2009年10月28日水曜日

桃井かおり「オンナざかり」(1976)~「かあさーん」~




女学生だった私が、白いブリーツスカートひるがえし、

砂丘を汗して全速力で突っ走れなかったのは、ただテレたり、

恥しがったりしてみただけのことだったけれど、今頃になって、

スカートひるがえして海なんかを突っ走れば、「キャバレー・女学生」

のCMかなんかになっちまいそうです。もう取り返しがつかないナと

思うと、未練がつもります。でもそんな甘ったるい小娘時代に

さようならを言おうと思います。

 せめて、これからは赤い鼻緒の音たてて、七夕様や、お正月や、

お見合い(?)や七五三ってやつを、次々正しく行なうつもりです。

娘には、きちんと「かあさーん」とよばせ、力いっぱい赤みその

うまいみそ汁を作れるオンナに致したいと存じます。(*1)



  先の休日、お昼少し前のことです。ハードディスクに録り置いていた洋画(*2)を一人リビングで観ていたのでしたが、土壇場になって交わされた台詞の響きに、あれっ、と驚いてしまいました。12年程前に作られた映画です。緊迫し通しだった劇の終幕を静謐な雪の情景が飾っていきます。




  ひとりの女性が世の辛酸を嘗め尽くして後、故郷に帰り着きます。そんな彼女を諭し訴える男の声が胸にぐわんぐわん反響して、堰きとめていた気持ちが決壊していく。幼子を亡くし、いまは非情な夫が待つばかりの悲劇の主人公に対して、付かず離れず見守り続けた男が懸命に訴えます。「貴女は全くのひとりなのだから、もう戻るに及ばないだろう」。(*3)


  語学力は中学時分からてんで進歩しておらず、当時の成績もお粗末きわまる僕でありますから、またまた馬鹿な思い違い、恥の上塗りかもしれないのだけれど、男の発する“You're perfectly alone”という表現には二重三重に込められた響きがあって、僕の抱える未完成品の魂はざわつき、どよめいてしまったのです。





  “申し分ない孤独”という言葉尻には、あなたは馬鹿だなあ、“一人ぼっち”じゃないか、いい加減に目を醒ましなさいよ、と語気を強める意味合いは多分にあるのでしょうが、映画の演出はそれに留まっていないようなのでした。そこに自律、自足、独立といった積極的な気概を付与していたように感じ取ります。もちろん単なる金銭の問題ではなくって、世界に真向かう目線のいさぎよさ、覚悟という事が“perfectly”に“alone”なのだと受け止めたのですが、僕のいつもの暴想でしょうかね。


  さて、上の桃井かおりさんの文章は、先日の「氷の味噌汁」から遡ること17年前に書かれたものです。これを執筆されるほんの少し前には急病を患って、大きな手術も受けておられます。眼前に死を意識し続ける若い桃井さんのこの頃の文章は揺れに揺れてぐらぐらで、切迫した感じ、悲鳴めいて軋む感じがずいぶんと致します。もしかしたらコマーシャルフィルムの影響みたいな気もする訳ですが、その中に不意に“みそ汁”は出現するのです。そして、桃井さんの思いの力点はみそ汁とここでは同義語として並べられた「かあさーん」という所にどうやら置かれています。


  自己実現の在り様を探り続けようとあえて苦悶の道を歩み、素肌を大衆に晒すことも惜しまない女優桃井かおりの荒ぶる魂と、みそ汁の似合う家庭のおんなへと緊急避難すべく舵を反転するべきかと消沈する、傷つき病んだ二十歳過ぎのおんなの子の精神が左右からぶつかってせめぎ合っています。味噌汁を女性が取り上げた文章で、胸の奥がすっかり露わになる類いのものはとても少ないのですが、桃井さんのふたつの文章を並べて読めば、あらあら随分赤裸々に書いてみせたものだと感心しちゃうのです。そうしてこうして今も闘う桃井さんを更に思い描くとき、どうしても僕は先の“You're perfectly alone”という言葉を浮かべ重ねてしまうのです。


  何も特別に見える芸能人に限ったことではなくって、あまねく僕たちの身に連なるものだと周囲やおのれ自身をかえりみて思います。人生の理想を追い求めて歩んでいく道程で妻、母親という役柄を振られることを当たり前と信じて、女性たちは果敢に進軍していきます。僕たちの場合には夫であり父親という役柄になるわけですが、意識をひろく占めて生活の目的に据えられ、行動の基準とも当然なっていく。そして、現実と夢が交錯し、いつしか理想との乖離にうろたえ、思いもかけなかった段差に足をつまづかせて苦しんで行きます。


  自分は何者であるかを暗中模索し、さまざまな辛酸を嘗め尽くして辿り着く先に“perfectly”に“ alone”という自立した状況が来るのだと、それを怖れて回避しても始まらないし、成長のそれがひとつの頂きなのだと教えてくれている。そういう事かもしれませんね。


  もしかしたら人生はアスレチック用のプールなのでしょう。タプタプに充たされているのは青い水ではありません。得体の知れぬ味噌汁であり、視界の利かぬ混濁した黄色い水に懸命に泳ぐしかない。レーンは違えども桃井さんも僕たちも、ひとりひとり誰もが遠泳のただ中にある。白昼夢のようにしてそんな幻影をぼうっと脳裏に浮かべているところなのです。


(*1):「オンナざかり」 桃井かおり 1976  「しあわせづくり」大和書房 1977所載
(*2): The Portrait of a Lady 監督ジェーン・カンピオン 1997
(*3): 全文をウェブ上で見ることが可能。終幕のChapter55は次の頁にて。 http://www.readprint.com/chapter-6257/The-Portrait-of-a-Lady-Henry-James
I understand all about it: you're afraid to go back. You're perfectly alone; you don't  know where to turn. You can't turn anywhere; you know that perfectly.

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