2010年3月28日日曜日

上村一夫「同棲時代」(1972) その1 ~上村一夫作品における味噌汁(12)~


今日子「次郎……  次郎…あたし……

    あたし…戻れるかもしれない……」

次郎 「…(内ポケットから煙草を出しくわえ、今日子にもすすめる)」

今日子「ありがとう……(火をもらい)」

次郎 「…(瞬間視線が交差する)」

今日子「次郎……」

次郎 「ん?」

今日子「夜明けね……」

次郎 「うん……」

今日子「いつかもこんな朝があったわ……」

次郎 「…」

今日子「ねぇ 次郎 熱い味噌汁が飲みたくない?」

次郎 「熱い味噌汁か… そうだな 身体が暖まるだろうな」

今日子「ねぇ うちへ来ない?ごちそうするわよ」

次郎 「きみんちへ?どうして?そんなことできるわけないだろう」

今日子「いいえ かまわないわ 行きましょうよ」

次郎 「しかし………」

今日子「父と母のことなら心配しないで あたしの覚悟はできているの」

次郎 「熱いみそ汁…… 行くか!」

今日子「そうよ 行きましょう(ベンチから歩き出す)」

次郎 「(きびすを返して)いや……」

今日子「どうしたの?」

次郎 「やめとこう」

今日子「なぜ?」

次郎 「きみが作ってくれる味噌汁のことを思うと ぼくはたまらない……

    それを飲んだら ぼくはどんなにか身体も心も暖まるだろう……

    だけど こいつをよく覚えとこう この感じを……」

今日子「……」

次郎 「この寒さをよく覚えとこう…… 今 この寒さとひもじさに

    耐えられたら このさき何にだって耐えられるかもしれない……

    そんな気がするんだ」

今日子「次郎……」

次郎 「いい天気だ」

ト書き(一晩のうちに苦しみがすっかり薄らいでいるのを次郎は感じた

    しかしそれは また今朝だけのことで長い年月のうちには

    傷がどす黒い血を噴き出すのかもしれないと 次郎は思っていた──)(*1) 




黒い表紙の本(*2)を台所まで持っていき、ガタゴト食器棚から“はかり”を出します。試しにどのくらい目方があるかと量ってみたところ、針は330グラムを指しました。そんなものかと驚きました。僕にはとても重く感じられますから。ずんと胸に響いてしまい頁をめくるのが苦しい、しんしんと肌寒いものがこの本にはあります。



上村一夫(かみむらかずお)さんの「同棲時代」は1972年の3月から翌年11月にかけて連載された劇画で、氏の代表作とされています。映画やテレビ(*3)にもなり、上村さんが作詞し大信田礼子さんが歌ったレコードもヒットしました。



“同棲”という言葉を猥(みだ)りがわしいものから身綺麗な感じに変え、多層なイメージを世間に流布する役割を果たしました。しかし、映画であれドラマであれ、原作劇画の外貌をなぞったに過ぎない甘い内容となってしまい、ほとんどの人は主人公今日子と次郎の旅の完結がいかに凄惨なものであったかを知りません。原作の抱える硬さ、険しさは十分には知られていない。 (*4)





 まして、その幕引きの瞬間、男と女の会話に“味噌汁”が顔を出していたことを、まず十人にひとりが憶えていないか、まったく知らないのじゃないかな。


僕がその“味噌汁”に惹かれてずっと来たことは先に書いた通りです。最後に「同棲時代」をいま一度だけ読み返しながら、今日子と次郎、ふたりの会話の深層に触れて行こうと思います。と言うよりも、これまで上村さんの作品を読み進めた内容を薄絹のベールのようにそっと上に引いた会話に重ねてみれば、ごくごく自然に、無理なく何がひと組の男女に起きていたのか、分かっていくように思われますね。


ちなみに「同棲時代」の年代順の立ち位置はこんなところに在ります。

1971 マリア

1972 同棲時代

1973 狂人関係 
1974 離婚倶楽部 
1975 サチコの幸 
1976 すみれ白書 
1976 関東平野 
1976 津軽惨絃歌
1977 春の雪
1977 60センチの女 
1978 星をまちがえた女 


上村さんが“食(べもの)”を作劇に果敢に取り入れ、感情の“木霊(こだま)”にしようと模索した時期ですね。



さて、話替わって、あっと言う間に3月が幕を降ろそうとしていますね。いよいよ新しい季節のスタートが目前です。新しい環境、新しい仕事、新しい生活が次々と駆け出していく眩しい端境(はざかい)の週です。


 のろまな僕は結局のところ周回遅れですね。いい加減、あと数回でしっかり区切りを付けないといけません。前を向いて歩かないと!


(*1):「同棲時代」 上村一夫 1972-1973 初出は「漫画アクション」 最上段に引いたのは「VOL.69 終章」より
(*2):手持ちの僕の本は双葉社のアクションコミックス、全6巻で、計ってみたのは最終巻です。
(*3):「同棲時代─今日子と次郎─」 監督 山根成之 1973
「同棲時代」 脚本 山田太一 主演 梶芽衣子 沢田研二 1973 TBS
http://www.youtube.com/watch?v=46roDK-sNWs
(*4):うーん、そうでもないのかな。案外皆知っているのかな。

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