2009年10月19日月曜日

デゴマス「ミソスープ」(2006)~手を繋いだままで~





ミソスープ思い出す どんなに辛い時も

迷子にならないように

手を繋いだままで ずっとそばにいた

母の笑顔を


都会の速さに 疲れた時は

いつもここに いるから 帰っておいで


ミソスープ作る手は 優しさに溢れてた

大きくない僕だから

寒くしないように 温めてくれた

母の優しさ 会いたくなるね(*1)


  ある作家に関して綴ったものに対し、君は意外とマッチョなんだね、そう感想を返されたことがあります。誉め言葉であろうはずは当然なくって、偏狭さや意固地なところ、称賛も含めての過剰な性差別、排他的な部分や場当たり主義といった気質を行間から嗅ぎ取って、親切心から遠回しに忠告してくれたのでしょう。言われるまではそんな意識はさらさらなかったので、それだけに彼の石つぶては効きました。当たったところは今でもチクチクしています。


  彼は料理が上手です。家事全般を軽やかに日々こなしていて、時おり創意を凝らした献立にも挑みます。上手くいった場合にはレシピをブログに公開したりするのですが、それを読むと彼の繊細な手付きや安定した身のこなしが目に浮かんでくる。ぼわぼわと髭など蓄えて容姿は怖いのだけれど、なおやかという形容がぴたりと板に付いて見えます。


  味噌や醤油の記述なり描写を探し、けれども献立やレシピはそっくり迂回しては意味深な部分のみを並べていく。こっそり作為を忍ばせたこのミソ・ミソを彼が目にしたものならば、再度お灸をすえられそうです。君ねえ、料理は料理でしょう、味と香りと栄養でしょう、計算と技術でしょう、静かな習慣でしょう、その実相をまるで捨て置いて奇妙なところばかり陳列してオカシイよ、本末転倒でしょ。


  でもねえ、先輩、献立やレシピの形態を取らない味噌や醤油の記述には、送り手の偏向した精神構造がいくらか背景として関わる気がします。全てとは言えないけれども、一部には感じ取れるのは本当のことなんですよ。


  例えば、上記の歌は今から三年程前に発表されたものです。メーカーとのタイアップが背景にあるらしくって、ならば自然に湧き上がったものではないかもしれない。歌い手の真意に基づくものかどうかの判断は難しい訳なのですが、まあ、その辺りは何を言っては始まらないから、ちょっと置いておきますが、これを最初に聴いた時の違和感を僕は忘れることが出来ないのです。


  田舎から出て都会暮らしを始めた男の子が郷里を懐かしみ、味噌汁の香りを懐かしく振り返るストーリーです。似たような成長の過程を経て僕も大きくなったつもりですが、そんな絵に描いたような感傷を抱いたことはなかった。どうも僕にはしっくり来ないのです。当時からずいぶんと年数が経っていますから、現代の、2000年代の食生活事情をそこに加味してみれば尚更に成り立ちにくいイメージを抱きます。


  この歌からちょうど四半世紀先行して、もうひとつのミソスープの歌が日本には流れていました。千昌夫さんによる「味噌汁の詩」です。正直に言えば、僕はこのかなり泥臭い歌を聞くたびに何とも不快な気持ちを抱きましたね。どうにかしてこのミソ・ミソで取り上げないで済まないものか、そうたくらんでもきたのです。ちょっと抵抗感がありますが話の流れです、書き写してみましょう。




しばれるねえ。冬は寒いから味噌汁が

うまいんだよね。

うまい味噌汁、あったかい味噌汁、

これがおふくろの味なんだねぇ。


あの人この人 大臣だって

みんないるのさ おふくろが

いつか大人になった時

なぜかえらそな顔するが

あつい味噌汁飲む度に

思い出すのさ おふくろを

忘れちゃならねえ 男意気(*2)


  ふたつの歌詞を読み比べてみるとその間に何が起きてきたのか、薄っすらと浮かび上がるものがあります。“冬の寒さ”は“「年末には帰ってくるの」”と問われた2006年にもあったでしょうが、独身用の居住環境は劇的な改善が為されており、“しばれる”ほどではなくなりました。若者の郷里でも事情は同じです。見違えるように住宅は変貌を遂げており、炊事場はもはや台所とは呼びにくいお洒落なかたちになっている。だから、“キッチン”から母親は丸い顔を覗かせています。“ディナー”を買い求める若者には“ポタージュ”は日常食でしかなく、“一人の夜にも慣れた”身体は“なんか疲れて、ちょっと淋しい”のだけれども“あせり”はなくって、異性の友人を求めすがる独り身ののたうつような烈しい衝動は影を潜めています。


  味噌汁と日本人を結び付けようとする動きが、かつての歌には見受けられました。狭く意固地で排他的であり、なお且つ過剰な性差別が台詞に加味されてもいて、実にマッチョな仕上がりになっていた訳でしたが、その筋骨隆々とした部分が削げ落ちてスリムになったような、ずいぶんと植物的な印象をデゴマスさんの歌から僕は受けています。


  若い男たちは変わったのでしょうか。長い年月のなかで“ふんどし”からパンツに履き替え、ブロンド女性を血まなこになって追い求めていたテストステロン供給過剰の狼めいた男から紳士然とした大人の男に成長を遂げたのでしょうか。味噌汁はその若々しい胸板の奥で静かな郷愁を湛えながら、おごそかな面持ちで白い湯気を立てているのでしょうか。


  ふたつの歌の共通項として、母親だけが重苦しく残されています。男たちのこころに潜むのは家族でも山河でも、校舎でも、グラウンドでもない。初恋の相手でもなく、現実のおんなでもない。味噌汁と母親との連結は解かれることなく、立ち位置を変えることなく在り続けている。“どんなに辛い時も迷子にならないように手を繋いだままで ずっとそばにいてくれる”そんな“おふくろさんのふところを、いつも夢みて”いる男の想いが味噌汁をレンズとして光軸を結んでいくのですが、それは果たして成熟と呼べるものなのか。


  大衆の夢が歌に結実するのか、歌が大衆を先導するのか分かりませんが、空恐ろしい思念の流れが僕たちを取り巻いているのを感じてしまうのです。日本人のなかに宿るものが粘り腰を見せて味噌汁にまとわりつき、離れようとしません。


  味噌汁に固着した日本人の想いはマッチョとは幾分違うかもしれません。海を隔てて住む人たちの目には退嬰的に映りそうですね。僕自身が偏屈である前に味噌汁が、それそのものではなくって内側にそっと沈めたものが十二分にグロテスクであり、昏く濁っているのです。


(*1):ミソスープ デゴマス 作詞 ZOPP/作曲 Shusui、Stefan Aberg 2006
(*2):味噌汁の詩 千昌夫  作詞/作曲 中山大三郎  1980

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