2009年12月20日日曜日

つげ義春「探石行」(1986)~みっともない~


五時に早々と夕食だ

これじゃ寝る頃までに腹が空いてしまう

女房は貧しい食事の原価を計算したりしている

妻「ナスのおしんこにナスの味噌汁に

  それから ナスの煮ものに………

  ぜんぜん金かけてないじゃない」

助川「さわぐなみっともない」(*1)


 つげ義春作品の朴訥(ぼくとつ)な面持ちの裏側には、綿密な計算や驚くほどたくさんの思惑が込められているのであって、その一端が “味噌汁の不在”という摩訶不思議な現象となってどうやら現われている───。

本当にそうなのかな、ちょっと不安になってきました。自分で言っておいてなんですが、僕は何事につけ思い込みがはげしくって、あとで赤面するはめに陥ることが多いのです。もう少しじっくり眺めてみましょうか。具体的につげさんの作品から食べ物の描写だけを拾ってみましょう。


「西瓜酒」(1965)は時代劇です。貧窮に喘いで希望を見失った若い夫婦が、最後に腹いっぱい空き腹を満たしてから死のうと夕食の支度をしています。鍋をぐつぐつ鳴らして作られるのは何やら“煮物”のようですね。そこに漬けものとごはんが寄り添っていました。


「アルバイト」(1977)はつげさんが睡眠中に見た夢の場景を絵に起こしたものですが、お椀を立ったまま抱えて中の汁物を箸で掻き込んでいる男が描かれています。かたわらの男が物欲しげにその様子を伺っているのだけれど、これは戦後のヤミ市を俯瞰気味に撮ったニュース映画の中にありましたね。恐らく“すいとん”です。


「必殺するめ固め」(1979)もエロティックな夢の景色でした。乱暴者に必殺技をかけられ腰骨をやられた若い男が、半身不随の身となって寝たきりになります。今や身もこころも乱暴者に支配された妻が、お情けで男の枕元まで煮物(もしくは焼き物)にごはんを運んでくれるのだけど、それには“お茶”が付いておりました。


「日の戯れ」(1980)は競輪場の窓口係に勤める妻の代わりに、掃除や調理といった家事をこなす男が描かれ、「うん合格」と誉められたのはカレーライスでした。コップの水が添えられていました。


  ちょっとしつこいですね、駆け足で行きましょう。「近所の景色」(1981)には折り詰めの鮨(すし)。「散歩の日々」(1984)では屋台の焼きそば、「池袋百点会」(1984)─すき焼き、ごはん、目玉焼き、漬け物、煮豆らしきもの。「無能の人」(1985)─ただの弁当(予算五百円まで)、お茶。「探石行」(1986)─もりそば。「蒸発」(1986)─焼き魚、炒め物らしきもの、ごはん、お茶。「やもり」(1986)─漬け物のようなものを肴に晩酌。「海へ」(1987)─漬け物、煮物、ごはん、お茶、といった具合で味噌汁のお椀にはなかなか行き当たらない。


 ようやく探し当てたのは「懐かしいひと」(1973)、「会津の釣り宿」(1980)、「隣りの女」(1984)の三作品なのですが、これらにしたって面妖なものとなっているのです。




















 温泉街をセンチメンタルに再訪する「懐かしいひと」で、宿の色っぽい仲居さんに用意された夕食時のお椀は次のコマでは手品のごとく消滅しています。これは何なのだろう。「会津の釣り宿」でのお椀のフタは、いつまでもいつまでも閉じられたままです。夕食の時間は終わりを告げて、遂にそのままに片付けられて見えます。


「隣りの女」の朝食の光景には、煮物、炒め物らしきもの、漬け物、ごはんと共に味噌汁椀らしきものが並ぶのですが、その椀の中身は空っぽの状態に描かれています。

  つげ義春さんは味噌の匂いや味が嫌いなのでしょうか。いやいや、そうじゃないことは旅行記の次の一節からも読み取れます。

正午頃調布を出発。川越を通り桶川(おけがわ)へ出る。
立石さんは以前から、深沢七郎さんの味噌を食べてみたいと
言っていたので寄ってみる。(中略)

石岡へ出る途中で、「味噌あります」と貼紙のある農家があり、
立石さんは味噌を買った。深沢さんの味噌とは比べものに
ならない味。(*2)


  味噌や味噌汁には一般の人以上に一家言持っておられる、そんな感じがいたします。意識すればこその隠蔽が働いていると捉えて差し支えないでしょう。


 最上段の引用は「無能の人」に代表される80年代の連作の、その中の一篇にぽつねんと現れた味噌汁です。珍妙な顔付きの石が高く売れるという儲け話に色めきたった男が、妻子を連れて石探しの小旅行を行ないます。竹中直人さんの映画(*3)でも描かれていましたね。(一場面と原作者を紹介する動画がyoutubeにありますから、これを参考までに貼っておきましょう。冒頭から6分34秒以降に映されています。)




 味噌汁に言及した妻に男が腹を立てます。日常へと思考を引き戻そうとする言動をいさめて、非日常へのたゆたいに没頭しようとする一途な姿に、つげ義春さんの漫画世界の立ち位置と味噌汁に対してのかたくなな思いが浮かび上がります。

 旅行記にはこんなくだりもあります。群馬県の温泉に六年ぶりに再訪した際の話です。詩人のSさんを同行したのですが、その反応は思わしくありません。食事の内容が粗末だったのが原因です。

 旅は日常から少しだけ遊離している処に良さがある。
非日常というと大袈裟だが、生活から離れた気分になれるのが
楽しくもある。旅館の食事にしても普段と違うから旅心を
満たされるのだ。(*4)


 日常の象徴、“内側”の旗印となって作者の胸中に味噌汁は居座り、ゆえに非日常に遊ぶ際には障害と見なされ排除されていく。座卓の上の空隙には特異で物狂おしい、言わば“透きとおった味噌汁椀”が上の例のごとくずらり並んでしまう。つげ義春さんはおのれの創作活動のルールとしてこれを貫いた訳ですが、その味噌汁排除の視点は彼のみならず、日本における他のクリエイターの多くを操って見えます。

  僕たち市井(しせい)の者にしたってこれは根強く心に及んでいて、日々の行動を縛っていたり煽っていたりするのです。記憶の書棚から味噌汁のある光景とない光景を脳裏にカットバックさせていくと、その折々の気持ちの面持ちや色彩、寒暖の差が露わになってきて驚かされます。 こと恋情の舞台における味噌汁の不在は決定的ではないでしょうか。



  僕らの胸の奥の洞窟で、味噌汁は素裸のこころと隣り合わせとなって延々と明滅し続ける。 まるでピノキオを見守るコオロギのようにして、時に囁き、時に沈黙して僕たちをいざなうのです。
 
(*1):「探石行」 つげ義春 「COMICばく」(日本文芸社)初出 1986 
(*2):「関東平野をゆく」 つげ義春 昭和五十年十月と末尾に記載されている。
「新版つげ義春とぼく」(新潮文庫)所載
(*3):「無能の人」 監督 竹中直人 1991
(*4):「上州湯宿温泉の旅」 つげ義春 1982 「苦節十年記/旅籠の思い出」(ちくま文庫)所載

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