2010年11月30日火曜日

池内淳子「女と味噌汁」(1968)~ぴんしゃんして~



 池内淳子(いけうちじゅんこ)さんがこの九月の終わりに急逝されました。死を悼む報道の多くで最初に掲げていたのが「女と味噌汁」でしたね。彼女の面影がこの奇妙な題名のテレビドラマ(*1)によって深く刻まれていた(らしい)。


 僕は池内さんをよく存じ上げません。いや、いくらなんでも顔や声はわかります。ご多分に洩れず茶の間でずいぶん刷り込まれた口だけど、遠い存在と思っていたというか、偶然同じ電車に乗り合わせたひとりひとりを記憶しないと同様、ぼんやりした印象を抱いてこれまで来てしまいました。


 男女間のかけ引きが主体となる花柳界のお話です。どうも親に“してやられた”感があります。そっと池内さんを陰で楽しんで、子どもはうまく遠ざけていました。平岩弓枝(ひらいわゆみえ)さんの原作(*2)も肌が合わず、自らの手で片隅に追いやっていたところがあります。そんな訳で池内さんと「女と味噌汁」は僕のなかではまるで結び付かないままだったし、(こんなブログを書いているのに関わらず)足跡の見えない処女雪みたいなもので、むやみに眩しいままにあり続けました。


 銀座の映画館で池内さんの追悼上映が連夜催されていて、丁度うまく具合に時間が取れました。テレビの方でなく“映画版”になりましたが、因縁の作品(*3)を観てまいりました。


 赤ちょうちんひしめく地下街の、やや奥まった場処にある小さな劇場です。傾斜の強い階段を何段も下りていかなければなりません。蛍光灯がぞんざいにコンクリの天井と地面を照らし、妙に切ない気分を煽っています。昭和の薫りが漂う、今となっては貴重な劇場ですね。ちょっと謎めいた感じのする息抜きとなりました。


 劇中“不景気”という言葉が飛び出しはしますが、いざなぎ景気の只中です。夜の飲食街はほろ酔い気分で腕組み歩くアベックで溢れ、陽が昇れば工事現場の建設機械が槌音(つちおと)をがんがん響かせていく。警笛を鳴らす車が行きかい、排気ガスと粉塵で薄っすらと背景は煙っていきます。
勢いのある作品です。

 
 そんな世間の喧騒からはやや隔絶した感じのする男女が幾人か登場し、人生の節目に面して思いあぐねてはついつい歩みを止め、呆然と立ちすくんでいくのでした。池内さん演じる苦労人が彼らを見守ります。そっと唇噛んでその背中を見送りしながら、これからの自らの針路を徐々に固めていく。
 

 なかなかの存在感を池内さんが示して、またこちらの心情もさらりと受け止めて見事です。窓が大きく開け放たれている印象があります。主役を張るだけの清楚な美人ですから、もちろん熱烈なファンも擁していた。例えば作家で批評家でもある虫明亜呂無(むしあけあろむ)さんはこんな狂熱的な賛辞(これは明らかに恋文ですね)を当時贈ってもいます。あれこれ拙い言葉を並べるよりも、その一部を写した方がきっと池内さんも喜ばれるでしょう。


 古風で、ひっそりと息づいて、いつも笑顔で人のいうとおりに

なったようで、根は片意地で、きりりんしゃんと自分を保ち、

それでも結局は、大きな目にみえないものの力に流されてゆく。

そのような典型的な日本女性の雰囲気が、彼女から感じられた。

そうした女の味をだせた──下劣な表現だが、男がどうしても

心を乱さずにはいられなくなるといってもよい──女優は、

戦後の日本映画界をつうじて池内淳子ただひとりしかいなかったと

断言してもよいくらいだ。(中略)


 東京風の和服が似合って、動作がぴんしゃんして、

颯爽(さっそう)とした残り香が襟のあたりから漂ってくる。

いなせな気っぷの持主だと想像させる。乾いて、あかるく、まわりを、

ほのかな女の味で、料理しあげる腕と才と知恵を身につけている。(中略)


 美しいひとであるが、池内さんには女の湿った執拗さは、

ひとかけらもない。むしろ男の無頓着さと共通した「乾き」が、

このひとを一層、美しくしてみせているようである。宿でも,

立居動作が透明で、一層なまめかしく、艶にして、妖であった。(*5)


 劇中の役柄と同一視してはいけないでしょうが、いちいち頷かされるところがあります。「四代にわたる江戸っ子が自慢」という家に生れて自然に身についたものでしょうね。作って作れるものではない。


 僕は友人に生粋の江戸っ子をたくさんは持たないけれど、なるほどさっぱりとした気風や美意識は重なって見えます。乾いていながら虚無というのでなく、叩けばコンコンと軽快な音が帰ってくるような身の詰まった内実の、それでいて浮力具えた容姿やいでたち、えも言われぬ色っぽさ、ハハハ、と声上げて快活に笑う彼ら江戸っ子の折々の姿を懐かしく思い出しながら、いつしかこちらにも伝染して温かいものがふわり灯っていく気分。人がひとに勇気付けられる、その不思議を想います。


 まあこっちはこっちで年季が入って身についちまったものがあり、同じ仕草という訳にはいかない。池内さんや江戸の友人のようにはいかない。うつむいて目を細め、ウフフ、ウフフと笑うしかないのだけど。

 現実味がどこか乏しい惚(とぼ)けた風情なのだけど、いろいろと考えさせられる時間となって僕には悪くありませんでしたよ。




(*1):「女と味噌汁」 TBS系列 東芝日曜劇場枠でシリーズ化 1965─1980 
(*2):「女と味噌汁」 平岩弓枝 1965 初出は「別冊小説新潮」
(*3):「女と味噌汁」 監督 五所平之助 1968 共演は川崎敬三、田中邦衛、佐藤慶、田村正和、長山藍子、山岡久乃ほか。監督の五所さんはインタビュウに次のように答えています。「東京映画から一本やれと言ってきまして。テレビでやっているのを映画にするのはいやなのだけど、映画のほうが面白いということを見せようと思って。これを引きうける理由のひとつとして、池内淳子さんと、いちどやってみたいという気持ちがありました。(中略) ひとつ、やってみようじゃないかと。」(*4) なるほど意気込みが伝わって来ます。緩急自在で軽妙、それでいて湿度もほのかにあります。楽しみました。この映画で「女と味噌汁」に逢えてほんとうに良かったな。
(*4):「お化け煙突の世界 映画監督五所平之助の人と仕事」 佐藤忠男編 ノーベル書房 1977 215頁
(*5):「女が通り過ぎる」 虫明亜呂無 「仮面の女と愛の輪廻」 清流出版 2009 所載。初出は「小説新潮」1969 4月号。 

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