2010年6月26日土曜日

「ファイブ・イージー・ピーセス」(1970)~“MEN"~

 先程までの青天が嘘のようです。灰色の雲に覆われた空からはジェット旅客機の轟々と言うエンジン音が落ちてくるばかり。あんなに元気だった陽射しは遙か高層にお預けとなりました。間もなく雨がぽつぽつ落ちてもきましょう。今夜は南の空に部分月食が見れるというので楽しみだったのだけど、難しいみたいだなあ。ちょっと残念──。


 それでも朝からお昼を挟んでの小一時間には庭のテラスにレジャーシートを敷き、読みかけの本ニ冊と届いたばかりの本一冊を手元に置いてごろり寝転び日光浴。田舎暮らしをいいことに下着一枚の姿となって、光と風を素肌に受け止められたのは嬉しいことでした。いい休日です。


 強い日差しに目が眩んでそうそう頁を繰れない訳なのだけど、それでも充足感は格別。「匂いの人類学 What the Nose Knows」エイヴリー・ギルバート(ランダムハウス)、「共感の時代へ The Age of Empathy」フランス・ドゥ・ヴァール(紀伊国屋書店)、「ヤノマミ」国分拓(NHK出版)だったのだけど、幾らか採掘箇所は重なっていますね。こういうのが好きなんだよなあ。人間って何か、男とおんなって何か、感情とは何か、生きるってどういうこと───


 海外の書き手によるこの手の本を読んで感心するのは、僕たち市井の者たちの興味をうまく惹き付け、飽きが来ないようにする話術の巧みさですね。ほんとうに頭の良い人たちなんでしょうけど、例に引く小説や映画の傾向が実に広くて、時に低俗で関心します。ときどきアクセルを切り替えて、僕たちの目を醒ましてくれるのね。「初体験 / リッジモンド・ハイ Fast Times at Ridgemont High」(1982)なんてタイトルがさらり飛び出して来るのだから、とても不思議というか快感だなあ。


 先日読み終えた「孤独の科学 人はなぜ寂しくなるのか Loneliness: Human Nature and the Need for Social Connection」ジョン・T・カシスポ、ウィリアム・パトリック共著(河出書房新社)では1970年の映画(*1)が取り上げられていました。興味を覚えてレンタルショップから借りてきて、昨夜遅く観たところです。こうして知識の連鎖していくことが心地良く、止められないんだなあ。



 この「ファイブ・イージー・ピーセス」って映画は男って奴はどうしようもない、というこの当時に沢山創られたフィルムの一本で、今の時代でも通用すると言うか、まあ、例によって身につまされる場面の連続でしたね。(考えてみたら、そんなのばかり此処で取り上げてますね。う~ん、自虐的──)美しい情感溢れるカットやシーンも多くて、あれこれ考えさせられるものが多かったですね。Youtubeに劇中でのピアノ演奏のシーンがありましたから、メモ代わりに張っておこう。とても見事な撮影だし、こころの奥に触ってくるものがあります。



 そんな休日を僕は過ごしています。


 皆さんはどうですか。真夏日が続いて鬱陶しい気候ですけれど、元気に愉しく、口角をきゅっと上げてどうかお過ごしください。


(*1): Five Easy Pieces  監督・製作・脚本:ボブ・ラフェルソン 1970

2010年6月24日木曜日

峰岸徹「遺品の思い出」(2009)~現場を盛り上げた~



「映画作りにはこれがないとダメだろう」。2005年夏、沖縄・宮古島を

舞台にした映画「太陽(てぃだ)」の製作が決まると、峰岸さんは

そう言って、プロデューサーの西初恵さんに手渡した。紅白のペンキで

塗られた手作りのカチンコ。驚く西さんを尻目に本人は、「おめでたい

じゃないか」と目を細めた。(中略)峰岸さんはこの映画に主演したほか、

照明助手を務めたり、ロケ先でスタッフにみそ汁を振舞って現場を

盛り上げた。(*1)



 峰岸徹(みねぎしとおる)さんを追弔する小文からの抜粋です。一周忌のちょっと後に新聞に掲載されたものですね。


 大ぶりのお鼻が特徴的でした。リノ・ヴァンチュラLino Venturaやジャン=ポール・ベルモンドJean-Paul Belmondoにも似た、あくの強い、こってりとした甘い表情が思い出されます。整った顔立ちから役柄は絞り込まれがちで、スクリーンやブラウン管の中で窮屈そうに見える時もありましたね。


 記事に取り上げられていた「太陽(てぃだ)」の予告編がウェブ上に見つかりました。世代的にいくらか気持ちが重なる部分があります。



 今にして振り返れば、おっとりした色彩や音色を提供してくれた得難い個性だったと分かります。こんなにも人は群れ集っているのに、代わりになれるひとは誰もいない。一人一人が島宇宙。思想、風貌、性格、記憶の組み合わせは宇宙でたったひとつです。大事にしないといけませんね。


 映画の撮影風景が当然ながら顔を覗かせます。体験したり何時間も見学させてもらってようやく合点がいくのだけど、映画作りとは忍耐がひたすら求められる場処であって、決して華やいだものとは言えません。長時間に渡って集中力を維持していくことは、なかなか容易なことではない。慣れないひとはいら立ちを隠せないで、次第に仏頂面になっていったりします。


 出番のない峰岸さんが少し離れた場所で“みそ汁”を作っていく。味噌と具材の香りが鼻腔を満たし、咽喉を駆け下って胃膜をやさしく覆っていきます。暖色の明かりが身体の中心に灯って、じわりじわりと四肢の末端へと伝播していく、その嬉しさ、その温かさ── 。


 そう言えば、バレーボールのプロチームを陰で支える管理栄養士の方の講演を拝聴する機会に先日恵まれましたが、単に栄養価という面のみならず、選手たちのメンタル面を整理し鼓舞していく上でも食事はとても大事だと力説されていました。


 根幹類、海藻類を多く含んだ“みそ汁”は、イライラする気持ちを抑えるには有効だとか。へぇ、そうなんだ。過酷な仕事の現場で振る舞われる“みそ汁”には、単なる腹の足し以上の役回りがどうやら期されている。

 “みそ汁”程度のものに何をまた驚いているの、と怪訝に思われそうだけど、実際のところ「そんな程度のもの」であることが“みそ汁”の露出をひどく抑制してもいるのであって、めくれどめくれど新聞紙面に載ることはあまりない。(料理レシピは別だよ) だから、かえって今のご時世では“みそ汁”の登用には意味深いものが感じ取れるし、送り手の作為や深意が読み取れたりするのです。


 「ロケ先でスタッフに“食事”を振舞って現場を盛り上げた」とは書かずに、「みそ汁を振舞って」と書いた執筆担当の石間さんの視線には“語り部”たらんとする傾きがあります。そして、記事を目にした読者の多くには峰岸さんの心の奥底にそっと触れさせてもらったような特別な感慨が宿るのだけど、そういった様々な反応も含めてこの小文は興味引かれるものでした。


  “みそ汁”とは精神の荒野に隣接した食べものであって、地味な存在ながらも同時に多数のひとの琴線に触れていく大したバイプレーヤー、つまりは得難い“性格俳優”であると感じるのです。紙面に載ったのは昨年の10月でかなり時間が経ってしまったのだけど、“みそ汁”への言及に不思議をふと感じてしまい、処分出来ずに机のうえに置かれたままだった、そんな切り抜きです。


 うん、捨てないで良かった。


(*1):讀賣新聞 2009年10月19日 追悼抄 下段
  「遺品の思い出 峰岸徹さんの手作りカチンコ」東京本社社会部 石間俊充 
   最上段の峰岸さんの写真も。

2010年6月21日月曜日

室山まゆみ「あさりちゃん」(2007)~夢がない~


真弓(心の中で)「プリンミックスを買うって、何年ぶりだろ。

    いや、何十年ぶりか。」

  自宅の台所で紙パック詰の牛乳などを並べながら

真弓「プリンカップ出して─。」

真里子「んなもんあるわけねーじゃん。30年前に捨てたよ、

     使わないから。」

  真里子、おもむろに器を突き出す

真里子「ミソ汁椀でいいんじゃない。(でかいのつくれば)」

真弓「……(ショック)。

   (心の中で)──まだ作っていません。デザートは夢を作るんだよ。

    これじゃ夢がない」(*1)



 上に紹介したひとコマは、漫画「あさりちゃん」の本編中にはありません。単行本に収まったお話とお話の隙間を埋める目的で挿入された「作者のぺえじ」に描かれていました。けれど、どうでしょう。購入者の年齢層は限られ、いわば閉じられた世界です。主として小学校に通う女の子の共感を得やすいように、この中継ぎの部分にしても話題は絞られていく。笑顔を絶やさないための工夫が絵とふきだし、オノマトペに丹念に施されて本編と連なっています。実質的には作品の一部と捉えても構わないでしょう。


 作者は二人三脚の実の姉妹で、お姉さんの名前を真弓さん、妹は真里子さんといいます。姉がプリンを作ろうとして妹に“プリン型”を探して欲しいと持ちかける。そんなものはとうの昔に廃棄してしまった、これで代用したらどうかと真里子さんは味噌汁椀を姉の鼻先に突きつけるのでした。そんなプリンはいやだ、と大いに落胆したところで幕引きです。まあ、実に他愛もない顛末なのだけど、そういった無防備な状況、力が抜けた場面で口を突いて出た言葉ってヤツには存外真実が含まれているものです。


 「夢がない」という姉の真弓さんの嘆息は、はてさて何処から湧いて出たものか。花びら状の凹凸がモワモワッと拡がる、あの銀色の器が見つからないことへの怨嗟からでしょうか。最後のコマがキラキラ輝いて“夢のよう”に見える“プリン型”ならばそう受け止めてもいいのだけど、実際に描かれていたのは木肌なのか漆調なのか、ぼけた地色に黒い花模様を引いた“ミソ汁椀”でした。「夢がない」と断じられているのは明らかに“ミソ汁椀”、ひいては“ミソ汁”なんですね。


 もしも姉が差し出したものが“ワイングラス”だったら、 “茶碗蒸し”の器や“コーヒーカップ”でもしもあったなら、もう少し違った展開になったのではなかろうか。「あらヤダ、すてき!」「ナニそれ、おしゃれ~」なんて反応だって容易に想像されてしまう。やはり“ミソ汁”だからこそ、ここでは「夢がない」と告げられている。



 漫画であれ映画であれ、フィクションと総称される数多(あまた)の創作の現場では、受け手である読者や観客の欲望と、送り手のそれとが巧妙にすり合わせられて増幅されていきます。送り手の独りよがりの言動は共振を生まずに、手の平でヤブ蚊の追い払われるごとく遠ざけられる宿命です。


 だから、創作活動の初めの一歩が踏み込まれる前には、作者や彼を取り巻く送り手たちが僕たち受け手のこころ模様を凝視する工程を挟むことになる。医療用の検査機器ですっかりスキャンされ、大切な部分まで丸裸にされているようなものでしょう。異様な作風を誌面やスクリーンで目の当たりにしたとき、作者の精神を疑う中傷や戸惑いがゆらゆらと跳躍することがあるけれど、実は僕たちは僕たち自身と向き合って頁を繰り、影像に目を凝らしていくのであって、異様さや奇怪さは存外まっとうな人格が計算づくで仕組んでいたりするものです。


 「あさりちゃん」の作者、室山まゆみ(むろやままゆみ)さんが彼女ら独自の“ミソ汁”観をここで吐露し、唐突に投げて寄越している訳では当然なくって、ミソ汁に対して「夢がない」と多くの子どもたち、そして母親たちが感じているとキャッチした結果が形になったと考えていい。


 僕は「あさりちゃん」をほんのわずか読んだに過ぎませんから、あまり断定的な物言いをすると叱られそうだけど、描き込まれた数多くの“食”の光景に“ミソ汁”の湯気は実に薄い。ぞんざいと言うか、単純というか、うまくその辺り、つまり食事時の“ミソ汁”描写を話題からそっと避けている風に僕は受け止めてもいます。仕事に追われ、私事に追われて調理に注力出来ずにいる母親、飽食の時代に育って好き嫌いのいちじるしい子ども、食事どころでなく締め切りに日々追われるばかりの作者姉妹──そういった環境を丸ごと捉えた末に、「作者のぺえじ」が浮上している。あれこれ思うところはあるけれども、これはこれで僕たちが暮らす現代の世相をよく捉え、上手に切り結んでいるんじゃないかと考えています。


 見方をさらに変えれば、無数にある“食べもの”の中よりこうして取り上げられるだけ立派だとも思います。こんな言葉も先人のひとりは遺していますね。「ここに一つの器がある。若しも私がその器を愛さなかったならば、私に取ってそれは無いに等しい。然し私がそれを憎みはじめたならば、もうその器は私と厳密に交渉をもって来る。愛へはもう一歩に過ぎない。」(*2)


 大多数の読者から圧倒的な(それがたとえ「夢なきもの」の象徴と貶(おとし)められようとも)──共感をこれほどにも得る料理というのは、そうそうに見当たりません。僕たちの精神世界に根茎をたくましく伸ばした「こころの料理」ならではの登用だったのだと、やはりそのように思いますね。愛へはもう一歩の距離に在り続ける、それが“ミソ汁”の微妙な立ち位置なんですね。



(*1):「あさりちゃん」 室山まゆみ 1978-連載中 小学館学習雑誌にて
   今回引用したのは単行本84巻(2007年9月発行) 108頁
(*2):「惜しみなく愛は奪う」 有島武郎 1920  
   新潮文庫 有島武郎評論集所載 322頁



2010年6月18日金曜日

笑顔~日常のこと~


 随分と仕事でお世話になったところが廃業され、今日はお別れのご挨拶に行ってきました。大型の重機が幾台も敷地を行き来し、目に馴染んだ建屋にするどい爪を突き立てている真っ最中です。感慨深いものが胸中に去来しました。


 僕たちの生きた痕跡は残念ながら次々と消滅していき、やがてどこかに見えなくなってしまいます。帰路ハンドルを握りながら、つくづく不思議だと首を傾げます。こうして瞳を通じて焼き付いていく緑鮮やかな田園風景も、また、たくさんの嬉しかった思い出も、そして哀しい想いも、その全てを僕は自分だけで抱えたままにいずれ焼かれていく。人生はたった一度だけ上映される長編映画みたいだと思います。リバイバルはない。


 けれど、きっと無駄ではない。なにかしらのものが継承されてきっと次の世代に手渡されていく、そう思いたいですね。たいへんお世話になりました、ありがとうございました。


 そうか、もうこの道を往復することも、これからはそうそう無いことに気が付きます。いつもは時間に追われて、横目で通り過ぎるばかりだった寺社にちょっと寄り道しました。驚いたことに藤(ふじ)、銀杏(いちょう)、欅(けやき)の巨木を境内に抱えていて、なかなかの風格なのでした。


 特に“蛇藤”と称される老木には驚かされました。大蛇に変身して軍隊を震え上がらせたという伝説も納得の太さ、長さ、雄々しさに満ち溢れています。携帯電話で撮影を試みたけれど、とても収まるものではない。

 背後に人の気配がして振り向くと、年輩の男性が参道を歩いてきます。挨拶して話を聞けば、この町で高校まで育ったひとでした。今でこそ勢いは衰えたけれども、七十年ほど前には盛んにムラサキの花を付けて怖ろしいぐらいだった、とのこと。今でも祭事に使われている神輿(みこし)の絢爛豪華さなど、色々とお話しを聞かせてもらえて愉しかった。

 




 本殿の地面両脇には風雨に洗われて優しい顔になった狛犬が置かれています。バカボンみたいな柔和なその顔に見上げられながら、とても気持ちが和みました。何百年も生きて、その下を潜っただろう何千組の男女、何万組の親子の苦難を静かに見守ってきた“蛇藤”をはじめとする樹々。そして、角がとれて今は笑顔に染まって愛嬌たっぷりの守護獣。見つめる時間の単位を少し伸ばしてごらん、ゆったり構えなさい、そう言われているような気がします。


 人生という映画はハプニングの連続。時にはフィルムが切れたり、発熱して焼けたり、はたまた急に停電して真っ暗になるときもありますが、いつしか映写技士により上手に復旧されて、リールがカタカタと回りだします。


 観客は自分ひとりかもしれないけれど、ちょっとは素敵な映画を創りたい、そう願いますね。


 いい夏をお迎えください。僕もいい夏になるよう、空を見上げて歩こうと思います。



2010年6月12日土曜日

山崎ハコ「おらだのふるさと」(2010)~かあちゃん それ~



東京さ出る朝 かあちゃんが

荷物の隅に味噌詰める

かいずつけっと、

おかずなど何もいらね

かあちゃん それ手前味噌だべ

わらびの味噌汁 母の味

おらだのふるさと おらだのふるさと(*1)


 いい天気です。まだ陽が高いというのにもうひと風呂を浴び終えて、腰にバスタオルをちょっと巻いたぐらいの格好でテーブルに座りこれを書いています。時おり風が吹き込んで白い薄手のカーテンをふわり躍らせたり、はたまた背後の窓にかかったブラインドをカシカシと鳴らしている。なんて贅沢な休日──。


 素肌を渡っていく風はあたかも誰かの指先がそっと触れ、こころ煽る目的で妖しく撫でさするみたい。なんとも心地良くって、もうタオルも何もかも放り投げてベランダに飛び出し、わーっと大声で叫ぶか体操でもしちゃいたい気分です。耳に飛び込む音は鳥のさえずり、遠くより幽かに響くバイパスの車の往来、庭木の枝葉の風で揺れてさわさわ言うぐらいであって、田舎の落ち着いた時間を満喫しているところ。


 山崎ハコさんの唄「おらだのふるさと」は、僕が住まうこんな田舎から大都会に進学か就職で移り住んだ直後の若者、おそらく母親へのタメ口、父親の一言多い助言からすれば女の子なのじゃないかと勝手に想像をめぐらすのだけど、そんな彼女の懐郷の念を切々と訴える内容になっています。


 自分の(おらの)と言い表さずに“私たちの(おらだの)”と唄うことで聞き手の多くを柔軟に囲い込み、各人各様の故郷を想起させていて見事です。また、「ふるさと」を否定も肯定もせず、物語を構成する家族たちへの目線も見上げるでも蔑むでもなくどこまでもフラット。意見の衝突を上手く回避していますね。揚げ足をとるような合いの手を娘はちょっと挿し入れるのだけど、邪気は一切感じられずに両者はすっきり対等です。


 子どもが自立していく行程では、往々にして反発、憎悪を跳躍のバネに利用することがあります。けれど、本来の“自律”とはかくあるべきかもしれませんね。なかなかそうならないけどね。実態はひどく苦しいものです。


 母親や故郷と“味噌”を結びつける展開は安直で新鮮味がなく感動を覚えませんし、現実世界を生きている娘の都会暮らしには“味噌汁”が不在となっているイメージが連鎖して湧き出します。“味噌汁”が喪われつつあるような気配で、それを思うと応援団としては心中複雑です。


 最後の最後で具体的な地名を羅列して空間を限られた地方都市に収束させてしまう辺りにも感心はしませんでしたから、余程無視しちゃおう、忘れちゃおうかなとも思ったのだけど、それを引き止めてメモをこうして書かせているのはひとえに歌手山崎ハコさんの力量によるものです。


 僕は山崎さんをよく知るものではなく、唯一リフレーンして脳裏に響くのは彼女の「心だけ愛して」ぐらいなので何も言えた義理ではないのです。しかし、よくここまで地平を拡げることが出来るものだと感心することしきりでいます。ものを創り、魂を吹き込む不思議、魔術を目の当たりにした感じです。歌というのは凄いものがあると、しかと悟らせる仕組みがこの「おらだのふるさと」にはありますね。





  さてさて、散歩がてら理容店に行こうかな。さっぱりと刈り込んでこよう。

 お仕事や雑務で多忙極めるひともいるでしょうが、梅雨空を目前としたこの晴れ間、
どうぞ愉しんでお過ごしください。 



(*1):「山形・白鷹 おらだのふるさと」 唄 山崎ハコ 2010
   作詞 田勢康弘 作曲 山崎ハコ 編曲 安田裕美

2010年6月8日火曜日

中島丈博「味噌汁と友情」(2006)~どっと笑う~



深井 どういうわけって……別に理由なんて。

中谷 理由もなくて、こんなことをしたって言うの?

深井 先生、冷めちゃいますよ、折角の味噌汁が……
   
   ま、味見してください!

  と、お碗に注いだ味噌汁を中谷に押し付ける。

中谷 ちょっと、待ちなさい……。

深井 きっと美味しいよ……味見して……味見!

  口もとにお碗を押し付けると、拒もうとする中谷。
  
  その拍子にお碗がひっくり返り、味噌汁がモロに
  
  中谷の胸にぶっかかる。

中谷 (悲鳴)ひゃーッ……あちッ……あちちッ!

  と、胸をかきむしり、飛び上がって熱がる。
  
  一同、どっと笑う。(*1)


 中学校の学芸会を念頭にして書かれた脚本です。映画やテレビドラマでの活躍がめざましい中島丈博(なかじまたけひろ)さんが、中学生向けに提供しているのが先ずもって愉快なのだけど、よくよく読み込んでみれば随分と意味深な内容になっていて思わず唸ってしまいました。


 舞台設定が奇妙です。男子生徒だけが教室に集められ、家庭科の調理実習が行なわれます。“味噌汁”を作らせられるのだけど、皆から嫌われている男子がひとり交じっているために班分けからつまづいていく。大人びた背格好の深井少年が仲裁に入り、その若村という名の男子を自分の班に招き入れます。さらに、半端になった子供たちを別な班に次々と振り分けたことから、当初予定されていた班数がひとつ減ってしまうのでした。女性教師の中谷が深井に詰問した、上の“こんなこと”とは、生徒たちが独断で行なった班の再編のことを指しています。


 物語は嫌われ者の若村少年とリーダー的な色彩を放つ深井少年が友情を深めていく流れとなり、静かな余韻を残しながら幕を閉じます。いじめ、差別を批判する道徳的な展開と多くの観客は読み取るでしょうね、きっと。



 調理実習の課題がハンバーグでも粉吹き芋でもなく“味噌汁”で、それをわざわざ題名に冠していることは一体全体どういうことか。劇をゆっくりと振り返ってみるならば、必要な選択だったことが分かってきます。


 これからこの本を買い求めたいと願うひとは、先は読まずにここで閉じてもらいたいのだけど、作者は“味噌汁”を“家庭”の象徴として捉えていて、また、“母親”のイメージをもしかと重ねているのです。それ自体はありきたりの反応で何ら驚きに価しない訳だけど、中島さんのひねり方はさすがにプロなのです。そこから陰鬱な少年期の葛藤と身悶えする渇望をそれとなく露呈して見せるのでした。


 若村が妙に大人びているのは、父親の浮気がきっかけとなって崩壊寸前にある家庭に身を置いているせいであることが後半分かります。また、深井という少年にしても父親が公文書偽造の罪で服役中であり、針のむしろに座るような毎日なのです。世間の目と貧窮に対して闘っている真っ最中なんですね。


 若いおんな教師の中谷は彼らの胸の奥底に宿るものをまるで汲むことなく、実習の前にあろうことか「よい家庭」「円滑な家庭」には調理が不可欠だと朗々と説いてみせます。わだかまりを何ら家庭内に抱えていない他の子供たちは、劇中「おふくろの味、健康になる」と“味噌汁”賛歌を歌い踊って見せもするのです。


 不倫と犯罪という父親たちの不始末によって運命を反転させられ、極端に口数を少なくし、表情をすっかり失い亡霊のように暮らしていく、はたまた生活費の捻出に仕事に追われ過ごしているふたりの少年の“おふくろ”と味噌汁は、現時点では像を重ねることが難しいに違いなく、もちろん「円満な家庭」であろうはずがない。


 教師と同級生により、また、僕たち観客もが無意識に振りまく“味噌汁の、そんなステレオタイプのイメージの渦”から主人公ふたりは気分的にまったく孤立していくのです。中島さんはそれを明確に形づけるために、(騒動の責任を取るかたちにて)ふたりを教室から廊下に締め出しさえするのです。重いこころを体現するように水の入ったバケツまで執拗に両手に持たせて、ふたりの少年は暗い廊下に異分子として佇みます。


 単純な寸劇を装いながら、その実、かなり情念の絡んだ会話を敷き詰めていて、投げ掛けられているテーマは存外に厳しいのです。子供たちを預かる学校とは突き詰めれば家庭の修羅、地獄を預かることではないのか、その覚悟は大人たちに本当にあるのかと問うているようにも読めるし、僕たちがどれだけ単純に事象を見てしまい、呆れるほどステレオタイプな判断や物言いに日常染まっているかを囁き教えてくれているようにも感じます。


 ここでの“味噌汁”とは、ですから偏見や無関心、絵空事、仲間意識といった負のイメージを帯びているのです。少年が利き味を強要し、結果的に口も付けられずに胸元にどばっとかかり茶色に汚していく味噌汁の様子は鮮烈なものがありました。“聖なるもの”から一瞬後には“汚れ”に変転して流れて行く“味噌汁”には、行き場のない怒りや哀しみが色濃く感じ取れる。こんな酷薄な面持ちの“味噌汁”はあまり見たことがありません。


(*1):「味噌汁と友情」 中島丈博 2006 「読んで演じたくなるゲキの本 中学生版」(幻冬舎)所載。

2010年6月7日月曜日

石切り場~日常のこと~



 雲のほとんどない快晴のもと、車を思い切り飛ばして“石切り場”を目指します。職人さんが独り頑張って切り出しを続けており、かろうじて現役を保っている場処です。目覚めて点けた枕もとのテレビに偶然映し出されたその作業風景には、どこか非日常の香りがして何とも蠱惑的。思い立ったら吉日です。ベッドから跳ね起きて、三十分後にはハンドルを握っていました。カーナビゲーションが選んでくれた脇道には信号はほとんどなくって、とてものんびりした峠道。快適なドライヴです。


 道端のところどころに低木が茂り、枝葉の先端にはうす紫の花が鈴なりです。ライラック、リラ──で名前はいいのかな。自信はありません。とても穏やかな顔付きの木です。バルカン地方を原産とし、明治中期に渡来したものと言われています。それが野生化してこんな山奥に健気に生きている。頭が下がります。


 ほどなく到着した“石切り場”は細い脇道より少し奥まったところにあって、ぼうぼうの雑草に取り囲まれていました。なんとなく犯罪の現場、禁断の場処に足を踏み入れているような隠微な気分。驚いたことに先客がいます。黒いワンボックスカーがぽつねんと停まっていて、その奥の石切り場へ入口となっている暗いトンネルの奥からはドンドコドンドコと太鼓の音が轟いて来る。時折かん高い鳥の叫びのようなものが混じります。よくよく聞けばそれはまぎれもなく女の唄声なのです。


 諸星大二郎の描くマッドメンや古代アステカ文明の生け贄の儀式を連想して、おしっこをちびりそうになります。怪しげな新興宗教が悪魔招聘の最中だったらどうしよう。捕まってロープで巻かれ、大きな包丁で手首をボンと切断されたり映画「食人族」みたいに串刺しにされたりしないものか。お尻から丸太棒を刺されて口から尖った先端をびょんと突き立てられている自分を想像して、いつしか腋下は汗でぐっしょり濡れるのです。


 洞窟然とした通路を抜け切った其処は、まるで聖堂のような厳かで且つ温かみのある空間でありました。わあ、素敵。太鼓を叩く三人の男女もいたって陽気なミュージシャンと直ぐに見て取れ、硬直した気持ちはすっかり氷解してて馴染んでいく。


 怖いどころか、むしろ彼らの叩く太鼓の音が四方の壁に反響して霖雨のように降りそそぎ、何かこころが洗われるような嬉しさです。演奏がひと段落した後に声を掛けてみれば、いつかここでコンサートをしたいのだ、という返事。彼らの瞳のひかりにちょっと感動も覚えました。自分が自分の主(あるじ)となって、純粋な歓びと楽しさの為に演奏している。それもこんな素敵過ぎる空間に太鼓を持ち込んで、こんな澄んだ空気を胸いっぱいに吸いながら。人生かくあるべきかな。


 到底フレーム一枚では収まらないその光景を、ぐるり360度独楽のように回転して撮ったのが下の画像です。う~ん、写真じゃ駄目だなあ。写真や映像では持ち帰れない光景ってやはりあります。いや、むしろそんな光景こそが眼福であり、それが生きている醍醐味、なんだけどね。


ぎょうかいがん【凝灰岩】 堆積岩の一。直径四ミリ以下の火山灰が固まってできた岩石。もろいが加工しやすく、建築・土木用石材とする。(「大辞泉」小学館より)


 辞書にはこんな風に書かれています。石切り場の四方の壁は、つまりは火山灰の堆積したなれの果てというわけですね。これだけの厚みで降り積もった火山灰を想像すると、自然の脅威の前では人間などちっぽけで無力だという敬虔な気持ちにさせられます。

 生きている時間は、生かされている時間なのだということが分かります。




 太鼓ミュージシャンのカッコイイ三人とお別れし、その後は近くのお寺に仏像見学。そして人工湖を眺めて帰路に着きました。


 楽しい休日になりましたよ。

 みなさんも素敵な風景を探して、過ごしやすい初夏を楽しんでくださいね。



2010年6月4日金曜日

滝田ゆう「寺島町奇譚 どぜうの命日」(1969)~かえたのか……~


トメ「おや 金坊の命日……………」

フク「利口な子だったよ」

キヨシ「頭がよすぎてもノーマクエンになるんだって」

フク「そんなことだれがいった……」

甚太郎「むう」

カズエ「中耳炎で死んだんでしょ」


甚太郎「味噌かえたのか……」


キヨシ「ごっそうさま」

トメ「ほら いっといで いっといで」

フク「キヨシッ 言ってまいりますは!!」

キヨシ「イッテマイリマス」(*1)(*2)


 ブログに取り上げるのを延延と逃げてきた場景に、“家庭劇と味噌汁”があります。茶の間の真ん中にドンと鎮座した座卓に寄り集って「おはようございます」「ああ、おはよう」、幼子たちは寝ぼけまなこをこすり「いただきます」、父親は無表情で新聞をめくり、エプロン姿の母親が台所とお茶の間をかいがいしく行き来する。味噌汁碗がそこに花を添えます。白い湯気と甘ずっぱい匂いが天井へとくねくね立ち昇って、辺りをオレンヂ色にほんわか染めていく──そんな風景を僕は意固地に避けてきました。


 食事を介した家族団欒はある時期からホームドラマにて活発に再現されていき、笑顔と弾む会話の
つるべ打ち。而して、食卓に並んだ料理の数々は、あってもなくても構わない背景画の役割にことごとく甘んじていったのです。家族会議への出欠に一喜一憂し、遅刻に憤慨し、多数決の結果にへそを曲げ、ヤジや紛糾が上下関係に翳を落とす。そんなところに焦点が当然ながら絞られていって、“食べること”は二の次です。いつしか食べものなんだか蝋細工のオブジェなのか、形骸化して誰も気に止めなくなってしまった。


 ひとの胸中に渦巻く想いや苦渋を体現するものではもちろんなくって、朝なり夕なりの設定をドラマに刻む時計の針の役目しか負わなくなった。“味噌汁”である必要、“醤油”がある必要は全くなくなり、コーンスープでもケチャップでも一切かまわない物語。

“味噌汁”や“醤油”(だけに止まらず、食べもの全般)の顔立ちを“ぼんやりしたもの”に変貌させてしまったのが、一連のホームドラマであったように思われてならなかった。それのいちいちに目を向けて思案する意味はないのではなかろうか、そんな反抗心に僕はとらわれていました。






 平成2年(1990)に58歳で早世された滝田ゆうさんの「寺島町奇譚」は、膨大な幼少時の記憶の集合体でホームドラマの範疇には到底収まり切らない内容です。なれど、背骨となって貫くのはやはり“家族”。ホームドラマの亜種である以上、それにあえて着目する必要はない。僕はそのように勝手に断じていました。手に取り読んだのは、だからつい最近のことです。


 劇中“銘酒屋(めいしや)”と呼び慣わす私娼街があり、これに隣接した小さな住宅兼酒場、それが主人公のキヨシ少年の家です。祖母、両親、姉との暮らしぶりに酔客や娼婦たちの刹那的な動態がさらさらと交差し、小川の流れのようなリズムを紙面に刻んでいます。


 上に取り上げた光景はある朝の場景なのだけど、ここでキヨシの父親が“味噌”について言及していました。時代は太平洋戦争へ突入して、徐々に戦局が劣勢に回っている頃です。具体的な描写は多くないのですが、街の活気は日に日に損なわれており、きっとこの味噌の変化も食糧事情の悪化を反映しての事なのです。


  幼くしてキヨシの兄は病死しており、ちょうどその日は命日に当たっていました。歳月の壁は一家の哀しみをずいぶんと癒していて、交わされる会話に湿ったものはもう含まない。けれど子供のがさつな物言いはエスカレートしてしまい、いくらなんでも酷い内容になっていく。それを遮るようにして父親は“味噌”についてつぶやき、家族の会話を破断させるのでした。


  記憶が無い姉弟と違い、ありありと当時を想い出したに違いありません。おのれの心に蓋をするような性急さがあって、複雑な余韻を残す一瞬になっています。“味噌汁”を故郷の山河や母親と重ねていく“記憶の再生装置”とするのが一般的ですが、ここでは“記憶の密閉”にうまく使われている。たいへん興味深い描写です。


  振り返って自分自身のこころを探ってみても、似たような仕組みは日に幾度となく働いているように思われます。不意に地中深くから噴き上がり、天空を真白く染める間欠泉のようにして抑え込んでいた思慕や慙愧の念が来襲します。仕事や家事が手につかなくなって、どうにも腕に力が入らない。その一方で溢れる想いは眼の奥と心臓付近でどんどん、どんどん密度を増して破裂寸前です。


  いかん、いかん、駄目だよ、そんなことじゃあ、と気を取り直して“日常”へと軌道を修正する。そんな折に僕たちがおもむろに手にしたり始めたりすることは、いずれも“他愛もないもの”だったりします。溜まった紙ゴミをシュレッダーにかけたり、洗濯を始めてみたり。実にありふれてつまらない時間へと回帰していく。


  生きていく時間の堆積は降り積もる枯葉のようです。そのいちいちは軽く儚いものが多いのだけれど、いつしか僕たちを圧殺する程にも肥大する。他愛のない“ぼんやりしたもの”に身もこころも委ねてこれを“やり過ごす”ことは、生きていく為に授かった本能的な知恵なのでしょう。


 「寺島町奇譚」に描かれた人たちは先の見えない時代にあって、さらに先の見えない暮らしを選んだ人たちです。気持ちに陰を落としてわだかまりやすい、酩酊や性愛を手段とした“情念の解放”を生業(なりわい)としているのですから、余計重たい思いをしたはずです。そんな彼らをリセットしたものが、もしかしたら“味噌汁”だった。


  朝食とは、そして、そこで供される“味噌汁”とは、夜の間に膨れ上がった夢や情念、恐怖に一時的に蓋をするスイッチなのかもしれません。記憶を束の間消し去り、今日を明日に繋ぐためのノリシロとしての役目です。負け戦であることは分かっています。忘れられっこないのだけど、とりあえず忘れた振りをするしかない。“味噌汁”かき込んでスイッチオン。


 “あってもなくても構わない”ものなれど、とっても重宝な道具として“味噌汁”が描かれている。魂の誘導員として僕たちの日常を支えている。ホームドラマを全面肯定するつもりは毛頭ないけれど、“記憶の密閉”を担うというのであるならば、これはこれで素晴らしい役割だと思えてきました。家族劇にも時には素敵な演出も見え隠れするということで、広く浅く、そして時折深く観ていこうと考えているところです。


(*1):「寺島町奇譚 どぜうの命日」 滝田ゆう 1969 初出は青林堂「現代漫画の発見 2 滝田ゆう作品集」への書下ろし。ちくま文庫「寺島町奇譚(全)」(筑摩書房)に所載。
(*2):「寺島町奇譚」に描かれる家族については、劇中の会話をいくらたどっても、どうしても名前が分からない人の方が圧倒的に多い。ここでは便宜上、テレビドラマ化された折に脚本家が割り振った名前、甚太郎、フク、トメを借用しています。
NHK土曜ドラマ「寺島町奇譚」~劇画シリーズ~(2) 1976年3月27日放映
「中島丈博(なかじまたけひろ)シナリオ選集 第二巻」 中島丈博 映人社 2003

物語の舞台となる界隈は昭和20年(1945)3月10日の空襲で壊滅します。滝田さんの描く日常には、そして、幾度となく繰り返される朝食の場景と味噌汁には、永久に喪われてしまったものに対する追慕のまなざしが寄り添ってもいますね。

2010年6月2日水曜日

村上春樹「1Q84 BOOK3〈10月-12月〉」(2010)~なぜかいつもうまかった~




 そのようにして海辺の「猫の町」での天吾の日々が始まった。

朝早く起きて海岸を散歩し、漁港で漁船の出入りを眺め、それ

から旅館に戻って朝食をとった。出てくるものは毎日判で押した

ように同じ、鯵の干物と卵焼きと、四つ切りにしたトマト、

味付けのり、シジミの味噌汁とご飯だったが、なぜかいつも

うまかった。朝食のあとで小さな机に向かって原稿を書いた。

久しぶりに万年筆を使って文章を書くのは楽しかった。(*1)


 実を言うなら、読み始めた当初は困惑するものがありました。行を目で追いながらもあれこれ思い返すものがあって、集中するのを妨げてしまうのです。

  僕には若い時分からすこぶる敬愛し、丹念に読み続けていたひとりの作家がありました。けれど“最後の小説”と冠した物語を上梓してしばらく後に、臆面も無く再度執筆活動に入ったことから気持ちがどうにも乖離してしまって、以来新聞紙面に寄稿する小文を眺める程度に興味はとどまっています。また、故郷の蒼い星を守るために捨て身の突撃を為し、無惨に息絶えていく宇宙飛行士を主人公とする漫画がかつて在ったのだけど、これも劇場大ヒットに乗じる形にて数ヵ月後にはブラウン管で“生き返って”しまったものでした。 「1Q84 BOOK3」は一度区切られてしまった想いをなし崩しにして始まる点で、それ等ととても似ているのです。


 小説であれ映画であれ、根幹にあって無視出来ないのは売上げです。ファンの一部を犠牲にしても部数を伸ばし、興収を上げてようやく一人前。器用に、そして逞しく泳いでいく商売上手のそんなしたり顔を、僕ほどにも年齢を経てしまった大人が疎(うと)んじ、ぼやくのは子供じみていることは百も承知なのだけど、当時の苦さ、渋さを口腔に再現してしまって落ち着かなかった。


 けれども、ようよう読み通して静かに頁を閉じてみるならば、顛末は十分納得されるものだったし、提示される情景のいちいちは気高く爽やかなものがあって、決して不快な澱(おり)が胸底に沈み込んではいかない。まあ、好いように作者に弄ばれている気もしないではないけれど、幕引きの直前に融合を目指すふたつの魂の描写には、気持ちを捕らえられて胸踊り、また、素直に胸に来て、随分と嬉しかった。


 僕の人生を左右する決定的な何かを含んでいた──なんていうロマンチックな言いぐさは、年齢的にもはや似合わないけれど、この年齢なればこそ解かるところもあったし、実生活のあれこれのモノの見方に陰影が少し増したような清清しく澄んだ感覚があって、読後感は上々でしたね。 二つ三つ若返ったみたいです。




 さて、以前もこの場にメモした訳だけれど、このBOOK3においても相変わらず“味噌汁”が顔を覗かしてくれるのです。これまではアパート等でこつこつ自炊する際の献立にまぎれていたものが、いずれも戸外で供されていることがちょっと興味深いですね。“境界”に立ち現われるのが“味噌汁”とするならば、天吾という青年の抱える境界線が大いに揺らいでいた証拠かもしれない。



 階段を降りて食堂に行くと、そこには安達クミがいた。田村

看護婦の姿はなかった。天吾は安達クミと大村看護婦と同じ

テーブルで食事をした。天吾はサラダと野菜の煮物を少し食べ、

アサリとねぎの味噌汁を飲んだ。それから熱いほうじ茶を飲んだ。

「火葬はいつになるか?」と安達クミは天吾に尋ねた。(*2)


 実際の僕たちの食卓においては味噌汁の出現回数は徐々に減っている感じが明瞭なのだけれど、若者がこぞって読み進めるこの話題のベストセラー本に、その香りと旨味がしかと送り込まれている。それも否定的にではなく“うまかった”と評され、また、とても意味深く精神的な場面にも座がそっと設けられている。有ってもなくてもどうでもよいモノではなくって、物語の構築に不可欠な情景として明確な意図のもとで味噌汁の椀が顕われている(ように思う)。


 “シャルル・ジョルダンのハイヒール”なんかと一緒にシジミやアサリの味噌汁が組み上げている“1Q84”の作品世界がいじらしくって、素敵なバランスだな、と思うんです。他愛のない事なのでしょうけれど、なんか嬉しいから書き残しておきます。



(*1):「1Q84 BOOK3〈10月-12月〉」村上春樹 新潮社 2010
   第3章(天吾)みんな獣が洋服を着て 57頁
(*2):第21章(天吾)頭の中にあるどこかの場所で 447頁

2010年6月1日火曜日

花めぐり~日常のこと~




 山桜もすっかり散り逝きて、こんどは色とりどりの花が我先にと咲き乱れる、そんな季節になりました。


 隣りに住まう老婦人は生け花の師範です。だから、この時期のお庭は植物園とも見まがうばかりの艶やかさで、僕のような無粋な男でもついつい心奪われて歩みを止めてしまうほどです。先日の訪問の際にもずいぶんと目の保養をさせてもらいました。


 強烈な色彩を矢のように放って寄越す鉄線(てっせんclematis)や都忘れ(China aster)に交じって、奇妙なかたちの花があちらこちらに立ち上がって見えます。これは何という花なのかと問うと、婦人はそんなことも知らないのかと幾らか呆れた顔ながら熱心に説明をして下さいました。日本名では“苧環(オダマキ)”と呼ばれているそうな。


 帰ってから調べてみれば、“苧環(オダマキ)”とは“麻糸を空洞の玉のように巻いたもの。おだま”とあります。機織(はたおり)の道具に糸を巻きつける四角もしくは六角形のものがありますが、その器具の名前でもあるらしい。また学名の方、Aquilegia(読み方はアクイレギア、アクレギアなど)の由来は漏斗(じょうご)や鳥の嘴(くちばし)から来ているようです。そのような多彩な連想を誘うような不可思議なかたちをこの花はまとっている。


 ウェブで見つけた説明文を引用します。──「姿・形  花は5枚の萼(がく)と筒状の花びらからなっており、がくの後ろ側には距(きょ)が角のように突き出ています。」(*1)


 大きな“がく”がぶわっと大きく開き、内側の花とで折り重なって満面の笑みを浮かべている。その笑顔の裏側には“きょ”が吹流しのようにシュルシュルと突き立っているのです。極めて立体的な構造になっていて、そのパーツのいちいちに隙間が生じているために華奢で不確かな感じも受けますし、また、本来バラバラにあるものが何か見えない磁力のようなもので、シュッ、と引き寄せられたような奇妙な錯覚ももたらされます。庭木や花に詳しいひとには何ら珍しいものではないのでしょうが、僕にはひどく新鮮でした。


 正直に書き記してしまえば、(もともと華にはそんな性質があるのだけれど)密やかな男女の房事を障子の隙間から覗いてしまったような、そんな妖しい発光が目の奥に宿りました。二重になった“がく”と“花”が積極的にあるイメージを招き寄せるわけですが、加えて宙空にすらりと伸びた“きょ”が寝台にて入り違いに重なる二対の脚に見えてしまい、気持ちを揺さぶる訳です。きわめてエロティックな形を具えています。


 僕のそんなハシタナイ妄想は、婦人の説明を背中に受けてさらに勢いを得ます。このオダマキは繁殖力が旺盛なのよ。こちらの塀沿いに赤、こちら側に白とこんなにも離して植えておいたのに、ほら、ここに生えているでしょう、赤と白と色を交えたのが。どんどん交雑して増えていくのよ。


 惑ってばかりの僕のような人間は、現実を忘れてふわり浮遊を始めてしまうのでした。白い陽光を全身に浴び、また蒼い月の光に染まりしながら、あの異様な肢体を具えた花が盛んに交雑を繰り返していくことを想うと、素直に驚嘆し、胸打たれるものがあるのです。


 生きるということの根幹にあることは、そんな原初的な勢いなのでしょう。遮二無二生きていく。こころと身体を深く重ねて子孫を産み育てていくことの、オダマキのほとばしるような “生きていく勢い”に圧倒されてしまうのです。


 花の名前とその由来、花言葉、花弁の色かたち、甘ずっぱい匂い──。そんなことにはこれまで一切執着しなかったのに、最近は立ち止まって凝視する時間が増えています。加齢や生活の諸相の変化が、これまでとは違った切り口で世界を捉え直させようとしている。十年周期で細胞は入れ替わると言われますが、僕がもう一人別な僕になろうとしている、そんな感触が少しありますね。

 物言わぬ植物や花に共振し、そこに人生を重ねようとする。動物の時間から植物の時間へと針が進んだのかもしれません。







 例えばこの前の日曜日だったのだけれど、友人の薦める山奥の湖に独り車を駆って遊びに行ったのですが、そこでも植物はこれまで以上に雄弁となって僕に囁くものがありました。頭上に浮かんだ雲が落とした影によって少しずつ変幻する湖面の、静謐で繊細な色合いにうっとりしつつ、また、カーステレオから悠々と流れるエリック・サティに全身を包まれての、誰にも気がねしなくていい小旅行は生きる歓びを強く認識させてくれたのだけれど、ハンドルを操作しながら気になって気になって仕方ない「色」が時折視界に飛び込んでくる。




 劇場の緞帳のように四方を遮る緑色の木立のなかに、ぽつりぽつりと野生の藤(フジ)が咲き誇っているのです。その紫の色がしきりに僕を手招きする。ゆらゆらと車を路肩にとめて、僕は野原を踏み分けて近づくことになります。小川沿いの、幾らか陽射しの強い場処でした。細い枝を左右に広げた藤が一本佇んでいて、数珠繋ぎになった紫の花弁をたくさん頭上から落としている。

 それは森の奥の小川で水浴する美女に出逢った旅人のような塩梅であって、夢のなかをさ迷う心地なのでした。 こういう非日常の一刻は嬉しいですね。








 しかし、それ以上に面白いと感じたのは藤の生き方の別な局面です。杉なのか檜なのか、天を衝いて伸びる巨木に藤が寄り添い、蔦を絡めて一心同体となっている。藤の花びらの紫は雄々しい緑の枝葉をくまなく飾り付け、まるで一本の木がすべて紫に染まったようなものさえ在る。

 まったく異種の、男とおんな以上にも違ったもの同士が絡み合い、風雪を耐え抜き、同じ雨に打たれ、同じ虹を見上げ、同じ鳥のさえずりを聞きながら、大いなる何かに与えられた宿命を懸命に明日へと繋いでいます。






  土底から吸われて上へ上へと駆け上っていく樹液のあえかな流動音を、彼らはひっそりと感じ合っているものだろうか。運命共同体となりながらも自律した仲なのか、それとも依存する依存された間柄なのか。互いを重たく感じるものだろうか。その重みは歓びだろうか、それとも苦しみが伴なうものだろうか。



  人とひとが出逢い、会話し、同じ歳月を過ごしていくことの不思議をその巨木と藤の、肌と肌を重ねる様子に二重写ししながら、感慨深くしばし見上げてまいりました。





  いい休日でしたよ。


  下の写真はトコロ変わって、現在改修中の東京駅です。屋根が完全にスケルトン。鉄骨を組み変えての大仕事ですね。第二東京タワーもいいけれど、これって実は凄いもの、百年に一度の光景を目撃してるのかも。こちらも有意義で忘れられない生きた時間でしたよ。




(*1): http://www.yasashi.info/o_00001.htm