2009年12月31日木曜日
角田光代「夜をゆく飛行機」(2004)~とめどなく~
倒れた醤油瓶から液がとめどなく漏れるように、父はしゃべった。
ミハルちゃんが大学にいきたかったことも結婚したい人がいたこ
とも私は知らなかった。知りたくなかった。父はずるい、と思った。
ここにひとりでくる勇気がなくて、私を連れてきて、思い出話を
勝手に私に聞かせて、それで自分は少し気分が楽になるかもしれない。
けれど私はどうしたらいいのだ。(*1)
喪われゆく光景への哀惜が味噌、または味噌汁をともなって描かれていく。角田光代(かくたみつよ)さんの「夜をゆく飛行機」のそれぞれの味噌描写を書きとめた次第でしたが、実はより興味を惹かれたのは醤油の登用の仕方でした。味噌汁同様、のどかな郷愁を担って描かれている醤油なのですが、そこには明らかな段差が認められるのです。
ひとりの作家によって味噌と醤油が並べ描かれることは、有りそうでいて実はなかなか見当たりません。どちらかに固執するのが普通です。以前このブログで取り上げた中で、両刀遣いに数えられるひとは唯一向田邦子(むこうだくにこ)さんだけです。(*2)
向田さんのエッセイと角田さんのこの小説の共通点は何か、焦点を絞って眺めると面白いものが見えてきます。母親、祖母、姉妹といった“女性の記憶”と味噌汁は連結し、“父親の記憶”とは醤油が連結して見えます。組み合わせがあるのです。 台所で立ち働く女性、卓袱台でふんぞり返っている男性というテリトリーは確かに影響するでしょうけれど、もっと根深く繊細なものが仮託されて見えます。
例えば上に掲げた角田さんの引用は実に見事で、僕たち読み手の気持ちに波紋を起こしますね。醤油から与えられる様々な心象が重層的に次々連結していきます。覚醒(興ざめ)、汚れ、破壊的、染み、トラウマ。それに父親、男性といったものが直結していき、末っ娘の蒼白いこころ模様を瞬時に伝達することに成功しています。
こんな記述も劇中に見つかります。
「ほらほらモトちゃん、ブラウスの裾にお醤油がつくわよ、
あーあーおとうさん、グラスを倒さないで」「リリちゃん、
カンパチ好きでしょ、これひとつあげるわよ」「ちょっと
お醤油、お醤油とってったら」「あーもうコトちゃんうるさい、
ガリでも食ってな」「モトちゃん、女の子が食ってなはない
でしょう、食ってなは」「りー坊はいくつになったんだ、
おまえいくつになったら酒飲めるんだ」「もうおとうさん、
高校生にお酒つぐのやめて」(*1)
醤油が衣服に接触しそうになる危機的なイメージの立ち上げ以降、喧騒はエスカレートして男言葉が飛び交い、女性らしいしなやかさが瓦解していきます。おんなと味噌、男と醤油というイメージの固着がやはり読み取れるのです。
青息吐息でいる町の酒店の側に巨大なショッピングセンターが遂に開店し、酒店の母親と娘が偵察にいく場面があるのですが、そこでは三千円という法外な値段の醤油とそれに対して嘲弄する会話が取り込まれてもいます。「お尻がむずっとする」と笑うおんなたちは明らかに醤油という存在を軽んじています。(三千円の味噌だったらどうでしょう。案外よくよく手に取り吟味したのじゃないかしら)
ここで向田さんに続き、山本文緒さんを思い出してもいいですね。衣服に醤油の染みを鏡で見止めた瞬間にパニックに陥った、情事の後の若い女性を描いた「恋愛中毒」。あの情景の深いところにも醤油=男性という連鎖が潜んでいたのかもしれません。(*3)
“母親”の味という永遠の夢を味噌汁に思い描く男たちと、その反対に汚すもの、単純なもの、破壊者、左程の価値を認め得ないものとして“男たち同様に”醤油を見下すおんなの視線が僕たちの日常ではそれとなく交錯しているということでしょうか。
夫婦なり同棲中の男女なりが暮らし始める家屋において、醤油と味噌がやがて買い揃えられて調理の根幹におかれ、混然一体となって使われていくわけですが、各々に託された別々な密やかな眼差しを想うと慄然とするものがあり、また、笑ってしまうものがあります。なるほどよく出来ている、そうも思えます。
僕たちの胸の奥の洞窟は深く、広く、時に真空になり、時に身を切るような風が吹き荒れますよね。持て余すことも間々ありますが、けれど素敵で素晴らしいものだと信じます。すれ違い、反撥、衝突も日常の調味料、匙加減ほどに軽く受け止め、醤油のように舐め干し、味噌のようにしゃかしゃかと“こころの鍋”に溶かしながら暮らしていかないといけませんね。
さてさて、いよいよ重い雪が降り始めました。庭木にもたちまち白いベールがかかって、重そうな、けれどその重さがちょっと嬉しそうな、そんな顔をして見えます。
今年はほんとうにありがとう。
たくさんたくさん助けられた気がしています。
どうかよい年をお迎えください。
(*1):「夜をゆく飛行機」 角田光代 初出は「婦人公論」2004年8月より連載、翌年2005年11月まで。 現在、中公文庫で入手可。
(*2): http://miso-mythology.blogspot.com/2009/06/1981.html
(*3): http://miso-mythology.blogspot.com/2009/11/1998.html
0 件のコメント:
コメントを投稿