2009年7月4日土曜日

矢作俊彦「スズキさんの生活と意見」(1992)~歴史的な妥協~


「野球でもしようか」彼は言った。

「本当!?」息子が歓声をあげた。

「ほうれん草も食べなさい」妻がパン皿の横に緑色のペーストを押してよこした。

「ぼく、おひたしの方がいいんだよ。ゴマで和えた奴」

「パンって言ったから作ったのよ」

「別にいいじゃないか」とスズキさん。「ペーストでなくてもさ」

「味があわないわ」

「合わないと言えば、味噌汁だってそうじゃないか」

「これは歴史的な妥協よ。サダト的な、ね」

「何を言っているんだ」

「味噌汁とパンよ。あなたとお坊ちゃまのイェルサレムでしょう」

「だから何がサダト的なんだい。キリスト教徒が妥協だなんてよく言うよ」

「あら、俗世の政治については、バチカンも仏教に学ぶところが多いと思うわ」(*1)



矢作俊彦さんは息の長い書き手です。漫画原作、随筆、小説など難なくこなして現在に至っています。ご自分の小説の挿し絵だってお手の物です。別名で漫画を描いていた時期もあるから、もともと器用な人なのです。


彼を語るとき、大友克洋さんが絵を担当した「気分はもう戦争」(*2)を外すことが出来ません。それで分かる通り“時事ネタ”を接ぎ木するのが得意です。面白さもつまらなさもそこに集約されるきらいがあり、散らかった雰囲気が紙面を覆ってしまうことも。好みが別れる作家のひとりではありますね。どうしても読み手の体調や時間を選んでしまう。


「スズキさんの生活と意見」は作者の分身であるらしい“スズキさん”が、とある朝に自宅の食卓についたところから始まります。「たとえようもなく豊か」な朝食で幕が開きます。「味噌汁とベーコン・エッグ、それに御飯かパンがつく」のがスズキ家の慣習となっていて、「今朝の味噌汁は、大根」です。献立内容が少しずつ洋風に変質していくのは、7才の倅にイニシアティブを奪われかけているからです。内心忸怩たるものがあるのですが、奥さんともども息子をも深く愛して止まないスズキさんはあえて守勢に甘んじてやり過ごしています。


さて、奥さんが「サダト的」と口にしたのは何でしょう。僕より上の世代のひとにはありありと映像が浮かぶのでしょうが、エジプト大統領の電撃的なイスラエル訪問とそれを踏まえての一連の出来事を指しています。1977年11月にエルサレムの国会で「平和」を叫ぷ演説をサダト大統領は高らかに行ない、中東情勢の雲行きを見守っていた世界の人々をあっと言わせました。翌1978年9月にはキャンプデービッドで三カ国会談が行なわれます。カーター大統領、サダト大統領、イスラエルのペギン首相の三人が握手し、肩を寄せ合う映像が繰り返しテレビに流されましたね。早いですねえ、あれから30年も経ちました。




紛争当事者であるパレスチナPLO抜きに和平工作が進められたために、世界が待ち望む恒久的な紛争解決はなりませんでした。あれから延々と衝突が引き起こされているのは承知の通りです。雲間を裂いた光明が、ああ、眩しいと思った刹那にざんざんの土砂降りになる、その繰り返しです。

かくてエルサレムは狭い区域内に多様な宗教史蹟をモザイク模様のように抱え、平和の礎とも紛争の火種とも分からぬ繊細で危うい綱渡りを続けています。その地勢的なちぐはぐさを食卓上のパンと味噌汁の組み合わせのちぐはぐさに重ねている訳です。


ですから「スズキさん─」で描かれる食卓は、麗々しく知的な奥さんと利発で素直な息子に囲まれて大層華やいで見えますが、裏側から眺め直せば何やらとりとめのない諦観と疑念に貫かれていることが読み取れます。イスラエルの国際的“孤立”があり、これに対してイスラム世界から突出する形で手を差し出したがためにエジプトもまた“孤立”しました。結局のところは分かり合えない者同士の集団として家族を捉えていて、甘い蜜月はいつしか終わることを予感している、そんな節があります。


また、サダト大統領は1981年10月の屋外での式典のさなか、トラックから駆け寄る男に撃たれて暗殺されています。どれだけの精力を傾けて想いを寄せたところで、世の中は上手く行かない事だらけです。嬉しくそして悲しい記憶の延延の堆積。あれから約4年、全ては無駄なこと、だったのかな。一体全体、何だったんだろう…。銃創から噴き出す己が血にまみれながら彼は何を思ったか、想像するととても切ないですね。


そのようなほの暗い陰影を反映している訳ですから、ここで登用された“味噌汁”には自ずと孤愁の風貌が宿ります。柔軟さを兼ね備えない頑迷さ、勇気の無さ、裏返っての日和見主義などの自嘲的な負の性質が託されて見えます。ちょっと淋しい味噌汁です。


1950年生まれの矢作さんの実年齢をスライドすることが許されれば、分身のスズキさんは当時42歳になります。17年を経た今、彼は59歳、子供は24歳になっているはず。孤独を愛しこそしませんが、孤高をひどく意識して胸中思い屈して止まなかったスズキさんは、今どこでどんな机に坐し、どんな食事をしているものでしょう。


奥さんとは仲良くやっているでしょうか。子供とは意気軒昂な会話を続けているものでしょうか。とても興味をそそられますが、一方で怖くもあります。それはスズキさん同様に不器用で日常を歩むのがヘタクソな、この僕自身の17年後を想うことになるから。美味しく温かい味噌汁の椀に口を付け、こころから愛するひと、ほんとうに愛する家族と視線を交わしてゆったりと和んでもらいたい、そう願って止まないのです。(これがなかなか、ねえ…)


(*1):「東京カウボーイ」1992年 新潮社 所載
(*2):「気分はもう戦争」1981年 双葉社


0 件のコメント:

コメントを投稿