2011年5月31日火曜日
豊田徹也「アンダーカレント」(2004)~買ってきたよ~
悟(幻影)「醤油もうなかったよね ついでに買ってきたよ」
かなえ「………」
悟(幻影)「や ごめん 心配かけたね」
かなえ「……」
木島「かなちゃん!?」
かなえ「……あっ おばさん」
木島「どおしたの ボォーっとしちゃって
ロール紙も買っといたわよ もうあまりないでしょ」
かなえ「うん ありがと」
木島「あんた 本当に大丈夫かい?」
かなえ「大丈夫 大丈夫」(*1)
学生だった頃と就職してからの数年間、住まいと場所をかえて通いつめたこともあって、僕の中には“銭湯(せんとう)”に対するセンチメンタルな思いが燻(くす)ぶっています。タイル張りの床、裸の男たちのたくましい背中や角ばった尻の並んだ様子、飛沫(しぶき)が飛び、泡のざわめく盛んな音と濛々(もうもう)たる白い湯気、からん、ことん、さぶりと反響する天井といったものが忘れえぬ思い出となっている。
今こうして住まう町に銭湯の影を見なくなって久しいのだけど、代わりに温泉が、それもかけ流しで多彩な泉質のそれが身近にいくつかあって(温泉と銭湯は違うのです)、気分がささくれたり心に重石が乗ってくる気配がすると、早めに訪ねては気晴らしするようになっています。湯上りに何か飲んでも500円でお釣りが来る、いわゆる日帰り温泉ってやつです。
お湯は濃い翡翠色であったり、乳白色だったり、まどろむような薄緑であったり、匂いも強烈なものからあえかなものとさまざまで興味深いのですが、何か大地の底に吸い込まれていくような、はたまた見上げる夜空にすっと捕り込まれるような、身体もこころも境界を失い溶けていく感じがたまらない。でも、一方ではあの銭湯の、まっさらの湯となんとも人間臭い時空も棄てがたいものがあって懐かしく振り返るのです。
豊田徹也(とよだてつや)さんの「アンダーカレント」は単行本一冊に収まった小品で、偶然にも温泉帰りに寄った古書店で手にした本だったのですが、家業である銭湯を継いだ“関口かなえ”という名の三十代の女性が魂に深傷(ふかで)を負い、そこから再生していく話です。
父親を看取り、精神的にも体力的にも心もとなく感じられていたとき、後に夫となる男“悟”と出会います。男はあっさり勤めをやめて銭湯を手伝い始め、頼もしい「共同経営者」となって主人公を支えていくのでしたが、ある日、同業者組合の慰安旅行に出かけた際にそのまま失踪して音信を断ってしまうのです。衝撃になんとか耐え、探偵を雇って夫の行方を追わせることを話の主軸としながら、己のこころの底流(アンダーカレント)にじっと向き合い、徐々に快復して行くおんなの魂の道程が緻密な筆致と抑制のきいたコマ運びで描かれている。なかなか読ませる内容なのでした。
ここに醤油が登場していたのです。清掃の手を休めてぼうっと放心しているおんなの目の前に、突如夫が現われます。白いレジ袋を手に持ち、満面の笑みで留守を詫びる言葉のなかに「醤油を買ってきた」という言葉が交じるのでした。一瞬の後、夫の影は日頃手伝いに来てくれている中年女性の立ち姿とすり替わり、主人公が懊悩するあまり白昼夢を見てしまった事を読者は読み解きます。
夢、幻覚のたぐいは支離滅裂なものであって、意味など寄り添わないものが大半だし(*2)、「醤油を買ってきた」という言葉は中年女性の発した単なる連絡事項だったかもしれず、ならば特段の意味は篭(こ)められていないと捉えるのが普通かもしれません。しかし、もう一箇所、作者の執着が垣間見える描写が「アンダーカレント」にはありました。
同業者組合の紹介で働くことになった“堀”という男が開幕早々に登場するのですが、風来坊の男はアパートが見つかるまで裏の物置に寝泊りをさせて欲しいと主人公に懇願します。ほんのしばらくとは言え、若い男がすぐ近くに寝泊りする訳です。緊張するのは仕方ありません。子どものいないおんなにとっては、ひさしぶりの“同居人”でもあったのです。翌朝目覚めてすぐに朝食の支度をしますが、そこで丹念に描かれるのは味噌汁の調理風景でした。ご丁寧なことに鍋の脇には、ボトルに入った醤油も置かれているのが見えます。
住み込みの職人に対し、ささやかな朝食(鮭の切り身を焼いたもの、味噌汁、ごはん、梅干)を雇い主たるおんなが用意するのは至極日本的で自然な振る舞いです。けれど、表情や物腰には柔和なときめきが灯っているのは明々白々であって、この不意の展開を歓迎しているところがある。(*3)
作者の豊田さんは“味噌汁”の面立ちを「家族」と直結させ、とり残された主人公の淋しさや嬉しさを強調しようと試みています。小説空間、劇空間において味噌汁が母親像に連結し、家庭の団欒を彩るパーツに採用されることは特段目新しい表現ではないのだけど、最初に上げた「醤油を買いにいく」という行為はどうでしょう。「家族」と連なるのでしょうか、それとももっと微妙な何かと結ばれるものでしょうか。少し面白い流れです。
ひとたび食卓に置かれてしまえば、むしろ厳格な父親像を浮き彫りにしたり恋情に水を差したりと悪役に回りがちな醤油なのだけど、“醤油を買いにいく”という行為や響きには僕たちの深層に光明をもたらす独特の作用があるようです。サランラップでも爪楊枝でも、シャンプーでも構わないところを、確信を持って作者は“醤油”を選んで見えます。
醤油、味噌といった細々したものすら大切に登用して物語の推進力に加えていく豊田さんは、日常を真摯に捉え、かなり綿密に思案して仕事をこなすタイプに思えます。寡作であられるので世に出ているのはこの「アンダーカレント」以外にはもう一冊だけのようですが、何か発見があるかもしれない。近日中に入手して拝読したいと思っています。
湯に口元までどっぷり漬かっていると、自分が無くなる瞬間と自分と向き合う時間が交互に訪れますね。傍目からは素裸でぼんやりしているだけで、非生産性を極めたひどい在り様なのだけど、人間にとってはとてもとても大事なものみたい。あまり意識させられた事はこれまでありませんでしたが、ああいった弛緩した時間が全くなければ、今の僕たちはきっと別な人間になっていたろうとも思えます。手近な内と外に湯殿があって、僕はずいぶんと恵まれていますね。どうか皆さんも充実したお風呂ライフをお続けください。
善き夜を、好きお湯を。
(*1): 「アンダーカレント」 豊田徹也 講談社 2005 初出は「アフタヌーン」2004年10月号から2005年10月号に連載。引用箇所は7-8頁
(*2):全てがそうとは言わない
(*3):同上48頁
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