2011年8月30日火曜日

“絵”



 “絵”を観に行きました。休みを利用しての日帰り旅行。“たった一枚”の絵を見るためしては目的地が遠過ぎます。往復に時間を食いますし、朝早いうちに出立しなければなりません。「何もそこまでして」──自分でも酔狂と感じます。


 ピカソの“ゲルニカ”。小学校や中学校の美術や歴史の教科書にも写真が載るこの絵は、だからほとんどの人にとって既知の、もはや鑑賞に値しないありふれた作品となっていますね。これから見(まみ)えようとするのは、その“ゲルニカ”なのでした。


 知識や情報のインプットが背中を押しているのは違いないですね。図書館で評論二冊を借り受け、ざっと目を通してあります。どのような手順で仕上がっていったか、眼前でどんな人間ドラマが繰り広げられたか、その生い立ちはおおよそ理解しています。知れば知るだけ風が吹き抜け、いつの間にか芯に忍ばせた部分にまで炎がおよんでいる。油断大敵、火がぼうぼう。


 気持ちにずいぶんと弾みが付いてしまった。“絵”それのみの魅力に煽られほだされる次元から、絵筆を握る創造者の内奥へと興味の幅がずんと広がります。どうしても“実物大”を感じたくなりました。


 窓のむこう、車の背後に飛び去っていくのは、青々と茂った田んぼであり、蕎麦(そば)や大豆の植わった緑色の絨毯です。スペインの乾いた白い大地ではもちろんありません。道端には草木塔がたたずみ、そこかしこに小さな祠(ほこら)がちょこんと在って、なかには男性器を模した石など正面に飾られていたりするのです。日本の田舎道以外の何ものでもない場所を駆けていく。つまり“ゲルニカ”は“模写”であって実物ではない。


 たかだか“模写”を目指して大の男が突っ走るのは、よほど滑稽に目に映るでしょうね。僕を突き動かしたのはこの“模写”が、小学校や中学校の美術の時間や高等学校の文化祭でよく行なわれる類(たぐ)いのものでなく、ひとりの画家が三ヶ月を費やして本気で取り組んだ結果であるからです。そうでなければ訪れる必要を全く感じない。


 伝えるローカル紙の記事と写真から目が離せなかった。ある画家が別の敬愛する画家とすっきり融合する目的として“模写”が行なわれた気配が濃厚であり、黙黙と線を引き、深く頷きながら色をひとつひとつ置いていったであろう崇高な空間と時間が行間から垣間見れて、こころをきつく縛りました。


 廃校となった元分校の二階が画家のアトリエに提供されており、そこに隣接する、以前は体育館として使用されていた広い場所で“ゲルニカ”が再現されたのです。僕ひとりのためにわざわざ鍵を開け、にこやかに出迎えてくれた施設の責任者の方から製作の裏話を聞くのは実に刺激的で、静かな興奮をまたまた誘うのでした。


 手入れはされているとはいえども廃校は廃校ですからね、淋しげな風情が壁や床板に宿り、子供たちの歓声をかすかに幻聴するような空間なのだけど、其処ここから“ふたりの画家”の気魄と執念があざやかに湧き溢れてくるようで、居るだけで大層愉快なのでした。


 今は正面奥の壇上にひろがる壁一面を埋めるように立てかけられた“絵”は、昔々に教科書で眺めたものとはまるで違って見えました。肌色に染まった人物、青が配された足や指、茶色に逆立つ馬の体毛───死者と絶望のうずたかく堆積し、世界が静止して見えた白黒二色の図案(と、勝手に思い込んでいた)ものが、生ける者たちの吐息や叫喚ですみずみまで満たされていき、残酷だけどすこぶる美しいと感じました。こんなにも鮮やかな“精気”に満ちた絵であったか、と強く感嘆させられた次第です。


 その場に足を踏みしめ、広さや大きさに真剣に対峙しなければ決して伝わってこないものや場所が確かにありますね。写真や映像では駄目で、自らの眼球で視止める必要がある、そういう空間。五感をフル稼働して吸収する、そんな時間はホント大切だなあ。


 また、人がひとに興味なり愛着を覚え、同化をもくろむようにして“後追い”していく行為の、ささやかさ、切なさ、素晴らしさも同時に感じられる時間で実に有意義な小旅行だったのです。


 三月以降の鬱屈した思いが断ち切れそうな“錯覚”を、束の間といえども持てたのは嬉しいですね。実際走り出してみれば気分は上々、悪くありませんでしたよ。晩夏のぼうっと軟らかい陽射しに染まった河を渡り、翳(かげ)が増した峠を越え、青い空の下をひたすら突き進むことの爽快さは格別でした。やはり人間は出歩かないと駄目だな、と思いましたね。


 仙台市からはざっと三時間ですが、たまには思い切り足を伸ばしてはどうですか。“ゲルニカ”以外は特段めずらしいものは何もない町ですが、とても気持ちのいいところでしたよ。久しぶりに深呼吸ができた感じでいます。


2011年8月16日火曜日

宮崎駿「コクリコ坂から」(2011)~ドボドボ注ぐ~


○コクリコ荘・食堂

  開いたガラス戸から、降りて来る人の姿が見える。朝の挨拶。

  割烹着姿で釜敷におろした釜から、熱い飯をおひつに移して

  いる海。牧村が配膳を手伝う。(中略)

  味噌汁を椀にすばやく注いでいく海。

  牧村がお盆に移し変えてテーブルに運ぶ。納豆に醤油をドボドボ

  注ぐ北斗。

牧村「わあ、またそんなに醤油入れて!」

北斗「これがいいんじゃない」

  平然とかきまわす北斗。(*1)


 暑さの質感が変わり、網戸越しの夜風が乾いてきました。夢にうなされたのか、それとも捕食者の不意の出現に慌てたのか、蝉が、ぎゃっぎゃっぎゃっ、と不意に大声を立てます。もしかしたら天に召される時が来たのかもしれない。秋の虫がもう盛んに鳴いています。少しずつ少しずつ季節は変わっていきますね。皆さんお住まいの町の雰囲気はいかがですか。まだまだ夏は居座っていますか、それとももう引越しを始めていますか。


 そろそろ寝なきゃいけないのですが、仕事の関係で連休を謳歌出来ない僕としてはビール片手の夜更かしが気分転換には欠かせないところがあって、たまにはこうしてズルズルとみっともない文章を叩きたくもなるのです。


 先日、公開されて間もないアメリカ映画(*2)を観ました。ブラッド・ピットが父親を演じた話題作ですが、遅い時間のレイトショーとは言え、わずか三人しか観客がいないのが不思議でした。まあ、ゆったり出来て嬉しいのだけど。


 今では落ち着いた年齢となった“息子”の視線が物語を一直線に貫いているから、僕みたいな中年男としてはそれだけでびんと結線されてじんじんと伝わるものがある。けれど、性差や年齢を越えて共振を誘う仕掛けが盛りだくさんに作り込まれているからね、映像に愉しみや安らぎを感じるひとであれば、誰でもきっと充実した時間を過ごせるのじゃないかな。是非ご覧なさい、これは凄い。


 なにもそういう自分を売り込みたいのじゃなく、なんていうか、この映画の突き抜け方をどうにかして伝えたいだけなんだけど、まったく困るぐらいに泣かされました。三人だけで良かったよ、ほんと。恥ずかしくってなかなか席を立てなかったもんね。


 食卓の場景が幾度か映し出されます。最近のアメリカの映画は美術や小道具の発言力がほんとうに凄くて、パスタとかケチャップとかいずれもささやかなものなのだけど、人物の感情を左右し、逆に心象を雄弁に語ってみせたりして度肝を抜かれることが度々あります。この作品もきっとそうなんだろうなあ。アメリカに住まう人には劇中出てくる家族のふところ具合が手に取るように分かり、また、堆積した味覚、嗅覚の記憶を総動員して劇世界に溶け込んでいけるのでしょうね。豆料理が印象的でね。あの意味、ずっと考えているところです。


 その点、日本の映画は料理を使って人物の造形につなげてみせる辣腕家は何人もいるけど、観客を当てにしないというか、信用しないというか、味の薄い会話で補ってしまう悪い癖があるように思えます。


 たとえば上に引いた宮崎駿(みやざきはやお)さんの「コクリコ坂から」なんかも勿体ないというか、一歩出しゃばり過ぎの感じがするよね。北斗(ほくと)という名の研修医が“醤油をドボドボ”と使う。これまで見たようにその行為は男なら“父性”と結びつき、女性の場合(*3)には“男勝り”“ユニ・セックス”へ傾かせる効果があるのだけど、そういった事を思い巡らす受け手側の時間をまるで許さず、間髪入れずに「わあ、またそんなに醤油入れて!」と台詞を詰め込むのは昨今の世界基準からすれば大いに見劣り、聞き劣り(そんな言葉あるのか)するところです。


 さてさて、そろそろ寝ましょう。もういい加減酔ってますし。

 皆さん、おやすみなさい。楽しい夢を、ゆったりした眠りを。



(*1):「脚本 コクリコ坂から」 宮崎駿 丹羽圭子共著 角川文庫 2011
最上段の画像は映画から 監督 宮崎吾朗 2011
(*2): The Tree of Life 監督テレンス・マリック 2011
(*3):以前こんな作品がありましたね。姉妹のなかでおんなおんなしていない娘が醤油をドバドバ使っていました。
吉田秋生「海街diary」(2006-)
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/diary2006.html

2011年8月15日月曜日

瀬戸内晴美「諧調は偽りなり」(1981)~ここに来ていてよかったな~


 無想庵は縁側で土びんをかけた七輪をばたばたしぶ団扇で扇(あお)

いでいるところだった。

「おう、どうした」

 黙って縁側に立つ辻を見かえって、無想庵はいつもの声で訊いた。
 
「うん、ちょっと来てみたくなった」

「まあ上り給え、ちょうど飯が出来る。朝昼兼用だ、食っていけよ」

「…………」

 辻は縁側から上った。土びんの中が煮立ってくると、無想庵は

そこへ味噌を入れた。

「あっ、茶じゃなかったのか」

「味噌汁さ、昆布でだしをとって、ついでにそいつが実ともなる。

どうだ、頭がいいだろう」

「おれにやらせりゃ、ぬたの一つもつくってみせるのに」

「空想の中ではどんな料理も出来るさ」

 無想庵は土びんを七輪から下ろすと、座敷へ持ち込んだ。残り火は

火鉢に移す。すっかり山の生活が身にそったような手つきだった。

「どうした、浮かない顔をしてるぞ」

 無想庵は箸をつけない辻にようやく気がついたようにいう。

「酒はないか」

「少しそこに残っている。一合もないね」(中略)

「神近が大杉を刺した。大杉は死ななかったそうだ」

「あっても不思議じゃないことだ」

 無想庵はそれで了解したというように、

「酒もいいが飯も喰い給え、うまいぞこの味噌汁」

という。辻は酒の入った湯のみを大切そうに薄い両の掌で

包んでいる。

「ここに来ていてよかったな」

 無想庵がいった。

「そういうことさ」

「大杉も悪運の強い奴だね。しかし女は怖いな、のぼせ上ると

何をするかしれやしない」

 無想庵は山に入ると何ヵ月でも新聞を見ようとしない。せっかく

山に入って、下界の猥雑なニュースなど一切聞きたくないというのだ。

 辻はズボンのポケットに入れてきた新聞の切り抜きを出さなくて

よかったと思った。

 無想庵は黙々と食事をつづけた。変な味噌汁もさも美味そうに

ふうふうふきながらすすっている。

 辻は一合に満たない酒で全身が暖まってきた。胸につかえていた

ものが、酒にとかされたように軽くなった。(*1)


 ふたたび瀬戸内晴美(せとうちはるみ 現在は瀬戸内寂聴(じゃくちょう))さんの「諧調は偽りなり」から引いたものです。


 比叡山の宿坊に蟄居(ちっきょ)していた辻潤(つじじゅん)さんのところに下界より手紙が届きます。愛しさゆえに教職まで振り捨てて一緒になり、子供まで生した伊藤野枝(いとうのえ)さんが大杉栄(おおすぎさかえ)さんのもとへと去り、深く傷ついていた辻さんだったのです。平静さと活力を取り戻すためには情報を遮断して翻訳にでもいそしんだ方が良いと考え、親友の武林無想庵(たけばやしむそうあん)さんを頼って緊急避難していたのだけど、自分を捨てたおんなと奪った男の近況を知らせる善意の手紙が追いかけてくる。開封して一瞥した辻さんのこころは瞬時に波立ちじっとしておれなくなって、少し離れて住まう親友を足早に訪ねたところです。


 大正時代の突出した思想家大杉栄さんはただ漫然と机上に思索を積み重ねるのでなく、自ら実践する道を模索しました。そのひとつが“フリーラブ”であり、改革と呼ぶよりは“実験”みたいな空気が漂って感じられるのだけど、その後しばらくして訪れた騒動が世に有名な“日蔭の茶屋”事件です。奔放な性格や直線的な物言いをする伊藤野枝さんに惹かれて関係を持った大杉さんを、経済的にも精神的にもずっと支えていた神近市子(かみちかいちこ)さんがいよいよ見過ごせなくなって、懐中に忍ばせていた短刀で刺して深手を負わせ逃走した事件でしたが、それを報じる新聞記事の切り抜きが手紙に挟まっていたのでした。


 おどけた風情で出現した“土びん味噌汁”は、蒼ざめ息を乱してやって来た男の硬く尖ったものをうまくかわし、またたく間に緊張をゆるりと解く役割を果たしています。情念とは遠く隔たった場処に住まっていることを認識させ、昂揚や興奮を沈静させていく。そんな味噌汁の特性をうまく捉えて、実に効果的に使われています。親友がお茶をすすりながら執筆に励んでいたらどうだったか、味噌汁でなく手酌で酒をあおっていたらどうだったか。違った風景や展開になっていたのじゃなかろうか。


 この「諧調は偽りなり」には、もうひとつ味噌汁へ言及した箇所が見止められます。上に引いたものと合わせ読めば、いかに作者の瀬戸内さんの内部で“味噌汁”を別格視しているかが分かります。それは単に瀬戸内さん個人の妄念ではなくって、僕たち日本人の誰でもが抱え込む巨大な、そして、延々と続いていく夢なんだと思いますね。

 
 宮嶋が山を降りる前、宿院で無想庵と三人、夜を徹して飲んだ

ことがあった。何のために生きるのかと、酔った頭で論じあって

いた。(中略) いつのまにか、愛だの、女だのという話に移っている。

辻も尺八を吹くのをやめて話に加わった。

「何だかだといったところで、心から愛し合う女がいないのは不幸

だ。それを酒でごまかし、更には金で買える女を抱いてごまかす。

ごまかしばかりの生活は絶望的になるのが当然だ」

「全くそうだ」

と辻が口をはさんだ。

「欲しいものは、全身全霊で愛してくれる女の愛だ。全部でなきゃ

意味がない」

「愕いたなあ」

 酔っ払った宮嶋が大声でいう。

「無想庵や辻潤がそんな甘いことを考えているとは、この叡山で

それを聞くとは……何がスチルネルだ、何が摩訶止観か、聞いて

あきれらあ」

「手めえなんか、相思相愛の麗子がいるからそんなでかい面を

しているんだよ」

「可愛い女房がいて、子煩悩で、どんなに外ではめを外して遊蕩

したところで、帰ればあたたかい味噌汁と女房のいる寝床の待っ

ている暮らしの中で、小説を書こうなんていう料簡が、そもそも

不埒(ふらち)なのだ」(*2)


 なんか変な論法ですねえ。捨てられたり、壊したりで面目を失った男ふたりが家庭を維持し続ける宮島資夫(みやじますけお)さんをやっかんで吠えている。酔った男の会話なんて所詮こんなものですが、愛するおんなと味噌汁が“あたたかい”という形容でしっとり粘着して一体となり、男においでおいでと手招きしているのが見えてしまう。なんとも言えぬ気分です。どう抗っても無駄な話と分かってもいる、僕たち男には所詮負け戦ですからね。そして男たちと対峙するおんなの皆さんも含めて、誰もが味噌汁の重力圏内で遊泳するしかないのでしょう。


 無理は禁物、どうぞ、ゆったりとこころ弾む遊泳を。浮き輪を持ったり、共に泳ぐ相手を励みとして長距離遊泳を続けていきましょう。今年も折り返し地点を過ぎましたね。後半戦を頑張りましょう。


(*1):「諧調は偽りなり」 瀬戸内寂聴 初出「文藝春秋」1981年1月号~1983年8月号 手元にあるのは「瀬戸内寂聴全集 第12巻」新潮社 2002 引用箇所はその514-516頁。
(*2): 同535-526頁 ちなみに辻潤さんの“辻”だけど、正しくは「辶」(しんにょう)の点が二つです。最上段の写真は前回でも紹介した映画「エロス+虐殺」の一場面。

大塚英志「三ツ目の夢二」(2008)~味気ねぇなぁ…~



  人の手に掴まれ宙に浮いた陶製の醤油差し

  ドボ ドボ ドボ…と黒い液体が注ぎ口から流れ出る

  朝日が射し込むリビングルーム。テーブルを囲む家族

  醤油を注ぐ男(大杉)は傍らの新聞を読むのに忙しい

野枝「あなた かけ過ぎですよ」

大杉「ああ スマン スマン」

野枝「最近 なんでも濃い味にしてしまって…

   お体にさわりますよ…」

  大杉、意に介さずに醤油でべっとりとなった料理、肉か

  刺身か分からぬものを箸でひと切れつまみすると、パク…

  と口に放り込む

大杉「味気ねぇなぁ…」

  パリーンという皿の割れる音!(中略)

  向かい側に座った野枝が投げた皿が大杉の額を直撃

野枝「せっかく作ったお食事を 味気ないなどと!!」(*1)


 いまから90年ほど前、1923年9月に首都圏を襲い、死者、不明者10万人以上を出した“関東大震災”。その惨状をつぶさにスケッチした絵の展示会が、今月末より墨田区横網町公園にある復興記念館で催されます。描き手は抒情作家としてつとに知られた竹下夢二(たけしたゆめじ)さんです。(*2)


 女性の繊細さ、快活さを表現して絶大な人気を得た夢二さんでしたが、震災時には混沌とした街なかに飛び出して現実を活写していたのですね。お近くのひとはどうぞ足をお運びください。僕はなかなか都合が付かずにいますが、ゆったりとそんな夢二さんの絵と向き合えたなら、きっと意味深く濃厚な時間になるでしょう。


 上に引いたのはちょうどその頃、つまり震災前後の夢二さんと彼の周辺を題材に選んだ漫画(*1)の一部です。亡き恋人への想い断ちがたい夢二さんは、ずるずると煩悶を重ねたあげくにおんなの面影を追って黄泉の国まで降り下ってしまいます。紆余曲折を経てなんとか生還するのだけど、以来、おぞましい霊能力をそなえてしまうのです。あまりにも荒唐無稽な幕開けです。


 死んだはずの夢二さんが舞い戻ったため現世は時間の歩みを止めてしまい、やがて暮らしの諸相はあるべき歴史からふわふわと乖離を始めるのでした。僕たちの見知った記憶や知識と微妙に顔付きを異にしていき、大震災の発生がどんどん“先送り”ともなって、大正はそのまま文化の爛熟を極めていく。


 第三の恋人お葉さんや、彼女の胸に抱かれて共に絵のモデルを務めた黒猫といったものにとどまらず、川端康成さんや田川水泡さんといった実在の人物が入れ替わり立ち代りしながら顔を覗かせ、夢うつつの出来事がつづられていく、という、まあ、かなり無茶苦茶なお話なのです。普通なら綺麗さっぱり忘れてしまう類いの絵空事なのですが、最終話に“醤油”を描いた箇所があったものだから急に磁力を増して来ました。


 家族の団欒が描かれていますね。屈強そうな男が朝食の席で醤油を大量に使い、妻らしきおんなに叱責されている。読んでいるのはどうやら英字新聞(いや、巴里から持ち帰った仏字新聞かもしれません)で、手元には味噌汁椀も置かれています。これは大杉栄(おおすぎさかえ)さん、なんですね。


 僕が抱える大杉さんのイメージはもっと線が細くて、叩(はた)かれて舞うおしろいにぼんやり包まれるような、それとも艶めかしい芳香が首筋あたりにゆらめく風であり、かつて映画(*3)の中で細川俊之(ほそかわとしゆき)さんが演じてみせた際の印象が絶対的に強いのだけど、こっちの腕は馬鹿みたいに太いし、胸板も無駄に厚そうで、なんかチャールズ・ブロンソンかミッキー・ロークを彷彿させます。盛り上がった額、張ったアゴ、険しい目つき。攻撃的な男の体臭がぷんぷんして来ます。


 叱られているのが大杉さんなら、テーブルの反対がわで声を張り上げているのは伊藤野枝(いとうのえ)さんとなり、ぐるり囲んでいるのは彼らの子供たちになります。“無政府主義”を唱えて時の権力に監視され続け、大震災のどさくさに紛れて偶然連れ立って歩いていた幼い甥っ子ともども拘禁され、肋骨を何箇所も折る容赦ない拷問に遭い、その果てに絞殺されてしまう大杉さんと伊藤野枝さんなのですが、時空が歪んだしまったこの漫画世界では地震がいつまで経っても起きません。きっかけを失って、彼らはおかしな具合に“生き永らえてしまっている”のです。


 崩壊を免れた浅草十二階が夜空にそびえ、満艦飾に彩られた街路に嬌声が飛び交う。“有り得ない繁栄”は大杉さんたちの生活も底上げしているのであって、実際はこんな風ではなかった。あの有名な日蔭の茶屋(ひかげのちゃや)事件以降、評伝を読む限りにおいては彼らの生活の実態は相当にきびしかった。言論を封じられて元々収入が不安定だったのだけど、事件以来愛想を尽かして仲間が次々と離れていったのが何と言っても響いた。


 瀬戸内晴美(せとうちはるみ)さんは著書のなかで、当時の彼らの日々を丹念につなぎ直して僕たちに提示しています。史実にのっとり整理された資料的価値の高い労作なのだけど、大杉さんたちを襲った窮乏ぶりがどれほどであったかを次のような逸話でもって簡潔に説いている。


 赤ん坊の生れた直後、有楽町の服部浜次の娘の清子が母親に

いいつけられて手伝いに来たことがあった。若いぴちぴちした

娘は、二日もいると、黙って逃げ帰ってしまった。

「まあお清、どうして帰ったの」

「だっておっかさん、あの家ったら、なあんにもないんだもの」

「なあんにもって何が」

「お台所のものよ、お米でしょ、お醤油でしょ、お砂糖でしょ、

なあんにもないの」

 清子は訴えながら笑い出してしまった。

「お米がありませんよ、買って下さいっていっても、だあれもおあしを

くれないんだもの、どうやって料理するのよ、あたし困るわ」

 母親もそこまで徹底した貧乏だったのかと呆れてしまった。(*4)


 ドボ ドボ ドボ…と料理にかける醤油など、どこにも無かったのです。白いテーブルに可愛らしいお揃いの洋服、食べ切れない程の食事、それはすべて夢以外の何ものでもなく、狂って停滞する時間のなかで大杉さん、野枝さんがどれだけリアルな地平から逸脱してしまったかが読者に分かるよう、あえて滑稽と思えるほどの誇張が施されていたのです。何気ない光景で読み流してしまいそうですが、案外に意味深な描写になっている。


 この事、つまり“有り得ない繁栄”にどうやら勘付いてしまった大杉さんは、本来の時間へ飛び去る決意を密かに固めるのでした。命運を共にした野枝さんと甥子さんを虚構の世界に残し(そのまま彼らは生き永らえさせて)、ひとりきりで震災のあった時空、すなわち拷問され、絞殺されると決められている無慈悲で残酷な現実へと旅立っていくのです。


 苦境を回避させ、絶望を緩和し、奇蹟を連続させる。創作とはまるで魔術です。誰もがそれを望むし、僕だって空想にしばしば耽溺します。この漫画は大杉栄という稀代の思想家が透徹した目線でそんな魔術(“夢”)を打ち砕き、創作による救済を踏みにじり、現実世界に堂々と殉じていく、つまり天命に身を投じていくという点で徹底しており、どこまでもある意味醒めている。醒めていながらも生き生きと昂揚するものがあって、余韻が後を引き、やんわりと鼓舞されるところがあるのです。


 フィクションに逃げ込んでいながら、そのフィクションを登場人物が拒絶していく、そんな姿に考えさせれ、勇気付けられもします。切れ味抜群という訳ではないけれど、なかなか考えさせる構造になっておりました。



 一瞬顔を覗かせた醤油は典型的なイメージの分担“男らしさ、父性”とここでは結びついており、そこから内奥にそっと息づく家族への深慮を下支えすると共に、ここでは夢からの「覚醒」のきっかけとなって起動している。作者の大塚英志(おおつかえいじ)さんと作画担当のひらりんさんがどこまで意識して“醤油”を登用したのかは分からないけれど、醤油が醤油らしく存在を主張して、物語を補強する柱のひとつになっていたように僕には思えます。ごちそうさまでした。


 細川さんの演じた大杉さんも最後に貼っておきましょう。う~ん、やっぱりこっちの方が艶があって、僕は惹かれちゃいますねえ。



(*1):「三ツ目の夢二」 原作大塚英志 作画ひらりん 徳間書店 初出「月刊COMICリュウ」2008年10月号-2010年11月号 引用は単行本2巻最終話「第伍絵 パノラマ」175頁及び185頁 紹介した醤油の描写はしたがって厳密には2010年のようですが、連載物の慣例にしたがい表題には2008年をここでは掲げてあります
(*2): http://www.tokyoireikyoukai.or.jp/event/
(*3):「エロス+虐殺」 監督吉田喜重 1970
(*4):「諧調は偽りなり」 瀬戸内晴美 初出「文藝春秋」1981年1月号~1983年8月号 手元にあるのは「瀬戸内寂聴全集 第12巻」新潮社 2002 引用箇所はその359頁。ちなみに「諧調は偽りなり」の前段にあたる「美は乱調にあり」(1965)では伊藤野枝さんが大杉さんと出会う前の様子がやはりつぶさに書かれていますが、そこでは前夫の辻潤(つじじゅん)さんとの生活を支えるため、野枝さんが隣家から味噌や醤油を借りている様子が挿入されています。「この提案にはらいてうも有難がり、早速、野枝の近所の上駒込の妙義神社の近くへ引越してきた。この頃の辻家の裏隣には垣根ひとつへだてて野上彌生子と豊一郎の家もあり、野枝はへかけこんで野上彌生子の家へかけこんで、醤油をかりたり、味噌をかりたりしながら、休速に親しくなっていた。」(同全集12巻193頁)

2011年8月6日土曜日

式貴士「カンタン刑」(1975)~ゴクリと飲み下した~



「のども涸(かわ)いたな……」

 その声を待っていたかのように、床の壁の一隅が四角く切り抜い

たように動き、独房の中に箱型の形になってせり出してきた。 

蓋(ふた)を開くと、中に五目飯と湯気の立った味噌汁が入っている。

(中略)

 味噌汁をゴクリと飲み下した八朗は、再び、

「ゲエーッ!」

 と吐瀉(としゃ)した。これまたゴキブリ汁だった。味噌と一緒に

ゴキブリを摩り潰したものを湯にとかし、同じく摩り潰したゴキブリを

ウドン粉で固めてスイトン状にして、味噌汁に浮かしたものであった。

 ゲエゲエ吐き出し、汚物を手の甲で拭いつつ、おっかなびっくりふり

向くと、もう丼の上にはゴキブリが小さな蟻塚(ありづか)のように群が

り、床にぶちまけられた味噌汁にもゴキブリたちがひしめいていた。(*1)



 この春、法務省より出された公告のなかに興味深いものが見つかりました。抜き書きするとこんな感じです。

法務省入札公告 次のとおり一般競争入札に付します。 平成23年5月10日 支出負担行為担当官  法務省大臣官房会計課長  
  
1 調達内容 
(1)品目分類番号 1 
(2)購入等件名及び数量 米味噌460,558kg(単価契約) 
(3)調達案件の仕様等 入札説明書及び仕様書による。 
(4)契約期間 契約締結の日から平成24年3月31日まで     
(5)納入場所 法務省大臣官房会計課長が指定する場所       
 

 受刑者の食膳用でしょうが、もの凄い量です。ダンプカーで40台以上もの味噌を求められて、はい了解、わかりましたと即納可能な蔵元は限られるでしょうね。


 平成22年の犯罪白書(*2)を読むと、「刑事施設の年末収容人員は,(中略)21年末現在は,7万5,250人(労役場留置者1,132人を含む)」とあります。それだけの人間が仮に一日2杯の味噌汁を飲み、その1杯あたり14g程度の味噌を用いると推定するならば、毎日消費されるのはざっと計算して2トン量です。飽きの来ない献立が工夫されて年間200日程度に限って出されるとしても、のど奥に消える生味噌の総量は400トンに膨れ上がる。刑務官や事務職の人へ振舞われる分も合わせれば、460トン量の調達目標はいささかも不自然ではないのです。


 もちろん多種多彩な食べ物が同様の流れで集められ、丹念に調理をほどこされてから振舞われる訳だから、味噌汁だけに特別な光が注がれているのではない。僕の偏った目線がちょっとだけ輪郭を浮き出させているにすぎない。


 それにしても、こうやって“味噌求む、全部で460トン”とやられると唸らざるを得ない。家庭や職場の枠を軽々と越え、高い塀をもあっさりと味噌が飛び越えていくようです。460トンもの茶色いかたまりが宇宙から来たアメーバ怪獣みたいにもぞもぞコンクリート塀に押し寄せ、がばりと鎌首をもたげて塀の向うにどろどろと侵入する、そんな様子を僕は想い描いて息を呑んでしまいます。


 “刑務所”と味噌汁をきゅっと繋げた文章がそういえばありましたね。そうそう、関川夏央(せきかわなつお)さんでした。(*3)日本に居住して間もない外国の兵士がおのれの行動をよく自制し、借りてきた猫みたいに大人しくしている。その理由は「日本の刑務所を、とりわけ刑務所の食事を、さらにとりわけミソ汁を恐怖しているから」という実に嘘っぽい冗談まじりの記述だったけれど、僕たちの意識の中にはどうも刑務所の光景と味噌汁椀がきっちり二重写しになってるところがある。それは間違いないところです。


 大正時代の活動家、大杉栄(おおすぎさかえ)さんもその著述(*4)の中で、かつて収監された千葉の刑務所(当時は監獄)に触れ、次のような一文を残しています。


第一に期待していた例の鰯が、夕飯には菜っ葉の味噌汁、

翌日の朝飯が同じく菜っ葉の味噌汁、昼飯が沢庵二た切と

胡麻塩、と来たのだからますます堪(たま)らない。(*4)


 海の近くと聞いていたから食事はきっと鰯(いわし)尽くしに違いないと想像していたのに、イワシのイの字もない粗末な献立にひどく落胆したことを懐旧しています。勝手に期待した方が悪いのですが、ここで味噌汁は二度続けて引き合いに出されて完全に仇役に回っています。こん畜生!味噌汁め、菜っ葉の味噌汁め、もううんざりだ味噌汁、って感じですね。


 怨みがわしいったらありませんが、そのとき僕たちの目に浮かんでくる光景、つまり鉄格子のはまった窓や何もない部屋、粗末な着物、腹に響く号令といったものに味噌汁がまったくもってお似合いだから困っちゃう。あるか無しかの野菜の切れ端を漂わせ、ことさら椀の中で薄くたなびく味噌汁が受刑者の暗い面差しを見上げている様子がありありと浮かんで来ます。


 最上段に引いたのは式貴士(しきたかし)さんの短編の冒頭に近い部分で、これも刑務所が舞台です。架空の刑罰“カンタン刑”の初端を描いた場面で、連続殺人を犯した男に死刑より重い、けれど実に“簡単”にして効果絶大な“ゴキブリ責め”が淡々と為されていくのでした。思わず顔をしかめてしまう壮絶な場面なのですが、描写はこれに止まる事なくどこまでもその後エスカレートしていくのでした。


 (特別仕立ての)寿司や団子、シチュー、ケーキといったものがひっきりなしに供せられます。だから、それら豊富な料理の中の一品に過ぎない訳なのだけど、独房に放り込まれた男が最初に目にし口にしたものとして他とは違う、なにか強烈な光彩に味噌汁が染まっているのは明らかです。


 よく言われる“臭い飯”とは旨味や粘りの少ない安価な“米飯”を差すのでしょうけれど、これとしっかりと寄り添うかたちで“味噌汁”がセットになって控えている。家庭の味、母親の味、惚れたおんなの味として僕たちの魂に君臨する一方で、寒々とした作用を受刑者のこころに及ぼし、異なる酷薄な印象を刻んでいる。


 様々な理由から重たい門を叩いてしまい、社会から弧絶した塀の奥へと身を投じていく者に対して、味噌汁は妙に淋しい、どうにもやるせない顔つきを作って出迎えて、上目遣いで見つめ返してくる。豊かさと団欒、これに背反する貧しさと孤立。不思議ですね、これほど両極端な象徴を担った食べ物は、世の中にそうそう無いのではなかろうか。




 さて、話かわって、収穫をにらんで稲の放射能測定が始まりましたね。一体全体この先どうなるのか、戦々恐々して結果を待つひとが僕の周りにはとても多いです。どう転んでも計測値を巡って意見や憶測が飛び交い、不安に駆られた僕たちは食べ物の取捨選択をぐんぐん加速させることになるでしょう。


 思えばこの時期、塀の内側で暮らさねばならない七万からなる人たちにとっては、“食べ物の取捨選択”は夢のまた夢であり、十中八九は適えられない“ささやかにして遥か遠くにある自由”です。与えられたものを与えられるまま文句を言わずに口にせねばならない。かくも環境破壊が拡がり、食べ物、飲み物への信頼が根こそぎ損なわれていく事態は誰も想像し得なかったわけだけど、こうなってみると服役、拘留といった“食べ物、飲み物の取捨選択を禁ずる刑罰”は怖さをずんずん増してきますね。


 愛憎や色欲、物欲に虚栄といったものは生きて暮らす人間にはかならず付いてまわる自然な感情であり、その振幅が歓喜の瞬間に連なり、また、犯罪にも直結します。根っこは一緒で、勢いが過ぎれば誰でも、それこそ明日にでも罪人となり罰せられもする。


 このたびの入札に参加し食品を納めるひとには、しっかりした安全なものを選んでもらいたい。ありがとよ味噌汁、菜っ葉の味噌汁、頼むぜ、俺の身体を守ってくれよ味噌汁、そう言わせるような460トンをどうか納めてもらいたい。そんなことを本気で思っているところです。


 とうとう八月。暑さもきびしさを増しています。どうか健康に留意して、元気に爽やかにお過ごしください。むせるような熱気に思考を惑わせ、差配を誤り、つまらぬ勾留などされませんよう。団扇あおいで冷気を送り、ゆめゆめ油断することなくお暮らしください。



(*1): 「カンタン刑」 式貴士 1975 初出は「奇想天外」同年9月号 手元にあるのは2008年の光文社文庫「式貴士 怪奇コレクション カンタン刑」で、冒頭に所収されている。ちなみにカンタン刑の“カンタン”とは中国の故事“邯鄲(かんたん)の夢”“邯鄲の枕”から来ています。
(*2): http://www.moj.go.jp/content/000057052.pdf 
(*3):「ゲート前の外人バーで」 関川夏央 1988
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/07/1988.html
(*4): 「獄中記」 大杉栄 1919 「青空文庫」に収まっています。衒いのない、噛み砕いた表現で読みやすい。百年近く前の文章とは到底思えません。http://www.aozora.gr.jp/cards/000169/files/2583_20614.html