2012年1月25日水曜日
楳図かずお「恐怖への招待」(1988)~まっきっき~
断わる勇気がなかったのと、気が弱いものだから、くたびれて
いるし、押しきるパワーが足りなくて、とうとう、やるしかないと
いう気になっちゃった。やったんだけど、案の定、次の日、
朝起きると、普段だと前の日くたびれていても、とりあえず朝に
なるとくたびれが抜けているんだけど、朝起きると顔がまっきっきに
なっていて、全然くたびれが取れてないんだよね。それからずっと、
そんな状態が四年間ぐらい続いちゃった。
ちょうど、『おろち』をかきかけの頃だったんだけれど、担当の
臼井さんという方が、毎日せっせとシジミのお味噌汁をこしらえて
くれて、それを飲んでいたけれど、お医者さんに診てもらったら、
やっぱり肝臓を悪くする手前という感じのところまでいっていて、
それがなかなか治らなくて、たとえば一日のスケジュールなんかでも、
ご飯を食べるのに時間を取ろうか、それとも寝るのに取ろうか、
どっちに時間を取ろうかと、こういう感じだったんだから。(*1)
“恐怖マンガ”の第一人者である楳図(うめず)かずおさんが、誰しもが抱えている怖れや惑いに想いを馳せ、それを普通の言葉で表わしてみせた“語りおろし”の一部です。どこでどんな事をきっかけと為して、こころの奥底に恐怖が生じていくのか。幼少年のころに自分を取り巻いていた野や川といった自然やその土地に息づく因習、おとなたちの奇妙な言動をひもとき、また、長じて後は博物館に自ら足を運び、科学者と対談して突きつめていく。四十年という画業を通じてひとつの事にとことんこだわった人の言葉だけに、いくつも頷かされる箇所がありました。
それと同時に(上に引いたような)現実世界での戦いぶりも語られていて、僕としては一層興味を引かれました。十代にデビューした同業者を強く意識し、出遅れたことを何とか取り戻したいと粉骨砕身努力していった楳図さんが、その言葉通りにボロボロの態となっていく。
「週刊少年サンデー」での『おろち』連載は、1969年から翌年にかけてのようですから、楳図さんはその頃まだ32、3歳といったところです。そんな若さで働き詰めに働いて“まっきっき”というのですから、漫画家という仕事は壮絶です。
編集者はあの手この手でもって、人気作家を盛り立てます。仕事場に差し入れをする、賄いの手伝いをするのもその一つかもしれませんが、黄疸(おうだん)の症状が誰の目にも明らかな作家に、“シジミのお味噌汁”を飲ませて執筆を後押ししなければならないというのも、なんともやるせない因果な商売ですね。
漫画家とアシスタントがそれぞれ葛藤を抱えながら机に向かい、ペンをかりかりと走らせている。一方では流し台に立つ編集者がおり、ガス台の青白い光と熱を受けてぼんやりと佇んでいる。当時の仕事場の様子を想像すると、随分と切ない感じを受けます。仕事というものには、どうしてもそういった“泣き笑い”の瞬間が付きもの。生きることの本質を歪めてしまうような、どうにも腑に落ちぬ瞬間に見てみぬ振りをしたり、疑念をぐいと呑み込んで踏ん張っていく、そんな時間ってかならずやって来るものです。
“断る勇気がなかったのと、気が弱いものだから”次々と編集者の声を受け止めてしまう徹底した“寛容のひと”であったことも知れて、ほのぼのと温かい気持ちになります。傍目(はため)にはファッションの奇抜さから唯我独尊の精神を表象して見え、何ら悩みを持たずに暮らして見える楳図さんなのですが、実際の創作現場は苦闘に次ぐ苦闘だったのだし、懊悩(おうのう)を余儀なくされた。
また、“まっきっき”の時期を経て仕事を連載物一本だけに絞り、自分のリズムはもうこれしかない、ほかに刻みようがない、そう自分に説き聞かせるようにして執筆活動の方針を大きく転回させていく辺りは胸に迫るものがありました。
時流に背いて独りで歩むことは勇気もいりますし、気負った肩のちからを弛(ゆる)めていくことは相当の覚悟もいります。「きちんと自分の順番が来た時に、それに合わせて頑張ったほうが、より無駄がない」という楳図さんから僕たちへ向けての吐露には、冴え冴えとした硬度と嘘のない重さをはっきりと感じます。
ひとりの才人のターニングポイントに忽然と現われたこの“シジミのお味噌汁”には、だから和やかさや笑いは映し込まれない。消えゆく白い湯気の裏から、今まさに壁に向き合っている人間の、その瞳の奥をそっと覗いているように見えます。こういう峻烈な装いの味噌汁も中にはあるのだと、しみじみと感心させられました。
さてさて、季節は再度めぐって氷の季節。足を滑らせ、怪我するひとが続出とか。いつもの歩調を少しだけゆるめて、硬度と重みのある確かな一歩をお続けください。怪我をするだけ損ですからね。
(*1):「恐怖への招待 世界の神秘と交信するホラー・オデッセイ」 楳図かずお 河出書房 1988 手元にあるのは加筆、訂正のなった河出文庫(初版1996)で引用箇所はその218頁。表題には最初に世に出された1988年を併記したが、味噌汁のくだりが最初から記載なっていたものか、それとも文庫版で加筆なったものかは未確認。
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