2010年11月30日火曜日

池内淳子「女と味噌汁」(1968)~ぴんしゃんして~



 池内淳子(いけうちじゅんこ)さんがこの九月の終わりに急逝されました。死を悼む報道の多くで最初に掲げていたのが「女と味噌汁」でしたね。彼女の面影がこの奇妙な題名のテレビドラマ(*1)によって深く刻まれていた(らしい)。


 僕は池内さんをよく存じ上げません。いや、いくらなんでも顔や声はわかります。ご多分に洩れず茶の間でずいぶん刷り込まれた口だけど、遠い存在と思っていたというか、偶然同じ電車に乗り合わせたひとりひとりを記憶しないと同様、ぼんやりした印象を抱いてこれまで来てしまいました。


 男女間のかけ引きが主体となる花柳界のお話です。どうも親に“してやられた”感があります。そっと池内さんを陰で楽しんで、子どもはうまく遠ざけていました。平岩弓枝(ひらいわゆみえ)さんの原作(*2)も肌が合わず、自らの手で片隅に追いやっていたところがあります。そんな訳で池内さんと「女と味噌汁」は僕のなかではまるで結び付かないままだったし、(こんなブログを書いているのに関わらず)足跡の見えない処女雪みたいなもので、むやみに眩しいままにあり続けました。


 銀座の映画館で池内さんの追悼上映が連夜催されていて、丁度うまく具合に時間が取れました。テレビの方でなく“映画版”になりましたが、因縁の作品(*3)を観てまいりました。


 赤ちょうちんひしめく地下街の、やや奥まった場処にある小さな劇場です。傾斜の強い階段を何段も下りていかなければなりません。蛍光灯がぞんざいにコンクリの天井と地面を照らし、妙に切ない気分を煽っています。昭和の薫りが漂う、今となっては貴重な劇場ですね。ちょっと謎めいた感じのする息抜きとなりました。


 劇中“不景気”という言葉が飛び出しはしますが、いざなぎ景気の只中です。夜の飲食街はほろ酔い気分で腕組み歩くアベックで溢れ、陽が昇れば工事現場の建設機械が槌音(つちおと)をがんがん響かせていく。警笛を鳴らす車が行きかい、排気ガスと粉塵で薄っすらと背景は煙っていきます。
勢いのある作品です。

 
 そんな世間の喧騒からはやや隔絶した感じのする男女が幾人か登場し、人生の節目に面して思いあぐねてはついつい歩みを止め、呆然と立ちすくんでいくのでした。池内さん演じる苦労人が彼らを見守ります。そっと唇噛んでその背中を見送りしながら、これからの自らの針路を徐々に固めていく。
 

 なかなかの存在感を池内さんが示して、またこちらの心情もさらりと受け止めて見事です。窓が大きく開け放たれている印象があります。主役を張るだけの清楚な美人ですから、もちろん熱烈なファンも擁していた。例えば作家で批評家でもある虫明亜呂無(むしあけあろむ)さんはこんな狂熱的な賛辞(これは明らかに恋文ですね)を当時贈ってもいます。あれこれ拙い言葉を並べるよりも、その一部を写した方がきっと池内さんも喜ばれるでしょう。


 古風で、ひっそりと息づいて、いつも笑顔で人のいうとおりに

なったようで、根は片意地で、きりりんしゃんと自分を保ち、

それでも結局は、大きな目にみえないものの力に流されてゆく。

そのような典型的な日本女性の雰囲気が、彼女から感じられた。

そうした女の味をだせた──下劣な表現だが、男がどうしても

心を乱さずにはいられなくなるといってもよい──女優は、

戦後の日本映画界をつうじて池内淳子ただひとりしかいなかったと

断言してもよいくらいだ。(中略)


 東京風の和服が似合って、動作がぴんしゃんして、

颯爽(さっそう)とした残り香が襟のあたりから漂ってくる。

いなせな気っぷの持主だと想像させる。乾いて、あかるく、まわりを、

ほのかな女の味で、料理しあげる腕と才と知恵を身につけている。(中略)


 美しいひとであるが、池内さんには女の湿った執拗さは、

ひとかけらもない。むしろ男の無頓着さと共通した「乾き」が、

このひとを一層、美しくしてみせているようである。宿でも,

立居動作が透明で、一層なまめかしく、艶にして、妖であった。(*5)


 劇中の役柄と同一視してはいけないでしょうが、いちいち頷かされるところがあります。「四代にわたる江戸っ子が自慢」という家に生れて自然に身についたものでしょうね。作って作れるものではない。


 僕は友人に生粋の江戸っ子をたくさんは持たないけれど、なるほどさっぱりとした気風や美意識は重なって見えます。乾いていながら虚無というのでなく、叩けばコンコンと軽快な音が帰ってくるような身の詰まった内実の、それでいて浮力具えた容姿やいでたち、えも言われぬ色っぽさ、ハハハ、と声上げて快活に笑う彼ら江戸っ子の折々の姿を懐かしく思い出しながら、いつしかこちらにも伝染して温かいものがふわり灯っていく気分。人がひとに勇気付けられる、その不思議を想います。


 まあこっちはこっちで年季が入って身についちまったものがあり、同じ仕草という訳にはいかない。池内さんや江戸の友人のようにはいかない。うつむいて目を細め、ウフフ、ウフフと笑うしかないのだけど。

 現実味がどこか乏しい惚(とぼ)けた風情なのだけど、いろいろと考えさせられる時間となって僕には悪くありませんでしたよ。




(*1):「女と味噌汁」 TBS系列 東芝日曜劇場枠でシリーズ化 1965─1980 
(*2):「女と味噌汁」 平岩弓枝 1965 初出は「別冊小説新潮」
(*3):「女と味噌汁」 監督 五所平之助 1968 共演は川崎敬三、田中邦衛、佐藤慶、田村正和、長山藍子、山岡久乃ほか。監督の五所さんはインタビュウに次のように答えています。「東京映画から一本やれと言ってきまして。テレビでやっているのを映画にするのはいやなのだけど、映画のほうが面白いということを見せようと思って。これを引きうける理由のひとつとして、池内淳子さんと、いちどやってみたいという気持ちがありました。(中略) ひとつ、やってみようじゃないかと。」(*4) なるほど意気込みが伝わって来ます。緩急自在で軽妙、それでいて湿度もほのかにあります。楽しみました。この映画で「女と味噌汁」に逢えてほんとうに良かったな。
(*4):「お化け煙突の世界 映画監督五所平之助の人と仕事」 佐藤忠男編 ノーベル書房 1977 215頁
(*5):「女が通り過ぎる」 虫明亜呂無 「仮面の女と愛の輪廻」 清流出版 2009 所載。初出は「小説新潮」1969 4月号。 

2010年11月26日金曜日

アンジェラ・カーター「花火 九つの冒瀆的な物語」(1987)~やりこなした~ 



わたしが帰化した街、トウキョウ。四年前はじめて訪れたわたしは、

二年間を新宿にある木と紙でできた家で暮らした。(中略)

わたしは米屋から米を買い、銭湯に通って、三十人もの女たちが

異国の裸身をつつましやかに見てみぬふりをするなかで、体を洗った。

お金があるときは刺身を、ないときは豆腐を食べ、いつも味噌汁を

のんだ。つまりわたしは、すべてをやりこなした。(*1)


 新聞の書評欄を見て以来、気にかかって仕方がなかった本を旅先の書店で見つけました。1992年に51歳で世を去ったイギリスの作家アンジェラ・カーター Angela Carterさんの短編集(*2)で、収められた九つの作品中三つが日本を舞台にしています。前述のリシャール・コラスさんの本がすこぶる面白かったものだから、ちょっと図に乗っているところもあるのです。海外文学での醤油、味噌の役割が気になりそわそわして頁をめくった訳なのでした。

 結論から言えば、印象深い記述は見当たらない。官能レベルでも文化レベルでも意味ありげに発信されているものは特段なくって、恋人とふたりして花火大会見物のため東京の郊外におもむいた際、道脇の屋台で焼かれていたイカを立ち食いする。その時塗られて匂った醤油の香味について、至極あっさりと述べられているだけなのです。


 小道に沿って屋台が出ていて、シャツを脱いで、顔に汗よけの

鉢巻きを巻いた料理人たちが、炭火の上でトウモロコシやイカを

焼いていた。私たちは串に刺したイカを買い、歩きながら食べた。

醤油をつけて焼いたもので、とても美味しかった。(*4)          


 ちょっと拍子抜けもしたのだけれど、巻末の翻訳者榎本義子さんによる解説を読んで得心するものがありました。カーターさんは1969年の秋以来、通算2年に渡って日本に滞在しているのですが、榎本さんは当時彼女が雑誌等に寄稿した小文などを丁寧にひもときながら、徐々に人間として、大人として、なにより作家として覚醒していく様子をしめしていくのです。とっても興味深い内容でした。


 冒頭取り上げた文章もそこで紹介された“エッセイ”の一部です。思いつくまま書かれたような言葉はハミングするようにゆったりして、目で追っていて本当に気持ちがいいのだけれど、ご覧の通り可愛らしい達成感とともに味噌汁がちょこんと顔を覗かせている。


 日本という不思議な国、カーターさんの表現を借りれば「まったく、完全に違うのです。すべてが同じですが、すべてが異なる」そんな世界に“最初に”踏み入れた際にそれなりの圧迫があったことがこの一節からだけでも読み取れますし、一種の関門として味噌汁は役割を果たしていたことは明白です。「いつも味噌汁をのんで」いくことが心理的に「帰化」する上で欠かせないものであり、日本で生きる印象を相手に説く上で口にするに値する存在なのだとよくよく認識してもいる。


 小説世界からそんな味噌や醤油が消失した経緯については勝手に類推するしかないのですが、二年間の滞在中、小説に登場したようなお相手も実際いたらしい。もはや彼女が目を凝らして覗き込む対象は日本という国全般ではなかったようなのです。数ミリ先の至近距離にあった。舞台上の立ち位置を示す“バミリ”となるのは直接的に恋人の皮膚や表情であり、彼の言動や物腰しであり、捕縛し続ける厄介な因習であったりするのであって躊躇する間はもうどこにもなく、血と涙を流し、唾や体液にまみれる肉弾戦の局面が訪れていた。


 耳奥にきりりきりりと弦の残響がのたうつような胸苦しい余韻に襲われる幕引きが彼女の小説にはしばしばなのだけど、同時に奇妙な安堵感も備わっているのはナゼなんだろうと考えてみると、それは、彼女が曖昧模糊たる魂の緩衝地帯を相当前に“横断し終えていた”からでしょうね。異邦人として外周に追いやられるのではなく、自分を世界の中心にしかと据えて、すべてを再構築していく。そんな悠々たる気概が伝わってきて気持ちがいいし、勇気付けられもするのです。地に下ろされた両足がぶれないことで、境界はすっかり消失されて見える。



 世界を分断して見える“境界杭”(醤油や味噌によって表されがちな)は、もうずっと遥か後方にあって意味のないものだった。隠喩に頼って言葉尻を合わせる段階はとうに過ぎていた。味噌汁椀の挟み置かれる隙間はどこにも残されていなかったし、醤油にしたって今さら取り上げるに値しないのでした。それはそれで気持ちのよい、いっそ清々しい(表現上の)訣別に思えて否定のしようがない、自律した素晴らしい世界としか言いようがない。


 お金のある無しに関わらず彼女の身近にあった味噌汁を思い描くとき、そしてそれを日々飲み干し血肉と化して世界と拮抗し、姿勢を整えながら勇猛果敢に躍進を続けたひとりの女性の一生に想いを馳せるとき、嬉しくって微笑みを禁じえません。魂に通じる素敵な味噌汁がここにはちゃんと記され、そして足音も立てずにそっと降壇している。気負いのない、分別のあるものが寄り添い見守っている。

 
 訳者の榎本さんが紹介してくれているカーターさんのエッセイは一部分に過ぎません。ウェブで蔵書検索をかけたら幸運にも見つかりましたので、今度のお休みにはひさしぶりに図書館まで足を運ぼうかと考えているところです。きっと元気がもらえそう。


(*1):「わたしの新宿」 アンジェラ・カーター 「文芸春秋」1974年5月号所載とのこと。うーん、全文を通して読むのが楽しみ。
(*2):「花火 九つの冒瀆的な物語」 アンジェラ・カーター 榎本義子訳 アイシーメディックス 2010 原著は1987年に出版されている。表題の年数はこれに由る。

購入してから気付いたのだけど、彼女の本は以前読んだことがありました。“青ひげ”などのおとぎ話を骨格にして描いたもの(*3)で、相当面食らったところがありました。現実と空想が波状になって仕掛けて来て、なんて自由な作風だろうと驚くと共に、木偶(でく)の坊で融通の利かない僕は途方に暮れて指が凍り付いた。ファンの方にはごめんなさい、それが本当のところです。その分今度の本で彼女がより現実の世界、それも日本と深く切り結んでいるらしいのが強く惹かれたし、考えさせられました。途方もなく奥行きのある人だったんですね。

決して読みやすい文章ではないのだけれど、その分、こころの奥の奥をまんま差し出されているような、それとも皮膚の内側に隠した温かい闇夜にすっぽり取り込まれているような居心地の良さが感じられて大そう面白かったし、有り難い感じを持ちました。肝胆(かんたん)相照らす類縁の友と、しっぽりお茶してるみたいな嬉しさがずっと僕のなかに有り続けました。彼女(等身大の自画像と思われる)の眼差しや見解に幾度も頷かされ、周囲の明度や冴度がすっかり上がったような真新しい気分になっていく。魅了されるひとが存外多いのも頷かされるところがあります。見事です、素敵すぎますね。カッコいい!
(*3):「血染めの部屋」 アンジェラ・カーター 富士川義之訳 筑摩書房  1999
(*4):「日本の思い出」 9頁

2010年11月22日月曜日

リシャール・コラス「遥かなる航跡 La Trance」(2006)~美しいと思った~



 ぼくは蓋を取ろうとした。蓋は、椀から離れようとしなかった。

片手で椀を持って、少し強く引っ張った。それでもダメだった。

A夫人が箸を置き、ぼくに何か言おうとして口を開けたまさに

そのとき、椀の中身──茶色の液体に、豆腐が漂っていた──が

テーブルにこぼれ、ぼくのズボンにしたたり落ち、ぼくの足は

火傷したように熱く、何かわからぬ緑の食材の小片がぼくの

ご飯茶碗に飛び込んだ。A夫人が急いで片づけているあいだ、

ぼくはただ茫然と恥じ入っていた。(*1)


 小学校と道路挟んで斜向いに、ちいさな駄菓子屋がありました。幅深さ共に1メートル程の小川が流れており、それを跨いで建っている。古い木材を寄せ集めたさびれた風情で、ちょっと壁も傾(かし)いでいたように記憶しています。


 窓のない内部は洞窟のようで終日薄暗く、ぶらさがった電灯の光に赤だの黄色だのに着色された菓子類、独楽(こま)やらゴム動力の玩具類やらがぼうっと浮かび上がる様はなんとも怪しげで胸躍らせるものがありました。休日ともなれば数枚の10円硬貨をポケットに入れて訪ねるのが僕と兄弟、友人の過ごし方の定番でした。


 腰の曲ったおじいさんにヨイショと突き出された“ところてん”が、曇ったガラス器に涼しげにしなを作ります。酢醤油をかけ一本箸でチュルチュルすすりながら、店奥の土間に置かれた粗末なテーブルを小さな頭が囲んでいく。表紙がよれ裏表紙は剥がれして、なんとなく悪徳と禁断の薫りを放って手招きするような「少年マガジン」を回し見するためです。裸女と怪物が絡み合う海外のSFパルプ雑誌のきわどい表紙画をぞろり並べたカラー口絵や、凄惨な飢餓状態を背景にした「アシュラ」が目に焼きついて今でもはっきり思い出されます。


 そこで“ビニール風船”と呼ばれる玩具も売られていました。なにやら刺激臭がプンと鼻を突くセメダイン状の半固体が詰まった金属製のチューブと、爪楊枝(つまようじ)ほどにも短く硬いストローが組みになったものです。ストローの先に樹脂を丸め付けて反対側から息を送ると風船となって膨らんでいく。陽の光に透かし見るそれは七色に妖しく輝き、また、しゃぼん玉と違っていつまでも割れないでいてくれるのが楽しくて子供心に魅了されたものです。でも、最後はつぶれていく。ゆったりといびつな形で萎んでいく様子は妙に淋しかった。


 リシャール・コラスさんの小説「遥かなる航跡 La Trance」を読み終えて余韻にひたる中で、急に記憶の底からビニール風船の壊れる様が浮上してきました。フランス生まれで五十をとうに過ぎた初老の男が、十八歳の時に訪れた“1972年の日本の夏”を記憶の淵からすくい上げて反芻していく。そんな物語の構成に由来しているのです。過去をたぐり寄せるベクトルが読み手の僕に影響を及ぼしている。


 銀座の一等地に店舗兼事務所を構える化粧品会社の社長職を担う、そんな風格ある男の脳裏に無垢でまぶしい風景が次から次に灯影されていくのだけど、やがて甘く切ないスライドショーに破壊と悲哀をともなう情景が合流していく。「どこにでもあるような、成就せずに終わった恋愛の、陳腐な物語なのではないか」という男の呑気な総括に対して、記憶は牙をむいて襲いかかって主人公を血だらけにしていく。


 あの時、1972年当時、排気ガスのいがらっぽい空気に覆われた町も、扇風機と団扇と麦茶だけしかないささやかな涼も、陽炎が渦巻き蝉の声が鳴り響くばかりで悪夢そのままの路地も確かにありました。小説にある通りです。カメラ片手に各地を転々とする金髪の若者と同じ時分、同じ真夏日に照射された僕自身の光景が甦って止まらない。それも、どちらと言えば破壊と悲哀をともなうものとして。


 トラックの荷台に山と積んで売りに来るのを追いかけ、渡されたものを両手で懸命に抱えて家に戻る途中、つい手を滑らせてしまう。一瞬後には路上に赤々と砕け散った西瓜の、水っぽい臭いや指先に残されたつるつるの感触なんかも映画のワンシーンみたいに思い出してしまう。彼の夏は、僕の夏でもありました。


 子どもは、若者は破壊者です。思えばずいぶん沢山のものを驚きや感動と共に見つめ、そしてずいぶんと壊したり飼い殺したりして過ごして来ました。ささやかで可愛らしい“惨劇の連鎖”がナベ底にできた焦げみたいとなって記憶に留まり、生きていくのに必要な力を育ててくれた感じもします。ものの哀れや、生命のはかなさにやがて気付かせてくれた。語弊があるかもしれないけど、成長に破壊は不可避なんでしょうね。


 読書であれ観劇であれ送り手と受け手との組み合わせが違えば、巻き起こされる感動の質や量は千変万化します。“万人向け”のものなど一つとて無い訳ですが、僕にはなかなかの化学反応がこの本にはありました。しっくりきて良い物語でしたね。ある程度の年齢以降の男には、多少なりとも共振して胸に来るものがあるのじゃないかな。


 日本通の筆者ならではの細かな日常描写が秀抜で見事なのだけど、いちいちの食事に関しての記述もまたなんともリアルで目の前に料理が浮かび上がります。過去と現在とが映画で言うところのカットバック手法で交互に描かれていきますが、そのふたつの時空間にそれはそれはたくさんの“みそ汁”が並んで壮観でした。これは小説の表現上、とてもめずらしいことで特筆すべきです。


 過去(1972年)においては渡航中に知り合ったフライトアテンダントの芦屋の実家を訪ね「野菜の天ぷらとみそ汁」を馳走になり、長距離バスで隣り合わせになったアメリカ帰りの男の実家がある瀬戸内の島では、海に潜って伊勢エビを捕り、「頭はみそ汁」のだしに使われます。連絡船に乗りそびれて夜明けを待った神社では、親切な神主に「じゃがいもと細切れ肉の浮かぶみそ汁」を振る舞われもします。

 現代のパートにおいても同様です。ガストで和食定を注文し、「塩鮭に温泉卵、不可欠の納豆、みそ汁」が並ぶのを淡々と食していくのだったし、函館の妻の実家に同行すれば「カニを殻ごとハサミで切って投げ入れたみそ鍋」が振舞われる。鎌倉にある自宅の描写はたとえばこんな具合で、実にしっとりと湿りを帯びている。


 食堂(ダイニング)に入ると、みそ汁の匂いが漂っていた。

妻は、食卓に和風の朝食の準備をしてあった。皿のなかの

新鮮な卵の殻が和紙の照明の光で輝き、海苔が小皿に載せられ、

食堂のランプは醤油の水たまりに映り、ご飯の入った茶碗から

グルテンのちょっとむっとする匂いが立ち上っていた。小鉢には

納豆、別の皿にはタクアンが数切れ、きゅうりの緑と対照をなして

いた。美しいと思った。(中略)決まって同じようにした。

儀式みたいなものなのだ。朝早いのに、妻がわざわざ和風の

朝食を準備してくれたことに心打たれていた。(*2)


 冒頭の場面は羽田空港に降り立って直ぐの、ホームステイ先の家で最初に出された和食の描写です。料理も器も何がなんだか皆目わからず動転し、みそ汁椀をぶちまけてしまった恥ずかしい場面なのですが、頁を繰るにつれて異邦人としての目線がしとしとと溶け落ちていき、立ち居振る舞いがすっかり板に付いていくのが感じ取れる。儀式を忠実にこなし、日本人以上にらしく振る舞っていく。主人公がこの地にどれだけ馴染み、どれだけ日常化させているかが食事の光景を通じて語られていくのです。


 そのようにして世界を認識し無理なく触れ合っているはずの男に、世界は、いや日本は冷徹な現実を突きつけ足払いを喰らわせる。みそ汁は往々にして“境界杭”として文学上現れるものですが、それをまたいで内に入り、十分過ぎるほど世界に馴染んで機能しているという男の自負がみるみる足元から崩壊していくのでした。舞台中央にいた主人公を奈落に落としこむ暗い穴が、がっと開く仕掛けが潜んでいる。その位置を指し示すとても怖い“バミリ”としてみそ汁が登用されて見えます。


 これは何も異国で暮らす上で感じる恐怖に限らない。生きつづける者の大概の足元には板の継ぎ目がたくさんあり、ぎしぎしと鳴り続けている。恋情、家庭、仕事、日常の舞台で生き生きと活動していた矢先に、ぽかりと穴が穿たれ呑み込まれていく予兆が僕たちを慄(おのの)かせます。多面体に、はたまた多層的に生きている現代人の誰をも襲う乖離感、虚脱感、疎外感といったものを描いていて、しみじみと考えさせられるものがありました。(そういうのがあればこそ、人生は味わい深いのだけどね)


 結果的にはなんとも切ないみそ汁になってしまいましたが、“こころ”が深く寄り添って悪くない風合であったように思います。


 ごちそうさまでした、コラスさん。

 ありがとう、いいお味でした。


(*1):「遥かなる航跡 La Trance」リシャール・コラス Richard Collasse 堀内ゆかり訳 集英社インターナショナル 2006 131頁 
(*2):102頁

2010年11月17日水曜日

和泉式部「和泉式部集」(1003)~惜しからぬ~



   花にあへばみぞつゆばかり惜しからぬ

   あかで春にもかはりにしかば


 最終の新幹線に乗りそこねてしまい、とある街で途中下車をいたしました。幸い宿は見つかって温かく一夜を明かしたのでしたが、そのまま帰るのもなんだかツマラナイ、ここで降りた意味もきっとあるだろうと美術館まで足を運んでみました。地方の美術館は広いフロアを独占出来たりするから好いですよね。津田一江さんという作家の構図や色使いなど面白く、他の日本画や洋画も興味深くて悪くない時間でした。


 隣接した図書館内を歩くうちに目に飛び込んだ背表紙があります。立ち読みすると何箇所か惹かれるところがありました。“みそ”の本(*1)にしては人間のこころ模様に踏み込んでいて愉しかったのだけど、それはきっと著者のひとり永山久夫(ながやまひさお)さんが色っぽい人だからでしょうね。だってこんな歌も一緒に添えられているんです。

   あらざらむ此世(このよ)の外(ほか)の思い出に
   

   今ひとたびの逢う事もがな

 “死んでからのあの世の思い出に、あなたともう一度でいいからお逢いしたいものです” ほとばしる熱い想いがしのばれ、体感温度が二度ほど上がったように思えます。そんな恋する歌人和泉式部(いずみしきぶ)が“みそ”の歌を残していた。それが冒頭に書き写したものです。永山さんたちの視線は単なる歴史上の記述を紹介するのでなく、もう少し奥まった部分へ僕たちを誘っている。


 別の本を参照に引けばこの歌は「1003年ごろに成立(*2)」とあります。その頃に味噌の原型となった発酵食品があったことも驚きですが、組み込まれているのがこれもどうやら恋歌らしいのです。嬉しい発見です。


 二月頃、味醤(みそ)を人のもとに贈るときに(二月ばかり みそを人かりやるとて)歌われたもので、永山さんたちは次のように訳してみせます。“あなたのような素敵なお方のためなら、私が大事にしている味醤(現在でいう味噌)を贈っても、少しも惜しくはありませんわ” 素敵です。そして、何という重大な役回りか。現在の味噌では起こりえない、あまり見られないことが記録されています。


 同じものを食べるという行為は恋情や思慕、友愛、慈愛といった“魂のこと”へと連なっていきますよね。古(いにしえ)からの風習はレストランでの会食やバレンタインデイや七五三での菓子の贈答という形で脈々と受け継がれ、千年のときを超えて今も僕たちの文化に健在です。日毎夜毎に“食べること”と“想うこと”を寄り添わせて僕たちは暮らしています。


 そこにかつては“みそ”もあったという事実に驚かされるのです。今そういう事、つまり“みそを贈ること”をやっても冗談と受け取られるだけかもしれない。下手するとあきれ果てられ、絶交されてしまいそう。でも、千年の時空を(気持ちのうえで)ひと跨ぎすれば、みそを食することは愛することと直結している。僕たちはすべからく“みそ”を介して愛し合った者たちのDNAを継いでいるのです。そう想うとちょっと温かい気持ちになります。


 真夜中の淋しい途中下車でしたが、こうして和泉式部に逢えたので良かったように思います。人間、気の持ちようですね。

(*1):「みそ和食」 永山久夫 清水信子共著 社団法人家の光協会 2001
(*2):「みそ文化誌」2001 466頁

(追記)
本日、アンジェラ・カーターさんのエッセイが載った古い雑誌を奥の書庫から持って来てもらう間、図書館のカウンター付近をぶらついていたら「和泉式部─和歌と生活」(伊藤博著 笠間書院 2010)という背表紙が目に止まりました。早速この歌についての解説を探すと、こんな風になっています。

「みぞ」は、「身ぞ」と「味噌」の掛詞。(中略) 花に出会うと、我が身のことなど少しも惜しくありません。満足できずにいるうちに、季節は春に移り変わってしまいましたので─あなたに大切なお味噌をさしあげますが、少しも惜しくはありません、と詠み添えている。「みそ」が詠まれている例を、他に求めることはむずかしい。これも、和泉式部ならではの自在なことばづかいなのであろう。

なんて情熱的な歌か。ここでは自身と味噌が像を重ねているのも素晴らしいこと。こんな想いをこめられた味噌を贈られた相手がうらやましいし、そこまで言わせる“花”と出逢えるのも素敵
。(2011.11.28)




 さて、気の持ちようで
思い出すのだけど、十月の末から十一月の初旬、だいたい日本シリーズとか学園祭の時期なのだけれど、どうやら秋草の花粉が僕を襲っているらしい。飛び回る花粉なんて見えやしないし、医者に行きパッチテストしてもらって確認した訳じゃないけど、多分きっとそう。毎年毎年おなじ具合に、重苦しい時間を半月ほども過ごしてしまうのです。そのときの思考回路はかなり壊れているんですね。

 この頃では受け流す術も体得できた感じでいるけれど、若い頃はひどいものだった。いたずらに天を怨み、休日には家や下宿にジッと籠城し、そんな自分の不甲斐なさを責めては悶々と悩んでおりました。“気の持ちよう”という言葉をもうちょっと腹に据えられたなら、あんなに鬱々と暮らさずに済んだものを。


 今年もそれは来てましたね。ささやかな解放感をいま感じつつ幽囚の日々を振り返って見れば、やはり人間の精神の変調とは“奇妙でおかしなもの”だと映ります。


 先人や作家という存在を含めて誰にでも“心の支え”と頼む人がいると思うのですが、こんな僕にも得難いひとが幾人かいてくれている。とても有り難いことです。ところが、あの猛暑のさなかに手紙の表現をめぐってギクシャクした行き違いが生じてしまい、軽率だった筆の走りを大いに恥じて猛省する夜を堆積させていくうちに例の晩秋が押し寄せてきた。 めげた気分を花粉が襲った。


 仕事を終えて屋外に出たとき、天空に月を探し仰ぐのが僕の楽しみのひとつですが、あの行き違い以来、空はいつも雲に暗く閉ざされて月の姿はどこにもないのです。翌日もその次の日も僕の前に月は現れず、それが一週間二週間と続くうちに、これは“必然”じゃなかろうかと納得してしまった。村上春樹さんの小説「1Q84」みたいだけれど、本当に僕の前から月が消えてなくなったかのように思えました。


 これからの残りの生涯、僕は月を見れないのじゃないか。いや、これまで妖しく変わっていく白い球体を夜毎仰ぎ見ることが出来たこと、そうして(恩人たちとこころの奥で)「こんばんは」と挨拶を交わし無事を祈っていた日々そのものが霊的な作用、神がかりの恩寵に他ならず、もはやそんな奇蹟の時間は僕から未来永劫去っていって、黒雲が空をすっかり閉ざし続けるに違いない! 


 とんでもない間違いを犯した報いだと茫然として佇み、唇を噛みながらのっそりした闇に包まれていた。


 馬鹿じゃないの、ただ天気が悪かっただけじゃん。でもね、本当にそう思った。人間とはそこまで狂ってしまう、思い込んでしまう困ったものなのです。心と身体はふたつの車輪。どちらかが傾げば道を外れてしまう。


 おとといの夜、そして昨夜、さらに今夜と月は浮かんでいます。まばゆいその光を見つめながら、魂の姿勢ひとつで世界は顔をかえていくことを再認識しました。空気は日増しに澄み渡って、樹々たちは葉を落として深く眠ろうとしています。花粉の乱舞も終わりに近付いた。さあ、倦怠はお終い。歯車に油を注してもうひと踏ん張り致しましょう。


 代わって風邪やウイルスが跋扈する時期ではあるけれど、忙しい年末の後にはきっと素敵な新年が待っているはず。どうか皆さんうがい手洗い励行してお元気にお過ごしください。


 こころから無事と活躍を祈っています。

2010年11月15日月曜日

独りきりの時間


 うねうねと曲がりくねる道。乗用車二台がかろうじてすれ違える程度の幅。右手は急な崖になっていて、谷をはさんで扇(おおぎ)型の切り立った山稜がひろがる。終わりかけではあるけれど紅葉に染まって美しい。眼福と言うしかないが、なんだか現実感を失ってしまいそう。“扇”を連想させたのは、そうか、灰色の岩筋が何本も縦に走っているせいだ。なかば白骨化した指が紅蓮の山肌をぎゅっと押さえ付けているみたい。美しさと怖さが同居した光景で胸に迫る。


 天空を貫く岩壁が、不意を打って目の前に現れる。これは思わず声が出ちゃうなあ。万年雪が山頂に宿り、朝日を浴びて全体が白く輝いているのだけれど、印象としては逆に“目隠し”されたようなショックがある。猟奇映画によくある、背後から大きな手のひらが伸びて来て視界を黒く塞いでいく、そんな感じだな。圧倒的な力、震えを起こさせるものが嘘でも大袈裟でもなく潜んでいる。その神々しさ、禍々(まがまが)しさは画像でも文章でもきっと伝わらないな。見ないと決して分からないものって世の中にはある。

 登攀に挑んだ老若男女の、あらゆる種類の想いや費やされた時間の束が揮発し切って消失するのでなく、いまだに山霧(ミスト)にまぎれて点々と浮いて漂っているみたいに感じる。深呼吸を繰り返す僕はそれを吸い込んでしまった。肺腑の奥に哀しみも喜びも、悔しさも快楽も、夢と絶望とがあまねく滑り込んで、じくじくと浸潤を始める。妙な実感をそなえた夢想がひどく湧き立ってくる。ベンチに腰掛け微動だにせず、山を仰ぎ続ける年輩の男性が見える。登山靴に登山帽。彼のこれまでの時間に何があったのだろう。


 陶然と佇んだ後、ずるずる道を引き返して三角屋根の無人駅にたどり着く。季節はずれの山道も駅も、本当に人影はまばらで静寂が支配している。駅に至っては誰もいない、誰も追ってこない。寒い待合室を後にしてガラガラと荷物を引きずり、長く暗い階段をいよいよ下りていく。


 静寂?、いやいや絶えず音はしていて意外だった。山肌を伝う清水なのか、コンクリ壁を割って滲み入った地下水なのか、階段脇の左右に穿(うが)たれた急傾斜をべたべたぬるぬるりと水が流れ続けて、次第にちょろちょろ、終いにはざあざあ、ざわざわと洞内に音が渦巻き折り重なって、自分の靴音などはぺしゃんこに押しつぶされる。異様な騒々しさと泣きたくなるような淋しさを同時に産み落としていて、心細いことと言ったらない。さすがに寒気がしてコートを羽織る。


 湿り気を帯びたプラットホームに到着する。幾つもの蛍光管が湾曲した壁をぼうっ、ぼうっと間隔置いて照らし出し、そこだけ薄っすらと苔が息づいて緑色に染まったりしてるのも奇観で気色悪く、誰か早く来てくれないかと願う。さりげなく会話が出来る相手が欲しいのだけど、いつまで経っても誰も降りてこない。怖い。変なことを考えちゃ駄目だ。「だれかいる、何かいる」なんて弱気のスイッチが入ったら最後、急激に尿意を催しそうで目線をそらす。

 横目でそっと覗けば、ホーム脇の古びたトイレは扉が開け放たれ、じゃぼりじゃぼりと水が垂れ流しになっている。流れ下ってきた清水をうまく利用しているに違いなく、そうと頭で解かっていても「何かいた、だれかいた」ような“気配”を感じ取りそうになって、慌てふたむき反対方向へ逃げ出すしかない。追いつめられるようにしてホームの先端に立ち、鉄路の銀色になまめかしく伸びいく先に黒々と口を開いた真闇(まやみ)を見つめていると、身体がずいと吸い込まれるようだ。


 一本の道をたどってここまで高低差を見せつけられる空間は珍しい。段差が物凄くって、どうしようもなく観念的になってしまう場処だと思う。


 精神の高揚と沈滞、魂の上昇と落下が現実に寄り添ってもいた。若い肉体と生命を次々と呑み込み、毎年真新しい名前が慰霊碑に刻まれる一種の“聖地”である。手を合わせて冥福を祈る。

 登山を生きがいとする友人の言葉に従い、カバンには旅館から買い求めてきた酒の小瓶が一本。栓を切って傾け、石碑のあちらこちらに手向けながら人の生きていくことの不思議と奇蹟、面白さ、一過性を想わずにはいられなかった。






2010年11月8日月曜日

美人は菌でつくられる

 

 青木皐さんの著作「人体常在菌のはなし ―美人は菌でつくられる」 (集英社新書)をトイレで読んでいる。難しい本は途中で飽きてきちゃうので、ナニしながら少しずつ眺めたりするのです。青木さん、ごめんなさいね。でも、お陰で楽しく有意義に過ごしております。


 いつ頃出されたか見てみたら2004年と書かれている。今ごろ読んでいるのだから、どうしようもないわけですが、まあ読まないよりは良いだろうと開き直ったりして。いや、これは眺めるに値する本だね。生きる上での根っこに関わる話だよ。


 体内への有用菌の積極的な投入なしには、人間は快活に生きられない。免疫、消化、美容に関わる体内、表皮菌の話が分かりやすく解説されていて面白かった。こういう事って学校じゃ全然教えてくれないんだけど、知らないまま過ごすと末代までタタルというか、とんでもない事態を招くことだってありそうだ。どうにかしてもっと子どもたちに教えていきたい、そんな“ささやかだけど、ためになる知識”ばかりが並んでいる。


 栄養摂取という以上の役回りを発酵食品は担っているんだな。う~ん、長い歴史のなかで定着してきた食べものって、ただ美味しいだけじゃない、伊達じゃないんだ。


 と、エクセルの関数だらけの管理表を作り直しさせられ、ほとほと飽きてしまって息抜き中の書き込みでした。仕事に戻りますう。

2010年11月4日木曜日

村上春樹(訳)「人の考えつくこと」(1991)~That’s just it~


 “By God,”Vern said.
 “What does she have that other women don’t have?” I said to Vern after a minute. We were hunkered on the floor with just out heads showing over the windowsill and were looking at a man who was standing and looking into his own bedroom window.
 “That’s just it,”Vern said.He cleared his throat right next to my ear.
 We kept watching.
 I could make out someone behind the curtain now.it must have been her undressing.But I couldn’t see any detail. I strained my eyes.(*1)


 友人に薦められて購入したものの、手に取れずにずっと枕元に置かれたままだった本があります。思うところがあって困難だったのですが、その外国の短編集を最近になってようやく読みました。レイモンド・カーヴァーさんの佳作を何篇か束ねたものです。中に「大聖堂」(正確には「大聖堂」という本に所載された短篇)があり、それが実に素晴らしい内容なのだ、きっと貴方も読んだ方が良いと薦められていたのです。翻訳を担った村上春樹さんの技量とセンスについても友人はそのとき褒めちぎったものでした。あのときの和んだ空気や笑顔をとても懐かしく思い返します。


 正月休みに幼なじみが会した酒席においても、村上さん翻訳のカーヴァー作品が話題になったことがあります(手掛けた全集が完結した頃ですね、たぶん)。天邪鬼の僕は流行りものを斜めに見てしまう癖がありますから、気にしつつもあえて距離を置いたところがあったのです。回りまわって遂に読んだ物語たちは予想を越えて胸の奥の奥までに跳び込み、照明弾のように僕の内部を明るくしました。幾らか消沈気味だった気持ちを見透かされて、救いの手を差し出されたような感じでいます。


 カーヴァーさんの描く人物は独特です。根っこから立ち上がっている。さらに言えば枝葉を繁らす前にざっくり剪定されてしまったような酷薄な面持ちを具えています。僕たち読者に対して虚勢を張る仕組み、花なり果実がまるで見当たらない。とことん“素”であり、だから放埓だし、だから軟弱だし、だから身勝手だし、劇中であまり成長しないのです。そして何より真剣です。そのように自然体で迫られてしまうと現実と物語の境界はたちまち消失し、彼ら登場人物の悲観や惑い、昂揚やささやかな願いといったものがあっという間に僕自身が抱えるものと融合していき、言い知れぬ心地よさから本を閉じられなくなってしまう。

 8冊の全集のうち現在4冊目を読み進めています。今度の旅の供もおそらくカーヴァー作品になるのでしょう。(うん、悪くありません。)

 上に取り上げた原文は“The idea”という作品の一節です。若い夫婦の住まう家の隣宅で奇妙なことが毎夜繰り広げられます。その家の主人が夜な夜な屋外にそっと出て来ては自分たちの寝室を覗き込むのです。カーテン越しに見るのはどうやら妻の姿態であって、彼女が着替えているのを見て、また見られることで夫婦は揺れるもの、不思議な高揚を吸収している様子です。若い夫婦はその痴態をあきれ返りながらも目を離すことがならずに、ずっとずっと見守っていくのでした。


 村上さんの訳はこのようなものです。


「まったくもう」とヴァーンは言う。

「あの女のどこがそんなにいいっていうのよ?」と少しあとで私はヴァーンに向かって


言った。私たちは床にうずくまって、頭だけを窓枠の上に出している。そして自分の家の

ベッドルームの窓の前に立って中を覗き込んでいる男の姿を見ていた。

「そこがミソなんだよ」とヴァーンは言った。私のすぐ耳もとで彼は咳払いをした。

我々はそのままじっと見物を続けた。

誰かがカーテンの向こうにいるのがわかった。彼女が服を脱いでいるのに違いない。

でも私には細かいところが見えなかった。私は目を凝らした。(*2)


 “That’s just it,”そこなんだよ、だからこそさ……声に出したは良いけれど、夫は次の語句を継げません。劣情や好奇心ともろに直結する言葉が首をもたげたのでしょう。不用意に口にしては波風の立ちそうな類いのそれを、配偶者の手前なんとか喉元で押し止めることに成功する。わざとらしい男の咳が、灯かりを消した暗い台所にこふこふと響いていく。


 意味深な“That’s just it,”を村上さんは「そこがミソなんだよ」と訳しました。もはや死語の領海、サルガッソかバミューダ・トライアングル(という例えも死語だよねえ)に幽閉されて久しい「そこがミソ」という言葉が、あろうことかアメリカの住宅地に突如出現したのが僕には楽しくてならないのだけど、これは違和感、上ずり感、ヘンテコ感を承知の上で(危険を冒して)採用しているに違いない。


 僕たちの日常の会話で(もしも、万が一)「そこがミソなんだよ」と言われたならどうなってしまうか。きっとくすぐったいような、鼻白むような奇妙な乾いた真空がぽつんと生まれ落ちて、しばしふたりの間に滞空するでしょう。相互作用せず十分機能しない、いわば壊れた表現になっているのが「そこがミソなんだよ」。


 刺激に溢れた今日の食生活において“ミソ”は味覚の奥深さ、嗅覚の深淵を司るキーマンたる位置を確保しにくくなっています。その流れに沿って失活してしまった過去の言葉として「そこがミソなんだよ」がある。村上さんは挿し入れることで生じてしまう“(逆)効果”を狙った上で、あえてこれを登用している。『1Q84』での味噌汁たちともどこか通底する村上さんらしい“ミソ”が湯気を立てて見えます。なかなかの荒技でしたね。恐れ入りました。



(*1):The idea Raymond Carver 1971
(*2):『人の考えつくこと』 レイモンド・カーヴァー 村上春樹訳 中央公論社 レイモンド・カーヴァー全集1「頼むから静かにしてくれ」1991 所載  表題の年数はこの全集発行の年にしてあります。村上さんが訳して最初にどんな雑誌に掲載されたものか分からないので、暫定的なものです。 





2010年11月2日火曜日

風のやうに



 来週、仕事ふたつが重なって、遠方まで足を運ぶことになりました。

 いや、強引に組み合わせてそうすることに“した”のです。関東の目的地Aから路線をたどれば、北陸の古都Bに至る。いつか顔出しをしなきゃならない、そう思っていた取引先が在りました。丁度いいタイミング、なんて絶妙の連結かしらんと思わず吐息も漏れちゃいます。ぽんと背中を叩かれた気分。


 旅程の立て方は綿密な方、と思う。これが見納めじゃないか、一期一会となって次の機会は巡ってこないんじゃないかと切迫するものが渦巻き、ついつい頑張ってしまう癖があります。分刻みで組んでしまわないとどこか落ち着かない。僕ぐらいの年齢に到達した人なら誰もが幾ばくかの“焦り”なり“渇き”なりと共に旅にいそしむのじゃあるまいか。そんなこともないかな。


 かけるべき費用は(湯水のごとくとはいかないけれど、気分的には無理なく)かけられるのだし、貧乏性というのとはちょっと違う。“時間貧乏”、そんな感じでしょうか。手間かけて丹念に練り上げたものなのに、旅客になってしまえばまるで頓着無くなってしまうのも不思議。ハプニングは当然付き物だと思うし、計画を変更して前後を替えたり端折(はしょ)ったりするのもいたって平気であって、かえってそんな突発的な波風を面白がってさえいる。あくまで「計画」の段階でとことん貪欲、狂ったようになってしまうのだけれど、最近特にその傾向がひどい。ウェブ検索に慣れ親しんでコツが呑み込めたせいもあるけれど、自分でも若干おかしい、病的に思える時があります。


 まあ、何となく解かってはいるのです。ぼんやりした空隙(くうげき)を作ってしまい、たとえばベンチで呆然と座ってみたり、ベッドで何することもなく寝転んでいるのがとてつもなくこわい。無性に空いちまった時間を怖がっている。彷徨(さまよ)うことは嫌いじゃないのに、迷子になるのが厭なのです。

 いわゆる“観光”からは距離を置こうとするのも根が小心なせいです。ずっしりとした収穫、ざらついた手触りが欲しくて続々と連結させていきます。非日常に耽(ふけ)るのでなくってあくまで仕事に絡めながら、また、友人知人との会話を懐かしく思い返しながら、あれもこれもと学ぶつもりでいる。どこに泊まるか、何を食べるか、空いた時間にこれを観れるか、あれはどうか、車中ではどれを読もうかと目の色変えて調べまくってしまうのだけど、来週についてはおおよそ日程を埋め尽くし、いまは泰然と構えているところ。実際の旅はどうあれ、嵐は一応過ぎてしまった。狂気は去れり、です。


 無数の若者のいのちを奪い去ったという山稜を目の当たりにすることも、帰路東京で三島由紀夫や澁澤龍彦と交錯した孤高の絵描きの作品群に小さな画廊で対峙出来るのも、水彩画の巨匠の個展に回遊して過ごすのも、いずれも隙間の僅かな時間で駆け足を迫られるだろうにしても本当に愉しみでなりません。起きる全てを意味あって誰かから施された善き時間、善きことと信じてみよう。細々(こまごま)したものを含む何もかもを深く噛み締めてみようと、じっと想いを凝らし黙考を重ねています。




 昨晩、もう初冬と呼んでもおかしくない凍て付いた夜気を裂いて、やわらかな雨が降り続きました。しとしとと屋根打つ雨音に沈降するようにして蒲団に埋まり、冷たい指先を這わせて竹久夢二の「風のやうに」「秘薬紫雪」(*1)を読了したのももちろん今回の旅行に関わるものがあるからなのだけど、そのような“曰く付き”のテキストでも読み始めてみれば新たに発見するもの、感じるものがあるのだから人生はまだまだ面白いと思います。夢二という男が等身大にようやく見えてきて、目からウロコが落ちた感じ。読んで良かった、そう仕向けてくれた旅行を有り難く思います。




 浪漫あふれる晩秋、皆さんも存分に楽しんでくださいな。
 

 素敵な時間を上手に紡(つむ)いでいってください。


(*1):「風のやうに」 竹下夢二 1964 龍星閣
    新聞小説二編が所載されており、「秘薬紫雪(しせつ)」は1924年、
   「風のやうに」も同年「都新聞(東京新聞)」に連載されたもの。