2010年7月26日月曜日
松原岩五郎「最暗黒の東京」 (1893)~人に向ッて食(くわ)すべき物にあらぬ~
しかれども予は空(むな)しく帰らざりし、予は些(わず)かの食物を
争うべく賄方(まかないかた)に向ッて嘆願を始めし。(中略)「もしも
汝(なんじ)がさほどに乞うならば、そこに豕(ぶた)の食うべき餡殻
(あんがら)と畠を肥(こや)すべく適当なる馬鈴薯(じゃがたらいも)の
屑が後刻に来るべく塵芥屋(ごみや)を待ちつつある」と。予がそれを
見し時に、それは薯(いも)類を以て製せられたる餡のやや腐敗して
酸味を帯びたるものと、洗いたる釜底の飯とおよび窄(しぼ)りたる
味噌汁(みそしる)の滓(かす)にてありき。たとえこれが人に向ッて
食(くわ)すべき物にあらぬとはいえ、数日間の飢に向ッては、これが
多少の饗応(きょうおう)となるべく注意を以てそこにありし総(すべ)てを
運び去りし。(中略) ああ、いかにこれが話説(はなし)すべく奇態の
事実でありしよ。予は予が心において残飯を売る事のそれが慥(たし)かに
人命救助の一つであるべく、予をして小さき慈善家と思わせし。しかるに、
これが時としては腐れたる飯、饐(あざ)れたる味噌、即ち豕(ぶた)の
食物および畠の食物を以て銭を取るべく不応為(ふおうい)を犯すの余儀なき
場合に陥入(おちい)らしめたり。(*1)
雑賀恵子(さいがけいこ)さんの書かれた「空腹について」(*2)という本を読んでいたら“味噌”が顔を覗かせました。松原岩五郎というひとが執筆し、明治26年(1893)に上梓された「最暗黒の東京」からの引用なのでした。早速文庫本(*1)を取り寄せて読み進めました。有りました。それが上に写した文章です。
今とは違って生活物資が潤沢でなかった頃に、さらに目を覆わんばかりの艱難辛苦(かんなんしんく)を舐めさせられた“貧民窟”での生業(なりわい)に松原さんは単身飛び込みます。後段にはやや勢いが衰えて失速する感は否めませんが、前半から中盤にかけての食糧事情の件(くだり)は圧倒されるものがあります。渾身のルポルタージュです。
寝具にも事欠く窮状に置かれた者にとって、炊事に使う薪(まき)や炭は到底手の届かぬ貴重品です。火を熾(おこ)す必要のない手っ取り早い栄養摂取の手段として、だから重宝されていたのが、軍隊の宿舎や学校の裏口から排出される“残飯”を貰い受け、手間賃を上乗せして売るという驚くべき稼業と彼らがさばく「残飯」なのでした。筆者は界隈を司る紹介屋の勧めに応じてそんな“残飯屋”に人足のひとりとなって潜り込み、兵舎の厨房と貧民窟を日毎夜毎に桶(おけ)を担ぎ、車を引いて往復します。空き腹を抱えた人々は手に手に椀だの鍋だのを抱えて到着を待ち、筆者に群がり寄って、我先にと“食べもの”を買い求めるのです。
綱渡りをするようにして生命を繋いでいる、けれど逞しく、必死に生きていく人間の姿を活写していて、ありありと光景が浮かんできます。最下層の人々の日々を体感するままに誇張加えず割愛をせずに淡々と記していくその文章には、感嘆やら憐憫やらの複合した思いが時折交錯してほとばしり、現世の僕たちの生活の在り様について熟考を誘うものがありました。
厨房より送り出される多種多様のもの、魚や獣の内臓、漬物の切れ端、野菜の切片、釜底に黒くこびりついた焦げ飯、腐敗しつつあり酸っぱい臭いを放出する米やら餡やら──に交じって“味噌汁の滓”すなわち“みそっかす”が描写されていました。“畑の肥やしか家畜の餌”と明確に書かれてしまっており、ここでの“みそっかす”は著しく低い地位のものとして扱われています。
ここだけでなく、次のような形容も別の箇所では為されています。懐に小銭の入った庶民が気晴らしを得ようと足を運ぶ行きつけの、ひどく衛生状態が悪い小料理屋に関しての記述の中でした。
およそ世に不潔といえるほどの不潔は悉皆(しっかい)玆(ここ)に
集めたるが如く、(中略) 海布(あらめ)のごとき着物被(き)たる下男、
味噌桶(みそおけ)より這い出したるが如き給仕女(以下略)(*3)(*4)
この時期の多くの人々にとっての“味噌”および“みそっかす”への視線が、不衛生で生理的に受け付けないものとして定着していたことの証左を示して見えます。工業レベルで確立される遥か以前の“味噌作り”は、暗く不潔な土間の片隅で各集団ごとに為されていくのが通常でしたから、発酵途上で失敗したり虫が混入したりして異臭を放つ出来損ないも多かったことでしょう。十二分に洗浄と乾燥を施さずに無神経に再使用された仕込み用の木樽は、何やら分からぬ雑菌に汚染されて何処もかしこもべとべと、ぐちゅぐちゅと気味悪かったかもしれません。
僕は過日、幸田文さんやちばてつやさんの作品を取り上げて好意的に“みそっかす”という奇妙な蔑称を解読してきましたが、こうして明治期まで深く遡ってみれば、もはや逃げおおせぬ最低ランクの喩(たと)えとしてその言葉が当時のひとの口より放たれていたことは想像されてしまう訳なのです。ちょっと考えが甘かったかもしれない。
言葉やそれに付随する人の想いは時代と共に容易に変質していく、ということですね。形容、呼称というものはなかなかに奥深く、繊細なものを含んでいる。気を付けないといけませんね。こんな年齢になりましたが、ちょっとだけ利口になれた気がしています。
話は変わりますが、そうそう、こんな発見も。例によってベランダでの読書兼日光浴の最中でした。下着一枚のお気楽ないつものスタイルです。直射日光に照らされた文庫本「最暗黒の東京」は、真っ白くがんがんに輝いて目が眩むばかりです。僕は近視なものだから眼鏡を外してかたわらに置き、ページをぐっと顔に近づけて、あれ、そうだったのかと気が付いた訳なのでした。
考えてみればインクは石油の産物でありますから、何ら不思議はないのです。強烈な陽光をまともに受けて、文字のひとつひとつが炎に焼かれて身悶えするようにして見えるのだけど、そのひとつひとつがよくよく見れば虹色に反射しているのでした。赤だの青だの、紫だの鮮やかな光をてらてら放っている。
僕はこれまで白い紙に黒い文字が並ぶイメージに囚われていたのだけど、実は文字のひとつひとつは多彩な個性を放って光を返しているんですね。余程の強い光に照らされないと、そうして余程顔を近寄せないと解からないのだけど、活字のいちいちが色とりどりに反射する様子はすこぶる幻想的で嬉しく感じました。
蝙蝠傘 ── 傀儡遣い(にんぎょうつかい) ──
覗き機関(からくり) ── 燐寸(マッチ) ── 鼻緒縫い
そんな単語がちかりちかりと虹のひかりを放っていく。本好きにはたまらない光景じゃないですか。未見の方は今度お昼休みにでもお試しください。
素晴らしい、かけがいのない、人生一度きりの夏を──。
水分をたくさん補給しながら、どうか元気にお過ごしください。
(*1): 「最暗黒の東京」 松原岩五郎 1893 初版は民友社より 上記引用はすべて岩波文庫版による 手元にあるのは1988年の第1刷 「8、貧民と食物」頁47-48
(*2): 「空腹について」 雑賀恵子 2008 青土社
(*3):「22、飲食店の内訳」 頁112-113
(*4):“醤油”についても散見出来ますが、味噌のようなマイナスの描写は見当たりませんね。車夫、人足で賑わう小さな店先の場景などに登場している。「片手に布団と煙草袋を提(さげ)て醤油樽(だる)に腰を掛けぬ。」とか「数多(あまた)の醤油樽を積み重ねたる小暗(こぐら)き片蔭に赤毛布(あかけっと)の破布(ぼろ)を纏(まと)いて狗(いぬ)の如くに踞(うず)くまり孤鼠(こそ)々々と食する老爺(ろうや)あり。」(「30、下等飲食店第一の顧客」頁148-149)──といった表現であって、目線が対等かそれ以上になっている。味噌と違って“商品”、それも高値の工業製品として確立していた為かもしれません。この段差はちょっと面白いなあ。
2010年7月8日木曜日
奥浩哉「め~てるの気持ち」(2006)~からくないですか?~
奥浩哉(おくひろや)さんは戦術に長けた作家です。ひとの情念が“食べもの”を起点としてはげしく隆起するのを承知し、そっとメニューを変更する。読者にもたらす心理的な効果をさりげなく増幅してみせるのです。それが「GANTZ(ガンツ)」(*1)という作品に垣間見れた訳だけれど、同じ時期に別な雑誌に掲載されていた漫画「め~てるの気持ち」(*2)にも“食べもの”が意識的に登用されていたことが視止められます。
十五歳の時分から実に十五年間も自宅に引きこもってしまった青年“慎太郎”を主人公とする小品です。父親の小泉安二郎は定年を間近とする会社員で、妻の死後、部屋に篭(こも)り切りになった息子の面倒をずっと看て来ました。開幕してすぐに安二郎は大病を患いあっけなくこの世を去ってしまうのですが、後妻となっていた“吉永はるか”という若干二十三歳の娘が、今度は安二郎に代わり義理の息子の自立を促がすために一念発起いたします。
若く美しい義母が突如出現し、異性との接触をまだ知らぬ容姿端麗な男子のこころを氷解させて広い世界に導いていくというストーリーラインは取り立てて目新しいものではないのだし、枠にはまって見える娘はるかの言動や物腰を同姓の読者が目にすれば、きっと憤懣やるかたなく、大きくチッと舌打ちするに違いない。まあ、正直言えば読んでいて苛立ちを覚えもする場面が目白押しの困った漫画です。
けれども、顛末のあちらこちらにさりげなく“食べもの”が顔を覗かせ、僕ら読み手の共振を巧みに誘ってくるところは技術的にとても面白くって、結局最後まで読み切ってしまったのでした。
例えば、慎太郎より恋慕の念を告白されて動揺したはるかが、衝撃の余りに満足な調理が行なえなくなり、おかずもなく、箸さえも添えられていないご飯と味噌汁だけの奇妙な朝食を配膳してしまう件(くだり)(*3)などは、まさにこの劇が“食べること”と“精神”とを二人三脚と為して歩んでいることを如実に現わしていましたし、劇の終わりにようよう自立を果たした慎太郎が、終に摑み取った職業が食堂(ラーメン店)であったことも意味がある訳です。堂々たる背骨がまっしぐらに物語を貫いている。しっかりと練り込まれ、丁寧に構築されているという感触を抱きます。
父親が毎日自室に運んでくるコンビニエンスストアの弁当から始まり、さまざまな“たべもの”が列を為して劇中に現れては消えていきますが、「和食全般で、普通に焼魚とかお味噌汁とか納豆とか…」(*4)──が好きなはるかが登場したことも、だから偶然ではないのだし、自室に立てこもった慎太郎と扉越しに食事をしながら、「どうですか?お味噌汁、からくないですか?」とはるかが廊下で声を張り上げる辺りも相当に煽動的。僕たちの懐(ふところ)の奥深くで“共振”を誘発せんと目論む作者の深意がびんびん伝わってきて、妙に可笑しくなってしまうし、また臆面なく仕掛けてくる情熱には感心もさせられる。(*5)
ここでの味噌汁には明確に“母親”“母性”が重なっており、これもまた定型でありきたりのものなのだけど、同じ旋律を飽くことなく奏で続ける頑固なピアノ弾きか粘り強い歌い手みたいな雰囲気が作者の奥浩哉さんには感じ取れるのです。またかよ、しつこいなあ、と唇の端で笑いながらも、いつしか根負けしてしまう。
唇をつぐみ頬づえを突きながら耳をそばだて、本気になって聞き入っている自分に気が付き驚かされる、そんな流れなんですね。こういう書き手も出て来てるんだなあ、まったく油断できないし、嬉しいなあ。
(*1): 「GANTZ(ガンツ)」奥浩哉 2000年~ 「週刊ヤングジャンプ」(集英社)連載
(*2): 「め~てるのきもち」奥浩哉 2006‐2007「週刊ヤングジャンプ」(集英社)連載
(*3):第12歩「他人のことも!」 第2巻所載
(*4):第9歩「言える!」 第2巻所載
僕はここで、石井隆さんの映画のなかに時折顔を覗かせる意味深な“階段”を連想しました。神は細部に宿る。“情念”と“世界”とがニワトリと卵のような関係になっている、要するにそういう造り込まれた世界が好きなんだよね。
(*5):第8歩「めちゃくちゃ」 第1巻所載
奥浩哉「GANTZ(ガンツ)」(2000)~ありきたりの~
人気グループ“嵐”のメンバーを起用して、大掛りなアクション映画が撮影中と知りました。道端の石塊(いしくれ)をつい連想しちゃう題名なのだけど、もう十年も前から連載中の漫画(*1)を原作としているそうで、海外でも翻訳されて愛読者を増やしているとか──。にわかに興味が湧いて来ました。
不景気が追い風になってもいるのでしょう、新しいタイプの貸し本業“レンタルショップ”が花盛り。書店経営の方には本当にお気の毒ですが、一冊五十円で貸してくれるのだから助かりますね。職場の帰りにお店に立ち寄って、初巻から27巻までを順次借り受け就寝前に読み耽(ふけ)りました。
“ガンツ”(*2)とは黒い球形をした謎の機械を指します。そのガンツに選ばれた老若男女が、それこそ有無を言わせぬ勢いで戦場に送り込まれてしまうのです。身体のラインがむっちりと露わとなる黒い戦闘服を纏(まと)い、不恰好な銃を撃ちまくります。街なかに潜伏している凶暴な異星人を探し出して、皆と力を合わせて殲滅しなければ逆に命はありません。繰り広げられる死闘と紙面の隅ずみまで埋め尽くされた精緻な描き込みは、僕の育った頃の作品で言えば池上遼一さんの「男組(おとこぐみ)」(*3)の血筋のようだし、楳図かずおさんの「漂流教室」(*4)にも大胆さ、奇抜さが重なって見えます。
玄野計(くろの けい)と加藤勝(まさる)というふたりの高校生を軸に物語は進行します。心身両面で成長の真っ盛りですから、男同士のせめぎ合いがあり、恋愛を廻る鞘(さや)当てや煩悶がでろでろと咲き乱れて、さまざまな濃淡にて場景を染めていく。
死の淵に沈んで何ヶ月間も帰宅が許されなかったり、記憶をすっかり喪失して苦悩するといった不条理な展開もしばしばです。多くの場面にて登場人物は感極まり、涙は滂沱して頬をびっしょり濡らしていくのでした。興味深いのはそのように寄せては返す魂の波濤(はとう)に交じって、月光に照らされて切なく瞬く金波銀波(きんぱぎんぱ)のようにして、“食卓の光景”が彼ら登場人物の脳裏にさっと蘇えっていくことです。“食べもの”が慕情をより鮮烈に盛り立てて行き、そこに“味噌汁”がしかと描かれているのです。
加藤勝は数ヶ月間冥府をさ迷い、ようやくにして愛する弟の元へ帰ることが出来ました。兄弟は両の親を交通事故で失っており、陰険な親戚の家にて忍従を強いられながら生きて来たのです。この数ヶ月間、戻らぬ兄をひたすら想いながら幼い弟はどれ程の寂寥と苦難を味わったことか。息せき切って夜道を急ぐ兄、勝(まさる)の心中に去来するのは幼い笑顔であり、食卓に並ぶ“ありきたりの献立”に目を細めて喜んでいる弟の、いかにも華奢な体躯であったのだけど、そこには明瞭に像を結んで“味噌汁”が置かれていた。(*5)
同じ現象が回を置かずに再度出現しています。玄野計(くろの けい)の恋人である小島多恵という少女がいるのですが、ガンツによって同時期にともども記憶を奪われてしまいます。視線を交わすたびに胸掻きむしる熱いものが若いふたりを襲うのだけど、それが何に由来するのか理解出来ないので混乱します。
多恵はある時、自宅の机のなかに見知らぬ鍵を見つけます。もしかしたらと計(けい)の住まうアパートと関係があるのじゃないかと思いを巡らし、勇気を出して部屋を訪ねます。案の定カチャンッと扉は開錠してしまって、少女は狭い室内へと足を踏み入れたのでした。ああ…この風景を自分は知っている。確信が突如浮上して来ます。遂にはこれまでその部屋で、自らの瞳に刻んで来たものであろう映像の数々が堰を切って再生されて、小さな胸の奥でわっと駆け回るのです。その中には食卓に並んだ“ありきたりの献立”に両手を合わせて感謝する少年の姿があるのだったし、きちんと“味噌汁”も添えられていた。(*6)
僕たち読者の共振を目論んで、あえて“ありきたりの献立”が起用されているのは間違いなくって、それに不可欠な要素として“味噌汁”が脇を固めている。たくさんの懐かしい情景の堆積に埋もれるようにしてある一コマなのだけど、それで何かしらの感情の起伏が僕たちの胸に生じたのであるならば、そして、その一端が“味噌汁”からも発しているのであるならば、なんて精神的な、なんて奥深い食べものなのだろう、そう感嘆しない訳にいかないのです。地味ながらも雄弁な描写になっている。その地味さこそが実は凄いことなのではないか。
さながら研究室の動物のようにして、僕たちは一瞬で“ありきたりの献立”と“味噌汁”の像に反射しています。平穏なる日々の暮らしや愛する人との静かな語らいを即座に想起してしまう。得難い、思えば奇蹟にも近い真情の交換や魂の交歓をゆるやかに回顧して、ああ、あの人は自分にとって、いかに“大切なひと”であったかと再認識していく。
映画フィルムのなかに秘密裏に埋め込まれたほんの数コマの画像が、観客の潜在する意識を煽り次々と欲望を誘爆してしまう“サブリミナル効果”というのがあるけれど、あれを僕は思い出します。作者の奥浩哉(おくひろや)さんは、人間のこころと日常を取り巻く事象の相関をよくよく知り抜いた練達の士だと感心しているところなのです。
(*1):「GANTZ(ガンツ)」奥浩哉 2000年~ 「週刊ヤングジャンプ」(集英社)連載
ムンクEdvard Munchの“The Sin (Nude)”なんかを雛形にして宇宙人の親玉を描いたりする作者の性向も、僕の波長にちょっとシンクロしちゃうんだよね。
(*2): 石森章太郎さん原作のテレビ番組に「がんばれ!! ロボコン」(1974─1977)というのがありましたが、あそこからこの題名が来てる(笑)。そこを察することの出来る世代には、二重に楽しめるかもしれません。
(*3):「男組」 原作 雁屋哲 作画 池上遼一 1974-1979
(*4):「漂流教室」 楳図かずお 1972‐1974
(*5):0222「兄と弟」19巻所載 奥付によれば雑誌掲載されたのは2006年
(*6):0225「カギ」 19巻所載 同
2010年7月1日木曜日
小泉徳宏「Flowers フラワーズ」(2010)~懐かしい看板~
知人宅を訪ねた折りに、外国製のチョコレートをご馳走になりました。ほどほどの甘さとあえかなバニラの匂いが口腔にふわりと拡がります。少し儚(はかな)げな印象を刻む上品な香味に仕上がっている。何でも旅行のお土産だということで、その折に撮られた写真を何葉か見せていただきました。
場所は北米の太平洋岸の街、シアトルです。穏やかな笑顔をカメラレンズに向ける老夫婦の姿やマリナーズの本拠地である野球場などを微笑ましく眺めながら、徐々に成長して手堅いものとなる想いがあります。しっとりした落ち着きが街のあちこちから滲み出ている、これはなんだろう──。
山の上なのか高層ビルの最上階なのか分かりませんが、広々とした眺望が眼下に広がっています。海へ向けて傾斜を強めていく大地に、悠然と街並みが連なっていく。微妙な違和感を抱えながら再度しげしげと見返すならば、それら林立する建物が実にしっくりと地面の傾斜と足並みを揃えているのです。つまり、背丈を合わせて綺麗に列をなしており、眺望を邪魔する“でっぱり”が一切ないんですね。真新しい外壁のビルディングばかりなのに、そのどこにも看板が見当たらないことにもやがて気付きます。何かしらの強固な規制が働いていることは明らかです。
独裁政権を敷く首長のもと、大胆なグランドデザインが実行に移されたかのような、実に力強いものを透かし見ることが出来る。きらめく欧州の古都ならばまだしも、歴史的にまだ浅い北米の都市がここまで美しく展開している。凄いな、これは。
ウェブ(*1)で検索して調べてみると、景観規制が市民レベルで根付いていることが分かります。市民の意見に折れた末にスケールダウンしてオープンした海岸沿いのホテルなども見れますが、日本じゃとても考えられない“落としどころ”です。人生の舞台となる自分たちの街を本気で愛している人たちがいるのでしょうね。
“街並み”“景観”“看板”といったものに気持ちが傾いているのは、先日劇場で観た日本映画(*2)のせいでもあります。昭和初期から今日に至る七十五年の長く重い歳月を、三世代の女性群像を巧みに組み合わせて提示していく意欲作でした。そこにはシアトルとは対照的な風景がありました。
大手化粧品会社と共闘してのイメージ戦略が生い立ちである以上、女性の装いや美しさを過剰に描いていくことは素人目にも回避出来そうにない。それは観る前からわかり切ったことで、案の定、人生の機微たる“老い”“戦禍”“格差”という翳(かげ)の部分をすっかり削ぎ落としてしまい、立体感の乏しい単調な顛末になっているのですが、それはまあ、仕方のないこと。前の席に座っていたご婦人は終始すすり泣きでしたし、ひとときの娯楽を求める気持ちには十分応えている。浮世離れの数々も“ご愛嬌”と笑って許してあげるべきでしょう。
興味深かったのは、それぞれの年代のコントラストを思想の変転や流行り言葉をもって表わすのではなく、その時時に作られた映画の色調を徹底して再現して提示しているところで、その情熱と言うか固執の様子は呆れるほどでありました。(*3) 服装や髪型、小道具を駆使して年代に肉迫することは当然ながら、照明やカット割り、音質までも丸ごと動員してタイムスリップを目論んでいる。地味を装いながらも大胆不敵な演出です。その実験的な作業は観ていて気持ちの良いものでした。
そのようにしてスクリーンに映じられた“過去”の街並みには看板がひしめいており、中でも随分と目立つ位置に“醤油”のイメージが刻まれていたのです。竹内結子さんと大沢たかおさんが演じる若い夫婦が旅行で訪れる海辺の町。その駅舎の前に置かれたベンチには、ありありと醤油メーカー(群馬に拠点を置く)の亀甲型のマークと名前がホーロー看板に描かれ貼られていたのだったし、また、東京の出版社で孤軍奮闘する田中麗奈さんを描くパートでは、上司より呼び出されて説教を受けた屋上から望むビル群のなかに、排気ガスに曇ってやや輪郭がほどけているにしても随分と巨大な(こちらは千葉本社の)、やはり亀甲型の目に馴染んだマークと社名とが赤々と浮かんで目に飛び込んで来るのです。
物語の進行とはまったく無関係の登用であるのだけれど、この作品の“時代再現”への凄まじい粘着を想うとき、果たして意図なき偶然の産物であったか疑問が湧いてきます。1964年、1969年という過去のランドマークとして亀甲の印が選び取られたというのが正しい読み解きでしょう。
もちろん醤油の看板だけでなく、余白の隅々を埋めるものが実に懐かしい光彩を放っていて、例えば壁にかかった東郷青児さんの女性画であるとか、紫煙にまみれ果て黄色い脂(やに)でベタついた柱の時計とか、ウィスキーのロゴの刻まれた平たい灰皿とか、谷崎潤一郎さんの著作の背表紙とか、美術スタッフの熱意が結晶化したものが点在して目を愉しませるのですが、そうやって僕たちを過去に誘(いざな)うイメージの一端に亀甲型のマークが含まれていたことに、わずかながらも衝撃があったのでした。
“醤油”もまた“昔のもの”となりつつあり、今や忘却とのせめぎ合いの域に軸足を踏み込んだのかな、少なくともこの映画の送り手の幾人かはそのように“醤油”という存在を解析しているに違いなかろう。“懐かしいもの、過去のもの”に直結するものとして、ここでは“醤油”が使われている───。
僕たちの住まう街はシアトルとは違い、乱雑で節操のない広告に埋まっている。美しい眺望なんて、だから望むべくもなく、破壊と再生を細かく繰り返しながら無秩序な街並みと看板の乱立が果てしなく続いていくでしょう。毎日が清々しい気分だろうと想像を巡らせる、そんな場所で暮らすことは僕にはやはり難しそうだ。
それでも意識的に街路を見直す機会にこうして恵まれてみれば、看板であれ何であれ構成するそのひとつひとつが短命であることが分かります。それらが懐かしい人、懐かしい家族の記憶といずれ直結するのかもしれず、そんな回想の仕掛け作りを僕たちは日々しつらえているのかな、なんて考えたりもするのです。混沌とした儚い風景であればこそ、その時々の変転する人の気持ちや、逆にいつまでも変わらぬ想いなんかを寄り添わせることが可能なのじゃないか。
日常にくたびれ、懐かしさに抗い切れずに足を止めて振り返ったときには、次々と入れ替わっていった看板たちや消え去った商品たちがその想いを受け止めて手を振り、きっと助けてくれるはず。僕たちの住まうこの街は時間旅行を可能たらしめる場処なんですね。ちょっと見苦しくても“ご愛嬌”と笑って許してあげるべきなのかもしれません。
(*1):「斜面都市における眺望景観保全政策の特性評価とview corridor施策の適用に関する研究」 栗山尚子 平成18年9月
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/thesis/d2/D2002896.pdf
(*2):「Flowers フラワーズ」 企画・製作総指揮 大貫卓也 監督 小泉徳宏 2010
(*3): ウッディ・アレンさんの監督、主演による「カメレオンマン」(Zelig 1983)という映画も過去のフィルムの特性を丁寧に再現したものでしたね。合成技術の跳躍が最近めざましく、いよいよこの手の描写は精緻さを増して来ています。やがて古い映像が自由自在に編集され、まるで違った意味合いを持たされたりしちゃうのでしょうね。ちょっと怖い気もします。
そうそう、「Flowers フラワーズ」には味噌汁が登場しています。劇中、食事の風景は実に少なく、“老い”“戦禍”“格差”といったものと並んで“調理”もまたさりげなく排除されて見えました。唯一の“味噌汁”は冒頭近くに描かれています。昭和十一年(1936)前後を描く蒼井優さんのパートで、嫁ぐ前日の蒼井さんを囲んでのちょっともの哀しい食事の場面です。家族揃っては最後となるだろう予感が小さな食卓を重く覆っている。
ここでの“味噌汁”には旧来の隷属的で柔順な女性のイメージが幾らか投影されていたように感じ取れます。蒼井さんは父親が決めた婚礼に対して不服であり、翌日には白無垢姿で家から逃走するのだけど、それは“味噌汁”に象徴される束縛からの緊急避難でありました。映画ではそれ以降、実に75年に渡って“味噌汁”は影を潜めて消失してしまう。現在を生きる女性へ向けて作られた「Flowers フラワーズ」において、これもまた意図的な“空白の描写”であるように僕には思えました。何を足して何を引くのか、その結果導かれる物語を化粧品会社が支援していることは、考えてみると奥深いものがありますね。
知人宅をおいとまする時、お庭の可愛らしい花が目に止まりました。初夏の陽射しに照らし出された白く薄い花びらに、細いまっすぐな筋が幾本も走っています。刺繍を施された肌着のような繊細で柔らかな印象なのですが、驚いたことに、これがハエトリソウVenus Flytrapの花なんですね。僕の宇宙はまだまだ未開拓です。 とげとげの葉っぱで虫を捕らえる怖い一面と、清楚な花びらが同居している。なんて逞しい生きものだろう。僕の身近に咲く「Flowers フラワーズ」、彼女たちも一所懸命に生きています──。