2009年10月5日月曜日
吉田健一「東京の昔」(1979)~美しい現在~
併しそれでかういふ朝帰りの車の中での寒さが冬の朝の気分を
助けたといふこともある。それは雀の鳴き声地面に降りてゐる霜と
同じでさうした外から締め出されていない車の中にも朝があつた。
従つてそれはそのまま熱い番茶だとか味噌汁だとかトーストだとか
に繋がつた。又これを延長すればおでんに焼き芋に火鉢に起つた
炭火があり、この寒さがあつて當時の洋館の温水暖房も爐に燃え
盛る薪の火もそれはそれなりに冬を感じさせた。(*1)
味噌と醤油に関する数多くある記述の中から、どうもめそめそした部分ばかりを選んで情緒的な方向へと誘導しているのじゃないの───そう見る向きもあるやもしれません。確かにここに掲載するにあたって僕の内部で選別は為されています。
実際、日々の献立や生活の実相をずらり並列して開陳していく、そんな文章や映像は多々あるわけです。それ等の中では味噌(または味噌汁)にしても醤油にしても、すっかりこまごまとした諸相に埋もれて精彩を欠いてしまう。味噌、醤油という文字を刻んでいるけれども、世の中の文章のおよそ半分かそれ以上はそういったものなのであって、それをいちいち書き並べていたらキリはありません。
たとえば、上に掲げたのは吉田健一(よしだけんいち)さんの随筆から写したものです。知人の書いたものの中に吉田さんの名前を認め、あら、読んだことないぞと興味を覚えました。この週末に図書館に足を運んで、いずれも閉架に眠っていた六冊ばかりを引っ張り出して来てもらったのでしたが、ざっと読んだに過ぎないけれど、政治から酒席、妄念から生活の領域までの多種多彩な吉田さんの記憶の果実を陶製の重い大皿に盛り付けられたような印象がありますね。加えて別の新たな果実を次々と給仕によって脇から添えられていく感じがして、ちょっと膨満した気分で今はおります。
少し特殊な吉田さんの文体ではありますが、どうですか、いずれも同等な扱いになっているでしょう。雀、霜、車、朝、寒気、番茶、トースト、焼き芋。列を連ねて、するすると走馬灯のように行き過ぎてしまう。
同じく吉田さんの文章から二個所ほど写させてもらいましょう。
朝の食事だけを取って見ても、日本式のならば、おこぜの味噌汁に
とろろ、豆腐を揚げたのに塩昆布、それから烏賊の黑作りを少しばかり
という風な献立が考えられるし、洋食ならば、パンをよく焼いてバタを
よく附けた上に半熟の卵を乗せ、これにベーコンをフライパンで焼いて
添える。ベーコンの焼ける匂いというのは強烈なもので、そこら中が
お蔭で芳しくなり、そうするとどうしても飲みものはコーヒーということ
になる。腹が減っている時は嗅覚も鋭敏になるから、このベーコンと
コーヒーの匂いが混じつたのは、それだけでも気を遠くさせるものがある。(*2)
かういふものを二部屋に分けて作るのでは手間が掛ると思つて初めの
時にこつちがおしま婆さんを部屋に呼んだやうに覚えてゐる。それでゐて
さういふ時に大して話をするのでもなかつた。ただ二人の間に昆布を引いた
土鍋があつて中に豆腐と鱈が沈み、それを掬っては薬味を利かせた醤油を
付けて食べるだけでそれが湯気を立ててゐるのが旨かつたから話をする
必要もなかつた。(*1)
こういった文章のなかの醤油や味噌をあげつらったところで、あまり作為や深いものは見出せそうにありません。だから僕はこういったするするの走馬灯は取り上げていないのです。今回は特別篇という訳です。こういうのも有る、ということですね。
そうして、変でしょう、これは、何かこだわってますよね、という描写のみを抜き出していく。それは味噌や醤油を効果的な小道具として差配する気持ちが送り手にあるのかどうか、言わば作為のスイッチのオンオフに関する区分となります。
もっとも彼ら小説家や監督といった送り手の思惑や意図にまでは、現段階で線引きはしていません。どのような光を舞台に照射するのか、深海や碧空に似た冷たい光なのか、それとも血や熱砂を想わす鉄錆色のものなのかを見定めたうえで、こっちの系統だけを上手く束ねていこうと取捨選択している訳ではない。此処“ミソ・ミソ”を読むひとが何かしらニヒリズムや孤高の昏い薫りを感じ取られることがあるのなら、その戸惑いは僕が意図し導いたものでないどころか、僕自身も同様にして不思議と驚きを感じている最中なのです。そのあえかな旋律の全貌がどんなものなのか、どこから洩れ出て来るのかを気になって探っているところなのです。
(*1):「東京の昔」 吉田健一 中央公論社 1979
(*2):「再び食べものに就て」 吉田健一 1957 「甘酸っぱい味」新潮社 1957 所載
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