白髪町とよ黒髪は、戀(こい)に亂(みだ)るる妄執の、夢を覺さんばくらうの、
此處も稻荷の神社。佛神水波のしるしとて、甍(いらか)竝(なら)べし新御靈に、
拜みおさまるさしもぐさ。草のはす花世にまじり、三十三に御身をかえ、
色で導き情で教へ、戀を菩提の橋となし、渡して救ふ觀世音。
誓ひは妙に三重有難し。立迷ふ浮名を餘所に漏さじと、包む心の内本町。
焦るる胸の平野屋に、春を重ねし雛男。一ツなる口(くち)桃の酒、
柳の髪もとく/\と、呼れて粹(すえ)の名取川。今は手代と埋木(うもれぎ)の、
生醤油(きじょうゆ)の袖したたるき、戀の奴(やっこ)に荷はせて、
得意を廻り生玉(いくだま)の、社にこそは著(つき)にけれ。
出茶屋の床より女の聲(こえ)、
「ありや徳さまではないかいの。コレ徳樣々々」(*1)
「曽根崎心中」の冒頭の語りの部分です。当時の名所旧蹟や町名と、主人公の思い悩むこころ模様を語呂合わせさせながら小気味よく紹介しています。僕は「色で導き情で教へ、戀を菩提の橋となし、渡して救ふ觀世音」のくだりがとても好きです。まあ、そんなことはどうでもよろしい。大坂の内本町にある平野屋は“生醤油の袖したたる”と語りにあるように醤油商であり、そこの手代の徳兵衛が商談の帰り道に神社の前を通ります。門前の茶屋より馴染んだ声が掛かる。「あれ、徳さまではないかいの、これ徳さま、徳さま」──ここから物語は、一気に谷底に駆け下るようにして一組の男女を“死”へと引き込んでいきます。
ひとりの遊女と商家の手代が大阪、曽根崎の神社がある森で情死を遂げるまでの物語です。有名な戯曲ではありますが、何より映画(*2)の印象が強く残っています。徳兵衛(宇崎竜童)がためらいながら突き立てる日本剃刀(かみそり)に急所を次々に外され、ゆえに死に切れずに首から胸から血だらけになってあえぐお初(はつ)の様があまりに不憫で、その後、唐突に訪れた彼女の死がさらに寂しく、どうにもうら哀しくってなりませんでした。増村保造の演出は空転する箇所もあったけれど、お初役の梶芽衣子の迫真の演技に支えられて、小品ながらも時代を越える普遍性を内包していました。
よく知られていることではありますが、この舞台劇は実際に起きた事件を題材にしています。近松門左衛門の創意が幾らか介在しているにせよ、徳兵衛という男の面影の一端、年齢や職業といったことはおそらく“事実”なのでしょう。他人の目には突飛に映るかもしれないけれど、彼が“醤油屋”に勤めていたことを知って僕は心底驚いてしまいました。
「我幼少にて誠の父母に離れ、叔父といひ親方の苦勞となりて人となり」生真面目に働いてきた徳兵衛という男が、初という娘に出逢い変調を来たしていく。主人でもある伯父の言葉によれば「彼の正直な徳兵衞め」は「今日此頃は平生の魂が入替り、錢金を湯水の樣に、夜々(お初のもとに)通ふ」始末です。いかにも恋は曲者、いにしえよりひとを盲目にして狂わしむる危険な麻薬であります。
恋情に捕らえられるに貴賎の区別はなく、もちろん職業の違いも関係はありません。絡まった蜘蛛の糸にもがき暴れていくにつれてより強く手足を縛っていくように、どのような生まれや育ちであろうと恋に落ちるときは落ち、狂うときは狂ってしまう。到底逃れられるものではありません。だから徳兵衛の陥った恋愛に不自然は感じません。
けれども、「錢金を湯水の樣に、夜々通ふ」ことに無理や破綻がまるでないことはどうでしょう。店の金を横領した訳でもなく、無計画な借金をしたわけでもない。むしろ徳兵衛は金銭に関しては無頓着で借金の経験すらない。可愛い姪っ子との婚礼話を徳兵衛から断られて怒り心頭の主人から、おまえの義母が先日受け取った金を直ぐに返済せよと迫られて大いに動揺し右往左往する訳ですが、「京の五條の醤油問屋、常々金の取遣すれば、これを頼みに上つて見ても、折りしも惡う銀もなし。(顔馴染みであることを頼りにして、京の五条の醤油問屋に借用出来ないものかと尋ねてみたが、折悪しく手持ちの金が少なくって駄目だった)」とあるように、どうやら方策が掴めず闇雲に奔走しているように見えます。個人的に金に困ったことが無いのです。
なんとか義母から取り返した大切な金を主人に返却しに帰る道すがら、かねてからの友人の九平次に出逢い平身低頭で頼まれて貸してしまい、そのことを発端として心中を余儀なくされている。借金の怖さを知らぬ無防備な生い立ち、生真面目で純粋な性格が読み取れます。
数年前に日本経済新聞に連載され後に映画化もされた渡辺淳一の「失楽園」(1995-96)は平成の“心中もの”だったけれど、男の職業は“編集者”であって、僕たち市井の人間の世界とは隔絶した気配を当初から匂わせていました。少なくともわずかな日銭を追って生きていく者ではありませんでしたね。女性を夢に酔わせ、幸福に舞わすにはお金が掛かります。淡い恋の諸相がやがてじりじりと灼熱を帯び始め、どろどろと男女ふたりが溶け混じって精神的、肉体的に一塊の融合を果たすほどにも上昇を極めて行くには、そこにそれ相当の資金が投入されることとなるのは、(なんとなく腑に落ちないけれども)確たる事実ではないでしょうか。
そのような男女間の揺るぎない鉄則もあって、徳兵衛という“醤油屋ふぜい”がお初という(一流ではなかったかもしれませんが)遊女の慈愛や仏性を呼び覚まし、道行き=死すらを決意させるに至る流れが不思議でならなかったのです。ですが、彼が多額の手当てを日々支給されていたのであれば話は違ってくる。
江戸の初期から中期にかけて醤油というものがどれだけ贅沢品であり、高価であったかが透けて見えてくるのです。量販店の棚に押し合いしてひしめき、数を売ってようやく利益を確保する商売と伝え聞く現代の醤油屋さんですが、昔は誰もが一目置く収益性の高い職業だったわけですね。(*3) だから徳兵衛は金に困ったことがなかったのです。「錢金を湯水の樣に、夜々通ふ」ことが出来て、お初との会話と空間が濃密となって相思相愛の深い仲となれた。
お初にしても平野屋の主人との会話の中で「再々見えはしますれど、よしない金は遣はせませぬ」、つまり、徳兵衛には良くない出処の金は遣わせないから恨んでくれるなと反論していて、無理な背伸びをした関係を強いたのではなかったことがうかがい知れます。この辺りに関して先に紹介した映画(脚本白坂依志夫、増村保造共同執筆)では、初が徳兵衛恋しさの余りに揚代を立て替えていたと改変しているのですが、実態は遊ぶ金には困らぬ身分だったのですね。
初「何時まで言ふて詮もなし。はや/\殺して/\」
と、最後を急げば
徳「心得たり」
と、脇差するりと拔放し、
徳「サア只今ぞ。南無阿彌陀々々々々々」
と、いへども有繋此年月、愛し可愛と締て寢し、肌に刃あてられふかと、
眼も暗み手も顫(ふる)ひ、弱る心を引直し、取直しても猶顫ひ、
突くとはすれど切先は、彼方へ外れ此方へ反れ、二三度閃(ひらめ)く劍の刃、
「あつ」とばかりに喉笛に、ぐつと通るか、
徳「南無阿彌陀、南無阿彌陀、南無阿彌陀佛」
とくり通し、繰通す腕先も、弱るを見れば兩手を伸べ、斷末魔の四苦八苦、
哀れといふも餘りあり。
徳「我とても後れうか。息は一度に引取らん」
と、剃刀取つて喉咽に突立、柄も折れよ刃も碎けと、
えぐりくり/\目も眩(くる)めき、
苦しむ息も曉(あかつき)の、知死期(ちしご)につれて絶果たり。
誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え、取傳(とりつた)へ、
貴賤群集の回向(えこう)の種、未來成佛疑ひなき戀の、手本となりにけり。
現実はどうなのか僕は分かりません。ロマンチックで裕福な業界人が何処かにおられるかもしれませんが、読み進めてきた小説や映画といった現代劇において女性への一途な恋に疾走し、大金を持って、はたまたなけなしの金を工面して懸命に甘い舞台を用意する“醤油屋”の男という設定を観たことがありません。だいたいにして恋愛劇の舞台上に端役として立つことすら稀(まれ)です。“未来成仏疑いなき恋、手本”とまで謳われた「曽根崎心中」を振り返ると、その段差に眩暈のようなものを覚えるのです。
徳兵衛の恋が“事実”としてあり、“日本人の恋愛観”の代表のひとつとして広く世界中に伝えられて行くことに対し、そこに“醤油”が担っているイメージの変遷を重ね合わせて、どうしても奇蹟と言うか奇怪を感じて唸ってしまうのです。
(*1): 岩切良信氏【ほろびゆく日本語を憂ひて】に分かりやすい解説があります。 http://www.melma.com/backnumber_111318_2371147/
(*2):「曽根崎心中」1978年 監督 増村保造
(*3): 長崎東高在京同窓会/長崎学の部屋/「料理を変えた醤油」─長崎出島との関わり 井上早苗氏 http://www19.big.or.jp/~higashi/nagasaki/inoue/exprice.html
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