2012年1月21日土曜日

楳図かずお「井戸」(1974)~長い髪の毛~



  食卓についている男と妻
  椀をかかげて味噌汁をすすっていた男が、不意に大声をあげる

男「あっ!?」

妻「どうなさいました……!?」

男「みそしるの中から長い髪の毛が!?」

妻「まあ!?」

  場面一転、街なかの公園
  背広姿の男がその中を歩きながら、怪異を思い返している 

男「も、もしやあれは20年前に突然おれにだまって
  どこかへ行ってしまった浮気なカナ子の髪の毛では………?」(*1)


 上に引いたのは楳図(うめず)かずおさんが70年代に発表した、わずか8頁(1コマ1頁構成、ですから計8コマ)の実験的な短編「井戸」の冒頭部分です。初老の夫婦がテーブルで食事をしていると、なんと“みそしる”の中から髪の毛が見つかります。頭はともに年齢相応の色になっていますから、黒々としたこの闖入者は妻のものでもなければ夫のものでもないのです。その長さからいって、どうやら女性のものらしい。二人暮らしの古い住居です。最近は訪ね来るひともそういませんから、なんとなく変です。

 面白いお話なので、ざっと紹介してしまいましょう。(結末に触れます)

 男はまだ会社勤めの身です。天気は快晴。鞄を下げて公園を横切りながら、不意に昔の記憶が蘇ってきました。訳も言わずに自分のもとを立ち去って、以来ぱったりと連絡が途絶えてしまった相手がいたけれど、もしかしたらそのおんなのものじゃないかしら。たった一本の髪の毛が隠栖(いんせい)するに似て乾燥気味だった男の日常を縛りはじめ、過去へと盛んにこころを誘(いざな)うのでした。

 怪異は続きます──洗面台に男が向かっていたところ、蛇口から流水といっしょに指輪がひとつ、カタンと軽い音をたてて転がり出たのです。屋敷にはいまだ枯れずに水を湧かせる井戸があり、今は簡単な覆いがされ、据え付けられた小型ポンプが自働運転をしています。汲(く)まれた水は配管を通じて建物の方々へと行き渡り、炊事や洗面といった家事全般に使われている。謎を解く鍵はその井戸の奥にあるようです。

 電灯の光もよく届かない深さと暗さです。こうなると意を決して臨むしか道はありません。単身ロープを伝い降り至った男の目に、ついに“何か”が映りました。「ま、まさか…そ、そんなバカなことが…………」男の叫び声がわんわんと反響します。場面替わって、井戸端会議の様子です。妻の言葉とさりげない描写から僕たちは、男が二度と井戸から這い出ることがなかったことを知ります。塀向こうのご近所の人に夫の失踪を伝える妻の顔は、不思議と穏やかで屈託がありません。妻は近日中に井戸を御役御免とし、土を入れて固める決意を合わせて報告するのでした───

 楳図さんの「蝶の墓」や「アゲイン」なんかは読んでいましたが、気の弱い僕はいかにも怖そうなものは避けていたところがあります。小学生の時分には表紙を見ただけでごめんなさい、という感じだったのでしたが、年始の休みを利用してそんな“こわい本”ばかりを一気に読み進めてみました。

 好奇心旺盛な少女たち、男たちが“見よう”とする衝動にどうしても抗し切れず、禁忌(きんき)を破って廊下の奥の部屋や朽ちかけた屋敷に足を踏み入れます。気付いた時にはもう遅く、ろくでもない事態に陥っているという流れですね。外貌が“怪物化してしまった人間”と目と鼻の先で向き合わなくてはならない。うろこで埋まったり、血と膿みでぐちゃぐちゃの顔に「ギャ~~ッ、うわーッ」と叫び、出口を求めて駆け出します。焦点のあわぬ目をぐわりと剥いて、かん高く笑いながらその背中に突進してくる楳図さんの化け物たちは不気味ですが、この齢になってみれば笑えるところもあります。

 むしろ今回、つくづくと感心させられたのは、劇空間を貫いている心理描写の細やかさでした。見えない部分にこそ本当は楳図さんの真髄が宿っている。嫉妬と怨念、破壊願望、ささやかで切実なのだけど決して実現し得ない、それゆえに破裂するまで膨張が止まらなかったりする夢や希望といった“人間の見えざる内面”が主役になっている。震央となって胸を揺さぶり、噴泉となって降りそそぎます。

 人と人とが接近し、交流と交感を果たしていくことは簡単そうで存外難しい。解らない相手に対する惑いや焦りはやがて“不安”を育ててしまい、荒々しい排除なり逃避へと雪崩打つことも間々あります。人間のこころとこころが結局は“恐怖”を醸成していく。黒い影のべったりと塗り込められた画面やノイズ雑じりの描線の奥で、そっと息づき、気配となってゆらめくものが実際は怖いのです。この「井戸」だってそうです。「黒猫」の亜流と笑うのも良いでしょうが、あれこれ思いを凝らすことで違った物語が見えてくる。露呈し切れない豊かな多層を秘めている。

 小泉八雲(こいずみやくも)さんの本で知ったのですが、明治期あたりまでの井戸は、定期的な清掃の後に神事を執り行なって水神の怒りを抑えたそうです。その後に、一匹か二匹の鯉(こい)をわざわざ底に放して住まわせたらしい。“安全な飲み水”に対しての概念が今とは随分と違っていることに驚かされると同時に、生活の道具という域を遥かに超えた底知れぬ精神性に唸りました。

 一方の味噌汁というのも随分と精神的な食べ物です。託されるものは当然違いますが、ほの暗い“見えざるもの”をしっかりと具(そな)えている。“母性”や“家庭”を誰もが連想するそんな味噌汁に、境界外に住まうおんなの髪の毛がにゅるにゅると侵入する構図も、だからきっと偶然ではない。

 異界の入口となっている井戸と、コロイドの雲の背後にさまざまな想いを隠す味噌汁、そんな両者間を行き来するおんなの髪の毛──なんとも絶妙な取り合わせで、もの凄いかたちです。楳図さんを信奉するひとが出てくるのも宜(うべ)なるかな、納得がいくのです。
 
(*1):「闇のアルバム その7 井戸」 楳図かずお 「ビックコミックオリジナル」1974
年8月20日号掲載 手元にあるのは朝日ソノラマ「楳図かずお恐怖文庫・4 楳図かずお こわい本《闇》」1996 53-55頁 

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