2010年7月26日月曜日
松原岩五郎「最暗黒の東京」 (1893)~人に向ッて食(くわ)すべき物にあらぬ~
しかれども予は空(むな)しく帰らざりし、予は些(わず)かの食物を
争うべく賄方(まかないかた)に向ッて嘆願を始めし。(中略)「もしも
汝(なんじ)がさほどに乞うならば、そこに豕(ぶた)の食うべき餡殻
(あんがら)と畠を肥(こや)すべく適当なる馬鈴薯(じゃがたらいも)の
屑が後刻に来るべく塵芥屋(ごみや)を待ちつつある」と。予がそれを
見し時に、それは薯(いも)類を以て製せられたる餡のやや腐敗して
酸味を帯びたるものと、洗いたる釜底の飯とおよび窄(しぼ)りたる
味噌汁(みそしる)の滓(かす)にてありき。たとえこれが人に向ッて
食(くわ)すべき物にあらぬとはいえ、数日間の飢に向ッては、これが
多少の饗応(きょうおう)となるべく注意を以てそこにありし総(すべ)てを
運び去りし。(中略) ああ、いかにこれが話説(はなし)すべく奇態の
事実でありしよ。予は予が心において残飯を売る事のそれが慥(たし)かに
人命救助の一つであるべく、予をして小さき慈善家と思わせし。しかるに、
これが時としては腐れたる飯、饐(あざ)れたる味噌、即ち豕(ぶた)の
食物および畠の食物を以て銭を取るべく不応為(ふおうい)を犯すの余儀なき
場合に陥入(おちい)らしめたり。(*1)
雑賀恵子(さいがけいこ)さんの書かれた「空腹について」(*2)という本を読んでいたら“味噌”が顔を覗かせました。松原岩五郎というひとが執筆し、明治26年(1893)に上梓された「最暗黒の東京」からの引用なのでした。早速文庫本(*1)を取り寄せて読み進めました。有りました。それが上に写した文章です。
今とは違って生活物資が潤沢でなかった頃に、さらに目を覆わんばかりの艱難辛苦(かんなんしんく)を舐めさせられた“貧民窟”での生業(なりわい)に松原さんは単身飛び込みます。後段にはやや勢いが衰えて失速する感は否めませんが、前半から中盤にかけての食糧事情の件(くだり)は圧倒されるものがあります。渾身のルポルタージュです。
寝具にも事欠く窮状に置かれた者にとって、炊事に使う薪(まき)や炭は到底手の届かぬ貴重品です。火を熾(おこ)す必要のない手っ取り早い栄養摂取の手段として、だから重宝されていたのが、軍隊の宿舎や学校の裏口から排出される“残飯”を貰い受け、手間賃を上乗せして売るという驚くべき稼業と彼らがさばく「残飯」なのでした。筆者は界隈を司る紹介屋の勧めに応じてそんな“残飯屋”に人足のひとりとなって潜り込み、兵舎の厨房と貧民窟を日毎夜毎に桶(おけ)を担ぎ、車を引いて往復します。空き腹を抱えた人々は手に手に椀だの鍋だのを抱えて到着を待ち、筆者に群がり寄って、我先にと“食べもの”を買い求めるのです。
綱渡りをするようにして生命を繋いでいる、けれど逞しく、必死に生きていく人間の姿を活写していて、ありありと光景が浮かんできます。最下層の人々の日々を体感するままに誇張加えず割愛をせずに淡々と記していくその文章には、感嘆やら憐憫やらの複合した思いが時折交錯してほとばしり、現世の僕たちの生活の在り様について熟考を誘うものがありました。
厨房より送り出される多種多様のもの、魚や獣の内臓、漬物の切れ端、野菜の切片、釜底に黒くこびりついた焦げ飯、腐敗しつつあり酸っぱい臭いを放出する米やら餡やら──に交じって“味噌汁の滓”すなわち“みそっかす”が描写されていました。“畑の肥やしか家畜の餌”と明確に書かれてしまっており、ここでの“みそっかす”は著しく低い地位のものとして扱われています。
ここだけでなく、次のような形容も別の箇所では為されています。懐に小銭の入った庶民が気晴らしを得ようと足を運ぶ行きつけの、ひどく衛生状態が悪い小料理屋に関しての記述の中でした。
およそ世に不潔といえるほどの不潔は悉皆(しっかい)玆(ここ)に
集めたるが如く、(中略) 海布(あらめ)のごとき着物被(き)たる下男、
味噌桶(みそおけ)より這い出したるが如き給仕女(以下略)(*3)(*4)
この時期の多くの人々にとっての“味噌”および“みそっかす”への視線が、不衛生で生理的に受け付けないものとして定着していたことの証左を示して見えます。工業レベルで確立される遥か以前の“味噌作り”は、暗く不潔な土間の片隅で各集団ごとに為されていくのが通常でしたから、発酵途上で失敗したり虫が混入したりして異臭を放つ出来損ないも多かったことでしょう。十二分に洗浄と乾燥を施さずに無神経に再使用された仕込み用の木樽は、何やら分からぬ雑菌に汚染されて何処もかしこもべとべと、ぐちゅぐちゅと気味悪かったかもしれません。
僕は過日、幸田文さんやちばてつやさんの作品を取り上げて好意的に“みそっかす”という奇妙な蔑称を解読してきましたが、こうして明治期まで深く遡ってみれば、もはや逃げおおせぬ最低ランクの喩(たと)えとしてその言葉が当時のひとの口より放たれていたことは想像されてしまう訳なのです。ちょっと考えが甘かったかもしれない。
言葉やそれに付随する人の想いは時代と共に容易に変質していく、ということですね。形容、呼称というものはなかなかに奥深く、繊細なものを含んでいる。気を付けないといけませんね。こんな年齢になりましたが、ちょっとだけ利口になれた気がしています。
話は変わりますが、そうそう、こんな発見も。例によってベランダでの読書兼日光浴の最中でした。下着一枚のお気楽ないつものスタイルです。直射日光に照らされた文庫本「最暗黒の東京」は、真っ白くがんがんに輝いて目が眩むばかりです。僕は近視なものだから眼鏡を外してかたわらに置き、ページをぐっと顔に近づけて、あれ、そうだったのかと気が付いた訳なのでした。
考えてみればインクは石油の産物でありますから、何ら不思議はないのです。強烈な陽光をまともに受けて、文字のひとつひとつが炎に焼かれて身悶えするようにして見えるのだけど、そのひとつひとつがよくよく見れば虹色に反射しているのでした。赤だの青だの、紫だの鮮やかな光をてらてら放っている。
僕はこれまで白い紙に黒い文字が並ぶイメージに囚われていたのだけど、実は文字のひとつひとつは多彩な個性を放って光を返しているんですね。余程の強い光に照らされないと、そうして余程顔を近寄せないと解からないのだけど、活字のいちいちが色とりどりに反射する様子はすこぶる幻想的で嬉しく感じました。
蝙蝠傘 ── 傀儡遣い(にんぎょうつかい) ──
覗き機関(からくり) ── 燐寸(マッチ) ── 鼻緒縫い
そんな単語がちかりちかりと虹のひかりを放っていく。本好きにはたまらない光景じゃないですか。未見の方は今度お昼休みにでもお試しください。
素晴らしい、かけがいのない、人生一度きりの夏を──。
水分をたくさん補給しながら、どうか元気にお過ごしください。
(*1): 「最暗黒の東京」 松原岩五郎 1893 初版は民友社より 上記引用はすべて岩波文庫版による 手元にあるのは1988年の第1刷 「8、貧民と食物」頁47-48
(*2): 「空腹について」 雑賀恵子 2008 青土社
(*3):「22、飲食店の内訳」 頁112-113
(*4):“醤油”についても散見出来ますが、味噌のようなマイナスの描写は見当たりませんね。車夫、人足で賑わう小さな店先の場景などに登場している。「片手に布団と煙草袋を提(さげ)て醤油樽(だる)に腰を掛けぬ。」とか「数多(あまた)の醤油樽を積み重ねたる小暗(こぐら)き片蔭に赤毛布(あかけっと)の破布(ぼろ)を纏(まと)いて狗(いぬ)の如くに踞(うず)くまり孤鼠(こそ)々々と食する老爺(ろうや)あり。」(「30、下等飲食店第一の顧客」頁148-149)──といった表現であって、目線が対等かそれ以上になっている。味噌と違って“商品”、それも高値の工業製品として確立していた為かもしれません。この段差はちょっと面白いなあ。
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