2011年3月25日金曜日

手塚治虫「ワンサくん」(1971)~託されていること~

「──というわけでわしは会社をやめさせられたんだ…」

「いいのよ そのかわりこんなかわいいイヌをひろったんだから」

「こいつワンサって名にしようよ」(*1)

 生後まもなく母親から引き離され、わずか10円で売られてしまった子犬が主人公です。母恋しさから逃げ出して、煤煙と汚水を撒き散らす大きな工場の脇の川っぷちで暮らしを始めるのでした。


 ところが強欲な工場の主(あるじ)は施設の建て増しを計画して、純朴な老社員に邪魔な子犬の殺処分を命じるのです。情が移ってしまった老人はどうしても子犬に手を下すことが出来ず、とうとう会社に馘(くびき)られてしまうのでした。子犬は老人の家に引き取られて“ワンサ”と名付けられます。


 ワンサは夢にうなされ夜通し吼えて転げまわるものですから、その騒々しさに心優しい一家も耐え切れず、ワンサを捨てる決心をするのでした。ワンサは二度捨てられ二度とも舞い戻りますが、その口には何処からか掘り当てて来た10円玉が咥(くわ)えられていたのです。縁側にチャリンと乾いた音をたてて置かれたそれを見て、一家はワンサを家族として受け入れることを了承するのでした。もちろん10円に釣られたのではなくって、その子犬の必死な様子にこころ打たれ、哀しい彼の境遇を共有するに至ったためでした。


 ワンサが最初に連れてこられた時、そして何とか帰還なった際のいずれもが夕食の時分に設定されていました。茶の間の中央には座卓が置かれて老人と孫娘、その弟が仲良く取り囲んでいます。傍らにはお櫃(ひつ)と鍋が置かれていて、そこでご飯と味噌汁が一杯ずつよそわれていく日本らしい光景が描かれています。

 

手塚治虫(てづかおさむ)さんの漫画作品というのは数多(あまた)ある訳なのですが、僕の見る限りにおいてはこういう場面、実はほんとうに珍しいのです。海外でアニメーション作品が次々販売されたことも要因としてあるのかもしれないけれど、日本的な食の風景がほとんど見当たらない。


と言うよりも“食べる”という日常の行為を通じて人生の機微に触れていくというドラマ作りをもともと手塚さんはしなかった。飢餓、牢籠(ろうろう)、不死願望といった突飛な状況下で突飛なものを口に入れたりむさぼるという展開は多いのだけれど、ご飯に味噌汁を並べていただきます、という感じの絵はびっくりするぐらい少ない。


この「ワンサくん」で描かれるものにしたって、作者の興味は卓上の料理には向かっていない。日常空間を突き破って夕闇の奥から遠慮しいしい顔をひょっこり覗かす闖入者=ワンサの、その健気さと一本気な調子を強調するのが目的でありましょう。小さな身体で数時間も歩き通してようやっと一家の自宅を探し当てたワンサの見えざる闘いぶりを、決まった時刻に大概は訪れる夕餉の光景を挿し込むことでそれとなく読者に示す作劇上のテクニックなんです、きっと。


 だから、特別の光彩をここでの味噌汁は帯びていない訳です。登場人物の内奥にシンクロして声援を送ったり内省を促す、そんな充足感をそなえた味噌汁や醤油を探して紹介するこのブログの目的からすれば逸脱したものになっていますね。


 正直に言ってしまえば、僕は手塚さんについてちょっと触れたかったのです。そのために「ワンサくん」と食卓の場景を無理やり駆り出したところがあります。


 手塚さんがこの世を去ったのは1989年ですから、もう二十年以上も前のことです。生きている僕たちが僕たちの内にある工夫と知恵で越えていかなければならない苦境ではありますが、あえて僕は亡き手塚さんに問い掛けたい気持ちでいます。この事態を先生ならどのように思うものだろう。先生、本当におそろしい事が起こってしまいました。


 この度の大混乱を乗り切っていくための、とある場所のとある会合の様子が先日テレビに映されました。神妙な面持ちで並ぶ老紳士たちの直ぐ横にあるサイドテーブルか何かに「彼」が立っていました。短いパンツと長靴を履いただけであとは素肌をすっかり晒して見える“アトム”が片手を天に高々と伸ばし、すっくと立っていたのでした。僕はその姿に心臓を射抜かれたようになってしまい、しばし身動きできなくなりました。今も重い痛みを引きずっているような辛い気分でいるのです。


 “アトム”とその兄弟たちは技術の粋(すい)を集めた夢と希望の結晶体のような存在でありながら、際限無く膨らむ人間の欲望のために暴走させられていく“科学”に毎回のように翻弄され、無理な闘いを強いられた挙句に心身ともに傷ついていく、その繰り返しの日々でしたね。しょげ返った彼らの背中や哀しげな面影を鮮やかに思い返しています。わたしたちはあの時のアトムそのままにうな垂れ、まぶたを伏せ、とても苦しい毎日を過ごしています。


 手塚先生、私たちはどうあるべきでしょうか。これからどうすべきでしょう。そっと声もなく立っていた“アトム”の横顔はいつも通りに笑っていたけれど、僕にはなんだかとても悲しそうに見えました。泣いているようにも、虚ろなようにも見えました。“アトム”は何を言いたいのでしょう。先生は何を僕たちに伝えたいですか、何をさせたいと思いますか。先生の声を聞きたいです。


 公害、環境破壊、戦火の止まることない拡大。医術の独走とモラル崩壊、最新技術と“こころ”の乖離。復活が適わぬ徹底的な破壊と流れ落ちる涙。先生と同胞の方々から私たちの世代は数多くのことを学んだつもりでいます。  けれど、いつの間にか私たちは語り部の皆さんを失い、なのに自らは語り部の役回りを継がずに口をつぐみ、託されたはずの課題から調子よく逃げ、忘却を恥と思わず、ただただ快楽だけを追い求めてしまいました。その心の隙に慢心だけを醜く大きく育ててしまったような気がします。こうした事態を自ら招き寄せてしまったように思います。


 愛しい家族や友人、恋する相手だっているかもしれない若い人たちが自らのささやかな、本当にささやか過ぎる幸せの消失なるのを切実に怖れながら、そして己の生命と健康を大きく損なうのを顧みずに事態の収拾に当たってくれています。


 わたしたちの国の誇りであった大地や河は汚染され、食べものや飲み水までも害あるものに化してしまいました。


 ワンサを迎い入れたあの一家にきっと似ていただろう微笑ましい日常、住居と団欒、温かい味噌汁や湯気を昇らせるご飯といったものを根こそぎ奪われ、着の身着のままで運ばれて来た人たちがいます。夢を粉微塵に砕かれ、いまは手と手とを握り合い、歯を食いしばって恐怖をこらえている沢山の人たちがいます。



 今は無用な電気を消して心から祈り、恐れおののくばかりの無力極まる私ではありますが、もしも天より許されて事態が終息なった暁にはひとりで、いや皆でよく考え、先生の想像し警告してくれていた事態の数々を回避するべく、小さな小さな、けれど確実でもう二度と絶対に忘れない、そんなささやかな行動をしたいと思案しています。


(*1):「ワンサくん」 手塚治虫 初出「てづかマガジン れお」1971-1972(未完) 手元にあるのは秋田文庫版「ふしぎなメルモ」(2004)に所収なったもの。

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