2011年1月14日金曜日

江戸川乱歩「孤島の鬼」(1929)~小屋の中に隠れて~


 昼間はじっと徳さんの小屋の中に隠れて、夜になると外気を呼吸したり、

縮んでいた手足を伸ばすために、コソコソと小屋を這い出すのであった。

 食物は、まずいのさえ我慢すれば、当分しのぐだけのものはあった。

不便な島のことだから、徳さんの小屋には、米も麦も味噌も薪も、

たっぷり買いためてあったのだ。私はそれから数日のあいだ、

えたいの知れぬ干し魚をかじり、味噌をなめて暮らした。

 私は当時の経験から、どんな冒険でも、苦難でも、

実際ぶつかってみると、そんなでもない、想像している方が

ずっと恐ろしいのだ、ということを悟った。(中略)

 私の心臓はいつも通りしっかりと脈うっていたし、私の頭は

狂ったようにも思われぬ。人間は、どんな恐ろしい事柄でも、

いざぶつかってみると、思ったほどでもなく平気で堪えて行ける

ものである。兵士が鉄砲玉に向かって突貫できるのも、これだな

と思って、私は陰気な境遇にもかかわらず、妙に晴ればれした気持に

さえなるのであった。(*1)


 上に引いたのは江戸川乱歩(えどがわらんぽ)さんの「孤島の鬼」の一節で、題名にある島での様子です。



 密室と衆人環視のなか、むごたらしい殺人事件が相次いで起こります。謎解明につながるとみられる小さな島を、主人公蓑浦金之助(みのうらきんのすけ)と年長の友人にして蓑浦を内心恋い慕う同性愛者の諸戸道雄(もろとみちお)がふたりして訪れますが、諸戸は悪魔のような島の住人によって土蔵に監禁されてしまうのでした。蓑浦は心細い思いを抱きながら友人奪還をひとり画策していきます。“当時の経験から”うんぬんというのは、この話が最初から最後まで主人公の回想形式を取っているからです。


 愛する者を殺され、知人を救えず見殺しにし、忌わしい殺人をさらに幾度も目の当たりにしたあげくに、見ず知らずの土地で孤独な逃亡生活を余儀なくされる。誰が味方で誰が敵やらわからぬ中で、手ぬぐいで顔を隠し、夜陰に乗じて悪鬼の館に潜入せねばならぬ。危機また危機の連続です。やや女性的な気質を内に秘めた都会育ちの男なのですが、しかしそのうち、肝がどんどん据わってきて大胆な動作が板に付いてくる、成長していく、それが自分でも分かってくる、そんな踊り場めいた描写なのでした。そこに“味噌”が登場しています。


 旧家の土蔵に座敷牢、ぐるりと囲む高い塀に屋根瓦、湿って冷たいコンクリの壁、地下室、抜け道、変装道具、気球に野獣それから血みどろの刃(やいば)、黒く光る拳銃……、乱歩さんの世界はたくさんの小道具で構成されていますが、よもやその中に“味噌”が顔を覗かせるとは想像もしませんでした。


 作者も読者も展開を追って走るの精一杯であって、食事の仔細に目を細めたりそれを談じたりはしないもの。まして調味料にまで気持ちを注ぐ余裕はない、味噌や醤油とは無縁の世界と思っていたのです。 恋する人と思いがけず街角で出くわしたみたいで、ちょっとドキドキしました。


 以前読んだ小冊子によれば、味噌のなかには血管の収縮をブロックして高血圧を防止する成分が入っているらしい。干し魚のカルシウムと味噌の成分がうまく作用して男のパニックを沈静化させている、と解釈するのは飛躍が過ぎるでしょうか。


 医学的にどのような役割を果たしたかはさて置き、ここでの味噌は一皮剥けて逞しくなった男の心持ちとは確かに連動していて“妙に晴ればれした”ところがあります。情念の噴出や決壊をそっと抑制して内観をうながし、静かでさらさらした時間を醸成していく。どうやら味噌にはそのような効用が物語のうえで期待されている。実際どうでしょう、“えたいの知れぬ干し魚”だけでは男の精神はすさむばかりで支え切れなかったに違いない。悪くない味噌の登用だったと思うのです。


 ごちそうさまでした、乱歩さん、面白かったですよ。

 
 往時の無頓着な世相を反映して乱暴この上ない題材が選ばれ、遠慮の微塵もない黒い笑いにまみれた場面が連綿と続いていく、そんな猟奇小説です。昨今の過剰な表現規制などを思うと、いつか絶版になるような気が致します。

 原初的で毒々しい恐怖と笑いを、けしからん、配慮が足らないと切除するなりフタなりをしてしまえば、創作の世界の地平はなるほどすっきりするかもしれない。けれど、意見を交わすことが出来る“開かれた闘技場”が失われていき、結果的にこれから育っていく若者のこころを未成熟にしないか、硬直させないかと僕はすこし心配しています。


 こういう本は何とか生き残ってもらいたい。人間の本質を鋭く突いた内容ともなっていて、興味深い、嬉しい時間となりました。



(*1):「孤島の鬼」 江戸川乱歩 初出は大衆雑誌「朝日」で一年間に渡る連載。表題にはいつも通り連載開始の1929(昭和4)年を入れた。手元にあるのは東京創元社の推理文庫 2010年の30版。引用はそれの283頁。最上段の画像もその中からで、連載当時の扉絵。同182頁より。竹中栄太郎さんの筆による。 

0 件のコメント:

コメントを投稿