2011年8月6日土曜日

式貴士「カンタン刑」(1975)~ゴクリと飲み下した~



「のども涸(かわ)いたな……」

 その声を待っていたかのように、床の壁の一隅が四角く切り抜い

たように動き、独房の中に箱型の形になってせり出してきた。 

蓋(ふた)を開くと、中に五目飯と湯気の立った味噌汁が入っている。

(中略)

 味噌汁をゴクリと飲み下した八朗は、再び、

「ゲエーッ!」

 と吐瀉(としゃ)した。これまたゴキブリ汁だった。味噌と一緒に

ゴキブリを摩り潰したものを湯にとかし、同じく摩り潰したゴキブリを

ウドン粉で固めてスイトン状にして、味噌汁に浮かしたものであった。

 ゲエゲエ吐き出し、汚物を手の甲で拭いつつ、おっかなびっくりふり

向くと、もう丼の上にはゴキブリが小さな蟻塚(ありづか)のように群が

り、床にぶちまけられた味噌汁にもゴキブリたちがひしめいていた。(*1)



 この春、法務省より出された公告のなかに興味深いものが見つかりました。抜き書きするとこんな感じです。

法務省入札公告 次のとおり一般競争入札に付します。 平成23年5月10日 支出負担行為担当官  法務省大臣官房会計課長  
  
1 調達内容 
(1)品目分類番号 1 
(2)購入等件名及び数量 米味噌460,558kg(単価契約) 
(3)調達案件の仕様等 入札説明書及び仕様書による。 
(4)契約期間 契約締結の日から平成24年3月31日まで     
(5)納入場所 法務省大臣官房会計課長が指定する場所       
 

 受刑者の食膳用でしょうが、もの凄い量です。ダンプカーで40台以上もの味噌を求められて、はい了解、わかりましたと即納可能な蔵元は限られるでしょうね。


 平成22年の犯罪白書(*2)を読むと、「刑事施設の年末収容人員は,(中略)21年末現在は,7万5,250人(労役場留置者1,132人を含む)」とあります。それだけの人間が仮に一日2杯の味噌汁を飲み、その1杯あたり14g程度の味噌を用いると推定するならば、毎日消費されるのはざっと計算して2トン量です。飽きの来ない献立が工夫されて年間200日程度に限って出されるとしても、のど奥に消える生味噌の総量は400トンに膨れ上がる。刑務官や事務職の人へ振舞われる分も合わせれば、460トン量の調達目標はいささかも不自然ではないのです。


 もちろん多種多彩な食べ物が同様の流れで集められ、丹念に調理をほどこされてから振舞われる訳だから、味噌汁だけに特別な光が注がれているのではない。僕の偏った目線がちょっとだけ輪郭を浮き出させているにすぎない。


 それにしても、こうやって“味噌求む、全部で460トン”とやられると唸らざるを得ない。家庭や職場の枠を軽々と越え、高い塀をもあっさりと味噌が飛び越えていくようです。460トンもの茶色いかたまりが宇宙から来たアメーバ怪獣みたいにもぞもぞコンクリート塀に押し寄せ、がばりと鎌首をもたげて塀の向うにどろどろと侵入する、そんな様子を僕は想い描いて息を呑んでしまいます。


 “刑務所”と味噌汁をきゅっと繋げた文章がそういえばありましたね。そうそう、関川夏央(せきかわなつお)さんでした。(*3)日本に居住して間もない外国の兵士がおのれの行動をよく自制し、借りてきた猫みたいに大人しくしている。その理由は「日本の刑務所を、とりわけ刑務所の食事を、さらにとりわけミソ汁を恐怖しているから」という実に嘘っぽい冗談まじりの記述だったけれど、僕たちの意識の中にはどうも刑務所の光景と味噌汁椀がきっちり二重写しになってるところがある。それは間違いないところです。


 大正時代の活動家、大杉栄(おおすぎさかえ)さんもその著述(*4)の中で、かつて収監された千葉の刑務所(当時は監獄)に触れ、次のような一文を残しています。


第一に期待していた例の鰯が、夕飯には菜っ葉の味噌汁、

翌日の朝飯が同じく菜っ葉の味噌汁、昼飯が沢庵二た切と

胡麻塩、と来たのだからますます堪(たま)らない。(*4)


 海の近くと聞いていたから食事はきっと鰯(いわし)尽くしに違いないと想像していたのに、イワシのイの字もない粗末な献立にひどく落胆したことを懐旧しています。勝手に期待した方が悪いのですが、ここで味噌汁は二度続けて引き合いに出されて完全に仇役に回っています。こん畜生!味噌汁め、菜っ葉の味噌汁め、もううんざりだ味噌汁、って感じですね。


 怨みがわしいったらありませんが、そのとき僕たちの目に浮かんでくる光景、つまり鉄格子のはまった窓や何もない部屋、粗末な着物、腹に響く号令といったものに味噌汁がまったくもってお似合いだから困っちゃう。あるか無しかの野菜の切れ端を漂わせ、ことさら椀の中で薄くたなびく味噌汁が受刑者の暗い面差しを見上げている様子がありありと浮かんで来ます。


 最上段に引いたのは式貴士(しきたかし)さんの短編の冒頭に近い部分で、これも刑務所が舞台です。架空の刑罰“カンタン刑”の初端を描いた場面で、連続殺人を犯した男に死刑より重い、けれど実に“簡単”にして効果絶大な“ゴキブリ責め”が淡々と為されていくのでした。思わず顔をしかめてしまう壮絶な場面なのですが、描写はこれに止まる事なくどこまでもその後エスカレートしていくのでした。


 (特別仕立ての)寿司や団子、シチュー、ケーキといったものがひっきりなしに供せられます。だから、それら豊富な料理の中の一品に過ぎない訳なのだけど、独房に放り込まれた男が最初に目にし口にしたものとして他とは違う、なにか強烈な光彩に味噌汁が染まっているのは明らかです。


 よく言われる“臭い飯”とは旨味や粘りの少ない安価な“米飯”を差すのでしょうけれど、これとしっかりと寄り添うかたちで“味噌汁”がセットになって控えている。家庭の味、母親の味、惚れたおんなの味として僕たちの魂に君臨する一方で、寒々とした作用を受刑者のこころに及ぼし、異なる酷薄な印象を刻んでいる。


 様々な理由から重たい門を叩いてしまい、社会から弧絶した塀の奥へと身を投じていく者に対して、味噌汁は妙に淋しい、どうにもやるせない顔つきを作って出迎えて、上目遣いで見つめ返してくる。豊かさと団欒、これに背反する貧しさと孤立。不思議ですね、これほど両極端な象徴を担った食べ物は、世の中にそうそう無いのではなかろうか。




 さて、話かわって、収穫をにらんで稲の放射能測定が始まりましたね。一体全体この先どうなるのか、戦々恐々して結果を待つひとが僕の周りにはとても多いです。どう転んでも計測値を巡って意見や憶測が飛び交い、不安に駆られた僕たちは食べ物の取捨選択をぐんぐん加速させることになるでしょう。


 思えばこの時期、塀の内側で暮らさねばならない七万からなる人たちにとっては、“食べ物の取捨選択”は夢のまた夢であり、十中八九は適えられない“ささやかにして遥か遠くにある自由”です。与えられたものを与えられるまま文句を言わずに口にせねばならない。かくも環境破壊が拡がり、食べ物、飲み物への信頼が根こそぎ損なわれていく事態は誰も想像し得なかったわけだけど、こうなってみると服役、拘留といった“食べ物、飲み物の取捨選択を禁ずる刑罰”は怖さをずんずん増してきますね。


 愛憎や色欲、物欲に虚栄といったものは生きて暮らす人間にはかならず付いてまわる自然な感情であり、その振幅が歓喜の瞬間に連なり、また、犯罪にも直結します。根っこは一緒で、勢いが過ぎれば誰でも、それこそ明日にでも罪人となり罰せられもする。


 このたびの入札に参加し食品を納めるひとには、しっかりした安全なものを選んでもらいたい。ありがとよ味噌汁、菜っ葉の味噌汁、頼むぜ、俺の身体を守ってくれよ味噌汁、そう言わせるような460トンをどうか納めてもらいたい。そんなことを本気で思っているところです。


 とうとう八月。暑さもきびしさを増しています。どうか健康に留意して、元気に爽やかにお過ごしください。むせるような熱気に思考を惑わせ、差配を誤り、つまらぬ勾留などされませんよう。団扇あおいで冷気を送り、ゆめゆめ油断することなくお暮らしください。



(*1): 「カンタン刑」 式貴士 1975 初出は「奇想天外」同年9月号 手元にあるのは2008年の光文社文庫「式貴士 怪奇コレクション カンタン刑」で、冒頭に所収されている。ちなみにカンタン刑の“カンタン”とは中国の故事“邯鄲(かんたん)の夢”“邯鄲の枕”から来ています。
(*2): http://www.moj.go.jp/content/000057052.pdf 
(*3):「ゲート前の外人バーで」 関川夏央 1988
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/07/1988.html
(*4): 「獄中記」 大杉栄 1919 「青空文庫」に収まっています。衒いのない、噛み砕いた表現で読みやすい。百年近く前の文章とは到底思えません。http://www.aozora.gr.jp/cards/000169/files/2583_20614.html

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