2009年6月23日火曜日

向田邦子「アマゾン」(1981)~ゆずらずまじらず~


(*1)

アマゾン河は濃いおみおつけ色である。仙台味噌の色である。

そこへ、八丁味噌のリオ・ネグロとよばれる黒い川が流れ込む。

人はアモーレ(愛)があれば、一夜で混血するが、ふたつの河は、

たがいにゆずらずまじらず、数十キロにわたって、河の中央に

二色の帯をつくってせめぎ合う。結局は、仙台味噌のアマゾン河に

合流するわけだが、ボートで二色の流れのまん中に身を置くと、

自然の不思議に息をのむ。

折から夕焼け。血を流したような陽がゆっくりとジャングルの向うに

落ち、抜けるほどの青い空が薄墨に染まっていく。これを見るだけでも、

日本から二十時間の空の旅は惜しくない。(*2)


台湾で飛行機事故に遭い向田邦子さんが亡くなったのは1981年の八月だから、既に27年が経ってしまっている。あれから27年、信じられない。

追いかけた作家のひとりでした。講演を収録したテープを買い求めて“声”を繰り返し聞いたりもしたけれど、今にして振り向けば、淡い恋こころを僕は抱えていたみたいです。向田さんは遙かに年長の当時四十代後半ということもあり、また僕は、田舎に住む単なるガキでしかなく、クラスで一、二を争うオクテでもありましたから“恋”とか“愛”とかいう語句はついぞ意識することはなくって、あくまで劇作家として敬愛、畏怖するばかりでした。けれど、そう自分では思いつつ来たけれど、やっぱりあれは恋。NHKの「阿修羅のごとく」(*3)が代表作として印象深いけれど、彼女自身が何より素敵なドラマで目が離せなかった。





落ち着いた物腰には随分と惹かれるものがあって、週刊朝日のグラビアに載った愛猫を膝に抱き床に座った白黒の写真などは、製本用のステープルを外してそっと抜き取り、左右の頁を丹念に狂いなく糊付けしてから額に入れて飾っていました。あれはどこに仕舞ったものだろう、こちらに投げられた穏やかな微笑みをとても懐かしく思い返します。

俳優や番組制作者、編集者が披露するエピソードのひとつひとつが洒落ていた。例えばこれは有名な話だけれど、彼女が先客になっているカウンターバーでのこと。扉を開けて見知った男が入ってくる。自慢気に真新しいコートをまとっている。それ貸してみなさいよ、と男が脱いだものに手を伸ばして受け取ると、たちまち乱暴に畳んで自分の尻の下にぎゅっと敷いてしまう。唖然として見守るなか、ばらっと広げ、ほら、これで良くなったでしょ、と皺の左右に踊るのをさらりと返して寄越す、そんな内容でした。

衣服に限らない話です。主役である貴方が引き立つようなものを身に付けなさい、本末転倒の滑稽なものを付けなさんな、という平常心に満ちた揺るぎない美学が伺えます。うむむ、絶対に惚れちゃいますね、そんなことされた日にゃ。


さて、向田さんは「残った醤油」という小文において、叱言(こごと)を聞かされ続けた父親を追慕するにあたり“醤油”に焦点を絞って語っています。ご飯のおかずは刺し身です。コワイ父親を前にして緊張のあまり、醤油注ぎから小皿に垂らす量が思わず多くなってしまった。それを見咎めた父親が少女時代の向田さんを早速叱りつけ、母親が間に入ってなだめます。


豊かではなかったが、暮しに事欠く貧しさではなかった。

昔の人は物を大切にしたのであろう。

今でも私は客が小皿に残した醤油を捨てるとき、

胸の奥で少し痛むものがある。(*4)


「刻む音」と題されたものでは、今度は母親を懐旧しています。“音”とは朝食の支度にかかわる包丁の響きです。こちらは“味噌”が選ばれています。


顔を洗っていると、かつお節の匂いがした。

おみおつけのだしを取っているのである。

少したって、プーンと味噌の香りが流れてきた。

このごろの朝の匂いといえば、コーヒー、ベーコン、トーストだが、

私に一番なつかしいのは、あの音とあの匂いなのである。(*5)


こんな文章もあります。


朝起きると、まず歯磨き粉の匂い、新聞のインクの香り──

その次がパンを焼き、或は味噌汁をたてる香ばしい匂い。

思えば、朝起きるから日がな一日、私たちの生活は嗅覚とつながっています。(*6)



書かれた時期に隔たりはありますが、そこに流れる思念にいささかも段差はありません。住まいの中に息づく食事の光景への全面的な肯定が伺えます。醤油や味噌に対しての反撥が感じられず、実にのびのびとして爽やかな眼差しが照射されています。

最初に紹介した「アマゾン」は彼女の死後も南米大陸の紀行文に添えられたりして、時おり目の前に立ち現れたのでしたが、その度に感嘆し唸らざるを得ませんでした。味噌はこれまでの日記に書き連ねたように古き因習めいたもの、もはや存在し得ない遠い記憶のようなもの、といった“負”の扱いを受けることが多く、家庭や住宅、居間や台所の引力に捕らわれ、そこから離脱して描かれることは稀です。

向田邦子さんは地球の反対側のアマゾンまで味噌を連れ出しています。さらに“アモーレ(愛)”や“一夜で混血する”といった連射を行なって、味噌の大河をより濃厚で比重のある官能的なものへと高めています。

ここでもあい変わらず全肯定が為されています。どうしてここまでニュートラル、いや、むしろ肩入れするようにして味噌を捉えられるのか、かえって不思議を覚えてしまいますが、それは向田さんの描く住宅、家族の有り様と通底していそうです。


「阿修羅のごとく」を例に引けば、家族のなかに当初から恋情をめぐり諍いがあります。引き出しの奥には春画が隠されてもいます。それらが暴かれても拒絶されることはなく、混乱は混乱のままに穏やかに収束へ向かっていく。恋も性も自然体で受け止められていて、父親や母親も神格化もされず、聖人君子の夫も、お人形めいた貞淑な妻もおらず、それこそ“たがいにゆずらずまじらず、せめぎ合う”ようにして流れていきます。

近年になって向田さん御本人の秘められた恋がおずおずと紹介され始めていますが、彼女は結婚と家庭という道筋をとらずに作家人生を終えています。実生活上、内と外という分断された世界観が醸成ならず、それゆえに象徴的な負の味噌汁を産み落とさずに済んだのではないでしょうか。世界が分断されなかったからこそ、アマゾンの大河までも同一の視点、価値観で染め上げることが可能だったのではないでしょうか。

より綿密な掘り下げは数多の熱心な向田ファンに任せますが、極めて特殊な味噌の描写が為されている、それは確かなことなのです。


(*1):Amazon River Cruise on the Seven Seas Mariner Cruising on the World's Largest River From Linda Garrison , About.com
http://cruises.about.com/od/southamericacruises/ig/Amazon-River/amazon075.htm
(*2):「ミセス」 1981 10月号初出 「夜中の薔薇」(講談社文庫)所載
(*3):「阿修羅のごとく」1979-80年 監督 和田勉ほか
(*4)(*5):新潟日報 1979 9月初出「夜中の薔薇」(講談社文庫)所載
(*6):「映画ストーリー」(雄鶏社)1959 7月号編集後記 「向田邦子 映画の手帖」(徳間書店)所載




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