「曽根崎心中」に負けない“醤油”事件がもうひとつ。慶応3年(1867)の11月15日、京都河原町の近江屋で坂本龍馬と盟友中岡慎太郎が襲撃されました。事件に関して小説がたくさん書かれていますが、近江屋の描写はこの「竜馬がゆく」をなぞるような按排で、“醤油蔵”を特別な空間とは捉えていません。津本陽「龍馬」(1993 角川書店)、早乙女貢「龍馬暗殺」(1978 第三文明社レグレス文庫所載)などをひも解いても、いずれもあっさりとした物腰に留まっています。次に書き写すのは若干ながら踏み込んだ内容となっていて、かえって浮き上がって見えもします。
目ざす近江屋の近くまで来ると、見世(みせ)先の灯りが
やけに明かるく見えた。(中略)夕餉(ゆうげ)の支度で醤油を
買い忘れた客が一人でも二人でも来るのを希(ねが)っている
のだろう。(中略)近江屋の見世先は土間になっていて、
醤油樽がでんと据えられている。客の需(もと)めに応じて
枡(ます)で計って売るのである。
早乙女貢「龍馬を斬る-佐々木只三郎」(2008 原書房「新剣豪伝」所載)
資料の読み解きと整理にいそがしく、また、天下国家の危急を追うこの際には一介の町家の顔付きなど些細なことと捉えたのかもしれないし、単純に江戸の時代に生きた者、龍馬という男が如何なる感慨を“醤油”に抱いていたかまで想像する余力がないのかもしれません。作家たちは言及を避けているように思えます。
小説ならば行間の余白に舞台背景をすっかり溶け込ませ、知らぬ顔の半兵衛を決め込むのは造作もないのですが、漫画ともなるとその手は通じませんよね。「お~い!竜馬」(1986-96 原作武田鉄矢 作画小山ゆう)では近江屋の仕込み蔵が何枚か描写され、木樽が左右に立ち並ぶその通路では(後の暗殺の際に居所を刺客に知らせてしまう中岡慎太郎の「吠たえな!(騒ぐな)」という叱声の伏線となる)騒々しい相撲遊びをドダドダと演じさせてもいます。
それでもやはり舞台装置としては無味乾燥に近く、何ら感情的なものを担っていません。そこが“醤油蔵”である必然はないのです。(史実に必然も何もありませんが、それにしても素っ気ない。)樽木一枚を隔てて確かに満々とたたえて在ったはずの“醤油”は一滴も無きがごとしで、自己主張を一切しません。息を殺してじっと潜んでいるかのようで、三人の男(龍馬と中岡、そして弟子の藤吉)がなます斬りにされるのを為すすべもなく見守っていく。
いやな醤油の臭い、べたべたした湿り、見通しの利かぬ暗闇、喧騒から隔絶した淋しさ──ひとたび足を踏み入れたなら五感のうち“味”以外の四つに強い印象を刻むであろう“醤油蔵”に関して、一切触れようとしない作家たちの頭のなかを僭越ながらも透かし見るならば、そこには“醤油ふぜい”にまみれて最期の日々を送った英雄に対して、幾ばくかの憐憫が宿っているように僕は感じるのですがいかがでしょう。
しかし、津本陽は「龍馬」の中で当時の醤油商全般がどのような位置に置かれていたかを、珍しく記しています。これまで抱いていたイメージの色調が、ちょっと変わっていく言葉です。
『海援隊遺文』によれば、龍馬の身辺は暗殺の危険が満ちていると
いうような状態ではなかったようである。(中略)土佐藩重役たちは諸事
窮屈な藩邸暮らしをきらい、近所の民家に下宿していた。後藤象二郎は
河原町三条上ル東入ル“醤油屋”壷屋(つぼや)にいたが、龍馬が暗殺
されてのち藩邸に入った。(中略)彼らの住居は木屋町、先斗町、祇園の
繁華街に近く、(中略)他藩重役をもまじえ遊興していた。歌舞音曲、芝居、
浄瑠璃も自由に楽しめる。いくつかの危険を冒しても、藩邸外で気儘な
生活をしたいのである。 (“ ”は僕がマーキングしたものです)
司馬も竜馬には藩邸暮らしを「窮屈」と言わせているですが、堅苦しさや重苦しさ以上に彼らは遊興の灯火から逃れ難いものを感じていた。そのような“快適さ”の追求にあって、醤油蔵が放つ芳香、しっとりとした湿度、こころ安らぐほの暗さ、思索や密談に適当な静謐は当時の彼らに心地良いものであった可能性があります。
いつか醤油樽を面前とした坂本龍馬に、こそこそとで構いませんから何か語ってもらいたいと思います。“醤油ふぜい”は激烈な政争とは相容れないものかもしれないけれど、そこには日本人の味覚と嗅覚をしっかと捕らえ、庶民の日常の歓びと快楽を下支えする力が秘められている。
2010年のNHK大河ドラマは「龍馬伝」とのこと。裏表の無いキャラクターで人気の福山雅治さんが演じる龍馬なら、何かを感じて話すのではなかろうか、話さなければ嘘じゃなかろうかと淡い期待を僕は今から抱いているのです。
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