今日久しぶりに観直してみたら、まるっきり印象が違った。年齢相応の修練をささやかなりとも積んだためだろう、一言一句が耳朶を打って痛い。ふらふらになった。
「遊侠無頼」の小川英、山崎巌と「狼の王子」を監督した舛田利雄が
共同でオリジナル・シナリオを執筆、舛田利雄が監督した歌謡ドラマ。
撮影もコンビの間宮義雄。
三上(石原裕次郎)、石塚(二谷英明)の両刑事は、兇悪な麻薬ルートを
追っていた。容疑者一味の内、唯一人の生存者である屋台の親爺、
平岡が現場で犯人に接したことから、平岡は警察にひかれた。
が三上らの峻烈な調べに対しても口を開こうとしなかった。護送中に
にげようとした平岡と激突した三上らは、誤って拳銃を平岡の胸に
発射した。過失とはいえ世論は三上らにきびしかった。
それから三年、三上は北海道のダム工場で働いていた。
一方神奈川県警の土屋警部補の訪問を受けた三上は、石塚が
平岡の遺児玲子(浅丘ルリ子)と結婚し、今は大実業家になっている
と知らされた。そしてその裏には三年前のあの事件がからまっている
というのだ。決心した三上はその謎を解くため、再び横浜に帰って来た。
(キネマ旬報データベースより)(*2)
上記にある“三年”は“四年”の誤りだ。こう着状態で進展しない取調べの打開に向けて、早朝、平岡の住まう長屋を目指した裕次郎はそこで娘の玲子(浅丘ルリ子)と鉢合わせする。豆腐屋の自転車を呼び止める「おトウフ屋さぁん!」という涼しげな声と、これに続いての「私のおみおつけ」、不意に目に飛び込んだゴミか羽虫をハンカチで取ってくれた気遣いにすっかり魅せられ、強く惹かれる。その時の会話が最初に紹介したものだ。
四年の歳月を経て再会したとき、裕次郎は自分を虜にした「おトウフ屋さぁん!」「私のおみおつけ」といった素朴な面影を見い出すことができずにショックを受けてしまい、悪戯に街の与太者たちと喧嘩を起こす。四年前の彼女との出逢いの場所を訪ね歩いては、独り懐旧に耽り続ける。
おんなは成長していく、ということか。 「ティファニーで朝食を」(*3) 、「シャレード」(*4)なんかでオードリー・ヘップバーンが艶やかに装ったファッションを踏襲し、負けず見事に着こなしている浅丘ルリ子はほんとうに美しく成長してみせた。
「赤いハンカチ」の二年前に公開されている「憎いあンちくしょう」(*5)が、“装わない”時期のいちばんハツラツとした浅丘が定着なったフィルムだと僕は思い、そんな彼女にも秘かにぞっこんなのだけれど、ここでの“装い”、陰影を深めた彼女の成熟はやはり素晴らしい。
なのに裕次郎は自分勝手な妄念に固着し続けて「違う、違う」とかぶりを振って、記憶とのずれに悶えていく。振り返らないおんなと振り返り続けてしまう男……。男は救われない馬鹿な生きものだ、と思い知らされる。
さて、ここで男の愚かさを象徴するかのごとき「私のおみおつけ」のイメージなのだけれど、単なる懐旧や純朴さの現われと割り切っていいものだろうか。
(*1) :おみ‐おつけ【御味御汁】「おみ」は味噌の意の、「おつけ」は
(*2):「赤いハンカチ」キネマ旬報DBhttp://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=21282
(*3): Breakfast at Tiffany's 1961 監督ブレイク・エドワーズ
(*4): Charade 1963 監督スタンリー・ドーネン
(*5):憎いあンちくしょう1962 監督蔵原惟繕
憎いあンちくしょう キネマ旬報DBhttp://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=20787
youtubeで観ることが出来る「憎いあンちくしょう」の浅丘ルリ子http://www.youtube.com/watch?v=iwyuhZhLG3U
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