2009年10月8日木曜日

高野文子「美しい町」(1987)~ふーっ~



井出「塚田くん そうだ」

ノブオ「…」

井出「名簿 明日くれたまえ こっちもなにかと忙しくってね」

  ふたりのやりとりが室内のサナエの耳にも届く。

サナエ、ノブオ「(心の中で)えーっ、井出君、そんなの無理ですよぉ」


ノブオ「(感情をころして)いいですよ」

  井出、戸を乱暴に閉めて自室へ入る。

  ノブオも自室に入ると、サナエはそっと台所に立って行き、

サナエ「ちょうど良かった 今、できたとこ」

  鍋つかみを両の手にかけると味噌汁の鍋を持って卓袱台へと引き返す。

  テレビのスイッチを点け、炊飯器から茶碗にご飯を盛る。

テレビの声「秋の国体にそなえて市内はいまや大忙し 

      急ピッチでアスファルト化が進んでいます」

サナエ「わあ 大変だあ」

  廊下の向うの扉が再び開き、井出が聞き耳を立て始める。

サナエ「いただきます」

ノブオ「いただきます」

サナエ「駅前も舗装になるんでしょうね きっと 

     ぬかるんで大変だったもの」

  井出、執念深く耳をそばだてている。

  井出の部屋の内部に飾られていた風鈴が揺れる。


サナエ「これで雨の日も安心」

  井出、するりと扉の影に入る。

サナエ「(味噌汁の椀を吹いて)ふーっ」

  サナエは味噌汁の黒い椀を、ノブオは陶器の茶碗からご飯を、

  互に口元まで寄せながら黙々と食べている。

ノブオ、すいと目線を上げる。

ノブオ「………」

サナエ「思いつきでいじわるを言っているのよ」

ノブオ「いいんだ 何も考えずにやってしまうんだ」(*1)


 夫婦間の“沈黙”を辛辣に描いた「いつも二人で」という映画(*2)がありました。愛情も思念もすっかりすれ違いを起こしてしまい、レストランで押し黙って向き合っている悲愴なカップルが幾組も登場します。高野文子(たかのふみこ)さんの「美しい町」を読みながら、ふとそれを思い出しました。



 もちろん両者の内実は天と地ほども違っています。映画のそれは本質をなおざりにした男女の末路を象徴していたのに対し、漫画のなかの沈黙はむしろ同調した呼吸のなせるもので、建設的な気配さえ宿していました。とても対照的です。


 大きな工場が小高い山の麓にあります。そこに働く工員の家族のほとんどが隣接した団地に肩を寄せ合うようにして暮らしています。ノブオさんとサナエさんの若い夫婦の住まう棟もすべて会社の関係者で埋まっており、しがらみがふたりを包んで締め付けています。そういった環境も背中を押すものでしょう、休日ともなるとふたりは喧騒を避けて山に登り、そこで昼ごはんをしたりして過すのですが、穏やかな沈黙がそこでは描かれていました。


 気持ちはよく分かりますね。狭い会社の寮に住んでいた若い頃は、休日前ともなると当て所なく電車を乗り継いでは見知らぬ町の安宿に潜り込んだものです。そうしないと気持ちが挫けそうだったのです。立川だったかな、駅前で飛び込んだ旅館では二十畳の宴会場しか空いていないと言われて、そこに独り寝かされたりしました。考えてみれば不思議なことをしていましたね、ハハハ。


 映画と漫画、かなり色彩は異なりますが、どちらも逃げることなく真摯に“沈黙”を捉えています。これから愛を語り家庭を築いていくだろう若い人には、是が非でも観て、じっくりと学んでもらいたい作品ですね。フィクションを作り物、絵空事と単純に見てはいけません、存外ほんとうのことが描かれているものです。人生の先達が若いひとたちに熱心に、真剣に警句を発している、そういうモノが世には溢れているわけで軽んじてはいけないのです。


 さて、最上段に掲げた「美しい町」の場面はとても興味深い一瞬が含まれておりました。向かいの部屋に住む井出という男は退屈しのぎに同僚の私生活に介入する困り者なのですが、その邪まな愉しみに組しないノブオさん夫婦に腹を立て、以前頼んでいた労働組合の資料を直ぐにも用意するように無理強いして来ます。波風を立てることを好まないノブオさんは承諾し、サナエさんと共に徹夜しての資料作りに当たることになります。


 僕が感心してしまったのは若い夫婦の静かな闘いぶりが、実に巧みに表現されていることです。聞き耳を立てる隣人の気配が風鈴の動きでそれとなく示されていて、これも大いに唸らされるわけですが、内心はうんざりしているふたりが露骨に声を圧し殺して内緒話に走るのではなく、言葉を慎重に選び、所作を穏やかに抑制していくのです。その健気さに驚かされるのですね。


 茶碗を口元に寄せる食事のスタイルは極めて日本らしいかたちな訳ですが、これがギリギリの自然さで取り込まれている。もしも献立が洋食であったのならば、途切れた会話は不自然なものとなってしまうでしょう。映画の夫婦のような惨めな、しこりのある沈黙を想起させもし、主人公たちの胸中はもしかしたら暗い雲が渦巻いてしまうでしょう。


 いくらか長い時間口元を覆い尽くし、視線を落として椀に気持ちを集中させ、一家の団欒を代表する時間でありながらも角の立たない沈黙を産み落としていく。和食料理ならではの繊細な所作がここでは巧みに取り入れられて、彼らの苦衷を救い、穏やかな気風を守っているのです。高野文子さんの観察力、洞察力、応用力が見事発揮され、存分に花ひらいた瞬間ですね。


 ご飯も含めた描写ですから純粋に味噌汁が取り上げられているのではないのですけれど、それでも特筆すべき味噌汁が此処にはあり、日本人らしい美しき沈黙があって、ついつい紹介したくなりました。


(*1): 「美しい町」 高野文子 1987 「棒がいっぽん」マガジンハウス 1995 所載
(*2): TWO FOR THE ROAD  監督スタンリー・ドーネン 1967


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