2010年12月30日木曜日

石井隆「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」(2010)~層が交互に重なって~


今秋10月に公開された石井隆(いしいたかし)さんの映画(*1)のなかに、巨大な石切り場が登場していました。僕たちの五感はなんとなく大きな建築物に対し麻痺したようなところがありますよね。高層ビルディングが身近にそびえ、日々テレビジョンを通じて雲を突き破らんばかりの鉄塔を見せつけられる世の中です。しかし、この映画で映し出される場処(劇中“ドゥオーモ”と呼ばれる)は、つい身を乗り出させる強烈なものがみなぎっていました。奇観にして壮麗、空虚にして厳粛、またずいぶんと不思議なところを見つけたものです。


天井までの高さが30メートルにも達するこの狂気じみた空洞は、当然ながらどこもかしこも同質の岩で成り立っています。さまざまな要求(効率性、防燃性、見栄え、そしてもちろん経済性)に応える余り、複合素材が骨やら肉やら血管のように絡み合う現代建築に慣れ切った僕の目には、もうそれだけで衝撃がありました。


加えて陶然としてしまうのは、広い天井を支えて見えるいくつもの柱です。いや、柱という概念を超えた厚みと大きさであって、けれど“壁”とも言い難く、独特の存在感を主張してあちらこちらに佇立しています。禍々(まがまが)しいというか霊的なものを想起させる面体(めんてい)をしている。石井さんは神や仏を前面に据えた劇を作らない人なのだけど、作り手の深意はどうあれ宗教的空間としての起動はもはや避けがたく、柱の手前で繰り広げられる陰惨な行為の数々が否応なく祭祀的な光彩を帯びていくのです。一見の価値ある迫力の映像です。


映画のなかでは味噌も醤油も見当たりません。いや、台所に確かPET容器に入った醤油が置かれていたような──まあ、いいでしょう。特別な思いは託されてはいません。ここで取り上げた理由は石切り場の生い立ちが“ミソ”と関わりがあるからです。以前訪れた砕石に関する道具や資料を展示する場所で、次のような展示プレートが飾られていて吃驚しました。ちなみにその資料館はかつて採石場だった場処を改装した作りになっています。


ミソの層 

この坑内は、下図のようにまず垣根掘りで山に横穴を掘り、そこから

平場掘りで柱を残しながら地下を掘り進めました。(中略) 

きれいな石の層と、「ミソ」と呼ばれる茶色の塊を含む層が交互に重なって

います。上記の採掘法をとることにより、ミソの層を残し、きれいな

石の層だけを採掘できるようになりました。現在地はきれいな石の層の

採掘跡で、天井にはミソが確認できます。


斜面の腹にまず穴を穿ち、そこから採掘を開始します。横に横にと掘っていくと見た目に良くない石の層(ミソと呼ばれる部分)にぶつかります。その部分は商品価値が低いので掘らずに残して迂回し、きれいな石の層だけを掘り進めていく。横に掘り切ったら、今度は下へ下へと掘り下げるのですが、ミソを含んだ部分は層となって集中していますから、先に迂回した箇所のその下にも同じようにミソが大量に眠っていると考えられるわけです。結果的にまたもや迂回して残されていく。


だから、この洞窟空間の成り立ちは徹底して上から下であって、地上から地下へ延々と掘られ続けた結果なのです。大きな柱と見えたのはミソを避けた部分の集積である訳ですね。一層二層と掘り下げるに従い、同じ箇所のみ放っておかれた結果、そこが柱のように見えていく。通常柱は下から上へ伸び上がって天井を支える役割を果たすのだけど、ここでは氷柱(つらら)のように下へと伸びたのが実際のところ。日ごろ見慣れた建築技法とは真逆の進みようで、想像すると眩暈を起こしてクラクラします。もちろん天井を支える役割を担ってもいるのだろうけれど、迷路のような回廊の生い立ちにミソが関わっていた、というのはちょっと愉しいですね。


映画のスチールに目を凝らせば、竹中直人さんや佐藤寛子さんの駆け回る背後の白い壁に、手の平でずりずりとなすり付けられたような赤い帯が走っているのが確認出来ます。血痕のようなあの印象的な筋こそが“ミソ”だったのです。


明治期から黙々と過酷な労働にいそしんできた職人たちが“ミソ”をどのような思いで見てきたものか。金にならない無駄なものとして苦々しく見ていたのか、それとも“クソ”と呼ばないだけ愛着があったものか。それはよく分かりません。きっと良い思いを抱きはしなかったことでしょうね。


彼らは芸術を意識した訳でもなく、祝祭空間を神に献じた訳でもありません。家族を養い、日々の糧を得るためにヘトヘトになって働いていただけです。しかし、その結果としてこのような壮大な空間が後に遺されていき、訪れた今日(こんにち)の人の目を釘付けにしていく。機械化が十分でなかった頃から毎日数十センチメートルずつ掘り進められていき、ここまでに至った空間には畏怖を、そして先人たちへの尊敬の念を深く抱くばかりです。


仕事であれ、家庭であれ、それに愛情であれ、総じて人の営みとは似たり寄ったりの成り立ちのような気がしています。何かを為し遂げようと遠大な計画を胸に抱いてみても、毎日のそれは大概地味でほんのちょっとの採掘に過ぎない。ミソにぶつかれば悔しいかな無理な迂回も余儀なくされて、汗のみ流れるばかりで実入りはない。


下に下に掘り進めば、切り出したものを上に運ぶ手間も増えるばかりだし、いよいよ地中に潜っていって濃い闇に包まれるばかり。崩落の恐怖もふつふつ沸いても来る。けれども、ふと振り返って見て、ようやくそこで自分の道程がなし得た結果に驚く。


振り返った場処に広がる空洞を虚しいと見るか、それとも充実と見るか。もはや価値のない廃坑と見るか、それとも魂のことを語るカテドラルと見るのか。僕は後者であると信じたいですね。


間もなく新しい年の幕開けです。さらに洞窟を素晴らしい息吹で充たしていきましょう。

どうか良い年をお迎えください。


(*1):「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」 監督 石井隆 2010 

2010年12月29日水曜日

宮迫千鶴「味噌とジェーン・バーキン」(1995)~お前のことが思い出される~



「祖母の家の、地下の物置の奥に、味噌が入った甕(かめ)が

いくつもあった」という電話が、田舎に住む従姉妹から入ったのは、

祖母が亡くなって数年後のことだった。(中略)

祖母はそういう死の準備のあいまにも、いつものように味噌を

仕込んでいたのだろうか。死にゆくことと、明日の食べ物とを

同じように思いわずらっていたのだろうか。(*1)


天候が崩れるその前に挨拶回りを終えておかなきゃと思い、背広を羽織ると車を駆って外に出ました。ドアホン越しの笑顔と口上、玄関での世間話と如才ない健康談義が続いていきます。出掛けには腰がずしりと重たかったものだけど、ひとかどの人たちとこうして直に顔を合わせて生の声を聞けることは嬉しいし、やはり有り難いものです。人間は群れなして生きるものであり、挨拶というのは本源的な歓びに結び付いているのでしょうね。じんわり勇気付けられるところがありました。


それにしても一年が早いです。昨年の今ごろに踵(かかと)揃えて同じ玄関の三和土(たたき)を同じように踏みしめ、似た笑顔と会話を交わしたときの映像がありありと脳裏に蘇えってきて、目の前の光景とぶわぶわの二重写しになるみたいでした。濃厚なデジャ・ビュに魂が持って行かれる、あの感じです。つい先日のような既視感があって、ちょっと薄気味悪いというか奇妙な具合です。歳を取るってこういう事でしょうか。


ぼちぼち官公庁や工場は仕事納めとなり、なんとなく街は緊張がほどけた雰囲気です。渋滞もかなり減ってきたし、前後左右の窓越しに覗く表情どれもが柔和に見えます。白い陶器に盛られた半熟玉子みたいに崩れ霞んでぼんやりした風情。疲れもそろそろ出て来たせいでしょう。皆さん、おつかれさまでした。


これからも休みなく働かれる人もおられるでしょう。こころから「ごくろうさま」。僕も元日以外はあれこれと有りそうで、仕事場への日参を余儀なくされます。着飾った人に混じっての年末年始の勤務というのは決まって侘しいもので、塩味の効いて切ないものが胸にどっとたぎりますが、ひと息ぐいと呑み込み、もうちょっとだけ励んでまいりましょう。


さて、上に紹介したのは宮迫千鶴(みやさこちづる)さんのエッセイ「味噌とジェーン・バーキン」の冒頭とやや中盤寄りのところからの抜粋です。目次にも奥付にも何も見当たらないところからすれば、当時単行本のために書き下ろされたものでしょう。

新聞や雑誌で絵画展や新作映画に対する評論、新刊書をめぐる書評などを読むといかにも宣伝っぽい内容のものが目に止まって鼻白むことがありますが、同様のものがこの本からはわずかに薫って来ます。味噌に光を当てて礼賛しまくる主旨の本みたい。著名なひとがぞろり寄稿しているのは壮観この上ないけれど、ちょっと呈味(ていみ)が単層で乏しいと言うか、メリハリがないというか、行間に寄せ返すものが見当たらずにずっと凪(な)いだままの印象が気になります。ぽってりと曖昧な感覚が読後に残ってしまうのです。


その中にあって宮迫さんの文章と、もう一篇、久世光彦(くぜてるひこ)さんの書かれたもの (*2) は異彩を放って面白かった。両者とも“味噌”と“糠床(ぬかどこ)”を混同しておられるのがご愛嬌ですが、褒め言葉と責め言葉が入り混じって一方的に持ち上げることはない。バランスがいいんですね。味噌(久世さんは明らかに糠味噌)を主軸に据えながらも、家族や恋人との愛執や別離を怖じることなく赤裸々に語っています。割り切れないひとの想いがそっと(糠)味噌に投影されていて、味わい深い短編映画を見るようです。


「同封のジェーンはお前と同じ年である。

お前のことが思い出される」

そのページには、いつものように野性的で飾り気のない

表情をしたジェーン・バーキンの写真と、彼女の言葉が載っていた。

そしてその言葉に、父が引いたと思われる赤いボールペンの

サイドラインがいくつかあった。

「子供とは一生のつき合い」

「娘たちが自由に生きている姿を見るのは私の夢。

死ぬことさえなければ何をしてもいいと思ってる」

「心も外見も“偽装”するのが嫌いな彼女」

 病床で引いたその赤い線はどことなく力がなかったが、

それらはバーキンの言葉を借りた父からのメッセージだった。(*1)


宮迫さんの回想は味噌の入った甕(かめ)の発見から始まって祖母の思い出、祖父の思い出に連結していき、ガンに侵されて病床に伏せる父へと移動し、さらに病院の彼から届けられた郵便封書に跳躍していき、手紙に添えられていた雑誌の切り抜きにやがて焦点が絞られていきます。

切り抜きは女優にして歌手でもあるジェーン・バーキン(*3)さんの記事であって、彼女の言葉が最後にいくつか引かれていく。すると、連綿と続く生命のバトンを受け継ぎ、今まさに人生の潮流で懸命に泳いでいる最中の宮迫さん自身をその言葉たちが優しく照らし出していくのでした。回想に次ぐ回想を経て繋がるのは脈絡のないフラッシュバックでなく、実は血族の在り様なのです。


僕にとってバーキンさんの決定像はアントニオーニの映画(*4)でもなく、オサレなバッグでもなく、パートナーであるゲンズブールさんとの有名なデュエットでもなく、音楽の素養に乏しい僕でありますから数々の唄でも残念ながらなくって、画家とモデルのせめぎあいと確執を徹底的に描いた二十年程前の映画(*5)に集約されています。人生の年輪をそっと刻んで、繊細さと胆力を内に極めた画家の妻役を、バーキンさんは見事に体現しておられました。明日を今日に繋げて生きていくことの酷さと素晴らしさが細い身体に凝縮して感じ取れて、モデル役を務めた女優さんの若い肢体と互角に張り合っており息を呑んだのです。


タイトルだけを見ると、まるでバーキンさんが味噌汁椀に対峙して大きなお口をへの字にしたり、はたまたこれはしたりと艶然と笑顔を向ける、そんな場面が浮かんで来ます。なんか宮迫さんに上手く騙されたような感じだけど、幾度か読み返してみると多層な味と香りが口腔に拡がっていくようで、僕はこれはこれで興味深い“味噌エッセイ”だと受け止めているのです。グラビア越しに送られるバーキンさんの、それは僕にはあの映画の彼女なのだけど、重く成熟した目線も含めて祝福されているように感じるのです。


深い回想へと導き、ひとから人へ寄せられていく想いを丁寧に掘り起こした上で、咀嚼し消化するのを手助け、生きる糧と成していく。二代三代と世代を跨いで食べられていく味噌なればこそ、その引き鉄(がね)となって悠々と機能し得ているのであって、他にどんな食べ物が代われるとも思えない。味噌が具えている特異で幸福な立ち位置を、よくよく酌みとってみせた佳品であったと思います。


(*1): 「味噌とジェーン・バーキン」 宮迫千鶴 「みその言い分」 マガジンハウス 1995 所載 
(*2):「過ちでもなく、悔いでもなく」 久世光彦 上記単行本に所載 “糠味噌”じゃなかったら別に紹介するんだけどなあ。 
(*3): Jane Birkin OBE 
(*4): Blowup  監督 ミケランジェロ・アントニオーニ 1966
(*5): La Belle noiseuse. Divertimento 監督 ジャック・リヴェット 1991 最上段の写真も
 

2010年12月27日月曜日

吉行淳之介「怖ろしい場所」(1975)~いいことがあるの~




 朝飯は茶の間に用意されていた。味噌汁のほかに、生卵が

一個と焼海苔が添えてあるというような、当たり前の食事である。
 
最初の日は、女が傍にいて飯のおかわりをよそってくれた。

薄い白い膜のかかっているようにみえる眼で、黙ってじっと

羽山を見ている。(中略) 十日ほど経った朝、茶の間に降りてゆくと、

卓袱台(ちゃぶだい)に茶碗が二つと吸物椀が二つずつ置いてあった。

箸を見ると、一つは羽山の使いつけのものである。

「今朝は、あたしもご一緒しますわ」

と、女が言った。(中略) 不美人とはいえない。むしろ目鼻立ちは

整っているといってよい。ただ、全体が澱んでいる。

「よろしいでしょう」

念を押すように、女は言って、卓袱台の前に座った。吸物椀をとり

上げて、ゆっくりと味噌汁をよそった。
 
薄く切った四、五片の胡瓜(きゅうり)が、味噌汁の上に浮かんで

いる。胡瓜の味噌汁を食べるのは、はじめてのことではない。

冬瓜(とうがん)のようなはかない味がする。

「夏のあいだに、一度はこれを食べておかなくてはいけないわ」
 
椀を口の高さに持ち上げ、湯気のむこうで細く眼を光らせて、女は言う。

「なぜです」

「こうしておけば、いいことがあるの」

初耳のことだったが、どこかの地方での習慣かもしれない。

「いいことって、どういう」

「…………」

「つまり、夏負けしない、とかいうようなことでしょう」

「それもあるけど、いいことが……。だから、今朝は

ご一緒させていただいたのよ」

厭な予感がしてくる。(*1)


ちょうど厄年といいますから、42歳になったのらしい“羽山”という小説家が主人公です。夜の銀座をそぞろ歩き、面貌、性格の異なる女性たちを花に見立てて蝶みたいに翔んで回る。吉行さんらしい元気なお話ですね。「やっぱり、女とのつき合いは、ほどの良いのが結局のところは楽だ」(*6)と考え、「稀に、両方の心に相手にたいする興味が動くことがある。そういうとき、その女にかかわり合いを持つとどうなるか、だいたい見当が付く」(*7)。
 

情が移っていくことを警戒して「ニヒルを決め込む」(*4)ことに決め、「女の部屋に入ったことがない」(*3) 。「これまでは、おおむね無難に過ごしてきた」(*7)──そんな男が羽山です。「部屋には、台所があるし、その女の生活している日常的な気配が漂っている。そういうものは沢山だ」(*3)そうです。末尾の解説によれば、わが国を代表する経済紙を飾った連載小説だとか。時代だな、と思います。


物語自体は巧妙な造りをしていて楽しく読み終えました。上記に引いたのは羽山が小説家に転進するずっと前の若い時分、民家の二階に下宿していた折の回想です。大家は羽山と同年輩のおんなで、一階に独りで寝起きしています。それが女郎蜘蛛のようにして初心(うぶ)な羽山にずり寄っていく。ぼわぼわと妖しげな光を放つ“食べもの”が続々と給仕されていき、笑えるけども実に怖い描写になっている。


恋情や欲情に付随して“食べもの”が面持ちを変えていくことは往々にしてあり、卑近な例をあげれば手作りのケーキやチョコレート菓子、弁当が極端な変幻を遂げることがありますが、これをもっとエスカレートさせた展開が羽山を襲撃して大いに笑わせてくれる。最後まで僕は物語世界に踏み込めず、男たちや彼らと関係を持つおんなたちに気持ちを預けることはならなかったけれど、“食べもの”の、さらには“味噌汁”の描かれ方はなかなかの味があり感心することしきりでした。 “こころ”と直結していて堂々たる面立ちです。


こんな場面もあります。こちらは現代(七十年代)の東京。


「とにかく、めしを食いながら話を聞くことにしよう」

二人は、銀座にある馴染みの関西料理店に入っていった。

日本料理のコースは、つき出し、刺身、吸物、焼物……、

とすすんでゆく。刺身を食べおわったとき、川田が註文した。

「赤だしをください」

「それは最後でいいんじゃないか。白子の白みそ椀くらいが

いいとおもうがなあ」

羽山がそう言うと、川田は首を横に振って、

「でも、赤だし」

「料理の順序はどうでもいいようなものだけどね、

なぜ赤だしを急ぐんだ」

羽山はふしぎな気がして、たずねた。

「はやくまともな味噌汁が飲みたいんだ」

「なぜ」

川田は言い淀んだが、

「今朝、ひどい味噌汁を飲まされてねえ」

「どんな」

「どんなって、まるで塩水を生ぬるくしたみたいな……」(*2)


経理一切を任している会計士にして親友である川田が、会食の席で羽山に対しこっそり打ち明けています。薄気味の悪い味噌汁を毎朝飲まされ続けている事実。浮気を疑う川田の妻がじめじめと変調していき、日ごと夜毎の料理がグロテスクさを増していくのです。とても怖くて忘れられない味噌汁がざぶりと盛られ、ゆらゆらの湯気の向こうでおんなの瞳がじっと男を見据えている。


「不機嫌な気分で料理したものは不味い」(*5)ものと羽山は論理的に解析してみせるのだけど、僕ら読者とすればもう理屈で納得出来るものじゃありません。口腔や鼻孔に気色の悪い違和感がむにゅむにゅと広がって、ひいっ、げえっ、と悲鳴も洩れる瞬間です。なんとも凄絶な味噌汁があったものです。




人が人を愛することは尊いことですが、時に盲動が加速して止めようがなくなります。その逆もしかり。人が人を疑いはじめると五感が狂っておかしなことが続発する。確かにそうかもしれませんね。いわんや殺気立ち、忙殺される年末においてをや。お互い気を付けましょう。


これが今年の締め括りかしらん。皆さん、どうか善い年をお迎えください。こころ穏やかに、新しい真白い蝋燭のぼうっと灯るみたいにしゃんと立って、キンと冷え込む夜気のなかを元気にしっかりお歩きください。滑って転ばないように。


来年も楽しく語り合えることを、心から願っております。



(*1):「怖ろしい場所」 吉行淳之介 初出は「日本経済新聞」(夕刊)の連載小説 1975(昭和50年)1~8月 手元にあるのは新潮文庫版 6刷 1979のもの。以下の頁数はこれによる。70-72頁
(*2):96-97頁
(*3):208頁
(*4):222頁
(*5):307頁
(*6):315頁
(*7):214頁

2010年12月24日金曜日

泉鏡花「眉かくしの霊」(1924)~魔が寄ると申します~



「裏土塀(うらどべい)から台所口へ、……まだ入りませんさきに、

ドーンと天狗星(てんぐぼし)の落ちたような音がしました。

ドーンと谺(こだま)を返しました。鉄砲でございます。」

「…………」

「びっくりして土手へ出ますと、川べりに、薄い銀のようでござい

ましたお姿が見えません。提灯も何も押っ放(おっぽ)り出して、

自分でわッと言って駈(か)けつけますと、居処(いどころ)が少しずれて、

バッタリと土手っ腹の雪を枕に、帯腰が谿川の石に倒れておいででした。

(寒いわ。)と現(うつつ)のように、(ああ、冷たい。)とおっしゃると、

その唇から糸のように、三条(みすじ)に分かれた血が垂れました。

 ――何とも、かとも、おいたわしいことに――裾(すそ)をつつもうと

いたします、乱れ褄(づま)の友染が、色をそのままに岩に凍りついて、

霜の秋草に触るようだったのでございます。――人も立ち会い、抱き起こし申す

縮緬(ちりめん)が、氷でバリバリと音がしまして、古襖(ふるぶすま)から

錦絵(にしきえ)を剥がすようで、この方が、お身体を裂く思いがしました。

胸に溜まった血は暖かく流れましたのに。――(*1)



記念館の解説ボランティア(確かMさんと仰られたはず)に「白鷺(しらさぎ)」の幽霊の鮮やかさ、淋しさを諭されて俄然興味が沸いてきて、「新鑿(しんさく)」「尼ヶ紅」「貸家一覧」「吉祥果」「国貞ゑがく」「紫手綱(むらさきてづな)」、そして、前述の二作と読み進んでまいりました。


流麗そして哀憐、ときに猟奇に色づく泉鏡花(いずみきょうか)さんの創作宇宙。物語を追うにつけ、こころの奥にまどろむ炭火にふっと息を吹き込まれた具合になります。ぼうっと胸底が熱くなり、一杯の水を渇するがごとく次の本を手に取ってしまう。


──本来そういうのって、十八前後の若い時分の状景でしょうね。折り曲げた両腕をふっくら優しい胸もとで交差させ、鏑木清方(かぶらぎきよかた)さん装丁の「鏡花全集」、古色滲ますそのうち一冊を後生大事といった感じにひしと抱え込んでキャンパス内を闊歩する、そんなうら若い娘さんたちの姿が目に浮かびます。


僕みたいな風体の者が読んで語っていくのは、だから相当にずれた行為かもしれない。けど、なんだろう、この齢になったればこそ深々と胸に迫る場面もあって、また実際に励まされもしたのです。おどろおどろした妖怪ものも見事だけれど、そこに合縁奇縁、愛執染着(あいしゅうぜんちゃく)の横糸がなよやかに絡んでいくと、もう駄目です、とても逃げられない。


読書や映画、絵画に風景、それに“人”もそうかもしれないけど、邂逅といったものは不思議と訪れるべきときに訪れるように見えます。ある一篇なんかは誰か、いや、人知の及ばぬ“ナニモノカ”からの僕への伝言にさえ想えてしまい、わんわん響いて今も余韻に浸っています。“運命”や“宿命”という想いは判断を曇らせ、妙な水域に流されてしまう危惧もあるけれど、そういった不思議な導きはきっと誰もが感じるものでしょう。勇気付けられる一瞬だし、ほんとうに嬉しいものです。守護されている、今がそのときという気分。──読めて良かったとしみじみ思いますね。


さて、上に引いたのは「眉かくしの霊」の終幕間際の部分。お艶というおんながひとりうらぶれた村にやって来ます。愛する男(これがヘタレでどうしようもないのが、よりおんなへの哀惜を誘うのです)の汚名を晴らそうとするのだけど、想うところあって村の古池の淵に住まうという、得体の知れぬ妖女“奥様”の面影を真似た化粧にいそしむのでした。それが祟って猟師の村人に撃たれてしまい、哀れ悲願果たせず死んでいくところです。


 撃ちましたのは石松で。――親仁(おやじ)が、生計(くらし)の苦しさから、

今夜こそは、どうでも獲(え)ものをと、しとぎ餅で山の神を祈って出ました。

玉味噌(たまみそ)を塗(なす)って、串にさして焼いて持ちます、その握飯には、

魔が寄ると申します。がりがり橋という、その土橋にかかりますと、お艶様の方では

人が来るのを、よけようと、水が少ないから、つい川の岩に片足おかけなすった。

桔梗ヶ池(ききょうがいけ)の怪しい奥様が、水の上を横に伝うと見て、パッと

臥打(ふしう)ちに狙いをつけた。俺は魔を退治たのだ、村方のために。と言って、

いまもって狂っております。――(*1)


 山の神に捧げることで狩猟の無事と成功を祈る“餅”がおもむろに登場しています。間もなく家のあちこちで始まるだろう本格的な樽仕込みに備えて、軒先にぶらぶら吊るされていたものでしょうか、糀(こうじ)菌が薄っすらと表面を覆っていたかもしれぬ“味噌玉”が手元に引き降ろされ、餅の白い肌をぺたぺたと茶に汚していく。さらにはずいずいと串に刺し貫かれて火にあぶられていきます。ところどころ無残に焼け焦げたそれが、結果的に魔物(神)を招来してしまう。


 化け物に相違なかろう“池の奥様”の面相をおんなが真似たは戯れではなく、おののかせると同時に人を圧倒し感動もさせていくその美しさと神々しさをなんとか借りて、自分と愛する者の将来のために一世一代の勝負に出ようと必死だったからです。(化粧という行為が本来秘めている原初的、祝祭的なものが強調されてもいますね。)偶然か必然か、“食の呪(まじな)い”によって今やナニモノカに支配された男の銃口に倒れ、“化粧の呪(まじな)い”を施したおんなはすすっと血を吐いて事切れていく。二通りの呪術が闇夜に激突している。凄絶な展開です。


 神仏を表わす石塔、石像に味噌を塗りつけることで平穏安泰を願う風習が、そう多くはありませんが日本各地に残されています。七五三の千歳飴、正月の鏡餅、三々九度の盃、冬至かぼちゃ──。思えば食べ物と呪術はとても近しい間柄にあるのですが、現代に生きる僕たちはもうほとんどその効果を信じておらず、形骸化した慣習となって悪戯に目前を過ぎていくばかりです。


 僕のなかでも同じであって、味噌に呪術的な色彩を覚えることは終ぞありませんでした。鏡花さんのこの悲恋物語で土着的な荒々しさを体現した“味噌玉”が突如現われ、魔物を招呼して、懸命に生きてきた、生きていこうとするおんなの息の根をずんと止めてしまったその悪役ぶりとまがまがしさに心底息を呑んだのでした。


 幽玄の世界と現実の境界にここでの味噌(玉)は佇んでいて、これまでとは違った灰色の影をまとっています。とても刺激的な登用であったと思うのです。だってどうです、もはや僕たちの生活を飾る味噌汁は無表情ではいられない、そんな風じゃありませんか。なんとなく椀の中からじっとこちらを見上げて、僕たちの気持ちをまさぐっているみたい。味噌汁とは、もしかしたら相当に怖いものかもしれません!


 あ、今夜は聖夜ですね。ワインやスープが食卓を飾るのでしょう。きっと味噌汁の出番はないでしょうね。メリークリスマス、みなさん穏やかで暖かい夜を。善きナニモノカを身近に呼び寄せ、こころ静かに楽しくお過ごしください。


 いい夜を。


(*1):「眉かくしの霊」 泉鏡花 1924 僕が読んだのは集英社文庫版
   写真はこちらの方のブログから拝借しました。勝手にごめんなさい。
http://www.ktmchi.com/2005/1204_05.html

2010年12月16日木曜日

泉鏡花「歌行燈」(1910)~ぎゃふんと参った~



「……上旅籠(じょうはたご)の湊屋で泊めてくれそうな御人品なら、

御当家へ、一夜の御無心申したいね、どんなもんです、女房(おかみ)さん」

「こんなでよくば、泊めますわ」

と身軽に銚子を運んで寄る。と亭主驚いた眉を動かし、「滅相な」と帳場を

背負(しょ)って、立塞(たちふさ)がる体(てい)に腰を掛けた。

いや、この時まで、紺の鯉口(こいぐち)に手首を縮(すく)めて、

案山子(かかし)の如(ごと)く立ったりける。

「はははは、お言葉には及びません、饂飩(うどん)屋さんで泊めるものは、

醤油(おしたじ)の雨宿りか、鰹節の行者だろう」

呵々(からから)と一人で笑った。(*1)


「高野聖(こうやひじり)」といっしょに本(*2)に収まっていた泉鏡花(いずみきょうか)さんの「歌行燈(うたあんどん)」。その中から序盤の一節です。三味線片手に家々を門付けして歩く男が、宿場町の一角の夫婦ふたりで細々と商っている饂飩屋で暖を取っています。手持ち無沙汰のままに夫婦をからかったりしますが、実は内心穏やかではありません。直前にすれ違った人力車の客にはっと驚き、気持ちは過去へ過去へと溯っている最中。


愁いを帯びた声とどこか陰影を含んだ男の面立ちに店の女房はすっかりのぼせてしまい、冗談を真に受けて一夜の宿を提供しようとする始末。夫は気が気でありません。懸命に断りを入れる慌てた様子に男は笑い、饂飩屋に出入りして雨風をしのぐのは食材の一部である醤油と鰹節が関の山であり、人間の自分は泊まるつもりなど毛頭ないのだと打ち明けている。

ほどなく“醤油”は再登場。次の箇所。


「そないに急に気に成るなら、良人(あんた)、ちゃと行って取って来(き)い」

と下唇の刎調子(はねぢょうし)。亭主ぎゃふんと参った体で、

「二進が一進、二進が一進、二一天作の五、五一三六(ごいちさぶろく)

七八九(ななやあここの)」と、饂飩の帳(ちょう)の伸縮みは、加減

(さしひき)だけで済むものを、醤油(したじ)に水を割三段。(*3)


日もとっぷり暮れて宿場町のあちらこちらでは芸者をあげての宴がたけなわ、呑めや唄えの喧騒のなかで饂飩屋へも出前の注文がぼちぼちと入って来る。色男と女房を二人きりにして店を開けるのが心配で心配でしょうがない夫は、売掛金の確認をそわそわと始めたりして女房の気持ちを離そうと必死です。うるさいわね、と一喝されると、醤油の薄め方は水一に対して幾らだったかしらんと脇でごにょごにょつぶやき、火照るおんなのこころに水を注そうと涙ぐましい振る舞いです。


鏡花さんの文章がなかなかの味、いい調子。それに意地悪でない。愚直な店主を笑い者にしているけれど、人気ある喜劇役者をうまく盛り立てる風で腹黒さが臭って来ない。だから気の利いた小道具然として醤油も明快なままあって、きれいに劇中で踊って見えます。


こころの芯にちろちろ這い出す恋情の焔(ほむら)をパタパタとはたき消していく、そんな役割を醤油は担っているようにも見えます。欲望や観念からの覚醒を押し進める役回りは他の小説にも散見できること。時代を越えて似た趣きは偶然のようでもあり、必然のようでもあり──。少なくとも恋の成就に手を貸す者ではないけれど、ちょっと小粋な客演でした。


物語の顛末はと言うと、これは典型的な運命悲劇。各人各様に背負っている過去が哀しい調べを奏で始めます。飄々とした幕開けでしたがあれは全く違う作品ではなかったかと思わせるほど内容は一変し、急に険しさを増していく。死人が出、凄惨な苦界が眼前に広がり、冷たい風と波が人を弄んで止みません。昏い情景を幾幕か挟んだ後、符号が次々と照らし合い重なって、やがてうねるようにして感涙むせぶ大団円が訪れる。


感謝に打ち震え手に手を託して輪となっていく屋内のまばゆさから、そっと外れて路傍に横臥し生命燃え尽く者もいる。残光がうすく尾を引くような余韻もまた見事で、まるで上質の映画か劇画を目撃しているような読後感がありました。




さてさて、いよいよ歳末となり平成の二十二年も終わろうとしています。代を継ぎ、舞台をかえて、実際の僕たちの暮らしには容易に幕は下りません。生命ある限りはいやおうなしに続いてしまう。小説のような大団円は夢のまた夢。


しみじみと想い馳せれば、僕の周りのあの人もこの人も実に色彩豊かで得難い才能と気性、心根の持ち主だと感心します。そのような人たちと知り合えて本当に良かったと思っています。どうか皆さん、怪我なく元気にこの年末をお過ごしください。


僕は脇役で皆さんは主役、立ち位置や照度は違うかもしれませんけど、同じ舞台で共演し続けられることを心から喜び、願ってもいます。幕下りるまで一緒に過ごしていきましょう。温かくしてお過ごしください。


(*1):「歌行燈」 泉鏡花 1910 (下記文庫)194頁
(*2):「歌行燈・高野聖」 新潮文庫 僕の手元にあるのは2009年の77刷 
(*3):同196頁 
最上段の画像は1960年の映画より。監督 衣笠貞之助 市川雷蔵 山本富士子
観たことはありませんが、人工的で華美な配色に惹かれます。

2010年12月10日金曜日

泉鏡花「高野聖」(1900)~居心のいい~



「さて、それから御飯の時じゃ、膳には山家(やまが)の香の物、

生姜(はじかみ)の漬けたのと、わかめを茹(う)でたの、

塩漬の名も知らぬ茸の味噌汁、いやなかなか人参と干瓢どころ

ではござらぬ。

 品物は侘しいが、なかなかの御手料理、飢えてはいるし、

冥加(みょうが)至極なお給仕、盆を膝に構えてその上に

肱(ひじ)をついて、頬を支えながら、嬉しそうに見ていたわ。」(*1)


 なるほど、百万石の城下町だけのことはあります。古都金沢をはじめて訪れた際、気持ちが洗われる事しきりでした。重厚な町並みと悠々たる史跡群がとても目に映えて、歩いていてとても爽快でしたね。再訪が許されるなら真っ先に足を運びたい場処は、尾張町にある泉鏡花(いずみきょうか)さんの生家跡あたり。さっぱりとした風情の、けれど中身の詰まった記念館が建っています。


 幼少時分の鏡花さんを脳裏に描き、痩せた背中を追いかけるようにして細く曲がった坂段(“暗がり坂”そして“あかり坂”)を下って行く。やがて川沿いに広がる茶屋町の内懐(ふところ)にふわり降り立つその時の、気分の好さと言ったらもうたまらない。静謐な路地にとろりとした色香があふれて、何とも言えぬ雰囲気がありました。


 寺山修司さんの監督したもの(*2)や宮沢りえさんが出ていた映画(*3)の原作で知られた鏡花さんですが、僕には何より「夜叉ヶ池」(*4)、ですね。艶やかにして妖しげな霊気にすっかり捕縛された僕は、それこそ蛇に睨まれたカエルになって席を立てなくなりました。坂東玉三郎さんの演じた魔界の姫にノックアウトでしたね。あの頃の映画館は入れ替えも指定席もありませんでしたから、そのまま二度、三度と見入ってしまった記憶があります。後日テレビで放映されたものも録画して、飽かずに繰り返し観たものでした。懐かしいなあ、久しぶりに観直してみようかしらん。


 上に紹介したのは著名な「高野聖(こうやひじり)」の一節です。旅の途中で知り合った僧と言葉を交わす仲となり同じ宿に泊まることになった“私”は、寝物語に僧侶から奇怪な体験談を聞かされます。ずいぶんと若いとき、眉目秀麗でういういしかった頃のお話です。


 山で道に迷います。葉陰に潜んで待ち構える蛇や蛭(ひる)といった醜悪なモノにさんざ驚かされた末に、這う這うの体で一軒家に逃げ込みますと、そこを仕切っているのはひとりの美しいおんなでした。山の幸に彩られた夕餉が振る舞われ、心ばかりの歓待を受けるその様子が先の引用箇所ですね。素肌をそっと重ねていく夢幻の時間が過ぎていき、若い僧のこころは振り子のように揺れ動いていきます。しかし、おんなの正体は実は……。「夜叉ヶ池」にもどこか通じる幻想譚ですね。


 ここでの“味噌汁”は目の前にざっと並べられたおかずのひとつに過ぎません。特段の発色なり発光を味噌汁椀にだけ見出すことは難しい。それは他のおかずにも当てはまります。記録めいて淡々としている。では、意味なく列記されたのかと言えば、どうやらそうではないようです。ずらずら書かれた料理の献立には、妙な手触りが感じ取れる。


 ほかの鏡花さんの作品を読むと分かるのだけど、「高野聖」ほど食事の場景に傾注しているものは見当たらない。たとえばこんな件(くだり)も最初の方に出てきます。どうです、ちょっと粘っこい言い回しでしょう。


 亭主は法然天窓(ほうねんあたま)、木綿の筒袖の中へ両手の先を

竦(すく)まして、火鉢の前でも手を出さぬ、ぬうとした親仁(おやじ)、

女房の方は愛嬌のある、一寸(ちょっと)世辞の可(い)い婆さん、

件(くだん)の人参と干瓢の話を旅僧が打出すと、莞爾々々(にこにこ)

笑いながら、縮緬雑魚(ちりめんざこ)と、鰈(かれい)の干物(ひもの)と、

とろろ昆布の味噌汁とで膳を出した、物の言振取成(いいぶりとりなし)

なんど、如何(いか)にも、上人とは別懇の間と見えて、連の私の居心の

可(い)いと謂(い)ったらない。(*5)


 生まれて初めて降り立つ駅から夕闇に包まれてとぼとぼ歩き、たどり着いた旅館で振舞われた食事です。旅路における淋しさ、心細さ、恐怖、虚しさといったものが一気に払拭されていく。それ以前のよるべなき時間と、しかと守られて人心地ついた今の時間が料理の詳細を挟んで強調されていく。怯える気持ちと手足伸ばしての安らぎが共に増幅されて見えます。

 
 日常の食事というものは弛緩を誘います。後ろ髪をぐいぐい引かれ、身を引き裂く過去への想いや、将来に対する漠たる不安から一時的であれ解放してくれる。鏡花さんはそんな魂の仕組みをよく見透して、上手く利用している。張られた弦を締めたり“たわめたり”して物語を奏でるのです。音色はきりきりと泣き叫んだり、無限の優しさを帯びたりと変幻自在でついつい惹き込まれてしまう。


 もっとも鏡花さんが本当に描きたいのは日常世界に首をにょろり突き出す“魔”であったり、胸の奥の洞窟から突如湧出する“情念”でありましょうから、ここで引いた料理や味噌汁はどこまでも背景の役割なんでしょう。不安定な場処(山中、異界、逢う魔が時、盂蘭盆など)で渦巻きぶつかり合うこころ模様を存分に描きたいがために、どうやら補助的に登用されている。


 “色気より食い気”という言葉があるけれど、さあ、あなたなら選ぶのはどっちと笑顔で差し出されているみたい。脇役ながらも大切な役割(=日常=情念を封じる)を担った味噌汁が湯気を上げています。(*6)


(*1):「高野聖」 泉鏡花 1900 手元のものは新潮文庫 2009 77刷 引用は61頁。最上段の絵は鏡花作品に心酔していたという鏑木清方(かぶらぎきよかた)の筆によるもの。
(*2):「草迷宮(くさめいきゅう)」 監督寺山修司 1979
(*3):「天守物語」 監督 坂東玉三郎 1995
(*4):「夜叉ヶ池」 監督 篠田正浩 1979
(*5):上記文庫 12頁
(*6):魔の世界に住まうおんな達が何をどのように食するかに視線を注げば、この「高野聖」が“食べ物”をどれだけ意図的に使っているか分かります。日常と非日常の綱引きが、食べものを巻き込んで凄絶に展開されている。両者間の強烈なコントラストは上村一夫(かみむらかずお)さんのドラマ、「狂人関係」なんかに連なりますね。

2010年12月4日土曜日

福田靖「龍馬伝」(2010)~醤油の値も上がって~


龍馬「いや、けんど、こんな野菜はわしゃ京でしか見たことがないぜよ」

スミ「その野菜は今が旬どすさかい」

新助「こんな野菜は近くの畑で採れるさかいよろしゅうおすが、

塩や米の値がいっこうにさがらへん。塩や米の値が下がら

へんと醤油の値も上がってしもうて、お客さんが来はら

ねんようになってしもうた」

スミ「何時になったら元のように落ち着くのどすやろか」

龍馬「もうすぐじゃ、もうすぐじゃけ。さあ、喰おう喰おう」(*1)


 吃驚しましたねえ。こんな柔和な気配を湛えた“近江屋(おうみや)”は空前絶後じゃないでしょうか。


 福山雅治さん演じる坂本龍馬が、身に迫り寄る危険を察して潜伏しています。一説には地方から京都に移り住み活動の拠点を置く者の多くが藩邸の窮屈さを嫌い、歓楽街近くの商家を間借りして住み着いたそうであり、龍馬も単にその一人に過ぎなかったという話もあります。いずれにしても町家の二階で寝起きをしている。



闇のなか黒々と怖ろしげに見える木の階段をじっと仰ぎ見るところから近江屋の描写は始まっているのでしたが、この不自然で執拗なアングルが僕たちに無言で示しているのは何かと言えば、その見上げる先が血なまぐさい殺戮の現場に間もなくなってしまうという哀しい予兆と共に、仮住まいとする階上から龍馬の方がいま“降りて来て”おり、家主(町人)たちの居住空間に混じり込んでいる、ということですね。むしろ後者の方が強調されている。


 行燈(あんどん)の鈍い光にぼうっと浮かび上がる薄暗い空間にカメラがゆったりと進んでいくと、男たちの笑いさざめく声が聞こえてきて、ちょうど食事の最中なのだと分かってきます。龍馬の傍らには商人然とした若い男が座っていて、どうやらこれが当家の主である(近江屋)井口新助のようです。一緒に食事をしている、ここがなにげに凄い。


 用心棒兼世話役の籐吉も加わって車座を組み、くだらない話で座を和ませながら旺盛に箸を動かしていく。目クソが出るのが目尻ではなく目頭というのは字義からすれば反対じゃなかろうか、名付けが間違いじゃないか、と馬鹿話でえへえへ笑っている龍馬に対し、なんと座に加わっていた町人然とした若いおんなが咳払いをして、さらに続け様にやはり着座していた五つ六つぐらいの男の子が「食事の席でなんだ」と龍馬を叱責する。うわっ!


 厳然たる身分社会にあって、こんなにも近しく武士と庶民が膝交え食事をする光景は全くもって稀有なことなのに、なんたる暴言。無礼を働いた町民は即座に斬って捨てられても文句の言えない時代です。僕個人がこれまで植え付けられた感覚においては“ありえない光景”に見えます。


 エンドロールを懸命に目で追えば、井口新助と共にいたのはどうやら妻のスミであり、また男の子は彼ら夫婦の間にできた子どものようです。龍馬の話し相手となって館の当主だけが食膳を共にするならば分かるけど、そこに妻と世間の道理のまだ分からぬ子どもまでもが並び座って、“侍”に対して同等の口をきいている様子は近江屋の場景としては画期的と言っていい。



 近江屋新助が政変による市況混乱に由来する原料穀物のインフレーションについて愚痴をこぼし、それを呑み下した龍馬が一呼吸おいてから噛み締めるようにして「もうすぐじゃ」と返答するくだりも、これまでには見られなかった驚くべき変容でしょう。念のいったことには、場面転換後の別な屋敷内において市場安定の急務を龍馬は熱心に説いてもいる。新助の口から飛び出た先の不満をさらり聞き流すのでなくって、生真面目に酌んで己の思案に重ねていたことが分かってくる。


 例えば以前ここで取り上げもした映画「竜馬暗殺」(*3)ではどうだったかと言えば、隣接する商家の物干し台を借りて望遠鏡で自宅の様子をうかがう新助が描かれていました。政争と世の混乱を絶好の機会と捉えるしたたかな商人の一面を見せていましたし、庶民全般が冷ややかな視線をもってなりゆきに注目していたことを如実に表わしてもいて見事なエピソードです。大きな湯釜の上層で煮え返る熱湯と底に溜まった冷水のように層を隔てた間柄として両者は描かれていたのですが、そのような厳然たる乖離はこれまでの近江屋では当然のかたちであったように思えます。


 実際はどうであったかは知らないし、どのような風景が作劇上正しいかも分かりません。けれど、近江屋という舞台がようやく“個性”を付されてまっとうに呼吸し、人の住まう環境、ものを作って売るというありきたりな生活の場になれたことがちょっと嬉しく思われるのです。直接にそこに在った“醤油”に言及し、それが坂本龍馬の五感にどのように響いたかは依然として先送りにされて内実は変わりませんけれど、一歩だけ屋内に踏み込んでみせた感のある脚本家福田靖(ふくだやすし)さんの仕事については記録に価すると感じています。


(*1):「龍馬伝 最終回 龍の魂」2010年11月28日放映 脚本 福田靖 演出 大友啓史
(*2): 近江屋新助/東根作寿英、スミ/星野真里、新之助/武田勝斗
(*3):「竜馬暗殺」 監督 黒木和雄 1974 

2010年12月1日水曜日

平岩弓枝「女と味噌汁」(1965)~忘れられなくってね~



「そんなに亭主をとられるのが怖かったら、とられないように

ダンボール箱にでも入れてしまっといたらいいんだわ。

妻だ、妻だって、えらそうにいうけれど、妻なんてなによ、

ご亭主からしぼれるだけ金をしぼり取って、女であることを

売り物にしてるんなら芸者とどこが違うのよ……。

自分の亭主が他の女のアパートに泊まって、熱い味噌汁を食べて……

こんなうまい味噌汁食ったことがないなんて言わせておいてさ……。

あんた、恥ずかしくないの……。同じ値段のお茶を、熱湯で煮出し

ちまって……うまいものをまずくして飲んでるような、むだだらけの

暮らしをしてさ、それで、なにが主婦よ……なにが妻よ……

馬鹿馬鹿しい……妻なんて女の屑じゃないの……」(*1)


 いやはや……。文庫本の奥付を見ると昭和61年2月の第11刷とありますから、買い求めてから二十年もの間放っておいたことになります。先日劇場で目にした映画(*2)で先入観をすっかり洗われたこともあり、とうとう読了いたしました。


 若かりし日、数頁読んだところで本棚に仕舞ってしまったのはひとえに僕の経験値の低さ(花柳界も男女の秘め事も、夫婦の倦怠も老いに対する不安も、そして仕事に関する鬱積も実感していなかった。まあ今でも知らないことは多いけど──)が原因なのですが、そこかしこに過剰に作り込まれた感じがあって鼻白むというか、何か論点をはぐらかしているような妙な乖離感がぬぐえずに物語に没入出来なかったせいもある。今回はそれを面白がる余裕も育っていました。なんせ二十年、それなりに堆積するものはあった訳だね。


 酒席で接客する女性がいて惚れる男がいる。互いに夢を描くようになりますが、周囲がそれをかたくなに許さない。ありがちな状況の中に作者の平岩弓枝(ひらいわゆみえ)さんは味噌、日本茶、漬物といった“伝統食”や下駄といった“職人文化”へのまなざしを導入するのでした。


 いざなぎ景気で街の様相がどんどん変わっていく。次々と洋風化する中で見捨てられつつあるそれ等を懸命に言葉尽くして擁護する訳なのだけど、もちろん此処での“古き良きもの”は意図的に登用されているのであって、主人公の “芸者”という職業と二重写しになるよう寄り添っている。そのたくらみは分からないでもないし面白いけど、やや空転気味というか、強引な感じを受けます。破綻まではいかないけど、空中分解気味の顛末が多い。


 こんな場景があります。“てまり”こと室戸千佳子が自宅のアパートにいると、茶色のスーツに身を固めたおんなが一人訪ねて来ます。先日泊めてやった男、桐谷の妻なのでした。睨み合いと言葉の応酬(最上段はその一部)の末にどうなったかと言えば、千佳子が苦労人であることが分かり、味噌汁や日本茶をうまく出すコツを伝授されると「あなた、えらいわ」「奥さんていい人ね」と「二人は顔を見合わせ、眼の奥で笑った」後ですっきりとお別れするのでした。う~む、とっても不思議。


 対する男たちも奇妙な言動を繰り返します。「こんなうまい味噌汁ははじめてだ」(*3) 、「死んだ女房も味噌汁のうまい女でね……」(*4)、「姉さんの作った味噌汁の味が忘れられなくってね……」(*5)。無理やりに男とおんなを味噌汁で接着して見えます。探せば世の中にはそういう輩もいるのかもしれないけど、なんかやだなあ、そんな言葉普通は出ないよ。僕個人の目からすればかなり異常な事態です。人間の魅力はさまざまであるから、もしかしたら味噌汁一杯でめろめろに酩酊させ、足元にひれ伏させる魔術を体得したおんなもいうかもしれないけど、ちょっと苦しい展開だよね。


 祖母に教わった「お茶のおいしい入れ方……味噌汁のおいしい作り方」が自身の肌に合い、朝も夜も「おいしいんですもん」と味噌汁を作り続ける千佳子なのだけど、泊めてやる男たちに思いのほか好評なのを自覚していくにつれて勢いづいて行きます。「この男も、やっぱり同じことを言った」(*6)と内心してやったりと思うにとどまれば自然なのだけど、「どこの家でもパン食みたいな簡単な食事するらしくって、男の人、みんな味噌汁やおいしい御飯に飢えてるって感じよ」(*7)と解析を深め、ライトバンを改造した味噌汁屋を遂には始めます。「味噌汁は私のとっときの技術ですもの、生きる砦ですからね」、なんて啖呵も切ってしまう。


 実行力はひたすら眩しいし、このような不景気であれば大いに見習うべき迫力。でも、「私、いま味噌汁屋をやっているんですけど、結構お客さんあるのよ、日本人はやっぱり日本の味が忘れられないんじゃないかしら……」(*9)と、そこまで風呂敷を大きく広げられてしまうと何か薄気味悪くさえなるのです。おんなひとりの外貌以上の大きなものを平岩さんは見極めようとしている。


 足掛け十五年に渡って回を築いた池内淳子さん主演の同名テレビドラマが物語るように、僕たちはこの芸者“てまり”を中心とする人情劇がどうやら大好きです。特定の年齢性別に支持されての結果でなく、家庭全体として好ましく思って次の展開を待ち望んでいた。誰も拒絶しようとは思わない。誰も不思議と思わない。


 その背景に何があるのかを“味噌汁”を軸にして捉え直してみれば、なんとなく輪郭が定まるものがあります。たとえば、家庭という日常を離れてめくるめく情事を夢見ながら、その相手には家庭(母親、祖母)の味をいつか求めてしまう男たち。そういう乳児さながらの思考ゆえに簡単に手玉に取れる存在と男を見取っていくおんなたち。そのように不甲斐無い自らの様子を呆れ顔で受容するおんなたちを、さらに利用しようと増長する男たち。


 たとえば、時代の流れのなかで劣勢に陥ったものを無条件に愛してしまう日本人の判官贔屓の凄まじさとおんなたちの血から血へ滔々と流れ続ける慈愛の能力。味噌汁、日本茶、漬物といった伝統食を愛する人間を単純に好ましい相手と感じる排他的で籠もりがちな思考回路。


 たとえば、外界と家庭との境界杭である味噌汁に飽きてしまった者と夢を抱く者とで綱引きが起こり、結果的にぼやけていく境界線。恋情の根が世界を跨いであちこちに拡がることを断罪できずに受忍に走っていく曖昧な国民性。


 日本人特有のエロスが味噌汁椀のなかでコロイド状となって上になり下になりしながら舞っているような、そんなイメージが湧きます。そんな意味では奇妙で知的、刺激的な官能小説だったと思うのです。


(*1):「女と味噌汁」 平岩弓枝 1965 初出は「別冊小説新潮」 手元にあるのは集英社文庫 1979(第11刷) 最上段の千佳子の言葉は33頁にある。
(*2):「女と味噌汁」 監督 五所平之助 1968 映画版は原作のエピソードをうまく組み上げているだけでなく、交わされる会話もほぼそのままだったことが分かります。上段のスチールも。
(*3):集英社文庫 6頁 以下すべて同じ文庫本より
(*4):96頁
(*5):115頁
(*6):6頁
(*7):37頁
(*8):41頁
(*9):168頁