2009年6月21日日曜日
「持参金のない娘」(1984)~浮世離れしたジャム~
ふわっと照明が点り、エンドロールを映し終えたスクリーンが浮かび上がる。瞳に残影がありありと宿って感情の昂ぶりが取れない。そんなほろ酔い気分のときに、大学で教鞭をとる専門家が解説をしてくれる洒落た映画観賞会があります。地元の劇場での月に一度の夜会です。バーテンダーに由来や製法を教えてもらい、香りと味がさらに豊饒さを増すカクテル、そんな感じでしょうか。
フェリーニなどもまな板に乗りますが、大概はロシアの映画です。陰影に富み、湿度もずっと高い。いくらか枯れ草の匂いも混じって感じられる作風もしっとり肌に馴染んで嬉しいですが、上映後の解説の時間が刺激的でそれに惹かれて足を運んでいます。
観客の数は三十から五十といったところで、落ち着いた風情の年輩女性が席を多く占めます。御下げ髪の若かりし頃はトルストイとかチェーホフに憧れたのかしら、さぞ可愛かったのだろうな、なんて妄想したりして…。政治的な固い話は抜きにした文学作品が主ですから常に柔らかい空気に包まれ、なかなか良い会合だと僕は感じています。今後も続いていってもらいたいな。
先日の作品は「持参金のない娘」(*1)。没落した貴族の娘ラリーサが主人公。器量の良さと才気によって地元の男たち(資産家、商人、企業家、公務員、はては詐欺師)の視線を集めるのですが、彼らの間で繰り広げられる権力闘争と自己本位な欲望にはげしく翻弄され生命を落とすという悲劇です。
検索をかけていくと、Youtubeにファンがアップしていますね。あらら、冒頭から終幕まで観ることが出来てしまう。便利というか困ったというか、不思議な時代になったものです。予告篇代わりに貼っておきましょう。あえてラストの部分を!どうして彼女はこのような目に遭ったのか、どんな男女のこころ模様が描かれてきたものか。紹介するこの結末を観て興がすっかり削がれるということはないと信じます。観るひとは観る、そういう類いの映画ですね。
ラリーサを追い詰め死に追いやる男たちの誰もが、どうしようない最低の輩です。しかし、カットや台詞の積み上げによって各々の出自、責務、宿命が浮き彫りになり、それらにがんじがらめとなっている様が丁寧に活写されてもいます。おんなへの執心は純真そのものと読めるところもあり、かえって始末が悪いです。ラリーサの胸にも僕たちの胸にも憎み切れない中途半端な想いが残されて、何ともやるせない終幕ですね。
男たちと今わの際のおんなとが、大きなガラス窓越しに交錯させる最期の視線が凄まじい。恋慕の念が凝縮なった素晴らしい情景です。僕の内部にこれまで堆積なってきた様々な映像記憶が重なって明滅します、言葉を失います。
さて、上映後のN准教授の話ですが、当時のロシアの社会情勢をひも解きながらの解説はいつもながら見事で分りやすく何度も何度も頷かされました。こと感心したのは登場人物の名前に込められた“象徴性”です。その辺りまで突き詰めて解読するのは、さすがですね! ラリーサが愛していた貴族で船主のパラートフ(ニキータ・ミハルコフ!本当に悪い男を演じさせたら最高ですね!)の名前は、「犬や狼が獲物を追って走る」という意味合いがあるそうです。“遊猟”とか“玩弄”といった感じになるのかな。そういった響きを備えた男だとすれば、観方も当然違って複雑さが増していく。うーむ。
ラリーサを執拗に追い回す狭量で風采の上がらぬ官吏で、最後は嫉妬に狂って銃を向けてしまうカランディシェフは「鉛筆」とほぼ同じ響きだといいます。名が体を明確に表わして、運命や未来を暗示していく。物語の生い立ちが戯曲であることにも由来するようですが、極めて記号的な使命を担って人物が闊歩しています。
そのような目線を与えられて再度物語を振り返るならば、“食”に関してもまた象徴的に配置され、劇空間を支えて見えます。ラリーサは自宅で行なわれたパーティで、(猟犬)パラートフと親密になります。
台所に“ジャム”を取りに行かされ、そこで男と鉢合わせしたラリーサはとても緊張し、笑顔がひきつれてしまう。慌てふためいて頓珍漢なジャムの味見を男に勧めます。男は滑稽だと思いながらも、その世間ずれした幼いリアクションを静かに受け止める。
ガラスのボウルからスプーンですくわれた真っ赤なジャムのひと匙が男の口に消えていく。ラリーサの左手の甲にほんの少しジャムの付着が認められ、男はその手にそっと口づけし舐め取ります。
口をそろえて男たちから美貌を褒め称えられると共に、男のエゴや弱さをまるで推し量ることが出来ずに歌や踊りに夢中になっている純朴さを“浮世離れしている”と陰で揶揄される娘。無垢な子供らしさの象徴として真っ赤な“ジャム”が忽然と現われており、その登用の見事さ、美しさ、色っぽさ、哀しさに息を呑みました。
(*1):Жестокий Романс 1984 監督エリダル・リャザーノフ
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