2009年11月2日月曜日
ローズ・ジョージ「トイレの話をしよう」(2009)~ギジオブツ~
ゴーリーはどれにも満足しなかった。最後に、だれかがあるメーカーの味噌を
買ってきた。見た目も、浮き方もぴったりだと考えたのだ。「人の便を触って
調べたわけではありませんよ。社員のなかに子持ちの者が何人かいて、彼らが、
密度も、水分の含み具合も本物らしいと判断したのです」(中略)
ゴーリーのほうは、テスト媒質を改善する必要があった。味噌ペーストは、
密度や重さの点では申し分なかったが、便器が汚れるし、再利用できないという
欠点があった。そこで技術者が「コンドームに砂を入れてはどうです?」と提案
した。砂は、便とは似ても似つかないが、この言葉をきっかけに、ゴーリーはある
ことを思いついた。そして、潤滑剤を塗っていないコンドームを一箱買って研究室
に戻ってきた。同僚たちは懐疑的だった。「それじゃあ強度不足じゃないか、
と言われました」。そこでゴーリーは、コンドームに味噌を詰めて壁に投げつけた。
強度は充分だった。(*1)
何てこった、ああ、神さま、こんなところにも味噌が!
日常の煩雑さを逃れて過ごす密やかなひと時を、さらにゆったり安穏としたものにするために購入した尾篭この上ない本であったはずなのに──。(そうさ、僕はお下品な話が大好きなのさ!)
なのに、パンツを下ろし腰掛けてクスクスと笑いながらページをめくっていたら、突如味噌が顔を覗かせてしまうのです。もうビックリして引っ込んじゃったよ。
カナダのウォーターエンジニアのビル・ゴーリーさんは水洗式トイレのメーカー別機種別の技能比較に長年疑念を抱いていました。使用される物体が“リンゴ”であったり“スポンジ”であったりして、現物とえらく乖離しているので正確な判断が付かないと考えていたからです。日本のメーカーではギジオブツ(擬似汚物)というものをかねてより使用し、節水や汚れの残存付着率を減らすことに心血を注いでいたのですが、北米においてはもってまわった上品な検査の仕方を長年変えられず、各メーカー品のどれもこれも改良が遅れておりました。
ゴーリーさんと仲間は“現実的なサンプル”こそが改善の鍵と捉え、ギジオブツの製造に着目、仲間と共に試行錯誤を開始しました。そこに味噌が登場するのです。250gの味噌を詰めたコンドームは形状や弾力、浮力共に申し分なく、これが各社の便器の性能を客観的に見直す契機となって、飛躍的進歩を業界にもたらしたのです。
ご承知の通り、今後世界は枯渇していく清澄な水をめぐって国家間、部族間の陰惨な紛争を繰り返すだろうと予測されています。改善が施されなかった古いタイプの便器では一度に使用される水量もたいへんなもので、不順な天候がもたらす一過性の水不足を解決するためにも、また、長期的な展望から言っても水洗トイレの改良が社会的に強く求められてもいました。段違いの節水を可能とする便器の改良にゴーリーさんの考案したギジオブツは貢献したのであって、その陰の主役である味噌は、人類を救い世界の環境を保守するという素晴らしい役割を担ったと言えるわけです。
にもかかわらず、“クソミソ”という言葉がリアルな風景と共に目に浮かび、なんとも言いようのない複雑で重苦しい気持ちに僕はなってしまいます。ゴーリーさんの慧眼と実行力には感心し敬意さえ抱きますが、しかし、その発案はやはり海外の人のものだと感じます。
もしかしたら日本のメーカーで使われているギジオブツだって、日本であるゆえに味噌と深い直接的な関わりがあるのかもしれず、ですからゴーリーさんの発案したものに難癖を付ける事は滑稽千万なことかもしれない。しかしながら、僕のなかでは良しとしない想いが強く湧き出してくるのです。何もそんな風に扱わなくたって、と思い、理屈が分かれば粘土だって良いはずなのに最後まで味噌にこだわり抜いていく、それがちょっと引っ掛かる。
まあ、どうしようもないですね、仕方ありません。“クソ”と“ミソ”は誰の目にも似たもの同士に見えてしまうものです。国境を越え、人種を越えてこの連想は広がり留めようがないのです。
改めて思うのは、味噌というものの不思議な多層性です。一方では母の味、郷里の味とすがり付かれ、片やクソの代用品としてコンドームに詰められ、壁に叩きつけられ、便器の穴にボトリと落とされていく。聖と俗を共に内包した極めて特殊な食べ物だということです。こんな食べ物は他にあるでしょうか。僕はざっと見渡す限り、こんなブレの大きなものはやはり味噌以外に無いように思います。
それを毎日のように口に運ぶ僕たちも、ずいぶんと特殊な位置にいるようにも思います。
(*1):「トイレの話をしよう 世界65億人が抱える大問題」 ローズ・ジョージ NHK出版 2009 このギジオブツのことは、第一章に掲載されています。第二章以降は現在読み進めているところです。僕の通じは至極順調なのでトイレでは数行しか進めないからね、持ち出しました。いまは枕元に置いて丹念に読んでいます。また味噌が出て来たら報告いたしますね。尚、原著は2008年に上梓されております。
0 件のコメント:
コメントを投稿