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脚本家の山田太一(やまだたいち)さんが八雲八雲(こいずみやくも)さんのことを書いた「日本の面影」も合わせて読んでいる最中だけれど、予想通り味噌と醤油に関する特段の記述はないですね。古い全集をひもときながら想いをめぐらした気ままな散歩も、そろそろお終いみたいです。
食べもの”について触れたものではないのですが、最後に備忘録をかねて書き写しておきたい箇所があります。“結局この文章に出会うために読み進めてきたのではなかったかと思わせる、とても刺激を含んだ内容です。文頭に“東京、1904年8月1日”とありますから八雲さん晩年の一篇ですね。当時の日本はロシアとの戦争の只中にありました。前年の明治36年の12月21日にロシアの満州侵略に対し抗議を提出し、同28日には連合艦隊が編制されている。年明けて2月10日に開戦、たちまち海も山も砲火に砕け、戦死者の山を築いていく。
そのような暗澹たる世相にあって、東京という街が、そこに住まう人がまるで何事もないように動き、微笑み、ざわめく様子に八雲さんはひどく驚いているのです。理解しようと努め、どうにかこうにか思案を取りまとめていくのですが、読んでいると随所に不協和音が感じられる。困難なテーマに立ち向かっている証拠です。百年以上も前の考察ながら、あの三月の震災後に生きる僕たち“現代の日本人”を考える上で有益な言葉を多く含んでいるように思えます。
東京、1904年8月1日(中略)
日本にとっては、恐らくは、その国民的生命の無上の危機である。(中略)経験に乏しい人の観察には、日本人はいつもと異なったことは、何ひとつしておらぬように見えるであろう。(中略)心配あるいは意気沮喪(そそう)の情態を示すものとては実際にまったく何ひとつ無いのである。それどころか、国民一般の自信が喜ばしげな調子を見、また幾度の捷報(しょうほう)に接しても、国民の自負心が感心なほど制御されているのを見て誰しも驚く。西からの海流が、日本人の死体をその海岸に撒き散らしたことがある。鉄条網の防備のある陣地を襲撃して幾連隊の兵士が絶滅したことがある。幾艘の戦闘艦が沈没したことがある。だが、いかな瞬間においても、国民的興奮は微塵だもこれまで見ない。人々はまさしく戦前通りに、その日日の職業に従事している。物事の楽しそうな様子は、正しく戦前と同じである。芝居や花の展覧は戦前に劣らず、贔屓(ひいき)を有っている。市外の生活は何の影響もこうむらず、ほかの年の夏同様に、花は咲き、蝶は舞っているが、外見では、東京の生活はそれと同様に、ほとんど戦争の事件の影響をこうむっていない。(中略)この戦争の話はすべて悪夢だと思い込むことが出来るくらいである。(*1)
“捷報(しょうほう)とは戦闘に勝ったことを知らせる報道のことで、そういった報せに関してすら大騒ぎしない様子に八雲さんは首を傾げている。誰からも号令をかけられていないのに、まるで「悪い夢」のよう、「無いこと」のように誰もかれもが振る舞っている。なぜここまで統制されていくのか、不思議を感じている訳です。八雲さんは十四年間の暮らしで習得した知識を総動員して、この謎を解こうと躍起です。
古昔(こせき)、この国民は、その情緒を隠すばかりでなく、精神的苦痛のいか圧迫の下にあっても、楽しそうな声で物を言い、愉快そうな顔を人に見せるように訓練されたのであった。そして彼らは今日もその教訓を守っている。陛下のため、祖国のために死ぬる者どもを亡くした個人的悲哀を現すのは、今なお、恥辱と考えられているのである。(*2)
一般公衆は、あたかも人気のある芝居の舞台面を見るように、戦争の事件を観ているように思える。興奮はせずして興味を感じている。そして、彼らの異常な自制心は「遊戯衝動」の種々な表現に特に示されている。(*3)
日本の武家社会には士農工商といった厳格な身分制度や教育機会の不平等、それから男尊女卑や家長制度などが縦横に張りめぐらされていて、人間の思考はさながら蜘蛛の巣に捕まった羽虫のようなもの。前進も後退もままならない。感情を表に出すことを恥と捉える風潮も重なって、完全に手足をもがれた格好になったのだと八雲さんは(それを悪いこと、遅れたことと単純には否定はしていないのですが)推察するわけです。心の奥に渦巻く軋轢は吹き抜ける穴を探して“娯楽”の形にやがて変幻していき、お芝居や子供の遊び、歌や衣装といったもので花開いていく。深刻な討論や表現が回避され、華やいで笑いが寄り添う分野で“無上の危機”が盛んに玩(もてあそ)ばれる。八雲さんはそれを日本の国に巣食う独特の「遊戯衝動」によるものと捉えている。
刻下の世界震盪(しんとう)的なる事件のうちにあって、歌舞を見て感ずると同一様な楽しみを感じ得る、その不思議な度量を見ると──誰しもこう訊(たず)ねたくなる。『国民的敗北をしたなら、その精神上の結果はどうであろう』と。……思うに、それは事情如何(いかん)によることであろう。クロパトキンが日本に侵入するという。その軽率な威嚇を実行し得るなら、日本国民は恐らく擧(こぞ)って起つであろう。然しそうでない、どんな大不幸を知っても雄雄しく耐え忍ぶであろう。いつからと知れぬ太古からして、日本は異変の頻繁な国であった。一瞬時にして幾多の都市を破壊する地震があり、海岸地方の人口ことごとくを一掃し去る長さ二百里の海嘯(かいしょう)があり、立派に耕作された田畑の幾百里を浸す洪水があり、幾州を埋没する噴火があった。こんな災害がこの人種を鍛錬(たんれん)して甘従(かんじゅう)と忍耐とを養い来たっている。そしてまた戦争のあらゆる不幸を勇ましく耐え忍ぶ訓練もまた十分に為し来たっている。これまで日本と最も近く接触し来たっている外国国民にすらも、日本の度量は推量されないままで居た。攻撃を耐え忍ぶその力は、攻撃に反抗するその力よりもあるいは遥かに勝っているかも知れぬ。(*4)
“クロパトキン”とはロシア満州軍総司令官アレクセイ・ニコラエヴィッチ・クロパトキンのことです。“海嘯(かいしょう)”とは、ここでは大津波のことを指しています。日本人の寡黙、微笑み、どんな不条理な事態に面しても憤然とすることなく決して拳(こぶし)を振り回さない“おとなしさ”は、天変地異に幾度も襲われ、そのたびに耐え忍び、生き延びてきた歴史の産物ではないか──そのように八雲さんは考えるのです。
八雲さんが言う“頻繁な異変”とはどんなものか。来日してから亡くなるまでの期間、どのような災害が我が国を襲ったかをここで振り返ってみましょうか。(*5)
【1890年(明治23)】~八雲来日の年~
2月27日 浅草の大火(約1500戸焼失)
9月5日 大阪の大火(約1800戸焼失)
【1891年(明治24)】
12月30日 鳥取県淀江町大火(2600戸焼失)
【1892年(明治25)】
4月10日 東京神田の大火(約4000戸焼失)
【1893年(明治26)】
3月29日 伊勢松坂町の大火(約1000戸焼失)
【1894年(明治27)】
1月24日 鹿児島市大火(503戸焼失)
5月27日 山形市の大火(1200戸焼失)
6月17日 横浜市の大火(約1000戸焼失)
【1895年(明治28)】
6月2日 越後新発田の大火(約2000戸焼失)
【1896年(明治29)】
4月13日 越前勝山町の大火(1200戸焼失)
6月15日 三陸地方に大津波(死者2万7122人、流出・破壊1万390戸)
7月7日 富山県下の大水害(流失3000戸)
8月26日 函館の大火(約2220戸焼失)
【1897年(明治30)】
4月22日 八王子の大火(約3100戸焼失)
【1898年(明治31)】
6月5日 直江津の大火(約1600戸焼失)
【1899年(明治32)】
8月12日 富山市の大火(約5000戸焼失)
8月12日 横浜開港以来の大火(約3200戸焼失)
9月15日 函館の大火(約2000戸焼失)
【1900年(明治33)】
4月19日 福井の大火(約1700戸焼失)
【1902年(明治35)】
3月30日 福井市で大火(約3000戸が焼失)
8月7日 鳥島が大爆発、島にいた125人全員が死亡
9月28日 関東・東北地方に大暴風雨(足尾銅山の山崩れで死者34人、不明170人)
【1904年(明治37)】~八雲急逝の年~
5月8日 小樽の大火(2481戸焼失)
これは酷い。なるほど毎年のように大きな火事があり、その度に何千もの家屋が焼け落ちています。今回の被害を語る際に話題によく上る三陸地方の大津波も、八雲さんはすごく身近に感じていたんですね。ここまで大きな災害がくり返されると、八雲さんの言わんとすることも当たっているような気になって来ます。喜んでいるのじゃありませんよ、逆に困惑している、心配になってくる。
ウェブを介して情報を収集する手癖の付いてしまった人には、はっきりとした触感となって感じられる話なのですが、海外の視線はまさに八雲さんが書いたこの“不思議な度量”に今なお注がれていていて、むしろ勢いは強まっている。一挙手一投足を睨(ね)め付けるかの如しです。“反抗するその力よりも遥かに勝っている”日本人の“耐え忍ぶその力”に対して唖然とし、いや、そろそろ愕然とする域に踏み込んで見えます。
僕たちの身体に染み入ってしまった忍従の力が、かえって“国民的生命の無上の危機”へと僕たちを追いやっていないか、真剣に考える必要がありそうです。現代のクロパトキンの侵入は軽率な威嚇程度では済まない。“甘従(かんじゅう)と忍耐”では抗しきれない相手のように思えます。
八雲さんの遺した言葉を日本人礼讃と捉え、美しい態度、素晴らしい姿じゃないか、さあ頑張ろう、いっしょに耐えていこう──そのようにまとめるのが普通かもしれないけれど、僕にはどうしてもそうは思えないんですね。きっと八雲さんも望まないように思えます。
(*1): The Romance of the Milky Way and other studies and stories(天の河縁起そのほか)「日本からの手紙」 小泉八雲 1905 大谷正信訳 全集第7巻 485-487頁
(*2):同487-488頁
(*3):同488頁
(*4):同506-507頁
(*5): http://meiji.sakanouenokumo.jp/
先日、何年かぶりにある映画(*1)を観直しました。
仕事に行き詰まった初老の作曲家が主人公。溺愛する娘を喪い、そのあげく妻との仲もこじれてしまったのか、単身海辺の避暑地にやって来ます。持病である壊れかけの心臓を療養するのが目的ですが、精神的に追いつめられての雲隠れ、逃避行なのは誰の目にも明らかです。そこで出逢った眉目秀麗な少年タッジョに目を奪われ、平衡を失っていた男の魂はさらに深く傾いで転覆寸前となるのでした。
物語の背景にあるのは“疫病”の蔓延です。“死”を強く意識させて男の内面や美意識を彫り込んでいく。
登場人物を追い込み、魂の振幅を後押しするのは作劇上の技法としては常套手段であって、悪魔や犯罪者の群れなんかが背景を彩ります。けれど、この映画のあまりの生々しさ、現実世界と共振するさまに意表を突かれ愕然としてしまいました。原作をひもといてみれば、男は喉の渇きを潤すために腐れかけの苺を(十分に疾病のリスクを承知していながら)口にしており、それが原因で罹患して終幕意識を失います。情報の隠蔽と規制、出版物の購入差し止めなどが描かれてもいます。ロマンティークな気分は遠のいてしまい、黙示録の光景、恐るべき啓示として目に映ってなりませんでした。
また、昨日には一通のお手紙をいただきました。まさに渦中のなかの渦中に住まうひとからで、そこには「この度の原爆事故の一刻も早い収束を祈っています」と書かれていました。“原発”ではなく“原爆”と綴られている。間違いには違いないが、実感として当たっている、正しいと僕は感じています。
津波に襲われ破壊し尽くされた沿岸部にたたずんだとき、僕の意識は大戦の惨禍と無理なく直結しました。手紙の女性が原発と原爆を連結して筆を走らせてしまったのは、恐らく自然すぎるほど自然な思考の流れが彼女の脳裡にあったためです。もっともな事態です。
本能や直感を冷笑し、冷静さ、科学的根拠の名のもと言われるまま(というより“言われないまま”というのが実態に即しているように思えますが)行動するだけで本当に大丈夫なのか。僕のなかでは盛んに波立つものがあって、落ちつかぬ日々を過ごしています。
なるほど放射線障害とイタリアの古都を襲った疫病は違います。また、発電所事故と広島、長崎を襲った原子爆弾の炸裂とは無関係です。けれど、私たちは何かしらの地図を頼りに、自分たちなりに道を見定めながら歩いていくべきだと感じます。ロシアの事故、目を覆う戦禍、しのび寄る疫病といった先人の背負った“現実”をそっと懐中に忍ばせて、自分たちなりの歩みを続けなければいけない。
You are what you eat ──そんな言い回しを以前教わりました。
これからの僕たち、そして、僕たちの次の世代にとってこの言葉の放つ意味は何層にも膨らんでいくでしょう。食べることに限らず、読むこと、見ること、学ぶことといったあらゆる“摂取”行為が次の一手を大きく左右していく。
弛緩してばかりはいられない。笑ってばかりの時代は過ぎたように思えます。ふくらはぎか足裏か、どこかには緊張を引きずりながらしっかり歩んでいきたい、そう思っています。
(*1):Morte a Venezia / Death in Venice 監督ルキーノ・ヴィスコンティ 1971
No other word will do. For that's what it was.Gravy.
Gravy, these past ten years.
Alive, sober, working, loving, and
being loved by a good woman. Eleven years
ago he was told he had six months to live
at the rate he was going. And he was going
nowhere but down. So he changed his ways
somehow. He quit drinking! And the rest?
After that it was all gravy, every minute
of it, up to and including when he was told about,
well, some things that were breaking down and
building up inside his head. "Don't weep for me,"
he said to his friends. "I'm a lucky man.
I've had ten years longer than I or anyone
expected. Pure Gravy. And don't forget it."(*1)
友人に薦められて以来(眠りに就くまでのほんのわずかな時間ではあるのだけれど、)読み進めている村上春樹さん訳のレイモンド・カーヴァー作品群。その中に「GRAVY」という題名の詩を見つけました。
訳者の解説にもありますが、この“GRAVY”というのは「肉を煮焼きするときに出る汁」のことです。「多くは漉して塩・胡椒で調味し、小麦粉や澱粉で濃度をつけて肉料理のソースとして用いる」ものなのだけど、これが本来の“美味い汁”から転じて怪しげな気配を発する「甘い汁」になり、「あぶく銭」「思いがけない利得物」を表わす隠語になりました。
口腔に渦巻くように広がっていく旨味や甘味。肉だの香辛料だのといったちりちりの砕片が丸みを帯びて感じ取れる油脂の隙間から不意を衝いて跳び出し、口蓋をれろれろ撫で回し、舌を弄(もてあそ)び、唇を赤く火照らせ、いつしか随喜の涙まで溢れて視界がおぼろに曇っていく。複雑に絡み合う味覚と嗅覚の饗宴は原初的な喜びへとイメージを連ねてしまい、このGravy、「欧米では“快楽”の象徴」という大それた役目さえ担っている。強烈で奥深い単語ですね。(*2)
アルコールに深く依存し、家族を破壊と離散へ追い込んでしまった長く苦しく時期を、そう遠くない過去にカーヴァーさんは抱え込んでいます。辛くもその地獄から脱却して、最大の理解者にしてまがいなき同伴者たるテス・ギャラガーというひとりの女性と出会い、まさに生まれ変わるようになって、穏やかで、けれど精力的な時間を共に過ごしていく。彼の軌跡を追うようにして全集を読み進めてきた僕の中にも、なんとなく一皮剥けた感じが宿っています。
大病を抱えて死を意識することが多くなった晩年に書かれ、終には墓碑銘ともなったこの“GRAVY”には、そんな彼個人の人生観、世界観が示されると同時に僕たちに向けても烈しく照射されるものがあります。日ごろ漫然と凝視めるだけの身近な風景を明るく鮮やかに活き返らせる力を含んでいる。そのように読みました。
人生は“GRAVY(肉汁)”だよな、と心でつぶやくだけで、世界は(もしかしたらそれは汚れていても、崩れていても、錯綜していても)ふっと明度を上げていくのです。そうだよ素敵だろ、奇蹟の連続だろ、生きているって良いだろ、これからもきっと楽しいぜ、と微笑んで肩を叩いてくれる。
「人生は“味噌汁”だ」と言われたって、なかなかそこまで気持ちは和まない。計算され尽くした和食の世界観はごった煮の寛容、清濁合わせ呑む余裕を秘めていない。受け皿がとっても小さくって、笑顔を返してくれそうにないなあ。悔しいけど、それは正直な実感だよ。
実は先日、二十数年ぶりにスノーモービルにまたがり雪野を走りました。勘を取り戻すまでちょっと時間がかかりましたが、冷気を貫き、瘤に跳び、思い切り煙をたなびかせて白い地平を切り拓いていく感じは嬉しく有り難いものがありました。 無駄以外のなんでもないけど、でも、こころから笑える瞬間。
確かに人生は苦味も塩味も当然に含んだ“GRAVY(肉汁)”だなあ。多層なこころは整頓ならぬそのままに、けれど萎縮することなく、活発に、様ざまに彩られても一向に構わない、ごった煮であっても善いんだ。 そんな風に、自分自身に言い聞かせているところです。
考えてみれば、これ以上に相応しい言葉はどこにもない。この
十年の歳月、それはまさにGRAVYそのものだった。
生きていて、しらふで、働いて、愛して、そして
素敵な女に愛されること。十一年
前に彼はこう言われた。この調子で進んだら
せいぜいあと半年の命ですよと。進む先には
破滅あるのみ。それで彼はなんとか
生き方を変えた。酒を断ったのだ!そしてどうなったか?
そのあとは何もかもが、その一分一秒にいたるまでが、GRAVY
だった。彼のからだのどこかがまずくなって、頭の中に何かが
生じていると告げられたその瞬間をも、そう、それも
含めてだ。「僕のために泣いたりしないでくれよ」
と彼は友人たちに言った。「僕は幸運な男だ。
まわりのみんなが、あるいは自分が予想してたよりも十年も長く
生きたんだもの。実にGRAVYじゃないか。そのこと、覚えておいてくれよな」(*3)
(*1): Gravy Raymond Carver 引用は下記の頁より
http://agenbiteofinwit.com/gravy.html
(*2): http://dic.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=GRAVY
(*3): 「THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER 6 象/滝への新しい小路」 レイモンド・カーヴァー 村上春樹訳 中央公論新社 1994
GRAVY は1989年の「滝への新しい小路」A New Path To The Waterfallに所収されたもの。直接味噌とは交錯しないので、目次には載せません。
ひとと話すのは楽しいものです。いや、苦痛を覚える会話も残念ながら中にはあって、機械のように応対マニュアルを読み上げる電話によるセールスなんかがその典型だけど、人生の機微や知恵に溢れたもの、よくよく見知った人との肝胆相照らす静かな空間は実に嬉しいものです。充実します。得難い宝石箱のような感じがします。
先日、とある婦人と話していて、こんな事を言われました。
さしあたりの車、さしあたりの家、さしあたりの暮らしをしていると、
結局、“さしあたりの人生”になってしまうよ
白い閃光を放って、胸にすとんと飛び込みました。う~ん、心臓に突き立ってずいぶんと痛い。同年輩や僕より若いひとから言われたら反撥するものも沸くところでしょうが、ふた回りも年数を重ねてきた彼女の言葉はとても重くて打ち返せない。う~ん。
いや、実際のところ、とても笑ってなどおれない。
本当に痛い。
そのような境地は婦人の内部から派生したものではなくって、よく知るご友人から彼女に告げられたもの──とのこと。詳細を書き連ねるのは控えるけれど、なるほど豪語されても仕方がない。日常を謳歌されていて言葉遊びに終わっていない。例えば足腰が弱ってきたからと蟄居することを潔(いさぎよ)しとせず、絶景を愛(め)で、清澄な大気に直に触れようと熱心に画策する。仲間を募ってヘリコプターをチャーターまでして、堂々と実現に導いていく。経済的な基盤が後押しするにしても、自らの人生のまさに“主人公”として登壇し続けている、その現役であろうとする気概がうかがえて、実際にお目にかかったわけでもないけれど、やたらと眩しい。 天空を高く飛ぶ鳥を仰ぎ見るような感じ。
お茶をご馳走になりつつ、顔は笑顔を保つけれど、かなり身に応(こた)えた。
今もぐるぐると言葉は渦巻いて、洗濯機にでもなった気分だ。
自分の“限界”を破るというか、なにか凄く──
なにかが“破壊”されると
“再生力”ってもの凄いものじゃないですか──
佐藤寛子-メタモルフォーゼ
-映画「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」より
肉体がその力の頂点に達して衰え始める中年期の問題は、
自己を、衰えかけている肉体と同一視するのでなく、
意識と同一視することです。肉体はその意識を運ぶ道具に
過ぎないのですから。私は神話からそういうことを学びました。
この私はなんだ?私は光を運ぶ電球なのか、それとも、
電球を単なる道具として使っている光そのものか。(*1)
(*1):「神話の力」THE POWER OF MYTH ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ共著 飛田茂雄訳 1992 早川書房 手元にあるのはハヤカワ文庫版