2012年2月12日日曜日

夏目漱石「草枕」(1906)~通じねえ、味噌擂(みそすり)だ~


「痛いがな。そう無茶をしては」

「このくらいな辛抱が出来なくって坊主になれるもんか」

「坊主にはもうなっとるがな」

「まだ一人前じゃねえ。――時にあの泰安さんは、どうして死んだっけな、御小僧さん」

「泰安さんは死にはせんがな」

「死なねえ? はてな。死んだはずだが」

「泰安さんは、その後(のち)発憤して、陸前の大梅寺へ行って、修業三昧じゃ。

 今に智識(ちしき)になられよう。結構な事よ」

「何が結構だい。いくら坊主だって、夜逃をして結構な法はあるめえ。御前なんざ、

 よく気をつけなくっちゃいけねえぜ。とかく、しくじるなあ女だから――

 女ってえば、あの狂印(きじるし)はやっぱり和尚さんの所へ行くかい」

「狂印と云う女は聞いた事がない」

「通じねえ、味噌擂(みそすり)だ。行くのか、行かねえのか」

「狂印は来んが、志保田の娘さんなら来る」

「いくら、和尚さんの御祈祷(ごきとう)でもあればかりゃ、癒(なお)るめえ。

 全く先の旦那が祟ってるんだ」

「あの娘さんはえらい女だ。老師がよう褒めておられる」

「石段をあがると、何でも逆様だから叶(かな)わねえ。和尚さんが、

 何て云ったって、気狂(きちげえ)は気狂だろう。――さあ剃れたよ。

 早く行って和尚さんに叱られて来めえ」

「いやもう少し遊んで行って賞(ほ)められよう」

「勝手にしろ、口の減らねえ餓鬼だ」

「咄(とつ)この乾屎(かんし)けつ」

「何だと?」

 青い頭はすでに暖簾(のれん)をくぐって、春風(しゅんぷう)に吹かれている。(*1)


 ハードディスクプレイヤーに録り溜めした長編映画(*2)を昨日一気に観たおかげで、頭の芯が痺れたようになっています。昨年の春の震災とそれに続く事故は、ひとの生命や生活を粉微塵にし、見通しの利かない借り住まいを余儀なくされている人も大勢います。どうしてもそんな状況と物語を重ね観てしまうものだから、気持ちが入ってしまって仕方ありませんでした。計7時間という長編ということもあるけれど、あれこれ考えながらの時間となったのが痺れをもたらした原因でしょう。


 戦禍が日常に及び、暮らしの趣きをことごとく変えていく、そのような激動の時代に生れずに済んだことを感謝していた僕でしたが、この度の震災は世に例外はなく、遅かれ早かれ誰も彼もが艱難辛苦との対峙を迫られることをはっきりと諭されたように感じます。テレビジョンや雑誌の送り出すものが精彩を失い、替わってこれまでは絵空事にしか見えなかった物語世界が我が身の未来を予見するやもしれぬ黙示録にも見えてくる。古い小説が新訳されたり、色の褪せた映画が丹念にリストアされてスクリーンに蘇えり、濃淡ありありと眼前に広がるようにして、急速に息吹を増してくる。世界がはげしく伸縮して感じられる。


 先日観たグレン・グールドのドキュメンタリー(*3)に触発され、年甲斐もなく手に取ったのが「草枕」でした。百年以上も前に書かれた話ですが、やはりこちらも胸に響いた。こんな年齢で漱石(そうせき)作品に触れるのは滑稽を越えて哀れな感じがして、とても恥ずかしく、余程書き留めるのをためらったのだけど、生きて暮らしていることの記録として残しておこうと思います。グールドが関心を寄せただろう芸術論も面白く読みましたが、当時の世間をくまなく覆っていた戦争の暗い影(日露戦争)とこれが狂わす人間の運命が切実で、厳粛な気持ちで頁を繰りました。


 上に引いた箇所は物語の中段に登場する床屋の様子です。山奥のひなびた宿に逗留している主人公が、村の理容店を訪れて頭を刈ってもらいます。後から入って来た寺の小僧と店主との間で交わされるのがこんなやり取りなのでした。話題の主は主人公の泊まる宿の出戻り娘で“那美(なみ)”というおんなであり、また、かつて彼女に懸想した挙句に行方をくらました若い僧“泰安”のことです。謎めいた面持ちの那美に深い関心をよせる主人公は、横でそのやりとりにそっと耳を澄ましている。


 麹(こうじ)や大豆の硬い粒が残る味噌をすり鉢に入れてはごりごりと擂(す)って、舌触りをなめらかにしてから利用することが往時の家庭では当たり前だったのでしょう。今では想像しにくい家事のひとつですが、寺社にあってはそのような調理前の下ごしらえを目下の者が行なうのが常でした。これが転じて半人前の僧を“味噌擂り(小僧)”と称するらしい。“みそっかす”とも通じる風合(身近から追い出さない、逃げ道が設けられた柔らかな印象)があります。


 会話の最後に登場する“咄(とつ)”とは舌打ちした時の音「ちぇっ」とか「ちっ」の意味であり、“乾屎(かんし)けつ”とは、厠(かわや)に備えられた木のへらの事です。専用の紙が無かった時代に各人が各人のしりの汚れをそれを使ってぬぐっておりました。“味噌擂(みそすり)”という蔑称に対する少年側からの逆襲なわけで、ここで両者は対となって一種の“クソミソ”的表現になっている。「ちぇっ、クソ取りべらめ」という意味ですからね、それにしても随分な悪態です。


 “乾屎(かんし)けつ”について気になって調べてみれば、禅話によく登場するものらしく、小僧の口から飛び出したのも日頃和尚から聞かされている法話が影響しているのでしょう。ウェブのあちこちにある解説を読めば分かりますが、決して悪い言葉ではないのが分かります。狭くて娯楽もない小さな山の村にあって、寺の小僧と店主はそんな“邪気のない悪口”をたたきながら日々の溜飲をさげているわけです。


 抗い難い世の流れにあって、想いを交わす人はちりぢりになり、時にはどちらかの生命が無情にも奪われさえします。例外のない一生はない。それと静かに向き合いながら、諦観を湛えながら人は言葉を探し、互いを鼓舞していくものなのでしょう。詮無いことと決めつけず、今後もあれこれと他愛もないお喋りをして行きたいものです。時には“邪気のない悪口”を言い合って、肩を叩き春風に吹かれたいものです。


(*1):「草枕」 夏目漱石 初出「新小説」1906(明治39)年9月 手元にあるのは新潮文庫138刷 引用は74‐75頁
(*2): ВОЙНА И МИР 監督 セルゲイ・ボンダルチュク1965-67
(*3):Genius within: The Inner Life of Glenn Gould 2009 監督ミシェル・オゼ、ピーター・ レイモント



2012年2月2日木曜日

吉村龍一「焔火(ほむらび)」(2012)~ふんだんにあるものの~



 翌日からおれは台所をあずかることとなった。

 牛殺しは毎朝六時にでかけていく。それまでに飯を炊き、

弁当をこしらえる。一度に腹におさめるのは、一合の飯。

朝は味噌汁、梅干し、高野豆腐の煮付け。弁当に握りこぶし

ふたつ分の握り飯と、味噌漬け。夕食は芋と大根の炊き合わせが

主な副食だった。一週間がすぎたころその献立に首をひねった。

肉や魚がまるでない。味噌や醤油はふんだんにあるものの、

干し椎茸や山菜などが食材のほとんどだ。獣をしとめてくる

こともなく、いつも山のものを調達して帰ってくる。

山賊にそぐわない、精進料理のような献立におれは謎を

ふかめた。(*1)


 吉村龍一(よしむらりゅういち)さんの小説「焔火(ほむらび)」からの一節です。


 どちらを本業と思っておいでか分かりませんが、吉村さんは“調理”に携わる仕事に就いておられる。いやいや、本業とか副業といった発想はもう古いですね。僕たちの内実は多層化、多角化が進んでいて、たったひとつの“かたち”では充足を見出しにくくなっている。それが本当ですよね。僕みたいな不器用な者ほど、正だの副だの順列を付けて安心したがる訳ですよ、どうしようもないですね。


 兎も角、吉村さんは調理に日々取り組んでいる。そこで生じた隙間のような時間を縫って、取材や構想といった文筆業に同時に当たっていく。そんなことが影響していると見えて、作者の“食べもの”への眼差しには独特の執着が見られます。


 味噌や醤油(および調理光景、料理といったもの)の具体的な描写はそう多くは並ばないのですが、上の記述はちょっと面白かった。流浪する主人公が山中で初老の男に出逢います。精神的な部分を浮き彫りにする役割として、味噌と醤油が“ふんだんに”備えられた台所が登場していました。その“ふんだんにある”味噌と醤油を使って、“精進料理のような”料理が坦々と作られていくのです。


 僕たちが“精進料理”を口にする機会は稀にめぐってきますが、いずれも精神的な営みと深くかかわっていますよね。思えばあれって不思議な取り合わせになっている。食べてよいものと悪いものの取捨選択の基準はもちろん「肉」であり、代用品の意味合いもこめて大豆料理が幅をきかせている。それ以上に突き詰めて考えたことはなかったのだけど、もうちょっと踏み込んで思案しても罰は当たらないかもしれません。


 肉や魚といった美味しくてヨダレがこぼれるような贅沢品が排除されていく一方の、どうしようもない“残り滓(かす)”でそれらはあるのか、それとも魂を研ぎ澄ますために積極的に選ばれたものなのか。どう捉えるかで、器を彩る食材の見え方はまるで違っていきます。


 それ自体に聖性が付されている訳ではないけれど、仏への祈りや故人との交信に寄り添う“許しを与えられたもの”として味噌や醤油はあるのかもしれない、そんな連想が奔って面白く読んだところです。


 あれこれ「焔火(ほむらび)」については書き留めたいことはあるのだけれど、連日の寒波と積雪に疲労困憊しているところがあり、今日はこれで筆を置きますね。この雪が大気を洗い、清らかな飲み水を僕らにもたらしてくれる。そう思えばどこまでも美しい光景であるのだけれど、さすがに疲れちゃいました。


 皆さんもどうぞ気を付けて、転ばぬように、滑らぬようにお過しください。

 颯爽と風切って、けれど一歩一歩を大切にしながら、街をお歩きください。


(*1):「焔火(ほむらび)」 吉村龍一 講談社 2012 引用は134頁

2012年1月25日水曜日

楳図かずお「恐怖への招待」(1988)~まっきっき~


 断わる勇気がなかったのと、気が弱いものだから、くたびれて

いるし、押しきるパワーが足りなくて、とうとう、やるしかないと

いう気になっちゃった。やったんだけど、案の定、次の日、

朝起きると、普段だと前の日くたびれていても、とりあえず朝に

なるとくたびれが抜けているんだけど、朝起きると顔がまっきっきに

なっていて、全然くたびれが取れてないんだよね。それからずっと、

そんな状態が四年間ぐらい続いちゃった。

 ちょうど、『おろち』をかきかけの頃だったんだけれど、担当の

臼井さんという方が、毎日せっせとシジミのお味噌汁をこしらえて

くれて、それを飲んでいたけれど、お医者さんに診てもらったら、

やっぱり肝臓を悪くする手前という感じのところまでいっていて、

それがなかなか治らなくて、たとえば一日のスケジュールなんかでも、

ご飯を食べるのに時間を取ろうか、それとも寝るのに取ろうか、

どっちに時間を取ろうかと、こういう感じだったんだから。(*1)


 “恐怖マンガ”の第一人者である楳図(うめず)かずおさんが、誰しもが抱えている怖れや惑いに想いを馳せ、それを普通の言葉で表わしてみせた“語りおろし”の一部です。どこでどんな事をきっかけと為して、こころの奥底に恐怖が生じていくのか。幼少年のころに自分を取り巻いていた野や川といった自然やその土地に息づく因習、おとなたちの奇妙な言動をひもとき、また、長じて後は博物館に自ら足を運び、科学者と対談して突きつめていく。四十年という画業を通じてひとつの事にとことんこだわった人の言葉だけに、いくつも頷かされる箇所がありました。

 それと同時に(上に引いたような)現実世界での戦いぶりも語られていて、僕としては一層興味を引かれました。十代にデビューした同業者を強く意識し、出遅れたことを何とか取り戻したいと粉骨砕身努力していった楳図さんが、その言葉通りにボロボロの態となっていく。

 「週刊少年サンデー」での『おろち』連載は、1969年から翌年にかけてのようですから、楳図さんはその頃まだ32、3歳といったところです。そんな若さで働き詰めに働いて“まっきっき”というのですから、漫画家という仕事は壮絶です。

 編集者はあの手この手でもって、人気作家を盛り立てます。仕事場に差し入れをする、賄いの手伝いをするのもその一つかもしれませんが、黄疸(おうだん)の症状が誰の目にも明らかな作家に、“シジミのお味噌汁”を飲ませて執筆を後押ししなければならないというのも、なんともやるせない因果な商売ですね。

 漫画家とアシスタントがそれぞれ葛藤を抱えながら机に向かい、ペンをかりかりと走らせている。一方では流し台に立つ編集者がおり、ガス台の青白い光と熱を受けてぼんやりと佇んでいる。当時の仕事場の様子を想像すると、随分と切ない感じを受けます。仕事というものには、どうしてもそういった“泣き笑い”の瞬間が付きもの。生きることの本質を歪めてしまうような、どうにも腑に落ちぬ瞬間に見てみぬ振りをしたり、疑念をぐいと呑み込んで踏ん張っていく、そんな時間ってかならずやって来るものです。

 “断る勇気がなかったのと、気が弱いものだから”次々と編集者の声を受け止めてしまう徹底した“寛容のひと”であったことも知れて、ほのぼのと温かい気持ちになります。傍目(はため)にはファッションの奇抜さから唯我独尊の精神を表象して見え、何ら悩みを持たずに暮らして見える楳図さんなのですが、実際の創作現場は苦闘に次ぐ苦闘だったのだし、懊悩(おうのう)を余儀なくされた。

 また、“まっきっき”の時期を経て仕事を連載物一本だけに絞り、自分のリズムはもうこれしかない、ほかに刻みようがない、そう自分に説き聞かせるようにして執筆活動の方針を大きく転回させていく辺りは胸に迫るものがありました。

 時流に背いて独りで歩むことは勇気もいりますし、気負った肩のちからを弛(ゆる)めていくことは相当の覚悟もいります。「きちんと自分の順番が来た時に、それに合わせて頑張ったほうが、より無駄がない」という楳図さんから僕たちへ向けての吐露には、冴え冴えとした硬度と嘘のない重さをはっきりと感じます。

 ひとりの才人のターニングポイントに忽然と現われたこの“シジミのお味噌汁”には、だから和やかさや笑いは映し込まれない。消えゆく白い湯気の裏から、今まさに壁に向き合っている人間の、その瞳の奥をそっと覗いているように見えます。こういう峻烈な装いの味噌汁も中にはあるのだと、しみじみと感心させられました。

 さてさて、季節は再度めぐって氷の季節。足を滑らせ、怪我するひとが続出とか。いつもの歩調を少しだけゆるめて、硬度と重みのある確かな一歩をお続けください。怪我をするだけ損ですからね。

(*1):「恐怖への招待 世界の神秘と交信するホラー・オデッセイ」 楳図かずお 河出書房 1988 手元にあるのは加筆、訂正のなった河出文庫(初版1996)で引用箇所はその218頁。表題には最初に世に出された1988年を併記したが、味噌汁のくだりが最初から記載なっていたものか、それとも文庫版で加筆なったものかは未確認。

2012年1月21日土曜日

楳図かずお「井戸」(1974)~長い髪の毛~



  食卓についている男と妻
  椀をかかげて味噌汁をすすっていた男が、不意に大声をあげる

男「あっ!?」

妻「どうなさいました……!?」

男「みそしるの中から長い髪の毛が!?」

妻「まあ!?」

  場面一転、街なかの公園
  背広姿の男がその中を歩きながら、怪異を思い返している 

男「も、もしやあれは20年前に突然おれにだまって
  どこかへ行ってしまった浮気なカナ子の髪の毛では………?」(*1)


 上に引いたのは楳図(うめず)かずおさんが70年代に発表した、わずか8頁(1コマ1頁構成、ですから計8コマ)の実験的な短編「井戸」の冒頭部分です。初老の夫婦がテーブルで食事をしていると、なんと“みそしる”の中から髪の毛が見つかります。頭はともに年齢相応の色になっていますから、黒々としたこの闖入者は妻のものでもなければ夫のものでもないのです。その長さからいって、どうやら女性のものらしい。二人暮らしの古い住居です。最近は訪ね来るひともそういませんから、なんとなく変です。

 面白いお話なので、ざっと紹介してしまいましょう。(結末に触れます)

 男はまだ会社勤めの身です。天気は快晴。鞄を下げて公園を横切りながら、不意に昔の記憶が蘇ってきました。訳も言わずに自分のもとを立ち去って、以来ぱったりと連絡が途絶えてしまった相手がいたけれど、もしかしたらそのおんなのものじゃないかしら。たった一本の髪の毛が隠栖(いんせい)するに似て乾燥気味だった男の日常を縛りはじめ、過去へと盛んにこころを誘(いざな)うのでした。

 怪異は続きます──洗面台に男が向かっていたところ、蛇口から流水といっしょに指輪がひとつ、カタンと軽い音をたてて転がり出たのです。屋敷にはいまだ枯れずに水を湧かせる井戸があり、今は簡単な覆いがされ、据え付けられた小型ポンプが自働運転をしています。汲(く)まれた水は配管を通じて建物の方々へと行き渡り、炊事や洗面といった家事全般に使われている。謎を解く鍵はその井戸の奥にあるようです。

 電灯の光もよく届かない深さと暗さです。こうなると意を決して臨むしか道はありません。単身ロープを伝い降り至った男の目に、ついに“何か”が映りました。「ま、まさか…そ、そんなバカなことが…………」男の叫び声がわんわんと反響します。場面替わって、井戸端会議の様子です。妻の言葉とさりげない描写から僕たちは、男が二度と井戸から這い出ることがなかったことを知ります。塀向こうのご近所の人に夫の失踪を伝える妻の顔は、不思議と穏やかで屈託がありません。妻は近日中に井戸を御役御免とし、土を入れて固める決意を合わせて報告するのでした───

 楳図さんの「蝶の墓」や「アゲイン」なんかは読んでいましたが、気の弱い僕はいかにも怖そうなものは避けていたところがあります。小学生の時分には表紙を見ただけでごめんなさい、という感じだったのでしたが、年始の休みを利用してそんな“こわい本”ばかりを一気に読み進めてみました。

 好奇心旺盛な少女たち、男たちが“見よう”とする衝動にどうしても抗し切れず、禁忌(きんき)を破って廊下の奥の部屋や朽ちかけた屋敷に足を踏み入れます。気付いた時にはもう遅く、ろくでもない事態に陥っているという流れですね。外貌が“怪物化してしまった人間”と目と鼻の先で向き合わなくてはならない。うろこで埋まったり、血と膿みでぐちゃぐちゃの顔に「ギャ~~ッ、うわーッ」と叫び、出口を求めて駆け出します。焦点のあわぬ目をぐわりと剥いて、かん高く笑いながらその背中に突進してくる楳図さんの化け物たちは不気味ですが、この齢になってみれば笑えるところもあります。

 むしろ今回、つくづくと感心させられたのは、劇空間を貫いている心理描写の細やかさでした。見えない部分にこそ本当は楳図さんの真髄が宿っている。嫉妬と怨念、破壊願望、ささやかで切実なのだけど決して実現し得ない、それゆえに破裂するまで膨張が止まらなかったりする夢や希望といった“人間の見えざる内面”が主役になっている。震央となって胸を揺さぶり、噴泉となって降りそそぎます。

 人と人とが接近し、交流と交感を果たしていくことは簡単そうで存外難しい。解らない相手に対する惑いや焦りはやがて“不安”を育ててしまい、荒々しい排除なり逃避へと雪崩打つことも間々あります。人間のこころとこころが結局は“恐怖”を醸成していく。黒い影のべったりと塗り込められた画面やノイズ雑じりの描線の奥で、そっと息づき、気配となってゆらめくものが実際は怖いのです。この「井戸」だってそうです。「黒猫」の亜流と笑うのも良いでしょうが、あれこれ思いを凝らすことで違った物語が見えてくる。露呈し切れない豊かな多層を秘めている。

 小泉八雲(こいずみやくも)さんの本で知ったのですが、明治期あたりまでの井戸は、定期的な清掃の後に神事を執り行なって水神の怒りを抑えたそうです。その後に、一匹か二匹の鯉(こい)をわざわざ底に放して住まわせたらしい。“安全な飲み水”に対しての概念が今とは随分と違っていることに驚かされると同時に、生活の道具という域を遥かに超えた底知れぬ精神性に唸りました。

 一方の味噌汁というのも随分と精神的な食べ物です。託されるものは当然違いますが、ほの暗い“見えざるもの”をしっかりと具(そな)えている。“母性”や“家庭”を誰もが連想するそんな味噌汁に、境界外に住まうおんなの髪の毛がにゅるにゅると侵入する構図も、だからきっと偶然ではない。

 異界の入口となっている井戸と、コロイドの雲の背後にさまざまな想いを隠す味噌汁、そんな両者間を行き来するおんなの髪の毛──なんとも絶妙な取り合わせで、もの凄いかたちです。楳図さんを信奉するひとが出てくるのも宜(うべ)なるかな、納得がいくのです。
 
(*1):「闇のアルバム その7 井戸」 楳図かずお 「ビックコミックオリジナル」1974
年8月20日号掲載 手元にあるのは朝日ソノラマ「楳図かずお恐怖文庫・4 楳図かずお こわい本《闇》」1996 53-55頁 

2012年1月7日土曜日

「ヒトにおけるSOS応答生理機能の創成に基づく味噌ないし麹による遺伝子を守る効能の発見─被曝に対する防護策を求めて─」(2011)~示唆~

 新年会で知人がおいでおいでと手招きします。おみやげと称して取り出したのは、緑色の表紙の薄い冊子でした。ゴシック体で「日本醸造協会誌」と白抜きされている、いかにも硬い顔立ちの学術誌です。


 なかに“被曝に対する防護策を求めて”と小題を掲げた文章があり、目が釘付けになってしまいました。実を言えば昨春以来あれこれと気に病んでいる僕の様子を見るに見かねた知人が、わざわざ付箋を貼って持ってきてくれたのです。専門用語がわんさか列を為しています。門外漢の僕にはちんぷんかんぷんの箇所が多いのだけど、なんとなく明るい話題であるのは直ぐに見て取れました。


 すぐにでも書き写したいところですが、学術論文を長々と引用するというのは小説や漫画のそれとは性質が違います。自由勝手に幻影を構築するものとは違い、現実世界に真っ向から切り込んでいるだけに賞賛であれ揶揄であれ、その反響はどうしても熾烈(しれつ)になってしまう。ツィッターのような新しい仕組みとこれがもたらす騒動も日頃から見知っておりますから、どうしても慎重に考えなければなりません。


 「引用」という行為自体が学術書の域で許されるものかどうか、それももちろんあるでしょう。段を踏んで一歩一歩進める理詰めの内容を、ほんの数行に端折って紹介するのはとても危険なことにも思えます。井戸端会議で気ままに応答するレベルではなく、よく咀嚼して消化しきってから行動に移すべきことって世の中にはたくさん在ります。この度の事故の一件はまさにそれでしょう。


 はてさてどうしようか悩んだのですが、本日論文の表題を試しに検索にかけてみれば何のことはない、当の研究に関わった会社のホームページで堂々と紹介されているじゃないですか。関係する皆さんは公言することに一切頓着しておられない様子ですので、もう遠慮することなく、僕なりにこの初春に読み取った“ささやかな希望”を日記に書き残そうかと思います。


6.まとめ

 ヒト個体において、遺伝子情報保持に関わる生理機能(SOS応答)があることを対放射線ストレス応答の研究から見出している。その応答機能における細胞レベルでのかぎとなるものはシャペロンであり、GRP78やHSP27がある。それらの分子シャペロン類の細胞内量を、培養ヒト細胞RSaを用い、ウェスタンブロッティング法で測定した。36種の味噌食品を蒸留水(MilliQ水)に溶解させ作製した味噌サンプル液を用い、細胞死を誘導させない濃度(細胞培養液量に対し2%以下)で、48時間以内の処理をしたRSa細胞より、タンパク試料を得て測定した。GRP78とHSP27のいずれかに細胞内量を増大化させるサンプル16種が見出された。次に、サンプル液処理RSa細胞で紫外線(UVC)により誘導される変異の頻度が低下することを、ウアバインの致死作用に対する耐性化(OuaR)を指標とする形質変異検出法とK-ras癌遺伝子におけるコドン12の塩基置換をドットブロットハイブリダイゼーション法により検出する遺伝子変異検出法で検証した。11種のサンプルで、変異発生を抑制することが示唆され、その内の6種では調査シャぺロンの量的増加が連動した。10種の麹菌株それぞれを米麹、麦麹、および大豆麹化した後、水溶液サンプルを調整し、味噌サンプルと同様の処理をし、RSa細胞におけるシャぺロン量の変動値を計測した。増大化させるもの6種を見出した。一方、味噌サンプル液により増加したGRP78の発現量をGRP78遺伝子のsiRNAにより低下させると、変異発生の抑制は見られなかった。従って、シャペロンなどの細胞内分子を介して、米麹、麦麹、あるいは大豆麹の成分によりヒト細胞における変異の発生を抑制するという機能が示唆された。(*1)


 紫外線や放射線など、さまざまな悪影響を受けてしまった細胞は変異暴走や自滅の道を辿るか、それとも踏み止まって正常な活動を続けるか、二通りの道を歩むことになります。その分岐の要(かなめ)になっているのが“シャペロン”と呼ばれるものだそうです。このシャペロンというのは辞書を引くとどうやらフランス語のchaperonが語源らしく、元々は“社交界に初めて出る若い女性に付き添う、介添えの女性”を指します。これが細胞内に多く含まれるとダメージを受けた際でも修復の手が伸び、壊されずに再生していく場合がある。細胞を上手にエスコートして若々しい健常な顔かたちに導いていく、応援していく、そんな健気な役割をシャペロンは負っているらしい。


 そのシャペロンの量を増加させる機能が味噌の基本となる麹(こうじ 糀とも書く)にはあると執筆者は捉えているのです。これは本当に興味深い話ですね。


 世界大戦末期の新型爆弾投下にかかわる幾つかの伝聞に端を発し、有害な放射線に対してなにがしかの抵抗力を喚起する成分が味噌の中には宿っているのではないか、そう推察する声がずっとありました。呼応した研究者の皆さんの努力により小動物を用いた検証が重ねられ、消化器官の損傷をやわらげる効果が実際確認されてはいたのです。ただ、それをもってこの度のような劇甚な災害に当てはめて何か言えるかといえば、あまりにも特殊で初めての事であり、地域ごと千差万別の様相を呈してもいます。実験室内の動物を相手にした結論ではどうにもならなかったところがあります。


 いたずらに過ぎていく時間に歯がゆさを覚え、靄(もや)のかかったような事態を何とかしたいと願った末に、(僕もそのひとりでしたが)そんな過去の論文をひも解いて紹介しようとするひとが幾人(いくたり)か現われました。その後のなりゆきを視ているとフードファディズム (food faddism)の烽火(のろし)じゃないか、あざとい宣伝ではないかと悪罵(あくば)される場面もなかにはあって、その度に面識のない間柄ながらなんとも気の毒に思い、また、膨大な数の読み手を相手にするウェブの難しさも感じた訳なのでした。


 今回の発表の革新性は動物でなく、一歩踏み込んで“ヒト細胞RSa”を使っていることです。確かに各人の免疫力の段差や複合的な汚染の実態を考慮すれば、この発表の結果があまねく当てはまるとは言い難く、光明を確信するに至るほどの内容ではない。これで助かると信じろったって、到底無理な相談です。その意味では先の研究結果と変わらず、何の進展もないのかもしれない。


 けれども「買うな、食べるな、飲むな」の大合唱のなかにあって、逆に“食すること”で闘えるかもしれない、もしかしたら救えるかもしれない──という話はめずらしく耳朶(じだ)に新鮮ではないでしょうか。それはあまりにも小さな一筋の逆波(さかなみ)かもしれませんが、ちょっと雄々しくもあり、小意気で愉快な風姿とも感ぜられて妙にほのぼのとしてしまう訳なのです。


 いまは万事洋風の味つけが好まれ、僕の大事の思う人にしたってスパゲティだの何だのを料理してみたり、毎日のように食べがちです。そりゃ美味しい、僕だって大好きです。でもね、お願いだから時どきはお椀一杯の味噌汁をすすってもらいたい。心配げに遠目に見守っている“介添え”シャペロンを、三食に一度ぐらいは思い返してもきっと罰は当たらない。大事に思えばこそ「食べてもらいたい」、そんな風にこころを込めて祈っているところです。


 
(*1):「ヒトにおけるSOS応答生理機能の創成に基づく味噌ないし麹による遺伝子を守る効能の発見─被曝に対する防護策を求めて─」Findings of Gene Protection by Japanese Miso and/or Koji based on Creation of Human Physiological Functions,SOS Response-to Search for Radio-protective Methods 鈴木信夫 姜霞 喜多和子 菅谷茂 日本醸造協会誌 2011年12月号 公益財団法人日本醸造協会・日本醸造学界 808-809頁

2011年12月30日金曜日

山本義正「父 山本五十六」(1969)~一口吸うものだ~


 ある朝、食卓にのった沢庵(たくあん)があまりにおいしそうだった

ので、母が飯をよそってくれるのを待ちきれず、私はひょいと手を

のばして沢庵だけを食べたことがある。すると、私の向かいにすわって

いた父が、

「漬け物というのは、ご飯のおわりごろに食うものだ。」

と言った。そこで、私はあわてて飯をほおばろうとして、茶わんに

箸(はし)をつっこんだ。すると、

「飯を食うまえに、味噌汁を一口吸うものだ。」

 とやられてしまった。

 べつに、とくべつなしつけというのではなく、どこの家庭でもやって

いる食事のきまりを教えてくれたにすぎない。食べ物をがつがつ食べたり、

意地きたなくすることを、父はとくにきらっていたようだ。

「親から与えられた服をよろこんで着、親から与えられた食事をよろこんで

食べ、丈夫に大きく育てばいいんだ。」

 と、父はよく言っていた。(*1)


 立体駐車場から車を出すと、雪の勢いがもう半端でない降りかたになっている。冷え込みは更にはげしく、羽毛みたいに膨らんだ雪片が夜の街にけたたましく降り注いでいます。


 十一時を回って人通りもなく、酔客を求めて流すタクシーの影だけが目立ちます。閑散とした道路なのですが、こんな天気に何かあってもつまらないので慎重に進んでいきました。やがて大きな交差点で、信号は青から黄色になったばかりでそのまま突っ切ることも出来たのだけど、ブレーキを踏んで待つことに決めました。


 帰ったところで何があるでもない静か過ぎる夜です。時間だけはとりあえずあるから、ゆったりと楽しんでみたい気持ち。内面の微妙な変化も関わるのだけど、最近は車を飛ばさなくても平気の平左で、海原(うなばら)を漂うクラゲのようにのんびり走る方が心地良い。年末ですからね、疲れも身体の底に澱(おり)のように溜まっています。湯船につかるようにして空いた時間をゆらゆらと過ごす、そんな癖がついてしまいました。


 右手にガラス張りのホテルの建物が見えています。雪のベールの向こうには暖かそうな灯(あ)かりに染まったラウンジがあって、落ち着いた大人の時間を演出している。見知った友人が腰かけてお茶などしてはいないかしらと探してみたりするうちに、車の直ぐ脇の、僕の目線とちょうど同じぐらいの高さに奇妙なものを見止めて仰天しました。手の親指ほどの太さと大きさの黒い物体が宙に浮いています。最初は何か分からなかったのですが、それは一匹の羽ばたく虫でした。


 大きさから蝉(せみ)かと思ったのですが、空中に静止する蝉なんて聞いたこともありません。ましてやこんな季節です。ゴキブリでももちろんないし、なんだろう。まばたきして再度焦点を合わせてみればどうやら蛾(が)のようです。一匹の蛾が自分の身の丈ほどもある雪を縫うように、時に避け切れずに衝突して白く染まりながら果敢に飛んでいるのです。


 年末の酷寒の時期に虫が飛ぶのもめずらしく、加えて雪の延延と落ちてくる中を飛ぶ無鉄砲さというか、怖いぐらいの真剣さ、懸命さに僕はこころ打たれてしまって、今こうしてその事を、たかが虫一匹のことなのだけど書き留めようとしています。


 調べてみれば深い秋にわざわざ蛹(さなぎ)から羽化し、ほかの生き物の影の絶え果てて寒々しい雑木林を、一生に一度の愛の成就をめざして飛ぶものもいるらしい。雪=寒さ=過酷=死、と単純に連想して勝手に驚いている僕の了見が結局のところ狭過ぎる訳ですね。冬を好んで海を渡ってくる鳥だっているのだから、こんな白い季節に暮らす虫がいても不思議はない。


 長く空中で停まってみせる芸当と生態(誕生から死)を重ね合わせて比べれば、どうやら僕に会ってくれたのは雀蛾(スズメガ)の一種の“星蜂雀(ホシホウジャク)”です。信号はそこで青に変わり、彼なのか彼女なのかは知らないけれど、その後どうなったのかは分からない。真夜中の十字路の雪礫(ゆきつぶて)のなかに、さながら黒い“星” となって飛び続けるちいさな生命(いのち)の健気さに圧倒され、後ろ髪をつよく引かれながらアクセルを踏みました。


 “世界は生きよという暗号を送り続けている”

 そんな言葉を先日耳にしました。胸に響きます。確かにサインらしきもの、声援のようなものが世界には満ちているように感じられます。僕にとってはこのホシホウジャクも、そうだったのかもしれませんね。


 さて、話変わって上に引いたのは第二次世界大戦時の軍人山本五十六(やまもといそろく)さんの姿を、家族の目から辿り直した回想録の一節です。赤ん坊だった頃から学生の時分にかけて触れた父親の、物腰や言葉といった断片的な記憶をご長男の山本義正(やまもとよしまさ)さんが丹念に掘り起こして一冊に綴っています。巨大な戦艦や航空母艦を統括した公人ではなく、子供を愛でる私人山本五十六がつぶさに描かれていてとても興味深い内容でした。


 もちろん国を代表する組織の頂点に立ち、外遊もすれば豪華な会食もこなす五十六さんでありますから、美食に舌鼓を打つことも数限りなくあったはずです。けれど、それはそれ、これはこれであって、あくまでも基礎にあったのは倹約の精神みたいですね。ささやかな食の続くこと、身の丈に見合った家を選び、そこに住まい続けられることをこころから願った。


 若いころの海戦で砲弾の直撃に遭い、左手の指を二本瞬時に失い、足は赤ん坊の頭ほどもえぐり取られたという壮絶な怪我を負った五十六さんは、実に百六十日間という長期の入院生活を余儀なくされたのだそうです。幸せのハードル、生活の質を悪戯に高くしなかったのは、そんな苦闘を通じて体得した彼なりの人生哲学だったのでしょう。


 漬け物や味噌汁の食べ方をきびしく指導してはいますが、暴君となって家族を抑圧するつもりはさらさらなく、この世界で堅守すべきものとは一体全体何かを我が子に、そして時代を越えて僕たち今を生きる者にそっと諭してくれている。ここでの味噌汁はだから家庭の象徴、食卓のなつかしい記憶の枠をこえて、もっと清々しい、もっと強く語りかけるものが封入されて見える。


 すでに観たひとの話によれば、現在公開中の映画(*2)のそこかしこにこの本に書かれたエピソードが顔を覗かしていて、上の味噌汁を囲んでの食卓の情景もちゃんと描かれているそうです。三月の出来事や現在の世相を二重写しにするかのような意図的な、挑むような演出が随所に感じ取れて割合に考えさせられる内容とのこと。足を運ぶだけの価値があるかもしれませんね。スクリーンの奥にどんな味噌汁が置かれてあるのか、僕も時間を見つけて訪ねようと考えています。



 いよいよ年の境界を跨ぎます。


 ともに暗号を探して、それを励みとしながら新しい日々を越えていきましょう。

 この世界で堅守すべきものとは一体全体何かをずっと考えながら、

 懸命に力あるかぎり、羽ばたいていきましょう。



 善い年をお迎えください───



(*1):「父 山本五十六」 山本義正 手元にあるのは朝日文庫2011年版 引用はその163-164頁 あとがきによれば旧版は1969年に光文社より上梓されたとあるので、表題の西暦はこれに則った
(*2):「聯合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実」 監督 成島出 2011

2011年12月24日土曜日

リシャール・コラス「息子の帰還 Le Retour」(2007)~灰色の綿のような~


 父の前に置かれた味噌汁の表面は、灰色の綿のようなもので

覆われていた。母が手に持つ漬け物には黴(かび)がまだらに

生えていた。男は身を凍らせたまま、後ろ手に、一気に扉を閉めた、

思ったよりも勢いよく。扉は鈍い音を立てて縁枠にぶつかり、

空気の渦が生じた。(*1)
 

 そそくさと衣服をまとい、手短に髭(ひげ)をあたって家を出る。五時過ぎたばかりでまだまだ空は暗いのだけど、前夜から降り積もった雪は踝(くるぶし)の高さを優に越えており、その時間であれば本来なら墨を流し込んだような車道が白々と発光している。いよいよ来やがったな、つらい季節だなと嘆息すると同時に、妙に浮き立つものが湧いてくる。踏みしめれば靴裏に真綿の固まりをつぶすような、ぐぐぐ、と跳ね返ってくる感触がある。普段は無自覚の土踏まずがじんわり押し返されるのが新鮮で、きゅうきゅと鳴いて応える音も楽しい。


 行き交う車も人の姿もなく、また、音もない。わずかに光の粒子を含んだ暁闇(ぎょうあん)をだいだい色の“みそかの月”が細く円弧に切り裂いている。新雪に怯えたか、それとも興奮したか、若い一匹の黒猫が真白い道を跳ねながら横切っていく。


 綿毛のような雪片の大量に舞い落ちてきて、この汚された大地を染めていく。まるで夢にまぎれたか昏睡に陥ったかのような非現実じみた風景で、しばし呆然となって眺めていた。考えてみればこの雪だって何を含むか知れたものじゃないのだけれど、それでもこうして廻り来た日本の冬はやはり凄絶で美しいものとしみじみ思う。


 悪くだけ考えることも出来ず、良いことだけを思うこともならず、行きつ戻りつの思案が沈鬱で仕方ない。ぱっと何かに没入して、数時間でも数分でもいいから全てを忘れて身軽になりたい。思う存分、何泊も夜を重ねながら見知らぬ街を歩けたらさぞ嬉しかろ楽しかろ、鬱陶しい気分もすっかり失せて、生命(いのち)の不思議とよろこびがきっと実感されるように想う。許されるのであれば、どこかにそろそろ出かけてみたい、旅したいと願う気持ちがこのところ募る一方だ。


 知らない土地を訪れるだけでなく、見知った場処にいつもとは違った時刻に立つことだって一種の旅なのかもしれない。実際、こんな風景だって目に飛び込むのだし、なんちゃって、うそうそ、そりゃ負け惜しみ。本当の旅は違う。


 背表紙が目に飛び込んだ瞬間に捕縛されてしまったのは、だから仕方のないことだ。リシャール・コラスRichard Collasseさんの新刊書は「旅人は死なない」といい、そのタイトルの示唆する通り、旅愁や郷愁が全編をくまなく覆っている。


 「SAYA 沙耶」(*2)が店頭に並んでからまだそんなに経っていない。随分とまたハイペースではないか、とまず首をかしげてしまったのが本当のところ。騒然とするこんな世相の只中でもあり、コラスさんは大きな組織の経営者でもあるから舵取りに気を揉むことだらけに違いない。指示待ちの案件も山積しているはず。よく筆が進むものだ、と感心しながら手に取り眺めました。


 巻末の初出一覧を見て納得したのは、この本はかつて雑誌に掲載された短編を一冊にまとめたものであって、一部書き下ろしもあるにはあるけれど、基本的に震災前の作品ばかりなのです。いちばん古いもので2007年の春といいますから、五年近くも前に執筆されているものを含んでいる。


 正直にいえば僕はあの事故が国の諸相と人のこころを一変させるのではないかと不安視しているし、その窯変なり衝撃は実は“これから”本格的に押し寄せるものと思ってもいます。動揺を抑え、勇気を奮い起こさせ、闘志を育む上で小説なり物語の真価が試され、また、頼りにされていくものと信じるのだけど、そんな拝むような、祈るような気持ちをずっと胸中に抱えているためなのでしょう、“三月以降に書かれたもの”をどうしても探しては貪っていく傾向がどんどん強まっている。


 その点この本に収まっているのは“昔の物語”ばかりになるから、僕の望むような回答はたぶん見出せないものと諦めながら頁を繰ったのでした。けれど、不思議と苛立ちは起こらず、むしろ“今の物語”として頷き、勇気づけられながらの時間となったのは有り難かったですね。


 最初に引いたのは所載されている一編「息子の帰還」の終幕近い描写です。寒村を飛び出した若者が町の洋装店に雇われ、そこで必死に働くうちに客のひとりである娘に恋をします。残念ながらそれは一方的なものに終わり、傷心した男は久方ぶりに帰郷するのでした。変わらぬ村の風景と生家の様子にほっとする男でしたが、扉を開いて覗いた土間の奥には一見変わらぬ様子で座っている老いた両親の姿があり、よくよく見ればその手に持たれた味噌汁の椀には異様なものが浮いているのでした。元気そうに見えた両親ですが、実は──という話です。


 八雲か鏡花か、といった感じでコラスさんには珍しい幻想譚なのですが、誰しもが懐(ふところ)に抱く生れ故郷や親族に寄せる“両面感情”が透かし込まれており、とても面白く読みました。先人たちの知恵を集束して保存性を高めた味噌や漬け物が、息子の帰宅を待ちきれずに変質している。単純に食べものが腐るのでなく、“故郷”や“母親”とイメージを結線する味噌汁なんかがあえて選ばれ、ぶわぶわのものが増えてむごたらしく破壊されていくあたりが斬新というか容赦ないというか、精神的でとても興味深い描写になっています。


 この一篇を含む十九の物語が本には収まっているのだけど、いずれも庶民目線(と言うより作者目線)の物語で、悲劇に終わるものも含めて描かれているのは生きることに関わるハードルの出現と跳躍、または落下であって、読者それぞれが担っている日常と連結しやすい。


 コラスさんの贈り出す物語に磁性じみたものを以前からは僕は感じていて、それはどうしてなのか考えてみると、結局のところ編み出された物語が作者の内実に寄り添っていて、どんなに突飛な舞台設定を組もうと、どんなにディテールを尽くして異国を装っても、最終的に人間の内側までがそんな“絵空事”に陥っていないのが大きい。ときに視座は若い現代女性の内部に置かれたりもするけれど、台詞や行間ににじむものは総じて1953年生れの男のものであって、読み手である僕として投影しやすいものとなっている。


 半生を費やして蓄積なった慚悔(ざんかい)、諦観、自戒といったものが頁の片隅に金属製の栞(しおり)のような面持ちでそっと挿されてあって、それが時折閃光をともなって目に飛び込みます。人生の不遡及性、途轍もなく残酷な面なんかと、その逆にひとりひとりに託された唯一無二で比類なきもの、奇蹟のような多様性とが再確認させられる。そんな内省的で穏やかな時間になっていく。


 気を許し合える年長の友とこころ静かに会食している。悩みを打ち明け、過去の失敗談や苦労談が返されるなか、落ち着いた時間と酒杯が重なっていく、そんな風の暖かいものが読書中ずっと網膜の裏側に宿っているのです。


 今回の一冊は震災のなかった頃の物語ではあるから、そこに今後の指針は示されてはしないけれど、読了してみれば、作者と僕たちそれぞれの背中に遥かなる航跡が白く尾を引き水平線の彼方まで続いているのが視認される。その長さと確かさが何よりも心強い。こんな自分でもまだまだ捨てたものじゃない、これからも航海は続くのだという気持ちが固まってくる。(頷くにせよ、首を振るにせよ)認めていかざるを得ない実人生を想い、腹がどしんと据わるところがあるのです。


 (懸念や恐怖に打ち克つ術を“離日”という形で鮮烈に示されるということがなければ)コラスさんの次の執筆はいよいよ鎮魂なり覚悟なり、戦いなりを主軸に据えたものとなるでしょう。日本に残り、そこで暮らして舵取りをするとはそういう烈しいものにどうしてもなっていく。僕は単なる好奇心や時間つぶしではなく、今からもう心待ちにしています。彼の背景にある文化や彼自身の魂を介して、どのような言葉がこの国と読者に寄せられるのか、じっくりと耳を傾け考えたいと願っています。



 聖夜ですね。特別な一年でもありましたから、出歩かずに家のなかで家族や恋人と過ごすひとが多いと聞きました。いつもと違って蝋燭の炎も原色の飾り付けも目に沁みて、格別な夜になるでしょうね。

 良き夜を、こころ休まる夜を──

(*1):「息子の帰還 Le Retour」 リシャール・コラス 堀内ゆかり訳 「旅人は死なない LES VOYAGEURS NE MEURENT JAMAIS」2011集英社 所載 66頁 初出は「SPURLUXE」2007年冬号 
(*2):「紗綾 SAYA」 リシャール・コラス 2011 ポプラ社