春のやわらかい陽射しのなか、のんびりのびのび散歩です。色とりどりの花を庭先や街路の樹々が天空高くかかげていて、えらく張り切っているみたいで微笑ましい。古い建物を観に行ったのですが、普段は車ばかり使っているから視野がいくらか高く、また広々して新鮮な気分です。風がいくらか冷たいけれど、空は蒼く澄んでとても気持ちがいいのです。
明治中期のこの建築物は元々は学校でした。今は内部が博物館のようになっています。例によって見学者は僕ひとり、悠々と占領できて嬉しい限りです。以前からずっと気になっていたのですが、実際に足を運ぶのがこんなに齢を経てなのだから不思議と言えば不思議です。
本や映画との邂逅も含めて「物事」というものには早いも遅いもなくって、何かしらの厳然たる差配が為されている、そんな感じを時折抱きます。出逢うべくして出逢うのだし、別れるべくして別れるのだろう、そういう風に努めて想おうともしています。
ですから、こうしてこの建物にずいぶんと遅れて足を運んだことには、きっと何かしらの意味がある。ハハ、どんな意味と言われてもね、なにも答えられないのだけれど。
廊下が南から北に建物の中を真一文字に貫いていて、その床板が通路と平行でもなく垂直でもなく、さっさっさっと斜めに傾いて敷かれているのが随分とお洒落です。
頭上を見上げれば、天井の板も床と同じ角度で斜め張りになっている。ここぞという派手な装飾は全然ないのですが、隠れた場所に気合いが入っている。伸びやかで熱心な教育の現場をうかがわせて、当時の熱気が蘇えるようです。
かたわらに並んで建っている講堂の方に足を向けます。
軒下の飾りなどに荒削りな意匠が施され、なかなかに勇壮で味わい深いものがあります。風なのか波なのか、それとも雲のつもりなのか。豪胆ですね。けれど、いくらか傷みも目立つのが気になります。いずれ解体して駐車場にする腹積もりかもしれませんが、それまで放置というのは可哀想な感じもしますね。
維持管理の予算が県から下りないのかもしれません。言うは易し行なうは難し、ですからね。苦労もきっと多いのでしょう。偉そうにごめんなさい。
てくてく帰宅してから熱い風呂にざぶざぶ浸かり、すっかり身を清めてから映画のレイトショーに。
追いまくられる雑務や懸案、また、胸中にふつふつと沸いてくるあれこれの想いに抵抗してる部分がちょっとあります。おまえ無理してんじゃないの、と、もう一人の自分がケラケラ笑うのだけれど、そうやって今日を明日に繋げるしかない。
気分転換はきっと大事。これからも時どきは歩いてみよう、そう思っているところです(笑)
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