2011年11月10日木曜日
“二三の料理を”
イタリアの伝記映画を観終えると、正午をちょっと回った辺りです。まだお腹も空いていませんから、その足で真っ直ぐ図書館に行きました。
パソコンで蔵書検索をかけ、小泉八雲(こいずみやくも)Lafcadio Hearnさんの全集(*1)を出してもらいました。別巻一冊を加えると全部で18冊、かなりの分量です。80年以上前の本ですから革の背表紙部分に崩壊が始まっている。クッキーが割れて粉々になるような具合です。手が汚れるので気を付けてください、重いのでどうぞこのまま、と親切な館員の方から言われ、整理作業用のワゴンに載せたまま館内をきゅるきゅる押して歩きます。なんか普通でなくって、少しだけ得意な気分。
フロアには割合にひとの影があります。けれど、こちらの気のし過ぎかもしれないのですが、糸のほつれた感じというか、やや剣呑な空気が漂っている。館員から何事か注意された男性が辺りはばからずに大声で意見してみたり、長く沈んだ溜め息を繰り返すひと、呼吸器系の発作かと心配になるひどい咳き込みを重ねる人などが耳に障り、気持ちを泡立てます。あれだけの天災と混乱を経たのです、誰の身にも疲労なり心配は蓄積なっているのだと思います。
窓際のソファに腰を下ろして外を見やれば、灰色の空に雲が蛇のようにぐわりと逆巻き、たなびいている。以前観た「怪談」という映画(*2)を思い出します。八雲さん原作のあの「怪談」です。あれには物凄い空が描かれていましたね。
いよいよ小雨がぱらつき出しました。誰でもそうなのかもしれないけれど、僕は“幽霊”の夢をときどき見てしまい、わっと叫んで跳ね起きることがあります。長い髪のおんなだったり、見知らぬ中年男だったり日によって違うけれど、部屋に無表情でするすると入って来たり、寝ている僕にがばりとのしかかってくる。こんな年齢になっても恐怖映画が苦手で逃げ回っているのは、どこかで超自然のことを信じているせいかもしれません。
けれど、「怪談」に代表される八雲さんの世界は別物です。多くが悲恋を土台にしているので全篇がうつくしい旋律に彩られ、経験値の少ない唐変木の僕にも熱く迫って来るもの、強く揺さぶるところがある。甘っちょろいと思われそうだけど、奇蹟とか運命とか、魂のことってやはりこの世に有るように思えて八雲さんの書くものがどれもこれも本当と感じられる。
こうして全集をひもとき書簡集も含めて読み進めていくと、さらに彼の人柄や性格も手のひらにしっくり伝わるような感じでこころ強いというか、どこか励まされるような気持ちになりました。あくまで現実とは違う次元であって、生きた友人同士が膝を寄せ合い談笑する嬉しさ、愉しさには遠く及ばないにしても、人間の“核”(と書くと今は胸騒ぎするところがあるのだけど、でも“芯”とか“核”という強い響きとイメージにすがり付きたい時もあります──)に触れ合うような悪くない時間になりました。
わざわざ足を運んで八雲さんの道程を探った理由は、もちろん“味噌”や“醤油”の記述の有無、表現なり反応に対する好奇心に外なりません。結論から言えば(僕の目がふし穴でなければですが)八雲さんの視界に味噌や醤油はまるで無いんですね。落胆を通り越して不思議であり、とても興味深く思えました。婦人の懐旧談で漬け物(奈良漬)なんかが不意にクローズアップされたりはしますが、味噌と醤油はまるでこの世に存在しないかのようです。
明治23年(1890)、四十歳のときに横浜に上陸して以来、十四年間に渡って日本に居住してやがて心臓を患い、愛妻節子さんの側で眠るように亡くなってしまう八雲さんでしたが、驚嘆させられるのは執拗で飽くことなき日本文化への探求、その凄まじさ、その厚み、堆積です。
───蝉(せみ)、蜻蛉(とんぼ)、蝶といった小さきものと文人との関わりかた、仏具のかたちとそこに込められた意味、日用食器の装飾と由来、儀式、言葉、神話、日本人の骨格、瞳なり髪といった部分の特性、売り子の声、子供の遊び唄、それに派生し絡まっていく宗教観と死生観、聖書との交差、呼び覚まされた記憶から爆発的に連なっていく欧州文化に対する意識改革、視野の拡大──八雲さんの旺盛な好奇心は全方位に駆け巡り、まぶしく連射され続けます。
込み入った内容のはずなのに、愛着と憐憫が泉のように溢れてたゆたい、至極おだやかな面持ちの文面になっている。硬軟交互に綾織られた言葉を目で追うと、とても知的で趣味もいい友人とおしゃべりしているような気分です。
博覧強記の八雲さんが全身全霊をあげて漁にかかった日本で、その網に不思議と“醤油、味噌”が入ってこない、というより、“食べもの”への執着がすべからく薄い。たとえば「舞妓(まいこ)」と題された随想には悲しい因果話が挿入なっています。旅人が山峡で道に迷い、偶然見つけた家に一晩だけ厄介になる。主(あるじ)は妙齢のうつくしい女性であって、その容姿と立ち居振る舞いが高貴な血筋を連想させ、男のこころを虜にしていく。腹を空かせた男におんなは出来る限りのもてなしをするんですね。
飢えていた旅人は、この勧めを非常によろこんだ。若い女は小さな火を
焚いて、黙ったまま、二三の料理を調(ととの)えた──菜の葉を煮たもの、
油揚、干瓢、それに一杯の粗飯──それから、その食物の性質について、
詫びながら、手早く客の前へ出した。が、彼の食事中、女は殆ど物を言わ
なかったので、その打解けぬ様子は彼を困惑させた。彼が試みた二三の質問
に対し、彼女は単に頷いたり、あるいは僅かに一語の返答をするに止まる
ので、彼は間もなく談話を控えてしまった。(*3)
同様の場面が泉鏡花(いずみきょうか)さんの作品(*4)にもありました。ほぼ同時代の作品なのに、鏡花さんのものと比べると八雲さんの筆が“食べもの”に関してびっくりするぐらいぞんざいなのが分かります。“飢え”を抱えた人間と真正面から向き合うものになっていない。斜(はす)に構えた調子が独特です。
旅行記の一節にはこんなくだりがあります。これなんかも世界を構成するほかの要素から“食べもの”だけが剥離しているというか、どうも上手く噛み合っていないように感じられる。
その宿屋は私に取っては極楽、そこの女中達は天人のように思われた。
それは私があらゆる『現代の便利な物』のある欧州式のホテルで安楽を
もとめようと試みた一つの開港場から丁度逃げ出したところであったから
である。それ故もう一度浴衣(ゆかた)を着て、冷(すず)しい畳の上に
楽々と座って、よい声の若い女達にかしづかれて、綺麗な物に取りまかれ
て居るのは、十九世紀のすべての悲しみの償いのようであった。筍や蓮根
が朝飯に出て、極楽のかたみに団扇(うちわ)を贈られた。(*5)
天女に給仕される無上の想いに酔いながら、八雲さんは極楽での食事を書き飛ばしています、まるで怖れるように、まるで逃げるように──。とても奇妙な後味を残します。
(*1):小泉八雲全集 第一書房 1926-1927 次回も含め引用はすべて当全集より 当用漢字に直したり旧仮名遣いを変更したり手を入れてある
(*2):「怪談」 監督 小林正樹 1964 予告編を下に貼っておきましょう
(*3): Glimpses of Unfamiliar Japan(知られぬ日本の面影)「第22章 舞妓について」 小泉八雲 1894 落合貞三郎 大谷正信 田部隆次訳 全集第3巻 680-681頁
(*4):「高野聖」 泉鏡花 1900
「さて、それから御飯の時じゃ、膳には山家(やまが)の香の物、
生姜(はじかみ)の漬けたのと、わかめを茹(う)でたの、
塩漬の名も知らぬ茸の味噌汁、いやなかなか人参と干瓢どころ
ではござらぬ。
品物は侘しいが、なかなかの御手料理、飢えてはいるし、
冥加(みょうが)至極なお給仕、盆を膝に構えてその上に
肱(ひじ)をついて、頬を支えながら、嬉しそうに見ていたわ。」
http://miso-mythology.blogspot.com/2010/12/1900.html
(*5): Out of the East: Reveries and Studies in New Japan(東の国から)「夏の日の夢」 小泉八雲 1895 田部隆次訳 全集第4巻 15頁
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