2009年6月1日月曜日

片岡義男「味噌汁は朝のブルース」(1980)~非日常の食事~


「起きよう」
ひざで、恵子の尻を押した。
「いま起きる」
「朝めしをつくってくれ」
「なにがいいの?」
「こういうときの朝めし」
「味噌汁と目玉焼きとか?」
「うん」
「まさかあ」
 


今日新聞をめくっていたら、綺麗なおんなの脚を捉えた写真と“片岡義男”の名前を見つけた。硬質の皮とひとの皮膚の柔らかさが同居したハイヒールの爪先からぞくぞくする色香が漂ってきて、ちょっと素敵だった。6月8日まで新宿センタービルで写真展をやっているらしい。覗いてみたくなる。
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/culture/exib/20090529_170385.html


 片岡義男の名をひとたび耳にすれば、「スローなブギにしてくれ」(*1)のメロディラインと映像があざやかに再生なってしまう。これはもう、どうしようもない。焼きごての痕みたいなものだ。(BGM代わりに南佳孝をここで流しましょうか。)角川書店は映画「犬神家の一族」(1976)「人間の証明」(1977)(*2)の公開を皮切りにテレビ、ラジオ、雑誌といった媒体を連動させた広告戦術“メディアミックス”を打ち出しました。僕はそれに煽られすっかり操られてしまった世代ですから、死ぬまで“片岡=スロー…”に縛られるでしょうね。





 久しぶり「味噌汁は朝のブルース」を読み返しながら、若かったころの懐かしく、まぶしい情景が脳裏に蘇って来ました。けれど実際のところ片岡の作品群は羨望のみならず、反発の対象にもなっていたように思い返します。丸井で買い求めた粗悪なベッドや安物のカラーボックスに囲まれ、歩いて10分の銭湯に数日ごとに通っていた僕には、片岡義男の世界を実現し得る“潮流のようなもの”を身の回りのどこにも見出せなかった。洒落た白いマンションやファッション、車や酒、芝居がかった会話や柔らかい肌をした異性は遠く遥かにいつも霞んでいた。いぎたない眠りの後の“夢の煮こごり”のようにも時には見えて、ひどく鬱陶しく、あえて暗澹たる文学青年を気取って拒絶したところがありました。


 あんな世界、そうそう転がってやしないさ、“非日常”の世界だ、と僕はそう思っていました。(今はずいぶんと損をしたような気分でいます。もう少し利口であれば、存外、手が届いた世界だったのかもしれません。) ところが、この年齢になって(ディーテルこそ違えども)片岡が創った“非日常”の点描をほとんど実現してしまっていることにはたと気が付きました。


 風呂付の部屋に悠々と住まい、高速道路を好きな音楽を鳴らして突っ走る“足”があり、山の息吹、潮風を造作なく肺腑に満たすことも出来る。好みの色調のシャツを買い求めて袖を通すことも、好きな酒を飲むこともたやすい。もはや「味噌汁は朝のブルース」の男に羨望をいささかも覚えないばかりか、劇中の若い娘に対しても“異性”という記号が完全に剥離して、落ち着いた眼差しを照射することも無理なく出来ます。ようやくにして僕はこの小説に“なじんだ”のだと思い至りました。今ならこの、当時はずいぶんと気取っていると思えた与太話についてあれこれ語っても、そう間違ったことを言わずにいられそうです。


 水谷浩朗と鈴木恵子の出逢いは高校時代にさかのぼります。互いのワンルームマンションに行き来して朝を共に迎え、部屋にはパジャマの用意もなっているすっかり“なじんだ”仲です。知り合って十年。そんな歳月は大概のカップルを倦怠や足踏み、ときには転機に押しやるに充分な重みを持つのだけれど、彼らが相応に“なじんだ”ままでいられるのは男が27歳、おんなが25歳という若き肉体ゆえでしょう。


 このまま共棲を続けていくべきか、新しい相手を探して活路を拓くべきであるのか、もどかしい逡巡を繰り返すなかでふたりは大小さまざまな衝突を繰り返します。恵子を会社の先輩に紹介して一夜を共にさせるなど、ずいぶんと危うい橋も渡ります。はた目には既にふたりの関係は“死に体”です。やがて強い酒を呷る夜が重なっていき、終幕、恵子の部屋での何十回目かの朝が、まるで何事もなかったようにかに訪れる。そんな顛末でした。


 おんなが「味噌汁と目玉焼きとか?」とさらりと投げ掛け、男が「うん」と肯定した“味噌汁”には衝突する想いが宿っていたことが今ごろにして分かりもします。翻訳すれば、もう十年目よね、この辺りで節目を越えて結婚なり入籍なりしちゃおうか、とおんなは誘い、男は頷き、おんなは「まさかあ」冗談だよと応えている。おんなは結局“味噌汁”を作らずに、片岡の世界に再び埋没していきます。境界で揺れ続けていたふたりだったのですね。


「え?」
「BLT。ベーコン、レタス、アンド、トマト」
「そうか」
ふたりは、食べはじめた。
「うまい」
と、水谷は言った。
「味噌汁のほうがよかった?」
恵子が、きいた。
水谷は、首を振った。
「うまい。こっちのほうがいい」


 ここでも「赤いハンカチ」(1964)(*3)と似た象徴性を“味噌汁”は託されているわけです。この会話に先立って、会社の先輩に誘われ初めて足を運んだ田舎料理の店で水谷はご馳走にあずかりますが、ご丁寧にもわざわざ感想がト書きされている。「キンピラゴボウ、ナットウ、高野豆腐など、水谷には久しぶりでうれしかった」と書かれています。裏返しとして、水谷と恵子の食生活が洋食で覆い尽くされていることが分かります。それが彼らの“日常”なんですね。


 サラダ、マカロニグラタン、エスプレッソ、パン・プディング……。水谷と恵子の間の危うい均衡を保つためには、それら洋食を調理し食することが不可欠となっている。“味噌汁”に口を付けたら最後、均衡が崩れてドラマが変質し、彼らにとって別な次元がスタートしてしまう。「うまい。こっちのほうがいい」とふたりは元の堂々巡りを選択していく。


恵子は、もう一度、コーヒーを吹いた。
そして、なにを思ったか、くっきりときれいに微笑し、
「味噌汁は朝のブルース」
と、普通の声で言った。


 つまりは恵子、ひいては水谷にとっても“味噌汁”とは節目を越えて発生するもので、彼らから見れば“非日常”の象徴なのです。先に待ち構えるものは呪縛、宿命、足かせ、転回不能、諦観といった言葉が連なる重く苦しい世界です。だから“ブルース”なんですね。その“新たなる日常”の、毎朝をつんざく点呼や号砲のようなものとして“味噌汁”を片岡は位置付けている。彼にとって“味噌汁”は、いわば“呪われた料理”ということなんでしょうか。いささか淋しい、そんな役回りです。


 「赤いハンカチ」の折に意味付けられた「過去、労働、倹約」といったイメージに似て非なるものが託されていて、ここにも恋情との大きな乖離が見受けられます。始末に困るのはこの1980年代の男女の意識に段差はなく、同じ価値観の元で“味噌汁”を捉えていることであって、だから片思いのメタファーとしても全然機能していないことですね。決定的にネガティヴなものとして描かれています。


 小説の発表から29年。水谷は56歳、恵子は54歳になっているわけですね。今も元気に大都会の片隅で生きているのでしょうか。彼らが“味噌汁”をどのような面持ちで飲んでいるものか、少し興味が湧きます。ブルースを歌っているものか、それとも未だにBLTにコーヒーなのかなぁ。僕はこのふたり、一緒には暮らしていないように想像を廻らしてもいます。


 新型インフルエンザの騒動は完全に沈静して、まるで悪夢から覚めたような感じです。ひとの気持ちはなんて不確かで流動的なのか、つくづく可笑しな生き物だと思います。“味噌汁”一杯にこだわる可笑しさも生きた人間ならではのこと。不思議で面白い“こだわり”を持つものです。


(*1):「スローなブギにしてくれ」1981年 監督 藤田敏八 
(*2):「犬神家の一族」1976年 監督 市川 崑
   「人間の照明」1977年 監督 佐藤 純彌
(*3):「赤いハンカチ」1964年 監督 舛田利雄




2 件のコメント:

  1. へぇ!コメントはこんな感じに出るんですね。
    アリガトネ。

    文字の大きさも行間もこれで標準みたい。
    そうでなくともウダウダ読みにくいのに、
    さらに窮屈でヒドイよねえ。

    まあ、乗りかかった舟という気持ちで、しばらく書き連ねて
    いきたいと思っていますw 

    返信削除