2011年1月8日土曜日
楊逸「獅子頭(シーズトウ)」(2010)~むやみに箸でかき混ぜた~
「ママと、あの、あの田所さんと、食事するのか?」(中略)
「するよ。よく一緒に食べに行こうよって誘われるけど。
僕も祖母(ばあ)ちゃんも断ってるの」
「へえ、すると、ママと田所さん、二人で食事?」
「そうだな。二人で行ってるんじゃない?」
鶏肉を頬張っている口から、若干曖昧になった言葉を出した。
二順は顔を強張らせた。味噌汁のお椀を持ち上げ、むやみに
箸でかき混ぜた。白い豆腐が幾つも、平たく漂うわかめをかき分け、
わきあがった。それを唇も舌も経由させず、まっすぐ喉に注ぎこんだ。(*1)
楊逸(ヤンイー)さんの「獅子頭(シーズトウ)」からの一節です。2010年の2月より朝日新聞で連載されている小説ですが、ごめんなさい、僕はあまり熱心な読者ではありませんでした。ですから、この物語がどのような輪郭を持っているか、語る資格を全く持ちません。話せるのはこの回、それだけです。
中央にぽんと置かれた挿画に朱塗りの椀があり、白と深いみどり色の平行四辺形が薄茶の汁に浮いています。幕を下ろした後の舞台に落ちたまま捨て置かれた紙製の雪みたいに見えて、やや淋しげな風情です。ああ、豆腐の味噌汁だ。磁石に引き寄せられる砂鉄のようになって文字を追いました。実に細やかな描写がそこにあって、思わず溜め息が出ました。
二順(アーシュンと読むようです)という名の父親が、泊まりに来た息子の涼太のために夕食をこしらえます。めったに作らない純和風の献立です。涼太は喜んで箸を伸ばしていく。まだまだ子どもなのです。父親は息子の母親、どうやら別れた妻のことが気になり、口にしづらい質問をおずおずと切り出していくのでした。上ずる声の感じから父親の気持ちを酌み、息子は曖昧ながらも返答していく、そんな情景です。
焦り、震える胸中を代弁するように味噌汁の椀のなかで小型の嵐が突如発生し、具材がぐるぐる逆巻いています。味わい噛み締める余裕をもはや失くし、ぬるい液体がむなしく喉を駆け下っていく。その感じを僕たちはすっかり幻視、幻覚して、一瞬でこの男のやるせなさ、寂しさ、いくらかの嫉妬を自分のものとして深く共振するに至ります。
「やきもちを焼いているんでしょう?」
「やきもち?」
慌てた二順は、手元にあった雑巾で鼻を拭いた。
「祖母ちゃんが言ってたよ。田所の話をしたら、
パパがやきもちを焼くかもよ、ってさ」
涼太は得意げな表情で、両手で味噌汁のお椀を持ち上げ
ながらも、食べる素振りもなく、目をじっと二順の顔に据える。
全くワンパクで賢くて困った子だ。二順は味噌汁のお椀で
顔を隠し、息子の視線から逃げた。(*1)
顔の前まで掲げ持たれる味噌汁の椀。具材を箸で口腔内へ導く間、口もとから鼻、目元までの表情を覆い、向き合う家族、恋人からの視線を避けて、魂の個室を一瞬だけ創出していく。その特質を見事にとらえ切った描写です。これは素敵過ぎます、唸るしかない。楊逸さん、おそれいりました。
ものを食べるという行為のいちいちでここまで踏み込んだものがあっては、きっと疲労困憊しちゃって料理の半分も喉を通らないでしょう。
けど、ときにはこういう時間、魂と料理が肌寄せ合うような得難い時間が人生にはめぐって来てもらいたい、そう心から願います。
どうか素晴らしい夕食を、そして、幸せな朝食を。
いい一日を、やさしい一瞬を。
(*1): 「獅子頭(シーズトウ)」 楊逸 2010 第254回より 私が読んだのは2010年12月29日の朝刊18面でしたが、大都市圏では夕刊に載っているようです。もしかしたら掲載日もずれている可能性があります。イラストは挿画を担当しておられる佐々木悟郎さんのもので、この回を飾っていたものです。旨味の利いた、美味しい絵ですね。ごちそうさまでした!
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