きっと、もう私の魂だけは、東方行きの飛行船にでも乗って、
日本へ帰って、楽しそうに襷(たすき)なんぞかけて、
厨(くりや)の片隅に炭火をおこしている私を想う。
白い葱(ねぎ)を刻み、味噌汁をこしらえ、庭の草の芽の伸び
具合を讃めながら、夫と朝食をとるのが私の日課であったのに、
──私は一ヶ月近くも夫へ手紙を書いたことがない。忘れているのだ。
忘れているというよりも、書けないでいるのだ。(*2)
上の文章は林さんが1931年から翌年にかけて外遊した折の、憂げなパリ滞在時の日常を綴ったものから抜き出しました。虚勢や夢想にまみれた描写の数々を衝(つ)いて、いつしか文通も途絶えてしまった夫の声や姿が“味噌汁”と一緒に浮上しています。湿度の高い郷愁の念が下宿先の屋根裏部屋に立ち昇っていき、視界を徐々に曇らせていく。実に格好が悪いのですが、かえってそこが胸にストンと来るのです。絹の下着を両手に持って一気に引き裂いたような、「忘れているのだ。忘れているというよりも、書けないでいるのだ」という叫びなど、胸に迫って共振することしきりです。
金銭面の困窮をまるで隠さない。内奥にゆらゆら灯る欲望や執着、止まらぬ猜疑や愛憎といったものを隠そうとしないばかりか、肉親、知己の無様この上ない言動を(打診も了解もなく)ありのままに書き残してしまう。政治や経済など判らないことへの言及を避け、半径2メートル以内の出来事や己の思考だけを黙々と連ねていく。
ブログみたいですね。それもずいぶんと赤裸々に生活の諸相が書かれてあって、邪まな好奇心を満足させると共に読み終わってずいぶんと心強くも感じられる。暮らしていく上で避けられぬ闇の領域が否定されず肯定もされず、淡々と綴られていくのが面白い。光明が見えない今の世相にも波長が合っているようで、読んでいて勇気付けられる訳です。有り難いです。
画家である夫の姿に味噌汁の湯気薫る光景をからめて提示してみせた林さんは、漫画家の上村一夫(かみむらかずお)さんに次いで味噌(汁)にこだわった人だと僕は勝手に林さんを思っていて、それは味噌汁を呑むのが単に好きということでは当然なくって、読み手の反応や動揺をよく見定めながら内に秘める言霊(ことだま)を利用している技巧派という意味なのですが、ここでの“夫”は味噌汁が寄り添い連結したことで、温かく、懐かしく、汗のような匂いとしょっぱさを身にまとった具体像を結んでいくように思えるのです。
心情や官能を直接語るのでなく、周辺に転がる瑣末な事象でもってからめ手でリフトし、輪郭を固めて鮮やかに浮き彫りにしていく。そういう連続技はかけられると気持ちがいい、ヤラレタっと思います。
林さんの手腕がより明確に顕われて見えるのは「清貧の書」(*3)と題された小編です。はげしく切ない流転の日々にもようよう落ち着きが見え始め、林さんは画家の夫と着実な歩みを踏み出しています。けれど貧窮のさまは思うように改善はならず、林さんは田舎に残した母と義父に対して心ならずも無心の手紙を送ったのでした。苦しい内実は母親とて変わりません。たどたどしい文字を連ねた返事がまもなく送られてきます。
さっち五円おくってくれとあったが、ばばさがしんで、
そうれん(*4)もだされんのを、しってであろう。
あんなひとじゃけに、おとうさんも、ほんのこて、
しんぼうしなはって、このごろは、めしのうえに、
しょうゆかけた、べんとうだけもって、かいへいだんに、
せきたんはこびにいっておんなはる、五円なおくれんけん、
二円ばいれとく、しんぼうしなはい。(中略)はは。
(中略)私は母の手紙の中の、義父が醤油(しょうゆ)をかけた
弁当を持って毎日海兵団へ働きに行っていると云う事が、
一番胸にこたえた。――もう東京に来て四年にもなる。
さして遠い過去ではない。(*3)
母よりも随分と歳若い義父に対して何か暗い確執があるという訳ではないようですが、ここではおかずも漬物の一切れも添えられぬままの弁当めしに“醤油”がじょろり掛けられていく映像が濃厚に付されて、独特の凄みを世界にもたらしています。重苦しい、黒いものが田舎の生活と義父の面立ちに固着して当の本人の林さんもそうですが、読んでいる僕たちの胸すらも厚い雲ですっかり覆っていく感じがする。
この醤油、義父、実家、(経済的、心理的)負担といった緊縛は強迫観念的に再三林さんのこころに立ち現れて脅かしていくのでした。
風呂敷の中から地獄壷を出して、与一の耳のへんで振って見せた事が
大きいそぶりであっただけに私は閉口してしまった。なぜならば、遠い旅の空で
醤油飯しか食っていない、義父や母の事を考えると、私は古ハガキで、
地獄壷の中をほじくり、銀貨という銀貨は、母への手紙の中へ札に替えて
送ってやっていたのである。(*3)
気合術診療所から貰って来たトマトの苗が、やっと三ツばかり
黄色い花を咲かせていた。あの花が落ちて、赤い実が熟する頃は
帰って来るのだろう。――私一人で何もしない生活の不安さや、
醤油飯の弁当を持って海兵団へ仕事に行っていた義父が、トロッコで
流されたという故郷からの手紙を見て、妙に暗く私はとらわれて行った。(*3)
醤油の持つ多層的でえも言われぬ香りが米飯の上で揮発し、四方八方に飛び出していく。五感を刺激する味と匂いの競演する様子がもっとも明瞭になる嬉しい瞬間が“しょうゆかけ”じゃないかと思う僕には、どうしてここまで重い方向に受け止めているのか不思議でならないのですが、林さんのお母さんたちのお金に困ってそれしか食べられない状況は本当であったでしょうから、それじゃ、こう書かれてもいたし方ないですね。いずれにしてもこの「清貧の書」に象徴として醤油飯が使われているのは隠しようがない。
一方でこんな記述も見つかります。
もう今朝は上野へ行く電車賃もないので、与一は栗色の
自分の靴をさげて例の朴のところへ売りに行った。
「何ほどって?」
「六拾銭で買ってくれたよ」
「そう、朴君はあの靴に四ツも穴が明いているのを知っていたんでしょうか?」
「どうせ屋敷めぐりで、穴埋めさ、味噌汁吸って行けってたから呑んで来た」
「美味(うま)かった?」
「ああとても美味かったよ……弐拾銭置いとくから、何か食べるといい」
私は今朝から弐拾銭を握ったまま呆んやり庭に立っていたのだ。
松の梢では、初めて蝉がしんしんと鳴き出したし、
何もかもが眼に痛いような緑だ。
唾を呑み込もうとすると、舌の上が妙に熱っぽく荒れている。
何か食べたい。(*3)
生活費を捻出するために夫が靴を売りにいき、先で味噌汁を馳走になったことが語られています。特段のものでもないのに、話す夫も聞く妻もとても嬉々としているようにここでは映る。先の醤油飯と対照的に、味噌汁、夫、我が家、前進という連結を認めることが出来ます。ふたつの力(醤油と味噌汁を目印とする)がせめぎ合って、おんなの思考を両端から引っ張り合っている感じです。
父親に連なり、覚醒を誘い、重い現実に重なる醤油という典型的な方程式と、内側にあって日常の旗印となる、これも大切な役回りを担った味噌汁がしかと刻まれている。と、ともに、林さんのなかには“愛しい男”と味噌汁とが同一化していく稀有なかたちが読み取れるようで、これはなんとも興味深い日本文学上の切り口ではなかろうかと一人でにんまりしているところなのです。一点集中で物事を見るって、ほんとうに面白いですね。
さて、いよいよ年度末。突飛な動きがいろいろと起きて慌ただしくなります。何がなにやら分からぬままに毎日が過ぎていき、布団のなかでは乾いた溜息も湧いてくる。
内食外食を問わず、時にはそっと味噌汁椀をかかげ、真空となっていられる時間を捻出しながら、どうか元気に健康にお過ごしください。
口角を上げて、微笑んで春を迎えましょう。
(*1):「女流 林芙美子と有吉佐和子」 関川夏央 集英社 2006
(*2):「屋根裏の椅子」 林芙美子 1933 改造社版に所収 手元にあるのは講談社文芸文庫 2009
(*3): 「清貧の書」 林芙美子 初出「改造」1931 講談社文芸文庫所収
(*4):そうれん【葬斂】なきがらを棺に納め、ほうむること。また、その儀式。
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