2009年12月31日木曜日

角田光代「夜をゆく飛行機」(2004)~とめどなく~



倒れた醤油瓶から液がとめどなく漏れるように、父はしゃべった。

ミハルちゃんが大学にいきたかったことも結婚したい人がいたこ

とも私は知らなかった。知りたくなかった。父はずるい、と思った。

ここにひとりでくる勇気がなくて、私を連れてきて、思い出話を

勝手に私に聞かせて、それで自分は少し気分が楽になるかもしれない。

けれど私はどうしたらいいのだ。(*1)


  喪われゆく光景への哀惜が味噌、または味噌汁をともなって描かれていく。角田光代(かくたみつよ)さんの「夜をゆく飛行機」のそれぞれの味噌描写を書きとめた次第でしたが、実はより興味を惹かれたのは醤油の登用の仕方でした。味噌汁同様、のどかな郷愁を担って描かれている醤油なのですが、そこには明らかな段差が認められるのです。


  ひとりの作家によって味噌と醤油が並べ描かれることは、有りそうでいて実はなかなか見当たりません。どちらかに固執するのが普通です。以前このブログで取り上げた中で、両刀遣いに数えられるひとは唯一向田邦子(むこうだくにこ)さんだけです。(*2)


  向田さんのエッセイと角田さんのこの小説の共通点は何か、焦点を絞って眺めると面白いものが見えてきます。母親、祖母、姉妹といった“女性の記憶”と味噌汁は連結し、“父親の記憶”とは醤油が連結して見えます。組み合わせがあるのです。 台所で立ち働く女性、卓袱台でふんぞり返っている男性というテリトリーは確かに影響するでしょうけれど、もっと根深く繊細なものが仮託されて見えます。


  例えば上に掲げた角田さんの引用は実に見事で、僕たち読み手の気持ちに波紋を起こしますね。醤油から与えられる様々な心象が重層的に次々連結していきます。覚醒(興ざめ)、汚れ、破壊的、染み、トラウマ。それに父親、男性といったものが直結していき、末っ娘の蒼白いこころ模様を瞬時に伝達することに成功しています。


  こんな記述も劇中に見つかります。


「ほらほらモトちゃん、ブラウスの裾にお醤油がつくわよ、
あーあーおとうさん、グラスを倒さないで」「リリちゃん、
カンパチ好きでしょ、これひとつあげるわよ」「ちょっと
お醤油、お醤油とってったら」「あーもうコトちゃんうるさい、
ガリでも食ってな」「モトちゃん、女の子が食ってなはない
でしょう、食ってなは」「りー坊はいくつになったんだ、
おまえいくつになったら酒飲めるんだ」「もうおとうさん、
高校生にお酒つぐのやめて」(*1)


  醤油が衣服に接触しそうになる危機的なイメージの立ち上げ以降、喧騒はエスカレートして男言葉が飛び交い、女性らしいしなやかさが瓦解していきます。おんなと味噌、男と醤油というイメージの固着がやはり読み取れるのです。


  青息吐息でいる町の酒店の側に巨大なショッピングセンターが遂に開店し、酒店の母親と娘が偵察にいく場面があるのですが、そこでは三千円という法外な値段の醤油とそれに対して嘲弄する会話が取り込まれてもいます。「お尻がむずっとする」と笑うおんなたちは明らかに醤油という存在を軽んじています。(三千円の味噌だったらどうでしょう。案外よくよく手に取り吟味したのじゃないかしら)


  ここで向田さんに続き、山本文緒さんを思い出してもいいですね。衣服に醤油の染みを鏡で見止めた瞬間にパニックに陥った、情事の後の若い女性を描いた「恋愛中毒」。あの情景の深いところにも醤油=男性という連鎖が潜んでいたのかもしれません。(*3)


  “母親”の味という永遠の夢を味噌汁に思い描く男たちと、その反対に汚すもの、単純なもの、破壊者、左程の価値を認め得ないものとして“男たち同様に”醤油を見下すおんなの視線が僕たちの日常ではそれとなく交錯しているということでしょうか。


  夫婦なり同棲中の男女なりが暮らし始める家屋において、醤油と味噌がやがて買い揃えられて調理の根幹におかれ、混然一体となって使われていくわけですが、各々に託された別々な密やかな眼差しを想うと慄然とするものがあり、また、笑ってしまうものがあります。なるほどよく出来ている、そうも思えます。


 僕たちの胸の奥の洞窟は深く、広く、時に真空になり、時に身を切るような風が吹き荒れますよね。持て余すことも間々ありますが、けれど素敵で素晴らしいものだと信じます。すれ違い、反撥、衝突も日常の調味料、匙加減ほどに軽く受け止め、醤油のように舐め干し、味噌のようにしゃかしゃかと“こころの鍋”に溶かしながら暮らしていかないといけませんね。


 さてさて、いよいよ重い雪が降り始めました。庭木にもたちまち白いベールがかかって、重そうな、けれどその重さがちょっと嬉しそうな、そんな顔をして見えます。


 今年はほんとうにありがとう。
 たくさんたくさん助けられた気がしています。


 どうかよい年をお迎えください。

(*1):「夜をゆく飛行機」 角田光代 初出は「婦人公論」2004年8月より連載、翌年2005年11月まで。 現在、中公文庫で入手可。
(*2): http://miso-mythology.blogspot.com/2009/06/1981.html
(*3): http://miso-mythology.blogspot.com/2009/11/1998.html

角田光代「夜をゆく飛行機」(2004)~廊下に漂っていた~



お店から戻ってきた母は切れ目なくしゃべりながら食堂を横切り、

台所にいく。素子(もとこ)が人数分の味噌汁を運び、大皿に

のった海草サラダを運んでくる。

「おとうさん今日会合でしょ?あんまり飲まないほうがいいよ、

どうせあっちでもお酒出るんだから」(*1)


 夜空に月を見上げるのが柄にもなく好きです。見詰めながらあれこれ想いを巡らす、小さな隙間の時間をとても大事にして暮らしています。三々五々同僚が帰ってしまい、独り残された仕事納めの昨日夕刻、外に出て、涼しく澄んだ空気を胸の奥まで吸ってみました。締め括りのこの一瞬に肺腑を満たした夜気はひりひりと凍みて、目尻に熱いものが湧きました。天頂近くに月は丸くあり、その形を、その白さを、その光を僕はただただ嬉しく愛しく感じました。


  月齢カレンダー(*2)によれば30日は十五夜、元日の夜が満月とのこと。新しい年が満月に照らされて始まるなんて、ちょっと素敵ですよね。これを読むすべての人にとって、暗き夜道にも月光が指し届く、そんな足元の明るい一年となりますように心から祈っています。


  月のわずか下を銀色に雲を引きずりながら、赤い灯火をにじませた米粒のような飛行機が右から左へ飛んでいくのを見送りました。そうそう、二階から屋根に突き出た物干し台から夜毎に空を眺め、飛行機を探し見つめる女の子を主人公にした小説を調度読み終えたばかりです。


  角田光代(かくたみつよ)さんのこの「夜をゆく飛行機」ほど、味噌と醤油が意識的に散りばめられた小説は無いように思われます。さりげなく随所随所に味噌と醤油を登用することで物語の湿度や香りを上手く調節していますね。僕はこれまで角田さんの作品を丹念に読み込んだことはなかったのですが、物語を理詰めで構築する人だということを窺わせる緻密なバラマキが為されていて、とても楽しく読了した次第です。


  昔ながらの商店街に創業当時からの顔付きのままで収まっていた個人経営の酒店が舞台です。両親と年頃の四姉妹が肩を寄せ合い暮らしていたのですが、近くに巨大なショッピングセンターが建設され開店間際となり、一点にわかに掻き曇り、といった感じの緊迫した大気を冒頭から孕んでいます。これを案ずる父親はもう気が気ではなくなり町内会の会合に毎夜足を運んだりするのですが、そんな事をしたってどうしようもないことは本人も家族も百も承知です。また、子供たちは各々変革の時期に差し掛かりもしていて、出たり入ったりの動きが活発になっていく。末っ子の視線を通じてひとつの家族と家屋の変貌していく様子が紹介されていきます。


  2004年から書き始められたこの小説の時空は、1999年から翌年2000年をまたぐ“近過去”に設定されています。その事からも端的に分かるように物語の肝となっているのは、遡及し得ない一度限りの浮世の苦しさです。後戻りの利かない人生の哀しさを見据えた上での、記憶の嬉しさ、温かさを静かに顕現してみせて、僕たち読者ひとりひとりにおのれの過去を“振り返らせる”ことを角田さんは目論んでおられる。


  主人公の記憶や感情に味噌や醤油がまとわり付きます。姉のひとりが泣き出した様子を見て「私はなんだか、この廊下がタイムマシンで、十五年前に戻ってしまったような気がした」のですが、その過去と現代を橋渡しする情景として味噌汁がふわりと浮上いたします。



朝の光が廊下に延び、味噌汁のにおいが廊下に漂っていた。(*1)


  と、こんな具合です。物語の最後のあたりにはこんな記述も見つかります。


谷島酒店で働く、まだおばあちゃんにはなっていない祖母が、

知っている光景みたいに思い浮かんだ。味噌の樽や駄菓子の

入ったガラスケースが並んだちいさなお店、割烹着を着た祖母、

前の道を走る古めかしい自動車と舞い上がる土埃。ちいさい

子どもだった父や祥一おじさんが、あわただしく店から飛び出し

てくる様まで、昨日見たように思い浮かんだ。(*1)



  “味噌の樽”というのはどうです、珍しいでしょう。小道具としてかなり特殊ですよね。映画「赤いハンカチ」では新しい流通システムが根こそぎ古い商業形態を駆逐し、そこに寄り添っていた人情や絆を破断させていくという時代の転換点が舞台になっていました。失われていくものを代表するイメージとして、自転車の豆腐売りと味噌汁がセットになって象徴的に取り上げられていた(*3)のでしたが、あれに似た状況設定と手法が「夜をゆく飛行機」には確かに認められます。取り返しのつかない過去に味噌汁は連結させられていくのです。


  劇中天寿を全うする祖母の存在は、懐かしくも喪われていく風景と同じ立ち位置に在るのですが、そんな老女を描く際にも角田さんはこっそり味噌を挿し入れてみせる手堅さを見せています。



「あの子は一番下な上、女の子でみそっかすだったから、

あんたたちを見ると、長女気分になれるんだろ。ねえ、

あんたたち、お願いがあんのさ」祖母は袂に手を突っ込んで、

ごそごそしている。(*1)



  “みそっかす”という耳にしなくなって久しい形容が突如ここ、2004年の作品で顔を覗かせるのは、僕には到底偶然とは思えません。


  このような味噌や醤油から記憶の共有や共感を導く手法は幼少の頃に外国暮らしをした人や海外のひとには通じない、僕たちここに産まれここに住む者の深層にのみ訴える、ある意味偏狭な日本固有の小説技巧だと思われます。海外での翻訳を見据える村上春樹さんや大江健三郎さんは避ける泥臭いやり方なのでしょうけれど、僕たちが僕たちのこころと向き合い、僕たちの社会とは何かを考えるときにはとても有効であるし、実に奥深くて面白い顕現だと思えるのです。


  失われるものと寄り添い、共に失われていく宿命を帯びた味噌汁。そんな切実なイメージを作家は投げ掛けてくるのですが、そのような食べ物は他には見当たらないように思えます。これに対して違和感なく眼差しを注ぎ続ける僕たち日本人のこころの傾き具合も、奇妙で不思議なものに思えます。永別を果てしなく意識しながら、大豆や小麦を醗酵させたスープを呑む民族、それが僕たちなんですねえ。可笑しいよねえ。


(*1):「夜をゆく飛行機」 角田光代 初出は「婦人公論」2004年8月より連載、

翌年2005年11月まで。 現在、中公文庫で入手可。
(*2): http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm
(*3): http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/1964_30.html

2009年12月26日土曜日

上村一夫「一葉裏日記 たけくらべの頃」(1984)~味噌汁が残っている~



正太「ただいま──! あ~~~腹へった。」

留吉「鍋に味噌汁が残っている。」

  (戻ってきた正太に対し、左官で父親の留吉は背を向けたままで

   茶碗酒をあおっている。正太、ひとりで黙々と食事をはじめる。)

留吉「また、一葉(いっぱ)とかいう女のところで字書きして

   きたのかい。」

正太「一葉(いっぱ)じゃなくて一葉(いちよう)だよ

   ……樋口一葉。」

留吉「どっちでもいいけど 字じゃ飯は食えないぞ。」

正太「おいら字が好きなんだ。例えば風って字を書いていると

   ほんとに吹く風を感じるんだ。」

留吉「けっ!」

正太「父ちゃん、働いとくれよ。美味(うま)いものを食べたいとは
   
   思わないけど 新しい硯(すずり)が欲しいんだ。」(*1)


 終着駅のホームに速度をぐっと落とした新幹線が滑り込みます。痛むお尻を座席からえいっ、と離して立ち上がり、ほかの客と列なしてぞろぞろ通路を進んでいくと、あちらこちらに読み終えた漫画雑誌が捨て置かれているのが目に飛び込みます。連載物ならば二十頁少しのものが多いようですが、そこに費やされた知恵と労力を想うといささか複雑な気持ちになります。けれど、出版業は買われ捨てられてこその商売ですからね、わずか数時間でざっと眺め放られてこそ役割を全うしたとも言えるわけで、ならばそんな雑誌の姿は立派な最期であるわけですね。


 短時間で捨てられるためにある漫画は、コマからコマへの軽快な跳躍こそが第一に求められているのであって、何か引っ掛かるものがあってはならない理屈です。だから、僕のような天邪鬼が流れに抗ってする“コマの凝視”は行き過ぎであり、迷惑な行為かもしれません。けれど、やはりねえ、僕は駄目ですねえ。


 エドガー・ドガの評伝(*2)に収まったバレエダンサーの絵を眺めていると、同じ姿かたちの娘たちが右へ左へ位置を替えていくのが楽しく感じられます。どこに描くか、どう描くか、何と何を組み合わせるか。たった一枚の絵画にさえ物象のいちいちに画家の恣意が働き及んでいるのです。いわんや大量のコマで成り立つ漫画においてをや。そう思うものですから、どうしても舐めるように描線を追ってしまうし、余白や行間に気持ちが入ってしまう。あれこれ想う気持ちは止められないのです。


 読者の視線はコマを追い台詞を読み、上から下、右左と目まぐるしく行き来を繰り返します。作者の筆先に宿っただろうひそやかな思惑を、だから大概は拾い切れてはいないものでしょう。精読されることを送り手はさほど期待していないかもしれませんが、僕はやはり飛ばし読みは無理なんだよね。困った性分です。


 さて、つげ義春さんの「隣りの女」に現れた空っぽの味噌汁椀(*3)と似た表現が、他の作家の作品でも認めることが出来ます。1986年に四十半ばで夭折した上村一夫(かみむらかずお)さんの文芸物「一葉裏日記」のなかで味噌汁にお呼びが掛かりました。クローズアップされることもなく淡々と描かれているのですが、天井方向から覗き込む構図の真ん中に見せ置かれた味噌汁椀のその底は、つるりと真っ白で、実に空っぽでありました。


 正太は血色のいい育ち盛りの少年です、あっと言う間にきれいに平らげてしまったのでしょうか。そうでないことは上にひも解いた場面に続くコマが教えてくれます。少年はさらに椀を口もとに抱え直して、その中身を懸命に掻き込む姿を僕たちに見せているのです。つまり正太少年は最初から何も入っていない椀を傾げ、何ら箸でつまむことなく、この貧乏長屋での食事の場景を自然に(けれど不自然に)僕たちに提示しているのです。


 作者の上村さんはもしかしたら意図して落語風に描いたのかもしれません。手ぬぐいや扇子を巧みに使い分けて観客の目を獲り込み、日常を彩る雑貨や食物を幻視させる。そんな名人芸にならった可能性も多分にあります。妻に先立たれて暮らしの張りを失い、天気も良いのに昼間から酒に浸っていた男が息子の訴えに心揺さぶられていく。失意の淵から脱却し、少しずつ生きること、暮らすことを再開していくという湿度ある人情噺です。この頃の上村さんの作品は形式的で硬い風情を帯びているものが多いですから、落語のスタイルを踏襲したとしても違和感は起きてきません。


 けれども、やはりここでの“見えない味噌汁”とは形式美ではなくって、貧窮した父子家庭の実状を描く手段なのでしょう。底辺の暮らし向きに巣食うひもじさを描く上での奥の手が“見えない味噌汁”だったのだと僕は思います。味噌汁しかない食卓の、その味噌汁をも排除することで僕たち読者のこころを静かにいざない傾斜させるものがあります。「鍋に味噌汁が残っている」と告げられた瞬間に巻き起こる連想を逆手に取って、空腹感を増幅させる小さな仕掛けが紙面に仕組まれているのです。


 米の一粒、汁の一滴をも素知らぬ顔で残酷にも省いてみせた上村さんの底知れぬ作為と巧妙な手わざに対して、また、そのような仕打ちに対して笑顔で椀を傾け、空気をお腹に呑み下しながら「美味(うま)いものを食べたいとは思わないけど」という台詞を語る少年の気丈な芝居に胸打たれます。フィクションとは何か、創作とはなにかを自問自答し続けた男の、見事なまでの空隙が椀に満たされている。ある種の畏怖すら湧き上がるのを禁じ得ません。


 よくよく見直してみれば、同じように驚かされるものが「一葉裏日記 たけくらべの頃」には潜んでもいます。


 何ら家具らしきものがない父子の住まいが最初に描かれ、少年が食事する際に食卓代わりにしたものはその大きさと手の行った造りから父親の左官道具の入った木箱に違いなく、愛するおんなを喪った男の茫然自失の有り様をあぶり出しているのです。その後、場面転換を経て再度その部屋が登場すると、いつの間にか妻の位牌を載せた小箱が片隅に産まれ、また、少年の背丈に見合った小さな机も明るい窓辺で見つけることが出来るのです。酔った背中で子供の声を受け止めながら、少しずつ少しずつ回復していった男の変化が一切の身体的な表現を用いることなく、さりげなく顕わされています。筆先の囁きが控えめに耳朶を打ち続ける、そんな抑えに抑えた上村さん晩年の秀作ですね。


 見せることと見せないこと、それを読み取れるか読み取れないか、漫画というジャンルを決して侮ってはいけませんね。雨、雲、虹、すすき、あぜ道、砂浜、海風、待宵草──。夜道、屋上、星空、アスファルト、雷鳴、雷光、暗雲、粉雪──。情念を代弁するヒエログリフとして様々な物象が登用されてあります。いわんや味噌汁においてをや。




 さてさて、いよいよですね。皆さんも僕もひとつ年を取りますね。


 けれどどうでしょう。僕はここに至って年齢を重ねていくことに嬉しさを感じています。もう絶対に若い頃に戻りたいとは思わないな。これを読むひとに哀しいことがないように、辛いことがないように祈る気持ちに嘘はありませんが、けれど、年をとることは哀しいこと、辛いことではなくって素晴らしいことだと信じます。僕にとってもあなたにとっても、なくてはならない大事なことだと信じます。


 良き年を迎え、良き年齢を重ねてください。


(*1): 「一葉裏日記 たけくらべの頃」 上村一夫 1984 
   「上村一夫 晩年傑作短編集1980-1985紅い部屋」 小池書院 2009所載
(*2): 「ドガ・ダンス・デッサン」ポオル・ヴァレリィ著、吉田健一訳 新潮社 1955
(*3): http://miso-mythology.blogspot.com/2009/12/1986.html

2009年12月20日日曜日

つげ義春「探石行」(1986)~みっともない~


五時に早々と夕食だ

これじゃ寝る頃までに腹が空いてしまう

女房は貧しい食事の原価を計算したりしている

妻「ナスのおしんこにナスの味噌汁に

  それから ナスの煮ものに………

  ぜんぜん金かけてないじゃない」

助川「さわぐなみっともない」(*1)


 つげ義春作品の朴訥(ぼくとつ)な面持ちの裏側には、綿密な計算や驚くほどたくさんの思惑が込められているのであって、その一端が “味噌汁の不在”という摩訶不思議な現象となってどうやら現われている───。

本当にそうなのかな、ちょっと不安になってきました。自分で言っておいてなんですが、僕は何事につけ思い込みがはげしくって、あとで赤面するはめに陥ることが多いのです。もう少しじっくり眺めてみましょうか。具体的につげさんの作品から食べ物の描写だけを拾ってみましょう。


「西瓜酒」(1965)は時代劇です。貧窮に喘いで希望を見失った若い夫婦が、最後に腹いっぱい空き腹を満たしてから死のうと夕食の支度をしています。鍋をぐつぐつ鳴らして作られるのは何やら“煮物”のようですね。そこに漬けものとごはんが寄り添っていました。


「アルバイト」(1977)はつげさんが睡眠中に見た夢の場景を絵に起こしたものですが、お椀を立ったまま抱えて中の汁物を箸で掻き込んでいる男が描かれています。かたわらの男が物欲しげにその様子を伺っているのだけれど、これは戦後のヤミ市を俯瞰気味に撮ったニュース映画の中にありましたね。恐らく“すいとん”です。


「必殺するめ固め」(1979)もエロティックな夢の景色でした。乱暴者に必殺技をかけられ腰骨をやられた若い男が、半身不随の身となって寝たきりになります。今や身もこころも乱暴者に支配された妻が、お情けで男の枕元まで煮物(もしくは焼き物)にごはんを運んでくれるのだけど、それには“お茶”が付いておりました。


「日の戯れ」(1980)は競輪場の窓口係に勤める妻の代わりに、掃除や調理といった家事をこなす男が描かれ、「うん合格」と誉められたのはカレーライスでした。コップの水が添えられていました。


  ちょっとしつこいですね、駆け足で行きましょう。「近所の景色」(1981)には折り詰めの鮨(すし)。「散歩の日々」(1984)では屋台の焼きそば、「池袋百点会」(1984)─すき焼き、ごはん、目玉焼き、漬け物、煮豆らしきもの。「無能の人」(1985)─ただの弁当(予算五百円まで)、お茶。「探石行」(1986)─もりそば。「蒸発」(1986)─焼き魚、炒め物らしきもの、ごはん、お茶。「やもり」(1986)─漬け物のようなものを肴に晩酌。「海へ」(1987)─漬け物、煮物、ごはん、お茶、といった具合で味噌汁のお椀にはなかなか行き当たらない。


 ようやく探し当てたのは「懐かしいひと」(1973)、「会津の釣り宿」(1980)、「隣りの女」(1984)の三作品なのですが、これらにしたって面妖なものとなっているのです。




















 温泉街をセンチメンタルに再訪する「懐かしいひと」で、宿の色っぽい仲居さんに用意された夕食時のお椀は次のコマでは手品のごとく消滅しています。これは何なのだろう。「会津の釣り宿」でのお椀のフタは、いつまでもいつまでも閉じられたままです。夕食の時間は終わりを告げて、遂にそのままに片付けられて見えます。


「隣りの女」の朝食の光景には、煮物、炒め物らしきもの、漬け物、ごはんと共に味噌汁椀らしきものが並ぶのですが、その椀の中身は空っぽの状態に描かれています。

  つげ義春さんは味噌の匂いや味が嫌いなのでしょうか。いやいや、そうじゃないことは旅行記の次の一節からも読み取れます。

正午頃調布を出発。川越を通り桶川(おけがわ)へ出る。
立石さんは以前から、深沢七郎さんの味噌を食べてみたいと
言っていたので寄ってみる。(中略)

石岡へ出る途中で、「味噌あります」と貼紙のある農家があり、
立石さんは味噌を買った。深沢さんの味噌とは比べものに
ならない味。(*2)


  味噌や味噌汁には一般の人以上に一家言持っておられる、そんな感じがいたします。意識すればこその隠蔽が働いていると捉えて差し支えないでしょう。


 最上段の引用は「無能の人」に代表される80年代の連作の、その中の一篇にぽつねんと現れた味噌汁です。珍妙な顔付きの石が高く売れるという儲け話に色めきたった男が、妻子を連れて石探しの小旅行を行ないます。竹中直人さんの映画(*3)でも描かれていましたね。(一場面と原作者を紹介する動画がyoutubeにありますから、これを参考までに貼っておきましょう。冒頭から6分34秒以降に映されています。)




 味噌汁に言及した妻に男が腹を立てます。日常へと思考を引き戻そうとする言動をいさめて、非日常へのたゆたいに没頭しようとする一途な姿に、つげ義春さんの漫画世界の立ち位置と味噌汁に対してのかたくなな思いが浮かび上がります。

 旅行記にはこんなくだりもあります。群馬県の温泉に六年ぶりに再訪した際の話です。詩人のSさんを同行したのですが、その反応は思わしくありません。食事の内容が粗末だったのが原因です。

 旅は日常から少しだけ遊離している処に良さがある。
非日常というと大袈裟だが、生活から離れた気分になれるのが
楽しくもある。旅館の食事にしても普段と違うから旅心を
満たされるのだ。(*4)


 日常の象徴、“内側”の旗印となって作者の胸中に味噌汁は居座り、ゆえに非日常に遊ぶ際には障害と見なされ排除されていく。座卓の上の空隙には特異で物狂おしい、言わば“透きとおった味噌汁椀”が上の例のごとくずらり並んでしまう。つげ義春さんはおのれの創作活動のルールとしてこれを貫いた訳ですが、その味噌汁排除の視点は彼のみならず、日本における他のクリエイターの多くを操って見えます。

  僕たち市井(しせい)の者にしたってこれは根強く心に及んでいて、日々の行動を縛っていたり煽っていたりするのです。記憶の書棚から味噌汁のある光景とない光景を脳裏にカットバックさせていくと、その折々の気持ちの面持ちや色彩、寒暖の差が露わになってきて驚かされます。 こと恋情の舞台における味噌汁の不在は決定的ではないでしょうか。



  僕らの胸の奥の洞窟で、味噌汁は素裸のこころと隣り合わせとなって延々と明滅し続ける。 まるでピノキオを見守るコオロギのようにして、時に囁き、時に沈黙して僕たちをいざなうのです。
 
(*1):「探石行」 つげ義春 「COMICばく」(日本文芸社)初出 1986 
(*2):「関東平野をゆく」 つげ義春 昭和五十年十月と末尾に記載されている。
「新版つげ義春とぼく」(新潮文庫)所載
(*3):「無能の人」 監督 竹中直人 1991
(*4):「上州湯宿温泉の旅」 つげ義春 1982 「苦節十年記/旅籠の思い出」(ちくま文庫)所載

2009年12月14日月曜日

朝焼け~日常のこと~



 この週末は小旅行をいたしました。いつもと違って予定をあえて組まずに来ましたから、こころも身体もずいぶんとゆったりと過ごせました。


 ホテルの19階の部屋から見下ろす街は、思いのほかこじんまりして見えました。年齢と共に感動というものは薄まっていき、穏やかな受容ばかりの毎日になっていく、そんな感じかな。いかんイカン、元気をもらうために此処まで来たのに最初から縮こまってはいけないイケナイ。



 これは朝の9時30分の光景を写したものなのだけれど、逆光で絞り込まれて暗くなっていますね。かえってそれで上の方の、この白いところがお日様だと解かるでしょう。もう随分と宙に登っていて、さらにゆるゆると飛行船のように浮上を続けているところです。


 こんな年齢になって初めて見たような気がするのだけれど、そんな高い位置に太陽がまばゆいにもかかわらず、地平線はひとすじの帯を流したように朱に染まっているのでした。


  日の出や日没直後に地平線の奥の奥、さながら地底から天空へと差し出されたような光が産みこぼす、おごそかな鮮血の時間に何千、何万回も足を止め、僕は紅蓮の空を見ては来ましたが、遙か頭上から差し出された光で街だけが紅く染まっていく光景があるなんて知らなかった。


 嘘うそ、何万回も夕焼けは見れないよ。僕の年齢に365をかけたところで大した数字にもなりません。半分が晴れた日で、その半分に外にいて空を見上げていたところで、さらに運良く目に飛び込んだろう夕焼け空など千回程度に決まっています。

 まあ、ようするに人間は達観や諦念、先入観に埋もれながら暮らしていて、実は人生をよくよく見切ってなどおらず、したがってまだまだ知らないことだらけなんだ、ということだね。

 
 傾いだ光が大気を切り裂いていくときに浮遊する粉塵や水蒸気にて拡散し、紅い光だけが選びとられるが如く滞留する、それが夕焼けであり朝焼けである訳だから、天空に駆け上がりながらも同様の現象は起きるのが確かに理屈。


 足元の街をざんざんと斜めの陽射しが突き刺す。そこに暮らし憩う人びとの吐息と、窓々から立ち上る湯気と、夢や不安を載せて走る車の排気で拡散されて、紅く紅く街を染めていく。僕たちの一日は気付くか気付かないか分からない、そんな朝焼けに彩られて始まっている。 ちょっと素敵。



 公園のベンチに座って池の鴨を眺めていたら、偶然隣りに座ったカメラおじさんと仲良くなって蛍石レンズの話も聞けたし、逢いたいと念じ続けていた人にもようやく逢えて、とても愉しく御飯もいただいた。

 美術館の性と生と聖に関する展示も、じわじわじわりと胸に迫って来るものがあって、とても得難い時間にもなったと振り返っているところです。


 ありがとう、そんな気持ちが本当にあります。ありがとう。

2009年12月9日水曜日

つげ義春「リアリズムの宿」(1973)~やりきれんなア もう~



夕食はイカの刺身を中心にしたものだった

野菜の煮物が少々と卵焼は皿にペタンと一枚

はりついているだけで

刺身は薄くすけてみえそうなものだった


それらを少年が一ツ一ツ無言で運んできた


☆ ☆ ガチャン ☆ カラカラ


味噌汁は鍋ごと運んできた

私「きみ シャモジを落としたみたいだね

 洗ってこなかったみたいだね そうだろ!


 やりきれんなア もう  

 風呂にでも入って寝ちまおう」(*1)


 最近、漫画家のつげ義春(つげよしはる)さんに対する認識をすっかり改めさせられました。「ねじ式」(*2)、「紅い花」(*3)、「沼」(*4)といった幻想的な作品群と、等身大の日常を淡々と描いた「義男の青春」(*5)、「懐かしいひと」(*6)などでつとに知られたつげさんなのですが、迷走する世相とは隔絶して見える素朴な描線と柔和な語り口、多くても年に数本しか発表しないという寡作の人ということもあって、僕は“産みの苦しみ”を感じ取れずにいたのです。


 評論家との間で、実に半年を費やしてのロング・インタビュが為されました。それが分厚い上下巻の単行本(*7)に収まっていて、就寝前や出張の移動時間に読み進めていたのです。ようやくにしてつげさんの作品が苦闘の産物だったことを知りました。まったくもって迂闊、創造することの道程に例外はなかったのです。


 じりじりと緊迫する行程を記憶とメモから丹念に掘り返して吐露していくのですが、言葉は説得力に満ち満ちているし、何よりも驚かされたのは氏の多弁さです。のほほんとした作風から想像し得ない饒舌に息を呑みます。どんなに穏やかな風合のものに仕立てていても、“作り手”というのは火花のような激しいものを抱え込んだ存在なのですね。驚きがあればこそ読書は愉しいわけですが、それにしてもこれだけ予想を裏切られると嬉しさを遥かに越えて何やら恥ずかしくなってしまいます。


 さて、そのインタビュのなかで自作「リアリズムの宿」に触れて、つげさんは味噌汁(正確には付随する道具なのですが)に少し言及しています。物語のあらましはこうです。商人宿のわびしさに憧れる主人公がたどり着いたのは哀しいまでに貧窮し切った場末の民宿でした。こりゃいかん、と逃げ出そうとする主人公はおかみの必死の懇願に負けて一夜を過ごすのだけれど、予想以上にあれこれ散々な目に遭ってしまうのです。宿の少年の手伝う配膳はお世辞にも誉められたものではありません。部屋の手前の廊下で騒々しい音がいたします。何か床に落としたに違いない。

 Youtubeに断片を写し取ったものがありますね。合わせて貼っておきましょう。未読のひとも感じは掴めるのじゃないかしら。




 こういう宿屋に事実泊まってしまったけれど、

こんな悲惨な父親がいたわけじゃないです。

でも、男の子が味噌汁のしゃもじを洗わなかったのは

事実です(笑)(*7)


 えっ、重箱の隅を楊枝でほじるのもいい加減にしろ、あなたはそう仰る。同じように僕だって思っていましたよ、落としたしゃもじを素知らぬ顔で届けた少年に焦点は合っているのであって、特段記憶に値する味噌汁はこの「リアリズムの宿」には描かれていない。そう読み取っていればこそ僕はものの見事に失念してしまい、これまで何ら取り上げずにいました。


 しかし、上に掲げたインタビュ本を読み終えてみると、「リアリズムの宿」には確実に味噌汁が描かれているし、それもかなりの作為を秘めたものだと言い切れる。


 試しに少し大きな書店に足を運んで文庫版の全集をめくってご覧なさい。紀行であれ下宿生活であれ、はたまた同棲の顛末であれ、日常を淡々と描く物語内の食生活に目を凝らして見るならば、そこには味噌汁が不自然なぐらい見当たらない。そうか、なるほど
作者は味噌汁を“描きたくない”のだと解かるのです。畳の敷かれた小部屋、汗を吸って重くなる下着、太陽光を弾く白い路面、薄い影をしっとり落とすパラソル、おんなの流し目、男の凝視──日常風景をとことん描写しながらも味噌汁の登場を徹底して回避していく。その瞬間の作者の意図に想いを馳せるとき、つげ義春さんの創造する世界とはすべからく“非日常”だったのだと気が付きます。


 実際の商人宿となりますと、いい宿屋ってないんですよね。

実際はかなり生活臭さが漂っているんです。本当は、そういう

生活臭さが漂っているというのは自分としては好きなんですがね。(*7)


 本当は、好きなのだけれど、“生活臭”の排除こそが己の漫画作術の原則、あえかな情感の生育に繋がるのだと信じ、普段あるべき味噌汁が巧妙に排除されていくのですね。もわもわと“生活臭”を湯気立てる味噌汁を描くことで世上からの遊離感や旅情が破壊されるとすごく警戒している。


 ならば「リアリズムの宿」の唐突な味噌汁の登場は何だったかと言えば、これは僕の推測以外の何ものでもないのだけれど、事実を足掛かりとして物語がぐんぐん立ち上がってしまった、普段は排除に努めていた味噌汁なのだけれど、もう元に戻せない、こうなったら、ええい、ままよ、“生活臭”をどんどん詰め込んでしまおう、ぎゅうぎゅうの“生活臭”が飽和状態を越えてしまえばリアリズムは急速に損なわれるのが道理だろう。その先には“非日常”が再度頭をもたげてくるにきっと違いない──。そんな感じの裏技だったのじゃないのかな。



 つげ義春さんは味噌汁を原則的に描かない、それは味噌汁を強く意識することの裏返しなんですね。生活の場において味噌汁が濃厚な存在感を勝ち得て、ひとりの天才の活動を左右していたことを証し立てています。



 形になっていないからといって、存在しないということではない。人の世の諸相や精神の深い淵にはよくある話です。意識し続けていればこそ、かえって結晶化ならぬことってまま在りますよね。まあ、きっとそういう事です。



 さて、いよいよあと半月程で2009年も終わりです。


 気持ちにトゲを残したままで年を跨ぐのは、なんとも息苦しいものです。もちろん深く根を張り抜けないトゲは有るのだけれど、そっと引き抜けるものは外して身軽になりましょうか。心をアーティキュレイションしないと!


 来週以降はほんとうに身動きが取れそうもないから、欲張った気持ちになります。せかせか動くとろくな事はない訳ですが、まあ頑張ってみましょう。僕も転ばないように気を付けますが、どうか皆さんも足元に十分注意してください。階段なんかで蹴躓いて宙を飛んだりしないようにどうかお願いいたしますね。



(*1):「リアリズムの宿」 つげ義春 「漫画ストーリー」(双葉社)初出 1973
(*2):「ねじ式」 つげ義春 「ガロ増刊号・つげ義春特集」(青林堂)初出 1968
(*3):「紅い花」 つげ義春 「ガロ」(青林堂)1967 10月号初出
(*4):「沼」 つげ義春 「ガロ」(青林堂)1966 2月号初出
(*5):「義男の青春」 つげ義春 「漫画サンデー」(実業之日本社)初出 1974 
(*6):「懐かしいひと」 つげ義春 「終末から」(筑摩書房)初出 1973
(*7): 「つげ義春漫画術(上・下)」 つげ義春/権藤晋 ワイズ出版 1993



2009年12月2日水曜日

殺し屋よりもひどい~日常のこと~



  仕事に忙殺されて、ここしばらくは過ごしています。


  ようやくにして身近にインフルエンザが現われて、公私共に気ぜわしい師走となりました。

  鏡や窓に対峙する度に、白い口ばしを付けた自分の姿にぞっとさせられています。鳥のような、河童のような、そうでなくとも表情の乏しい僕は人間味をすっかり失ってしまったかのようで、やたらと寒々しく、薄気味悪いったらないのです。でもまあ、とりあえず生きております。


  十人ほどの男女で構成された群像劇(*1)を先日観ました。その後、古書店から買い求めていた昔の本(*2)の、その作品を取り上げた頁を探し読みながら、胸のなかで静かに醗酵させているような感じです。



  「そのままの位置にとどまり、いくらかの知性と、たぶんに植物的な性格を持ち、小さな苦患の世界で、むなしい期待をかけずに生きながらえていく」(*3)──そのように批評家にひと括りにされ、揶揄されている劇中の無責任な取り巻き連中と自分自身を重ね見て、かなりキツイ一発を顎に喰らった気分になりました。


「わたしから見れば、あなたは人殺しよ、人殺しよ、聞いてる?あなたはその口車で破廉恥(シニスム)な心で、人を殺したのよ……」

「怪物だわ!殺し屋よりもひどいわ!」

  ブラウン管越しのおんなの嘆きが、ぐわんぐわん反響して胸の奥を行ったり来たりしています。



  そんな月の初めです。

  これから年末にかけて、誰もが無我夢中の時期になりますね。
  ろくでもない口車は小屋に仕舞い、とりあえず鍵を抜いておきましょうか。


  ドライブはいい加減慎まないと。



  今日を懸命に生き、明日に生命を繋ぎながら、旧き年と新しい年に架かる橋を渡っていきましょう。

  睡眠はしっかり取って、この世にたったひとつの身体を慈しみ、きっと守ってくださいね。

(*1): LE AMICHE 監督ミケランジェロ・アントニオーニ 1955
(*2): 「現代のシネマ2 アントニオーニ」 ピエール・ルプロオン著 三一書房 1969
(*3): 「行動と内心の映画」 ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ

2009年11月6日金曜日

山本文緒「恋愛中毒」(1998)~一刻も早く~



水無月(みなづき)さんは、ふいにそこで口を閉じた。

一分待ち二分待ち、おや?と思って彼女の顔を覗き見る。水無月さんは泣いては

いなかった。けれども彼女はサワーのグラスに手をかけたまま、放心したように

テーブルの一点を見つめていた。そこにはただ醤油差しと空になった器がある

だけだった。(*1)


 社員数名の小さな編集部に勤める四十代の水無月さんが、恋情のトラブルを会社に持ち込んだ若い男子社員、井口君をいさめるために居酒屋のテーブルで対座しています。かれこれ十年程も前、三十を少し越えたばかりの時に起きた自分の離婚体験を語るうち、昏く淀んだ記憶の淵に水無月さんはダイブを始めてしまい、異様な放心状態に陥ります。若者は微動だにしないおんなの姿に恐れおののきます。


 一体全体どうして作者は、ここで“醤油差し”を持ち出さなければならなかったのか。読者は禍々しいものの到来を予感しつつ頁をめくっていくことになるのですが、なるほど、そういう事か、僕たちを待ち受けているのは典型的かつ繊細な醤油の記述だったのです。


 水無月さんは離婚による痛手を抱えて独りアパートの自室に蟄居していたのですが、数ヶ月を経てなんとか社会へ復帰し、親戚が探し与えた弁当店でのアルバイト業にいそしむことになります。ある日、カウンターでの応対中、客として訪れたタレント兼文筆家の創路(いつじ)功二郎に見そめられてしまいます。高校生の時分から熱心な読者であったことも背中を押して、教わり知った彼の自宅を散歩がてら訪ねてしまう。寿司を一緒に食おうと強引に誘われ、勢いづくままに男が仕事部屋として常時押えてある高層ホテルの部屋に二人して向かうと、そのまま身体を重ねてしまうという展開です。


 幽かなまどろみを経て目覚めた男がテレビ番組か何かの打ち合わせのためにいそいそと退室してしまい、おんなは独りベッドに取り残されます。予想だにしなかった夢のような半日に戸惑い、どう次に行動していいか思考が停止して判断が付きません。


 私はそれからしばらく服も着ずにぼうっとしていた。カーテンを開けた

ままの大きな窓の向こうがだんだん夜になっていく。やがて私はのろのろと

ベッドを出た。椅子の上に放り投げてあったポロシャツとジーンズを身につけ、

先程彼が使っていた櫛(くし)を取り上げ髪を梳(と)かした。近所にちょっと

散歩に出掛けるつもりで家を出たので、私は何も持っていなかった。化粧直しを

しようにも口紅一本持っていない。鏡に向かっていたら、ポロシャツのおなか

あたりに醤油の染みがついているのを見つけた。

 私は鏡から目をそらし、一刻も早くここを出ようと思った。カードキーは

彼が持って行ってしまった。ということは一度ここを出てしまったら、私は

自力では二度とこの部屋には入れないということだ。だから彼はルームサービスを

取れと言ったのかもしれない。(*1)


 “醤油の染み”や匂いが閃光のような烈しい覚醒作用を登場人物と読者にもたらし、それまでの世界観を瞬時に破壊してしまうことがあると以前書きました。そのお手本のような情景描写です。夢と現実の段差が日常の食卓(ここでは寿司店での男との昼食に際して付着したものでしたが、店は“ごく普通の”と設定されています)──を司る醤油を挿し入れて表現されていく。淡いロマンスをたちまち氷結させ、粉微塵にしていきます。


 醤油はのぼせ上がった気持ちに水を差す宿敵なのでしょうか。おんなは哀れな遁走を開始します。午前零時の鐘の音が耳をつんざき、慌てふためき階段を転がり下りたシンデレラのような感じです。


 醤油の染みのついたポロシャツと何年も穿(は)いているぼろぼろのジーンズ姿

なので、非常階段か何かでこっそり外に出たかったが、それも帰って目立つ気がして

やめた。仕方なく乗ったエレベーターで、外国人のカップルにちらちらとこちらを

見られて死ぬほど恥ずかしかった。エレベーターを下りると、顔を伏せてロビーを

早足で突っ切った。逃げるようにして私はホテルを出た。(*1)


 コーヒーをこぼしたスカートやパンツというものは相当に羞恥を誘い、始末に困ってじたばたと慌てさせられるものです。醤油もまたコーヒーと同類。排泄物に近しい色合いのせいで、本能が警報を鳴らさずにおかないのかもしれません。動揺はずるずると尾を引き、自宅に帰り付き、扉を閉め、その服を脱ぎ捨てるまで鎮まらないものです。悪魔のようなそんな茶色の染みと独特の臭いをまとわり付かせたおんなは“外国人の”二人連れの視線を過剰に意識して、哀れで汚い日本人となって逃げ帰っています。


 恋情からの覚醒と人種をめぐるコンプレックス。一滴の醤油の染みを登用して、僕たちの深い部分に二重に迫り来るものがあります。さらにここでは、甘く苦く、芳ばしく香る愛の記憶を十年もの長い年月を経ても“醤油差し”越しに無言で見つめ続ける視線があります。表舞台からでは触れられない裏側からの世界へのアプローチがそっと示されてもいて、何て素敵な構図だろう、なんて日本的な奥行きのある図柄だろうと感心することしきりです。

 
 さっと読み通してしまえば瑣末な点に過ぎぬものばかりですが、線で結んでたどってみれば鮮やかな魂のシュプールが頁をまたいで描かれていく。山本文緒(やまもとふみお)さんという人が相当な滑り手であり、文学賞の授与も当然だなと頷いた次第です。


 さてさて、再び週末ですね。余暇を満喫できる方は行楽の秋、スポーツの秋を、お仕事柄それに邁進される方はちょっとだけ寄り道しての芸術の秋をお過ごしください。

 その間、もしも万一お醤油が大事なお召し物を汚したなら、ちょっとだけ僕のミソ・ミソでの妄言を思い出し、まあいいさ、たまにはこんな事もあるさ、私たちは誰もがシンデレラの末裔なのさと大きなお口で笑ってください。悪戯にめげずに美しい時間を、大事なひとと重ねていってください。


(*1): 「恋愛中毒」 山本文緒 角川書店 1998 現在は角川文庫で入手可能

2009年11月4日水曜日

向田邦子「だいこんの花」(1974)~ちゃんとまぜたのね~

●台所(朝)

  セーターにスカーフをきりりとしばったまり子が朝食の支度。

  トントンとおぼつかない手つきで、みそ汁の実を刻んでいる。 

  起きてくる忠臣。

忠臣「ほう。おみおつけの実はおねぎかい」

まり子「あ、お父さん、おはよございます」

忠臣「はい、おはよ」

まり子「割合いとごゆっくりなんですね。お父さん、年寄りは早起きだ

    なんておどかすからもっと早いのかと思ったら……」

忠臣「(小さく)へ、手加減しているのが判らんのかねえ」

まり子「は?」

忠臣「いえいえ。あのごはん……」

まり子「今、スイッチ切れました(電気釜)」

忠臣「あ、そう、おみおつけのダシは……」

まり子「はい。ゆうべのうちに煮干しお水に漬けときましたから」

忠臣「結構結構、で、おみそは」

まり子「はい。仙台みそと八丁みそを……」

忠臣「ちゃんとまぜたのね」

まり子「はい」(*1)


  ご自宅で調理にいそしむひとは数限りなくおられます。同居人への提供もさることながら、“自分自身”の味覚や嗅覚を満足させたい欲求から後押しされる事が多い、そういう実感を先日知人から教わりました。自分が食べたいものを自分の手で仕上げる、その作業の一環に家族への食事の提供が付随していくものだ──。確かにそうです、もっともな話です。


  マーケットの惣菜コーナーやベーカリーで何がしかの調理品、例えば馬刺しであれをアップルケーキであれを買い込み、それを手っ取り早く皿に取り分け並べて夕食や何かの支度を済ませることがあっても、その選択には“自分自身”を慈しみ、愉しませるものをもちろん含んでいます。


  つまり献立は、そして調理とは自己本位なわけです。自分が美味しいと思うものを作り振る舞うのが基本。家庭料理の多くが調理する者の嗜好に委ねられていき、“味噌汁”もまた作り手の好みに左右されるのが当然な訳だから、独自の希釈割合や具材との組み合わせが圧倒的に優勢を占めていくのは自然の理(ことわり)です。


  話を性差別っぽく固めるつもりはないのですが、家庭での調理の現状は主に女性が担っています。これは取りも直さず、味噌汁がそのおんなのひと独自の味付けになっていくという事でしょう。塩辛さや甘さ、苦さ、温かさといったものが複雑に絡み合って、彼女らしい個性を獲得していくということです。最終的には百人百様に似た多彩な面持ちを得る仕組みです。


  百人百様であることは、僕たちが発しているシグナルでも同様です。鼻腔をほのかに刺激する体臭、口づけ等を経て知る粘液などに対し、その都度に多彩な個性を僕たちは感じ取っています。またまた変な方向に話に振っていると笑うかもしれませんが、ふざけている訳じゃありません。


  母親は自分の赤ん坊の体臭やうんちの臭いを、他の子供のものとしっかり嗅ぎ分ける能力があります。その逆もしかりです。まだ十分に意識されないにしても、母乳は個性的な、まさにおふくろの味となって、呑む赤ん坊の日常の多くを占めています。運動して汗を吸った複数の青年の下着を採取し、何人もの女性被験者にそれぞれ順繰りに嗅がせて好き嫌いを判断させたところ、多くの女性がもっとも整った顔立ちの男子の匂いを好ましいものと判断したという実験結果もあるそうです。(*2) かように人と人の間には微妙な味や香りが重要なシグナルとなって介在しているのであり、ならば塩のひと振り、砂糖の匙加減だって同じような絶大な効果をもたらす理屈です。味噌や醤油だってそうでしょう。


  そうして“味噌汁”は調理を司る彼女の嗜好と体調に合わせた薫りと味を、薄絹のベールをふわりと纏(まと)うがごとく具えていく。給仕されるのが子供であるなら、間違いなく世界にひとつだけの“おふくろの味”となっていく。味噌汁をおふくろの味と讃えることは、だから実際間違っていないのでしょう。


  ところがところが、そこに不可思議な横槍が入ってくるのですね。上記の台詞は向田邦子(むこうだくにこ)さんの初期の連続ドラマ「だいこんの花」から書き写したものですが、ここでは伝承や教育の名のもとに上の世代が下の世代の嗜好を無視して、調理をがんじがらめにしていく様子が描かれています。森繁久弥さん演ずる七十歳の父親が、次男誠(竹脇無我さん)と妻まり子役である石田あゆみさんを帝国海軍式に教育していきます。漬け物への執着も相当なものなのですが、味噌汁作りの監督は輪を掛けて粘着的に劇中繰り返されました。


忠臣「お前は判ってないんだよ。女にとって、主婦にとって台所仕事というものは」

誠「あのねえ、お父さん」

忠臣「(言わせない)毎度引き合いに出してなんだけれども、うちの繁子……

   亡くなった家内ね、この人は実に包丁さばきのいい人だったねえ。

   朝布団の中で目をさます。みそ汁の匂いがプーンとしてトントントントン……

   包丁の音が聞えてくるんだよ」 

  目を閉じてうっとりとなる忠臣。

誠「それはね、昔のハナシなんだよ。オレたちはね、朝はパンとミルク(言いかける)」

忠臣「アタシは、ごはんとおみおつけにしていただきたいね。それにアンタ、

   一週間にいっぺんは大根の実でないと。大根てのはこの、ジアスターゼが」

誠「あのね」

忠臣「そのアンタ、大根がですよ、こんな(まり子の切ったの)十六本じゃあ、

   アタシはやだねえ」(*3)


  どんどん核家族化が進んでいますし、同居した二世代間にしてもここまで無遠慮な指導は影を潜めているようにも思いますが、それでも多かれ少なかれ味噌汁への個人教授は根強くあるように感じます。僕たちの世界で味噌汁というものが、相当に象徴性を帯びた立ち位置を家庭で与えられているのが分かります。


  さて、よくよくそうして見るならば、上の世代の嗜好を遺伝子か細胞壁の奥に潜むミトコンドリアのよう承継した味噌汁とは、一体全体、誰の味、なのでしょう。おふくろの味と僕たちは気安く呼称するそれは、こうしてこだわり眺めれば随分と混沌したものだと判ります。


  味噌汁が“おふくろの味”と共に“故郷の味”としてイメージされる背景には、地勢と気候によって各地に今も根付いている多種多様なご当地味噌の存在によるものが大きいのですが、しかし、それだけでなく一族郎党のレシピが蛇のようにずるずるとのたうち連なっていることにも由来しているのでありましょう。


  別におかしくないわよ、それはそうよ、当たり前よと鵜呑みにせずに立ち止まってもらいたいのだけれど、あれれ、と思うのは、つまり僕たち男がはげしく惹かれてしまい、もはやひれ伏す想いを抱くばかりの甘く重たいあの体臭や、口づけで知った何とも形容し難い、脳髄を痺れさせるかぐわしきものに連なるはずの、誰とも替え難い愛しいおんなの作る“おんなの味”は何処に行ってしまったのだろう、ということです。おふくろの味が残り、おんなの味が跡形もない。


 先日の桃井かおりさんのエッセイに見受けられた動揺や躊躇はこのあたりの不可解さ、煩わしさを承知した上での本能的、官能的なものであったのかもしれませんね。女性が味噌汁を作るという事の背景には何という暗い淵が覗いているものか。僕たち男はずいぶんと呑気に生きていると思い、また、味噌汁の椀に目を凝らして見えてくるのは日本の男たちの不可解さだけでなくって、日本のおんな達の闘う姿でもあるのだと感心しているところです。


  慈愛と献身、無私と無欲の全力疾走。女性の体現する愛の、ほんの少し痛みを宿した情景として味噌汁が今日もことことと鍋で煮られ、次々にお椀に盛られていきます。  


(*1): 「だいこんの花」第22回 向田邦子 1974-75  新潮文庫 後篇に収録
(*2): 先日並べ記した四冊の中にありました。どれだか忘れちゃいました。
(*3): 「だいこんの花」第13回 向田邦子 1974-75  新潮文庫 前篇に収録

2009年11月2日月曜日

ローズ・ジョージ「トイレの話をしよう」(2009)~ギジオブツ~



  ゴーリーはどれにも満足しなかった。最後に、だれかがあるメーカーの味噌を

買ってきた。見た目も、浮き方もぴったりだと考えたのだ。「人の便を触って

調べたわけではありませんよ。社員のなかに子持ちの者が何人かいて、彼らが、

密度も、水分の含み具合も本物らしいと判断したのです」(中略)


  ゴーリーのほうは、テスト媒質を改善する必要があった。味噌ペーストは、

密度や重さの点では申し分なかったが、便器が汚れるし、再利用できないという

欠点があった。そこで技術者が「コンドームに砂を入れてはどうです?」と提案

した。砂は、便とは似ても似つかないが、この言葉をきっかけに、ゴーリーはある

ことを思いついた。そして、潤滑剤を塗っていないコンドームを一箱買って研究室

に戻ってきた。同僚たちは懐疑的だった。「それじゃあ強度不足じゃないか、

と言われました」。そこでゴーリーは、コンドームに味噌を詰めて壁に投げつけた。

強度は充分だった。(*1)



  何てこった、ああ、神さま、こんなところにも味噌が!

 日常の煩雑さを逃れて過ごす密やかなひと時を、さらにゆったり安穏としたものにするために購入した尾篭この上ない本であったはずなのに──。(そうさ、僕はお下品な話が大好きなのさ!)


 なのに、パンツを下ろし腰掛けてクスクスと笑いながらページをめくっていたら、突如味噌が顔を覗かせてしまうのです。もうビックリして引っ込んじゃったよ。


  カナダのウォーターエンジニアのビル・ゴーリーさんは水洗式トイレのメーカー別機種別の技能比較に長年疑念を抱いていました。使用される物体が“リンゴ”であったり“スポンジ”であったりして、現物とえらく乖離しているので正確な判断が付かないと考えていたからです。日本のメーカーではギジオブツ(擬似汚物)というものをかねてより使用し、節水や汚れの残存付着率を減らすことに心血を注いでいたのですが、北米においてはもってまわった上品な検査の仕方を長年変えられず、各メーカー品のどれもこれも改良が遅れておりました。


  ゴーリーさんと仲間は“現実的なサンプル”こそが改善の鍵と捉え、ギジオブツの製造に着目、仲間と共に試行錯誤を開始しました。そこに味噌が登場するのです。250gの味噌を詰めたコンドームは形状や弾力、浮力共に申し分なく、これが各社の便器の性能を客観的に見直す契機となって、飛躍的進歩を業界にもたらしたのです。


  ご承知の通り、今後世界は枯渇していく清澄な水をめぐって国家間、部族間の陰惨な紛争を繰り返すだろうと予測されています。改善が施されなかった古いタイプの便器では一度に使用される水量もたいへんなもので、不順な天候がもたらす一過性の水不足を解決するためにも、また、長期的な展望から言っても水洗トイレの改良が社会的に強く求められてもいました。段違いの節水を可能とする便器の改良にゴーリーさんの考案したギジオブツは貢献したのであって、その陰の主役である味噌は、人類を救い世界の環境を保守するという素晴らしい役割を担ったと言えるわけです。


  にもかかわらず、“クソミソ”という言葉がリアルな風景と共に目に浮かび、なんとも言いようのない複雑で重苦しい気持ちに僕はなってしまいます。ゴーリーさんの慧眼と実行力には感心し敬意さえ抱きますが、しかし、その発案はやはり海外の人のものだと感じます。


  もしかしたら日本のメーカーで使われているギジオブツだって、日本であるゆえに味噌と深い直接的な関わりがあるのかもしれず、ですからゴーリーさんの発案したものに難癖を付ける事は滑稽千万なことかもしれない。しかしながら、僕のなかでは良しとしない想いが強く湧き出してくるのです。何もそんな風に扱わなくたって、と思い、理屈が分かれば粘土だって良いはずなのに最後まで味噌にこだわり抜いていく、それがちょっと引っ掛かる。


  まあ、どうしようもないですね、仕方ありません。“クソ”と“ミソ”は誰の目にも似たもの同士に見えてしまうものです。国境を越え、人種を越えてこの連想は広がり留めようがないのです。


  改めて思うのは、味噌というものの不思議な多層性です。一方では母の味、郷里の味とすがり付かれ、片やクソの代用品としてコンドームに詰められ、壁に叩きつけられ、便器の穴にボトリと落とされていく。聖と俗を共に内包した極めて特殊な食べ物だということです。こんな食べ物は他にあるでしょうか。僕はざっと見渡す限り、こんなブレの大きなものはやはり味噌以外に無いように思います。

  
  それを毎日のように口に運ぶ僕たちも、ずいぶんと特殊な位置にいるようにも思います。


(*1):「トイレの話をしよう 世界65億人が抱える大問題」 ローズ・ジョージ NHK出版 2009 このギジオブツのことは、第一章に掲載されています。第二章以降は現在読み進めているところです。僕の通じは至極順調なのでトイレでは数行しか進めないからね、持ち出しました。いまは枕元に置いて丹念に読んでいます。また味噌が出て来たら報告いたしますね。尚、原著は2008年に上梓されております。

2009年10月31日土曜日

フリークライミング~日常のこと~




  フリークライミングの競技大会を先日観てきました。会場となった屋外施設は15mもの高さがあります。ごつごつの鉄骨にクリーム色のFRP(繊維強化プラスチック)製プレートを貼り付けしつらえた人工壁は最大斜度145度の逆勾配となっていて、手前にぐぐぐとせり出し倒れて来るような感じ。その威容は迫力満点です。


  競技に参加しているのは達者な人ばかりです。あれよあれよと上に登っていく訳ですが、それにつれて傾斜は勢いを増していき、最大の急所で難敵のきついクリフがいよいよ目の前に立ちはだかります。人工的に最悪の状況をわざわざしつらえて、これに果敢に挑んでいく競技というのは考えれば考えるほどけったいなものです。人間って不思議です。遂には天井板にしがみつくような様子となって、恐怖映画の蝿男さながらの奇怪な姿勢を披露していくのです。


  遥か頭上で奮闘する競技者の表情こそ読み取れないけれども、その分代わって全身が語りかけて来ます。重力に抗い体重を支えてきた腕力は消耗してしまい、上腕二頭筋がぶるぶる、ぶるぶると痙攣し出すのがはっきり見て取れます。時間はもう残されていません、次の一手ですべてが決まってしまう。千切れんばかりの指先から専用のシューズに包まれて踏ん張る両足の先っちょまで、四肢の隅々に“決意”と“躊躇”がチカチカと目まぐるしく明滅しています。何度も宙に伸ばされては引っ込められる腕の動きには独特の痛々しさと言うか、表現しにくい凄みのようなものが顕われてきます。


  仕事をする上で、いや、それは人生におけるあらゆる局面に言える訳だけれども、決意するという行為は神経を磨耗させて生命を削るようなところがあります。しくじって墜ちた矢先に手首をぐっと掴み、引き上げてくれるヒーローはほとんどの場合は見当たらない。地面に叩きつけられるにせよ、崖の途中で傷だらけになって留まるにせよ、見当が狂った末の顛末は悲惨なものです。決断することは本当に怖く、身を切られるようなことの繰り返しです。
 

  別な人間に命綱こそ委ねているにしても、ルートを選んで登攀を開始し、自分を信じて指先を伸ばし足を踏み込んでいくフリークライミングの諸相には、決断を余儀なくされる人生の孤闘を凝縮して提示するようなところがあり、僕は彼らの姿にとても興味を覚えて感動もし、また勇気付けられるようなところも確かにありました。


  競技用の大壁の裏には初心者や子供向けの体験エリアもあって、そこで指導を受けて2メートル程の壁によじ登ってもみました。一時期から比べたら体重は相当に減ったのだけれど、いやはやなんとも──。 でも、夢中になって何かで過ごす時間は気持ちや思考の淀みを整理するような気がしますね。気分はとても良かったです。ドンとマットレスに堕ちていくのもリセットされた気分で悪くない。いい機会と体験を本当にありがとうございました、
楽しかったよ。


  先日からの流れで、ずいぶんと“ひとり”ということを考えてしまっていますが、クライミングという競技にはそんな思案を伸びやかに加速させるものがありました。加えていま集中して読んでいる本たち(*1)の内容もいささか影響しているのでしょう。“ひとり”が“ひとりひとり”と向き合うことが、この僕たちの生きる世界の肝なんだな、“ひとり”と仲良くならないといけないな、なんて青臭いことを延々と反芻しているところです。


  なんだなんだ、結局変化なしかよ、淀んだままか。いえいえ、これでも少しは進歩したつもりでいますよ。ちょっとずつですが、なんとか僕なりに壁を登っています。


  季節の変わり目です。僕の周囲ではお葬式がずいぶんと多いです。逝くことも看取ることも、それは人生の四季の定め、自然の理である以上は粛々と受け止めていくだけですが、それでもどうか皆さん、体調の管理に留意して元気にお過ごしください。


  夜の町を歩くと大気の冷たさや枯草の臭いの混ざり具合が既に雪の季節のそれであり、ずいぶんと身近に冬を感じています。今年の雪は早いのかな。どうぞお気を付けて、ほんとうにどうぞ温かくして過ごしてください。


(*1):メモがわりに一部を──
「セックスはなぜ楽しいか」 ジャレド・ダイアモンド 草思社 1999
「テストステロン―愛と暴力のホルモン」ジェイムズ・M. ダブス/メアリー・G. ダブス 青土社 2001
「いじわるな遺伝子―SEX、お金、食べ物の誘惑に勝てないわけ」テリー バーナム/ ジェイ フェラン NHK出版 2002
「女は人生で三度、生まれ変わる 脳の変化でみる女の一生」 ローアン・ブリゼンディーン 草思社 2008

2009年10月28日水曜日

桃井かおり「オンナざかり」(1976)~「かあさーん」~




女学生だった私が、白いブリーツスカートひるがえし、

砂丘を汗して全速力で突っ走れなかったのは、ただテレたり、

恥しがったりしてみただけのことだったけれど、今頃になって、

スカートひるがえして海なんかを突っ走れば、「キャバレー・女学生」

のCMかなんかになっちまいそうです。もう取り返しがつかないナと

思うと、未練がつもります。でもそんな甘ったるい小娘時代に

さようならを言おうと思います。

 せめて、これからは赤い鼻緒の音たてて、七夕様や、お正月や、

お見合い(?)や七五三ってやつを、次々正しく行なうつもりです。

娘には、きちんと「かあさーん」とよばせ、力いっぱい赤みその

うまいみそ汁を作れるオンナに致したいと存じます。(*1)



  先の休日、お昼少し前のことです。ハードディスクに録り置いていた洋画(*2)を一人リビングで観ていたのでしたが、土壇場になって交わされた台詞の響きに、あれっ、と驚いてしまいました。12年程前に作られた映画です。緊迫し通しだった劇の終幕を静謐な雪の情景が飾っていきます。




  ひとりの女性が世の辛酸を嘗め尽くして後、故郷に帰り着きます。そんな彼女を諭し訴える男の声が胸にぐわんぐわん反響して、堰きとめていた気持ちが決壊していく。幼子を亡くし、いまは非情な夫が待つばかりの悲劇の主人公に対して、付かず離れず見守り続けた男が懸命に訴えます。「貴女は全くのひとりなのだから、もう戻るに及ばないだろう」。(*3)


  語学力は中学時分からてんで進歩しておらず、当時の成績もお粗末きわまる僕でありますから、またまた馬鹿な思い違い、恥の上塗りかもしれないのだけれど、男の発する“You're perfectly alone”という表現には二重三重に込められた響きがあって、僕の抱える未完成品の魂はざわつき、どよめいてしまったのです。





  “申し分ない孤独”という言葉尻には、あなたは馬鹿だなあ、“一人ぼっち”じゃないか、いい加減に目を醒ましなさいよ、と語気を強める意味合いは多分にあるのでしょうが、映画の演出はそれに留まっていないようなのでした。そこに自律、自足、独立といった積極的な気概を付与していたように感じ取ります。もちろん単なる金銭の問題ではなくって、世界に真向かう目線のいさぎよさ、覚悟という事が“perfectly”に“alone”なのだと受け止めたのですが、僕のいつもの暴想でしょうかね。


  さて、上の桃井かおりさんの文章は、先日の「氷の味噌汁」から遡ること17年前に書かれたものです。これを執筆されるほんの少し前には急病を患って、大きな手術も受けておられます。眼前に死を意識し続ける若い桃井さんのこの頃の文章は揺れに揺れてぐらぐらで、切迫した感じ、悲鳴めいて軋む感じがずいぶんと致します。もしかしたらコマーシャルフィルムの影響みたいな気もする訳ですが、その中に不意に“みそ汁”は出現するのです。そして、桃井さんの思いの力点はみそ汁とここでは同義語として並べられた「かあさーん」という所にどうやら置かれています。


  自己実現の在り様を探り続けようとあえて苦悶の道を歩み、素肌を大衆に晒すことも惜しまない女優桃井かおりの荒ぶる魂と、みそ汁の似合う家庭のおんなへと緊急避難すべく舵を反転するべきかと消沈する、傷つき病んだ二十歳過ぎのおんなの子の精神が左右からぶつかってせめぎ合っています。味噌汁を女性が取り上げた文章で、胸の奥がすっかり露わになる類いのものはとても少ないのですが、桃井さんのふたつの文章を並べて読めば、あらあら随分赤裸々に書いてみせたものだと感心しちゃうのです。そうしてこうして今も闘う桃井さんを更に思い描くとき、どうしても僕は先の“You're perfectly alone”という言葉を浮かべ重ねてしまうのです。


  何も特別に見える芸能人に限ったことではなくって、あまねく僕たちの身に連なるものだと周囲やおのれ自身をかえりみて思います。人生の理想を追い求めて歩んでいく道程で妻、母親という役柄を振られることを当たり前と信じて、女性たちは果敢に進軍していきます。僕たちの場合には夫であり父親という役柄になるわけですが、意識をひろく占めて生活の目的に据えられ、行動の基準とも当然なっていく。そして、現実と夢が交錯し、いつしか理想との乖離にうろたえ、思いもかけなかった段差に足をつまづかせて苦しんで行きます。


  自分は何者であるかを暗中模索し、さまざまな辛酸を嘗め尽くして辿り着く先に“perfectly”に“ alone”という自立した状況が来るのだと、それを怖れて回避しても始まらないし、成長のそれがひとつの頂きなのだと教えてくれている。そういう事かもしれませんね。


  もしかしたら人生はアスレチック用のプールなのでしょう。タプタプに充たされているのは青い水ではありません。得体の知れぬ味噌汁であり、視界の利かぬ混濁した黄色い水に懸命に泳ぐしかない。レーンは違えども桃井さんも僕たちも、ひとりひとり誰もが遠泳のただ中にある。白昼夢のようにしてそんな幻影をぼうっと脳裏に浮かべているところなのです。


(*1):「オンナざかり」 桃井かおり 1976  「しあわせづくり」大和書房 1977所載
(*2): The Portrait of a Lady 監督ジェーン・カンピオン 1997
(*3): 全文をウェブ上で見ることが可能。終幕のChapter55は次の頁にて。 http://www.readprint.com/chapter-6257/The-Portrait-of-a-Lady-Henry-James
I understand all about it: you're afraid to go back. You're perfectly alone; you don't  know where to turn. You can't turn anywhere; you know that perfectly.

2009年10月20日火曜日

桃井かおり「氷の味噌汁」(1993)~味噌汁なんか~



“男ってね”と、先輩はグラスを傾けながら

“男…なんてね?”と、ひとしきり話し終えると

“あんた、お味噌汁作れるの?”と、突然聞いたんだった。

“……味噌汁なんか……作れない、です。”

“あんた味噌汁も作れないで、これから女やろーっていうの?

ダメ!ダメ!作り方教えるからホラ覚えナ。“(中略)


“お椀に山もりにするんじゃないわょ!具はそうだナ…

うん、これくらい!わかった?”

 飲み屋のカウンターで、水割りのグラスに氷をガラガラ入れて、

“そうそう、こんなもんだね!”と一人納得していた。

“好きな男に味噌汁くらい飲ましてやりたくない?

ねェー飲ましてやろうよォ~”

 多分、あれがヤイコと口を利いた最初だ。あの頃私はどうにか

二十(はたち)で、彼女はまだ今の私なんかよりずーっと若かった。(*1)


 回想録や伝記映画などをひも解いてみても、女性は全身全霊を尽くして愛する相手(子どもを含む)との時間を捻出し、魂の新天地を守ろうとする生きものであるのが分かります。冷静沈着で計算高く想われるけれども、その内に秘めた熱情は男性を遥かにしのぎます。


 瀬戸内寂聴さんが新聞に連載されていた随筆(*2)が先日より再開され、美空ひばりさんの思い出に触れておられたのですが、そこでも女性らしい献身について書かれていました。江利チエミさんと雪村いづみさんが相次いで結婚され、焦る気持ちから時の人気スターと結婚した顛末が語られているのですが、「徹底的に尽くしましたよ」というひばりさんの言葉に継いで、次のように寂聴さんはおんなの想いを補っています。


 天下のひばりが、小林旭のために、自分で味噌汁を造り、

 靴下まで、穿かせたという。



 家事と育児といった日常のことも全て含めて「徹底的に尽くしていく」。自分の為に費やす時間は細切れになり、日によっては全然無かったりもしますよね。仕事で席を並べる女性を見ていると、早朝から深夜まで全力投球であるのがよく分かりますし、単身で仕事と育児をこなすひとに対しては、ただただ平伏するばかりです。


 家事の諸相は待ったナシで、なおかつ多角的で複雑です。同時にそれを行なうことを可能とするのは女性特有の脳の作りと、エストロゲンを主体とするホルモンの影響であると示唆する科学者もいます。いずれにしてもわたしたち男にはこらえ切れそうにない大量の雑事を、ほんとうにてきぱきと切り抜けていき見事としか言いようがありません。下支えする熱情に天賦の才が組み合わさった化学反応が家事の核心であって、実はなかなかにスゴイことなんですね。扉の陰でひっそりとではあります百花繚乱に咲き誇っている、女性はやはりそんな花なのだと思います。


 そのような忙しい毎日の狭間においては、味噌汁というメニュー単体に対してスポットライトを浴びせて精神的な何事かを託そうとする方が土台無理な話です。ですから、味噌汁に対しての色めく言葉は男から発せられることが自然多くなるのであるし、その延長で男性の本能や官能をあぶり出す場面も増えてくるのでしょう。


 かくして男たちの味噌汁幻想は文壇やフィルムの上にて純粋培養され、肥大化し、妖しげな様相を帯びていきます。親元を旅立つ間際まで呑まされ続けてきた味噌汁を“おふくろの味”と称して神聖化していく様は、乳房を遂に離しそこねた巨大な赤子を連想させるのですがそれは僕の言い過ぎでしょうか。興味深いのは、そんな奇態な男たちを今度は若々しいおんなたちが母親から引き継ぎ、自らの胸に抱き止めるという図式なんですね。愛した弱みなのか、それとも愛された悦びなのか知りませんが、おんなたちは「徹底的に尽くして」味噌汁を造っていくのです。


 上に掲げた桃井かおりさんの短篇なんか、よくよく冷静に考えてみればかなり不思議でヘンテコな展開じゃないですか。味噌汁を作れることが妻や主婦、おんなの必須条件なのよと酒の肴に取り上げられていますが、カウンターで真向かういいおんな二人はそれを肯定しているような、斜め目線のような、どっち付かずの感じで語っています。どうやら実際に交わされた会話らしいのだけれど、書き手である桃井さんには聞き流せない、妙な引っ掛かりが残響したのじゃないのかな。


 グラスをお椀に見立てて、ロックアイスで急ごしらえされた幻影の味噌汁。紫煙漂う闇のなかで、スポットライトを乱反射させながら白く浮かんでいます。とても洒落た感じもするけれど、おんなたちのしたたかさとずっしりした胆力を如実に表わしているようで、そこだけなんだか、とても怖いような気もいたします。


(*1):「氷の味噌汁」 桃井かおり 1993  「まどわく」 集英社 2002所載
(*2):「奇縁まんだら」107回(10月18日) 瀬戸内寂聴 日本経済新聞日曜版で連載

2009年10月19日月曜日

デゴマス「ミソスープ」(2006)~手を繋いだままで~





ミソスープ思い出す どんなに辛い時も

迷子にならないように

手を繋いだままで ずっとそばにいた

母の笑顔を


都会の速さに 疲れた時は

いつもここに いるから 帰っておいで


ミソスープ作る手は 優しさに溢れてた

大きくない僕だから

寒くしないように 温めてくれた

母の優しさ 会いたくなるね(*1)


  ある作家に関して綴ったものに対し、君は意外とマッチョなんだね、そう感想を返されたことがあります。誉め言葉であろうはずは当然なくって、偏狭さや意固地なところ、称賛も含めての過剰な性差別、排他的な部分や場当たり主義といった気質を行間から嗅ぎ取って、親切心から遠回しに忠告してくれたのでしょう。言われるまではそんな意識はさらさらなかったので、それだけに彼の石つぶては効きました。当たったところは今でもチクチクしています。


  彼は料理が上手です。家事全般を軽やかに日々こなしていて、時おり創意を凝らした献立にも挑みます。上手くいった場合にはレシピをブログに公開したりするのですが、それを読むと彼の繊細な手付きや安定した身のこなしが目に浮かんでくる。ぼわぼわと髭など蓄えて容姿は怖いのだけれど、なおやかという形容がぴたりと板に付いて見えます。


  味噌や醤油の記述なり描写を探し、けれども献立やレシピはそっくり迂回しては意味深な部分のみを並べていく。こっそり作為を忍ばせたこのミソ・ミソを彼が目にしたものならば、再度お灸をすえられそうです。君ねえ、料理は料理でしょう、味と香りと栄養でしょう、計算と技術でしょう、静かな習慣でしょう、その実相をまるで捨て置いて奇妙なところばかり陳列してオカシイよ、本末転倒でしょ。


  でもねえ、先輩、献立やレシピの形態を取らない味噌や醤油の記述には、送り手の偏向した精神構造がいくらか背景として関わる気がします。全てとは言えないけれども、一部には感じ取れるのは本当のことなんですよ。


  例えば、上記の歌は今から三年程前に発表されたものです。メーカーとのタイアップが背景にあるらしくって、ならば自然に湧き上がったものではないかもしれない。歌い手の真意に基づくものかどうかの判断は難しい訳なのですが、まあ、その辺りは何を言っては始まらないから、ちょっと置いておきますが、これを最初に聴いた時の違和感を僕は忘れることが出来ないのです。


  田舎から出て都会暮らしを始めた男の子が郷里を懐かしみ、味噌汁の香りを懐かしく振り返るストーリーです。似たような成長の過程を経て僕も大きくなったつもりですが、そんな絵に描いたような感傷を抱いたことはなかった。どうも僕にはしっくり来ないのです。当時からずいぶんと年数が経っていますから、現代の、2000年代の食生活事情をそこに加味してみれば尚更に成り立ちにくいイメージを抱きます。


  この歌からちょうど四半世紀先行して、もうひとつのミソスープの歌が日本には流れていました。千昌夫さんによる「味噌汁の詩」です。正直に言えば、僕はこのかなり泥臭い歌を聞くたびに何とも不快な気持ちを抱きましたね。どうにかしてこのミソ・ミソで取り上げないで済まないものか、そうたくらんでもきたのです。ちょっと抵抗感がありますが話の流れです、書き写してみましょう。




しばれるねえ。冬は寒いから味噌汁が

うまいんだよね。

うまい味噌汁、あったかい味噌汁、

これがおふくろの味なんだねぇ。


あの人この人 大臣だって

みんないるのさ おふくろが

いつか大人になった時

なぜかえらそな顔するが

あつい味噌汁飲む度に

思い出すのさ おふくろを

忘れちゃならねえ 男意気(*2)


  ふたつの歌詞を読み比べてみるとその間に何が起きてきたのか、薄っすらと浮かび上がるものがあります。“冬の寒さ”は“「年末には帰ってくるの」”と問われた2006年にもあったでしょうが、独身用の居住環境は劇的な改善が為されており、“しばれる”ほどではなくなりました。若者の郷里でも事情は同じです。見違えるように住宅は変貌を遂げており、炊事場はもはや台所とは呼びにくいお洒落なかたちになっている。だから、“キッチン”から母親は丸い顔を覗かせています。“ディナー”を買い求める若者には“ポタージュ”は日常食でしかなく、“一人の夜にも慣れた”身体は“なんか疲れて、ちょっと淋しい”のだけれども“あせり”はなくって、異性の友人を求めすがる独り身ののたうつような烈しい衝動は影を潜めています。


  味噌汁と日本人を結び付けようとする動きが、かつての歌には見受けられました。狭く意固地で排他的であり、なお且つ過剰な性差別が台詞に加味されてもいて、実にマッチョな仕上がりになっていた訳でしたが、その筋骨隆々とした部分が削げ落ちてスリムになったような、ずいぶんと植物的な印象をデゴマスさんの歌から僕は受けています。


  若い男たちは変わったのでしょうか。長い年月のなかで“ふんどし”からパンツに履き替え、ブロンド女性を血まなこになって追い求めていたテストステロン供給過剰の狼めいた男から紳士然とした大人の男に成長を遂げたのでしょうか。味噌汁はその若々しい胸板の奥で静かな郷愁を湛えながら、おごそかな面持ちで白い湯気を立てているのでしょうか。


  ふたつの歌の共通項として、母親だけが重苦しく残されています。男たちのこころに潜むのは家族でも山河でも、校舎でも、グラウンドでもない。初恋の相手でもなく、現実のおんなでもない。味噌汁と母親との連結は解かれることなく、立ち位置を変えることなく在り続けている。“どんなに辛い時も迷子にならないように手を繋いだままで ずっとそばにいてくれる”そんな“おふくろさんのふところを、いつも夢みて”いる男の想いが味噌汁をレンズとして光軸を結んでいくのですが、それは果たして成熟と呼べるものなのか。


  大衆の夢が歌に結実するのか、歌が大衆を先導するのか分かりませんが、空恐ろしい思念の流れが僕たちを取り巻いているのを感じてしまうのです。日本人のなかに宿るものが粘り腰を見せて味噌汁にまとわりつき、離れようとしません。


  味噌汁に固着した日本人の想いはマッチョとは幾分違うかもしれません。海を隔てて住む人たちの目には退嬰的に映りそうですね。僕自身が偏屈である前に味噌汁が、それそのものではなくって内側にそっと沈めたものが十二分にグロテスクであり、昏く濁っているのです。


(*1):ミソスープ デゴマス 作詞 ZOPP/作曲 Shusui、Stefan Aberg 2006
(*2):味噌汁の詩 千昌夫  作詞/作曲 中山大三郎  1980

2009年10月16日金曜日

Index(作者名 随時更新)



(共著については筆頭者の名前にて)

【あ】

カーター、アンジェラ Carter,Angela(花火 九つの冒瀆的な物語 FIREWORKS)
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芥川龍之介(葱(ねぎ))
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庵野秀明(ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破)
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【さ】

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【た】

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【な】

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吉村龍一(焰火(ほむらび))
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吉行淳之介(怖ろしい場所)
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吉行淳之介(葡萄酒とみそ汁)
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米林宏昌(借りぐらしのアリエッティ)
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【ら】

ラッセル、ケン Russell,Ken(狂えるメサイア)
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里羅琴音・Berry Star(銀のケルベロス)
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【わ】

和田竜(醤油 北条氏康に無茶苦茶怒られる)
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2009年10月15日木曜日

「厨房で逢いましょう」(2006)~恋文としてのレシピ~ 



 食と恋愛を連結させて描いたドイツの劇映画(*1)がありました。容貌に恵まれない孤高の天才シェフと障害のある子供を持った既婚女性とが出会い、料理を通じて魂を重ねていく現代のおとぎ話です。それでも妙なリアリティを薫り放って、こういう世界も何処かには実際あるのだろうなと思わせる力がありました。


 食への執着は色事や恋愛と同じく人を恍惚と充足感に導きますが、その快楽の虜になった者を右に左に翻弄し稀に破壊することさえあって、この点でも一致するものがあります。摂食障害、内臓疾患、浪費、孤食と狂宴、そんな食にまつわる様々な表情はほんの少しずつ違うけれど、渦巻き燃え上がる恋情の裏に潜んでいる暗い影の部分にそっくりです。


 いつぞや読んだ生理学の本によれば人間の口蓋、舌をろろと巻いた先端が触れる上あごのツルツルぬるぬるした辺りの組織は、性愛に関わるデリケートな身体部分と極めて似た構造になっているとのことです。なにか物が触れた際に脳に送り込まれる信号も、それが素でパッと花開く快感も似たものだそうですからとても不思議な話です。休日ともなると唇がなにか淋しくなって、ついつい間食してしまう癖が僕にはありますけれど、そんなよろめきの理由が上下に位置こそ隔てられていますが、共通する細胞の仕組みからもちょっと窺えるわけです。


 神様の仕事は実に巧妙で抜かりがない。生命活動を維持し繁殖に導くためにとても上手にエスコートしていきます。食と恋とはだから双子の天使であって、常に僕たちの周りを羽ばたいているのですね。もしかしたら地球から遠く離れた異性人からすれば、僕たちの食べる行為も愛し合う行為も同じものに見えているかもしれません。
  

 ふたつの欲望は雌雄異花同株の仲であり、また、二股に分かれ蛇行していく川のようなものなのでしょう。上に掲げた映画で起きた至福の時間のように結実したり再び交差し合流することも、だから当然現実世界に有り得るのでしょう。



 だったら、僕がこのミソ・ミソで意識的に回避してきた文章、つまり純粋なる料理の献立として書かれたものやレシピのようなものにだって、そこに官能を強く嗅ぎ取るひとはいるかもしれません。理屈ではそうなりますよね。

 ──ダシ汁少々(椎茸が浸るくらい)砂糖小匙1、醤油小匙1。味噌を合わせて味醂と砂糖を入れてダシ少しを入れて溶いておく。一人用土鍋にダシ400ccを入れて合わせた味噌を入れる。鶏肉を加えて煮込む。火が通ったら生うどん140gをそのまま入れる。中火で6分から7分程度煮込む。煮えてきたら他の具材を載せて玉子を割りいれて蓋をする。1分ほどそのまま火にかけて蓋をとり供する。食べるところまで蓋をして持っていけばグツグツに煮えた状態で届けることができる。熱いので取り皿とれんげを添えると良い。具材は他に蒲鉾やわかめや各種きのこ類も合う。また豚のばら肉なども美味しい(* 2)

 ──というような文字の羅列にさえ、中世の恋人たちの燃え立つ想いや慟哭を秘めた恋文に似た劇的なものを見取るひとがいても可笑しくはない。鈍感な僕には感知できないだけであって、「キューピー3分クッキング」や「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」にねっとりと濡れた瞳を向けるひとがいるのかもしれない。



 そうして見るのならば、僕がここミソ・ミソでやっている事はいかにも片手落ちの断章取義となりますね。日常の陰に埋もれて見える味噌や醤油。何とはなしに彼らの境遇を捨て置くには忍びなくて、舞台袖から無理に手を引き壇の中央に導こうとする訳なのだけれど、それは余計なお節介、身勝手な横恋慕なのかもしれません。


 実際のところ味噌たち醤油たちは、日夜身を熱く焦がしながら暮らしています。指先に付けばその指を甘く柔らかな唇へと難なく誘いこみ、存分に舌にて吸われ舐められてもいく。僕たちよりもずっと充足している毎日じゃあないか、僕なんかより余程世界をひとを歓ばせ、彼ら自身だってその短き一生をあけすけに、悠々と愉しんでいるじゃあないか。




 おいおいおい、馬鹿だなあ、味噌、醤油に本気で嫉妬してどうするんだよ、

 しょうがないなあ。


(*1): EDEN  監督ミヒャエル・ホーフマン 2006
独語HP http://eden.pandorafilm.de/index.php
(*2):味噌煮込みうどんの作り方 引用先は下記の頁 http://allabout.co.jp/gourmet/udon/closeup/CU20070419A/

2009年10月11日日曜日

向田邦子「寺内貫太郎一家」(1975)~気がたかぶっている~


「今から考えると、強情をはらないで卒業しときゃよかったな、って

思うんです。なんて言っても仕方ないですよね」

 ミヨ子は、フフフとせいいっぱい明るく笑った。

「高校中退なんてミミっちくていやだから、中卒って書いたんです」

「クヨクヨすることないわよ、ミヨちゃん。五体満足なんだもの、平気平気」

 静江は立って、左足を引きながら、父のデスクの前に行き、書類を差し出した。

貫太郎は印を押してやりながら──二人の娘の言葉が胸に痛かった。


 昼食の味噌汁をよそいながら、ミヨ子は自分の手がかすかに震えているのに

気がついた。さっきから、一人になって泣きたかった。しかし、その閑(ひま)も

なく、お昼になってしまった。気がたかぶっている。粗相をしないように……

気をつけて、お椀をみんなの前に置いた。(*1)


 中国文学者で作家でもあられる中野美代子(なかのみよこ)さんは、ご自身の著書(*2)のなかで“褻視(せっし)”という造語を用いておられます。猥褻のセツに視ると書きます。デフォルメした秘所を肥大化して見せる、と言うよりも細部を凝視してありのままに写し取り、丁寧に画面に組み込んでいく絵が日本の春画においては頻繁に登場するわけですが、その、息を潜めて虫眼鏡か何かで観察するような視線はそんな言葉のほかに言い様がないと仰られているのです。


 日本人の性愛嗜好には“voyeurism=窃視(せっし)”以上に、執拗なクローズアップ、つまりはこの褻視がただならぬ位置を占めているのだという指摘は、ナルホド否定し難いところがあります。ウェブにより世界中に発せられるその手の戯画や映像をうかがっても、僕たちの国のものは幾らかその傾向をとどめて見えます。


 話がおかしな方向に流れて見えるかもしれませんが、味噌や醤油の文学や創作との関わりを僕なりにこうして探っていくなかで、この“褻視”という言葉がぼんやり明滅して止まないところがあるのです。味噌汁なら味噌汁に、単におかずという事象をはるかに越えた官能や情動を刷り込んでいく瞬間には、なんとなく時空が静止したようなところがあって、春画を眼前にするのとどこか似た眩暈を覚えてしまうのです。


 褻視の“褻”は単体ではまるで淫靡なものを表わしてはいないのは承知の通りです。日常のこと、ハレとケで言う“ケ”である訳ですから、そういった語意を重ねてみれば尚更納得するものが出てくるんですね。日常に点在するあらゆる事象をすくい取り、秘所に似た温かみと発色を託していく感じが致します。


 向田邦子(むこうだくにこ)さんの初期の作品であるこの「寺内貫太郎一家」は、本来テレビドラマの台本として出立したものであって、上記の“悲しい味噌汁”が現われたのは幾らか遅れてそれをノベライズしたものの中でした。僕にはこのわずかな表記が単なる偶然とは思えないのです。



  振り返れば彼女の作品はきわめて褻視的でありました。大抵は見逃してしまいがちな事象を拡大して、劇中の人たちと共に僕たちも等しく騒然とさせるのが常でした。往来を肩を並べて歩きながら、おとこの指でもっておんなの唇へと押し込まれていく甘栗であったり(*3)、代官山のアパート前でコンクリートのたたきに砕けてじゅるじゅると流れ続ける生卵であったり(*4)、実に印象深いクローズアップが度々為されており、いずれも重い色香が立ち込めていました。


 食べ物と僕たちの身体の一部がそこでは確実に連想を固く結んで、ずいぶん烈しく臭って悩まされたものです。後にアマゾンの大河を味噌汁に変えてみせた向田さんでしたが、あれも思えば極めて春画的な、それも大陸規模の秘所のクローズアップでもあったわけですね。


 谷崎潤一郎さんや高野文子さん、石井隆さんなんかもそうですね。いずれも恋愛や性愛の機微を見事に綾織ってみせる職人たちで、通底するものもあります。決して偶然でもなければ、思い込みでもない。彼らは創作世界における血族であって、暗く湿った土壌で結び交える地下茎には血液や体液に加えて、ほんの少しだけ味噌汁が流れているように僕は感じ取っています。




 さてさて、世は三連休と言われていますが皆さんいかがお過ごしですか。なにがしかの仕事なりを、はたまた単身で諸事情を抱えて闘っておられる人たちに対して、似た身の上としてエールを送らせていただきます。頑張りましょう。


 寒さが肌を刺してきました。胸中に巣食う龍がいささか煩悶に耐えられず雄叫びをあげてしまう、そんな季節の変わり目ではありますが、頑張るしかありません。頑張りましょう。


(*1): 「寺内貫太郎一家」 向田邦子 サンケイ出版 1975
(*2):「肉麻(ろうまあ)図譜――中国春画論序説」中野美代子 作品社 2001
(*3):「隣りの女」 TBSテレビ 1981放映 新潮文庫版にシナリオ収録
(*4):「阿修羅のごとく」 NHKテレビ 1979-80放映 新潮文庫版にシナリオ収録


2009年10月8日木曜日

高野文子「美しい町」(1987)~ふーっ~



井出「塚田くん そうだ」

ノブオ「…」

井出「名簿 明日くれたまえ こっちもなにかと忙しくってね」

  ふたりのやりとりが室内のサナエの耳にも届く。

サナエ、ノブオ「(心の中で)えーっ、井出君、そんなの無理ですよぉ」


ノブオ「(感情をころして)いいですよ」

  井出、戸を乱暴に閉めて自室へ入る。

  ノブオも自室に入ると、サナエはそっと台所に立って行き、

サナエ「ちょうど良かった 今、できたとこ」

  鍋つかみを両の手にかけると味噌汁の鍋を持って卓袱台へと引き返す。

  テレビのスイッチを点け、炊飯器から茶碗にご飯を盛る。

テレビの声「秋の国体にそなえて市内はいまや大忙し 

      急ピッチでアスファルト化が進んでいます」

サナエ「わあ 大変だあ」

  廊下の向うの扉が再び開き、井出が聞き耳を立て始める。

サナエ「いただきます」

ノブオ「いただきます」

サナエ「駅前も舗装になるんでしょうね きっと 

     ぬかるんで大変だったもの」

  井出、執念深く耳をそばだてている。

  井出の部屋の内部に飾られていた風鈴が揺れる。


サナエ「これで雨の日も安心」

  井出、するりと扉の影に入る。

サナエ「(味噌汁の椀を吹いて)ふーっ」

  サナエは味噌汁の黒い椀を、ノブオは陶器の茶碗からご飯を、

  互に口元まで寄せながら黙々と食べている。

ノブオ、すいと目線を上げる。

ノブオ「………」

サナエ「思いつきでいじわるを言っているのよ」

ノブオ「いいんだ 何も考えずにやってしまうんだ」(*1)


 夫婦間の“沈黙”を辛辣に描いた「いつも二人で」という映画(*2)がありました。愛情も思念もすっかりすれ違いを起こしてしまい、レストランで押し黙って向き合っている悲愴なカップルが幾組も登場します。高野文子(たかのふみこ)さんの「美しい町」を読みながら、ふとそれを思い出しました。



 もちろん両者の内実は天と地ほども違っています。映画のそれは本質をなおざりにした男女の末路を象徴していたのに対し、漫画のなかの沈黙はむしろ同調した呼吸のなせるもので、建設的な気配さえ宿していました。とても対照的です。


 大きな工場が小高い山の麓にあります。そこに働く工員の家族のほとんどが隣接した団地に肩を寄せ合うようにして暮らしています。ノブオさんとサナエさんの若い夫婦の住まう棟もすべて会社の関係者で埋まっており、しがらみがふたりを包んで締め付けています。そういった環境も背中を押すものでしょう、休日ともなるとふたりは喧騒を避けて山に登り、そこで昼ごはんをしたりして過すのですが、穏やかな沈黙がそこでは描かれていました。


 気持ちはよく分かりますね。狭い会社の寮に住んでいた若い頃は、休日前ともなると当て所なく電車を乗り継いでは見知らぬ町の安宿に潜り込んだものです。そうしないと気持ちが挫けそうだったのです。立川だったかな、駅前で飛び込んだ旅館では二十畳の宴会場しか空いていないと言われて、そこに独り寝かされたりしました。考えてみれば不思議なことをしていましたね、ハハハ。


 映画と漫画、かなり色彩は異なりますが、どちらも逃げることなく真摯に“沈黙”を捉えています。これから愛を語り家庭を築いていくだろう若い人には、是が非でも観て、じっくりと学んでもらいたい作品ですね。フィクションを作り物、絵空事と単純に見てはいけません、存外ほんとうのことが描かれているものです。人生の先達が若いひとたちに熱心に、真剣に警句を発している、そういうモノが世には溢れているわけで軽んじてはいけないのです。


 さて、最上段に掲げた「美しい町」の場面はとても興味深い一瞬が含まれておりました。向かいの部屋に住む井出という男は退屈しのぎに同僚の私生活に介入する困り者なのですが、その邪まな愉しみに組しないノブオさん夫婦に腹を立て、以前頼んでいた労働組合の資料を直ぐにも用意するように無理強いして来ます。波風を立てることを好まないノブオさんは承諾し、サナエさんと共に徹夜しての資料作りに当たることになります。


 僕が感心してしまったのは若い夫婦の静かな闘いぶりが、実に巧みに表現されていることです。聞き耳を立てる隣人の気配が風鈴の動きでそれとなく示されていて、これも大いに唸らされるわけですが、内心はうんざりしているふたりが露骨に声を圧し殺して内緒話に走るのではなく、言葉を慎重に選び、所作を穏やかに抑制していくのです。その健気さに驚かされるのですね。


 茶碗を口元に寄せる食事のスタイルは極めて日本らしいかたちな訳ですが、これがギリギリの自然さで取り込まれている。もしも献立が洋食であったのならば、途切れた会話は不自然なものとなってしまうでしょう。映画の夫婦のような惨めな、しこりのある沈黙を想起させもし、主人公たちの胸中はもしかしたら暗い雲が渦巻いてしまうでしょう。


 いくらか長い時間口元を覆い尽くし、視線を落として椀に気持ちを集中させ、一家の団欒を代表する時間でありながらも角の立たない沈黙を産み落としていく。和食料理ならではの繊細な所作がここでは巧みに取り入れられて、彼らの苦衷を救い、穏やかな気風を守っているのです。高野文子さんの観察力、洞察力、応用力が見事発揮され、存分に花ひらいた瞬間ですね。


 ご飯も含めた描写ですから純粋に味噌汁が取り上げられているのではないのですけれど、それでも特筆すべき味噌汁が此処にはあり、日本人らしい美しき沈黙があって、ついつい紹介したくなりました。


(*1): 「美しい町」 高野文子 1987 「棒がいっぽん」マガジンハウス 1995 所載
(*2): TWO FOR THE ROAD  監督スタンリー・ドーネン 1967


高野文子「奥村さんのお茄子」(1994)~そうお?変じゃないかしら~



遠久田「ここなんですよね、このパクッていうかんじんのとこが

     見えないんですよ、弁当にかくれて」

奥村「そうね」

遠久田「おしいなぁ ここさえ映ってればなぁ」

奥村「かっこんで食べるのが好きなの」

遠久田「(顔を伏して)……」

奥村「なんだい どうした」

遠久田「お弁当のフタに先輩が」

奥村「あら ほんとだ 机の上の醤油さしが映ってやがら 

    俺、礼言わなきゃいけないのかな」

遠久田「……」(*1)


 地球侵略を企てているらしい外宇宙の住人がおります。柄に似合わず結構野蛮なヤカラです。地固めに人間の食生活をひそかに調べている最中で、実験的な投薬を行なって我々の反応をちらちら窺ってもいる。五年、十年を経てようやく症状が現われ、その後、死に至る時限式有毒物質を含んだ食品なんかを熱心に開発しては、こっそり僕たちの食卓に忍ばせたりするのです。ひゃ~~キョウアク!


 地球の日常風景に馴染むように丹念な“整形”を行なってから彼らは来訪するのですが、 “先輩”と呼ばれる調査員はナント、ガラス製卓上ビン、いわゆる“醤油差し”の姿に変身したのでした。すてきですよ、と同族に誉められて「そうお?変じゃないかしら」と照れる醤油差しが珍妙です。


 ですから、ここでは醤油そのものを小道具に使っている訳ではありません。けれども、ちょっと気になりませんか。ほとんど創作上で取り上げられることがない醤油容器に対し、人格が賦与され、いっぱしに喋っているのです。人家にするりと忍び込み、僕たちに毒を盛り、ごくりごくりと嚥下されていく様子を盗撮までしていく。変ですよねえ。


 その先輩が二十五年前に行なった実験のデータに対し、疑問が投げ掛けられたことに物語は端を発しています。療養中でふせっている先輩の立場と信用を何としても守らなければいけない。後輩の宇宙人が事実の確認と検証の為に当時被験者となった奥村フクオさんと接触し、周辺捜査を開始するのです。



 まあ、他愛もない話と言えば、これほどにも他愛ないお話はない訳です。町の小さな電気店を営む奥村さんに、他愛もない装いをした宇宙人が他愛もない道具を開陳しながら探りを入れていく様子はどうしようもなくアンニュイな空気をもたらします。高野文子(たかのふみこ)さんの作品にしてはヒネリ過ぎじゃないか、奇抜過ぎないかと首を傾げる展開です。


  あれよあれよと進行するうちに、他愛もない時間が延々と掘り起こされ、他愛もない動作があざやかに回想され、他愛もない感情が徐々に浮き彫りにされていきます。そうするうちに、あっ、そうか、そういうことかと頷かされるのですね。日常のとても儚い一瞬一瞬が後輩の宇宙人によって根気よく探査され、奥村さんと僕たち読者の眼前にどんどん拡大されて映じられるうちに、それってとても大事な、かけがえのないことの集積なのだと気が付かされる。


  いつの間にかお話の筋などどうでも良くなってしまって、物語が僕たち読者の内部に割り入って来る感覚があります。可笑しさと哀しさと愛おしさが、各々細い糸に結わえられて繋がっている感じがします。僕たちが気付かないだけで、そのような糸が何本も何十本も、いや何千本も日常にぴんと張り巡らされている。今、目の前に転がっている目玉クリップも栄養ドリンクの空いたビンも、五分遅れたままの卓上時計も積み重なった新聞紙の束も、それから僕の前に現われてくれた人たちと彼らと共に為し得たひとつひとつの情景が、どれもこれも意味深く大切なものだったのだと感じられたりするのです。


 なにか自分自身を組み立て直してくれる、そんな読了感が高野さんの作品には独特にあって清々しい気分にいつもさせられる訳なのですが、こうして「奥村さんのお茄子」を丁寧に読み返してみるならば、やはり唸らせられるコマばかりが並んでいるのだし、なるほど醤油差しか、言われてみればこれほど目立たず、他愛もなさでは人後に落ちず、けれど、こいつは僕たちの表情を、喜怒哀楽のすべてをずっと見上げてくれていたのだなと感慨深く思えてくる。随分と綿密な考えのもとに登用されたのかもしれないな、そうかそうか、と思い直して、作者の才気にもやっぱり惚れ直して、にこにこ微笑んでしまう午後なわけです。



 台風が通り過ぎ、日常は隙間なく繋がっていきます。皆さん、ご無事でしたか。増水している場所もあるでしょう。足元に気を付けて、元気に愛しい時間をお過ごしください。

(*1): 「奥村さんのお茄子」 高野文子 1994 「棒がいっぽん」マガジンハウス 1995 所載

2009年10月5日月曜日

吉田健一「東京の昔」(1979)~美しい現在~



 併しそれでかういふ朝帰りの車の中での寒さが冬の朝の気分を

助けたといふこともある。それは雀の鳴き声地面に降りてゐる霜と

同じでさうした外から締め出されていない車の中にも朝があつた。

従つてそれはそのまま熱い番茶だとか味噌汁だとかトーストだとか

に繋がつた。又これを延長すればおでんに焼き芋に火鉢に起つた

炭火があり、この寒さがあつて當時の洋館の温水暖房も爐に燃え

盛る薪の火もそれはそれなりに冬を感じさせた。(*1)


 味噌と醤油に関する数多くある記述の中から、どうもめそめそした部分ばかりを選んで情緒的な方向へと誘導しているのじゃないの───そう見る向きもあるやもしれません。確かにここに掲載するにあたって僕の内部で選別は為されています。


 実際、日々の献立や生活の実相をずらり並列して開陳していく、そんな文章や映像は多々あるわけです。それ等の中では味噌(または味噌汁)にしても醤油にしても、すっかりこまごまとした諸相に埋もれて精彩を欠いてしまう。味噌、醤油という文字を刻んでいるけれども、世の中の文章のおよそ半分かそれ以上はそういったものなのであって、それをいちいち書き並べていたらキリはありません。



 たとえば、上に掲げたのは吉田健一(よしだけんいち)さんの随筆から写したものです。知人の書いたものの中に吉田さんの名前を認め、あら、読んだことないぞと興味を覚えました。この週末に図書館に足を運んで、いずれも閉架に眠っていた六冊ばかりを引っ張り出して来てもらったのでしたが、ざっと読んだに過ぎないけれど、政治から酒席、妄念から生活の領域までの多種多彩な吉田さんの記憶の果実を陶製の重い大皿に盛り付けられたような印象がありますね。加えて別の新たな果実を次々と給仕によって脇から添えられていく感じがして、ちょっと膨満した気分で今はおります。


 少し特殊な吉田さんの文体ではありますが、どうですか、いずれも同等な扱いになっているでしょう。雀、霜、車、朝、寒気、番茶、トースト、焼き芋。列を連ねて、するすると走馬灯のように行き過ぎてしまう。


 同じく吉田さんの文章から二個所ほど写させてもらいましょう。


 朝の食事だけを取って見ても、日本式のならば、おこぜの味噌汁に

とろろ、豆腐を揚げたのに塩昆布、それから烏賊の黑作りを少しばかり

という風な献立が考えられるし、洋食ならば、パンをよく焼いてバタを

よく附けた上に半熟の卵を乗せ、これにベーコンをフライパンで焼いて

添える。ベーコンの焼ける匂いというのは強烈なもので、そこら中が

お蔭で芳しくなり、そうするとどうしても飲みものはコーヒーということ

になる。腹が減っている時は嗅覚も鋭敏になるから、このベーコンと

コーヒーの匂いが混じつたのは、それだけでも気を遠くさせるものがある。(*2)



 かういふものを二部屋に分けて作るのでは手間が掛ると思つて初めの

時にこつちがおしま婆さんを部屋に呼んだやうに覚えてゐる。それでゐて

さういふ時に大して話をするのでもなかつた。ただ二人の間に昆布を引いた

土鍋があつて中に豆腐と鱈が沈み、それを掬っては薬味を利かせた醤油を

付けて食べるだけでそれが湯気を立ててゐるのが旨かつたから話をする

必要もなかつた。(*1)


 こういった文章のなかの醤油や味噌をあげつらったところで、あまり作為や深いものは見出せそうにありません。だから僕はこういったするするの走馬灯は取り上げていないのです。今回は特別篇という訳です。こういうのも有る、ということですね。

 そうして、変でしょう、これは、何かこだわってますよね、という描写のみを抜き出していく。それは味噌や醤油を効果的な小道具として差配する気持ちが送り手にあるのかどうか、言わば作為のスイッチのオンオフに関する区分となります。


 もっとも彼ら小説家や監督といった送り手の思惑や意図にまでは、現段階で線引きはしていません。どのような光を舞台に照射するのか、深海や碧空に似た冷たい光なのか、それとも血や熱砂を想わす鉄錆色のものなのかを見定めたうえで、こっちの系統だけを上手く束ねていこうと取捨選択している訳ではない。此処“ミソ・ミソ”を読むひとが何かしらニヒリズムや孤高の昏い薫りを感じ取られることがあるのなら、その戸惑いは僕が意図し導いたものでないどころか、僕自身も同様にして不思議と驚きを感じている最中なのです。そのあえかな旋律の全貌がどんなものなのか、どこから洩れ出て来るのかを気になって探っているところなのです。




(*1):「東京の昔」 吉田健一 中央公論社 1979
(*2):「再び食べものに就て」 吉田健一 1957  「甘酸っぱい味」新潮社 1957 所載

2009年9月30日水曜日

遺された手~日常のこと~



  一時間ちょっとの余裕があったので、即身仏を安置するという寺院を目指しました。橋のたもとで地元のおばさんに会ったので窓を開けて道を尋ねてみると、昔はよく歩いて行ったものだよと笑いながらの返事です。なかなかどうして、ずいぶんと急な道を延々と登り切った果ての集落の外れに寺はあって、車で来たのはどう考えても正解でした。ここを往復していたのかと想像すると、土地の人たちの健脚には頭が下がります。

  さて、目当てのお堂には人の気配がまるでなく、予約なしの拝観は受け付けない旨を書いた張り紙が一枚入口に貼ってあるのでした。う~ん、残念。又の機会と早々に諦めて、来る途中に看板があった古刹に寄って帰ろうと思い立ちました。






  狭い石段を登る途中に緑色をしたマイクロバスが一台止まっているのが木立の向こうに見え、団体客の騒々しさを脳裏に描いて一気に興が冷めてしまったのでしたが、実は彼らは県の博物館の主催する学術ツアーの一行だったのです。予想外の展開になってきました。

  普段は堅く扉を閉めていて、巡礼の者とて格子戸越しに外から拝むしかない堂の内部なのですが、あたふた出入りする人の動きが盛んにあるのです。これを幸いと僕も御堂の内部に潜り込んでみました。






  電線とて来ていない辺鄙な山ふところにあって、堂の内部は昏くって、説明を行なう学芸員さんが持つ懐中電灯の光の輪があちらこちらと陽炎のように浮遊して怖い雰囲気を煽ります。相当ひりひりする感じの空間です。


 格子戸の向こうから僅かに射し込む柔らかい陽光に救われます。突然の闖入者に驚いたようにして小さな仏像がぽつりと白日に照らされている。素朴な彫り痕です。角の取れ切った丸みのある土着信仰を感じさせ、ほんの少しだけ心が和みました。



  奥のすっかり闇に包まれている辺りで、何やらどたどたとした動きが起こっています。なんと“秘仏”として一般公開されていない本尊を特別に見せてくれるのだそうで、これにはツアーの参加者たちも色めき立って当然でしょう。錆び付いた南京錠がなんとか開けられ、歪み始めて重たくなった戸を数名でよいしょよいしょと押しやる様子です。





  入れ替わり立ち替わりしての狭い空間で、奇妙などよめきが発せられています。お相伴にあずかって僕もおそるおそる拝観させてもらった訳でしたが、仏様は、窓のない四畳半ほどの場所に居られました。二メートル程も背丈があってそびえておいでなのですが、頭の先から足元までの全身が猛火に焼け爛れていて、顔といわず胸といわず大火傷を負ったようにでろでろごわごわに黒く炭化しているのです。これはもはや悪霊ではないか、祟られそうだ、怖い怖いとつぶやく声も囁き出て当然の、無残この上ない姿であったのです。















  学芸員の照らす光にぼうと浮かぶのは、シルエットからかろうじて判別なるに過ぎないのだけれど、両の手を腰元で合わせ結んだ“印”なのです。元は千手観音であったらしいこの仏の、かざし広げて庶民の苦痛をねぎらっただろう千の掌は、次々と炎が燃え登ってじゅうじゅうと焼失していき、最後の最後に、たった一つのこの“印”だけが残ったのでしょう。


 神像仏像は四肢、頭部の欠損によって力を増すことがあります。真黒き仏の、遺されたひと組の手のひらにこころを余程摑まれ、そこに気持ちを傾けてきた人がいたのでしょう。焼け落ちたかつての本堂の残骸の中から取り出されたこの真っ黒の怪物を、秘仏と称して信仰を繋ぎ留め、1200年という悠久の歳月をこの土地に刻んで来た名も無き信者たちの眼差しを感じました。




  喪うことで得るものがある、というのは言葉のアヤであって、やはり喪うことに伴う苦しさや哀しみはひとを容易に粉砕し尽くす破壊力を秘めています。だから、こんな昼行灯の僕であっても言葉を慎重に選んでしまうのだけれど、それにしても、と思わせる黒く奇怪な仏の、とても数奇な運命なのでした。





  帰りがけに外から格子の前に立ち戻れば、足元には生卵とカップ酒が置かれています。心ばかりのお供えなのでしょう。人間って、人の想いってとても不思議ですね。




  写真はここしばらく携帯で撮り貯めたものです。一度掲載して、その後、何となく気まずくなって消したものも含んでいます。

 せいぜい自転車しか通れない狭い吊り橋がありました。これの直ぐ脇50メートル離れたところには、鉄筋コンクリートの頑丈な橋が造られている最中です。無用の長物となり、壊されてしまうのは時間の問題です。ちょっと淋しいですね。



  秋はいよいよ深まります。どうぞ温かくして、インフルエンザに十分に注意して、素敵な宝物をお探しください。

ではでは。