2009年8月5日水曜日
細田守「サマーウォーズ」(2009)~食べなさい~
最新のテクノロジーがどのように人のこころを変えていくのか、どの程度の歓びと哀しみをもたらすのか。根が臆病なせいもあるでしょうが、そういった未来予測型の映画を選んで観てしまう傾向がちょっとだけ僕にはあります。
昔からそうです。たとえば「ブレインストーム」(*1)なんかは面白かったですね。25年も前の作品で新宿の大きな映画館で観たのでしたが、思い返せばパーソナルな端末を操作し、夜な夜なウェブの海に耽溺しがちな2009年の僕たちの姿を予見している箇所がありました。
よく練られた作品には予言者めいた奇妙な風格があって、なかなか忘れられないものですね。こうして予告編を観ると、あれこれ鮮明に思い出すものがあります。
先日のレイトショーで観た「サマーウォーズ」(*2)は風格こそ残念ながらありませんが、奇妙でちょっと記憶にこびりつくところがありました。まるで跡形もなく脳裏から消え去る軟派なお兄ちゃんみたいな作品が多いなかで、したたかな面立ちをした思春期の少年みたいな、無骨そのものの印象を残します。
インタビュウで監督さんは主人公の設定もそうなのだし、やはりいちばんに「高校生に見てもらいたい」と明確に答えています。それなのに、いい歳こいた僕のようなおとなが感想を書くのは不粋以外の何ものでもありません。けれど、スクリーンに“味噌汁”の並ぶ食卓が大きく映された以上は敬意をこめて書き留めておきたい訳です。ムズムズどうにも落ち着かなくて仕方ないので、ごめんなさい、こうしてキーを叩いています。
物語は現実世界とウェブ上の世界を交錯して描いています。同時翻訳ソフトの普及と高速度回線の津々浦々への敷設がなされた遠くない未来、世界に散らばり住まう人間の意識は“ひとつところ”に集結なっています。十億の人間(アバター)が寄り添い、400万といった途方もない数のコミュニティ(談話室)を内部に有し、銀行や自治体の窓口業務やショッピングはもちろんですが、携帯電話のセンサー機能を介して各人の健康管理まで担うようになったそんな巨大な仮想現実“オズ”が舞台に組まれています。肥大化し、人間社会がすっかり寄りかかってしまった“仕組み”が、この映画の見どころとなっています。
蛍光色に彩られ、玩具箱をひっくり返したような、けたたましい仮想空間オズ。その対極として江戸時代から高台の畑地にあって眼下を睥睨している古い日本家屋も登場します。空転しがちな登用と捉えられそうですが、作り手なりの思いや計算があったようです。仮想世界のデフォルメされた世界を中和するようにして、縁側、夏戸、扇風機、朝顔の鉢といったこちらも相当デフォルメされた古めかしい日常がクローズアップされていく。記号と記号が綱引きをしているようで、こういう作劇上の“不自然さ”は実は嫌いじゃありません。
加えて繰り返し描かれているのが“食べる”場景なんですね。それも“和食”を映画では随分取り上げています。朝食の際に座卓に並んだ“味噌汁”の丁寧な描写を見詰めながら、まだ“この未来”でも生き残っていたか、と単純に嬉しく思いました。不自然でも突飛でも、こうして大きなスクリーンに“味噌汁”が映されるのは、なんとはなしに元気が出てくるものです。
プラスチック然とした仮想世界オズと対局するものとして古い家屋があり、さらにその核に“食べること”があったのです。考えてみればそりゃそうですね。ウェブ上で“食べる”という行為までは(今のところ)擬似体験出来そうにない。どんなにツールが浸透していったところで私たちは“食べ続ける”存在であり、軸足を仮想世界へと完全に移すことは難しい。それが(今のところの)人間の有り様なんですね。
どんなに世界が変転を重ねても、味噌汁や醤油は日本人のこころを支える要素となって小説、映画、漫画の海のなかで粘り強く浮沈を繰り返してくれるのじゃないか、そんな風に「サマーウォーズ」を観ながら思いました。これから大々的に海外マーケットにも打って出る模様ですが、さてさてここまでの懐古趣味、極めて日本的な“内側”の描き方がどのように受け止められるものなのか。あの“味噌汁”のクローズアップを見詰める海外のひとのこころに、何かしらの化学反応が生じるものだろうか──。そういった点でも見どころは多彩なわけです。何じゃそりゃ、なんか無理があるなぁ(笑)
でも、いろいろ考えさせられて、とてもいい刺激にはなりました。仮想現実の“仮想”って、実際にやり取りされていることからは随分とかけ離れた表現になっています。ウェブの世界を僕は“夢”とか“仮想”とはもう思えないもの。だから、間近でどんどん膨張していく“現実”の楽しさを静かに見詰め直すいい機会にはなりました。面白い時代ですよね、生まれてよかった、と素直に思います。ホントですよ。
(*1):「サマーウォーズ」 監督 細田守 2009
(*2): BRAINSTORM 1983 監督 ダグラス・トランブル
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