2011年12月30日金曜日

山本義正「父 山本五十六」(1969)~一口吸うものだ~


 ある朝、食卓にのった沢庵(たくあん)があまりにおいしそうだった

ので、母が飯をよそってくれるのを待ちきれず、私はひょいと手を

のばして沢庵だけを食べたことがある。すると、私の向かいにすわって

いた父が、

「漬け物というのは、ご飯のおわりごろに食うものだ。」

と言った。そこで、私はあわてて飯をほおばろうとして、茶わんに

箸(はし)をつっこんだ。すると、

「飯を食うまえに、味噌汁を一口吸うものだ。」

 とやられてしまった。

 べつに、とくべつなしつけというのではなく、どこの家庭でもやって

いる食事のきまりを教えてくれたにすぎない。食べ物をがつがつ食べたり、

意地きたなくすることを、父はとくにきらっていたようだ。

「親から与えられた服をよろこんで着、親から与えられた食事をよろこんで

食べ、丈夫に大きく育てばいいんだ。」

 と、父はよく言っていた。(*1)


 立体駐車場から車を出すと、雪の勢いがもう半端でない降りかたになっている。冷え込みは更にはげしく、羽毛みたいに膨らんだ雪片が夜の街にけたたましく降り注いでいます。


 十一時を回って人通りもなく、酔客を求めて流すタクシーの影だけが目立ちます。閑散とした道路なのですが、こんな天気に何かあってもつまらないので慎重に進んでいきました。やがて大きな交差点で、信号は青から黄色になったばかりでそのまま突っ切ることも出来たのだけど、ブレーキを踏んで待つことに決めました。


 帰ったところで何があるでもない静か過ぎる夜です。時間だけはとりあえずあるから、ゆったりと楽しんでみたい気持ち。内面の微妙な変化も関わるのだけど、最近は車を飛ばさなくても平気の平左で、海原(うなばら)を漂うクラゲのようにのんびり走る方が心地良い。年末ですからね、疲れも身体の底に澱(おり)のように溜まっています。湯船につかるようにして空いた時間をゆらゆらと過ごす、そんな癖がついてしまいました。


 右手にガラス張りのホテルの建物が見えています。雪のベールの向こうには暖かそうな灯(あ)かりに染まったラウンジがあって、落ち着いた大人の時間を演出している。見知った友人が腰かけてお茶などしてはいないかしらと探してみたりするうちに、車の直ぐ脇の、僕の目線とちょうど同じぐらいの高さに奇妙なものを見止めて仰天しました。手の親指ほどの太さと大きさの黒い物体が宙に浮いています。最初は何か分からなかったのですが、それは一匹の羽ばたく虫でした。


 大きさから蝉(せみ)かと思ったのですが、空中に静止する蝉なんて聞いたこともありません。ましてやこんな季節です。ゴキブリでももちろんないし、なんだろう。まばたきして再度焦点を合わせてみればどうやら蛾(が)のようです。一匹の蛾が自分の身の丈ほどもある雪を縫うように、時に避け切れずに衝突して白く染まりながら果敢に飛んでいるのです。


 年末の酷寒の時期に虫が飛ぶのもめずらしく、加えて雪の延延と落ちてくる中を飛ぶ無鉄砲さというか、怖いぐらいの真剣さ、懸命さに僕はこころ打たれてしまって、今こうしてその事を、たかが虫一匹のことなのだけど書き留めようとしています。


 調べてみれば深い秋にわざわざ蛹(さなぎ)から羽化し、ほかの生き物の影の絶え果てて寒々しい雑木林を、一生に一度の愛の成就をめざして飛ぶものもいるらしい。雪=寒さ=過酷=死、と単純に連想して勝手に驚いている僕の了見が結局のところ狭過ぎる訳ですね。冬を好んで海を渡ってくる鳥だっているのだから、こんな白い季節に暮らす虫がいても不思議はない。


 長く空中で停まってみせる芸当と生態(誕生から死)を重ね合わせて比べれば、どうやら僕に会ってくれたのは雀蛾(スズメガ)の一種の“星蜂雀(ホシホウジャク)”です。信号はそこで青に変わり、彼なのか彼女なのかは知らないけれど、その後どうなったのかは分からない。真夜中の十字路の雪礫(ゆきつぶて)のなかに、さながら黒い“星” となって飛び続けるちいさな生命(いのち)の健気さに圧倒され、後ろ髪をつよく引かれながらアクセルを踏みました。


 “世界は生きよという暗号を送り続けている”

 そんな言葉を先日耳にしました。胸に響きます。確かにサインらしきもの、声援のようなものが世界には満ちているように感じられます。僕にとってはこのホシホウジャクも、そうだったのかもしれませんね。


 さて、話変わって上に引いたのは第二次世界大戦時の軍人山本五十六(やまもといそろく)さんの姿を、家族の目から辿り直した回想録の一節です。赤ん坊だった頃から学生の時分にかけて触れた父親の、物腰や言葉といった断片的な記憶をご長男の山本義正(やまもとよしまさ)さんが丹念に掘り起こして一冊に綴っています。巨大な戦艦や航空母艦を統括した公人ではなく、子供を愛でる私人山本五十六がつぶさに描かれていてとても興味深い内容でした。


 もちろん国を代表する組織の頂点に立ち、外遊もすれば豪華な会食もこなす五十六さんでありますから、美食に舌鼓を打つことも数限りなくあったはずです。けれど、それはそれ、これはこれであって、あくまでも基礎にあったのは倹約の精神みたいですね。ささやかな食の続くこと、身の丈に見合った家を選び、そこに住まい続けられることをこころから願った。


 若いころの海戦で砲弾の直撃に遭い、左手の指を二本瞬時に失い、足は赤ん坊の頭ほどもえぐり取られたという壮絶な怪我を負った五十六さんは、実に百六十日間という長期の入院生活を余儀なくされたのだそうです。幸せのハードル、生活の質を悪戯に高くしなかったのは、そんな苦闘を通じて体得した彼なりの人生哲学だったのでしょう。


 漬け物や味噌汁の食べ方をきびしく指導してはいますが、暴君となって家族を抑圧するつもりはさらさらなく、この世界で堅守すべきものとは一体全体何かを我が子に、そして時代を越えて僕たち今を生きる者にそっと諭してくれている。ここでの味噌汁はだから家庭の象徴、食卓のなつかしい記憶の枠をこえて、もっと清々しい、もっと強く語りかけるものが封入されて見える。


 すでに観たひとの話によれば、現在公開中の映画(*2)のそこかしこにこの本に書かれたエピソードが顔を覗かしていて、上の味噌汁を囲んでの食卓の情景もちゃんと描かれているそうです。三月の出来事や現在の世相を二重写しにするかのような意図的な、挑むような演出が随所に感じ取れて割合に考えさせられる内容とのこと。足を運ぶだけの価値があるかもしれませんね。スクリーンの奥にどんな味噌汁が置かれてあるのか、僕も時間を見つけて訪ねようと考えています。



 いよいよ年の境界を跨ぎます。


 ともに暗号を探して、それを励みとしながら新しい日々を越えていきましょう。

 この世界で堅守すべきものとは一体全体何かをずっと考えながら、

 懸命に力あるかぎり、羽ばたいていきましょう。



 善い年をお迎えください───



(*1):「父 山本五十六」 山本義正 手元にあるのは朝日文庫2011年版 引用はその163-164頁 あとがきによれば旧版は1969年に光文社より上梓されたとあるので、表題の西暦はこれに則った
(*2):「聯合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実」 監督 成島出 2011

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