2011年5月6日金曜日
山内久「若者たち」(1967)~ツケで食わしたのか~
6 佐藤家(朝)
モリモリ飯を食う太郎、三郎、末吉の口、口、口。
オリエ「サブちゃん、先週の食費頂戴。八百四十円」
太郎「(ハッと)ツケで食わしたのか」
オリエ「だって、アルバイトのお金まだ入んないっていうんだもの」
太郎「サブッ!」
ミソ汁のお代りをしようとする三郎の手からお玉を取り上げ、
太郎「すぐ出せ。金を」
三郎、冷然と末吉の汁を飲み、食い続ける。
末吉「よせヨ!」
太郎「規律に従えない奴は出ていけ!」
ガンガンと壁を叩く──。
定「朝食四十五円、晩食七十五円、昼食又は弁当七十円」と
書いて貼ってある。(*1)
遅い夕食を取りながらコントローラーでテレビを付けると、長距離トラックの運転手が助手席の相棒に向かって何か怒鳴っているところです。どうやら映画が始まったばかりのようで、題名も分からぬまま目の端っこで追っていると、やがて上に紹介した朝食の光景に切り替わりました。今は絶滅してしまったように思える貪欲この上ない食べっぷりで、椀に盛られた味噌汁を奪い、奪われしながら、こちらもぐびぐびと威勢よく飲み干されていくのです。卓袱台(ちゃぶだい)を挟んで田中邦衛さんと山本圭さん、それに松山省二さんの顔が見えて、あっ、これは「若者たち」だと気付きました。ちょっと胸がどきどきします。
これまで僕はこの作品を疎(うと)んじていた、と言うか、もっと端的に白状してしまえば政治色が濃厚に想えてひどく警戒していたのです。どこかの団体のプロパガンダだと思い、誰がその手に乗るものかと一方的に回路を遮断していました。あれこれ日頃世話になって敬愛している人の口から何かの拍子にタイトル名が転がり出たりすると、おや、この人は思想が偏向しているのじゃないか、こちらの気持ちを酌んではもらえない頑なで困った一面を抱えているのじゃないかと不安を覚えたりしました。そのような訳ですから、どうしても斜め目線はしょうがないのです。タブーを侵すみたいでもあり、据(す)わりの悪いまま見つめることになりました。
早い時期に親を失って、戦災に耐え、貧窮に苦しみ、偏見と闘ってきた五人兄弟の物語です。立ちふさがる様々なハードルを越えていく様子が感動をもって描かれるのですが、膨大な台詞に続いてけたたましい口論が起こり、組んず解れつの大喧嘩に至るというお約束がある。机や座布団が宙に舞い、器や食べものが飛び、人の身体さえばっと跳びかって痛快です。
論議の対象は深刻なものです。経営破綻と仲間割れ、被爆と結婚、労働災害と弱者切り捨て。畳み掛けてくる討論の内容に耳を奪われ、いつしか気持ちが引き込まれてしまいました。製作当時は題材の暗さから配給会社がこぞって難色を示し、公開さえ危ぶまれた作品だそうだけど、コンピューターを駆使した複雑な編集と特殊効果、重奏し混濁する音曲にすっかり慣れ親しんだ今(2011年)の視聴者目線からすれば、むしろしっくり来る分量と盛り付けになっている。時代が追いついて、娯楽作品としての趣きが具わって見えます。
ひとつの事象を五つの方向から見つめて、お互いの感じたまま、思うままを開陳して兄弟は議論を重ねていくのですが、最後の最後まで一方向のみに傾斜を強めたりしません。バランスが取れているのも見事です。片方が劣勢になって追いつめられ、狭い茶の間にひゅうと風が吹き抜けた感じになると、これまで隅で沈黙を守っていた兄弟がおもむろに口を開き加勢してぐいっと平衡を取り戻していく。満々と水を湛(たた)えた大きな水盤を、皆で支えて上手く運んでいるような案配(あんばい)で実に気持ちがいいのです。
社会であれ会社であれ、もわもわとした矛盾を潜み、奥底には泣けてくるよな不合理を孕んでいるものですが、それを単純に断罪するのでなくって、非難する側、弁護する役を兄弟のそれぞれが担って全力でぶつかっていく。当然の事として波は立ち、飛沫(しぶき)は跳ねてずぶ濡れになるのですが、盆を引っくり返して台無しにすることはない。目指す方向はすこぶる建設的であって、基調となる色彩も日本人好みにとことん浪花節的であるから劇中の実生活から乖離したり空転したりしないのです。
つまり、これまで僕の抱いていたイメージこそが余程偏向し、頑なで困ったものだったのです。大いに反省を促がされると共に、急ぎ脚本を担当されていた山内久(やまうちひさし)さんのシナリオ集を探して噛み締めるようにして読みました。
本のなかには「若者たち」の他に続編にあたる「若者はゆく」(*2)、および「若者の旗」(*3)も収められていて、年数を経て兄弟の成長していく様子がたいへん興味深く、面白く拝読しました。学園闘争、労働争議、公害、夢の島、交通戦争といった当時の世相は直接僕たちの日常にリンクするのでないけれど、問題に向き合う姿勢や規範となる型のような普遍的で大事なものを教わったように感じます。
川面(かわも)を呆然と見守るだけでなく、渦中(かちゅう)に身を投ずる気構えで見据え、討論を導き、大丈夫なのか、本当にそうなのか、後で後悔しないのかと納得するまで何度でも蒸し返していくことの重要性を山内さんは訴えてくれている。今回起きてしまった原子力発電所の事故にしたって面倒な討議を排して、楽な方へ楽な方へと流れてしまった国策のツケが回ってきたように感じますし、爆発後はパニックを恐れる余りに情報を統制して自由な論争を封じた結果、ちょっと回復が難しいほどにも不信の念が国中を覆ってしまった。
ほとんどの国民が蚊帳の外に置かれ、曖昧な言葉ではぐらかされ、新たな基準値を押し付けられ、良心の呵責に悩んで飛び出た人には守秘義務の名目でもって口を封じ、金持ち喧嘩せずといった事なのか分からないけれど、ディスカッションはまるで見えぬままに時間ばかりが過ぎていく。
安直に決め付けるのはおかしいし、なによりも危険だよね。話の輪から皆を外して本当にいいのかな、もっと僕たちは丹念に話し合う癖を身に付けた方が良いのじゃないかと、懸命に、親身になって“44年前の若者たち”が語り掛けている。
NHKの電波を介してあの夜、あの時間に同じようにして食い入るように観ながら、僕と近しい思いを抱いたひとは少なくなかったのではなかろうか。羨ましい感じが凄くするんですよね。僕たちはディスカッションをとても希求している。密度があって、誰もが納得できる討論が面前で展開され、意見が尽くされるのを心待ちにしている。
次々に椀に盛られ、奪い合い飲み干されていった「若者たち」冒頭の味噌汁は、ぜいたくな具が入っていない薄っぺらなものだったかもしれないけれど、とても豊かで健康なものに映りました。いくらか貧乏の象徴として登用された気もしなくはないけれど、個食(孤食)を避け、顔付き合わせる仕組みを作り、腹を割った話し合いを誘導してなかなかに味わい深い役柄だったと思うのです。
(*1):「若者たち」 監督 森川時久 1967 引用はシナリオ集「若者たち」 山内久 汐分社 1984
(*2):「若者はゆく 続若者たち」 監督 森川時久 1969
(*3):「若者の旗」 監督 森川時久 1970 たとえばこんな台詞がありました。「生きることの意味は、環境の改善と、生命の再生産だぞ。その二つには誰だって喜びを感じるだろう。だから誰もがそれを円滑に出来るように保証してゆくことが、生きることの意義だし目的だろう」
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