2010年4月25日日曜日

「愛の狩人」(1971)~二十年という歳月~


 劇画家の上村一夫(かみむらかずお)さんの生誕70周年を記念して、列島を巡回するかたちにてブックフェアが始まったようです。(*1) 身近に住まう七十代の人たちと、著作を通じて日々体感する上村作品の若々しさが反発して妙な具合です。没後25年と言った方がしっくり来るものがありますね。売り場には原画をコピーしたものも展示されるようなので、近くに来たら足を運んでみようと思います。

 上村さんは作品集をたくさん遺していますが、文字ばかりの評論やエッセイといったものが本の体裁にまとまったものはほとんでなくって、わずかに広論社より昭和48年(1973)に上梓された「同棲時代と僕」があるだけです。オークションなどを通じて週刊誌や月刊誌に掲載された特集記事や寄稿されたものを探してみても、何となくはぐらかされている感じの文言が並んでいるばかり。そんなこともあって、あまり作品論、作家論を喚起しないで今に至っているところがありますね。まあ、そんな黙して語らずのミステリアスなところが魅力のひとつでもあるのだけれど──。

 さて、「同棲時代と僕」の中で上村さんは「同棲時代」の誕生秘話をちょっとだけ吐露していて、「ある日の銀座でなにげなく映画館に入っ」て観た「愛の狩人」(*2)に「深く感銘を受け、これを基本線にして漫画を書いてみようと思った」と書いています。「同棲時代の原因」と明確に告げられたこの映画を僕はずっと未見でいたのですが、本日ようやく観ることが出来ました。


 あらすじやスタッフ、キャストの詳細は検索して読んでもらえば良いので書き並べませんが、僕たち男にとっては後味のすこぶる悪い、質(たち)の悪いと評しても過言ではない映画です。口惜しいかな的を得たものとなっている。

 話を端折りに端折って書けば、大学時代にルームメイトになったジャック・ニコルソンとアート・ガーファンクルが二十年の歳月を経て気が付いたことは何か、ということがねちっこく描かれているのですが、こちらは二十年、「同棲時代」は数年の歳月です。上村作品に時おり感じ取れる“老成”は、中年の男女の長い歳月を若い肉体に無理矢理に移植しているせいかもしれませんね。

 上村一夫さんの「同棲時代」の核心に揺るぎなく在る作品にして、また、「同棲時代」以降の上村作品に木霊(こだま)するものとして、上村ファンを自認する人は一度は観ておいて悪くないように思いますね。ああ、なるほど、と頷かされる場面が幾つか見つかりますよ。


 それにしてミモフタモナイ……。いささか気が滅入りましたので、散歩に出かけようかと思います。陽が傾いて街路はだいだい色に染まって静かです。夕焼けと春の花の取り合わせを愉しみながら、ぐるりと小さなこの街を歩いてみようかと思います。





(*1):http://www.kamimurakazuo.com/news/post_30.html
(*2): Carnal Knowledge 1971 ひゃあ、なんて原題! 監督マイク・ニコルズ

2010年4月24日土曜日

塔の在るべき姿~日常のこと~



 最近休日の使い方のコツをようやく摑みました。しっかり朝から出かけ、昼過ぎに帰ってから一風呂浴びて、それから何かまたムズムズ動き出すやり方です。それも午前中は出来るだけ車に頼らず歩き回ると好いみたい。


 Julia Childという実在の料理研究家を描いた映画を10時前の回で観た後、近くの美術館に移動。旧ソビエトで興った芸術運動を紹介する展示と、常設展示をじっくり愉しんできたところです。

 特別展示については政府主導のプロパガンダがやはり淋しく感じ、なかには目を瞠るものも在りはしましたが全体としてはこじんまりとした印象でした。でも、東京では「未建設展」で上映され来館者の度肝を抜いたらしいCG作品が、こちらでも会場の一角で流されていて、これは素晴らしかったですね。

 ウラジーミル・タトリン Владимир Евграфович Татлин (Vladimir Tathlin)という建築家の構想である「第三インターナショナル記念塔」を 長倉威彦さんという人が再現したもので、現在世間を騒がすスカイタワーの特徴のない趣きと比較したりしてあれこれ考えさせられました。

 YOUTUBEでもその一部が観れますね。DVDになったら買ってもいいなあ。


 いちばん惚れ惚れとさせられたのはドガ(常設展示)の踊り子でした。チュチュの下の太腿に影が落とされて幾らか白い肌が翳るのだけれど、そこが面でなく線でもって明度がそっと落とされている──う~ん、何て言ったらいいのか言葉が見つからないけれど、その発想が素晴らしい。 驚きました。
 

 街中に咲き誇る花々を目で追いながら、靴屋さんにより春用を購入して戻ったところです。さあ、熱いお風呂に入って休日の後半を愉しもう。なんてささやかな、けれど嬉しい贅沢!


2010年4月22日木曜日

上村一夫「同棲時代」(1972)その2~上村一夫作品における味噌汁(13)~



今日子「ねぇ 次郎 熱い味噌汁が飲みたくない?」

次郎 「熱い味噌汁か… そうだな 身体が暖まるだろうな」

今日子「ねぇ うちへ来ない?ごちそうするわよ」

次郎 「きみんちへ?どうして?そんなことできるわけないだろう」

今日子「いいえ かまわないわ 行きましょうよ」

次郎 「しかし………」

今日子「父と母のことなら心配しないで あたしの覚悟はできているの」

次郎 「熱いみそ汁…… 」


 上村一夫(かみむらかずお)さんの「同棲時代」(*1)に話を戻します。


“同棲”は暮らし振りの一形態です。その顛末を描く上で、“食事”の場面はどうしたって避けようがありません。実際、朝食、夕食、外食とずいぶん沢山の料理が劇中には挿入されておりました。当然のことながら、そのいちいちに作者は“木霊(こだま)するもの”を組み込んではいない。そんなことをしたらお話はたちまち渋滞を来たして、やがてボロボロに壊れてしまいます。僕たちの日常そのままに、特別の感慨のないものとして水か空気のように過ぎていく、それが「同棲時代」の“食事の光景”でした。


 でも、今日子と次郎、ふたりの岐路を描く重大な局面においてはどうでしょう。“食(べもの)”はこれまでの無表情を一転し、じんわりと発光を開始するのです。俄然色彩を増していき、登場人物の秘めた内面を代弁していく。そんな重要な役割を果たして見えるのです。



 例えば茫洋として連なるふたりの日々に対し、天空を裂いて降る雹(ひょう)のごとく突如もたらされて暗い影を落としたのは、ひと山の“花梨(かりん)”でした。



郷里の母親から送られてきたものですが、ふるさとの匂いを帯びたあれこれ、例えば菓子、米、缶詰、ちょっとした衣類といった雑多な詰め合わせではなくって、単体の“食(べもの)”である花梨がごそり山となって届けられる辺りが、いかにも上村さんらしい表現です。今日子の神経はこれを境に変調し、狂気との壮絶な闘いに入っていきます。(*2) 





 また、行き詰まったふたりが食事どきに激しく言い争い、せっかくのぶ厚いステーキ肉をゴミ箱にぼとぼと捨ててしまうくだり(*3)や、精神を病んで長く入院をしている今日子から現世への帰還を宣言する手紙を送られた次郎が、読み終えた刹那に思い立って台所に向かうや黙々とソーセージと野菜の炒めものを作って食していく場面などは、静謐でありながらも輻湊(ふくそう)する情念に満ち溢れていて、読んでたじたじとなったものでした。



深く記憶に刻まれて留まり続ける、ほんとうに素晴らしい“食べもの”の情景です。(*4)





 このように観念と“食”との阿吽(あうん)の呼吸は、「同棲時代」においても健在なのです。


 上村さんの“食(べもの)”は胃の腑の空隙を単に埋めるものではなく、むしろ胃やら肺やら心臓といった身体の内側がべろりと裏返されて露出し、そこに巣食う情念が大気に剥き出しにされた挙句に変幻したもの、と言える気がします。“食(べもの)”という形貌(なりかたち)をしていても、ひとの魂そのものなのでしょう。「同棲時代」には空気のように取り巻いて無味乾燥の体で列を為す“日常の食事”に挟まって、そんな思慮に溢れた“食(べもの)”が素知らぬ顔で割り込んでは読者のこころをワッと揺さぶらんと待ち構えている。


 さて、物語の終焉において今日子と次郎とで交わされた会話に“味噌汁”うんぬんがあり、年数をいくら経てもうまく嚥下(えんげ)することが僕は出来ず、悶々として今に至った事は以前この場に書いた通りです。違和感をつよく抱き、ずっと気になっていたのは“きみ”という表現でした。「きみが作ってくれる味噌汁のことを思うと」という蛇のずるずる這い回るような言い振りには作者の執着がべったり張り付いて聞こえます。なぜ単に「朝ごはん」を今日子は誘わないのか。どうして「きみが作ってくれる」という不自然な言い回しになるのか、だいたいナゼ急に「味噌汁」がここで口から飛び出したのか。




次郎 「きみが作ってくれる味噌汁のことを思うと ぼくはたまらない……

    それを飲んだら ぼくはどんなにか身体も心も暖まるだろう……

    だけど こいつをよく覚えとこう この感じを……」

今日子「……」

次郎 「この寒さをよく覚えとこう…… 今 この寒さとひもじさに

    耐えられたら このさき何にだって耐えられるかもしれない……

    そんな気がするんだ」

今日子「次郎……」



 先に引いた野菜炒めの手際の良さが語るように、次郎という男は料理をとても得意としています。ある時など酒場で酔って意気投合したシルバーマンという名の外人をアパートに連れ帰り、翌朝、今日子が仕事に出てしまってから幾皿かの料理を自分一人でしつらえ、手際よく供して大いに驚かれてもいます。その中には味噌汁も含まれておりました。


つまり次郎は“僕の味噌汁”を朝飯前に作る男なのです。(*5)“きみの味噌汁”という言い回しは“僕の味噌汁”があればこそ成り立つ表現だった、というのが分かります。


 ここで上村さんの“味噌汁”が、観念の飛翔を存分に許す空域と日常という内界との間に穿(うが)たれた“境界標”として立ち現れることを思い返すなら、たちまちにして物語の構図が見えてくる。「同棲時代」の幕を降ろすにあたって、今日子と次郎の人生の有りようをすっかり俯瞰して見せようと作者はしている、そのための不自然な台詞であったに違いありません。


 きみのものと僕のもの、ふたつの味噌汁椀が男女間にふわり浮かんで見える劇の状況は、二本の明確な境界線を露わにします。ふたつの精神が一切重なることなく対峙したままの姿となって提示されるのです。完全に孤絶し切って並び置かれたふたつの魂の、凝っと向き合い見つめ合う様子は、自律してしまった者同士だけが発する厳しくもすがすがしい大気にすっかり洗われて見える。読者のあらゆる視線をもはや受け止めてはくれない。干渉を、そして感傷をも拒絶するのです。それ程にも決定的、最終的な構図が呈示されている。







 もちろん“味噌汁”以外の言葉や風景、朝焼け、朝露、金木犀の薫り、砂丘、陽炎(かげろう)、足跡──を上村さんは次々と紙面に投じて、吐息に満ちた今日子と次郎の暮らしの終幕とこれからの門出を演出しています。“味噌汁”はそんな風景のほんの一部分に過ぎませんが、その“一部分”を他のどんな作家が気付き登用出来たものか。僕の知る限りにおいてはここまで演出が及ぶ作家はそう見当たらない。(*6)天才という言葉を強く想います。



 愛憎で綾織られた短いような長いようなふたりの旅路を眩しく振り返りながら、描かれた男とおんなはずいぶんと幸せであったな、生命を吹き込まれて存分に生きたよな、と深々と頷いていく、そんな厳かな気持ちに今、ゆったりと包まれているところです。




(*1): 「同棲時代」 上村一夫 1972-1973 最上段および中段に引いた頁は VOL.69「終章」より
(*2): VOL.30「花梨怨歌」
(*3): VOL.60「土曜の夜から土曜の夜まで」
(*4): VOL.48「手紙」  この(*3)と(*4)のコマ割りが似ていますが、これは偶然ではないと僕は想っています。“食事”を作って“生活”を目指そうとする次郎に対して、“食を遠ざけること”で情念の持続を図る今日子のすれ違いが時をまたいで対照的に描かれています。上村さんの作為がいかに持続する性質であるかを、いかに計算に基づいたものかをこの二つのコマが教えてくれます。
(*5): VOL.15「小さな指輪」
(*6):ここで言う演出とは、世に溢れる事象、天候、水、雨、階段、花の色、花言葉、靴の色、傘の色、寝具、書棚に並ぶ本の背表紙、そんなすべてを味方にして人物の造型に傾注する才能のことです。映画監督では石井隆さんもそうです。アンドレイ・タルコフスキーさんにも近しいものを感じますね。

2010年4月19日月曜日

斜め~日常のこと~


 春のやわらかい陽射しのなか、のんびりのびのび散歩です。色とりどりの花を庭先や街路の樹々が天空高くかかげていて、えらく張り切っているみたいで微笑ましい。古い建物を観に行ったのですが、普段は車ばかり使っているから視野がいくらか高く、また広々して新鮮な気分です。風がいくらか冷たいけれど、空は蒼く澄んでとても気持ちがいいのです。

 明治中期のこの建築物は元々は学校でした。今は内部が博物館のようになっています。例によって見学者は僕ひとり、悠々と占領できて嬉しい限りです。以前からずっと気になっていたのですが、実際に足を運ぶのがこんなに齢を経てなのだから不思議と言えば不思議です。


 本や映画との邂逅も含めて「物事」というものには早いも遅いもなくって、何かしらの厳然たる差配が為されている、そんな感じを時折抱きます。出逢うべくして出逢うのだし、別れるべくして別れるのだろう、そういう風に努めて想おうともしています。

 ですから、こうしてこの建物にずいぶんと遅れて足を運んだことには、きっと何かしらの意味がある。ハハ、どんな意味と言われてもね、なにも答えられないのだけれど。

 廊下が南から北に建物の中を真一文字に貫いていて、その床板が通路と平行でもなく垂直でもなく、さっさっさっと斜めに傾いて敷かれているのが随分とお洒落です。





 頭上を見上げれば、天井の板も床と同じ角度で斜め張りになっている。ここぞという派手な装飾は全然ないのですが、隠れた場所に気合いが入っている。伸びやかで熱心な教育の現場をうかがわせて、当時の熱気が蘇えるようです。

 かたわらに並んで建っている講堂の方に足を向けます。

 軒下の飾りなどに荒削りな意匠が施され、なかなかに勇壮で味わい深いものがあります。風なのか波なのか、それとも雲のつもりなのか。豪胆ですね。けれど、いくらか傷みも目立つのが気になります。いずれ解体して駐車場にする腹積もりかもしれませんが、それまで放置というのは可哀想な感じもしますね。




 維持管理の予算が県から下りないのかもしれません。言うは易し行なうは難し、ですからね。苦労もきっと多いのでしょう。偉そうにごめんなさい。






てくてく帰宅してから熱い風呂にざぶざぶ浸かり、すっかり身を清めてから映画のレイトショーに。

 追いまくられる雑務や懸案、また、胸中にふつふつと沸いてくるあれこれの想いに抵抗してる部分がちょっとあります。おまえ無理してんじゃないの、と、もう一人の自分がケラケラ笑うのだけれど、そうやって今日を明日に繋げるしかない。

気分転換はきっと大事。これからも時どきは歩いてみよう、そう思っているところです(笑)




2010年4月5日月曜日

佳人たち~日常のこと~



 回覧板に挟まっていたわら半紙の、市民講座の案内に目が釘付けになりました。指定文化財になっている“板絵”の解説を大学の先生がするらしいのですが、片隅に入れ込んである粗い調子の画像を一瞥しただけでその絵が尋常でないことが分かりました。無数のおんなたちが長い山道を押し合いへしあいしながら登っていく。幸せなのか苦しいのかパッと見分からないのだけど、凝縮された想いが伝わって来る凄絶な巡礼図です。

 
 この町は山々の懐(ふところ)に抱かれるようにして在ります。そのような地形からでしょう、亡くなったひとの魂は手近の低い山にまず登り、長い年数を経た後に霊山と呼ばれる高い峰の頂きにと飛翔し至って昇天を遂げるという“葉山信仰”が盛んでした。山の中腹にお社(やしろ)が設けられており、そこに詣でることがごくごく当たり前という気持ちにさせる、そんな風土です。その異様な板絵も霊山の麓の神社に掲げられてあるそうで、古き時代に生きた女性たちの宗教心の篤(あつ)さが読み取れます。


 もう居ても立ってもいられなくなってしまいました。“情念”とか“観念”とかに僕はすこぶる弱く出来ている。市民講座は参加するにしても、その前に現物を見ておきたい気持ちが止まらない。この日曜に車で峠道をひた走って寺社を目指しました。


 さて、着いて仰天したのは雪の多さ。狭く急な石段を登ったところの境内一面が白く埋まっています。冬の間に屋根から滑り落ちた雪がどたどたと堆積したものか、特に正門あたりは4メートルほども高さがあって凄い迫力になっている。建物は黒々として年季のはいった板で四方を固く覆われており、しんとして物音が全くありません。
 
 あら、シマッタと思ったのですが、その雪のばかばかしい程の量が奇妙で面白く、また、その山を飽くことなく見つめては微笑んでいる地蔵さまのお顔がなかなか麗しくって、そんなこんなでヨシと思ったわけでした。


 道に迷ったり、予定外のことが起きた時に、けたたましく吠え立てるひとがいますね。不安を訴え、徒労を嘆き、遂には同行者をはげしく非難する類(たぐ)いのひとですが、僕はそういうのはまったく無いんです。“クライシス”と見るか、“トラブル”と見るか、はたまた“ハプニング”と見るかで事態は違った様相を呈してくる。“チャンス”と捉える程には人間が出来ていないけど、物の見方は立ち位置次第で変わっていくわけで。ですから、こういう失敗の休日もアリなんですね。(なにを偉そうに!) (*1)


 近くの沢に寄り道して、雪を踏みしめ踏みしめ降りてみれば、足元の奥深くから雪解けの水が勢いをつけて流れていく音がコロコロちゃぶちゃぷと鳴り響いて面白く、残雪と枯木と水面(みなも)の組み合わせが旧ソ連の映画の一場景みたいで鮮やかで且つ淋しくって、なんとも嬉しい。枯葉をかき分け蕗の薹(ふきのとう)も可愛い顔を覗かせ、季節の訪れを声盛んに唄っています。


 帰路には日帰り温泉に寄りました。入湯料300円也。お湯はじんわりと藁を焦がしたような、重たい香りがして心地いい。“森のなかの土”を偲ばせる匂いと柔らかさです。お客さんも多くはなく、手足を存分に伸ばしながら、なんか贅沢三昧だと思いつつ温まるうちにむくむくと探究心がまた湧いてきて、今度は以前から気になっていた“マリア観音”を見てやろうと思い立ちました。



 どんどん車を走らせて辿り着いたお寺の、本堂から離れた小さな礼拝所に置かれていた高さ40センチ程の木の像は、細工の粗い光背をもやもやと背負い片膝をどんと垂直に立てて腰を下ろしておられます。

 そんな形姿(なりかたち)はアンバランスで醜悪の一歩手前ながら、その面(おもて)に灯る慈愛に溢れた眼差しは、ああ、確かに聖母像そのままです。

 若桑みどりさんの「聖母像の到来」(青土社2008)を読むと、マリア信仰は僕たちが思うほど真摯なものでなかったらしい。聖母の姿を正しく継承しようとする気迫も立ち消えて曖昧になるケースも多かったようです。でも、このマリアは懸命に形を継いでいこうという念のようなものを感じさせます。


 図らずも、いやいや、それは嘘、自ら求めてのことであって、そういう傾向は僕には強く内在するのは認めるところだけれど、女性の面立ちにどうしようもなく惹かれて突っ走ってしまうことがあります。だからこそ、こうして佳人に無事に出逢えた休日だった訳で、今はなんとなく充実して穏やかに弛緩しているところなのです。う~ん、宗教画や仏像をそんな目的で求めるとは───なんて罪深き男。

 それにしても好い“微笑み”でした。ときどき思い返し、口角をきゅっと上げて、この春を元気に暮らしていきたい、そう思っているところです。




(*1):こういう事を言えるのは、そんな大変な目に遭っていない証拠でしょうね。僕はやはり恵まれていると思います。危機に立ち向かっている人はどう考えても危機。ちょっと高慢でしたね、気を悪くされたらごめんなさい。

lounge【ラウンジ】



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 楽しくお話できることを心待ちにしております。    ~店主~