2011年5月25日水曜日
岡本かの子「戦地の兄へ-町家の妹より-」(1938)~みんな元気です~
兄上様、その後御元気ですか。うちではみんなして兄上の御武運を
毎日祈り続けてゐます。兄上がご出征なさつてから早や半歳、
もう秋になりましたのね。その間の御苦労も大抵ではなかつたことと
お察しいたします。(中略)
日本はたとへ戦が長期に亙(わた)つても食料は心配ないといふことです。
でも私たちは手づから野菜を作つて新鮮なものを食べるのもこの際何となく
気を引き立てるものですから、私とお母さんで先頃家の裏の狭い空地ね、
あそこを掘り返して根三つ葉や茗荷の根を植ゑ込んだり、二十日大根の種子を
蒔きました。今では結構それで毎日の味噌汁の実ぐらゐ間に合ひます。
こんな具合ひでうちでも兎に角、みんな元気です。安心して下さいまし。(中略)
兄上様!あなたの好い印象はこの町内の全部の人達の脳裡に深く刻まれて
ゐますよ。何卒、心残りなく専念に闘って下さいませ。敵にも、気温にも、
飲食物にも決して油断なさらぬよう。 妹より(*1)
岡本かの子さんの晩年は日中戦争が起こって大陸への派兵が相次ぎ、事態が泥沼化しつつあった頃でした。林芙美子(はやしふみこ)さんを主人公に据えた桐野夏生(きりのなつお)さんの小説「ナニカアル」(2010 新潮社)なんかを読むと時の軍部は積極的に女流作家を登用し、従軍記事を続々と書かせて国民の昂揚を煽ったことがよく分かりますが、岡本さんとて当然その獰猛な歴史の渦中から逃れることが出来なかったのです。全集をめくる間には戦争に関する文章、それも肯定的な内容のものを幾つも見止めることになります。随筆や論評などに顕著です。
引用したのは昭和13年に月刊誌に発表されたもので、末尾の解題を読むと“「参考慰問文」として掲載”とあります。出兵した家族に向けての手紙はこう書いたら良いのじゃないか、と岡本さんが創作したものであって実際の私信ではありません。食糧事情が悪化する前のどこか呑気な感じがする内容となっていますが、この見本のなかに“味噌汁”が忽然と、ややしたり顔で書かれておりました。
重心は「裏の狭い空地」や茗荷だの大根といった野菜に置かれているにしても、日本のいたる所で懸命に真似て書かれた膨大な数の手紙に“味噌汁”という文字が再現なり、大陸の土を軍靴で踏みしめていた男たちの郷愁を大いに誘ったであろうことが想像されて、ちょっと悲しくなって溜め息をついてしまいました。
文筆業とて生業(なりわい)の一種である以上、意に添わぬものでも我慢して書かねばなりませんし、世情の潮目を読んでおもねった文章を果敢に書くことだってあるでしょう。仕事というものの奥底には必ずそういったものが潜んでいるから、岡本さんの言葉を見ても特段の驚きはなかったのです。でもね、手紙の“見本”とその中の味噌汁という組み合わせは、なんとも言えぬ厭なそぐわない味を口中に残します。苦いというか酸っぱいというか、妙に寒々しい。
僕たちが“その後”をよく知るからです。多くの兵士とその家族、政治を預かる議員や軍人の誰ひとりとして、七年間に渡ってその後起きた殺戮と悲憤の日々を想像し得なかった。穏やかに湯気を立てる嵐の前の“味噌汁”が描かれていて、なんとも物悲しい気分になるのです。
岡本さんを責める訳には誰もいかないでしょう。間違った仕事、恥しい仕事だったと僕は単純には思わない。世相に組み敷かれていく作家の苦渋が生々しく伝わるようだし、それとも岡本さんほどの才覚や観察力を持ちながらも予感出来ずに浮かれてしまったのかは実際のところ分からないけれど、歴史という怪物の先行きのまるで見えぬ怖さ、無慈悲さが体感される貴重な記録と今はなっている。痛痛しくむごたらしい岡本さんの創作ではあったけれど、歴史と拮抗した本物の足跡であって、学ばされるものは多い。
話は少しそれますが、ご長男が大阪万国博覧会の“太陽の塔”をデザインした美術家、岡本太郎さんであることは誰もが知るところです。JRの渋谷駅には黙示録然とした彼の作品「明日の神話」が展示されていて、先日、発電所事故を描いたパーツが第三者によって作られ、作品の片隅に寄り添うようにして貼られて話題になりました。売名であるとか落書きであるとか、手厳しく叱る声はとても多いのだけど、僕は単純に感動してしまいました。生きていれば100歳になっていただろう芸術家はもしかしたら自ら筆を握って同じものを描き足したかもしれない、そんな夢想もしました。だってあの絵は世界の苦悩や矛盾や怒りと向き合っている、そんな時空を超えた補完のされ方が実にお似合いじゃないですか。
メディアミックスの網に誰も彼も、個人も組織も絡め取られていて、叩かれる暇(いとま)もなく出る釘は引き抜かれて永久追放されてしまう、仕事にあぶれてしまう。発言しにくい複雑さ、切なさを僕たちの世界は確かに増しているから、物言えば唇寒しと作家の皆さんのその多くは自重して、コントロールを日々巧みに取っている努力というか必死なところは成程分かるけれど、それにしても余りに静か過ぎると感じます。
科学神話を後押しするならそれを表現していいのだし、覆面を被り、匿名で何か創っても一向に構わない。創作者の遺伝子を継いだ人たちには、この混沌と不安、見えないものに向けて描くなり歌うなりして、僕ら凡人の足元をそれぞれの色とタッチで照らしてもらいたい、そう切実に思います。“その後”をどうすべきか、“その後”に何が来るのかを想像力を駆使してもっと提示してもらいたい。あの落書きに続いてもらいたい、ですね。
(*1): 「戦地の兄へ──町家の妹より──」 岡本かの子 初出「現代」昭和13年(1938) 9月号。岡本かの子全集 第14巻 冬樹社 1977 所載。引用はその529-530頁
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