生活”と寄り添い、“内なる閉じた空間”を代弁しています。バァン!と地面に転がったことで世界がひび割れるぞと警鐘を発してもいる。“決めごと”に沿った無理のない、そしてあくまで緻密な展開となっている上村さんらしい筆遣いです。


 破綻は忘れた頃に訪れています。終幕間際の第45話にて物狂おしい矛盾が生じてしまいます。小題はずばり「味噌汁の味」でした。(*4) サチコは広沢という羽振りの良い男に見そめられ、無事身請けもされて長年住み慣れた街を後にします。連れて行かれたのは野なかの一軒家です。男の包容力に惹かれてすべてを預ける覚悟でしたが、みすぼらしいしもた屋を前にしたサチコはどうしても其処を終の住み処と思い定めることが出来ないのです。



 思い乱れて夕闇のなか逃亡を図るのですが、途中立ち寄った駐在所の人当たりのよい巡査に諭されて動転する気持ちを落ち着かせると夫の待つ家に戻っていくのでした。そして翌朝、サチコは床を飛び出すやいなや「生まれてはじめて」味噌汁を作るのです。心機一転生まれ変わって、という言葉の綾かと思えば、どうもそうとは言い切れない。妙に塩辛く、顔を歪めてしまう程にもお粗末な味付けなのでした。


 上村さんの“決めごと”が頑として野中の一軒家を支配しています。家事をこれまでやったことのない商売女が“家庭”の主婦となり“調理”に挑戦し、“朝食”を食卓に並べようと奮戦しています。ここでの広沢は「情念の高潮や心境の錯綜」を捨てて、“生活”を支えるために生きてくれとサチコに強いているのです。(男にありがちな幻想ですね。)それに則って“決めごと”が活発化している。



 サチコの劇的な環境変化に物語がまるで分断された印象です。二丁目の店先で作られ続けたみそ汁はどこかに消えてしまいました。サチコの半生を強引に捻じ曲げて変質させているのです。 (*5) これが上村一夫さんの“食事”の凄まじさなんですね。ヒエログリフとして起用された“味噌汁”の面白さ、劇画の面白さなのです。魂の表現を豊かに彩るためならば時空を強引に変えてしまうことも厭わない、そういう一途な作者の目線を感じさせます。


 また、サチコという主人公がこれまでの“生活”から新たな“生活”に乗り変わっていて、遂に謳歌すべき魂の自由を手中に出来なかったという哀しみ、戸惑いを上手く顕現して見せたようにも思います。そこまで上村さんが考え、仕込んでいたのであれば、これはこれで味わい深くも塩辛い二杯のみそしるだった、と深い溜め息を漏らさざるをえないのです。



(*1):「サチコの幸」 上村一夫 1975-1976 双葉社 初出は「漫画アクション」
(*2): 「あたしたちの食事はどんぶりの盛り切りごはんに お新香と味噌汁 これにあと一品何かつけばいい方でひどく粗末なものです これでは栄養にならないと思って魚を買ってきて焼いているとお母さんがすっと寄ってきて 「ガス代がもったいない」と云ってガス栓をひねってしまうのです」Vol.11 お月さまを食べた話
(*3): Vol.7 娼婦志向
(*4): Vol.45 味噌汁の味 
(*5):これは僕の見当違いで、単に味噌が変わっただけ、それゆえに入れる分量の微調整を誤ったということかもしれませんね。住まう環境を変えれば、そういう事は往々にして起きるものです。けれども、もしもそうだとしても、それはそれでひとりのおんなの身に起きてしまった人生の転針が“味噌汁”ひとつで見事に語られている訳です。そんな奥ゆかしくも豊潤な描写、ほかの漫画や小説であったものでしょうか。


 余談になるのだけれど、この逸話の後に展開される48話の会話や描写は上村劇画の真骨頂で唸らせられました。上村さんのおんなは濡れた黒髪を重いベタで表現することを特徴とするのですが、雑誌掲載の際の粗い紙質や不均衡なインクの盛りから必ずしもその黒さは綺麗に上がらないことがあります。白い点々がベタのなかにノイズとして現れるのは経済上、技術上、仕方のないことです。それを上村さんは逆手にとって、サチコの髪のなかに宇宙を表現し、男とおんなの間に広がる真空や感情の瞬きを顕現しています。柳田国男さんは地方のお蔵の奥に潜む暗闇を大宇宙と対比してみせたらしいですが、上村さんはおんなの黒髪に宇宙を灯影したのです。恐るべき洞察力、表現力です。やはり天才だったとまたまた溜め息が漏れ出てしまう訳なのです。 

2010年2月15日月曜日

12mの水の上~日常のこと~



 療養中の友人を見舞いに行く途中で、ちょっと寄り道をしてダムまで足を延ばしました。満々と水をたたえた勇姿を見れば気分爽快間違いなしと踏んでのことでしたが、あにはからんや、湖面はすっかり干上がって白い雪で覆われているのです。

 
 ちがーう、違います。何かてんとう虫みたいのが片隅に並んでいる。小さなカラフルなテントが設営されているのです。駐車場に車が十台程並んでいるのですが、その車が妙に男臭くって偏っているのです。パウチされた白い紙が柵にぶら下がっていて、近づいて読めば「ワカサギ釣り」がどうのこうの、「何があっても責任を取らない」とか事務的に書かれているのです。なんだ、なんだ。



 こんな場所でワカサギ釣りをしているなんて、ビックリしました。雪原と思えたのは湖面が凍っていた、ということですね。千載一隅のチャンスです。これは降りてみない訳にはいきません。




 かなりの傾斜面を滑るようにして進みます。考えてみればダムの斜面を降りていくなんて、かなりドラマドラマしているじゃないですか。



 白い湖面は氷と雪の中間のような感じです。途中途中には黄色い染みも豪快に描かれ、それもまた素敵。野趣満点の寄り道になりました。(御見舞いに来たのに遊んじゃってさ、ごめんよ。)

 
 釣りをしていたカップルに声掛けして教わったのですが、水深は12メートルもあるそうです。気をつけないと足が抜けて1メートルも埋まるよ、そうアドバイスされてみれば、確かにゆらゆらと不安定な箇所があって、実際、ずんと足首まで埋まってしまうのです。スリル満点です。



 穴はたちまち薄い氷が張ってしまうのですが、それをかち割って指先を突っ込んでみると思いのほか温かい。この雪と氷の足元の下、ほとんど光の差さぬ水中でワカサギたちが生まれ、食べ、眠り、配偶者を見つけ、子どもをもうけて死んでいく。ちょっと厳粛な気分にさせられました。
 



名誉も金も、テレビも本もなく、粛々として生きているものが居る。

 
 こういう贈りものがたまにあるからね、生きているってやめられない、そう思うよ。ダヴィンチのレダに似た、柔らかく傾いで後方を見やる仏像なんかも始めて見れたしね、なかなか有意義な愉しい休日になりましたよ。

2010年2月12日金曜日

上村一夫「離婚倶楽部」(1974)~上村一夫作品における味噌汁(4)~



 朝食のテーブルに背を向ける「マリア」と蕗味噌(ふきみそ)づくりから目をそらす「狂人関係」の二篇からは、まっとうな“食事”から遠い位置に主人公をいざなうことで心の陰翳を一層鮮やかにする、上村一夫(かみむらかずお)さんの作為が浮かび上がります。


 主人公や恋人たちの抱える情念の深さ、激しさを声高にではなくって実にさりげなく、かぼそい“食”を通じてそっと読者に悟らせようとするのです。これから引く「離婚倶楽部」(*1)はその辺りのシルエットがより際立っていきます。“決めごと”のプロポーションが露わになって、ドラマの内部で衝突する志向や哲学が明確になっていくのです。


 端正な顔立ちの典型的な上村美人である夕子は、若干二十五歳ながら小さなバーを銀座で営んでいます。店はタイトルの通りで「離婚倶楽部」と言い、ホステスの採用基準のひとつに離婚歴を求める、そんなちょっと風変わりな経営をしています。


 夕子自身も苦しい別離を過去体験しており、相手の男との間には朝子という名の幼稚園に通う娘がいます。離れて郊外に住む実母の手を借りながら懸命に育てているところですが、成長にともない大人の事情を察し始めた子どもの予想を超えた言動にその都度驚嘆し、大いに動揺もする日々です。


 離婚に踏み切ったことに対する後悔や迷いは既に夕子に薄いのですが、今度は我が身を投じた夜の世界が迷彩色に染め抜かれている気配なのです。彼女に未練を引きずる元夫、カウンター奥から想い焦がれて煩悶する若いバーテン、寄せ返す記憶に打ちひしがれて泥酔するホステスなど、彼女を取り巻く者たちの切々たる心模様が寄せ木されて、「離婚倶楽部」という店がずいぶんと現実味を増していきます。


 酔客の埒(らち)も無い話にころころと笑って調子を合わせ、同時に店の娘(こ)にそっと気を配りながら、ふと想いは逡巡して立ちすくむような気分も時に湧いてくる。穏やかで抑制の利いた風情を保ちながらも、その実はひりひりした緊張を懐胎したお話なのでした。






 人生の岐路に特有の余震は、日に何度も胸の内をぐらりぐらりと揺らします。「心境の錯綜」はうねうねと続いて終わりが来ないのです。(*2)そのため、この物語のなかの
“食事”と“食”のどれもこれもが、夕子の胸中を代弁して意味ありげに並んでいくことになります。



 “食事”に関わる描写で特筆すべきは三箇処です。その内のふたつを書き出してみますね。ひとつ目はバーテンの健を交えての仕込みの場景(*3)です。


銀座という場所柄もあって、行き交う人の流れに干満は付いて廻ります。少しでも売り上げの欲しいこともあるけれど、夕子は客の少ない土曜日を利用して忘れてしまいそうな家庭料理をおさらいするのです。松茸のどびん蒸しを下ごしらえする姿にまぶしげに目を細めるバーテンに対し、夕子は次のように胸の内を吐露しています。




健「似合うぜママ……エプロン姿が」

夕子「以前は 結婚していた頃は台所に立つのがとてもいやだった

  主婦になってゆくことが とてもいやらしい女に変ってゆくことと

  同じように思われて……」

健「根が女っぽいから 女っぽくなることがいやなんだ」

夕子「でも今は誰のためでもない料理を一生懸命つくっているのだから……」


 面白いでしょう、どびん蒸し一つ作るだけでこの騒ぎです。内省的な夕子の性格がよく出ている台詞なのですが、ここに上村さんの“決めごと”を照らし合わせるならどうでしょう。手の込んだ“家庭料理”を丹精込めて作る場処、彼女のこの店では「情念の高潮」を求めていない、そう遠回しに夕子は(上村さんは)僕たちに宣言しているようなものです。


 それを証左するようにして、バーテンの健の秘かな幻想がここに挿入されてもいます。エプロン姿を背後から見つめながら男は、こっそり郷里の山並みや“家庭の味”を想起していくのです。彼女を人生の伴侶にしたいという烈しい気持ちは言葉となって洩れ出てしまうのでしたが、夕子はそんな男の胸中を酌みつつも穏やかになだめて自制に導くのです。


 「離婚倶楽部」という酒場に一瞬咲いた男側の“家庭”への幻想は、おんなの堅牢で哀しみを帯びた意志に押し戻されて潰(つい)えてしまう。「狂人関係」での蕗味噌(ふきみそ)が松茸のどびん蒸しに替わっているだけで、上村さんの描きたい構図は全く同じでしょう。ひとつの事象(=食事)に対して男とおんなは真逆の思惑を抱いていく。空恐ろしい程のすれ違いが剥き出しとなっていて息を呑みます。読者は為す術なく、その残酷な経緯を見守るしかない。(*4)




 もうひとつの場景はさらに観念的です。店の会計を手助けしてもらうために夕子に雇われた真田という冴えない男が登場します。日曜以外の平日は娘朝子を実母に預かってもらっているので、夕子のマンションは若いおんなの一人住まいの面持ちです。真田はこの部屋に月末ごとの訪問を許されており、帳簿の作成や手直しに黙々と励んでいるわけです。家庭持ちで見るからに堅物といった印象なのですが、その日もあくせくペンを走らせるだけの男を横目で見ながら、夕子は急に思い立って調理に精を出すのでした。内緒ですが、「妻の座なんてもうすわる気もないくせに まねごとだけがしてみたかった」のです。(*5)


 ふたりの間で交わされる言葉のなかに具体的な料理名がないのが、どうにも奇妙です。それ以上に目を瞠(みは)るのは、料理そのものの描写でしょう。スパゲティらしきものを小皿に盛ったのは分かります。けれども、メインとなる大きな鍋の中身は一体全体、これは何なのでしょう。淀んだ湖面のようでまるで具材の影がない。スープなのか味噌汁なのか、これもよくは分からぬ汁物が小さなお椀に盛られて横に並ぶのも面妖です。これは料理の顔を為していない観念のお化けです。夕子の魂を反映した“ソラリスの海”か“イドの怪物”(*6)の如きものでしょう。


真田「では いただきます」

夕子「いかが?味付けは」

真田「はあ おいしいです」

夕子「そう?そう言ってもらえると嬉しいけど……」

真田「うちの家内はいつも味付けが薄くて困るんです」

夕方「あら!それじゃこれも薄過ぎたかしら!」


 鼻歌まじりで自慢の腕を振るったにしては空疎な光景となりました。夕子と真田はしきりに“味付け”の善し悪しを確認するばかりで、まるで試作品を利き味(ききみ)する食品会社の検査員のような按配なのです。異様でちぐはぐなものがこの小さな部屋をすっぽりと覆っているのでした。


 戯れに試みた擬似家庭を嘲笑するための空っぽの料理であったのか、それとも夕子というおんなが家庭に収まり切らないことを暗示しているのか、そのどちらも含んでの描写だったものか。判別の付けようが僕にはないけれど、いずれにしても“情念の高潮”を遠くに押しやるために手の込んだ調理という風景が利用されているのは間違いないでしょう。


 上村さんが“食事”を描くということは、だから魂を描くということに直結している。そして、その魂の内部では、恋愛と家庭(日常、生活)という二極が激しく反撥し合っている。根底にある二極化した想いが食べることの諸相を変えてしまうのです。上村世界の“決めごと”が起動すると、僕たちの目の前に神妙な顔付きで、異形なる食が並び始める。


 神の怒りを買ったあげくに、指先に触れるもの全てが変質して、食べるもの、飲むものが砂や塩、金属に化けて悶え苦しむ、そんなお伽話がありますよね。あれにとても似ています。僕には上村さんの作品が、古代神のさまざまな逸話と峰を連ねて見えています。




(*1):「離婚倶楽部」 上村一夫 1974-1975 双葉社  初出は「漫画アクション」
(*2): 「心境の錯綜」がうねうねと続いて終わりが来ないように感じるのは、お話が突如裁ち切られるためでしょう。いや、そう言ってしまうと語弊があるかもしれません。“まんだらけ”のホームページに森田敏也さんの書かれた上村一夫論があります。豊富な資料と読書体験に基づいたもので読み応えがあるのですが、それによれば単行本に収まったエピソードは連載されたものの一部であるようです。確かに表紙には「1巻」と明記されてもいますからね。「離婚倶楽部」の全貌を物語る資格は単行本を見ただけの読者にはないかもしれません。急展開してとんでもない盛り上がりを見せたのかも知れず、とっても気になるところです。いつか早稲田の漫画図書館におもむいて探してみようと思います。
「上村一夫・零れた花びら」森田敏也http://www.mandarake.co.jp/fun/bohyo/kamimura02/index.html
(*3):Vol.3  やさしい男
(*4):家庭幻想は消失しても、いや消失すればこそ、でしょうか、夕子と健の淡い時間が主従の域を越えて続いていく辺りも「狂人関係」とちょっと似ています。戯れを粧いながらそっと抱き合ったり、かたちだけの軽い口づけを交わしたりする。恋慕の炎(ほむら)を保持していく為の手入れの動作がくり返されており、歪(いびつ)で特殊ながらもほのかな恋愛関係にあると言って良い。情念の波動は微妙な均衡の上にかろうじて成り立っているように見えます。
(*5):Vol.10 妻の座
(*6): Солярис 1972、Forbidden Planet 1956 



2010年2月8日月曜日

上村一夫「狂人関係」(1973)~上村一夫作品における味噌汁(3)~




  再び上村一夫(かみむらかずお)さんについて。彼の“決めごと”に「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」というのがあるのですが、これから紹介する「狂人関係」(*1)はその好例です。


   おどろおどろしい題名ですが、中身は文芸もの、人情ものです。江戸の画家葛飾北斎(かつしかほくさい)の晩年の暮らしと死を縦軸とし、愛弟子である“捨八(すてはち)”という青年と北斎の娘“お栄”との純愛、そして、同じく捨八と彼の分身のようなおんな“お七”との狂恋と死別を横軸に構成されています。北斎は上村さんが信奉して止まない画家のひとりでしたから、頁のそこかしこからはぼうぼうと熱気が噴きこぼれてくる感じです。


 溜め息誘う繊細な絵がちりばめられた中篇なのだけれど、白眉なのは劇の中頃で捨八とお七とが繰り広げる愛の景色です。夜を徹して抱擁し、急き立て、受け止め、慈しみ、昇り詰める時間を延々と重ねていく。「四度目……五度目よ」と数えてから、さらに強く抱き寄せ、流れる汗に洗われながら幾度となく交わっていくのでした。(*2)

  
  密室にて昼夜を隔てることなく延延と抱擁を重ねる若いふたりの有り様は、まさに“寝食を忘れて”という形容そのままです。でも、それ自体には不思議はないですよね。頂きに達する瞬間は誰の身にも起きます。記憶をたどれば過去に一度か二度、情熱的なひとならいくつも、そんな波濤の一刻を思い出すものじゃないでしょうか。感情という素敵な、なお且つ厄介なものを抱えた僕らの宿痾として純度の高い時間はいつかは訪れてしまうもの。


 ですから、上村さんにより描かれた男女の睦みの濃密で果てしない様子に対し、作者の創造性が飛び抜けているとは見ません。人間の喜怒哀楽を表現する古今東西のドラマにおいては、“寝食を忘れて”過ごす密室性の高い情景は、恋愛劇のハイライトとして定型でもあって、あれもそう、これもそうと指を折って数えることが出来ますからね。


 でも、そう言えばと思い直すのです。上村さんの情景には独特の色彩が加わっている。例えば映画(*3)であれ劇画であれが愛の情景を描く大概の場合には、文字通り“食を忘れて”没頭する、食べる行為を二の次、三の次にしての睦(むつ)み合う時間を描くものです。


 一方、そのような密室での僕たちの現実としての時間はどうでしょう。ルームサービスであれ、コンビニエンスストアでの調達であれ、それは百人百様で別々であるけれども“食事”はきちっと為され、共に食べるそのことにも、その時間にも大きな歓びが寄り添うものです。“食事”は愛の行為と不協和音を奏でることなく共に得がたい記憶として連なっていく。


 眠れぬままに朝を迎えた「狂人関係」でのふたつの肉体に対して、上村さんはどんな給仕をしたものでしょう。一切の食事の要素を劇的に排除したものでしょうか。それとも現実的なしっとりとした団欒を組み込んだものでしょうか。有るのは竹篭にのった、貧相な三本の人参だけなのです。おそらく一昨日かそこらのだいぶ時間が経過したらしい、残渣がべとべと付いて汚れたままの食器や鍋をひとコマを続けて作者は提示しています。この愛の棲み家にろくな食べものが見当たらない状況をひねり出し、恋人たちに課しているのです。


お七「だってお銭(あし)がないもの」

捨八「ふん しゃあねえ がまんするか

   しかし それにしてもなんだな この人参 ゆでるとか煮るとか

   したらどうだい」

お七「だって めんどうなんだもの」

捨八「チェッ しゃあねえ 塩でもつけて食うか!」


  生の人参にがりがりと齧りつき、黙々と咀嚼していくのだけれど、その“食事”とは到底呼べぬ“食”の光景と、これと交互して六度目、七度目、八度目の房事が挿し込まれて、なんとも形容しがたい鬼気迫る時空が展開されていく。



 

 こうして見れば「狂人関係」の人参は変わっています。「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそく」していき、生の野菜だけになる。それに旺盛に噛り付いていく恋愛劇は、おいそれとは見当たらない妖異極まるものです。素材の意外な組み合わせの妙は上村さんの十八番(おはこ)ですが、表層的なものに限らず物語中にもそっと、けれど見事に開花している。飛び抜けた才能をこういう処に感じます。


  書き加えるべき事がいまひとつ。捨八とお七のめくるめく時間の、その間際に連結している挿話の存在です。狂恋の焔(ほむら)がふたりの身体へめちめちと燃え移り、止めようのない類焼へ移行していくその少しだけ前にさかのぼって眺めれば、彼らふたりは春の河原を散歩していたのでした。捨八は幼少の頃の記憶を鮮明にさせ、それを熱心に再現しようとしていたのです。(*4)




   蕗の薹(ふきのとう)を摘み、砂糖、みりんで甘くしつらえた味噌と和(あ)えて作る蕗味噌(ふきみそ)を捨八はお七に教えようとします。「母がよく作った」家庭料理を自分のおんなに伝授しようと企てた訳でしたが、男のこの思惑は完遂なりませんでした。家庭の味ということで言えば“味噌汁”とここでは同根の蕗味噌が、おんなに拒絶され、生の人参に敗北したかたちです。


 “食事”が否定され、“食”だけが男とおんなの間を隙間なく充たして密着させています。貧窮した経済状況を表わすのでなく、もちろん場当たり的なものでもなくって、上村さんが練りに練って若い恋仲のふたりにそっと手渡した主菜だったのだと解ってきます。人参をひたすら食(は)みながら寝る間を惜しんで官能に集中していく「狂人関係」のふたりには、上村さんの内側に宿った恋愛哲学が明確に託されている、そのように見取っているところです。




(*1):「狂人関係」 上村一夫 1973-1974 初出は「漫画アクション」
(*2):其の十九 はるかぜ地獄篇[前編]
(*3):映画と言えばね、昨晩午後6時過ぎの回でイタリア映画を観に行ったのですけれど、そこで生涯二度目の独占鑑賞を体験しちゃいました。100席に満たない小さなスクリーンではあったにしても、たった一人で2時間悠々と過ごしちゃって、なんか申し訳ないような嬉しいような、不思議な時間でしたね。武士の情けで題名は控えますが、あれこれ考えさせられる良い映画ではありましたよ。前回は三十年ほど前になります。あの時は途中でフィルムが止まり、掃除のおじさんが箒もって入って来たという思い出があります。おじさんが僕に気付いて「あ、いたんだ!」と叫んだ大声と慌てて映写室に飛び込む音が耳に刻まれていますね。映画館ってそういう驚きがたまにあるから面白いですよね。 
(*4): 其の十七 蕗味噌 ふきみそ

2010年2月6日土曜日

冬の海~日常のこと~







  悪天候が好きです。

  雨、風、雹(ひょう)、みぞれ、雷──そういったものに惹かれます。


  折悪しくと言うべきか、幸いなのか分かりませんが、所用で向かった日本海沿いの町には寒波が襲い掛かっておりました。路面は隙間なく白く染まり、雪を交えた横殴りの風が積もった雪をさらに巻き上げては踊り狂って視界を真白く覆ってしまう。そんな最悪の天候なのでした。


  白い闇のなかを手探るようにして車を走らせます。ハザードランプを延々と明滅させながら行き交う車両のどれもこれもが、怯え切って金切り声をあげている野ウサギみたいです。針路を見誤った大型トラックが雪だまりに鼻先を突っ込み、運転手が途方に暮れて仲間の到着を待っています。目前に迫った相手を感知出来ずに追突したされたで、地吹雪のあちらこちらで立ち往生する者も後を絶ちません。


  海に行こうと決めました。こんな日の荒れた海と向き合うのはひさしぶりです。用事を終えてから街を離れ、海岸線を目指しました。


  激しく打ち寄せた飛沫が“波の花”と呼ぶ泡となって、風の中をぶわぶわ舞っています。強風に煽られて間(ま)を置く暇なく立ち上がっていく波は“潮騒”らしき音色を奏でません。地震に似た暗い轟きがごうごうと大気を埋め尽くして胸を締め付けます。


  このような日でも海猫は果敢に空に飛び、また鳶も突風に逆らい獲物を求めて旋回を試みているのが物悲しい感じです。

















  たちまち体温を奪う風雪に耐えながら、何度か場所を替えて海と向き合いました。どんな優れた画家であれ、どれほどテクニックに秀でたカメラマンであれ、こんな海を収めることは出来っこない。自ら来て見るしかない、そんな海がありました。


  この過酷な海岸線で暮らしを営む人には馴染んだ風景ではありましょうが、僕のような山育ちには眼福の貴重な時間となりました。来て良かったと思います。




  帰路、以前ここでも取り上げた池を訪れました。表面のほとんどを雪に覆われています。氷紋が妖しく描かれていて、オディロン・ルドンの世界に取り込まれたような感じです。群れなして鴨やオオハクチョウがじっと寒波の去るのを待っているのが健気です。





  トンネルを出たところで目を疑いました、と言うか、目の錯覚だったのだけれど、木立が銀色に光って見えます。

  よくよく目を凝らせば、真横からの海風によって綺麗に半分だけが雪に染まっているのです。それが為に、あたかも銀細工の柱が鈍く光っているような表情を作っているのでした。このような土地ならではの幻想的な光景だと感心いたしました。



  ちょっと肩がこり、目も疲れました。

  今夜はぐっすり眠れそうです。

2010年2月4日木曜日

上村一夫「マリア」(1971)~上村一夫作品における味噌汁(2)~


 
  昼と夜との寒暖の差が氷柱(つらら)を急成長させています。屋根の庇(ひさし)には1メートルもある長くて太いものが、間隔を置いてずんずん垂れ下がって壮観な眺めです───なんて呑気に話してちゃいけないのかな。あんな固まりが落ちたらトラブルのもとです。雨樋がどこか詰まっているせいかもしれません。屋根も傷むし、困ったな、今度晴れた日にでも登って点検いたしましょう。

 季節の主役は雪から氷に。どうか足元に気を付けて、転んでお怪我などなさいませんように……。


  さて、先日の続きです。上村さんの劇画において“食事”というものがどのような頻度と色彩で描かれていたか、それをまず振り返らないといけません。ずいぶん昔の作品になるけれど、ここで「マリア」(*1)を引きます。


 
  ひと言で「マリア」という物語を表わすならば、少女が自律したおんなになるまでの成長譚です。世間体にこだわって本質を見誤ってしまった家族に強く苛立った少女は、一切を捨てて歩み始めようとします。「風に吹かれてさまよいながら、でも自分なりに生きてみたい」とささやく台詞はかなりロマンチックなのだけど、内実は過酷な放浪です。先々で色んな家族とまみえては凄惨な愛憎劇を目撃したり、時には若く美しい彼女の肉体が家族間の均衡を崩してしまって逃げるように出立もする。浄化と汚濁を繰り返しながら逞しく成長を遂げていく様子は“冒険”と呼ぶには淋しすぎ、真摯で痛々しいものがありました。


  抽象的な台詞や書割(かきわり)然とした舞台設定は70年代初頭という時空が為せるものかもしれないし、当時三十歳を越えたばかりの作者の生硬(せいこう)さに由来するのかもしれない。その分、上村一夫(かみむらかずお)という人の本質が露わになっていて解析の糸口が探しやすいように感じます。ここで描かれる“食事”は、だから極めて意図的なものとなって登場し、場面も絞り込まれているので判じやすいのです。作者の想うところを強く代弁する、そんな確かな表情をしています。


  旅程の発端となっているのが、“朝食”の光景というのがまずもって面白い。憤怒と憐憫によってぐつぐつと沸騰寸前となってスープの匙を投げ出しテーブルを立った瞬間、麻理亜(マリア)の旅の実質的な幕が開いている。つまり彼女は家族に別れを告げると同時に“食事”にも背を向けているのです。


  山や村、海辺をひとり放浪する主人公が、以来口にする食料はほんのわずかです。それとなく“拒食”が為されていることに想いを馳せる読者は限られるのですが、読み流さないでじっくり眺めれば分かることです。とにかく食べない。まるで苦行に身を捧げる修行僧のようにしてマリアは物をほとんど口に運んでいない。


  妊娠したせいもありましたが、唇に運んだ焼き魚にはその臭いにたまらずに嘔吐し、列車に向かい合わせた婦人から蜜柑を、旅先で知り合った子どもから干し柿程度をゆずられ、それ等をかろうじて齧って腹の足しとするばかりであってまっとうな食事を巧妙に避けていく。芸者の真似事をして宴会場から持ち帰った折り詰めを、気持ちの通じ合う病にふせった中年女と分け合うぐらいが関の山で、まともな“食事”に向き合おうとしません。



  そうして終幕ぎりぎりの押し迫った頃になって身もこころも委ねるに足る男が遂に登場し、海辺の寒村でいっしょに暮らし始めます。しっとりとした風情を全身に湛えてやわらかく微笑み、長かった歩みをようやく止めるに至るのです。男の支度したイノシシ鍋に「ほっぺたがおちそう……」と舌鼓(したづつみ)を鳴らして、ここでようやく食事らしい食事をすることになる。(*2) 家族と共に“食事”を絶った苦難の旅を終えて、新しき家族を得て“食事”を再開するという流れが導かれている。


  上村作品の全体を深々と貫く現象の一端が、ここにはしっかりと顔を覗かせていますね。情念の高潮するときや錯綜する心境下においては、極端にストイックな食の風景だけが展開されていく。渦巻き膨張する観念や思念に押しのけられるようにして、僕たちが“食事”と呼ぶような皿に盛られ、並べられ、バラエティに富んでいる料理の光景は枠線の外、紙面の外にものの見事に消失してしまうのです。


  上村さんの作品には太平洋戦争の影が色濃く漂います。色めかしい筆跡でもって官能や恋慕の諸相をつぎつぎと世に出した作者ですが、お話の土台に敷き詰めていたのは、津波のようにして押し寄せては生活をまたたく間に粉砕する戦争の、まがまがしい記憶であり痕跡でした。昭和46年からその翌年にかけて連載された「マリア」においても、随所随所に物狂おしい闇が主人公を待ち構えては翻弄していきます。(*3)


  1940年に生まれた上村さんの幼少期の体験がその根底にあるのでしょう。苦しい食糧事情を原体験として持ってもおられますから、少なからずこれも影響を与えてくる。



  戦中戦後のひもじさと情念の混濁した記憶、そして、上村さんが人間を見つめ探求し続けて学び取ったもの、それが巡り巡って作品世界の“決めごと”になっている。 「マリア」はその典型です。独特の照度が“食事”の光景に与えられておりました。

  



(*1):「マリア」 上村一夫 1971-1972 初出は「漫画アクション」 単行本は2003年に上下巻でワイズ出版から上梓されている。   
振り返ればこの「マリア」も、素晴らしい本があるよと教わってようやくめぐり合った本でした。あの時知らされなかったら、僕はまるで違った事を考え、まるで違った文章を書いていたかもしれない。もしかしたらブログ自体続けていなかったかもしれない。物やひととの出逢いが随分と人を変えていきますね、不思議なものです。

(*2):実際はここでもマリアは箸を停めてしまい、拒食を再開して巻末ぎりぎりまで緊張を解きません。うねる情念の物語は波を蹴立て進み、なかなか幕を下ろしてくれないのです。しかし、あのとき漁師の大らかなもの言いと逞しい筋骨に、初めて胸の奥底からの安堵を覚えた一瞬がマリアにはあって、そこで魔法のように温かい大きな鍋料理が出現していることは偶然ではない、かなり計算づくの上村さんらしい展開だったのですね。


(*3):たとえばマリアの実父は特別攻撃隊に所属していたパイロットだったのですが、出撃ぎりぎりの瀬戸際に敗戦を迎えてしまい、以来精神を深く病んで酒に溺れていったのです。そして、我が子の誕生を目前にしたある日、岸壁から身を躍らせ入水してしまうのでした。ストーリーをまとめておられる人がいます。参考にしてください。ここです。
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