2011年8月30日火曜日
“絵”
“絵”を観に行きました。休みを利用しての日帰り旅行。“たった一枚”の絵を見るためしては目的地が遠過ぎます。往復に時間を食いますし、朝早いうちに出立しなければなりません。「何もそこまでして」──自分でも酔狂と感じます。
ピカソの“ゲルニカ”。小学校や中学校の美術や歴史の教科書にも写真が載るこの絵は、だからほとんどの人にとって既知の、もはや鑑賞に値しないありふれた作品となっていますね。これから見(まみ)えようとするのは、その“ゲルニカ”なのでした。
知識や情報のインプットが背中を押しているのは違いないですね。図書館で評論二冊を借り受け、ざっと目を通してあります。どのような手順で仕上がっていったか、眼前でどんな人間ドラマが繰り広げられたか、その生い立ちはおおよそ理解しています。知れば知るだけ風が吹き抜け、いつの間にか芯に忍ばせた部分にまで炎がおよんでいる。油断大敵、火がぼうぼう。
気持ちにずいぶんと弾みが付いてしまった。“絵”それのみの魅力に煽られほだされる次元から、絵筆を握る創造者の内奥へと興味の幅がずんと広がります。どうしても“実物大”を感じたくなりました。
窓のむこう、車の背後に飛び去っていくのは、青々と茂った田んぼであり、蕎麦(そば)や大豆の植わった緑色の絨毯です。スペインの乾いた白い大地ではもちろんありません。道端には草木塔がたたずみ、そこかしこに小さな祠(ほこら)がちょこんと在って、なかには男性器を模した石など正面に飾られていたりするのです。日本の田舎道以外の何ものでもない場所を駆けていく。つまり“ゲルニカ”は“模写”であって実物ではない。
たかだか“模写”を目指して大の男が突っ走るのは、よほど滑稽に目に映るでしょうね。僕を突き動かしたのはこの“模写”が、小学校や中学校の美術の時間や高等学校の文化祭でよく行なわれる類(たぐ)いのものでなく、ひとりの画家が三ヶ月を費やして本気で取り組んだ結果であるからです。そうでなければ訪れる必要を全く感じない。
伝えるローカル紙の記事と写真から目が離せなかった。ある画家が別の敬愛する画家とすっきり融合する目的として“模写”が行なわれた気配が濃厚であり、黙黙と線を引き、深く頷きながら色をひとつひとつ置いていったであろう崇高な空間と時間が行間から垣間見れて、こころをきつく縛りました。
廃校となった元分校の二階が画家のアトリエに提供されており、そこに隣接する、以前は体育館として使用されていた広い場所で“ゲルニカ”が再現されたのです。僕ひとりのためにわざわざ鍵を開け、にこやかに出迎えてくれた施設の責任者の方から製作の裏話を聞くのは実に刺激的で、静かな興奮をまたまた誘うのでした。
手入れはされているとはいえども廃校は廃校ですからね、淋しげな風情が壁や床板に宿り、子供たちの歓声をかすかに幻聴するような空間なのだけど、其処ここから“ふたりの画家”の気魄と執念があざやかに湧き溢れてくるようで、居るだけで大層愉快なのでした。
今は正面奥の壇上にひろがる壁一面を埋めるように立てかけられた“絵”は、昔々に教科書で眺めたものとはまるで違って見えました。肌色に染まった人物、青が配された足や指、茶色に逆立つ馬の体毛───死者と絶望のうずたかく堆積し、世界が静止して見えた白黒二色の図案(と、勝手に思い込んでいた)ものが、生ける者たちの吐息や叫喚ですみずみまで満たされていき、残酷だけどすこぶる美しいと感じました。こんなにも鮮やかな“精気”に満ちた絵であったか、と強く感嘆させられた次第です。
その場に足を踏みしめ、広さや大きさに真剣に対峙しなければ決して伝わってこないものや場所が確かにありますね。写真や映像では駄目で、自らの眼球で視止める必要がある、そういう空間。五感をフル稼働して吸収する、そんな時間はホント大切だなあ。
また、人がひとに興味なり愛着を覚え、同化をもくろむようにして“後追い”していく行為の、ささやかさ、切なさ、素晴らしさも同時に感じられる時間で実に有意義な小旅行だったのです。
三月以降の鬱屈した思いが断ち切れそうな“錯覚”を、束の間といえども持てたのは嬉しいですね。実際走り出してみれば気分は上々、悪くありませんでしたよ。晩夏のぼうっと軟らかい陽射しに染まった河を渡り、翳(かげ)が増した峠を越え、青い空の下をひたすら突き進むことの爽快さは格別でした。やはり人間は出歩かないと駄目だな、と思いましたね。
仙台市からはざっと三時間ですが、たまには思い切り足を伸ばしてはどうですか。“ゲルニカ”以外は特段めずらしいものは何もない町ですが、とても気持ちのいいところでしたよ。久しぶりに深呼吸ができた感じでいます。
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