2009年11月6日金曜日
山本文緒「恋愛中毒」(1998)~一刻も早く~
水無月(みなづき)さんは、ふいにそこで口を閉じた。
一分待ち二分待ち、おや?と思って彼女の顔を覗き見る。水無月さんは泣いては
いなかった。けれども彼女はサワーのグラスに手をかけたまま、放心したように
テーブルの一点を見つめていた。そこにはただ醤油差しと空になった器がある
だけだった。(*1)
社員数名の小さな編集部に勤める四十代の水無月さんが、恋情のトラブルを会社に持ち込んだ若い男子社員、井口君をいさめるために居酒屋のテーブルで対座しています。かれこれ十年程も前、三十を少し越えたばかりの時に起きた自分の離婚体験を語るうち、昏く淀んだ記憶の淵に水無月さんはダイブを始めてしまい、異様な放心状態に陥ります。若者は微動だにしないおんなの姿に恐れおののきます。
一体全体どうして作者は、ここで“醤油差し”を持ち出さなければならなかったのか。読者は禍々しいものの到来を予感しつつ頁をめくっていくことになるのですが、なるほど、そういう事か、僕たちを待ち受けているのは典型的かつ繊細な醤油の記述だったのです。
水無月さんは離婚による痛手を抱えて独りアパートの自室に蟄居していたのですが、数ヶ月を経てなんとか社会へ復帰し、親戚が探し与えた弁当店でのアルバイト業にいそしむことになります。ある日、カウンターでの応対中、客として訪れたタレント兼文筆家の創路(いつじ)功二郎に見そめられてしまいます。高校生の時分から熱心な読者であったことも背中を押して、教わり知った彼の自宅を散歩がてら訪ねてしまう。寿司を一緒に食おうと強引に誘われ、勢いづくままに男が仕事部屋として常時押えてある高層ホテルの部屋に二人して向かうと、そのまま身体を重ねてしまうという展開です。
幽かなまどろみを経て目覚めた男がテレビ番組か何かの打ち合わせのためにいそいそと退室してしまい、おんなは独りベッドに取り残されます。予想だにしなかった夢のような半日に戸惑い、どう次に行動していいか思考が停止して判断が付きません。
私はそれからしばらく服も着ずにぼうっとしていた。カーテンを開けた
ままの大きな窓の向こうがだんだん夜になっていく。やがて私はのろのろと
ベッドを出た。椅子の上に放り投げてあったポロシャツとジーンズを身につけ、
先程彼が使っていた櫛(くし)を取り上げ髪を梳(と)かした。近所にちょっと
散歩に出掛けるつもりで家を出たので、私は何も持っていなかった。化粧直しを
しようにも口紅一本持っていない。鏡に向かっていたら、ポロシャツのおなか
あたりに醤油の染みがついているのを見つけた。
私は鏡から目をそらし、一刻も早くここを出ようと思った。カードキーは
彼が持って行ってしまった。ということは一度ここを出てしまったら、私は
自力では二度とこの部屋には入れないということだ。だから彼はルームサービスを
取れと言ったのかもしれない。(*1)
“醤油の染み”や匂いが閃光のような烈しい覚醒作用を登場人物と読者にもたらし、それまでの世界観を瞬時に破壊してしまうことがあると以前書きました。そのお手本のような情景描写です。夢と現実の段差が日常の食卓(ここでは寿司店での男との昼食に際して付着したものでしたが、店は“ごく普通の”と設定されています)──を司る醤油を挿し入れて表現されていく。淡いロマンスをたちまち氷結させ、粉微塵にしていきます。
醤油はのぼせ上がった気持ちに水を差す宿敵なのでしょうか。おんなは哀れな遁走を開始します。午前零時の鐘の音が耳をつんざき、慌てふためき階段を転がり下りたシンデレラのような感じです。
醤油の染みのついたポロシャツと何年も穿(は)いているぼろぼろのジーンズ姿
なので、非常階段か何かでこっそり外に出たかったが、それも帰って目立つ気がして
やめた。仕方なく乗ったエレベーターで、外国人のカップルにちらちらとこちらを
見られて死ぬほど恥ずかしかった。エレベーターを下りると、顔を伏せてロビーを
早足で突っ切った。逃げるようにして私はホテルを出た。(*1)
コーヒーをこぼしたスカートやパンツというものは相当に羞恥を誘い、始末に困ってじたばたと慌てさせられるものです。醤油もまたコーヒーと同類。排泄物に近しい色合いのせいで、本能が警報を鳴らさずにおかないのかもしれません。動揺はずるずると尾を引き、自宅に帰り付き、扉を閉め、その服を脱ぎ捨てるまで鎮まらないものです。悪魔のようなそんな茶色の染みと独特の臭いをまとわり付かせたおんなは“外国人の”二人連れの視線を過剰に意識して、哀れで汚い日本人となって逃げ帰っています。
恋情からの覚醒と人種をめぐるコンプレックス。一滴の醤油の染みを登用して、僕たちの深い部分に二重に迫り来るものがあります。さらにここでは、甘く苦く、芳ばしく香る愛の記憶を十年もの長い年月を経ても“醤油差し”越しに無言で見つめ続ける視線があります。表舞台からでは触れられない裏側からの世界へのアプローチがそっと示されてもいて、何て素敵な構図だろう、なんて日本的な奥行きのある図柄だろうと感心することしきりです。
さっと読み通してしまえば瑣末な点に過ぎぬものばかりですが、線で結んでたどってみれば鮮やかな魂のシュプールが頁をまたいで描かれていく。山本文緒(やまもとふみお)さんという人が相当な滑り手であり、文学賞の授与も当然だなと頷いた次第です。
さてさて、再び週末ですね。余暇を満喫できる方は行楽の秋、スポーツの秋を、お仕事柄それに邁進される方はちょっとだけ寄り道しての芸術の秋をお過ごしください。
その間、もしも万一お醤油が大事なお召し物を汚したなら、ちょっとだけ僕のミソ・ミソでの妄言を思い出し、まあいいさ、たまにはこんな事もあるさ、私たちは誰もがシンデレラの末裔なのさと大きなお口で笑ってください。悪戯にめげずに美しい時間を、大事なひとと重ねていってください。
(*1): 「恋愛中毒」 山本文緒 角川書店 1998 現在は角川文庫で入手可能
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シンデレラの比喩、上手すぎです!
返信削除女ならたいていは身に覚えがあるかも…醤油の不気味な底力は、しかし健全な日常に戻してもくれる。
嫌いじゃないな♪
コメントありがとうございます。
返信削除およよ、そうですかあ。。ドウシテこんなつまんない事しか書けないのだろうって、鬱々とめげて週末を過していたのですが…(笑)
山本さんのこの作品の巧妙なところは、本来日常への覚醒へ導く醤油が恋情の記憶の“幕開き”に使われているところですね。主人公は健全な日常に引き戻されるのではなく、まるで宙ぶらりんなんです。戻って来れなかった、壊れてしまった。
僕たち読者のなかに微かな不協和音が奏でられる。偶然な訳がなくって、山本さんは計算に基づいて上の場景を編んでいる。
やっぱり凄いひとだな、と思っちゃう。怖いひとだな、とも思いますね。さらりと読めてしまう作品でしたが、あれこれ考えさせられちゃいましたよ。