2010年11月22日月曜日

リシャール・コラス「遥かなる航跡 La Trance」(2006)~美しいと思った~



 ぼくは蓋を取ろうとした。蓋は、椀から離れようとしなかった。

片手で椀を持って、少し強く引っ張った。それでもダメだった。

A夫人が箸を置き、ぼくに何か言おうとして口を開けたまさに

そのとき、椀の中身──茶色の液体に、豆腐が漂っていた──が

テーブルにこぼれ、ぼくのズボンにしたたり落ち、ぼくの足は

火傷したように熱く、何かわからぬ緑の食材の小片がぼくの

ご飯茶碗に飛び込んだ。A夫人が急いで片づけているあいだ、

ぼくはただ茫然と恥じ入っていた。(*1)


 小学校と道路挟んで斜向いに、ちいさな駄菓子屋がありました。幅深さ共に1メートル程の小川が流れており、それを跨いで建っている。古い木材を寄せ集めたさびれた風情で、ちょっと壁も傾(かし)いでいたように記憶しています。


 窓のない内部は洞窟のようで終日薄暗く、ぶらさがった電灯の光に赤だの黄色だのに着色された菓子類、独楽(こま)やらゴム動力の玩具類やらがぼうっと浮かび上がる様はなんとも怪しげで胸躍らせるものがありました。休日ともなれば数枚の10円硬貨をポケットに入れて訪ねるのが僕と兄弟、友人の過ごし方の定番でした。


 腰の曲ったおじいさんにヨイショと突き出された“ところてん”が、曇ったガラス器に涼しげにしなを作ります。酢醤油をかけ一本箸でチュルチュルすすりながら、店奥の土間に置かれた粗末なテーブルを小さな頭が囲んでいく。表紙がよれ裏表紙は剥がれして、なんとなく悪徳と禁断の薫りを放って手招きするような「少年マガジン」を回し見するためです。裸女と怪物が絡み合う海外のSFパルプ雑誌のきわどい表紙画をぞろり並べたカラー口絵や、凄惨な飢餓状態を背景にした「アシュラ」が目に焼きついて今でもはっきり思い出されます。


 そこで“ビニール風船”と呼ばれる玩具も売られていました。なにやら刺激臭がプンと鼻を突くセメダイン状の半固体が詰まった金属製のチューブと、爪楊枝(つまようじ)ほどにも短く硬いストローが組みになったものです。ストローの先に樹脂を丸め付けて反対側から息を送ると風船となって膨らんでいく。陽の光に透かし見るそれは七色に妖しく輝き、また、しゃぼん玉と違っていつまでも割れないでいてくれるのが楽しくて子供心に魅了されたものです。でも、最後はつぶれていく。ゆったりといびつな形で萎んでいく様子は妙に淋しかった。


 リシャール・コラスさんの小説「遥かなる航跡 La Trance」を読み終えて余韻にひたる中で、急に記憶の底からビニール風船の壊れる様が浮上してきました。フランス生まれで五十をとうに過ぎた初老の男が、十八歳の時に訪れた“1972年の日本の夏”を記憶の淵からすくい上げて反芻していく。そんな物語の構成に由来しているのです。過去をたぐり寄せるベクトルが読み手の僕に影響を及ぼしている。


 銀座の一等地に店舗兼事務所を構える化粧品会社の社長職を担う、そんな風格ある男の脳裏に無垢でまぶしい風景が次から次に灯影されていくのだけど、やがて甘く切ないスライドショーに破壊と悲哀をともなう情景が合流していく。「どこにでもあるような、成就せずに終わった恋愛の、陳腐な物語なのではないか」という男の呑気な総括に対して、記憶は牙をむいて襲いかかって主人公を血だらけにしていく。


 あの時、1972年当時、排気ガスのいがらっぽい空気に覆われた町も、扇風機と団扇と麦茶だけしかないささやかな涼も、陽炎が渦巻き蝉の声が鳴り響くばかりで悪夢そのままの路地も確かにありました。小説にある通りです。カメラ片手に各地を転々とする金髪の若者と同じ時分、同じ真夏日に照射された僕自身の光景が甦って止まらない。それも、どちらと言えば破壊と悲哀をともなうものとして。


 トラックの荷台に山と積んで売りに来るのを追いかけ、渡されたものを両手で懸命に抱えて家に戻る途中、つい手を滑らせてしまう。一瞬後には路上に赤々と砕け散った西瓜の、水っぽい臭いや指先に残されたつるつるの感触なんかも映画のワンシーンみたいに思い出してしまう。彼の夏は、僕の夏でもありました。


 子どもは、若者は破壊者です。思えばずいぶん沢山のものを驚きや感動と共に見つめ、そしてずいぶんと壊したり飼い殺したりして過ごして来ました。ささやかで可愛らしい“惨劇の連鎖”がナベ底にできた焦げみたいとなって記憶に留まり、生きていくのに必要な力を育ててくれた感じもします。ものの哀れや、生命のはかなさにやがて気付かせてくれた。語弊があるかもしれないけど、成長に破壊は不可避なんでしょうね。


 読書であれ観劇であれ送り手と受け手との組み合わせが違えば、巻き起こされる感動の質や量は千変万化します。“万人向け”のものなど一つとて無い訳ですが、僕にはなかなかの化学反応がこの本にはありました。しっくりきて良い物語でしたね。ある程度の年齢以降の男には、多少なりとも共振して胸に来るものがあるのじゃないかな。


 日本通の筆者ならではの細かな日常描写が秀抜で見事なのだけど、いちいちの食事に関しての記述もまたなんともリアルで目の前に料理が浮かび上がります。過去と現在とが映画で言うところのカットバック手法で交互に描かれていきますが、そのふたつの時空間にそれはそれはたくさんの“みそ汁”が並んで壮観でした。これは小説の表現上、とてもめずらしいことで特筆すべきです。


 過去(1972年)においては渡航中に知り合ったフライトアテンダントの芦屋の実家を訪ね「野菜の天ぷらとみそ汁」を馳走になり、長距離バスで隣り合わせになったアメリカ帰りの男の実家がある瀬戸内の島では、海に潜って伊勢エビを捕り、「頭はみそ汁」のだしに使われます。連絡船に乗りそびれて夜明けを待った神社では、親切な神主に「じゃがいもと細切れ肉の浮かぶみそ汁」を振る舞われもします。

 現代のパートにおいても同様です。ガストで和食定を注文し、「塩鮭に温泉卵、不可欠の納豆、みそ汁」が並ぶのを淡々と食していくのだったし、函館の妻の実家に同行すれば「カニを殻ごとハサミで切って投げ入れたみそ鍋」が振舞われる。鎌倉にある自宅の描写はたとえばこんな具合で、実にしっとりと湿りを帯びている。


 食堂(ダイニング)に入ると、みそ汁の匂いが漂っていた。

妻は、食卓に和風の朝食の準備をしてあった。皿のなかの

新鮮な卵の殻が和紙の照明の光で輝き、海苔が小皿に載せられ、

食堂のランプは醤油の水たまりに映り、ご飯の入った茶碗から

グルテンのちょっとむっとする匂いが立ち上っていた。小鉢には

納豆、別の皿にはタクアンが数切れ、きゅうりの緑と対照をなして

いた。美しいと思った。(中略)決まって同じようにした。

儀式みたいなものなのだ。朝早いのに、妻がわざわざ和風の

朝食を準備してくれたことに心打たれていた。(*2)


 冒頭の場面は羽田空港に降り立って直ぐの、ホームステイ先の家で最初に出された和食の描写です。料理も器も何がなんだか皆目わからず動転し、みそ汁椀をぶちまけてしまった恥ずかしい場面なのですが、頁を繰るにつれて異邦人としての目線がしとしとと溶け落ちていき、立ち居振る舞いがすっかり板に付いていくのが感じ取れる。儀式を忠実にこなし、日本人以上にらしく振る舞っていく。主人公がこの地にどれだけ馴染み、どれだけ日常化させているかが食事の光景を通じて語られていくのです。


 そのようにして世界を認識し無理なく触れ合っているはずの男に、世界は、いや日本は冷徹な現実を突きつけ足払いを喰らわせる。みそ汁は往々にして“境界杭”として文学上現れるものですが、それをまたいで内に入り、十分過ぎるほど世界に馴染んで機能しているという男の自負がみるみる足元から崩壊していくのでした。舞台中央にいた主人公を奈落に落としこむ暗い穴が、がっと開く仕掛けが潜んでいる。その位置を指し示すとても怖い“バミリ”としてみそ汁が登用されて見えます。


 これは何も異国で暮らす上で感じる恐怖に限らない。生きつづける者の大概の足元には板の継ぎ目がたくさんあり、ぎしぎしと鳴り続けている。恋情、家庭、仕事、日常の舞台で生き生きと活動していた矢先に、ぽかりと穴が穿たれ呑み込まれていく予兆が僕たちを慄(おのの)かせます。多面体に、はたまた多層的に生きている現代人の誰をも襲う乖離感、虚脱感、疎外感といったものを描いていて、しみじみと考えさせられるものがありました。(そういうのがあればこそ、人生は味わい深いのだけどね)


 結果的にはなんとも切ないみそ汁になってしまいましたが、“こころ”が深く寄り添って悪くない風合であったように思います。


 ごちそうさまでした、コラスさん。

 ありがとう、いいお味でした。


(*1):「遥かなる航跡 La Trance」リシャール・コラス Richard Collasse 堀内ゆかり訳 集英社インターナショナル 2006 131頁 
(*2):102頁

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