2010年5月19日水曜日

山本むつみ「ゲゲゲの女房」(2010)~なんもないなあ~



「なんもないなあ」

 台所の棚を開いても、食材はおろか、鍋や食器もろくにそろっていない。

いつでも山のように食材が積まれ、鍋が温かさそうな湯気を立ち上げていた

飯田家の台所とは比べるべくもなかった。(中略)

「男の人の一人住まいって、こげなもんなのかなあ」

布美枝が台所で味噌壷を開けて中を確かめていると、玄関戸をノックする音と

ともに、「おーい、おるか」と男の声が聞こえてきた。(*1) 
             


 「ゲゲゲの女房」(*2)の視聴率が悪くないらしい。放送時間が15分間繰り上がったことが功を奏したという意見もあるけれど、多くの出来事の勝因や敗因というのは様々なことが複雑に絡み合ったもの。漫画に関心を寄せる層の取り込みが数字に繋がったのかもしれないし、それより何より、景気の足踏み感がドラマ注目の背景として大きいように感じられます。


 水木しげるさんは誰もが認める漫画界の覇者です。この連続ドラマは彼の半生を主軸にしていますから、僕たちは物語の幕が“勝ち戦”で終わることを既に知ってしまっている。いくら暗雲が行く手を遮ってゴロゴロと雷鳴が轟いても、怖いものは一切ありません。この安定感が、先ずもって視聴率に貢献しているのは違いないのです。


 リアルな成功譚をがっしり据えながらも、祝杯に至るまでの赤貧の諸相をオモシロ可笑しく綴ってみせる懐旧型の構成は、大財閥を築いた男が新聞記者相手に回想談義してみせる日曜夜の大河ドラマとも近似しているし、かつて大ブームを巻き起こした「おしん」(*3)にも通底するものがあります。


 一から十までフィクションで構築されたサクセスストーリーに対しては、ふん、そんな夢みたいなこと起きゃしないよ、寝むたいコト言うんじゃないと嫌悪をもよおし、しかし失敗談はと言えば観ていてどうにも息苦しい、とてもじゃないが居たたまれない。そんな苛立ちと焦りを懐胎した僕たち視聴者がぞろりモニターの前に陣取っている。ちょっとでも反発を覚えたら即座に、容赦なくチャンネルを回さんと決め込んで、リモコンのボタンに載せられた人差し指はピクピクと痙攣すらしている。そんな手厳しい取捨選択の網を「ゲゲゲの女房」は、まんまとすり抜けて見えます。


 また、昭和30年代後半の生活事情をうまく醸し出そうと奮闘する衣裳担当者によって、人物の羽織るセーターやシャツはモノトーンにいずれも染まっていて、これが昨今の安売り衣料量販店の送り出す原色を主体とする服と重なって見えなくもない。


 かくして、僕たち平成のサバイバーたちは主人公夫婦にすんなり気持ちを託していくのです。いつかは脱却されるはずの、爪に火を点すが如き極貧の生活へと舞い戻ることに苦痛を覚えずに済む訳ですね。送り手と受け手のコンビネーションはだから抜群、とてもうまく出来ている。企画の勝利といったところです。


 事実を根底とする以上は、悪戯にお話を拡げる余白はそう残されていない。観ていて驚きはあまりないのだけれど、角か取れて至極まろやかなノド越しなのです。新しいふりして実は古酒並みに熟成している。老いた職人の手わざを横でのんびり見学しているような、くすぐったいような愉しさが何処からともなく湧いてくる。そんな感じの15分間になっています。




 さて、僕が個人的に関心を寄せているのが、脚本家山本むつみさん(単身によるのか、制作者、原作者が総出で知恵を寄せているのか定かでないのだけれど)──が送り出す生活臭の強さと、いくらか誇張気味に描かれる“味噌”なのです。


 上に引いた場面は調布の水木さん(向井理)の家に新妻の布美枝(松下奈緒)が引っ越して来た初日の光景だけれど、ここでは底を突きかけて、内側に黄金色の味噌がぺたぺたとこびり付いた“味噌壷”がクローズアップされていました。


 この場面と対峙する光景が放送初回には描かれていますね。同じく台本をノベライズしたものから書き写してみましょう。まだ幼い時分の布美枝が祖母に命じられて自宅奥の蔵に足を踏み入れる場面です。


 登志から味噌蔵に味噌を取りにいってくるようにいわれて布美枝は肩を落とした。

(中略)漬物樽などが並ぶ味噌蔵はシンとして薄暗く、空気はひんやりと湿っていて

少しばかりカビくさかった。ドズンドスン!不意に天井から音が聞こえ、一瞬にして

布美枝の体がこわばった。続いて……バラバラバラと怪しげな音がした。

何かおるん?薄闇の中を見回した。目には見えない何かが闇の中でふくふくと息づき、

布美枝を見つめている気がした。(*4 )



 谷崎潤一郎の「少年」(*5)と似たシチュエーションがここでは組み立てられています。醤油や味噌の振りまく芳香と物置独特の湿度と暗がりが密接に連なって僕たちに提示され、非日常の空間に手を引き誘(いざな)っていく。それと同時に布美枝の育った家の、金銭的、物質的な充足、生活基盤の安定が重量感を具えた大きな味噌樽によって明確に謳われていました。


 貧富のバロメーターとして味噌の量目が採用されていて、山本むつみさんはそれを露骨に増減して見せるのだけど、味噌自体への眼差しにはフラットなものが感じ取れる。そこがなかなか面白いと僕は思うのです。


 例えば石原裕次郎と浅丘ルリ子の「赤いハンカチ」(*6)は昭和39年(1964)公開の映画であって、「ゲゲゲの女房」と描かれる時代はピタリ重なっているのですが、「赤いハンカチ」での“味噌汁”にはいくらか時代遅れのもの、無垢なもの、困窮のイメージといった複雑な光が賦与されていました。どちらかと言えば負の視線が突き刺さっていたのです。対して「ゲゲゲの女房」の“味噌”は堅実と安息の目盛りとして素直に活かされており、随分と良い席におさまって見えます。


 ひとつの事象でも百人百様の捉えかたがあるのは当然のことですが、僕は単に脚本家の生理がぼんやりと形を成したとは思えないのです。


 物事のいちいちの色彩は、その折々に住まう人間の精神状態に大きく影響され変化し、身に纏う明度はまったく異なってしまう。時にはみすぼらしく、時には晴れがましく描かれ、物語で割り当てられる“意味”がまるで違っていく。東京オリンピック開催を目前とする成長期とリーマンショックの痛手から回復出来ぬままに下降を続ける今では、世界の見え方がこうまで違う、ということではないかしらん。

 “味噌”は大衆の心理に即応して明瞭に担う役割を変えていく、そんな極めて心理的食物であることを山本さんの台本が証し立てている。


 今後、水木家で味噌がどのような役割を果たすものか、しばらく目が離せそうにありません。僕たちが僕たちの今の暮らし向きをどう捉えているか、それが確実に反射して来るでしょう。何気なく流されるドラマもそうして観れば、なかなか奥深いものです。


(*1):「ゲゲゲの女房」(上) 原案 武良布枝 脚本 山本むつみ ノベライズ 五十嵐佳子
NHK出版  第2章 さよなら故郷 
(*2):NHK連続テレビ小説 朝8時より放送中 挿入した画像はホームページから引用
http://www9.nhk.or.jp/gegege/
(*3):「おしん」 NHK 1983-1984
(*4):「ゲゲゲの女房」(上) NHK出版 第1章 ふるさとは安来
(*5):「少年」 谷崎潤一郎 1911
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/1911_23.html
(*6):「赤いハンカチ」 監督 舛田利雄 1964
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/1964.html
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/1964_25.html
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/1964_30.html

2010年5月3日月曜日

上村一夫「同棲時代」(1972)その3~上村一夫作品における味噌汁(14)~

 このような景気です。仕事のあることは嬉しくありがたい事なのだけれど、やはりこの時期、世に大型連休と呼ばれる期間に入ると気持ちがぷくぷく泡立ちます。解放されないままに半端な仕事に当たる毎日はどうにも悔しい気分。「聞け万国の労働者」でも歌いましょうかね。ショウガナイ、何を馬鹿なことを──。


 「同棲時代」を中心となして広がる上村一夫(かみむらかずお)さんの創造の平野を、これまで13回に渡って歩いてみました。そこには意味ありげに“味噌”が顔を覗かせていて、人物の内面をそっと代弁している様子が認められました。


 “味噌”がぽんっと視野に飛び込んだり、はたまた「みそ」という響きが耳朶を打った際に避け難く生じる微弱な“震え”のようなものを上村さんは畳み掛けるように登用し、独特の震幅を物語に与えることに成功しています。いつまでも後引く余震が見事ですね。


 恋愛劇には不向きと想われた“味噌(汁)” はしっかり男とおんなの魂に流れ込んだ後に、ごつごつした樹根のように固形化して読者を待ち受けている。蹴躓(つまず)かせて足をさらい、来た道を見失わせて僕たちを精神の迷路に誘(いざな)おうと、今でも息を殺して待ち続けているのです。うわべだけを紙芝居のように並べた安直なドラマがずいぶんと幅を利かせていますが、本来人間は複雑で多層な内面を抱えている厄介な生きものです。たくさんの若い人に、こういった奥の深いお話を読んで学んでもらいたい、ほんとうにそう思いますね。


 上村さんについては、今日でひとまずお仕舞いです。最後にもう一箇所だけ、“味噌汁”に関する奇妙な描写を「同棲時代」(*1)に見ることが出来るのですが、それを取り上げて筆を休めましょう。不自然なその物言いには、作者の“文法”がやはり感じ取れるのです。


 今日子の退院によりふたりの暮らしは再開されたのですが、無理を続けている空気にじわじわと侵食されています。当初のみずみずしい会話は何処へやら、いまでは息を潜めるように過ごす毎日なのでした。重苦しい沈黙が続いていきます。

 突然扉を「トントン」とノックする音。隣りの部屋に住まう同世代の娘が“醤油”を借りに来たのでした。(*2)

弓子「ねぇ 今日子さん お醤油貸してくれる?」

今日子「いいわよ」

弓子「うち きらしちゃってるの 気がつかなくて 

   あら!まだお休み?ごめんなさい」

今日子「ええ あの人 ゆうべ遅くまで仕事してたものだから」

弓子「ほんとに大変ね イラストレーターっていうのも

   あ いけない 授業に遅刻しちゃうわ じゃお借りするわね!」


 この娘も目下“青田”という男と同棲中なのです。背格好や容貌にはあざとい造り込みが為されていて、今日子と次郎とはあまりにも対照的です。どうやら前触れなく突然物語に招聘されたこの隣家の男女は、今日子と次郎の内面を浮き彫りにするための補色の役割を担っているようです。夕方にも再度扉はノックされます。「トントン





今日子「はァい」

弓子「今日子さん ごめんなさい お味噌を少し借りたいの」

今日子「いいわよ」

弓子「あの人がね どうしても味噌汁がのみたいっていうもんだから

   あ それからね もし残りものがあったら言ってちょうだい

   うちの猫に食べさしちゃうから (高笑いして)ころころころ」


 なんという天真爛漫さ。行動のいちいちに陽性が溢れています。この後、飼い猫について苦言を呈されたことから大家と激しい口論に至って、田舎に帰って農家をしながら悠々と暮らす、子どもも沢山作って元気に育てるつもりだと啖呵を切って、実際にさっさと引っ越してしまうのでした。リアカーを引いて小さくなっていく彼らの背中に対し、物語は重い沈黙をもって答えています。


 上村さんの作品にて“味噌汁”が境界標として機能することを思い返せば、ここで太々と描かれた境界線の向こう側には疑念や不安、戸惑いといったものが微塵もない“生活”が意図的に描かれています。シンプルで純粋な、笑顔に満ち溢れたそれを今日子と次郎は羨望、侮蔑、悔恨、同情といった綯(な)い交ぜとなった想いで見送るのでした。(*3)




 青田という名の若い男女への輻輳(ふくそう)する上村さんの眼差しは“生活”という区画と“観念”の飛翔する空域とを穿つ境界標たる“味噌汁”にも同等に注がれている感じがします。


 生活を長年こなすうちに生じてくる粘っこい澱(おり)が次第に足首に纏(まと)わり付き、気力体力を徐々に奪い去っていきます。諍(いさか)いを起こしてしまい疑念が鎌首を一度もたげてしまえば、“無私”で居ることには限界が自ずと訪れて、ふたつの心は分裂を始めてしまう。決壊してしまった魂の貯水池はなかなか元に戻せません。透明感のある澄んだ笑いで暮らしを満たし続けることは出来ない相談なのです。


 ぶわぶわと輪郭を崩し始めた空間でもひとは物を食べ続け、生きていかねばならない。今日子と次郎の部屋の夕餉に供される“味噌汁”は、だからとてつもなく哀しい。何のための境界票なのか、一体何から何を守っているつもりなのか。何を外に追いやり、何を内側に創ろうとしているのか。


 
こんなにも淋しく儚げに見える“食(べもの)”は他の創作世界には無いような気がします。そして、僕たちの身近に転がる“味噌汁”をこんなにも哀しく見える“食(べもの)”にしてみせた創り手は、上村さん以外には今のところ見当たらないのです。



(*1):「同棲時代」 上村一夫 1972-1973
(*2): VOL.57「夏のとなり」
 
(*3):ここで繰り広げられた騒動は国境線を主張するために誇示される軍事訓練か挑発行為のようなものに見えてきます。例えはいささか乱暴ではありますが、今日子と次郎が二筋の境界線を持って曖昧に重なり合う多民族国家とするなら、隣家のふたりの快活な笑いに満ちた生活はイデオロギーを隙間なく集束させた独裁制国家の趣きです。境界紛争が脆弱な連邦国家を震撼させ、異分子たる互いを強く意識させてしまった。この後、まっしぐらに今日子と次郎は分裂へと歩を進めて行くのです。