2012年3月3日土曜日

芥川龍之介「葱(ねぎ)」(1919)~火取虫の火に集るごとく~



 すべてのものがお君さんの眼には、壮大な恋愛の歓喜をうたいながら、

世界のはてまでも燦(きら)びやかに続いているかと思われる。今夜に

限って天上の星の光も冷たくない。時々吹きつける埃風(ほこりかぜ)も、

コオトの裾(すそ)を巻くかと思うと、たちまち春が返ったような暖い

空気に変ってしまう。幸福、幸福、幸福……

 その内にふとお君さんが気がつくと、二人はいつか横町を曲ったと見えて、

路幅の狭い町を歩いている。(中略)

 その八百屋の前を通った時、お君さんの視線は何かの拍子に、葱(ねぎ)の

山の中に立っている、竹に燭奴(つけぎ)を挟んだ札(ふだ)の上へ落ちた。

札には墨(すみ)黒々と下手な字で、「一束(ひとたば)四銭」と書いてある。

あらゆる物価が暴騰した今日(こんにち)、一束四銭と云う葱は滅多にない。

この至廉(しれん)な札を眺めると共に、今まで恋愛と芸術とに酔っていた、

お君さんの幸福な心の中には、そこに潜んでいた実生活が、突如として

その惰眠から覚めた。間髪を入れずとは正にこの謂(いい)である。薔薇と

指環と夜鶯(ナイチンゲエル)と三越の旗とは、刹那に眼底を払って消えて

しまった。その代り間代(まだい)、米代、電燈代、炭代、肴代(さかなだい)、

醤油代、新聞代、化粧代、電車賃――そのほかありとあらゆる生活費が、

過去の苦しい経験と一しょに、恰(あたか)も火取虫の火に集るごとく、

お君さんの小さな胸の中に、四方八方から群(むらが)って来る。(*1)


 芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)さんが大正八年に書いた「葱(ねぎ)」の一部です。文中にある“至廉(しれん)”とは値段が非常に安い様子を指し、“火取虫(ひとりむし)”は夏の夜に灯火に集まる蛾(が)のことです。


 十代なかばのカフェの女給“お君さん”が色男に目をつけられ、言葉巧みに夕暮れの街に連れ出されます。サーカスを観るという誘いだったのに、いつの間にか裏通りを歩かされている。おんなはいたって無邪気です。男の頭のなかには路地の奥に建つ宿屋の、妖しげな灯りがありありと浮かんでいるというのに、樹皮を割って若芽の生え出るごとき恋情の、いよいよ我が人生に起きるきざしに恥じらい、むず痒さに身をよじらせながら手を引かれ歩くのが至福と思えてなりません。夜空に星のきらめきを追い、背中に喧騒を感じて夢見心地でいるのです。


 ところが、八百屋の店先に葱(ねぎ)の安売りなっているのを見止めた途端、おんなの心はがらりと色彩と様相を変えてしまう。男の手を振りほどくやいなや、店の奥の主人と交渉を始めます。ぷうんと臭う葱(ねぎ)の束を抱えて舞い戻ったおんなはふたたび男と裏通りを歩き始めますが、両者の気持ちはすでに失速し、特に男の方の想いは沈んだままとなって終に起き上がることはありません──


 お陰で怖い思いをせずにおんなは済んだ訳ですが、笑えるような淋しいような、どこか断裂した読後感を読み手にあたえる、そんな小編となっています。


 興味惹かれるのは野菜のプライスカードをきっかけにして突如開始されたおんなの連想のなかに、なんと“醤油”が顔を覗かせていることです。九十年ほど前の日本で電気、新聞、化粧といった花形産業と肩を並べて醤油がいた。面白いですねえ、今では誰もこんな風には思わないでしょう。


 “過去の苦しい経験”とあります。なかなか買い足しがならずに味気ない食生活を悶々と耐え忍んだ、そんな時間もあったに違いない。醤油の味と香りが往時の暮らしのその中でちゃんと座を占め、深く意識に浸透していたことを窺わせる貴重な一節になっていますね。


 それともうひとつ。物語世界への醤油の介入というものは登場人物の高揚する想いに水を挿す役割、いわば“消炎作用”を不思議と帯びるのだけれど、この芥川さんの「葱(ねぎ)」においてもそうで、恋慕の邪魔立てをして、うら寂しい路地裏に若い男女を足止めしている。偶然には違いないけれど、この連結も僕には滅法面白かった。


 さて、本の紹介はこれぐらいにして、ここからは読書中に僕自身が連想してしまったことを少し綴っておこうと思います。芥川さんの文章を今風に直せば、「家賃、お米代、電気代、ガス代、おかず代、(醤油代、)新聞代、化粧品代、交通費――そのほかありとあらゆる生活費」となるのですが、ここで現代人ならば(醤油代)とはきっと書かないと考えるなら、それに替わって選ばれるのはいったい全体何だろうと考えた訳でした。


 通信費とか医療費なんかもよぎりましたが、「油」という字面に導かれたか、寒くて暖房がまだまだ欠かせないという季節的なことも重なってか、僕の頭には“灯油代”という文字が燦然(さんぜん)と浮かんでしまい、いくつかの記憶もまざまざと蘇えって仕方なかった。


 一年前のあの混沌とした時期に、水や食料を運ぶために車を走らせ、また、その車の燃料を得るためにスタンドを取り巻く長々とした行列に幾度も加わりました。あの時、あちらこちらの吹きさらしのスタンドで、国の発表も指導もまるで無いに等しいそのなかで、赤いポリ缶を携えて灰色の寒空の下を震えながら並んでいた人の列の誰もが悄然と押し黙っていた様子が、今、厳しさをともなって鮮明に脳裏に再生されていきます。


 あんな光景は二度とごめんと思い、けれど同時に、きっと再び似た状況になるぞと警鐘をがんがん鳴らす存在が自分の中にいて、とても落ち着けるものではない。


 先日の報道のせいでもあります。当時(僕たちから遠く離れた、どこか重い扉の向う側で)囁かれ、黙殺されたという半径170kmとも250kmとも言われる避難対象区域の、その狂ったとしか言いようのない広さや距離に息を呑みました。大袈裟でも机上のものでもなく、実際そのぐらいの事故であり汚染だったのだろうし、今後も同じような被害が次々と襲い来る可能性がある。


 当然そこに含まれてくるに違いない湾岸施設や鉄路、道路交通網の麻痺や放擲(ほうてき)を想像し、その後即座に押し寄せるだろう“ありとあらゆる生活”に関わる物資の致死的な枯渇を思い、“苦しい経験”の強襲を予想して憂いは深まるばかりです。連想はあたかも火蛾のように四方八方から群(むらが)って来るようで、臆病な僕の胸の中をおびやかし続ける。


 この国土で居住可能な平野は、世界から見ればせいぜい六畳間に等しい場処でしょう。そこから転がるように飛び出し逃げ惑う住人に、天翔(あまか)けてたちまち追いつき、うれし楽しと顔や手足を舌で舐(な)めまわすならまだしも、あろうことか幼子(おさなご)にすら容赦なく牙剥き喰い散らす獰猛な獅子(それも五十頭以上も)をそんな部屋で飼い続けているようなものであって、どう見ても無鉄砲で危険なことと思えます。


 例えば涼しげな鉢に金魚を幾匹か飼うにとどめるべきではないか、それが駄目なら、あら大変、檻から出ちゃったと遠巻きにする住人を尻目にのんびりと草を食(は)み、昼寝を決め込むロバか羊をせめて飼うのが利口じゃなかろうか、いや、常識じゃなかろうか。


 獅子でなければ象だって麒麟だっていいのです。僕たちを襲うことは稀でしょうし、もちろん170kmや250kmなんて逃げる必要もない。掃除は必要でしょうけど、玄関も台所も寝室も玄関も、トイレだってそのまま使えるでしょう。お気に入りの家具も衣装棚も、丹念に育てた鉢植えの花も、棚に背表紙向けて並ぶ思い出のたくさん詰まった本たちも、幼い日に遊んで捨て切れないでいた遊具や楽器なんかも、そのまま人生の道づれとなって時を刻んでくれるに違いない。


 “正しく怖れること”の継続がとても大事な段階に入ったことを、ある識者が訴えていました。その通りだと思います。赤いポリ缶の連なる光景を見てしまった者の務めとして、ずっとこれからも考えていきたい、そう思っているところです。


(*1):「葱」 芥川龍之介 文末に“大正八年十二月十一日”の記述あり。手元にあるのは角川文庫「舞踏会・蜜柑」の26版で、「葱」も所収されています。引用はその175頁。最上段の画像は別な本で、米倉さんの絵がちょっと良かったので借りました。

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