2009年10月11日日曜日
向田邦子「寺内貫太郎一家」(1975)~気がたかぶっている~
「今から考えると、強情をはらないで卒業しときゃよかったな、って
思うんです。なんて言っても仕方ないですよね」
ミヨ子は、フフフとせいいっぱい明るく笑った。
「高校中退なんてミミっちくていやだから、中卒って書いたんです」
「クヨクヨすることないわよ、ミヨちゃん。五体満足なんだもの、平気平気」
静江は立って、左足を引きながら、父のデスクの前に行き、書類を差し出した。
貫太郎は印を押してやりながら──二人の娘の言葉が胸に痛かった。
昼食の味噌汁をよそいながら、ミヨ子は自分の手がかすかに震えているのに
気がついた。さっきから、一人になって泣きたかった。しかし、その閑(ひま)も
なく、お昼になってしまった。気がたかぶっている。粗相をしないように……
気をつけて、お椀をみんなの前に置いた。(*1)
中国文学者で作家でもあられる中野美代子(なかのみよこ)さんは、ご自身の著書(*2)のなかで“褻視(せっし)”という造語を用いておられます。猥褻のセツに視ると書きます。デフォルメした秘所を肥大化して見せる、と言うよりも細部を凝視してありのままに写し取り、丁寧に画面に組み込んでいく絵が日本の春画においては頻繁に登場するわけですが、その、息を潜めて虫眼鏡か何かで観察するような視線はそんな言葉のほかに言い様がないと仰られているのです。
日本人の性愛嗜好には“voyeurism=窃視(せっし)”以上に、執拗なクローズアップ、つまりはこの褻視がただならぬ位置を占めているのだという指摘は、ナルホド否定し難いところがあります。ウェブにより世界中に発せられるその手の戯画や映像をうかがっても、僕たちの国のものは幾らかその傾向をとどめて見えます。
話がおかしな方向に流れて見えるかもしれませんが、味噌や醤油の文学や創作との関わりを僕なりにこうして探っていくなかで、この“褻視”という言葉がぼんやり明滅して止まないところがあるのです。味噌汁なら味噌汁に、単におかずという事象をはるかに越えた官能や情動を刷り込んでいく瞬間には、なんとなく時空が静止したようなところがあって、春画を眼前にするのとどこか似た眩暈を覚えてしまうのです。
褻視の“褻”は単体ではまるで淫靡なものを表わしてはいないのは承知の通りです。日常のこと、ハレとケで言う“ケ”である訳ですから、そういった語意を重ねてみれば尚更納得するものが出てくるんですね。日常に点在するあらゆる事象をすくい取り、秘所に似た温かみと発色を託していく感じが致します。
向田邦子(むこうだくにこ)さんの初期の作品であるこの「寺内貫太郎一家」は、本来テレビドラマの台本として出立したものであって、上記の“悲しい味噌汁”が現われたのは幾らか遅れてそれをノベライズしたものの中でした。僕にはこのわずかな表記が単なる偶然とは思えないのです。
振り返れば彼女の作品はきわめて褻視的でありました。大抵は見逃してしまいがちな事象を拡大して、劇中の人たちと共に僕たちも等しく騒然とさせるのが常でした。往来を肩を並べて歩きながら、おとこの指でもっておんなの唇へと押し込まれていく甘栗であったり(*3)、代官山のアパート前でコンクリートのたたきに砕けてじゅるじゅると流れ続ける生卵であったり(*4)、実に印象深いクローズアップが度々為されており、いずれも重い色香が立ち込めていました。
食べ物と僕たちの身体の一部がそこでは確実に連想を固く結んで、ずいぶん烈しく臭って悩まされたものです。後にアマゾンの大河を味噌汁に変えてみせた向田さんでしたが、あれも思えば極めて春画的な、それも大陸規模の秘所のクローズアップでもあったわけですね。
谷崎潤一郎さんや高野文子さん、石井隆さんなんかもそうですね。いずれも恋愛や性愛の機微を見事に綾織ってみせる職人たちで、通底するものもあります。決して偶然でもなければ、思い込みでもない。彼らは創作世界における血族であって、暗く湿った土壌で結び交える地下茎には血液や体液に加えて、ほんの少しだけ味噌汁が流れているように僕は感じ取っています。
さてさて、世は三連休と言われていますが皆さんいかがお過ごしですか。なにがしかの仕事なりを、はたまた単身で諸事情を抱えて闘っておられる人たちに対して、似た身の上としてエールを送らせていただきます。頑張りましょう。
寒さが肌を刺してきました。胸中に巣食う龍がいささか煩悶に耐えられず雄叫びをあげてしまう、そんな季節の変わり目ではありますが、頑張るしかありません。頑張りましょう。
(*1): 「寺内貫太郎一家」 向田邦子 サンケイ出版 1975
(*2):「肉麻(ろうまあ)図譜――中国春画論序説」中野美代子 作品社 2001
(*3):「隣りの女」 TBSテレビ 1981放映 新潮文庫版にシナリオ収録
(*4):「阿修羅のごとく」 NHKテレビ 1979-80放映 新潮文庫版にシナリオ収録
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