2010年12月30日木曜日

石井隆「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」(2010)~層が交互に重なって~


今秋10月に公開された石井隆(いしいたかし)さんの映画(*1)のなかに、巨大な石切り場が登場していました。僕たちの五感はなんとなく大きな建築物に対し麻痺したようなところがありますよね。高層ビルディングが身近にそびえ、日々テレビジョンを通じて雲を突き破らんばかりの鉄塔を見せつけられる世の中です。しかし、この映画で映し出される場処(劇中“ドゥオーモ”と呼ばれる)は、つい身を乗り出させる強烈なものがみなぎっていました。奇観にして壮麗、空虚にして厳粛、またずいぶんと不思議なところを見つけたものです。


天井までの高さが30メートルにも達するこの狂気じみた空洞は、当然ながらどこもかしこも同質の岩で成り立っています。さまざまな要求(効率性、防燃性、見栄え、そしてもちろん経済性)に応える余り、複合素材が骨やら肉やら血管のように絡み合う現代建築に慣れ切った僕の目には、もうそれだけで衝撃がありました。


加えて陶然としてしまうのは、広い天井を支えて見えるいくつもの柱です。いや、柱という概念を超えた厚みと大きさであって、けれど“壁”とも言い難く、独特の存在感を主張してあちらこちらに佇立しています。禍々(まがまが)しいというか霊的なものを想起させる面体(めんてい)をしている。石井さんは神や仏を前面に据えた劇を作らない人なのだけど、作り手の深意はどうあれ宗教的空間としての起動はもはや避けがたく、柱の手前で繰り広げられる陰惨な行為の数々が否応なく祭祀的な光彩を帯びていくのです。一見の価値ある迫力の映像です。


映画のなかでは味噌も醤油も見当たりません。いや、台所に確かPET容器に入った醤油が置かれていたような──まあ、いいでしょう。特別な思いは託されてはいません。ここで取り上げた理由は石切り場の生い立ちが“ミソ”と関わりがあるからです。以前訪れた砕石に関する道具や資料を展示する場所で、次のような展示プレートが飾られていて吃驚しました。ちなみにその資料館はかつて採石場だった場処を改装した作りになっています。


ミソの層 

この坑内は、下図のようにまず垣根掘りで山に横穴を掘り、そこから

平場掘りで柱を残しながら地下を掘り進めました。(中略) 

きれいな石の層と、「ミソ」と呼ばれる茶色の塊を含む層が交互に重なって

います。上記の採掘法をとることにより、ミソの層を残し、きれいな

石の層だけを採掘できるようになりました。現在地はきれいな石の層の

採掘跡で、天井にはミソが確認できます。


斜面の腹にまず穴を穿ち、そこから採掘を開始します。横に横にと掘っていくと見た目に良くない石の層(ミソと呼ばれる部分)にぶつかります。その部分は商品価値が低いので掘らずに残して迂回し、きれいな石の層だけを掘り進めていく。横に掘り切ったら、今度は下へ下へと掘り下げるのですが、ミソを含んだ部分は層となって集中していますから、先に迂回した箇所のその下にも同じようにミソが大量に眠っていると考えられるわけです。結果的にまたもや迂回して残されていく。


だから、この洞窟空間の成り立ちは徹底して上から下であって、地上から地下へ延々と掘られ続けた結果なのです。大きな柱と見えたのはミソを避けた部分の集積である訳ですね。一層二層と掘り下げるに従い、同じ箇所のみ放っておかれた結果、そこが柱のように見えていく。通常柱は下から上へ伸び上がって天井を支える役割を果たすのだけど、ここでは氷柱(つらら)のように下へと伸びたのが実際のところ。日ごろ見慣れた建築技法とは真逆の進みようで、想像すると眩暈を起こしてクラクラします。もちろん天井を支える役割を担ってもいるのだろうけれど、迷路のような回廊の生い立ちにミソが関わっていた、というのはちょっと愉しいですね。


映画のスチールに目を凝らせば、竹中直人さんや佐藤寛子さんの駆け回る背後の白い壁に、手の平でずりずりとなすり付けられたような赤い帯が走っているのが確認出来ます。血痕のようなあの印象的な筋こそが“ミソ”だったのです。


明治期から黙々と過酷な労働にいそしんできた職人たちが“ミソ”をどのような思いで見てきたものか。金にならない無駄なものとして苦々しく見ていたのか、それとも“クソ”と呼ばないだけ愛着があったものか。それはよく分かりません。きっと良い思いを抱きはしなかったことでしょうね。


彼らは芸術を意識した訳でもなく、祝祭空間を神に献じた訳でもありません。家族を養い、日々の糧を得るためにヘトヘトになって働いていただけです。しかし、その結果としてこのような壮大な空間が後に遺されていき、訪れた今日(こんにち)の人の目を釘付けにしていく。機械化が十分でなかった頃から毎日数十センチメートルずつ掘り進められていき、ここまでに至った空間には畏怖を、そして先人たちへの尊敬の念を深く抱くばかりです。


仕事であれ、家庭であれ、それに愛情であれ、総じて人の営みとは似たり寄ったりの成り立ちのような気がしています。何かを為し遂げようと遠大な計画を胸に抱いてみても、毎日のそれは大概地味でほんのちょっとの採掘に過ぎない。ミソにぶつかれば悔しいかな無理な迂回も余儀なくされて、汗のみ流れるばかりで実入りはない。


下に下に掘り進めば、切り出したものを上に運ぶ手間も増えるばかりだし、いよいよ地中に潜っていって濃い闇に包まれるばかり。崩落の恐怖もふつふつ沸いても来る。けれども、ふと振り返って見て、ようやくそこで自分の道程がなし得た結果に驚く。


振り返った場処に広がる空洞を虚しいと見るか、それとも充実と見るか。もはや価値のない廃坑と見るか、それとも魂のことを語るカテドラルと見るのか。僕は後者であると信じたいですね。


間もなく新しい年の幕開けです。さらに洞窟を素晴らしい息吹で充たしていきましょう。

どうか良い年をお迎えください。


(*1):「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」 監督 石井隆 2010 

2010年12月29日水曜日

宮迫千鶴「味噌とジェーン・バーキン」(1995)~お前のことが思い出される~



「祖母の家の、地下の物置の奥に、味噌が入った甕(かめ)が

いくつもあった」という電話が、田舎に住む従姉妹から入ったのは、

祖母が亡くなって数年後のことだった。(中略)

祖母はそういう死の準備のあいまにも、いつものように味噌を

仕込んでいたのだろうか。死にゆくことと、明日の食べ物とを

同じように思いわずらっていたのだろうか。(*1)


天候が崩れるその前に挨拶回りを終えておかなきゃと思い、背広を羽織ると車を駆って外に出ました。ドアホン越しの笑顔と口上、玄関での世間話と如才ない健康談義が続いていきます。出掛けには腰がずしりと重たかったものだけど、ひとかどの人たちとこうして直に顔を合わせて生の声を聞けることは嬉しいし、やはり有り難いものです。人間は群れなして生きるものであり、挨拶というのは本源的な歓びに結び付いているのでしょうね。じんわり勇気付けられるところがありました。


それにしても一年が早いです。昨年の今ごろに踵(かかと)揃えて同じ玄関の三和土(たたき)を同じように踏みしめ、似た笑顔と会話を交わしたときの映像がありありと脳裏に蘇えってきて、目の前の光景とぶわぶわの二重写しになるみたいでした。濃厚なデジャ・ビュに魂が持って行かれる、あの感じです。つい先日のような既視感があって、ちょっと薄気味悪いというか奇妙な具合です。歳を取るってこういう事でしょうか。


ぼちぼち官公庁や工場は仕事納めとなり、なんとなく街は緊張がほどけた雰囲気です。渋滞もかなり減ってきたし、前後左右の窓越しに覗く表情どれもが柔和に見えます。白い陶器に盛られた半熟玉子みたいに崩れ霞んでぼんやりした風情。疲れもそろそろ出て来たせいでしょう。皆さん、おつかれさまでした。


これからも休みなく働かれる人もおられるでしょう。こころから「ごくろうさま」。僕も元日以外はあれこれと有りそうで、仕事場への日参を余儀なくされます。着飾った人に混じっての年末年始の勤務というのは決まって侘しいもので、塩味の効いて切ないものが胸にどっとたぎりますが、ひと息ぐいと呑み込み、もうちょっとだけ励んでまいりましょう。


さて、上に紹介したのは宮迫千鶴(みやさこちづる)さんのエッセイ「味噌とジェーン・バーキン」の冒頭とやや中盤寄りのところからの抜粋です。目次にも奥付にも何も見当たらないところからすれば、当時単行本のために書き下ろされたものでしょう。

新聞や雑誌で絵画展や新作映画に対する評論、新刊書をめぐる書評などを読むといかにも宣伝っぽい内容のものが目に止まって鼻白むことがありますが、同様のものがこの本からはわずかに薫って来ます。味噌に光を当てて礼賛しまくる主旨の本みたい。著名なひとがぞろり寄稿しているのは壮観この上ないけれど、ちょっと呈味(ていみ)が単層で乏しいと言うか、メリハリがないというか、行間に寄せ返すものが見当たらずにずっと凪(な)いだままの印象が気になります。ぽってりと曖昧な感覚が読後に残ってしまうのです。


その中にあって宮迫さんの文章と、もう一篇、久世光彦(くぜてるひこ)さんの書かれたもの (*2) は異彩を放って面白かった。両者とも“味噌”と“糠床(ぬかどこ)”を混同しておられるのがご愛嬌ですが、褒め言葉と責め言葉が入り混じって一方的に持ち上げることはない。バランスがいいんですね。味噌(久世さんは明らかに糠味噌)を主軸に据えながらも、家族や恋人との愛執や別離を怖じることなく赤裸々に語っています。割り切れないひとの想いがそっと(糠)味噌に投影されていて、味わい深い短編映画を見るようです。


「同封のジェーンはお前と同じ年である。

お前のことが思い出される」

そのページには、いつものように野性的で飾り気のない

表情をしたジェーン・バーキンの写真と、彼女の言葉が載っていた。

そしてその言葉に、父が引いたと思われる赤いボールペンの

サイドラインがいくつかあった。

「子供とは一生のつき合い」

「娘たちが自由に生きている姿を見るのは私の夢。

死ぬことさえなければ何をしてもいいと思ってる」

「心も外見も“偽装”するのが嫌いな彼女」

 病床で引いたその赤い線はどことなく力がなかったが、

それらはバーキンの言葉を借りた父からのメッセージだった。(*1)


宮迫さんの回想は味噌の入った甕(かめ)の発見から始まって祖母の思い出、祖父の思い出に連結していき、ガンに侵されて病床に伏せる父へと移動し、さらに病院の彼から届けられた郵便封書に跳躍していき、手紙に添えられていた雑誌の切り抜きにやがて焦点が絞られていきます。

切り抜きは女優にして歌手でもあるジェーン・バーキン(*3)さんの記事であって、彼女の言葉が最後にいくつか引かれていく。すると、連綿と続く生命のバトンを受け継ぎ、今まさに人生の潮流で懸命に泳いでいる最中の宮迫さん自身をその言葉たちが優しく照らし出していくのでした。回想に次ぐ回想を経て繋がるのは脈絡のないフラッシュバックでなく、実は血族の在り様なのです。


僕にとってバーキンさんの決定像はアントニオーニの映画(*4)でもなく、オサレなバッグでもなく、パートナーであるゲンズブールさんとの有名なデュエットでもなく、音楽の素養に乏しい僕でありますから数々の唄でも残念ながらなくって、画家とモデルのせめぎあいと確執を徹底的に描いた二十年程前の映画(*5)に集約されています。人生の年輪をそっと刻んで、繊細さと胆力を内に極めた画家の妻役を、バーキンさんは見事に体現しておられました。明日を今日に繋げて生きていくことの酷さと素晴らしさが細い身体に凝縮して感じ取れて、モデル役を務めた女優さんの若い肢体と互角に張り合っており息を呑んだのです。


タイトルだけを見ると、まるでバーキンさんが味噌汁椀に対峙して大きなお口をへの字にしたり、はたまたこれはしたりと艶然と笑顔を向ける、そんな場面が浮かんで来ます。なんか宮迫さんに上手く騙されたような感じだけど、幾度か読み返してみると多層な味と香りが口腔に拡がっていくようで、僕はこれはこれで興味深い“味噌エッセイ”だと受け止めているのです。グラビア越しに送られるバーキンさんの、それは僕にはあの映画の彼女なのだけど、重く成熟した目線も含めて祝福されているように感じるのです。


深い回想へと導き、ひとから人へ寄せられていく想いを丁寧に掘り起こした上で、咀嚼し消化するのを手助け、生きる糧と成していく。二代三代と世代を跨いで食べられていく味噌なればこそ、その引き鉄(がね)となって悠々と機能し得ているのであって、他にどんな食べ物が代われるとも思えない。味噌が具えている特異で幸福な立ち位置を、よくよく酌みとってみせた佳品であったと思います。


(*1): 「味噌とジェーン・バーキン」 宮迫千鶴 「みその言い分」 マガジンハウス 1995 所載 
(*2):「過ちでもなく、悔いでもなく」 久世光彦 上記単行本に所載 “糠味噌”じゃなかったら別に紹介するんだけどなあ。 
(*3): Jane Birkin OBE 
(*4): Blowup  監督 ミケランジェロ・アントニオーニ 1966
(*5): La Belle noiseuse. Divertimento 監督 ジャック・リヴェット 1991 最上段の写真も
 

2010年12月27日月曜日

吉行淳之介「怖ろしい場所」(1975)~いいことがあるの~




 朝飯は茶の間に用意されていた。味噌汁のほかに、生卵が

一個と焼海苔が添えてあるというような、当たり前の食事である。
 
最初の日は、女が傍にいて飯のおかわりをよそってくれた。

薄い白い膜のかかっているようにみえる眼で、黙ってじっと

羽山を見ている。(中略) 十日ほど経った朝、茶の間に降りてゆくと、

卓袱台(ちゃぶだい)に茶碗が二つと吸物椀が二つずつ置いてあった。

箸を見ると、一つは羽山の使いつけのものである。

「今朝は、あたしもご一緒しますわ」

と、女が言った。(中略) 不美人とはいえない。むしろ目鼻立ちは

整っているといってよい。ただ、全体が澱んでいる。

「よろしいでしょう」

念を押すように、女は言って、卓袱台の前に座った。吸物椀をとり

上げて、ゆっくりと味噌汁をよそった。
 
薄く切った四、五片の胡瓜(きゅうり)が、味噌汁の上に浮かんで

いる。胡瓜の味噌汁を食べるのは、はじめてのことではない。

冬瓜(とうがん)のようなはかない味がする。

「夏のあいだに、一度はこれを食べておかなくてはいけないわ」
 
椀を口の高さに持ち上げ、湯気のむこうで細く眼を光らせて、女は言う。

「なぜです」

「こうしておけば、いいことがあるの」

初耳のことだったが、どこかの地方での習慣かもしれない。

「いいことって、どういう」

「…………」

「つまり、夏負けしない、とかいうようなことでしょう」

「それもあるけど、いいことが……。だから、今朝は

ご一緒させていただいたのよ」

厭な予感がしてくる。(*1)


ちょうど厄年といいますから、42歳になったのらしい“羽山”という小説家が主人公です。夜の銀座をそぞろ歩き、面貌、性格の異なる女性たちを花に見立てて蝶みたいに翔んで回る。吉行さんらしい元気なお話ですね。「やっぱり、女とのつき合いは、ほどの良いのが結局のところは楽だ」(*6)と考え、「稀に、両方の心に相手にたいする興味が動くことがある。そういうとき、その女にかかわり合いを持つとどうなるか、だいたい見当が付く」(*7)。
 

情が移っていくことを警戒して「ニヒルを決め込む」(*4)ことに決め、「女の部屋に入ったことがない」(*3) 。「これまでは、おおむね無難に過ごしてきた」(*7)──そんな男が羽山です。「部屋には、台所があるし、その女の生活している日常的な気配が漂っている。そういうものは沢山だ」(*3)そうです。末尾の解説によれば、わが国を代表する経済紙を飾った連載小説だとか。時代だな、と思います。


物語自体は巧妙な造りをしていて楽しく読み終えました。上記に引いたのは羽山が小説家に転進するずっと前の若い時分、民家の二階に下宿していた折の回想です。大家は羽山と同年輩のおんなで、一階に独りで寝起きしています。それが女郎蜘蛛のようにして初心(うぶ)な羽山にずり寄っていく。ぼわぼわと妖しげな光を放つ“食べもの”が続々と給仕されていき、笑えるけども実に怖い描写になっている。


恋情や欲情に付随して“食べもの”が面持ちを変えていくことは往々にしてあり、卑近な例をあげれば手作りのケーキやチョコレート菓子、弁当が極端な変幻を遂げることがありますが、これをもっとエスカレートさせた展開が羽山を襲撃して大いに笑わせてくれる。最後まで僕は物語世界に踏み込めず、男たちや彼らと関係を持つおんなたちに気持ちを預けることはならなかったけれど、“食べもの”の、さらには“味噌汁”の描かれ方はなかなかの味があり感心することしきりでした。 “こころ”と直結していて堂々たる面立ちです。


こんな場面もあります。こちらは現代(七十年代)の東京。


「とにかく、めしを食いながら話を聞くことにしよう」

二人は、銀座にある馴染みの関西料理店に入っていった。

日本料理のコースは、つき出し、刺身、吸物、焼物……、

とすすんでゆく。刺身を食べおわったとき、川田が註文した。

「赤だしをください」

「それは最後でいいんじゃないか。白子の白みそ椀くらいが

いいとおもうがなあ」

羽山がそう言うと、川田は首を横に振って、

「でも、赤だし」

「料理の順序はどうでもいいようなものだけどね、

なぜ赤だしを急ぐんだ」

羽山はふしぎな気がして、たずねた。

「はやくまともな味噌汁が飲みたいんだ」

「なぜ」

川田は言い淀んだが、

「今朝、ひどい味噌汁を飲まされてねえ」

「どんな」

「どんなって、まるで塩水を生ぬるくしたみたいな……」(*2)


経理一切を任している会計士にして親友である川田が、会食の席で羽山に対しこっそり打ち明けています。薄気味の悪い味噌汁を毎朝飲まされ続けている事実。浮気を疑う川田の妻がじめじめと変調していき、日ごと夜毎の料理がグロテスクさを増していくのです。とても怖くて忘れられない味噌汁がざぶりと盛られ、ゆらゆらの湯気の向こうでおんなの瞳がじっと男を見据えている。


「不機嫌な気分で料理したものは不味い」(*5)ものと羽山は論理的に解析してみせるのだけど、僕ら読者とすればもう理屈で納得出来るものじゃありません。口腔や鼻孔に気色の悪い違和感がむにゅむにゅと広がって、ひいっ、げえっ、と悲鳴も洩れる瞬間です。なんとも凄絶な味噌汁があったものです。




人が人を愛することは尊いことですが、時に盲動が加速して止めようがなくなります。その逆もしかり。人が人を疑いはじめると五感が狂っておかしなことが続発する。確かにそうかもしれませんね。いわんや殺気立ち、忙殺される年末においてをや。お互い気を付けましょう。


これが今年の締め括りかしらん。皆さん、どうか善い年をお迎えください。こころ穏やかに、新しい真白い蝋燭のぼうっと灯るみたいにしゃんと立って、キンと冷え込む夜気のなかを元気にしっかりお歩きください。滑って転ばないように。


来年も楽しく語り合えることを、心から願っております。



(*1):「怖ろしい場所」 吉行淳之介 初出は「日本経済新聞」(夕刊)の連載小説 1975(昭和50年)1~8月 手元にあるのは新潮文庫版 6刷 1979のもの。以下の頁数はこれによる。70-72頁
(*2):96-97頁
(*3):208頁
(*4):222頁
(*5):307頁
(*6):315頁
(*7):214頁

2010年12月24日金曜日

泉鏡花「眉かくしの霊」(1924)~魔が寄ると申します~



「裏土塀(うらどべい)から台所口へ、……まだ入りませんさきに、

ドーンと天狗星(てんぐぼし)の落ちたような音がしました。

ドーンと谺(こだま)を返しました。鉄砲でございます。」

「…………」

「びっくりして土手へ出ますと、川べりに、薄い銀のようでござい

ましたお姿が見えません。提灯も何も押っ放(おっぽ)り出して、

自分でわッと言って駈(か)けつけますと、居処(いどころ)が少しずれて、

バッタリと土手っ腹の雪を枕に、帯腰が谿川の石に倒れておいででした。

(寒いわ。)と現(うつつ)のように、(ああ、冷たい。)とおっしゃると、

その唇から糸のように、三条(みすじ)に分かれた血が垂れました。

 ――何とも、かとも、おいたわしいことに――裾(すそ)をつつもうと

いたします、乱れ褄(づま)の友染が、色をそのままに岩に凍りついて、

霜の秋草に触るようだったのでございます。――人も立ち会い、抱き起こし申す

縮緬(ちりめん)が、氷でバリバリと音がしまして、古襖(ふるぶすま)から

錦絵(にしきえ)を剥がすようで、この方が、お身体を裂く思いがしました。

胸に溜まった血は暖かく流れましたのに。――(*1)



記念館の解説ボランティア(確かMさんと仰られたはず)に「白鷺(しらさぎ)」の幽霊の鮮やかさ、淋しさを諭されて俄然興味が沸いてきて、「新鑿(しんさく)」「尼ヶ紅」「貸家一覧」「吉祥果」「国貞ゑがく」「紫手綱(むらさきてづな)」、そして、前述の二作と読み進んでまいりました。


流麗そして哀憐、ときに猟奇に色づく泉鏡花(いずみきょうか)さんの創作宇宙。物語を追うにつけ、こころの奥にまどろむ炭火にふっと息を吹き込まれた具合になります。ぼうっと胸底が熱くなり、一杯の水を渇するがごとく次の本を手に取ってしまう。


──本来そういうのって、十八前後の若い時分の状景でしょうね。折り曲げた両腕をふっくら優しい胸もとで交差させ、鏑木清方(かぶらぎきよかた)さん装丁の「鏡花全集」、古色滲ますそのうち一冊を後生大事といった感じにひしと抱え込んでキャンパス内を闊歩する、そんなうら若い娘さんたちの姿が目に浮かびます。


僕みたいな風体の者が読んで語っていくのは、だから相当にずれた行為かもしれない。けど、なんだろう、この齢になったればこそ深々と胸に迫る場面もあって、また実際に励まされもしたのです。おどろおどろした妖怪ものも見事だけれど、そこに合縁奇縁、愛執染着(あいしゅうぜんちゃく)の横糸がなよやかに絡んでいくと、もう駄目です、とても逃げられない。


読書や映画、絵画に風景、それに“人”もそうかもしれないけど、邂逅といったものは不思議と訪れるべきときに訪れるように見えます。ある一篇なんかは誰か、いや、人知の及ばぬ“ナニモノカ”からの僕への伝言にさえ想えてしまい、わんわん響いて今も余韻に浸っています。“運命”や“宿命”という想いは判断を曇らせ、妙な水域に流されてしまう危惧もあるけれど、そういった不思議な導きはきっと誰もが感じるものでしょう。勇気付けられる一瞬だし、ほんとうに嬉しいものです。守護されている、今がそのときという気分。──読めて良かったとしみじみ思いますね。


さて、上に引いたのは「眉かくしの霊」の終幕間際の部分。お艶というおんながひとりうらぶれた村にやって来ます。愛する男(これがヘタレでどうしようもないのが、よりおんなへの哀惜を誘うのです)の汚名を晴らそうとするのだけど、想うところあって村の古池の淵に住まうという、得体の知れぬ妖女“奥様”の面影を真似た化粧にいそしむのでした。それが祟って猟師の村人に撃たれてしまい、哀れ悲願果たせず死んでいくところです。


 撃ちましたのは石松で。――親仁(おやじ)が、生計(くらし)の苦しさから、

今夜こそは、どうでも獲(え)ものをと、しとぎ餅で山の神を祈って出ました。

玉味噌(たまみそ)を塗(なす)って、串にさして焼いて持ちます、その握飯には、

魔が寄ると申します。がりがり橋という、その土橋にかかりますと、お艶様の方では

人が来るのを、よけようと、水が少ないから、つい川の岩に片足おかけなすった。

桔梗ヶ池(ききょうがいけ)の怪しい奥様が、水の上を横に伝うと見て、パッと

臥打(ふしう)ちに狙いをつけた。俺は魔を退治たのだ、村方のために。と言って、

いまもって狂っております。――(*1)


 山の神に捧げることで狩猟の無事と成功を祈る“餅”がおもむろに登場しています。間もなく家のあちこちで始まるだろう本格的な樽仕込みに備えて、軒先にぶらぶら吊るされていたものでしょうか、糀(こうじ)菌が薄っすらと表面を覆っていたかもしれぬ“味噌玉”が手元に引き降ろされ、餅の白い肌をぺたぺたと茶に汚していく。さらにはずいずいと串に刺し貫かれて火にあぶられていきます。ところどころ無残に焼け焦げたそれが、結果的に魔物(神)を招来してしまう。


 化け物に相違なかろう“池の奥様”の面相をおんなが真似たは戯れではなく、おののかせると同時に人を圧倒し感動もさせていくその美しさと神々しさをなんとか借りて、自分と愛する者の将来のために一世一代の勝負に出ようと必死だったからです。(化粧という行為が本来秘めている原初的、祝祭的なものが強調されてもいますね。)偶然か必然か、“食の呪(まじな)い”によって今やナニモノカに支配された男の銃口に倒れ、“化粧の呪(まじな)い”を施したおんなはすすっと血を吐いて事切れていく。二通りの呪術が闇夜に激突している。凄絶な展開です。


 神仏を表わす石塔、石像に味噌を塗りつけることで平穏安泰を願う風習が、そう多くはありませんが日本各地に残されています。七五三の千歳飴、正月の鏡餅、三々九度の盃、冬至かぼちゃ──。思えば食べ物と呪術はとても近しい間柄にあるのですが、現代に生きる僕たちはもうほとんどその効果を信じておらず、形骸化した慣習となって悪戯に目前を過ぎていくばかりです。


 僕のなかでも同じであって、味噌に呪術的な色彩を覚えることは終ぞありませんでした。鏡花さんのこの悲恋物語で土着的な荒々しさを体現した“味噌玉”が突如現われ、魔物を招呼して、懸命に生きてきた、生きていこうとするおんなの息の根をずんと止めてしまったその悪役ぶりとまがまがしさに心底息を呑んだのでした。


 幽玄の世界と現実の境界にここでの味噌(玉)は佇んでいて、これまでとは違った灰色の影をまとっています。とても刺激的な登用であったと思うのです。だってどうです、もはや僕たちの生活を飾る味噌汁は無表情ではいられない、そんな風じゃありませんか。なんとなく椀の中からじっとこちらを見上げて、僕たちの気持ちをまさぐっているみたい。味噌汁とは、もしかしたら相当に怖いものかもしれません!


 あ、今夜は聖夜ですね。ワインやスープが食卓を飾るのでしょう。きっと味噌汁の出番はないでしょうね。メリークリスマス、みなさん穏やかで暖かい夜を。善きナニモノカを身近に呼び寄せ、こころ静かに楽しくお過ごしください。


 いい夜を。


(*1):「眉かくしの霊」 泉鏡花 1924 僕が読んだのは集英社文庫版
   写真はこちらの方のブログから拝借しました。勝手にごめんなさい。
http://www.ktmchi.com/2005/1204_05.html

2010年12月16日木曜日

泉鏡花「歌行燈」(1910)~ぎゃふんと参った~



「……上旅籠(じょうはたご)の湊屋で泊めてくれそうな御人品なら、

御当家へ、一夜の御無心申したいね、どんなもんです、女房(おかみ)さん」

「こんなでよくば、泊めますわ」

と身軽に銚子を運んで寄る。と亭主驚いた眉を動かし、「滅相な」と帳場を

背負(しょ)って、立塞(たちふさ)がる体(てい)に腰を掛けた。

いや、この時まで、紺の鯉口(こいぐち)に手首を縮(すく)めて、

案山子(かかし)の如(ごと)く立ったりける。

「はははは、お言葉には及びません、饂飩(うどん)屋さんで泊めるものは、

醤油(おしたじ)の雨宿りか、鰹節の行者だろう」

呵々(からから)と一人で笑った。(*1)


「高野聖(こうやひじり)」といっしょに本(*2)に収まっていた泉鏡花(いずみきょうか)さんの「歌行燈(うたあんどん)」。その中から序盤の一節です。三味線片手に家々を門付けして歩く男が、宿場町の一角の夫婦ふたりで細々と商っている饂飩屋で暖を取っています。手持ち無沙汰のままに夫婦をからかったりしますが、実は内心穏やかではありません。直前にすれ違った人力車の客にはっと驚き、気持ちは過去へ過去へと溯っている最中。


愁いを帯びた声とどこか陰影を含んだ男の面立ちに店の女房はすっかりのぼせてしまい、冗談を真に受けて一夜の宿を提供しようとする始末。夫は気が気でありません。懸命に断りを入れる慌てた様子に男は笑い、饂飩屋に出入りして雨風をしのぐのは食材の一部である醤油と鰹節が関の山であり、人間の自分は泊まるつもりなど毛頭ないのだと打ち明けている。

ほどなく“醤油”は再登場。次の箇所。


「そないに急に気に成るなら、良人(あんた)、ちゃと行って取って来(き)い」

と下唇の刎調子(はねぢょうし)。亭主ぎゃふんと参った体で、

「二進が一進、二進が一進、二一天作の五、五一三六(ごいちさぶろく)

七八九(ななやあここの)」と、饂飩の帳(ちょう)の伸縮みは、加減

(さしひき)だけで済むものを、醤油(したじ)に水を割三段。(*3)


日もとっぷり暮れて宿場町のあちらこちらでは芸者をあげての宴がたけなわ、呑めや唄えの喧騒のなかで饂飩屋へも出前の注文がぼちぼちと入って来る。色男と女房を二人きりにして店を開けるのが心配で心配でしょうがない夫は、売掛金の確認をそわそわと始めたりして女房の気持ちを離そうと必死です。うるさいわね、と一喝されると、醤油の薄め方は水一に対して幾らだったかしらんと脇でごにょごにょつぶやき、火照るおんなのこころに水を注そうと涙ぐましい振る舞いです。


鏡花さんの文章がなかなかの味、いい調子。それに意地悪でない。愚直な店主を笑い者にしているけれど、人気ある喜劇役者をうまく盛り立てる風で腹黒さが臭って来ない。だから気の利いた小道具然として醤油も明快なままあって、きれいに劇中で踊って見えます。


こころの芯にちろちろ這い出す恋情の焔(ほむら)をパタパタとはたき消していく、そんな役割を醤油は担っているようにも見えます。欲望や観念からの覚醒を押し進める役回りは他の小説にも散見できること。時代を越えて似た趣きは偶然のようでもあり、必然のようでもあり──。少なくとも恋の成就に手を貸す者ではないけれど、ちょっと小粋な客演でした。


物語の顛末はと言うと、これは典型的な運命悲劇。各人各様に背負っている過去が哀しい調べを奏で始めます。飄々とした幕開けでしたがあれは全く違う作品ではなかったかと思わせるほど内容は一変し、急に険しさを増していく。死人が出、凄惨な苦界が眼前に広がり、冷たい風と波が人を弄んで止みません。昏い情景を幾幕か挟んだ後、符号が次々と照らし合い重なって、やがてうねるようにして感涙むせぶ大団円が訪れる。


感謝に打ち震え手に手を託して輪となっていく屋内のまばゆさから、そっと外れて路傍に横臥し生命燃え尽く者もいる。残光がうすく尾を引くような余韻もまた見事で、まるで上質の映画か劇画を目撃しているような読後感がありました。




さてさて、いよいよ歳末となり平成の二十二年も終わろうとしています。代を継ぎ、舞台をかえて、実際の僕たちの暮らしには容易に幕は下りません。生命ある限りはいやおうなしに続いてしまう。小説のような大団円は夢のまた夢。


しみじみと想い馳せれば、僕の周りのあの人もこの人も実に色彩豊かで得難い才能と気性、心根の持ち主だと感心します。そのような人たちと知り合えて本当に良かったと思っています。どうか皆さん、怪我なく元気にこの年末をお過ごしください。


僕は脇役で皆さんは主役、立ち位置や照度は違うかもしれませんけど、同じ舞台で共演し続けられることを心から喜び、願ってもいます。幕下りるまで一緒に過ごしていきましょう。温かくしてお過ごしください。


(*1):「歌行燈」 泉鏡花 1910 (下記文庫)194頁
(*2):「歌行燈・高野聖」 新潮文庫 僕の手元にあるのは2009年の77刷 
(*3):同196頁 
最上段の画像は1960年の映画より。監督 衣笠貞之助 市川雷蔵 山本富士子
観たことはありませんが、人工的で華美な配色に惹かれます。

2010年12月10日金曜日

泉鏡花「高野聖」(1900)~居心のいい~



「さて、それから御飯の時じゃ、膳には山家(やまが)の香の物、

生姜(はじかみ)の漬けたのと、わかめを茹(う)でたの、

塩漬の名も知らぬ茸の味噌汁、いやなかなか人参と干瓢どころ

ではござらぬ。

 品物は侘しいが、なかなかの御手料理、飢えてはいるし、

冥加(みょうが)至極なお給仕、盆を膝に構えてその上に

肱(ひじ)をついて、頬を支えながら、嬉しそうに見ていたわ。」(*1)


 なるほど、百万石の城下町だけのことはあります。古都金沢をはじめて訪れた際、気持ちが洗われる事しきりでした。重厚な町並みと悠々たる史跡群がとても目に映えて、歩いていてとても爽快でしたね。再訪が許されるなら真っ先に足を運びたい場処は、尾張町にある泉鏡花(いずみきょうか)さんの生家跡あたり。さっぱりとした風情の、けれど中身の詰まった記念館が建っています。


 幼少時分の鏡花さんを脳裏に描き、痩せた背中を追いかけるようにして細く曲がった坂段(“暗がり坂”そして“あかり坂”)を下って行く。やがて川沿いに広がる茶屋町の内懐(ふところ)にふわり降り立つその時の、気分の好さと言ったらもうたまらない。静謐な路地にとろりとした色香があふれて、何とも言えぬ雰囲気がありました。


 寺山修司さんの監督したもの(*2)や宮沢りえさんが出ていた映画(*3)の原作で知られた鏡花さんですが、僕には何より「夜叉ヶ池」(*4)、ですね。艶やかにして妖しげな霊気にすっかり捕縛された僕は、それこそ蛇に睨まれたカエルになって席を立てなくなりました。坂東玉三郎さんの演じた魔界の姫にノックアウトでしたね。あの頃の映画館は入れ替えも指定席もありませんでしたから、そのまま二度、三度と見入ってしまった記憶があります。後日テレビで放映されたものも録画して、飽かずに繰り返し観たものでした。懐かしいなあ、久しぶりに観直してみようかしらん。


 上に紹介したのは著名な「高野聖(こうやひじり)」の一節です。旅の途中で知り合った僧と言葉を交わす仲となり同じ宿に泊まることになった“私”は、寝物語に僧侶から奇怪な体験談を聞かされます。ずいぶんと若いとき、眉目秀麗でういういしかった頃のお話です。


 山で道に迷います。葉陰に潜んで待ち構える蛇や蛭(ひる)といった醜悪なモノにさんざ驚かされた末に、這う這うの体で一軒家に逃げ込みますと、そこを仕切っているのはひとりの美しいおんなでした。山の幸に彩られた夕餉が振る舞われ、心ばかりの歓待を受けるその様子が先の引用箇所ですね。素肌をそっと重ねていく夢幻の時間が過ぎていき、若い僧のこころは振り子のように揺れ動いていきます。しかし、おんなの正体は実は……。「夜叉ヶ池」にもどこか通じる幻想譚ですね。


 ここでの“味噌汁”は目の前にざっと並べられたおかずのひとつに過ぎません。特段の発色なり発光を味噌汁椀にだけ見出すことは難しい。それは他のおかずにも当てはまります。記録めいて淡々としている。では、意味なく列記されたのかと言えば、どうやらそうではないようです。ずらずら書かれた料理の献立には、妙な手触りが感じ取れる。


 ほかの鏡花さんの作品を読むと分かるのだけど、「高野聖」ほど食事の場景に傾注しているものは見当たらない。たとえばこんな件(くだり)も最初の方に出てきます。どうです、ちょっと粘っこい言い回しでしょう。


 亭主は法然天窓(ほうねんあたま)、木綿の筒袖の中へ両手の先を

竦(すく)まして、火鉢の前でも手を出さぬ、ぬうとした親仁(おやじ)、

女房の方は愛嬌のある、一寸(ちょっと)世辞の可(い)い婆さん、

件(くだん)の人参と干瓢の話を旅僧が打出すと、莞爾々々(にこにこ)

笑いながら、縮緬雑魚(ちりめんざこ)と、鰈(かれい)の干物(ひもの)と、

とろろ昆布の味噌汁とで膳を出した、物の言振取成(いいぶりとりなし)

なんど、如何(いか)にも、上人とは別懇の間と見えて、連の私の居心の

可(い)いと謂(い)ったらない。(*5)


 生まれて初めて降り立つ駅から夕闇に包まれてとぼとぼ歩き、たどり着いた旅館で振舞われた食事です。旅路における淋しさ、心細さ、恐怖、虚しさといったものが一気に払拭されていく。それ以前のよるべなき時間と、しかと守られて人心地ついた今の時間が料理の詳細を挟んで強調されていく。怯える気持ちと手足伸ばしての安らぎが共に増幅されて見えます。

 
 日常の食事というものは弛緩を誘います。後ろ髪をぐいぐい引かれ、身を引き裂く過去への想いや、将来に対する漠たる不安から一時的であれ解放してくれる。鏡花さんはそんな魂の仕組みをよく見透して、上手く利用している。張られた弦を締めたり“たわめたり”して物語を奏でるのです。音色はきりきりと泣き叫んだり、無限の優しさを帯びたりと変幻自在でついつい惹き込まれてしまう。


 もっとも鏡花さんが本当に描きたいのは日常世界に首をにょろり突き出す“魔”であったり、胸の奥の洞窟から突如湧出する“情念”でありましょうから、ここで引いた料理や味噌汁はどこまでも背景の役割なんでしょう。不安定な場処(山中、異界、逢う魔が時、盂蘭盆など)で渦巻きぶつかり合うこころ模様を存分に描きたいがために、どうやら補助的に登用されている。


 “色気より食い気”という言葉があるけれど、さあ、あなたなら選ぶのはどっちと笑顔で差し出されているみたい。脇役ながらも大切な役割(=日常=情念を封じる)を担った味噌汁が湯気を上げています。(*6)


(*1):「高野聖」 泉鏡花 1900 手元のものは新潮文庫 2009 77刷 引用は61頁。最上段の絵は鏡花作品に心酔していたという鏑木清方(かぶらぎきよかた)の筆によるもの。
(*2):「草迷宮(くさめいきゅう)」 監督寺山修司 1979
(*3):「天守物語」 監督 坂東玉三郎 1995
(*4):「夜叉ヶ池」 監督 篠田正浩 1979
(*5):上記文庫 12頁
(*6):魔の世界に住まうおんな達が何をどのように食するかに視線を注げば、この「高野聖」が“食べ物”をどれだけ意図的に使っているか分かります。日常と非日常の綱引きが、食べものを巻き込んで凄絶に展開されている。両者間の強烈なコントラストは上村一夫(かみむらかずお)さんのドラマ、「狂人関係」なんかに連なりますね。

2010年12月4日土曜日

福田靖「龍馬伝」(2010)~醤油の値も上がって~


龍馬「いや、けんど、こんな野菜はわしゃ京でしか見たことがないぜよ」

スミ「その野菜は今が旬どすさかい」

新助「こんな野菜は近くの畑で採れるさかいよろしゅうおすが、

塩や米の値がいっこうにさがらへん。塩や米の値が下がら

へんと醤油の値も上がってしもうて、お客さんが来はら

ねんようになってしもうた」

スミ「何時になったら元のように落ち着くのどすやろか」

龍馬「もうすぐじゃ、もうすぐじゃけ。さあ、喰おう喰おう」(*1)


 吃驚しましたねえ。こんな柔和な気配を湛えた“近江屋(おうみや)”は空前絶後じゃないでしょうか。


 福山雅治さん演じる坂本龍馬が、身に迫り寄る危険を察して潜伏しています。一説には地方から京都に移り住み活動の拠点を置く者の多くが藩邸の窮屈さを嫌い、歓楽街近くの商家を間借りして住み着いたそうであり、龍馬も単にその一人に過ぎなかったという話もあります。いずれにしても町家の二階で寝起きをしている。



闇のなか黒々と怖ろしげに見える木の階段をじっと仰ぎ見るところから近江屋の描写は始まっているのでしたが、この不自然で執拗なアングルが僕たちに無言で示しているのは何かと言えば、その見上げる先が血なまぐさい殺戮の現場に間もなくなってしまうという哀しい予兆と共に、仮住まいとする階上から龍馬の方がいま“降りて来て”おり、家主(町人)たちの居住空間に混じり込んでいる、ということですね。むしろ後者の方が強調されている。


 行燈(あんどん)の鈍い光にぼうっと浮かび上がる薄暗い空間にカメラがゆったりと進んでいくと、男たちの笑いさざめく声が聞こえてきて、ちょうど食事の最中なのだと分かってきます。龍馬の傍らには商人然とした若い男が座っていて、どうやらこれが当家の主である(近江屋)井口新助のようです。一緒に食事をしている、ここがなにげに凄い。


 用心棒兼世話役の籐吉も加わって車座を組み、くだらない話で座を和ませながら旺盛に箸を動かしていく。目クソが出るのが目尻ではなく目頭というのは字義からすれば反対じゃなかろうか、名付けが間違いじゃないか、と馬鹿話でえへえへ笑っている龍馬に対し、なんと座に加わっていた町人然とした若いおんなが咳払いをして、さらに続け様にやはり着座していた五つ六つぐらいの男の子が「食事の席でなんだ」と龍馬を叱責する。うわっ!


 厳然たる身分社会にあって、こんなにも近しく武士と庶民が膝交え食事をする光景は全くもって稀有なことなのに、なんたる暴言。無礼を働いた町民は即座に斬って捨てられても文句の言えない時代です。僕個人がこれまで植え付けられた感覚においては“ありえない光景”に見えます。


 エンドロールを懸命に目で追えば、井口新助と共にいたのはどうやら妻のスミであり、また男の子は彼ら夫婦の間にできた子どものようです。龍馬の話し相手となって館の当主だけが食膳を共にするならば分かるけど、そこに妻と世間の道理のまだ分からぬ子どもまでもが並び座って、“侍”に対して同等の口をきいている様子は近江屋の場景としては画期的と言っていい。



 近江屋新助が政変による市況混乱に由来する原料穀物のインフレーションについて愚痴をこぼし、それを呑み下した龍馬が一呼吸おいてから噛み締めるようにして「もうすぐじゃ」と返答するくだりも、これまでには見られなかった驚くべき変容でしょう。念のいったことには、場面転換後の別な屋敷内において市場安定の急務を龍馬は熱心に説いてもいる。新助の口から飛び出た先の不満をさらり聞き流すのでなくって、生真面目に酌んで己の思案に重ねていたことが分かってくる。


 例えば以前ここで取り上げもした映画「竜馬暗殺」(*3)ではどうだったかと言えば、隣接する商家の物干し台を借りて望遠鏡で自宅の様子をうかがう新助が描かれていました。政争と世の混乱を絶好の機会と捉えるしたたかな商人の一面を見せていましたし、庶民全般が冷ややかな視線をもってなりゆきに注目していたことを如実に表わしてもいて見事なエピソードです。大きな湯釜の上層で煮え返る熱湯と底に溜まった冷水のように層を隔てた間柄として両者は描かれていたのですが、そのような厳然たる乖離はこれまでの近江屋では当然のかたちであったように思えます。


 実際はどうであったかは知らないし、どのような風景が作劇上正しいかも分かりません。けれど、近江屋という舞台がようやく“個性”を付されてまっとうに呼吸し、人の住まう環境、ものを作って売るというありきたりな生活の場になれたことがちょっと嬉しく思われるのです。直接にそこに在った“醤油”に言及し、それが坂本龍馬の五感にどのように響いたかは依然として先送りにされて内実は変わりませんけれど、一歩だけ屋内に踏み込んでみせた感のある脚本家福田靖(ふくだやすし)さんの仕事については記録に価すると感じています。


(*1):「龍馬伝 最終回 龍の魂」2010年11月28日放映 脚本 福田靖 演出 大友啓史
(*2): 近江屋新助/東根作寿英、スミ/星野真里、新之助/武田勝斗
(*3):「竜馬暗殺」 監督 黒木和雄 1974 

2010年12月1日水曜日

平岩弓枝「女と味噌汁」(1965)~忘れられなくってね~



「そんなに亭主をとられるのが怖かったら、とられないように

ダンボール箱にでも入れてしまっといたらいいんだわ。

妻だ、妻だって、えらそうにいうけれど、妻なんてなによ、

ご亭主からしぼれるだけ金をしぼり取って、女であることを

売り物にしてるんなら芸者とどこが違うのよ……。

自分の亭主が他の女のアパートに泊まって、熱い味噌汁を食べて……

こんなうまい味噌汁食ったことがないなんて言わせておいてさ……。

あんた、恥ずかしくないの……。同じ値段のお茶を、熱湯で煮出し

ちまって……うまいものをまずくして飲んでるような、むだだらけの

暮らしをしてさ、それで、なにが主婦よ……なにが妻よ……

馬鹿馬鹿しい……妻なんて女の屑じゃないの……」(*1)


 いやはや……。文庫本の奥付を見ると昭和61年2月の第11刷とありますから、買い求めてから二十年もの間放っておいたことになります。先日劇場で目にした映画(*2)で先入観をすっかり洗われたこともあり、とうとう読了いたしました。


 若かりし日、数頁読んだところで本棚に仕舞ってしまったのはひとえに僕の経験値の低さ(花柳界も男女の秘め事も、夫婦の倦怠も老いに対する不安も、そして仕事に関する鬱積も実感していなかった。まあ今でも知らないことは多いけど──)が原因なのですが、そこかしこに過剰に作り込まれた感じがあって鼻白むというか、何か論点をはぐらかしているような妙な乖離感がぬぐえずに物語に没入出来なかったせいもある。今回はそれを面白がる余裕も育っていました。なんせ二十年、それなりに堆積するものはあった訳だね。


 酒席で接客する女性がいて惚れる男がいる。互いに夢を描くようになりますが、周囲がそれをかたくなに許さない。ありがちな状況の中に作者の平岩弓枝(ひらいわゆみえ)さんは味噌、日本茶、漬物といった“伝統食”や下駄といった“職人文化”へのまなざしを導入するのでした。


 いざなぎ景気で街の様相がどんどん変わっていく。次々と洋風化する中で見捨てられつつあるそれ等を懸命に言葉尽くして擁護する訳なのだけど、もちろん此処での“古き良きもの”は意図的に登用されているのであって、主人公の “芸者”という職業と二重写しになるよう寄り添っている。そのたくらみは分からないでもないし面白いけど、やや空転気味というか、強引な感じを受けます。破綻まではいかないけど、空中分解気味の顛末が多い。


 こんな場景があります。“てまり”こと室戸千佳子が自宅のアパートにいると、茶色のスーツに身を固めたおんなが一人訪ねて来ます。先日泊めてやった男、桐谷の妻なのでした。睨み合いと言葉の応酬(最上段はその一部)の末にどうなったかと言えば、千佳子が苦労人であることが分かり、味噌汁や日本茶をうまく出すコツを伝授されると「あなた、えらいわ」「奥さんていい人ね」と「二人は顔を見合わせ、眼の奥で笑った」後ですっきりとお別れするのでした。う~む、とっても不思議。


 対する男たちも奇妙な言動を繰り返します。「こんなうまい味噌汁ははじめてだ」(*3) 、「死んだ女房も味噌汁のうまい女でね……」(*4)、「姉さんの作った味噌汁の味が忘れられなくってね……」(*5)。無理やりに男とおんなを味噌汁で接着して見えます。探せば世の中にはそういう輩もいるのかもしれないけど、なんかやだなあ、そんな言葉普通は出ないよ。僕個人の目からすればかなり異常な事態です。人間の魅力はさまざまであるから、もしかしたら味噌汁一杯でめろめろに酩酊させ、足元にひれ伏させる魔術を体得したおんなもいうかもしれないけど、ちょっと苦しい展開だよね。


 祖母に教わった「お茶のおいしい入れ方……味噌汁のおいしい作り方」が自身の肌に合い、朝も夜も「おいしいんですもん」と味噌汁を作り続ける千佳子なのだけど、泊めてやる男たちに思いのほか好評なのを自覚していくにつれて勢いづいて行きます。「この男も、やっぱり同じことを言った」(*6)と内心してやったりと思うにとどまれば自然なのだけど、「どこの家でもパン食みたいな簡単な食事するらしくって、男の人、みんな味噌汁やおいしい御飯に飢えてるって感じよ」(*7)と解析を深め、ライトバンを改造した味噌汁屋を遂には始めます。「味噌汁は私のとっときの技術ですもの、生きる砦ですからね」、なんて啖呵も切ってしまう。


 実行力はひたすら眩しいし、このような不景気であれば大いに見習うべき迫力。でも、「私、いま味噌汁屋をやっているんですけど、結構お客さんあるのよ、日本人はやっぱり日本の味が忘れられないんじゃないかしら……」(*9)と、そこまで風呂敷を大きく広げられてしまうと何か薄気味悪くさえなるのです。おんなひとりの外貌以上の大きなものを平岩さんは見極めようとしている。


 足掛け十五年に渡って回を築いた池内淳子さん主演の同名テレビドラマが物語るように、僕たちはこの芸者“てまり”を中心とする人情劇がどうやら大好きです。特定の年齢性別に支持されての結果でなく、家庭全体として好ましく思って次の展開を待ち望んでいた。誰も拒絶しようとは思わない。誰も不思議と思わない。


 その背景に何があるのかを“味噌汁”を軸にして捉え直してみれば、なんとなく輪郭が定まるものがあります。たとえば、家庭という日常を離れてめくるめく情事を夢見ながら、その相手には家庭(母親、祖母)の味をいつか求めてしまう男たち。そういう乳児さながらの思考ゆえに簡単に手玉に取れる存在と男を見取っていくおんなたち。そのように不甲斐無い自らの様子を呆れ顔で受容するおんなたちを、さらに利用しようと増長する男たち。


 たとえば、時代の流れのなかで劣勢に陥ったものを無条件に愛してしまう日本人の判官贔屓の凄まじさとおんなたちの血から血へ滔々と流れ続ける慈愛の能力。味噌汁、日本茶、漬物といった伝統食を愛する人間を単純に好ましい相手と感じる排他的で籠もりがちな思考回路。


 たとえば、外界と家庭との境界杭である味噌汁に飽きてしまった者と夢を抱く者とで綱引きが起こり、結果的にぼやけていく境界線。恋情の根が世界を跨いであちこちに拡がることを断罪できずに受忍に走っていく曖昧な国民性。


 日本人特有のエロスが味噌汁椀のなかでコロイド状となって上になり下になりしながら舞っているような、そんなイメージが湧きます。そんな意味では奇妙で知的、刺激的な官能小説だったと思うのです。


(*1):「女と味噌汁」 平岩弓枝 1965 初出は「別冊小説新潮」 手元にあるのは集英社文庫 1979(第11刷) 最上段の千佳子の言葉は33頁にある。
(*2):「女と味噌汁」 監督 五所平之助 1968 映画版は原作のエピソードをうまく組み上げているだけでなく、交わされる会話もほぼそのままだったことが分かります。上段のスチールも。
(*3):集英社文庫 6頁 以下すべて同じ文庫本より
(*4):96頁
(*5):115頁
(*6):6頁
(*7):37頁
(*8):41頁
(*9):168頁


2010年11月30日火曜日

池内淳子「女と味噌汁」(1968)~ぴんしゃんして~



 池内淳子(いけうちじゅんこ)さんがこの九月の終わりに急逝されました。死を悼む報道の多くで最初に掲げていたのが「女と味噌汁」でしたね。彼女の面影がこの奇妙な題名のテレビドラマ(*1)によって深く刻まれていた(らしい)。


 僕は池内さんをよく存じ上げません。いや、いくらなんでも顔や声はわかります。ご多分に洩れず茶の間でずいぶん刷り込まれた口だけど、遠い存在と思っていたというか、偶然同じ電車に乗り合わせたひとりひとりを記憶しないと同様、ぼんやりした印象を抱いてこれまで来てしまいました。


 男女間のかけ引きが主体となる花柳界のお話です。どうも親に“してやられた”感があります。そっと池内さんを陰で楽しんで、子どもはうまく遠ざけていました。平岩弓枝(ひらいわゆみえ)さんの原作(*2)も肌が合わず、自らの手で片隅に追いやっていたところがあります。そんな訳で池内さんと「女と味噌汁」は僕のなかではまるで結び付かないままだったし、(こんなブログを書いているのに関わらず)足跡の見えない処女雪みたいなもので、むやみに眩しいままにあり続けました。


 銀座の映画館で池内さんの追悼上映が連夜催されていて、丁度うまく具合に時間が取れました。テレビの方でなく“映画版”になりましたが、因縁の作品(*3)を観てまいりました。


 赤ちょうちんひしめく地下街の、やや奥まった場処にある小さな劇場です。傾斜の強い階段を何段も下りていかなければなりません。蛍光灯がぞんざいにコンクリの天井と地面を照らし、妙に切ない気分を煽っています。昭和の薫りが漂う、今となっては貴重な劇場ですね。ちょっと謎めいた感じのする息抜きとなりました。


 劇中“不景気”という言葉が飛び出しはしますが、いざなぎ景気の只中です。夜の飲食街はほろ酔い気分で腕組み歩くアベックで溢れ、陽が昇れば工事現場の建設機械が槌音(つちおと)をがんがん響かせていく。警笛を鳴らす車が行きかい、排気ガスと粉塵で薄っすらと背景は煙っていきます。
勢いのある作品です。

 
 そんな世間の喧騒からはやや隔絶した感じのする男女が幾人か登場し、人生の節目に面して思いあぐねてはついつい歩みを止め、呆然と立ちすくんでいくのでした。池内さん演じる苦労人が彼らを見守ります。そっと唇噛んでその背中を見送りしながら、これからの自らの針路を徐々に固めていく。
 

 なかなかの存在感を池内さんが示して、またこちらの心情もさらりと受け止めて見事です。窓が大きく開け放たれている印象があります。主役を張るだけの清楚な美人ですから、もちろん熱烈なファンも擁していた。例えば作家で批評家でもある虫明亜呂無(むしあけあろむ)さんはこんな狂熱的な賛辞(これは明らかに恋文ですね)を当時贈ってもいます。あれこれ拙い言葉を並べるよりも、その一部を写した方がきっと池内さんも喜ばれるでしょう。


 古風で、ひっそりと息づいて、いつも笑顔で人のいうとおりに

なったようで、根は片意地で、きりりんしゃんと自分を保ち、

それでも結局は、大きな目にみえないものの力に流されてゆく。

そのような典型的な日本女性の雰囲気が、彼女から感じられた。

そうした女の味をだせた──下劣な表現だが、男がどうしても

心を乱さずにはいられなくなるといってもよい──女優は、

戦後の日本映画界をつうじて池内淳子ただひとりしかいなかったと

断言してもよいくらいだ。(中略)


 東京風の和服が似合って、動作がぴんしゃんして、

颯爽(さっそう)とした残り香が襟のあたりから漂ってくる。

いなせな気っぷの持主だと想像させる。乾いて、あかるく、まわりを、

ほのかな女の味で、料理しあげる腕と才と知恵を身につけている。(中略)


 美しいひとであるが、池内さんには女の湿った執拗さは、

ひとかけらもない。むしろ男の無頓着さと共通した「乾き」が、

このひとを一層、美しくしてみせているようである。宿でも,

立居動作が透明で、一層なまめかしく、艶にして、妖であった。(*5)


 劇中の役柄と同一視してはいけないでしょうが、いちいち頷かされるところがあります。「四代にわたる江戸っ子が自慢」という家に生れて自然に身についたものでしょうね。作って作れるものではない。


 僕は友人に生粋の江戸っ子をたくさんは持たないけれど、なるほどさっぱりとした気風や美意識は重なって見えます。乾いていながら虚無というのでなく、叩けばコンコンと軽快な音が帰ってくるような身の詰まった内実の、それでいて浮力具えた容姿やいでたち、えも言われぬ色っぽさ、ハハハ、と声上げて快活に笑う彼ら江戸っ子の折々の姿を懐かしく思い出しながら、いつしかこちらにも伝染して温かいものがふわり灯っていく気分。人がひとに勇気付けられる、その不思議を想います。


 まあこっちはこっちで年季が入って身についちまったものがあり、同じ仕草という訳にはいかない。池内さんや江戸の友人のようにはいかない。うつむいて目を細め、ウフフ、ウフフと笑うしかないのだけど。

 現実味がどこか乏しい惚(とぼ)けた風情なのだけど、いろいろと考えさせられる時間となって僕には悪くありませんでしたよ。




(*1):「女と味噌汁」 TBS系列 東芝日曜劇場枠でシリーズ化 1965─1980 
(*2):「女と味噌汁」 平岩弓枝 1965 初出は「別冊小説新潮」
(*3):「女と味噌汁」 監督 五所平之助 1968 共演は川崎敬三、田中邦衛、佐藤慶、田村正和、長山藍子、山岡久乃ほか。監督の五所さんはインタビュウに次のように答えています。「東京映画から一本やれと言ってきまして。テレビでやっているのを映画にするのはいやなのだけど、映画のほうが面白いということを見せようと思って。これを引きうける理由のひとつとして、池内淳子さんと、いちどやってみたいという気持ちがありました。(中略) ひとつ、やってみようじゃないかと。」(*4) なるほど意気込みが伝わって来ます。緩急自在で軽妙、それでいて湿度もほのかにあります。楽しみました。この映画で「女と味噌汁」に逢えてほんとうに良かったな。
(*4):「お化け煙突の世界 映画監督五所平之助の人と仕事」 佐藤忠男編 ノーベル書房 1977 215頁
(*5):「女が通り過ぎる」 虫明亜呂無 「仮面の女と愛の輪廻」 清流出版 2009 所載。初出は「小説新潮」1969 4月号。 

2010年11月26日金曜日

アンジェラ・カーター「花火 九つの冒瀆的な物語」(1987)~やりこなした~ 



わたしが帰化した街、トウキョウ。四年前はじめて訪れたわたしは、

二年間を新宿にある木と紙でできた家で暮らした。(中略)

わたしは米屋から米を買い、銭湯に通って、三十人もの女たちが

異国の裸身をつつましやかに見てみぬふりをするなかで、体を洗った。

お金があるときは刺身を、ないときは豆腐を食べ、いつも味噌汁を

のんだ。つまりわたしは、すべてをやりこなした。(*1)


 新聞の書評欄を見て以来、気にかかって仕方がなかった本を旅先の書店で見つけました。1992年に51歳で世を去ったイギリスの作家アンジェラ・カーター Angela Carterさんの短編集(*2)で、収められた九つの作品中三つが日本を舞台にしています。前述のリシャール・コラスさんの本がすこぶる面白かったものだから、ちょっと図に乗っているところもあるのです。海外文学での醤油、味噌の役割が気になりそわそわして頁をめくった訳なのでした。

 結論から言えば、印象深い記述は見当たらない。官能レベルでも文化レベルでも意味ありげに発信されているものは特段なくって、恋人とふたりして花火大会見物のため東京の郊外におもむいた際、道脇の屋台で焼かれていたイカを立ち食いする。その時塗られて匂った醤油の香味について、至極あっさりと述べられているだけなのです。


 小道に沿って屋台が出ていて、シャツを脱いで、顔に汗よけの

鉢巻きを巻いた料理人たちが、炭火の上でトウモロコシやイカを

焼いていた。私たちは串に刺したイカを買い、歩きながら食べた。

醤油をつけて焼いたもので、とても美味しかった。(*4)          


 ちょっと拍子抜けもしたのだけれど、巻末の翻訳者榎本義子さんによる解説を読んで得心するものがありました。カーターさんは1969年の秋以来、通算2年に渡って日本に滞在しているのですが、榎本さんは当時彼女が雑誌等に寄稿した小文などを丁寧にひもときながら、徐々に人間として、大人として、なにより作家として覚醒していく様子をしめしていくのです。とっても興味深い内容でした。


 冒頭取り上げた文章もそこで紹介された“エッセイ”の一部です。思いつくまま書かれたような言葉はハミングするようにゆったりして、目で追っていて本当に気持ちがいいのだけれど、ご覧の通り可愛らしい達成感とともに味噌汁がちょこんと顔を覗かせている。


 日本という不思議な国、カーターさんの表現を借りれば「まったく、完全に違うのです。すべてが同じですが、すべてが異なる」そんな世界に“最初に”踏み入れた際にそれなりの圧迫があったことがこの一節からだけでも読み取れますし、一種の関門として味噌汁は役割を果たしていたことは明白です。「いつも味噌汁をのんで」いくことが心理的に「帰化」する上で欠かせないものであり、日本で生きる印象を相手に説く上で口にするに値する存在なのだとよくよく認識してもいる。


 小説世界からそんな味噌や醤油が消失した経緯については勝手に類推するしかないのですが、二年間の滞在中、小説に登場したようなお相手も実際いたらしい。もはや彼女が目を凝らして覗き込む対象は日本という国全般ではなかったようなのです。数ミリ先の至近距離にあった。舞台上の立ち位置を示す“バミリ”となるのは直接的に恋人の皮膚や表情であり、彼の言動や物腰しであり、捕縛し続ける厄介な因習であったりするのであって躊躇する間はもうどこにもなく、血と涙を流し、唾や体液にまみれる肉弾戦の局面が訪れていた。


 耳奥にきりりきりりと弦の残響がのたうつような胸苦しい余韻に襲われる幕引きが彼女の小説にはしばしばなのだけど、同時に奇妙な安堵感も備わっているのはナゼなんだろうと考えてみると、それは、彼女が曖昧模糊たる魂の緩衝地帯を相当前に“横断し終えていた”からでしょうね。異邦人として外周に追いやられるのではなく、自分を世界の中心にしかと据えて、すべてを再構築していく。そんな悠々たる気概が伝わってきて気持ちがいいし、勇気付けられもするのです。地に下ろされた両足がぶれないことで、境界はすっかり消失されて見える。



 世界を分断して見える“境界杭”(醤油や味噌によって表されがちな)は、もうずっと遥か後方にあって意味のないものだった。隠喩に頼って言葉尻を合わせる段階はとうに過ぎていた。味噌汁椀の挟み置かれる隙間はどこにも残されていなかったし、醤油にしたって今さら取り上げるに値しないのでした。それはそれで気持ちのよい、いっそ清々しい(表現上の)訣別に思えて否定のしようがない、自律した素晴らしい世界としか言いようがない。


 お金のある無しに関わらず彼女の身近にあった味噌汁を思い描くとき、そしてそれを日々飲み干し血肉と化して世界と拮抗し、姿勢を整えながら勇猛果敢に躍進を続けたひとりの女性の一生に想いを馳せるとき、嬉しくって微笑みを禁じえません。魂に通じる素敵な味噌汁がここにはちゃんと記され、そして足音も立てずにそっと降壇している。気負いのない、分別のあるものが寄り添い見守っている。

 
 訳者の榎本さんが紹介してくれているカーターさんのエッセイは一部分に過ぎません。ウェブで蔵書検索をかけたら幸運にも見つかりましたので、今度のお休みにはひさしぶりに図書館まで足を運ぼうかと考えているところです。きっと元気がもらえそう。


(*1):「わたしの新宿」 アンジェラ・カーター 「文芸春秋」1974年5月号所載とのこと。うーん、全文を通して読むのが楽しみ。
(*2):「花火 九つの冒瀆的な物語」 アンジェラ・カーター 榎本義子訳 アイシーメディックス 2010 原著は1987年に出版されている。表題の年数はこれに由る。

購入してから気付いたのだけど、彼女の本は以前読んだことがありました。“青ひげ”などのおとぎ話を骨格にして描いたもの(*3)で、相当面食らったところがありました。現実と空想が波状になって仕掛けて来て、なんて自由な作風だろうと驚くと共に、木偶(でく)の坊で融通の利かない僕は途方に暮れて指が凍り付いた。ファンの方にはごめんなさい、それが本当のところです。その分今度の本で彼女がより現実の世界、それも日本と深く切り結んでいるらしいのが強く惹かれたし、考えさせられました。途方もなく奥行きのある人だったんですね。

決して読みやすい文章ではないのだけれど、その分、こころの奥の奥をまんま差し出されているような、それとも皮膚の内側に隠した温かい闇夜にすっぽり取り込まれているような居心地の良さが感じられて大そう面白かったし、有り難い感じを持ちました。肝胆(かんたん)相照らす類縁の友と、しっぽりお茶してるみたいな嬉しさがずっと僕のなかに有り続けました。彼女(等身大の自画像と思われる)の眼差しや見解に幾度も頷かされ、周囲の明度や冴度がすっかり上がったような真新しい気分になっていく。魅了されるひとが存外多いのも頷かされるところがあります。見事です、素敵すぎますね。カッコいい!
(*3):「血染めの部屋」 アンジェラ・カーター 富士川義之訳 筑摩書房  1999
(*4):「日本の思い出」 9頁

2010年11月22日月曜日

リシャール・コラス「遥かなる航跡 La Trance」(2006)~美しいと思った~



 ぼくは蓋を取ろうとした。蓋は、椀から離れようとしなかった。

片手で椀を持って、少し強く引っ張った。それでもダメだった。

A夫人が箸を置き、ぼくに何か言おうとして口を開けたまさに

そのとき、椀の中身──茶色の液体に、豆腐が漂っていた──が

テーブルにこぼれ、ぼくのズボンにしたたり落ち、ぼくの足は

火傷したように熱く、何かわからぬ緑の食材の小片がぼくの

ご飯茶碗に飛び込んだ。A夫人が急いで片づけているあいだ、

ぼくはただ茫然と恥じ入っていた。(*1)


 小学校と道路挟んで斜向いに、ちいさな駄菓子屋がありました。幅深さ共に1メートル程の小川が流れており、それを跨いで建っている。古い木材を寄せ集めたさびれた風情で、ちょっと壁も傾(かし)いでいたように記憶しています。


 窓のない内部は洞窟のようで終日薄暗く、ぶらさがった電灯の光に赤だの黄色だのに着色された菓子類、独楽(こま)やらゴム動力の玩具類やらがぼうっと浮かび上がる様はなんとも怪しげで胸躍らせるものがありました。休日ともなれば数枚の10円硬貨をポケットに入れて訪ねるのが僕と兄弟、友人の過ごし方の定番でした。


 腰の曲ったおじいさんにヨイショと突き出された“ところてん”が、曇ったガラス器に涼しげにしなを作ります。酢醤油をかけ一本箸でチュルチュルすすりながら、店奥の土間に置かれた粗末なテーブルを小さな頭が囲んでいく。表紙がよれ裏表紙は剥がれして、なんとなく悪徳と禁断の薫りを放って手招きするような「少年マガジン」を回し見するためです。裸女と怪物が絡み合う海外のSFパルプ雑誌のきわどい表紙画をぞろり並べたカラー口絵や、凄惨な飢餓状態を背景にした「アシュラ」が目に焼きついて今でもはっきり思い出されます。


 そこで“ビニール風船”と呼ばれる玩具も売られていました。なにやら刺激臭がプンと鼻を突くセメダイン状の半固体が詰まった金属製のチューブと、爪楊枝(つまようじ)ほどにも短く硬いストローが組みになったものです。ストローの先に樹脂を丸め付けて反対側から息を送ると風船となって膨らんでいく。陽の光に透かし見るそれは七色に妖しく輝き、また、しゃぼん玉と違っていつまでも割れないでいてくれるのが楽しくて子供心に魅了されたものです。でも、最後はつぶれていく。ゆったりといびつな形で萎んでいく様子は妙に淋しかった。


 リシャール・コラスさんの小説「遥かなる航跡 La Trance」を読み終えて余韻にひたる中で、急に記憶の底からビニール風船の壊れる様が浮上してきました。フランス生まれで五十をとうに過ぎた初老の男が、十八歳の時に訪れた“1972年の日本の夏”を記憶の淵からすくい上げて反芻していく。そんな物語の構成に由来しているのです。過去をたぐり寄せるベクトルが読み手の僕に影響を及ぼしている。


 銀座の一等地に店舗兼事務所を構える化粧品会社の社長職を担う、そんな風格ある男の脳裏に無垢でまぶしい風景が次から次に灯影されていくのだけど、やがて甘く切ないスライドショーに破壊と悲哀をともなう情景が合流していく。「どこにでもあるような、成就せずに終わった恋愛の、陳腐な物語なのではないか」という男の呑気な総括に対して、記憶は牙をむいて襲いかかって主人公を血だらけにしていく。


 あの時、1972年当時、排気ガスのいがらっぽい空気に覆われた町も、扇風機と団扇と麦茶だけしかないささやかな涼も、陽炎が渦巻き蝉の声が鳴り響くばかりで悪夢そのままの路地も確かにありました。小説にある通りです。カメラ片手に各地を転々とする金髪の若者と同じ時分、同じ真夏日に照射された僕自身の光景が甦って止まらない。それも、どちらと言えば破壊と悲哀をともなうものとして。


 トラックの荷台に山と積んで売りに来るのを追いかけ、渡されたものを両手で懸命に抱えて家に戻る途中、つい手を滑らせてしまう。一瞬後には路上に赤々と砕け散った西瓜の、水っぽい臭いや指先に残されたつるつるの感触なんかも映画のワンシーンみたいに思い出してしまう。彼の夏は、僕の夏でもありました。


 子どもは、若者は破壊者です。思えばずいぶん沢山のものを驚きや感動と共に見つめ、そしてずいぶんと壊したり飼い殺したりして過ごして来ました。ささやかで可愛らしい“惨劇の連鎖”がナベ底にできた焦げみたいとなって記憶に留まり、生きていくのに必要な力を育ててくれた感じもします。ものの哀れや、生命のはかなさにやがて気付かせてくれた。語弊があるかもしれないけど、成長に破壊は不可避なんでしょうね。


 読書であれ観劇であれ送り手と受け手との組み合わせが違えば、巻き起こされる感動の質や量は千変万化します。“万人向け”のものなど一つとて無い訳ですが、僕にはなかなかの化学反応がこの本にはありました。しっくりきて良い物語でしたね。ある程度の年齢以降の男には、多少なりとも共振して胸に来るものがあるのじゃないかな。


 日本通の筆者ならではの細かな日常描写が秀抜で見事なのだけど、いちいちの食事に関しての記述もまたなんともリアルで目の前に料理が浮かび上がります。過去と現在とが映画で言うところのカットバック手法で交互に描かれていきますが、そのふたつの時空間にそれはそれはたくさんの“みそ汁”が並んで壮観でした。これは小説の表現上、とてもめずらしいことで特筆すべきです。


 過去(1972年)においては渡航中に知り合ったフライトアテンダントの芦屋の実家を訪ね「野菜の天ぷらとみそ汁」を馳走になり、長距離バスで隣り合わせになったアメリカ帰りの男の実家がある瀬戸内の島では、海に潜って伊勢エビを捕り、「頭はみそ汁」のだしに使われます。連絡船に乗りそびれて夜明けを待った神社では、親切な神主に「じゃがいもと細切れ肉の浮かぶみそ汁」を振る舞われもします。

 現代のパートにおいても同様です。ガストで和食定を注文し、「塩鮭に温泉卵、不可欠の納豆、みそ汁」が並ぶのを淡々と食していくのだったし、函館の妻の実家に同行すれば「カニを殻ごとハサミで切って投げ入れたみそ鍋」が振舞われる。鎌倉にある自宅の描写はたとえばこんな具合で、実にしっとりと湿りを帯びている。


 食堂(ダイニング)に入ると、みそ汁の匂いが漂っていた。

妻は、食卓に和風の朝食の準備をしてあった。皿のなかの

新鮮な卵の殻が和紙の照明の光で輝き、海苔が小皿に載せられ、

食堂のランプは醤油の水たまりに映り、ご飯の入った茶碗から

グルテンのちょっとむっとする匂いが立ち上っていた。小鉢には

納豆、別の皿にはタクアンが数切れ、きゅうりの緑と対照をなして

いた。美しいと思った。(中略)決まって同じようにした。

儀式みたいなものなのだ。朝早いのに、妻がわざわざ和風の

朝食を準備してくれたことに心打たれていた。(*2)


 冒頭の場面は羽田空港に降り立って直ぐの、ホームステイ先の家で最初に出された和食の描写です。料理も器も何がなんだか皆目わからず動転し、みそ汁椀をぶちまけてしまった恥ずかしい場面なのですが、頁を繰るにつれて異邦人としての目線がしとしとと溶け落ちていき、立ち居振る舞いがすっかり板に付いていくのが感じ取れる。儀式を忠実にこなし、日本人以上にらしく振る舞っていく。主人公がこの地にどれだけ馴染み、どれだけ日常化させているかが食事の光景を通じて語られていくのです。


 そのようにして世界を認識し無理なく触れ合っているはずの男に、世界は、いや日本は冷徹な現実を突きつけ足払いを喰らわせる。みそ汁は往々にして“境界杭”として文学上現れるものですが、それをまたいで内に入り、十分過ぎるほど世界に馴染んで機能しているという男の自負がみるみる足元から崩壊していくのでした。舞台中央にいた主人公を奈落に落としこむ暗い穴が、がっと開く仕掛けが潜んでいる。その位置を指し示すとても怖い“バミリ”としてみそ汁が登用されて見えます。


 これは何も異国で暮らす上で感じる恐怖に限らない。生きつづける者の大概の足元には板の継ぎ目がたくさんあり、ぎしぎしと鳴り続けている。恋情、家庭、仕事、日常の舞台で生き生きと活動していた矢先に、ぽかりと穴が穿たれ呑み込まれていく予兆が僕たちを慄(おのの)かせます。多面体に、はたまた多層的に生きている現代人の誰をも襲う乖離感、虚脱感、疎外感といったものを描いていて、しみじみと考えさせられるものがありました。(そういうのがあればこそ、人生は味わい深いのだけどね)


 結果的にはなんとも切ないみそ汁になってしまいましたが、“こころ”が深く寄り添って悪くない風合であったように思います。


 ごちそうさまでした、コラスさん。

 ありがとう、いいお味でした。


(*1):「遥かなる航跡 La Trance」リシャール・コラス Richard Collasse 堀内ゆかり訳 集英社インターナショナル 2006 131頁 
(*2):102頁

2010年11月17日水曜日

和泉式部「和泉式部集」(1003)~惜しからぬ~



   花にあへばみぞつゆばかり惜しからぬ

   あかで春にもかはりにしかば


 最終の新幹線に乗りそこねてしまい、とある街で途中下車をいたしました。幸い宿は見つかって温かく一夜を明かしたのでしたが、そのまま帰るのもなんだかツマラナイ、ここで降りた意味もきっとあるだろうと美術館まで足を運んでみました。地方の美術館は広いフロアを独占出来たりするから好いですよね。津田一江さんという作家の構図や色使いなど面白く、他の日本画や洋画も興味深くて悪くない時間でした。


 隣接した図書館内を歩くうちに目に飛び込んだ背表紙があります。立ち読みすると何箇所か惹かれるところがありました。“みそ”の本(*1)にしては人間のこころ模様に踏み込んでいて愉しかったのだけど、それはきっと著者のひとり永山久夫(ながやまひさお)さんが色っぽい人だからでしょうね。だってこんな歌も一緒に添えられているんです。

   あらざらむ此世(このよ)の外(ほか)の思い出に
   

   今ひとたびの逢う事もがな

 “死んでからのあの世の思い出に、あなたともう一度でいいからお逢いしたいものです” ほとばしる熱い想いがしのばれ、体感温度が二度ほど上がったように思えます。そんな恋する歌人和泉式部(いずみしきぶ)が“みそ”の歌を残していた。それが冒頭に書き写したものです。永山さんたちの視線は単なる歴史上の記述を紹介するのでなく、もう少し奥まった部分へ僕たちを誘っている。


 別の本を参照に引けばこの歌は「1003年ごろに成立(*2)」とあります。その頃に味噌の原型となった発酵食品があったことも驚きですが、組み込まれているのがこれもどうやら恋歌らしいのです。嬉しい発見です。


 二月頃、味醤(みそ)を人のもとに贈るときに(二月ばかり みそを人かりやるとて)歌われたもので、永山さんたちは次のように訳してみせます。“あなたのような素敵なお方のためなら、私が大事にしている味醤(現在でいう味噌)を贈っても、少しも惜しくはありませんわ” 素敵です。そして、何という重大な役回りか。現在の味噌では起こりえない、あまり見られないことが記録されています。


 同じものを食べるという行為は恋情や思慕、友愛、慈愛といった“魂のこと”へと連なっていきますよね。古(いにしえ)からの風習はレストランでの会食やバレンタインデイや七五三での菓子の贈答という形で脈々と受け継がれ、千年のときを超えて今も僕たちの文化に健在です。日毎夜毎に“食べること”と“想うこと”を寄り添わせて僕たちは暮らしています。


 そこにかつては“みそ”もあったという事実に驚かされるのです。今そういう事、つまり“みそを贈ること”をやっても冗談と受け取られるだけかもしれない。下手するとあきれ果てられ、絶交されてしまいそう。でも、千年の時空を(気持ちのうえで)ひと跨ぎすれば、みそを食することは愛することと直結している。僕たちはすべからく“みそ”を介して愛し合った者たちのDNAを継いでいるのです。そう想うとちょっと温かい気持ちになります。


 真夜中の淋しい途中下車でしたが、こうして和泉式部に逢えたので良かったように思います。人間、気の持ちようですね。

(*1):「みそ和食」 永山久夫 清水信子共著 社団法人家の光協会 2001
(*2):「みそ文化誌」2001 466頁

(追記)
本日、アンジェラ・カーターさんのエッセイが載った古い雑誌を奥の書庫から持って来てもらう間、図書館のカウンター付近をぶらついていたら「和泉式部─和歌と生活」(伊藤博著 笠間書院 2010)という背表紙が目に止まりました。早速この歌についての解説を探すと、こんな風になっています。

「みぞ」は、「身ぞ」と「味噌」の掛詞。(中略) 花に出会うと、我が身のことなど少しも惜しくありません。満足できずにいるうちに、季節は春に移り変わってしまいましたので─あなたに大切なお味噌をさしあげますが、少しも惜しくはありません、と詠み添えている。「みそ」が詠まれている例を、他に求めることはむずかしい。これも、和泉式部ならではの自在なことばづかいなのであろう。

なんて情熱的な歌か。ここでは自身と味噌が像を重ねているのも素晴らしいこと。こんな想いをこめられた味噌を贈られた相手がうらやましいし、そこまで言わせる“花”と出逢えるのも素敵
。(2011.11.28)




 さて、気の持ちようで
思い出すのだけど、十月の末から十一月の初旬、だいたい日本シリーズとか学園祭の時期なのだけれど、どうやら秋草の花粉が僕を襲っているらしい。飛び回る花粉なんて見えやしないし、医者に行きパッチテストしてもらって確認した訳じゃないけど、多分きっとそう。毎年毎年おなじ具合に、重苦しい時間を半月ほども過ごしてしまうのです。そのときの思考回路はかなり壊れているんですね。

 この頃では受け流す術も体得できた感じでいるけれど、若い頃はひどいものだった。いたずらに天を怨み、休日には家や下宿にジッと籠城し、そんな自分の不甲斐なさを責めては悶々と悩んでおりました。“気の持ちよう”という言葉をもうちょっと腹に据えられたなら、あんなに鬱々と暮らさずに済んだものを。


 今年もそれは来てましたね。ささやかな解放感をいま感じつつ幽囚の日々を振り返って見れば、やはり人間の精神の変調とは“奇妙でおかしなもの”だと映ります。


 先人や作家という存在を含めて誰にでも“心の支え”と頼む人がいると思うのですが、こんな僕にも得難いひとが幾人かいてくれている。とても有り難いことです。ところが、あの猛暑のさなかに手紙の表現をめぐってギクシャクした行き違いが生じてしまい、軽率だった筆の走りを大いに恥じて猛省する夜を堆積させていくうちに例の晩秋が押し寄せてきた。 めげた気分を花粉が襲った。


 仕事を終えて屋外に出たとき、天空に月を探し仰ぐのが僕の楽しみのひとつですが、あの行き違い以来、空はいつも雲に暗く閉ざされて月の姿はどこにもないのです。翌日もその次の日も僕の前に月は現れず、それが一週間二週間と続くうちに、これは“必然”じゃなかろうかと納得してしまった。村上春樹さんの小説「1Q84」みたいだけれど、本当に僕の前から月が消えてなくなったかのように思えました。


 これからの残りの生涯、僕は月を見れないのじゃないか。いや、これまで妖しく変わっていく白い球体を夜毎仰ぎ見ることが出来たこと、そうして(恩人たちとこころの奥で)「こんばんは」と挨拶を交わし無事を祈っていた日々そのものが霊的な作用、神がかりの恩寵に他ならず、もはやそんな奇蹟の時間は僕から未来永劫去っていって、黒雲が空をすっかり閉ざし続けるに違いない! 


 とんでもない間違いを犯した報いだと茫然として佇み、唇を噛みながらのっそりした闇に包まれていた。


 馬鹿じゃないの、ただ天気が悪かっただけじゃん。でもね、本当にそう思った。人間とはそこまで狂ってしまう、思い込んでしまう困ったものなのです。心と身体はふたつの車輪。どちらかが傾げば道を外れてしまう。


 おとといの夜、そして昨夜、さらに今夜と月は浮かんでいます。まばゆいその光を見つめながら、魂の姿勢ひとつで世界は顔をかえていくことを再認識しました。空気は日増しに澄み渡って、樹々たちは葉を落として深く眠ろうとしています。花粉の乱舞も終わりに近付いた。さあ、倦怠はお終い。歯車に油を注してもうひと踏ん張り致しましょう。


 代わって風邪やウイルスが跋扈する時期ではあるけれど、忙しい年末の後にはきっと素敵な新年が待っているはず。どうか皆さんうがい手洗い励行してお元気にお過ごしください。


 こころから無事と活躍を祈っています。

2010年11月15日月曜日

独りきりの時間


 うねうねと曲がりくねる道。乗用車二台がかろうじてすれ違える程度の幅。右手は急な崖になっていて、谷をはさんで扇(おおぎ)型の切り立った山稜がひろがる。終わりかけではあるけれど紅葉に染まって美しい。眼福と言うしかないが、なんだか現実感を失ってしまいそう。“扇”を連想させたのは、そうか、灰色の岩筋が何本も縦に走っているせいだ。なかば白骨化した指が紅蓮の山肌をぎゅっと押さえ付けているみたい。美しさと怖さが同居した光景で胸に迫る。


 天空を貫く岩壁が、不意を打って目の前に現れる。これは思わず声が出ちゃうなあ。万年雪が山頂に宿り、朝日を浴びて全体が白く輝いているのだけれど、印象としては逆に“目隠し”されたようなショックがある。猟奇映画によくある、背後から大きな手のひらが伸びて来て視界を黒く塞いでいく、そんな感じだな。圧倒的な力、震えを起こさせるものが嘘でも大袈裟でもなく潜んでいる。その神々しさ、禍々(まがまが)しさは画像でも文章でもきっと伝わらないな。見ないと決して分からないものって世の中にはある。

 登攀に挑んだ老若男女の、あらゆる種類の想いや費やされた時間の束が揮発し切って消失するのでなく、いまだに山霧(ミスト)にまぎれて点々と浮いて漂っているみたいに感じる。深呼吸を繰り返す僕はそれを吸い込んでしまった。肺腑の奥に哀しみも喜びも、悔しさも快楽も、夢と絶望とがあまねく滑り込んで、じくじくと浸潤を始める。妙な実感をそなえた夢想がひどく湧き立ってくる。ベンチに腰掛け微動だにせず、山を仰ぎ続ける年輩の男性が見える。登山靴に登山帽。彼のこれまでの時間に何があったのだろう。


 陶然と佇んだ後、ずるずる道を引き返して三角屋根の無人駅にたどり着く。季節はずれの山道も駅も、本当に人影はまばらで静寂が支配している。駅に至っては誰もいない、誰も追ってこない。寒い待合室を後にしてガラガラと荷物を引きずり、長く暗い階段をいよいよ下りていく。


 静寂?、いやいや絶えず音はしていて意外だった。山肌を伝う清水なのか、コンクリ壁を割って滲み入った地下水なのか、階段脇の左右に穿(うが)たれた急傾斜をべたべたぬるぬるりと水が流れ続けて、次第にちょろちょろ、終いにはざあざあ、ざわざわと洞内に音が渦巻き折り重なって、自分の靴音などはぺしゃんこに押しつぶされる。異様な騒々しさと泣きたくなるような淋しさを同時に産み落としていて、心細いことと言ったらない。さすがに寒気がしてコートを羽織る。


 湿り気を帯びたプラットホームに到着する。幾つもの蛍光管が湾曲した壁をぼうっ、ぼうっと間隔置いて照らし出し、そこだけ薄っすらと苔が息づいて緑色に染まったりしてるのも奇観で気色悪く、誰か早く来てくれないかと願う。さりげなく会話が出来る相手が欲しいのだけど、いつまで経っても誰も降りてこない。怖い。変なことを考えちゃ駄目だ。「だれかいる、何かいる」なんて弱気のスイッチが入ったら最後、急激に尿意を催しそうで目線をそらす。

 横目でそっと覗けば、ホーム脇の古びたトイレは扉が開け放たれ、じゃぼりじゃぼりと水が垂れ流しになっている。流れ下ってきた清水をうまく利用しているに違いなく、そうと頭で解かっていても「何かいた、だれかいた」ような“気配”を感じ取りそうになって、慌てふたむき反対方向へ逃げ出すしかない。追いつめられるようにしてホームの先端に立ち、鉄路の銀色になまめかしく伸びいく先に黒々と口を開いた真闇(まやみ)を見つめていると、身体がずいと吸い込まれるようだ。


 一本の道をたどってここまで高低差を見せつけられる空間は珍しい。段差が物凄くって、どうしようもなく観念的になってしまう場処だと思う。


 精神の高揚と沈滞、魂の上昇と落下が現実に寄り添ってもいた。若い肉体と生命を次々と呑み込み、毎年真新しい名前が慰霊碑に刻まれる一種の“聖地”である。手を合わせて冥福を祈る。

 登山を生きがいとする友人の言葉に従い、カバンには旅館から買い求めてきた酒の小瓶が一本。栓を切って傾け、石碑のあちらこちらに手向けながら人の生きていくことの不思議と奇蹟、面白さ、一過性を想わずにはいられなかった。






2010年11月8日月曜日

美人は菌でつくられる

 

 青木皐さんの著作「人体常在菌のはなし ―美人は菌でつくられる」 (集英社新書)をトイレで読んでいる。難しい本は途中で飽きてきちゃうので、ナニしながら少しずつ眺めたりするのです。青木さん、ごめんなさいね。でも、お陰で楽しく有意義に過ごしております。


 いつ頃出されたか見てみたら2004年と書かれている。今ごろ読んでいるのだから、どうしようもないわけですが、まあ読まないよりは良いだろうと開き直ったりして。いや、これは眺めるに値する本だね。生きる上での根っこに関わる話だよ。


 体内への有用菌の積極的な投入なしには、人間は快活に生きられない。免疫、消化、美容に関わる体内、表皮菌の話が分かりやすく解説されていて面白かった。こういう事って学校じゃ全然教えてくれないんだけど、知らないまま過ごすと末代までタタルというか、とんでもない事態を招くことだってありそうだ。どうにかしてもっと子どもたちに教えていきたい、そんな“ささやかだけど、ためになる知識”ばかりが並んでいる。


 栄養摂取という以上の役回りを発酵食品は担っているんだな。う~ん、長い歴史のなかで定着してきた食べものって、ただ美味しいだけじゃない、伊達じゃないんだ。


 と、エクセルの関数だらけの管理表を作り直しさせられ、ほとほと飽きてしまって息抜き中の書き込みでした。仕事に戻りますう。

2010年11月4日木曜日

村上春樹(訳)「人の考えつくこと」(1991)~That’s just it~


 “By God,”Vern said.
 “What does she have that other women don’t have?” I said to Vern after a minute. We were hunkered on the floor with just out heads showing over the windowsill and were looking at a man who was standing and looking into his own bedroom window.
 “That’s just it,”Vern said.He cleared his throat right next to my ear.
 We kept watching.
 I could make out someone behind the curtain now.it must have been her undressing.But I couldn’t see any detail. I strained my eyes.(*1)


 友人に薦められて購入したものの、手に取れずにずっと枕元に置かれたままだった本があります。思うところがあって困難だったのですが、その外国の短編集を最近になってようやく読みました。レイモンド・カーヴァーさんの佳作を何篇か束ねたものです。中に「大聖堂」(正確には「大聖堂」という本に所載された短篇)があり、それが実に素晴らしい内容なのだ、きっと貴方も読んだ方が良いと薦められていたのです。翻訳を担った村上春樹さんの技量とセンスについても友人はそのとき褒めちぎったものでした。あのときの和んだ空気や笑顔をとても懐かしく思い返します。


 正月休みに幼なじみが会した酒席においても、村上さん翻訳のカーヴァー作品が話題になったことがあります(手掛けた全集が完結した頃ですね、たぶん)。天邪鬼の僕は流行りものを斜めに見てしまう癖がありますから、気にしつつもあえて距離を置いたところがあったのです。回りまわって遂に読んだ物語たちは予想を越えて胸の奥の奥までに跳び込み、照明弾のように僕の内部を明るくしました。幾らか消沈気味だった気持ちを見透かされて、救いの手を差し出されたような感じでいます。


 カーヴァーさんの描く人物は独特です。根っこから立ち上がっている。さらに言えば枝葉を繁らす前にざっくり剪定されてしまったような酷薄な面持ちを具えています。僕たち読者に対して虚勢を張る仕組み、花なり果実がまるで見当たらない。とことん“素”であり、だから放埓だし、だから軟弱だし、だから身勝手だし、劇中であまり成長しないのです。そして何より真剣です。そのように自然体で迫られてしまうと現実と物語の境界はたちまち消失し、彼ら登場人物の悲観や惑い、昂揚やささやかな願いといったものがあっという間に僕自身が抱えるものと融合していき、言い知れぬ心地よさから本を閉じられなくなってしまう。

 8冊の全集のうち現在4冊目を読み進めています。今度の旅の供もおそらくカーヴァー作品になるのでしょう。(うん、悪くありません。)

 上に取り上げた原文は“The idea”という作品の一節です。若い夫婦の住まう家の隣宅で奇妙なことが毎夜繰り広げられます。その家の主人が夜な夜な屋外にそっと出て来ては自分たちの寝室を覗き込むのです。カーテン越しに見るのはどうやら妻の姿態であって、彼女が着替えているのを見て、また見られることで夫婦は揺れるもの、不思議な高揚を吸収している様子です。若い夫婦はその痴態をあきれ返りながらも目を離すことがならずに、ずっとずっと見守っていくのでした。


 村上さんの訳はこのようなものです。


「まったくもう」とヴァーンは言う。

「あの女のどこがそんなにいいっていうのよ?」と少しあとで私はヴァーンに向かって


言った。私たちは床にうずくまって、頭だけを窓枠の上に出している。そして自分の家の

ベッドルームの窓の前に立って中を覗き込んでいる男の姿を見ていた。

「そこがミソなんだよ」とヴァーンは言った。私のすぐ耳もとで彼は咳払いをした。

我々はそのままじっと見物を続けた。

誰かがカーテンの向こうにいるのがわかった。彼女が服を脱いでいるのに違いない。

でも私には細かいところが見えなかった。私は目を凝らした。(*2)


 “That’s just it,”そこなんだよ、だからこそさ……声に出したは良いけれど、夫は次の語句を継げません。劣情や好奇心ともろに直結する言葉が首をもたげたのでしょう。不用意に口にしては波風の立ちそうな類いのそれを、配偶者の手前なんとか喉元で押し止めることに成功する。わざとらしい男の咳が、灯かりを消した暗い台所にこふこふと響いていく。


 意味深な“That’s just it,”を村上さんは「そこがミソなんだよ」と訳しました。もはや死語の領海、サルガッソかバミューダ・トライアングル(という例えも死語だよねえ)に幽閉されて久しい「そこがミソ」という言葉が、あろうことかアメリカの住宅地に突如出現したのが僕には楽しくてならないのだけど、これは違和感、上ずり感、ヘンテコ感を承知の上で(危険を冒して)採用しているに違いない。


 僕たちの日常の会話で(もしも、万が一)「そこがミソなんだよ」と言われたならどうなってしまうか。きっとくすぐったいような、鼻白むような奇妙な乾いた真空がぽつんと生まれ落ちて、しばしふたりの間に滞空するでしょう。相互作用せず十分機能しない、いわば壊れた表現になっているのが「そこがミソなんだよ」。


 刺激に溢れた今日の食生活において“ミソ”は味覚の奥深さ、嗅覚の深淵を司るキーマンたる位置を確保しにくくなっています。その流れに沿って失活してしまった過去の言葉として「そこがミソなんだよ」がある。村上さんは挿し入れることで生じてしまう“(逆)効果”を狙った上で、あえてこれを登用している。『1Q84』での味噌汁たちともどこか通底する村上さんらしい“ミソ”が湯気を立てて見えます。なかなかの荒技でしたね。恐れ入りました。



(*1):The idea Raymond Carver 1971
(*2):『人の考えつくこと』 レイモンド・カーヴァー 村上春樹訳 中央公論社 レイモンド・カーヴァー全集1「頼むから静かにしてくれ」1991 所載  表題の年数はこの全集発行の年にしてあります。村上さんが訳して最初にどんな雑誌に掲載されたものか分からないので、暫定的なものです。 





2010年11月2日火曜日

風のやうに



 来週、仕事ふたつが重なって、遠方まで足を運ぶことになりました。

 いや、強引に組み合わせてそうすることに“した”のです。関東の目的地Aから路線をたどれば、北陸の古都Bに至る。いつか顔出しをしなきゃならない、そう思っていた取引先が在りました。丁度いいタイミング、なんて絶妙の連結かしらんと思わず吐息も漏れちゃいます。ぽんと背中を叩かれた気分。


 旅程の立て方は綿密な方、と思う。これが見納めじゃないか、一期一会となって次の機会は巡ってこないんじゃないかと切迫するものが渦巻き、ついつい頑張ってしまう癖があります。分刻みで組んでしまわないとどこか落ち着かない。僕ぐらいの年齢に到達した人なら誰もが幾ばくかの“焦り”なり“渇き”なりと共に旅にいそしむのじゃあるまいか。そんなこともないかな。


 かけるべき費用は(湯水のごとくとはいかないけれど、気分的には無理なく)かけられるのだし、貧乏性というのとはちょっと違う。“時間貧乏”、そんな感じでしょうか。手間かけて丹念に練り上げたものなのに、旅客になってしまえばまるで頓着無くなってしまうのも不思議。ハプニングは当然付き物だと思うし、計画を変更して前後を替えたり端折(はしょ)ったりするのもいたって平気であって、かえってそんな突発的な波風を面白がってさえいる。あくまで「計画」の段階でとことん貪欲、狂ったようになってしまうのだけれど、最近特にその傾向がひどい。ウェブ検索に慣れ親しんでコツが呑み込めたせいもあるけれど、自分でも若干おかしい、病的に思える時があります。


 まあ、何となく解かってはいるのです。ぼんやりした空隙(くうげき)を作ってしまい、たとえばベンチで呆然と座ってみたり、ベッドで何することもなく寝転んでいるのがとてつもなくこわい。無性に空いちまった時間を怖がっている。彷徨(さまよ)うことは嫌いじゃないのに、迷子になるのが厭なのです。

 いわゆる“観光”からは距離を置こうとするのも根が小心なせいです。ずっしりとした収穫、ざらついた手触りが欲しくて続々と連結させていきます。非日常に耽(ふけ)るのでなくってあくまで仕事に絡めながら、また、友人知人との会話を懐かしく思い返しながら、あれもこれもと学ぶつもりでいる。どこに泊まるか、何を食べるか、空いた時間にこれを観れるか、あれはどうか、車中ではどれを読もうかと目の色変えて調べまくってしまうのだけど、来週についてはおおよそ日程を埋め尽くし、いまは泰然と構えているところ。実際の旅はどうあれ、嵐は一応過ぎてしまった。狂気は去れり、です。


 無数の若者のいのちを奪い去ったという山稜を目の当たりにすることも、帰路東京で三島由紀夫や澁澤龍彦と交錯した孤高の絵描きの作品群に小さな画廊で対峙出来るのも、水彩画の巨匠の個展に回遊して過ごすのも、いずれも隙間の僅かな時間で駆け足を迫られるだろうにしても本当に愉しみでなりません。起きる全てを意味あって誰かから施された善き時間、善きことと信じてみよう。細々(こまごま)したものを含む何もかもを深く噛み締めてみようと、じっと想いを凝らし黙考を重ねています。




 昨晩、もう初冬と呼んでもおかしくない凍て付いた夜気を裂いて、やわらかな雨が降り続きました。しとしとと屋根打つ雨音に沈降するようにして蒲団に埋まり、冷たい指先を這わせて竹久夢二の「風のやうに」「秘薬紫雪」(*1)を読了したのももちろん今回の旅行に関わるものがあるからなのだけど、そのような“曰く付き”のテキストでも読み始めてみれば新たに発見するもの、感じるものがあるのだから人生はまだまだ面白いと思います。夢二という男が等身大にようやく見えてきて、目からウロコが落ちた感じ。読んで良かった、そう仕向けてくれた旅行を有り難く思います。




 浪漫あふれる晩秋、皆さんも存分に楽しんでくださいな。
 

 素敵な時間を上手に紡(つむ)いでいってください。


(*1):「風のやうに」 竹下夢二 1964 龍星閣
    新聞小説二編が所載されており、「秘薬紫雪(しせつ)」は1924年、
   「風のやうに」も同年「都新聞(東京新聞)」に連載されたもの。

2010年10月19日火曜日

高瀬志帆「恋の秘伝味噌!」(2002)~フザけんなー~

 
 高瀬志帆(たかせしほ)さんの「恋の秘伝味噌!」(*1)は、かいつまんで書けばこんなお話です。

 
 結婚に踏み切れない男の気持ちをおんなが探っていくと、それが実家のホルモン屋の窮状に関わることが分かってきます。狂牛病騒ぎで多額の借金を負った店主(男の父親)が継続を諦めかけており、それを見かねて会社勤めからの転進を図ろうとする。債務を背負っての再出発に愛しいひとを巻き込んでいいのかを思い悩み、打ち明けられぬままに時間が過ぎていく。

 それを知ったおんなは「フザけんなー」と啖呵を切り、店に乗り込んで配膳の手伝いを始めます。焼鳥屋として改装なった狭い店でささやかな結婚披露宴が行なわれ、気のおけない友人たちの祝福を受けて喜色満面のふたりなのでした。



 “結婚”をテーマにした雑誌(*2)に掲載なったものらしく、あとがきに筆者は「ククリに苦しんだ末、イカれた話に」なったと明かしています。単行本には5篇収められていて、どれもこれもがうら若き男女の恋愛譚なのだけど確かにいちばん空転した印象を抱かせます。ほかの収録作の放っている治まらぬ動悸、汗まみれの切実さ、荒々しさと比べていかにも優等生っぽい仕上がりです。


 死に至るまでが旅の途上にあり続ける“魂のこと”を、結婚をゴールと断じて集束していくことに違和感が生じるのだし、土台無理があるのですね。山なり谷なりの起伏が結婚に至るみちすじにはあるものだし、感情の衝突、計算、逡巡もあれば諦観もあって平坦なものでは決してない。“しあわせな”という冠が付いた結婚を描くとすれば、なおさら紙面なり文章をたくさん割いて向き合わないといけない。それを作者の高瀬さん自身が誰よりも先に気付いている、気付いていながらもペンを走らせねばならない。因果な商売です。


 代々受け継がれた“味噌タレ”にしても二つの魂の行方を変針させるには役不足であり、その肝心な部分を共感できない僕のこころは一向に波立たないのでした。ずいぶん前に買い求めた本であったのだけど、これまでこの日記に取り上げなかったのはこの“味噌タレ”がピンと来ないからでした。


 では何を思ってこの場に載せようとするかと言えば、興味深い絵が単行本の表紙を飾っているからなのです。これがなかなかの“みそ汁”で記録に値する怖さ、面白さです。


 華やかな晴れ着に飾られたおんなが小振りのお椀を胸元に掲げている。褐色のどろっとした液体が覗くその中に、白色のキュービックが3個浮き沈みしている。無理をすれば汁粉(しるこ)に見えなくもないけど、桃色に縁取られたタイトル文字との兼ね合いから言って十中八九これは豆腐の“みそ汁”です。そして、今まさにその“みそ汁”の器から汗だくになりながらひとりの男が這い出ようとしているのだったし、悲鳴を上げたり、転倒しながら一目散に逃げ出そうとしている若い男の群れが手前に配されている。


 おんながキングコングほども巨大なのでなく、男たちが矮小化されている。右往左往して逃げ惑う男たちを睥睨するおんなは、間もなく緑色の箸をぞわり動かして男の身体をつかみ上げ、ぶわっと裂け開いた唇の奥の奥へと押し込むに違いない。


 よくよく観察すればこの表紙画は、カバー裏の中央を飾るおんなの横顔と一対になっています。素裸にエプロンを羽織ったおんなが手に持っているのはオタマであって、これはおんなが“みそ汁”調理の只中にあることを示しています。

 金属質の輝きを放つオタマのへりを下唇にじっとり押し当てたおんなは、薬にやられて虚空を睨むベット・ミドラーさながらの洞穴(ほらあな)みたいな眼つきになっており、完全に幻影の虜(とりこ)です。おいおい…



 男とおんなの恋情をめぐる、喰うか喰われるかの駆け引きが象徴的に表されていると共に、女性が内側に潜めている肉欲、支配欲、観察眼、非情さ、たくましさが乱反射しています。“みそ汁”に託されがちな家庭の団欒、おんならしさ、母性を蹴散らす勢い。間違いなく「魂の食べもの」として登用された“みそ汁”が、白い湯気を昇らせながら中空に浮かんでいるのですが、ここまで妖しく色めいて描かれることは稀有なこと。


 怖いですねえ、作者の高瀬さんも、これを当たり前の漫画として頷く女性たちも。
 ほんとうに怖い、怖いけれど愛しい、困ったことながらそう思います。


 所詮、男は食べられる宿命、なのかもしれないですねえ…


(*1):「恋の秘伝味噌!」 高瀬志帆 2002 同題単行本 大都社 2003 所載 
(*2):「結婚しようよ」 ぶんか社 2002 詳細不明 

“こもごも”

 食事中の方、ごめんなさい。尾龍(びろう)な話になります。


 同僚の女性が泣きそうな顔で訴えるのです。トイレの排水が上手くいかない、屋外に位置するマンホールが詰まって溢れて大変なことになっている…。大騒ぎされても困ります、状況が状況なので誰も来ないようにお願いしてから長靴を履き、軍手をかけて単身現場に向かいました。ひゃあ!確かにこれは大変な事態。


 新潟三条で堤防が決壊して、大量の川の水が住宅や事業所に押し寄せてしまったことが以前ありましたね。下水も当然ながら逆流してきてとんでもない状況に陥ったことを、あの時あの場所におられた取引先の担当の方が真剣な目つきと声で語ってくれたものでした。言葉を選んで静かに、けれど諭すようにして話してくれた彼の面影がふと蘇えりました。ああそうか、こんな具合だったのか。そりゃ、だよね…


 業者を呼んで対応しても良いのですが、早々に来てくれるとは限らない。来てくれたにしても、その人がやる事と僕がやる事に違いはないでしょう。いつか起こるだろう災害時の予行練習と思えば、ちょっとは背中を押されるところもあるのでした。なんちゃって、無理してらあ…


 
 孤軍奮闘の末、障害になっていた物体がいよいよ姿を現しました。いや~驚きましたね。

 写真家ダイアン・アーバスさんの人生の転機を題材にした幻想的な映画(*1)がありましたが、あのとき彼女が詰まった配水管を清掃して見つけたものはおびただしい量の体毛でした。アパートメントの上の部屋に越してきた男が多毛症という設定で、浴室の排水溝から流れ行った長い体毛が何らかの拍子に途中で次々と溜まっていったのです。あの時の二コール・キッドマンの唖然とした表情と僕の顔付きは多分同じだったはず。



 それは植物の“根”でした。小学校の時分に球根の水耕栽培ってやりますよね、ヒヤシンスとかクロッカスの。あんな感じの細く長い根がびっしりと束になって育ち、配管の幅いっぱい一杯に茂っていたのです。下水道内部に侵入した根自体はか細い針金みたいなものでしかなく、それは塀越しに隣地からヨタヨタと地中を進んで延び入ったらしいのも凄いのだけど、そんな一本の細い根の先っちょに習字の筆を何百倍にしたような毛細状の根を貯えていく植物のしたたかさ、粘り強さが驚異としか言いようがない。


 ウェブで検索するとこの手のトラブルは割合多いようです。5年に一度くらいは意を決してマンホールを覗き、紛れ込んだ根っこを取り除いてしまうことをお奨めします。




 散々厭なイメージを植え付けてしまいましたから、それらを払拭(忘却)するためにも別な話題を。先日ドライブして古い洋風建築を観てきたところです。二箇所に足を運んだのでしたが、いずれも内部は歴史資料館になっていました。オルガンや鉱山用ヘルメットなどの無駄に凝った意匠が楽しかったですね。物のありがたみが滲(にじ)み出てくるような感じで、きっと大事に大事に使ったのでしょうね。

 防寒具を重ねまとった人形も淋しげだけど幸せそうです。無人のフロアにはどこからか迷い込んだ一匹のスズメバチが飛び、出口を探しあぐねてコツコツと天井に当たっていく、その微かな音がするだけ。



 時間が止まったような光と匂いが、日頃のせわしなさや“こもごも”を忘れさせてくれます。
 

(*1):Fur: An Imaginary Portrait of Diane Arbus 2006

2010年10月14日木曜日

みやわき心太郎「白い日日」(1972)~三十四(みそし)る~


  狭い電話交換室でひとり機械に向かっている章子

  その肩をポンと叩く者あり。三歳年長の同僚が箱を差し出して

同僚「おそまきながら お誕生日おめでとうござんす」

章子「(包みを受け取り)まあ ありがとう」

同僚「そうスンナリ喜ばないでよ 恐怖の三十(サント)リーオールドよォ~~」

章子「あ~~っ ひど~~いん」

同僚「ウイヒヒヒヒ」

章子「いいわ 来年三十四(みそし)るプレゼントしてやるから」

同僚「(笑顔で部屋を出ていく)なんのなんの」

章子「ありがとう……………」

  ドアが音をたてて閉まる。背を向けて押しだまる章子

章子「……… ……… ………」(*1)


 人生には思いがけない出会いがあります。その出会いを通じて未知の本や映画、音楽、風景と見(まみ)えることは実に嬉しく愉しいこと。人からひとへと敬愛するものが伝播していく、そこには生きていることの手応えがあります。

 偶然なのか必然なのか知り合えたひとがいて、彼はある著名な“作り手”のアシスタントとして活躍された方なのでしたが(前にも書きましたね)、思い切ってお家に遊びに行かせてもらった時に教わったのが“みやわき心太郎(しんたろう)”さんでした。

 僕のこれまでの道のりに、みやわきさんは居ないに等しかった。失礼とは思うけど本当のことです。書棚から出していただいた単行本、「花嫁」(*2)だったか「あたたかい朝」(*3)だったかの表紙や最初の数カットを見ただけで、繊細な息づきや天才肌の筆づかいがにわかに感じられて強い焦りを覚えました。この年齢まで知らずにいた、読まずにいたことに対する焦りです。

 駅前や繁華街を流れる雑踏や、絵画教室に集い素描に励む若者たち。背景描写に過ぎないそんなひとりひとりに生命が吹き込まれて見えます。また、カメラに相当する目線が俯瞰気味に主人公を眺めたり、背後にぐるり回ってみたり、足元に降りて地面から見上げるなど自在にコマが展開していながら、いささかも絵に狂いが生じていない。さりげなさを装いながら人物の心象をそうっと託した深慮あふれた構図が続きます。上手だな、凄いな。唖然として見惚れてしまいました。

 原作者を別に置いて作画のみを担当された(扇情的なタイトルの)作品がみやわきさんの代表作にあり、それをもって頑迷に彼の全作品を遠ざけていた自分を恥じました。帰宅後すぐに古書店やオークションを通じ、入手可能なだけの単行本を探し求めた次第です。


 「白い日日」と題された28頁の小編は三十歳になったばかりの独身女性の話です。故郷を強引に飛び出して今はアパート住まい。仕事は会社の電話交換手で、騒音を避けるために重い扉に閉ざされた小部屋に朝から晩までこもって過ごしています。外からの電話を取り次ぐだけで飛ぶように時間が過ぎていく。

 通勤中の彼女を見初める男が現れます。堰き止めていたこころが決壊して寄り添う仲となり、やがて結婚に至ります。空しい時間からようやく解放されるのです。ところが、雑誌編集に携わる働き盛りの夫の帰宅は真夜中になったり泊り込みが常であり、ぽつねんと捨て置かれた章子の状況は形を変えはしても実質は同じだった。

 ある日、風邪をこじらせ早帰りした夫に対して章子は医者を呼び、自身もかいがいしく介抱に努めます。髭(ひげ)を剃るのを手伝い、果物の皮を剥いて食べさせる毎日。診断によれば初期段階の肺炎で数日もすれば快復するはず、なのに、不思議と夫の症状は足踏みを繰り返します。

 処方された薬を章子が隠したのです。空白の日日を埋め戻すために。重篤な状態になるまで二ヶ月間も放置され、遂に夫は絶命します。


 三十歳を過ぎた辺りで肉体的にも精神的にもいよいよ円熟し、花弁を思い切り開くようにして僕たち男を外貌、内実ともに圧倒しまくる現代女性と比べると、章子というおんなはずいぶんと弱々しく自律していない感じがします。隔世の感につくづく襲われる物語なわけですが、男とおんなという枠を外せばどうでしょう。“草食系男子”を擁する当世にも十分に通じる気配があります。このような孤絶感や虚しさは誰の胸にも幾度か去来するものだし、喉を掻きむしられるような“白い日日”は僕の記憶の底に潜んでいる。都会に住まう地方出身者の懊悩や内省ぶりが、実にたよやかに等身大にて描かれていて、あっさり気持ちを持っていかれました。軽々と時代を超えて胸に迫りくる、その普遍性がすばらしい。

 上に掲げた場面は年齢を重ねていくことの不安、疎外感を的確に描いてみせた幕開け直ぐの描写です。“三十四(みそし)る”と発した瞬間に章子というおんなの脳裏に何が瞬(またた)いたのか、その響きはプラスマイナスどちらに針を振ったのか、見た限りにおいては分かりません。三十路(みそじ)と“みそしる”とを重ねる単純な言葉遊びです。気の置けないおんな同士の洒落の応酬であり、特段の意味は含んでいないかもしれない。

 ただ、帰宅後ひとりで呷るしかない酒を贈り贈られ、祝いの品に到底ふさわしくない“みそしる”を(たとえ冗談であったにせよ)口にする独身同士なのです。その乾燥した笑いを交えた応酬は硬直して型にはまってしまった章子の日常を裏打ちしていて、大いに憐れみを誘って見える。実際、押し寄せる無言の波に章子はひとり溺れ沈んでいくようであり、直前に為された会話がなんとも言い難い寂々たる音調となって、交換室の狭い空間でわんわんと残響していくようなコマが連なっていく。

 ですから、ここでの“みそしる”にはややマイナスのイメージが付されている。嘆いているのではありません。うまく魂に喰い込んでいる、役どころとして決して悪くないと思うのです。哀しくて存在感のある“みそしる”が刻まれているのであって、こんな登用は誰でもが出来るものではない。みやわきさんらしい発想だと唸るのです。

 人生の機微を見つめ続け、丁寧に、とても大事にひとコマ、ひとコマを描いていかれた。奇抜さやはったりが無く、仰天させる見開きや突き抜けたものは見当たらないのだけど、上質の和菓子か冷酒をいただいたような充ち足りた読後感がありました。“三十四(みそし)る”に代表される日常の光景の、幸福と不幸せが混濁して同居するような一瞬をさらさらと紙面に残していった行為は、一見のどかに見えながら、自律した大人のきびしいまなざしに貫かれていました。諭されるものがとても多い、骨の通った作風でした。

 同時代的に追いかけることはありませんでしたが、不思議な縁で紹介されてこの時期に深く読み進められたことを感謝しつつ、到底届かない言葉ながら贈らせてもらいます。



みやわきさん、素敵な物語をたくさん有り難うございました。今度は僕が紹介する番ですね。「良い本があるよ、もう君は読んだかな」、そうやって若いひとに薦めていこう。どうぞゆっくりとお休みください。


(*1):「白い日日」 みやわき心太郎 1972 初出「トップコミック」
  「潮風のルフラン」道出版 2004 所載  下段のコマも同作から
(*2):「花嫁」 みやわき心太郎 朝日ソノラマ 1976
(*3):「あたたかい朝」 みやわき心太郎 朝日ソノラマ 1977

2010年10月12日火曜日

傾斜面



きっとこの辺りの小学生にはハイキングコースなんだろう、けど、なかなかの急傾斜で息を切らしながらの小登山。中年男にはいい運動と気分転換になりました。熊はいなかったけど蛇は会ってくれましたよ。薄い緑色の肌が秋の陽にぴかぴか光って綺麗だった。まだまだその気になれば不思議な場所ってあるものです。

2010年10月9日土曜日

神の池~その二~




それも、この風景にひとりきりで対峙できるなんて──

波長の合う人と一緒に向き合うことが出来たら、
生涯忘れられない時間になるだろうな、きっと。

そんな厳かな場処でした。










2010年9月23日木曜日

将口真明「マナをめぐる冒険」(2010)~2101年~


「もしもコストを度外視して、安全でよいものだけを集めると

いうのであれば、現在でもできます。試算ですが、お手元の

資料にもありますように、玄米一膳に五〇円、ブリの切り身に

二〇〇円、味噌汁の味噌に二〇円、里芋と大根の煮物一人前に

一三〇円をかければなんとか供給できます。」(*1)


 昨晩からずっと雨がしとしと降っています。雨自体は嫌いじゃありませんから、ベッドでごろごろしながら買い溜めていた単行本や雑誌をひも解いたり、見ないでいた映画などを眺めてゆったりと過ごしています。先程読み終えたのは三百頁ほどの小説。帯に“「食」は魂を救えるか?”とあり、その言い回しが気になって買い求めたものでした。

 2081年に始まり2101年に幕を閉じる“食”にまつわる冒険譚です。作者の将口真明(しょうぐちまさあき)さんより贈られる70年以上先の僕たちの未来がどのような波乱を含むものか、あまり詳細を説明してしまうとこれから読もうとする人の邪魔になるので止めておきますが、基本的には明るいものになっていますね。


 電子制御された快適この上ない交通手段が街を縦横無尽に貫き、立体映像を介して人と人との交流が各家庭のリビングで花咲いている。大きな地震が襲ったりするけれども、致死的な謎のウィルスで人類が絶滅するでもなく、戦争で新型爆弾が落とされるでもない。凶悪なロボットが叛乱を起こすこともありません。


 けれども、繁栄の影で日常に無制限に浸透してしまった電子ツールが子ども達や独身者を終日鎖に繋ぐこととなり、次第に身体をむしばんで奇妙な“免疫不全”へと追い込んでいくのです。死に至らしめるという最悪の現象が次々に発生して、政府も対応に悩みます。そうこうするうち、身近な人がひとりふたりと死んでいく。主人公の女性は“魂のエイズ”と称されるこの奇病の蔓延に抗うべく、パートナーのイタリア人シェフと組んで旧約聖書に描かれている“マナ”という神の恵みを探していくのでした。トム・クルーズが未来都市で殺人者の汚名を着せられて逃避行を演じる、そんな映画が以前にありましたけど、ちょっと雰囲気は似てますね。



 上に引いたのは劇中の会議で話される未来の食のコストです。食以外の価格がどうなっているのか、人々の収入の増減が一体どうなっているのか判然としませんので、ここに並んだ金額がどの程度“度外視”されて並んだものか僕には見当がつかない。 けれど70年後の世界で“味噌汁”が出現しているのは、くすぐったいような感じで読んでいて愉しかったですね。


 ちなみに椀一杯に使用される分量は15gから20gといったところでしょうから、「味噌汁の味噌に二〇円」というのは1kg換算で今の価格にして千円から千三百円ぐらいになりますね。うむ、確かに高いかも──。

 この表記以外にも“たまり醤油”が小皿に用意されますし、金目鯛やゴボウ、山芋は“醤油”をベースにして煮込まれて供されています。値段はさて置き、僕がこの世から跡形もなく消え去っているだろう70年後から90年後の世界で“味噌”と“醤油”が精神的な食べものとして多用されている、それは面白いし、この小説を読む人の誰もがそれを素直に受け止められるとするならば興味深い事実ではないかと感じるわけです。


 僕たちの深層に両者がどれだけ注がれ、どれだけ染め上げているのか、その事実がそれとなく裏打ちされていく。なかなかの予言書でありカルテであると思いました。


(*1): 「マナをめぐる冒険 魂を潤す究極のレシピ」 将口真明 講談社 2010 126頁

2010年9月21日火曜日

山本むつみ「ゲゲゲの女房」(2010)~ごちそうさまでした!~



 翌日の昼、布美枝は味噌汁を用意した。歓声をあげたアシスタント三人に、

いずみが笑顔でいった。

「姉がお昼はみなさんお弁当持参だけん、味噌汁くらい出そうかって」

 しかし、倉田は不意に笑顔を閉じた。そして食後に鍋や食器を下げに

布美枝の元へ来た。

「思い過ごしやったら、すまんのですけど。先生にもさっき仕送りのこと

聞かれたんで。もしボクに気ぃつこて味噌汁作ってくれてはるんやったら、

そんなん、もうええですから。生意気いうようですけど、人の好意に甘え

とった、あかん思てるんです」

 布美枝は首を横に振った。

「気に障ったのならすいません。けど、ちょっと違うんですよ。

私、うちの人のためにやっとるんです。今はアシスタントさんが三人も

おられて、私の出番はないでしょう。何かできることないかなあって考えて、

思いついたのが味噌汁なんです。倉田さんたちが健康で元気でがんばって

くれることが、何よりもうちの人の助けになりますから」
 
 倉田はじっと布美枝を見つめた。それから「ごちそうさまでした!」と、

頭を下げた。

 その数日後、うれしい知らせを豊川と船山が持ってきた。

「悪魔くん」のテレビ放送が決まったのだ。(*1)



 連続ドラマの「ゲゲゲの女房」が幕を降ろします。“生き甲斐”とまで書くと言い過ぎだろうけど、毎日たのしく拝見させてもらいました。


 昨年の今頃になるのですが、このドラマのモデルとなった実際の漫画製作現場に当時おられた方と縁あってお話しする機会に恵まれました。随分可笑しなエピソードを伺ったものでした。そんなことも重なって、個人的に当初から関心がたいへん高かったのです。現実とフィクションを混同してはいけないでしょうが、気軽に見ることは根本的に難しかった。


 独りの闘いがやがてふたりの闘いとなり、耐え切れずに他人を雇い入れてしまって転回を余儀なくされる、空気が変質する。僕たち受け手の目には決して見せないそんな“作り手たち”の苦労の数々を幻視するような得難い会話であったから、悪戯に懐旧するだけの中途半端な描写はきっと哀しいと思って警戒もしていました。自然と目線は厳しくなったと思うのですが、険しい感情は終ぞ起きることなく今日まで至っています。良かった、良かった。




 上の描写は少し前にあった“味噌汁”の情景です。実に象徴的で興味深い登用でしたね。

 家庭のなかに仕事場を持ち込むことで、境界線が失われて表裏(おもてうら)が判然としなくなる。日本のほとんどの会社が、そんな曖昧さを多かれ少なかれ抱いています。厳しさと受容の振り子が絶えず行きつ戻りつして、使う立場の者も使われる身も疲弊させることがしばしばです。“境界の食べもの”であり、「ゲゲゲの女房」においては貧富のバロメーターとして機能もしていた“味噌汁”が、ここに至って大量に作られ振舞われました。内なる結束を促し、気合いを入れていく。唐突ながらも筋のピンと通った“味噌汁”の使われ方はなかなか味わい深いものがありました。


 仕事であれ何であれ特効薬は見当たらない。ささやかな行ないではあるけれども、何もしないよりは良い──そんな地道な“やれる範囲の毎日”を無駄とは思わず、無意味と決め付けず、しかと重ねていくしかない。たかが“味噌汁”、されど“味噌汁”。実際のプロダクションでの慣習であったのか、それとも脚本家の山本むつみさんの創造なのかは分かりませんが、なかなか嬉しい味噌汁の起用でありました。「ごちそうさまでした!」(と、深く頭を下げる)



 書き留めておきたいことがもうひとつ。素晴らしい照明でしたね。スタッフの皆さんのクレジットをいちいち確認はしないでゆるりと過ごす毎日でしたが、時にハッとさせられるような“陽射し”が在りました。久慈和好さんとか竹内信博さん、といったお名前が検索すると出てきました。なんと鮮烈でさわやかな夏の光と影であったか! 生きた木立の影が色濃く人物に落ちて、とても屋内とは思えない光景が幾度もありました。職人技とはこういう一瞬を指すんですねえ。堪能しました。


(*1):「NHK連続テレビ小説 ゲゲゲの女房 下」 第18章 悪魔くん復活 121-122頁原案 武良布枝 脚本 山本むつみ ノベライズ 五十嵐佳子 発行 日本放送出版協会(NHK出版) 写真はNHKのホームページからお借りしました。

2010年9月18日土曜日

“主人公”

 ひとと話すのは楽しいものです。いや、苦痛を覚える会話も残念ながら中にはあって、機械のように応対マニュアルを読み上げる電話によるセールスなんかがその典型だけど、人生の機微や知恵に溢れたもの、よくよく見知った人との肝胆相照らす静かな空間は実に嬉しいものです。充実します。得難い宝石箱のような感じがします。

 先日、とある婦人と話していて、こんな事を言われました。


  さしあたりの車、さしあたりの家、さしあたりの暮らしをしていると、
  

  結局、“さしあたりの人生”になってしまうよ


 白い閃光を放って、胸にすとんと飛び込みました。う~ん、心臓に突き立ってずいぶんと痛い。同年輩や僕より若いひとから言われたら反撥するものも沸くところでしょうが、ふた回りも年数を重ねてきた彼女の言葉はとても重くて打ち返せない。う~ん。



 いや、実際のところ、とても笑ってなどおれない。
 

 本当に痛い


 そのような境地は婦人の内部から派生したものではなくって、よく知るご友人から彼女に告げられたもの──とのこと。詳細を書き連ねるのは控えるけれど、なるほど豪語されても仕方がない。日常を謳歌されていて言葉遊びに終わっていない。例えば足腰が弱ってきたからと蟄居することを潔(いさぎよ)しとせず、絶景を愛(め)で、清澄な大気に直に触れようと熱心に画策する。仲間を募ってヘリコプターをチャーターまでして、堂々と実現に導いていく。経済的な基盤が後押しするにしても、自らの人生のまさに“主人公”として登壇し続けている、その現役であろうとする気概がうかがえて、実際にお目にかかったわけでもないけれど、やたらと眩しい。 天空を高く飛ぶ鳥を仰ぎ見るような感じ。


 お茶をご馳走になりつつ、顔は笑顔を保つけれど、かなり身に応(こた)えた。


 今もぐるぐると言葉は渦巻いて、洗濯機にでもなった気分だ。

2010年9月17日金曜日

米林宏昌「借りぐらしのアリエッティ」(2010)~ビスケット~



 この年齢でそれはないよ、と恥らいつつ、時折、劇場に足を運んではのんびりと極彩色のマンガ映画を楽しんでいます。極端な絵空事にはもはや付いていけなくって、現実に深く拮抗しているものか、発達し続けるテクノロジーが社会や家庭をどう変えていくかをシミュレートする、そんな指先が届きそうな“近しい物語”に限られるのですけどね──。この夏は『借りぐらしのアリエッティ』(*1)と『カラフル』(*2)を観ました。(*3)

 いとけない少年少女のお話で、いずれも身近な日本の風景を舞台に選んでいます。あれこれ語るのは年輩者の役割ではないでしょうから、例によって話題を絞ります。『借りぐらしのアリエッティ』は古い西洋風の家屋の床下に小人の家族がこっそり住み着いていて、夜になると忍び出ては食品や雑貨を盗んでいく、そんな一種のおとぎ話、妖精譚です。

 原作はイギリスの児童文学らしく、Youtubeには海外でドラマ化されたものの一部が載せられていますね。上で“妖精”と書いたのは原作の持つイメージがきっとこの映像に近しいと思うからです。赤毛のちんちくりんな頭とずんぐりした体躯、甲高い声とバタバタした動きは人間ばなれして見える。コロボックル、座敷童(わらし)、キジムナー、そんな感じです。




 映画はそんな奇矯なキャラクターをきれいに捨て去って、寡黙で知的な家長を主軸と為して懸命に団結し、生き残りをかけて手堅い日常を送っている“人間たち”が描かれる。“人間”であれば出逢いもあり、胸の奥につかえて鈍痛を覚える悩みの思いがけぬ吐露だって起きてしまうものだし、密やかな感情の交錯もそっと生じていく流れ。

 重い病気をかかえた少年とそわそわして自立を模索する少女が出逢って、雲母のような薄く儚(はかな)い“きらめき”を反射していきます。大胆この上ない換骨奪胎の演出が面白かったですね。


 悪い意味ではなくって“可笑しさ”のひとつとして脳裏を駆け巡ったのは、彼ら床下の小人たちの“食生活”についてでした。階上のテーブルでは茶碗にごはんが盛られ、また、味噌汁椀も見受けられます。箸を使ってのささやかな食事が淡々と描かれている。

 そのような日本的な食事の“おこぼれ”にあずかっているはずの小人たちの栄養補給の仕方は、どう見ても頑固な洋食主体であって、その段差が僕には相当に意図的に見えたのです。彼らはビスケットを台所からくすねると、それを持ち帰っては苦労してゴツゴツと細かく砕き、ようやっと粉にしてから、どうやらそれをさらに加工してパンか何かに仕上げて主食とするらしい。どうしてまた、そんな回りくどいことを!

 海外の原作を採用したことの歪みにも見えますが、それだけでなくって、わたしたちを取り巻く日本食がにちゃにちゃと粘性が高く、扱いにくいという点もあるやもしれません。実際、日本語のなかの食感に関わる形容で、ベタつく感じを表現するものの数は世界でも稀な多さらしい。(*5)


 ごはん粒など拾おうものなら、カーマインの素敵なワンピースは澱粉でごわごわとなってしまうでしょう。床下の多湿な空間に濡れたものを持ち込みたくない、というのも理に適っている。思考の末に小人達はビスケットに狙いを定め、カサカサと袋をまさぐる階上の物音に耳をそばだてていくのでしょう。

  加えて、いや、実はこっちの方がたぶん本筋なんでしょうけど、納豆や味噌臭い風体で少女が徘徊しては百年の恋も覚めるということじゃあないか。恋情と和食文化とのすれ違いが、意図的にか偶然かは知りませんが二重三重に、けれど、実にさりげなく劇中に起こっているようで、僕は少し面白く思ったのでした。僕たちの胸奥に巣食ったこころの化身のようにアリエッティは見えるのです。



(*1):「借りぐらしのアリエッティ」 監督 米林宏昌 2010  原作はメアリー・ノートン「床下の小人たち」The Borrowers 
(*2):「カラフル」 監督 原恵一 2010 
こちらの映画では「丸大豆しょうゆ」の容器が幾度か目に飛び込んできます。家族の再生を描く物語の常套として台所脇の食卓が登場するのだけど、彼らの背後にある流しの上のちょっとしたスペースに「丸大豆しょうゆ」がふんぞり返って僕たちを睨んでいます。演出の意図は何か、各人各様に受け止めるしかありませんが、のびのびとした風景とはなっていませんね。“しょうゆ”というのはなかなかに重苦しいもので、現実世界の覚醒を後押しするような役回りが多いのですが、ここの“しょうゆ”もそんな負の気配を纏(まと)って見えます。

(*3):マンガという世界は、思えば瑣末な背景描写のいちいちにさえも取捨選択を迫られる、言わば無制限に“決断”を迫られる場であって、作り手の意識や認識がべろりとさらけ出されてしまう仕組みです。カメラでもって現実の空間を掠(かす)め取る、いわゆる通常の映画と比べて随分と“批評的”に成らざるを得ない。(*4)

現在作られているマンガ映画であるならば、それは間違いなくこの時代を僕たちと共に生きている人間の、リアルこの上ない個人的な“世界観”がスクリーンにつぶさに塗布されていくわけで、観客の抱える“世界観”と衝突したり交合(まぐ)わったり、実は相当に激しい時間になっていく。もしも嘲り笑われるとしたら、その対象は表現手段にとどまらず、いきなり作り手の観察眼や見識といった真髄、真価に向けられる。逃げの利かない勝負を迫られているように見えますね。そんな独特の緊迫感が僕を捉えている、そんなところはアリマスね。

(*4):劇画出身の石井隆さんのように全方位的に目線がゆきとどいて統一した世界観を構築できる実写の監督さんもおられるけれど、そういう人はごくごく稀であるように思われます。

(*5):最終的に445語から成るテクスチャー用語リストを得ました。(中略)日本語のテクスチャー表現の最大の特徴は、数が多いことです。海外の同じような研究例では、英語で77語、フランス語で227語、中国語で144語、ドイツ語で105語となっています。これらの研究は、それぞれ調査の時期や方法が異なるので、単純に比較することはできませんが、それにしても、日本語に食感表現が多いということは間違いなさそうです。(中略)日本語のテクスチャー表現には粘りの表現が多くみられます。「にちゃにちゃ」、「ねばねば」、「ねっとり」等、「に」や「ね」で始まる粘りの表現、「ぶるん」、「ぷりぷり」、「ぷるぷる」等、「ぶ」「ぷ」で始まる弾力の表現、また、ぬめりを表現する「つるつる」、「ぬるぬる」等、が多くみられました。これらは他の言語ではあまり数多くみられません。ここには、日本で食べられている食材や、日本人のテクスチャー嗜好が背景にあるのではないかと推測されます。古来、日本人は、もちなど粘りのある食品を好んで食べてきました。納豆、里芋、こんにゃく等、粘り、ぬめり、弾力が特徴の食品も日本人の食卓には数多くあります。

早川文代 (独)農研機構 食品総合研究所 食品機能研究領域 主任研究員 博士(学術) 「日本語のテクスチャー表現から見えてくること」 東洋クリエート株式会社発行「創造 №36」平成22年8月1日発行

2010年9月12日日曜日

“再生力”


 
  自分の“限界”を破るというか、なにか凄く──
 
  なにかが“破壊”されると

 “再生力”ってもの凄いものじゃないですか──


  佐藤寛子-メタモルフォーゼ
  -映画「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」より

晩夏

 若くして逝った家族を供養するものとして、僕の住まう地方には神社へ“絵馬”を奉納する慣習があります。


 いや、慣習と呼べるほど根付いてはいないのだけど、そういった切実なこころを受け止める装置と成っている社(やしろ)が幾つか点在している。昨日訪れたところはその代表格のような場処でした。車一台がやっと通れる細い道を辿った先の、山ふところに抱かれて小さな堂が佇んでいます。


 黄泉の世界で佳き人とめぐり逢って祝言をあげ、子宝にも恵まれることを遺された家族が祈ります。そのイメージを板絵にしたり紙に描いて寺社の天井や壁に掲げていく。ひとつひとつを眺めていくと、此岸(しがん)と彼岸という境界を越えたささやかな日常や苦闘が透けて見える。共棲した短かった時間、こころの往来が伝わってくるようです。厳かでありながら微笑ましい空間が在ります。


 お社を独り守っている老婦人にご挨拶し、小雨を避けた軒下にて少しの間だけですが立ち話をさせてもらいました。濡れて濃くなった緑の中に、水子供養の地蔵が巻いた赤い前掛けだけが鮮やかに目を射るように浮かんでいます。穏やかな夕刻で嬉しい時間になりました。

 
 寺院であるならば“坊守(ぼうもり)”にあたる方なわけですが、正式には何とお呼びするか分かりません。気さくでおられながらも長い歳月をひとつの事に奉じてこられただけあって、凛とした気配を秘めておられる。どういう訳でこうなったか分からないが、与えられた宿命(さだめ)なのであろう。ここに来て数年で夫を亡くし、ずっと独りでこうしてここを守っている。こんな事は“おんな”であったら出来はしない、気違いか何かでなければ続けられないよ──。


 お堂よりも遙かに高く育って花を幾らかまだ残す百日紅(さるすべり)、正式な名前は知らぬまま自分なりに“昇り露草”と名付けて丹念に植え替え一群と為して今は紫色に広く美しく染まった花壇を話題とし、また、雪の季節の苦労などを尋ねてみたり──。雨の匂いを肺腑に充たしながら静かに過ごしました。ああ、あまり自分のことを話し過ぎてしまいましたね、と微笑む婦人の、けれどまばたきせずに僕を見つめる瞳にも日常のささやかさと苦闘が宿っているように見えて、僕なりに強く反響するものがありました。



 謝して敷石を踏みながら参道をゆっくりと戻りました。紫陽花の葉や苔土の上を僕の大きな影に驚き避けてぴょんぴょん跳ねていく小さな小さな雨蛙たちを見ながら、婦人の言葉を反芻しました。ほんの少しの勇気をもらったように感じました。



 下に並べたのは最近観た映画です。備忘録を兼ねて貼ってみました。

 季節は夏から秋へ── これを読む誰もがお元気で、素敵な時間を重ねられますように。

 ささやかな日常を共に越えていきましょう。












Il papà di Giovanna
Molière
Bright Star
BROTHERS
Synecdoche,New York

2010年9月10日金曜日

“この私はなんだ?”



肉体がその力の頂点に達して衰え始める中年期の問題は、

自己を、衰えかけている肉体と同一視するのでなく、

意識と同一視することです。肉体はその意識を運ぶ道具に

過ぎないのですから。私は神話からそういうことを学びました。



この私はなんだ?私は光を運ぶ電球なのか、それとも、

電球を単なる道具として使っている光そのものか。(*1)



(*1):「神話の力」THE POWER OF MYTH ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ共著 飛田茂雄訳 1992 早川書房 手元にあるのはハヤカワ文庫版

2010年7月26日月曜日

松原岩五郎「最暗黒の東京」 (1893)~人に向ッて食(くわ)すべき物にあらぬ~



しかれども予は空(むな)しく帰らざりし、予は些(わず)かの食物を

争うべく賄方(まかないかた)に向ッて嘆願を始めし。(中略)「もしも

汝(なんじ)がさほどに乞うならば、そこに豕(ぶた)の食うべき餡殻

(あんがら)と畠を肥(こや)すべく適当なる馬鈴薯(じゃがたらいも)の

屑が後刻に来るべく塵芥屋(ごみや)を待ちつつある」と。予がそれを

見し時に、それは薯(いも)類を以て製せられたる餡のやや腐敗して

酸味を帯びたるものと、洗いたる釜底の飯とおよび窄(しぼ)りたる

味噌汁(みそしる)の滓(かす)にてありき。たとえこれが人に向ッて

食(くわ)すべき物にあらぬとはいえ、数日間の飢に向ッては、これが

多少の饗応(きょうおう)となるべく注意を以てそこにありし総(すべ)てを

運び去りし。(中略) ああ、いかにこれが話説(はなし)すべく奇態の

事実でありしよ。予は予が心において残飯を売る事のそれが慥(たし)かに

人命救助の一つであるべく、予をして小さき慈善家と思わせし。しかるに、

これが時としては腐れたる飯、饐(あざ)れたる味噌、即ち豕(ぶた)の

食物および畠の食物を以て銭を取るべく不応為(ふおうい)を犯すの余儀なき

場合に陥入(おちい)らしめたり。(*1)


 雑賀恵子(さいがけいこ)さんの書かれた「空腹について」(*2)という本を読んでいたら“味噌”が顔を覗かせました。松原岩五郎というひとが執筆し、明治26年(1893)に上梓された「最暗黒の東京」からの引用なのでした。早速文庫本(*1)を取り寄せて読み進めました。有りました。それが上に写した文章です。


 今とは違って生活物資が潤沢でなかった頃に、さらに目を覆わんばかりの艱難辛苦(かんなんしんく)を舐めさせられた“貧民窟”での生業(なりわい)に松原さんは単身飛び込みます。後段にはやや勢いが衰えて失速する感は否めませんが、前半から中盤にかけての食糧事情の件(くだり)は圧倒されるものがあります。渾身のルポルタージュです。


 寝具にも事欠く窮状に置かれた者にとって、炊事に使う薪(まき)や炭は到底手の届かぬ貴重品です。火を熾(おこ)す必要のない手っ取り早い栄養摂取の手段として、だから重宝されていたのが、軍隊の宿舎や学校の裏口から排出される“残飯”を貰い受け、手間賃を上乗せして売るという驚くべき稼業と彼らがさばく「残飯」なのでした。筆者は界隈を司る紹介屋の勧めに応じてそんな“残飯屋”に人足のひとりとなって潜り込み、兵舎の厨房と貧民窟を日毎夜毎に桶(おけ)を担ぎ、車を引いて往復します。空き腹を抱えた人々は手に手に椀だの鍋だのを抱えて到着を待ち、筆者に群がり寄って、我先にと“食べもの”を買い求めるのです。


 綱渡りをするようにして生命を繋いでいる、けれど逞しく、必死に生きていく人間の姿を活写していて、ありありと光景が浮かんできます。最下層の人々の日々を体感するままに誇張加えず割愛をせずに淡々と記していくその文章には、感嘆やら憐憫やらの複合した思いが時折交錯してほとばしり、現世の僕たちの生活の在り様について熟考を誘うものがありました。


 厨房より送り出される多種多様のもの、魚や獣の内臓、漬物の切れ端、野菜の切片、釜底に黒くこびりついた焦げ飯、腐敗しつつあり酸っぱい臭いを放出する米やら餡やら──に交じって“味噌汁の滓”すなわち“みそっかす”が描写されていました。“畑の肥やしか家畜の餌”と明確に書かれてしまっており、ここでの“みそっかす”は著しく低い地位のものとして扱われています。


 ここだけでなく、次のような形容も別の箇所では為されています。懐に小銭の入った庶民が気晴らしを得ようと足を運ぶ行きつけの、ひどく衛生状態が悪い小料理屋に関しての記述の中でした。


およそ世に不潔といえるほどの不潔は悉皆(しっかい)玆(ここ)に

集めたるが如く、(中略) 海布(あらめ)のごとき着物被(き)たる下男、

味噌桶(みそおけ)より這い出したるが如き給仕女(以下略)(*3)(*4)


 この時期の多くの人々にとっての“味噌”および“みそっかす”への視線が、不衛生で生理的に受け付けないものとして定着していたことの証左を示して見えます。工業レベルで確立される遥か以前の“味噌作り”は、暗く不潔な土間の片隅で各集団ごとに為されていくのが通常でしたから、発酵途上で失敗したり虫が混入したりして異臭を放つ出来損ないも多かったことでしょう。十二分に洗浄と乾燥を施さずに無神経に再使用された仕込み用の木樽は、何やら分からぬ雑菌に汚染されて何処もかしこもべとべと、ぐちゅぐちゅと気味悪かったかもしれません。


 僕は過日、幸田文さんやちばてつやさんの作品を取り上げて好意的に“みそっかす”という奇妙な蔑称を解読してきましたが、こうして明治期まで深く遡ってみれば、もはや逃げおおせぬ最低ランクの喩(たと)えとしてその言葉が当時のひとの口より放たれていたことは想像されてしまう訳なのです。ちょっと考えが甘かったかもしれない。


 言葉やそれに付随する人の想いは時代と共に容易に変質していく、ということですね。形容、呼称というものはなかなかに奥深く、繊細なものを含んでいる。気を付けないといけませんね。こんな年齢になりましたが、ちょっとだけ利口になれた気がしています。





 話は変わりますが、そうそう、こんな発見も。例によってベランダでの読書兼日光浴の最中でした。下着一枚のお気楽ないつものスタイルです。直射日光に照らされた文庫本「最暗黒の東京」は、真っ白くがんがんに輝いて目が眩むばかりです。僕は近視なものだから眼鏡を外してかたわらに置き、ページをぐっと顔に近づけて、あれ、そうだったのかと気が付いた訳なのでした。


 考えてみればインクは石油の産物でありますから、何ら不思議はないのです。強烈な陽光をまともに受けて、文字のひとつひとつが炎に焼かれて身悶えするようにして見えるのだけど、そのひとつひとつがよくよく見れば虹色に反射しているのでした。赤だの青だの、紫だの鮮やかな光をてらてら放っている。


 僕はこれまで白い紙に黒い文字が並ぶイメージに囚われていたのだけど、実は文字のひとつひとつは多彩な個性を放って光を返しているんですね。余程の強い光に照らされないと、そうして余程顔を近寄せないと解からないのだけど、活字のいちいちが色とりどりに反射する様子はすこぶる幻想的で嬉しく感じました。


    蝙蝠傘 ── 傀儡遣い(にんぎょうつかい) ──

    覗き機関(からくり) ── 燐寸(マッチ) ── 鼻緒縫い


 そんな単語がちかりちかりと虹のひかりを放っていく。本好きにはたまらない光景じゃないですか。未見の方は今度お昼休みにでもお試しください。


 素晴らしい、かけがいのない、人生一度きりの夏を──。
水分をたくさん補給しながら、どうか元気にお過ごしください。


(*1): 「最暗黒の東京」 松原岩五郎 1893 初版は民友社より 上記引用はすべて岩波文庫版による 手元にあるのは1988年の第1刷 「8、貧民と食物」頁47-48
(*2): 「空腹について」 雑賀恵子 2008 青土社
(*3):「22、飲食店の内訳」 頁112-113

(*4):“醤油”についても散見出来ますが、味噌のようなマイナスの描写は見当たりませんね。車夫、人足で賑わう小さな店先の場景などに登場している。「
片手に布団と煙草袋を提(さげ)て醤油樽(だる)に腰を掛けぬ。」とか「数多(あまた)の醤油樽を積み重ねたる小暗(こぐら)き片蔭に赤毛布(あかけっと)の破布(ぼろ)を纏(まと)いて狗(いぬ)の如くに踞(うず)くまり孤鼠(こそ)々々と食する老爺(ろうや)あり。」(「30、下等飲食店第一の顧客」頁148-149)──といった表現であって、目線が対等かそれ以上になっている。味噌と違って“商品”、それも高値の工業製品として確立していた為かもしれません。この段差はちょっと面白いなあ。