Miso-mythology & Soy sauce‐society
~味噌と醤油は愛をささやく場面にふさわしいか~
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こんな言葉とも出逢いました
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2011年11月18日金曜日
“反抗するその力よりも”
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脚本家の山田太一(やまだたいち)さんが八雲八雲(こいずみやくも)さんのことを書いた「日本の面影」も合わせて読んでいる最中だけれど、予想通り味噌と醤油に関する特段の記述はないですね。古い全集をひもときながら想いをめぐらした気ままな散歩も、そろそろお終いみたいです。 食べもの”に...
2011年10月23日日曜日
You are what you eat
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先日、何年かぶりにある映画(*1)を観直しました。 仕事に行き詰まった初老の作曲家が主人公。溺愛する娘を喪い、そのあげく妻との仲もこじれてしまったのか、単身海辺の避暑地にやって来ます。持病である壊れかけの心臓を療養するのが目的ですが、精神的に追いつめられての雲隠れ、逃避行なの...
2011年2月17日木曜日
Gravy~何もかもが、その一分一秒にいたるまでが~
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No other word will do. For that's what it was.Gravy. Gravy, these past ten years. Alive, sober, working, loving, and being loved by a go...
2010年9月18日土曜日
“主人公”
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ひとと話すのは楽しいものです。いや、苦痛を覚える会話も残念ながら中にはあって、機械のように応対マニュアルを読み上げる電話によるセールスなんかがその典型だけど、人生の機微や知恵に溢れたもの、よくよく見知った人との肝胆相照らす静かな空間は実に嬉しいものです。充実します。得難い宝石箱...
1 件のコメント:
2010年9月12日日曜日
“再生力”
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自分の“限界”を破るというか、なにか凄く── なにかが“破壊”されると “再生力”ってもの凄いものじゃないですか── 佐藤寛子-メタモルフォーゼ -映画「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」より
2010年9月10日金曜日
“この私はなんだ?”
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肉体がその力の頂点に達して衰え始める中年期の問題は、 自己を、衰えかけている肉体と同一視するのでなく、 意識と同一視することです。肉体はその意識を運ぶ道具に 過ぎないのですから。私は神話からそういうことを学びました。 この私はなんだ?私は光を運ぶ電球なのか、それとも、 電球を単な...
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